京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

伊田広行さんを迎えてのトークショー『陽気なイタリア社会の困難な現状』

さる9月14日、元・立誠小学校特設シアターで、ドーナッツクラブ配給の映画を上映後、チルコロ京都でトークショーを実施しました。その日上映された『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』は、主人公の青年が、人件費削減のため、同じ会社で働く社員の中から25人を解雇するように命じられ、その任務の重圧によって精神的に極限状態に追い込まれていくというストーリー。映画に合わせ、トークテーマは「日本とイタリアの社会問題」。ゲストは、関西非正規等労働組合「ユニオンぼちぼち」で活動されている伊田広行さん。既成の社会体制にとらわれない働き方・生き方を提唱する伊田さんは、映画を観て何を感じられたのでしょうか? 京都ドーナッツクラブ代表・野村雅夫が進行役となり、お話を伺いました。

 トークショーではまず、最近の新聞に掲載されていた「追い出し部屋」や「首切り屋」の記事を引用しつつ、日本社会における労働状況を把握。作品は2004年のものですが、現在の日本にも通じるストレス過多な労働環境が描かれており、イタリアと日本が同じ方向に進んでいることがよくわかりました。

 続いて主人公の暴言についての解説。仕事に疲弊した主人公は、彼女に対して、あてつけのように女性を蔑視する発言を繰り返します。果たして彼は心の底からそんな発言をしたかったのか。主人公は、仕事に恋に、充実した生活を楽しみたかっただけなのに、大企業という社会システムに、がんじがらめになっていく。理想としていた自分が失われていく最中のうめき声が、彼女への暴言という形で表れたのではないか。そう考えて作品を鑑賞すると、より膨らみのある物語に見えてきます。「そもそも主人公は首切りの仕事を引き受けなければよかった。根本的に、仕事に対する意識を変えなければいけない」とは伊田さんの言。仕事だから我慢する・しないを論じるのではなく、まず前提として仕事とは何なのか、何のためにするのかを考える必要があると伊田さんは主張します。軽率なようで、複雑な心情を持っていたかもしれない主人公。物語の最後、エレベーターに乗り込みながらつぶやく一言が、彼のイメージを決定づけます。伊田さんの言うとおり、主人公は意識の改革を要する社会の犠牲者であることは確かです。

 次にイタリアの家庭の事情。映画では、イタリアの家族観、恋愛観を反映した場面も多々登場します。これについては、伊田さんもご自身のブログで言及されています。イタリアの晩婚化、離婚率、家族のあり方について。

 イタリアに留学していた僕から補足したいのは、数字だけ見るとイタリアの離婚率は低いのですが、実際の離婚率はとても高いということ。僕のイタリアの友人を見てみても、両親が離婚しているという人が6割。ただそれは法的な離婚ではなく、別居という形をとっているだけなのかもしれません。そして日本人の感覚からは驚きなのですが、別れたパートナー、別れたパートナーとの間にもうけた子供、新しいパートナー、新しいパートナーの間にもうけた子供といった複雑な関係にある人同士も、結構仲良くしています。例えば母方に引き取られた娘が「今度パパと、パパの再婚相手と一緒に映画を観に行くの」といった具合。こういった関係性は、風通しが良くて非常に良いと僕も思います。

 話が少し脱線しましたが、トークショーは非常に充実した内容で、あっという間に終わりの時間を迎えました。トークショー終了後も、チルコロ京都でお酒を飲みながら、伊田さん含む、参加者の方たちとともに談笑。楽しい時間を過ごすことができました。