京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

フェリーニの遺言

 先日、映画を観て衝撃を受けた。その映画というのは『ファントッツィ、皆と対立』(Fantozzi contro tutti, 1980)だ。パオロ・ヴィラッジョ演じるファントッツィといえば、イタリアで知らない人はいないコミック映画の主人公。1968年にテレビドラマとして人気を博し、映画でも1975年から1999年まで、実に10作品で主人公となった。まさに国民的キャラクターといったところ。内容は大企業で働くドジな主人公が失敗を繰り返すドタバタ喜劇。その過剰な失敗ぶりが笑いを誘うわけだが、そんな中で私が衝撃を受けたのは、以下の場面である。

 会社から急いで家に帰ってきたファントッツィは、居間に走り込む。懸命に何かを探していると思ったら、テレビのリモコンに飛びついた。それから夜通し、テレビ番組のザッピングを続ける。夕飯もそっちのけで食い入るようにテレビ画面を凝視している。彼は26秒間に380回チャンネルを変えたという記録を保持しているらしい。同じアパートのどの部屋でも、同じようにザッピングが行われている。絶えず行われるザッピングは、今やイタリアにおいて日常的な生活風景になってしまった……。
 衝撃である。この映画が世に出た1980年といえば、ボローニャ駅での爆弾テロをピークに激しいテロ運動が終焉を迎え、ビデオゲームなどの新しい娯楽が流行り出した年だ。まさに新時代の幕開けだった。そこにきてファントッツィのザッピングである。ドジをやらかすばかりではなく、当時の社会を痛烈に皮肉り、テレビにのめり込んでいく人々に、警鐘を鳴らしていたのだ。ちなみに後の首相シルヴィオ・ベルルスコーニが、テレビ局カナーレ5を設立したのもこの年だ。 

 ちょうどその10年後、ファントッツィを演じていたヴィラッジョが、フェデリコ・フェリーニの遺作となる『ボイス・オブ・ムーン』(La voce della luna, 1990)で主演を務めたのは偶然ではないはずだ。なにしろこの作品は反テレビの記号が散りばめられているのだから。一日中テレビ漬けの子供たち、巨大スクリーンに映し出された月を見て狂騒する人々、コマーシャルの時間を告げる月……。物語の最後、もう一人の主人公ロベルト・ベニーニが、月の声を聞こうとして、こうつぶやく。「もう少し静かにしたら何か分かるかも知れない」。それはつまり、「肥大化するマスメディアでは分からないものがある」というフェリーニからのメッセージではないだろうか。
 その3年後の1993年、フェリーニは亡くなる。彼の願いに反して、マスメディアの勢いは増す一方。つまり、聞こえないものに耳を傾けるフェリーニ映画のような作品は認められにくくなっている。

 今回我々が特集上映を企画した監督エウジェニオ・カプッチョがデビューしたのは、まさにそんな時期だった。『ボイス・オブ・ムーン』では制作の裏側を追ったドキュメンタリー風の短編映画を撮影した彼は、巨匠フェリーニを最も間近で見てきた一人だ。その作品を年代順に見ていくと、懸命にもがきながら映画を制作している彼の姿がわかってくる。友人たちと共に撮影した『フィルムがない!』(Il caricatore, 1996)、その続編『人生は一度きり(邦題は著者訳)』(La vita è una sola, 1999)、初めて職業監督に徹した『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』(Volevo solo dormirle addosso, 2004)、スター俳優を起用した『ふたつにひとつ』(Uno su due, 2007)と『かくなる上は背中を押すぜ(邦題は著者訳)』(Se sei così, ti dico sì, 2010)。初期は作家性の高いインディペンデント映画で、後期は技術を駆使した職人的な仕事ぶりを見せてくれる。個性豊かなラインナップなゆえに、作品によって好き嫌いも出るだろうが、監督が深い映画の知識を持って制作に取り組んでいることは確かだ。フェリーニに薫陶を受けた映画バカ一代エウジェニオ・カプッチョ。今後如何なる道を模索するのだろうか。テレビやコマーシャリズムに負けず「聞こえないものに耳を傾ける」映画を撮るのだろうか。これからも見守りたい。
(文責 ハムエッグ大輔)