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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

11月9日 西尾孔志監督トークショー@第七藝術劇場

 レイトショーの後ということで、少し遅めに始まったトークショー。この日上映された2本の映画、『フィルムがない!』(Il caricatore, 1996)と『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』(Volevo solo dormirle addosso, 2004)を鑑賞された西尾孔志監督が、ドーナッツクラブの野村雅夫、有北雅彦と共に登壇。自らの経験も踏まえつつ、カプッチョ作品の感想を語られました。
 まず、三人の若者が苦労しつつも映画を撮る姿を描いた半メタ映画『フィルムがない!』。若手の監督なら誰しもが通る前衛色の強い作品と評されました。新人ゆえに何をやっても平気という気概を感じるし、その意味で微笑ましく鑑賞させてもらったとのこと。日本映画界の現状を見てみると、まさに作中のカプッチョたちのような、駆け出しの映画製作者はたくさんいて、もちろん西尾監督自身もそのひとりだったそうです。ご自身も過去に、撮影の待ち合わせ場所に行ったら、他に誰も来なかったというつらい経験があるそうです。スタッフが全員逃げてしまったにも関わらず、一からまたスタッフを集め直して映画を撮り終えたのだとか。どんなにつらくても「とにかく撮らなきゃいけない!」という情熱は、まさに『フィルムがない!』の三人にも通じるものがあるように思います。
 次に、企業に勤める青年が期限付きで25人リストラにすることを課される『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』。『フィルムがない!』とは打って変わって、しっかりまとまった劇映画との評。ステレオタイプであるがゆえに、イタリア人がいかなる人間かがよく描けているし、それと対比する他の人種も上手に挿入されている。日本の同種の劇映画では、このように社会問題に迫る作品は意外と少ないそうです。

 西尾監督が指摘していたのは、この二作品の驚くべき振れ幅。一方はやりたい放題の自主制作映画で、もう一方はかっちり型にはまった劇映画なのです。このに作品、時間的には8年間離れているのですが、その間にインディペンデントの若手から職業監督へと姿を変えるカプッチョの歩みが想像できます。もともとは、フェリーニの助監督という立場でキャリアを始めたカプッチョ。映画に対する情熱と知識には凄まじいものがあります。それを内に秘め、時には職人に徹することで、現代イタリア映画界で生き抜いています。西尾監督からは、総じると「カプッチョあなどりがたし」というお言葉をいただきました。

 個人的には初期の前衛色の強いカプッチョを評価してしまいがちだったのですが、西尾監督のお話を聞いて、プロとして生計を立てることの重みと「ウェルメイド」な映画の見方に、とても納得がいきました。ちなみに、西尾監督の最新作『ソウル・フラワー・トレイン』は、『フィルムがない!』から『ただ彼女と眠りたかっただけなのに』への移行期のあたるエンターテイメント映画だそうです。来年に第七藝術劇場でも公開予定です。

 最後に一つトークショーの補足を。『フィルムがない!』では、主人公三人とプロデューサーであるアルコピントが実名で登場していて、現在はイタリア映画界でそれぞれ活躍しているという説明がありました。実は彼らを凌ぐ活躍をしている映画人が作中に出てきます。サッカーの試合で相手チームのキーパーをしていたドメニコ・プロカッチ。『ゴモラ』(Gomorra, 2008)や『ローマ法王の休日』(Habemus Papam, 2011)など、彼のプロデュースした代表作の名前は挙げればばきりがありません。アルコピントは、サッカーをする度にプロカッチのチームに苦汁を舐めさせられていましたが、現実世界でもまさにその構図は変わっていないというわけです。今は敏腕プロデューサーとして名の通ったプロカッチの若かりし姿を拝むというのも、『フィルムがない!』の隠れた楽しみ方の一つかもしれません。