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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『何者』短評

ラジオ 映画 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2016年10月21日放送分
『何者』短評のDJ's カット版です。

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近年の日本映画の傑作『桐島、部活やめるってよ』の原作者、朝井リョウ直木賞受賞作を、『愛の渦』で人間関係の変化を活写した劇団ポツドール三浦大輔監督が映画化。企画・プロデュースは、今や日本映画の屋台骨、川村元気。今年だけでも、『世界から猫が消えたなら』『君の名は。』『怒り』『何者』、これ全部川村元気の手掛けた作品ですよ。すげー。まんまと全部観てる…

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キャストには、若手実力派が揃いました。佐藤健有村架純菅田将暉二階堂ふみ岡田将生。22才の5人が同じ部屋に集い、そこを就活対策本部として情報交換していくのだが、それぞれのスタンスの違いがだんだん露呈してきて、やがて内定を手にする者が出始めると、関係性がギクシャクしてくる。就活というダンジョンを彼らは抜けることができるのか。
 
それでは、佐藤健演じる主人公拓人ばりに映画を観察・分析している男、野村雅夫が3分間で『何者』を短評。いってみよう!
 
☆☆☆
 
あらすじを読んだときから気になっていたんですけど、5人とも22歳という設定が絶妙です。つまり、留学やサークル活動で、みんな1年は寄り道をしてるんですよ。ストレートじゃない。だから、余計に就活に対して構えてるし、考える時間があった分、見事にこじらせてる。そういう背景がキャラ造形に映えていました。お話のメインとしては、主人公の拓人が他の4人を分析する様子が大事になってくるんですが、実は拓人にとって大事な登場人物が他にふたりいて、映画全体ではそのふたりが鍵になっていると僕は見ています。
 
拓人はこれまで演劇に打ち込んでいて、烏丸ギンジという、作・演出のパートナーがいたんですね。でも、烏丸は就活はせずに新しい劇団を旗揚げして、どんどん公演を打っている。そんな烏丸のことを、拓人は就活の合間に、ずっとネットで追い続けるんです。芝居にも未練がある拓人は、烏丸を妬む一方、アマチュア演劇の掲示板で烏丸の芝居がこき下ろされているのを見ては「やっぱりな」と見下してみたり。自意識を制御できずにぐらんぐらんな状態なんですね。
 
もうひとり、拓人にとって大事なのは、唯一「年上の人」である、演劇の先輩、理系の大学院生、山田孝之演じるサワさん。彼の大学院生っぷりったら、元腐れ大学院生の僕が首が痛いほどうなずける「こういう人いるわ〜」っていうリアルな存在感だったんですが、それは置いといて、そんなサワさんを慕っている拓人が、サワさんに何度か打ちのめされるんです。本質を言い当てられるというか。それでまた余計にぐらんぐらんですよ。就活対策本部のみんなといる時には、「拓人やっぱりデキる男だよな」と既に「何者かになりかけている男」として見られているし、拓人もそれを良しとしているだけれど、その輪の外のふたりによって、実は拓人は他人のことばかりを気にしている「まったく何者にもなりきれていないモラトリアム男」であることが僕ら観客に提示される。
 
と、この辺りのことは、原作小説でも共通していることでしょうけど、クライマックスの一連の展開は、もう映画ならではでして、朝井リョウ原作の映画化として、演劇畑の三浦大輔を監督に迎えて大正解だと唸るところ。「実はあの時こうでした」的な、Twitterのつぶやきを軸にしたフラッシュバックが不意に始まるんですね。こうした時間の操作がもう桐島っぽいんだけど、今回は映画じゃなくて演劇モチーフでしょ。フラッシュバックという映画技法を、演劇的な、つまり同じ空間で見せていき、なおかつカメラを引いていくと、5人がいつの間にか芝居の舞台にいたっていう、とてもダイナミックな畳み掛け(映画演劇リミックス)みたいな、実にスリリングな演出なんです。まいりました。就活においては、誰もが自分を演じているんだってこと、そしてそのひとり拓人の芝居を僕らは観ているんだってことをこの上ないほど端的に表現していました。
 
物語としては、ある種のオープンエンディングです。それぞれ内定が出たか出てないかが明らかになる着地ではない。だけど、最後の最後、拓人の顔が清々しいというか、凛々しいというか、何者かになったわけじゃないけど、一皮むけた顔をしてるんですよね。ずっと「受け」だった彼が「攻める」顔になってる。佐藤健あっぱれですよ。
 
つまり、こういうことです。受験にしろ、就活にしろ、なんなら結婚にしろ、僕らはそれによって「何者になるか」が決まると思い込んでいるけれど、実はそうじゃない。特に日本は職業で何から何まで規定しようとする傾向が強いけれど、人間ってのは就職面接の1分間で表現できるほど一面的なものじゃないし、そもそも仕事だけが人生じゃない。それがわかるってのが一皮むけるってことでしょう。人間のドロドロした内面が3Dのようにこちらに吹き出してくる映画でしたが、鑑賞後に爽やかな気持ちになれたのは、そういうメッセージを受け取れたからだと僕は思います。
 
☆☆☆
 
NANIMONOの歌詞は米津玄師が書いてるわけですけど、それこそ前前前世ばりに映画を言い表してると思いましたよ。

最後まで烏丸ギンジの顔を映さないという演出上の選択は、「桐島」の桐島とも共通するところでした。そっくり同じ効果とは言わないけど、面白い類似点なので、誰か考えて〜(苦笑)
 
関東と関西という違いはあれど、僕も学生時代から小演劇に携わる友だちがいるのでそれなりにわかるんだけど、ドキュメンタリー風に揺れるカメラとクロースアップで映し出される劇団の様子(役者たちの振る舞いや、あの規模の演劇にありそうな舞台装置や演出技法)は、それはもう「リアル」でした。
 
一方で、演劇も映画も演出していて「間」のことも熟知しているであろう三浦大輔にしては、「はて?」と首をひねってしまう、文字通り「間の抜けた」場面に何度か出くわしてしまったことも記しておきます。居心地の悪い間を演出しようとしているのではなく、ただ単に妙な間になっていたような… ついでながら、時にセリフ先行が耳についてしまうことや、見せ場のための見せ場のような場面も、特に後半見受けられて、あの凄まじいクライマックスがあるだけに、ちょっとチグハグにも感じられました。
 
とはいえ、ラジオで3分間で話すなら、こんなの端折っていいレベルだと僕は判断したので、こうしてDJ'カット版のブログだけに書くというやり口は主人公の拓人っぽいですかね(笑)
 
最後に、放送でもチラッと触れましたが、常連リスナーのつぶやきにこういうのがありました。
 
「一向に広がっていかない映画の世界観には共感出来ませんでした。あの描き方だと現実と理想の両方をバカにしているようにしか思えません」
 
言わんとすることはよくわかるのですが、「一向に広がっていかない世界観」こそ、少なくとも映画に出てくる彼ら若者のビジョンなんじゃないでしょうか。慣れないスーツを着て、一見すると広がっていきそうだけれど、その実、相変わらず窮屈な世界で彼らは自意識とばかりやり合ってる。それが「これは本当に広がりそうだ」と感じられるラストが僕は好きでした。

さ〜て、次回、10月28日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『スタートレック BEYOND』です。鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく! ああ、早く宇宙へ飛び立たなくっちゃいけないのに、朝井リョウの『何様』が気になってkindleで買ってしまった僕です。もう!!

何様

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