京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『娼年』短評

 
FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月12日放送分
『娼年』短評のDJ's カット版です。

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森中領は、東京の名門大学に籍を置きながらも、そこに意味を見いだせず、女性関係にも退屈し、バーテンダーのアルバイトで日々を潰すようにして生きている。ある夜、領の務めるバーに現れた美女、御堂静香。「女なんてつまらない」と言ってはばからない領に興味を持った静香は、経営する会員制ボーイズクラブに彼を所属させる。「情熱の試験」なる「身体及び技能検査」をパスした領は、その翌日から娼夫としてデビュー。年齢も境遇もそれぞれ違う様々な女性たちの欲望に接するうち、彼は次第に表情に生気を宿し、人生観を変化させていく。
 
2001年に書き下ろされて直木賞にノミネートした石田衣良の原作が、2016年にまず舞台化されました。演出は三浦大輔。主演は松坂桃李。僕は残念ながら観ることができていないんですが、基本的に全裸で役者たちが性行為を表現するセンセーショナルな演劇として耳目を集めました。三浦大輔さんは演劇ユニット「ポツドール」の主宰者で、2006年の『愛の渦』では演劇界の芥川賞とも言われる岸田國士(くにお)戯曲賞を獲得。同時に映像作家としても活躍。このコーナーで扱った『何者』は、僕も高く評価しました。

何者 愛の渦

 今回の映画化では、監督三浦大輔、主演松坂桃李という軸はそのままに、映像だからこそできる表現を模索しています。もちろん、R18指定です。

 
それでは、少し気後れしながらも行くしかない。虚飾を剥ぎ取り、歯に衣着せぬ3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

内容が内容だけに、興味本位も含め、それが悪いことだとは別に思ってないですが、話題となるのはどうしても性描写ですよね。監督はインタビューにこう答えています。「僕が今まで観てきた映像作品での性描写は、どこか“撮りっぱなし”な印象をもっていたのです。この作品では、セックスを会話を撮るように緻密に撮っていきたい」。なるほど。確かに、こんなに細かくカットを割った性描写はそうそう無いし、セックスシーンだけで1日がかりという地獄のような撮影も行っていたようです。想像するだけでメンタルがやられそうですが…
 
三浦監督の興味は、この作品に限らず、こういうことじゃないでしょうか。一見「普通」とされる人々が特殊な環境に放り込まれることによって直面する価値観の変化を描く。その装置が今回は売春であり、『何者』では就職活動だったのかなと。領はみんなに普通とはっきり言われていました。人間不信というか、自分の人生に対しても社会制度に対しても、あきらめがちな無気力な若者です。「セックスなんて、手順の決まった面倒な運動だ」とのたまうくらい。そんな男が娼夫としてデビューすることで、つまり自分が商品化されることで、多種多様な女性たちの性欲のはけ口としての道具となります。それがある種の荒療治となり、幅の狭くて一面的だった彼のものの見方が押し広げられる。自分の目を通して認識している世界なんてちっぽけで、世の中にはもっと色んな孤独と悩みがあるのだ、そしてこんな自分も誰かを喜ばせることができる、もっと言えば、誰かを救えるのだと、これまた多様なセックスを通して体験学習しているわけです。少し難しく言えば、社会を相対化できるようになっていく。

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この「相対化」はキーワードでしょうね。性的に商品化されるのは女性が圧倒的に多かったものが、ここではその構図が逆転している。観ていて思わず笑ってしまった人もいるでしょうが、たとえばラブホテルで部屋に入る前からキスの嵐で、ベッドへ向かうのももどかしく求め合う場面がありましたが、そこでふっと、部屋の外の掃除のおじさんたちの姿と会話を挿入してみせることで、この行為が一歩引いて見れば滑稽ですらあることをさり気なく見せるわけです。他にも、熱海でのビデオカメラを使った演出も、文字通りもうひとつの視点を加えることでセックスを相対化しています。「森中くん、続けたまえ!」というセリフには笑わされました。コントラストを極端にして青い色味を強調したアーティスティックな画面の中に、効果音を排除して身体が発する音を強調した生々しいAVまがいの行為を放り込むのだって、神秘にもポルノにもどちらにも転ばないバランスを保って、やはりセックスを相対化しているのではないかと。
 
こうした問題意識に、僕は賛同しています。でもね、この程度のバリエーションでは驚けなくないですか。アブノーマルとされていることのバリエーションと目新しさが弱くて、簡単に言えば、変態の中ではそこそこ普通だったりするので、肝心のセックスシーンを長いなと感じてしまうこともありました。領くんのスキルアップも、わかるようで客観的にはわかりにくいですよね。肉体による会話のシーン数を減らしてもいいから、ひとりひとりのバックボーンをつっこむところはもっとつっこんで、彼女たちが男を買う原因をもっと深掘りすると、その結果としての性行為にも深みが出るはずです。
 
さらに、領の家族やボーイズクラブのトップ静香の過去が一気に提示される急展開にはびっくりさせられました。言葉での説明がここで急に増えたせいで印象が浅くなるので、領にあっただろう葛藤がぼんやりしてしまっているし、静香の過去も拙速に出てくるから「へぇ、そうなんですか」ぐらいにしか興味が沸かないのがもったいない。そのせいで全体的にしまりがゆるくなってしまったのは残念でした。
 
とはいえ、松坂桃李のこれぞ体当たりな演技にはひれ伏してしまうし、居心地は悪いけど、劇映画でここまで性行為に踏み込んでみせた三浦監督の気概も買いです。売春が法律違反である平成の日本だからこそのラストの流れと、挑発的でもあるエピローグは考えるほどじわじわ沁みてきます。女性目線の欲望と言いながら、まだまだマッチョだよなこれじゃという描写もあるものの、閉ざされた性の歓びを開けっぴろげてくれる映画でした。

娼年 (集英社文庫)

紹介した監督のインタビューですが、原作の石田衣良も「これは他に類書がない」とパンフレットに書いています。ただ、いくらなんでも、それはちょっと誇張でしょうとは言っておきたい。野暮かもしんないけど。

 

女性の性欲を恋愛感情と切り離して追求した最近の映画として、ラース・フォン・トリアー監督の2部構成4時間超えの大作『ニンフォマニアック』なんてのもあったし、日活ロマンポルノもその一部には女性目線の欲望を反映する作品がありました。リスナーから指摘があったように、大島渚のかつての闘争も思い出さなければいけない。

ニンフォマニアック vol.1(字幕版)

今挙げたような作品は、それぞれ、性行為そのものをテーマとしているがゆえに、撮りっぱなしにはなっていないでしょう。監督の発言をフォローすると、要するに、特に最近のマーケティング過多な映画作りによって性描写そのものが敬遠されることが多い中で、結果的にこの作品が突出したということなのかなと。

さ〜て、次回、4月19日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『パシフィック・リム:アップライジング』。前作の大成功からゴタゴタがあって、ギレルモ・デル・トロは結局『シェイプ・オブ・ウォーター』の撮影を優先。今回は製作に回っていますね。日本が舞台! みんなで出かけよう! あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!