京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月19日放送分
映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評のDJ's カット版です。

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マイケル・クライトンによる原作小説を、スティーヴン・スピルバーグ監督が93年に映画化したご存知『ジュラシック・パーク』。シリーズとして3本作られましたが、2015年、かつての惨劇から22年後を描く『ジュラシック・ワールド』としてリブート的に復活。今回はその新三部作の2本目にあたります。
 
中米コスタリカ沖に浮かぶイスラ・ヌラブル島。多数の死傷者を出した恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」。その崩壊から3年。恐竜たちは島で自由に暮らしていましたが、島の火山活動が活発になったことで絶滅の危機に瀕します。人の手で恐竜を救い出すのか、自然に任せるのか。政府は、ジュラシック・ワールドが民間の運営であることも加味して後者を選択。一方、3年前は施設の責任者だったクレアは、恐竜の保護活動に身を投じていて、政府の決定に落胆。そこへ、かつてのジュラシック・パークの創設者ハモンドの旧友ロックウッドから連絡が入ります。豊富な資金を持つロックウッド財団の今の責任者ミルズから、独自の恐竜保護のアイデアを聞かされたクレアは協力を決め、知性の高いラプトル「ブルー」の育ての親であるオーウェンを誘って、再び島へと向かいます。

ジュラシック・ワールド (字幕版) ジュラシック・パーク(上)

 スピルバーグは前作同様、製作総指揮。前作の監督コリン・トレヴォロウは製作総指揮と脚本です。そして、今回メガホンをとったのは、ギレルモ・デル・トロを師と仰ぐ、スペインのフアン・アントニオ・バヨナ、43歳。またしても、若手をフックアップした形です。オーウェン役のクリス・プラット、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、もちろん続投しています。

 
恐竜たちですが、もちろんCGもたくさん使ってはいるものの、今回はアニマトロニクスと呼ばれる技術で、セットには実物のロボットがいる状態で撮影されています。これは、シリーズ1作目に立ち返る手法です。
 
それでは、劇場で何度か驚きすぎて反射的に身体をビクッと動かしてしまった、普通に怖いもの苦手なマチャオによる3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この作品は、誰の目にも明らかなくらいに、前半と後半の2幕にはっきりと分かれています。ヌラブル島を舞台に、迫りくる噴火と溶岩の危機から逃れるべく、ノアの方舟よろしく恐竜救出を目指すのが前半。バヨナ監督の過去作には、スマトラ沖地震とその後の津波による被害の中を生き延びる親子を描いた『インポッシブル』という佳作がありましたが、この前半はディザスター・ムービーの演出をベースにしたアクションが続きます。
 
そして、ゴシック建築の館を舞台に、恐竜救出を巡る人間の欲深い思惑が浮かび上がる中、閉所での恐竜との戦いが繰り広げられるのが後半。『シャイニング』や『フランケンシュタイン』を彷彿とさせるような、様式的でタメのあるサスペンス、ホラー演出が続きます。

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さらに、1・2作目に登場していたあの人がとても重要としてカムバック。今回は連邦議会で意見聴取を受けている、マルコム博士。彼は複雑系理論の数学者で、自らの立場から、人間は自分の生み出した万能に見える科学技術をもってしても、自然を完全に制御することはできない。だから、あの島は、たとえ恐竜がどうなろうと、人知を超えた領域ということで放っておくべきなのだと主張するわけです。博士は言わばナレーターのように、あるいは原作者クライトンの代弁者のように、恐竜と人間のドタバタをクールに分析する立場として再登板することで、このシリーズ全体の文明批判的色付けを行っています。

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考えてみれば、1作目の93年当時は、クローンだとか遺伝子操作だとか言っても、一般人にはまだまだSFの世界の話だったし、まず何よりもスピルバーグはどでかい恐竜をスクリーンで思う存分動かしてみせるという、見たこともない景色を見せるところに重きを置いていました。当時はそれで良かった。ところが、遺伝子操作なんて誰でもよく耳にするようになった現在においては、つまり、クライトンの予見が現実のものとなった以上、ここは改めて文明批判的側面を強調すべきという判断でしょう。
 
僕は後半のあるポイントまで、この1本としては、前半と後半でさすがにチグハグなんじゃないかと思っていました。ところが、あるデカい秘密がそれこそヒッチコックばりのサスペンスとして明かされて、その結果として、シリーズのこれまでの作品のどれとも違うエンディングを迎えるにあたり、シリーズ全体としては、この設定自体をアクチュアルなものとして活き活きとさせるために大事なバトンパスをする1作なのかもしれないと考えを改めました。
 
だいたい、今回はこれまで以上に人間がダメなんですよね。前作の短評で僕に「なんでお前がヒロイン気取りなんだ」と言わしめたクレアなんて、恐竜を商売道具としてしか見ていなかったのが今回はコロッと恐竜保護団体を組織していたり、オーウェンも行き当たりばったりばっかり。なんだよ、こいつらって思ってたんですけど、それもそのはず。

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ヒロインはラプトルのブルーであり、あるいはあの女の子メイシーへと鮮やかにシフトしたんです。そうやって哲学的なテーマを帯びつつ、キャッチコピーにもなっている“The Park Is Gone.”。つまり、本当の意味で「ジュラシック・パーク以降の世界」が姿を現す。そこで、こちらはシリーズで何度か出てきたキーワード“Life Finds A Way.” つまり、「生物は自分の道を見つける」、もっと言えば、「生まれた以上は突破口を見出してしまう」、要するに「コントロールなどできないのですよ」っていう、極めてSF的で哲学的な命題がドンと重たく首をもたげて翼を広げるんです。あの翼竜プテラノドンのように。そして、観た人ならわかる「ジュラシック・ワールド」って言葉の意味が明らかに… この世界どうなるんだよ!? と、3年後公開のラストへとつながります。
 
その意味で、バヨナ監督はバトンパスの役割ながら、シリーズ全体のパラダイム・シフトとも言える大事な1作をうまく導いていましたし、彼の手腕が今後ハリウッドでまた発揮されることを願います。
 
ところで、邦題の「炎の王国」って言っちゃうと、そりゃ「前半しか反映してないよね」ってことになるし、ここは原題の“Fallen Kingdom”「落ちた王国」の方がしっくり来るよなぁ。

さ〜て、次回、7月26日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『未来のミライ』です。やってまいりました。日本の夏、細田守の夏。ってな感じになってきましたね。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!