京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

山岳文学の新しい峰『帰れない山』

不定期に行っている習慣、本屋パトロール。より目を光らせる海外文学の棚で見つけたのが、新潮クレスト・ブックスから10月末に出た『帰れない山』。著者はパオロ・コニェッティ(Paolo Cognetti)。僕と同い年の1978年、ミラノ生まれ。はて、どこかで見た名前だ… 

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

帰れない山 (新潮クレスト・ブックス)

 

 そうだ! イタリアの直木賞と言われるストレーガを2016年に受賞した作品じゃないか。『帰れない山』という邦題と「八つの山」(Le otto montagne)という原題がうまく結びつかなかったけれど、そうか、邦訳が出たんだ。訳は旧大阪外国語大学(現大阪大学国語学部)の先輩であり、書籍に映画にと翻訳家の第一線で活躍されている関口英子さん。信頼できる。ためらうことなくレジへ急いだ。

 

その日、勤務しているFM802で自分のロッカーを開けると、関口さんから謹呈いただいた同書が届いていて苦笑したけれど、とにもかくにも読書という名の山ごもりを僕も始めることにした。

 

ピエトロと山好きの両親は、ミラノに暮らす3人家族。彼らは夏休みをモンテ・ローザというヨーロッパ・アルプスで2番目に高い山の麓の寒村で過ごしていた。そこで親しくなるのが、村育ちで畜産農家の息子ブルーノ。違ったバックグラウンドを持ちながらも、沢や森で一緒に遊んでは親交を深めた少年時代。ピエトロの父に連れられて3人で登った雲上の峰々。ところが、反抗期にピエトロは父と反りが合わなくなり、だんだんと両家の人間関係の力学が変化していく。それから20年ほど。都会に出て映像作家になったピエトロは、父の死を経て、ブルーノと再会を果たすのだが…

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父と息子の関係。友情。そして、新しい家族。彼らの人生を語るうえで取っ掛かりになる、クライミングで言えば、人生のホールドになるような出来事を中心にエピソードが綴られていくものの、決してダイナミックな展開で読者をアッと言わせるような小説ではない。登場人物はごく少なく、だいたいが寡黙。その分、彼ら/彼女らの心理は、繊細かつ丹念な自然描写が補うようにして透かせて見せる。アルプスの山も大事な登場人物なのだ。

 

特に前半は作者コニェッティの自伝的要素が色濃いらしい。確かに、経歴に目を通すと、一致するところも多い。繰り返すが、僕は同い年。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属してあちこちの山に登り、大学院では映像制作に夢中になった。挫折も経験しながら、30代にラジオDJの道へと進み、40歳を前にこじれた関係だった父を亡くした。主人公ピエトロと一致する要素がとても多いので、途中からは、これからどうなることかと気が気ではなかったが、切なさとやるせなさ、そして一抹の爽やかさが立ち込める読後の余韻は、これまで味わったことのないものだった。

 

山は川や湖、海などの水辺に置き換えてもいいだろう。あなたにありありと様子を思い出せる自然があるのなら、そこがこの物語の舞台だ。青春時代と、やがて来るイノセンスの終わり。そしてそれをずっと見つめるかのように佇む山々。僕らを包んで安らぎをくれるかと思いきや、頑とした厳しさで命を奪いかねないこともある。僕がふと思い出したのは、サザンオールスターズの『山はありし日のまま』。原由子が歌う、山に生きた友の死を悼む歌だ。

キラーストリート(リマスタリング盤)

訳者の関口さんは、あとがきによれば、奥多摩山麓に長くお住まいだそうで、そこでお子さんを育てられたのだとか。訳しながら、その記憶も参照されたことだろう。読んでいると手で直に触れられそうなコニェッティの自然描写を、日本語ですらりとすくい取る見事な仕事をされたと思う。邦題が関口さんのアイデアによるものなのかは不明だが、後半で明らかになってくる「帰れない」という言葉の意味を考えると、原題よりも味わい深いくらいだ。

 

作家としてのキャリアにおいて、どちらかというと短編に重きを置いてきたパオロ・コニェッティ。他の作品も手にとってみたい。