京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

イタリアの移民児童文学『ぼくたちは幽霊じゃない』書評

アルバニアから対岸のイタリアへ命がけで海を渡ったヴィキは,どんな困難なときも希望を失わなかった…(岩波書店サイトより)

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今年6月、イタリアは難民の人々を乗せたNGOの船『アクエリアス』の受け入れを拒否した。新聞等で目にされた方もいるだろう。ヨーロッパで移民・難民が社会問題となって久しい。本書は、命からがら故郷を後にした人たちが、イタリアに到着したあとどのように暮らしているのか、作者のファブリツィオ・ガッティが当事者へ取材し新聞に連載した記事を小説化したものである。イタリアでは2003年に、日本では『帰れない山』と同じく関口英子さんによって翻訳され、今年8月に岩波書店から出版された(レーベルは、海外のYA=ヤングアダルト小説を扱うSTAMP BOOKS)。

アルバニア出身イタリア在住の中学生ヴィキが、夏休みの宿題である作文に苦戦しているところから物語は始まる。タイトルは「古くて新しい世界―世界におけるヨーロッパ人、ヨーロッパにおけるEU以外の地域の外国人」。なんて難しいテーマなんだ、どうしてヨーロッパ人とEU圏外の人を分けるんだ?とヴィキと一緒に頭を抱えたくなるところへ「ぼくはヨーロッパ人なのかな?それとも幽霊?」という悩みが目に飛び込んでくる。私たちの驚きに応えるように、ヴィキは7歳のときの記憶をたどって語り始める。

 

アルバニアの祖父母との別れ、屋根もないボートでの渡航、イタリア南部から父親の待つミラノへの移動、再会、新しい暮らし。アルバニアのテレビで見たイタリアの暮らしと現実は、全く違っていた。しかし彼らに味方する大人たちと、「学校はすべての人に開かれる」と明記されたイタリアの憲法に守られて、ヴィキはイタリア人と同じように公立小学校に通い、自分らしくいられる場所をもつことができた。会話の描写が多く、まるで映画を観ているように、テンポよく読める。子どもたちの素朴な「なぜ?」「どうして?」という疑問に、両親や小学校の先生といった大人たちが、言葉を選んで丁寧に答えているのが印象的だった。陽気なイタリアのイメージを持つ人には驚きの内容ばかりだろう。けれど、イタリアに住む人たちがそれぞれの事情のなかで生きる力強さ、他人のために動く情熱、といった「人間の熱」を感じられることは確かだ。

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日本人にとっても「ヨソの国のこと」と無関心ではいられない。外国人労働者を積極的に受け入れていこうという法律が成立したからだ。家族と一緒に住みたい人も当然増えるだろう。残念ながら、労働環境の厳しさや文化の違いによる孤立感などから、行方をくらましてしまう人たちがすでに存在する。教育を受ける権利があるのに、学校へ行けていない外国人の子どもたちもいる。新たな幽霊を生まない、現実的な仕組みを日本は作っていかないといけない、と実感した。「旅に出るときには、なにかをあきらめる覚悟が必要だ」という、ヴィキのおじいちゃんの言葉には切なくなる。たとえ合法であっても、人情に頼るのは最終手段として、あらゆる覚悟をもってやって来る人たちを私たちも安心して迎えられるような社会にしたい。30歳くらいになっているであろう、本物のヴィキは、今もイタリアにいるのだろうか。

 

翻訳本の良いところは、当たりまえだが母国語で異国の作品を読めることだ。本書にはぜひイタリア好きの人以外にも、この効能を発揮してもらいたい。

 

(文:京都ドーナッツクラブあかりきなこ)