京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月10日放送分
映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』短評のDJ's カット版です。

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1994年、札幌。筋肉がしだいに衰えていく難病の筋ジストロフィーを小学生で発症した鹿野靖明。20歳まで生きられるかどうかと言われていた彼は34歳。動かせるのは、首から上と手だけ。24時間365日、誰かの介助がないと生きられない身体なんですが、医師の反対を押し切って自宅で自立生活を送っています。助けてくれるのは、彼が自ら集めた大勢のボランティアたち。わがままで図々しく、惚れっぽくて、とにかくよく喋る。ある日、医大生のボランティア田中のガールフレンド美咲は、たまたま鹿野の家を訪れたところ、新人ボランティアだと勘違いされます。しかも、鹿野は美咲に一目惚れしてしまったから、もう大変。鹿野の常識破りな生き様と、周囲の人間模様を描いたヒューマン・ドラマです。

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

「愛しき実話」という副題が付いているくらいですから、鹿野靖明さんは実在の人物。ノンフィクション作家の渡辺一史が2003年に出版し、講談社ノンフィクション賞などを獲得した『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(文春文庫)を原作に、『ブタがいた教室』の前田哲監督が映画化しました。鹿野靖明を大泉洋医大生田中を三浦春馬、その恋人の美咲を高畑充希が演じる他、ボランティアたちを萩原聖人渡辺真起子宇野祥平らが担当。他にも、竜雷太綾戸智恵原田美枝子佐藤浩市などが脇を固めています。
 
鹿野靖明が実際に暮らした団地などの札幌市内や美瑛など、オール北海道ロケとなっています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

正直、観る前はあまり心躍らなかったんです。恥ずかしながら原作も読んでいなかったし、難病ものの湿っぽい話を、大泉洋が孤軍奮闘するぼんやりしたコメディータッチで見せられるのはしんどいだろうなぁ。予告で何度も目にした、あのオセロやってるとこにバナナをドンって叩きつけられてからの「なんか、今のグッときた」が恐らくは一番面白いところなんだろうなぁ。あのポスターとか公式サイトにある夕陽バックにメインの3人がバナナの上にいるみたいな手抜き感が醸し出す教育映画感に気が重くなっていたんです(↓ これね)。

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ところが、この映画は僕の予想をバッチリ裏切って楽しませてくれました。考えさせてくれました。想像してたよりずっと笑えて、想像してたよりずっと湿っぽくなくて、鹿野靖明という男に想像以上に惚れることになってしまいました。
 
まずは鹿野さん登場シーンを思い出していただきたい。彼は車椅子の上ではなく、風呂に入れてもらってるんですね。しかも、女性ばかりに囲まれて体を洗ってもらっている。ボランティアのひとりが、「鹿野ハーレム」みたいなことまで言うんです。みんな楽しそうなんだけど、そこに踏み込んでしまうのが、事情のわかっていない美咲です。彼女はボーイフレンドの医大生田中があまり一緒にいてくれないから、ボランティアとかなんとか言って二股かけてるんじゃないかと偵察にやって来たところ。鹿野との出会い方としては、美咲にとっては最悪ですよね。しかも、会話で普通に下ネタ飛び交ってるし。美咲にはギョッとするんだけど、観客は爆笑する傑作な場面でした。序盤からコメディータッチで行くぜっていうことと、障害者の性の問題にもきっちり踏み込んでいくよっていう宣言になってます。で、例のオセロにバナナの場面もかなり序盤に出てくるんです。僕はついつい、こんな早くそのネタを出して大丈夫かって思うんだけど、まったく問題ないです。だって、その後もおもしろ釣瓶撃ちなんだもの。その笑いを支える大泉洋の演技がもう絶品です。だって、使える場所が顔と手とセリフに限られるわけでしょ? それなのにあの表現力ときたら。
 
僕が強く感じたのは、声の力です。鹿野はずけずけモノを言う毒舌家だけど、そこにはユーモアと深い洞察が備わっています。だからこそ、途中声が出なくなる危機に見舞われた時の絶望感が深まるし、それでも会話を模索する様子は泣けます。苦労して伝えた内容のバカバカしさも含めてね。そして、90年代半ばなんで、メールもラインもない時代だからこそ、直接的なコミュニケーションの強さもうまく浮き彫りになっていました。

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同時に、三浦春馬高畑充希についても、僕がこれまで観てきた作品ではベストな演技でした。三浦春馬演じる田中の、やさしいというよりは、ただ自分で決められないだけの優柔不断な偽善者すれすれの迷える若者像ははまり役。そして高畑充希演じる美咲は、感情の動きが一番大きな役で、その変化のたびに周囲の人間との関係性も変わるという難しいものだったのに、特に表情の微細な動きひとつひとつに感心しました。すごい!
 
その意味で、前田監督の演技を引き出す手腕は確かだったと思います。長回しも多かったですよね。色々あってしばらく会っていなかった田中に鹿野が大学まで突撃して、車椅子と白衣でキャンパスを歩きながら喋るところなんて、ずっとカメラが並走しての長回しでかなり印象に残りました。その分、欲を言えば、監督にはあまり奇をてらうことはせずに、役者を信じてストレートに映像を紡いでほしかったという思いがあるのも事実です。突然の雷、唐突に昇るいかにもな日の出、パーティーでの仰々しい照明の変化なんかは、演技の舞台装置の作り方として疑問を感じました。せっかく北海道オールロケで90年代感もばっちり出せているのに惜しいなと。
 
この作品への批判として、後半が結局湿っぽくてダレたっていう意見も目にしますが、僕はそうでもなかったと思う。逆に「ただただお涙頂戴一辺倒なところってありましたか」と僕は聞きたい。鹿野の病状が進んで、あわやということがあっても、必ずそこには笑いがまぶされたじゃないですか。それが鹿野イズムですよね。そう、この映画のねらいは、彼がいかに革新的な人だったかを知らしめることです。鹿野さんはどんな人間も対等だってことを身をもって証明した。医者だろうがボランティアだろうが難病患者だろうが、誰だろうがみんな対等。人間は互いに与えあえる。助け合える。そこにこそ、生きる喜びがある。

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難病患者だからって病院でずっと天井の穴の数を数えてなきゃいけないのか? そうじゃないだろうと。医者の言うことだけ聞いてたって、人生は謳歌できない。かといって、病院を出て社会生活を送るうえで、その支えを家族に押し付けてはいけないこともうまく描けていました。日本が美徳とする価値観のひとつに、「とにかく他人に迷惑をかけるな」ってのがあるけれど、それを突き詰めるから無関心が横行して、何かあれば自己責任論が大手を振ることになるわけですよ。「思い切って人の助けを借りる勇気も必要」なんです。家族は大事だけど、家族だけしかいなかったら、友情も恋も生まれないでしょう。病院より社会で生きることを選んだ鹿野の言葉が、やがて人を勇気づけ、人を優しくすることが、終盤示されていきます。彼は革命家ですよ。感動しました。
 
誰だっていつかは動けなくなる日が来る。そんな時に、自立はしても、孤立しない。つまらない常識に囚われて人間らしく生きられない状況のほうが、よっぽど難病かもしれないねって教えられました。勘違いしないでほしい。障害者でもがんばってるから泣けるんじゃないです。下手すりゃ感動ポルノに成り下がる可能性がある題材だから僕は心配していたわけだけど、そんな心配を笑い飛ばしてくれる痛快な1本でした。

とあるシーンで、爆弾ジョニー演じるコピーバンドがオープンスペースでこの曲を演奏。歌詞の物語へのリンクもあり、素敵にハジけた映画全体の節目を作っていました。 

さ〜て、次回、2019年1月17日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『クリード 炎の宿敵』です。ついに来てしまいました。あの『ロッキー』シリーズに連なる『クリード チャンプを継ぐ男』の続編! 前作をコーナーで扱ってなかったんですよね。心して迎え撃つとしましょう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!