インターネットの交流サイトで知り合った、未成年の男女12人。ある日、使われなくなって廃墟となっている総合病院の一室に、彼らは集います。目的は
安楽死。
集団自殺です。約束の時間、揃ってみると、そこにはいるはずのない13人目の男性が、まだ生暖かい死体となってベッドに横たわっていました。秘密裏に集まったはずなのに、情報が漏洩していたのか。戸惑う彼らが死体を検証すると、他殺の可能性が浮かび上がります。ということは、この中にその犯人がいるのでは? それぞれの死にたい理由を抱えたまま、12人は事件の真相を追求していきます。
堤幸彦は、前作『
人魚の眠る家』では、延命治療とロボット工学を掛け合わせながら命の価値を問うてみせました。今回は自ら命を絶とうというところまで追い込まれた若者たちを通して、同様のテーマを扱うわけですが、ジャンルでいうと前作がホラーのテイストだったのに対し、今回ははっきり謎解きのあるミステリーですね。12人の中には、
新田真剣佑演じる警察夫婦の子どもがいて、彼は重い病を抱えていたことから、薬学の知識があり、推理好きだってことで、途中から探偵のように謎解きを引っ張っていきます。
形式としては、先週扱った『マスカレード・ホテル』同様、ほぼ病院から出ない密室劇であることに加え、11時のドアオープンから、12時の開演、そして死体を巡るドタバタがあってという、たった数時間の出来事を描いているので、演劇的なサスペンス・ミステリーと言えます。
それは考えてみれば当然のことで、そもそも「十二人の〇〇」っていうのは元ネタがあるわけです。まずは、1957年にシドニー・ルメットが監督してベルリン映画祭近熊賞を獲得、そしてアカデミーにもノミネートされた陪審員たちの傑作会話劇『十二人の怒れる男』。そして、日本では筒井康隆がパロディーとして書いた戯曲『12人の浮かれる男』、そして三谷幸喜初期のヒット戯曲で映画化もされた『12人のやさしい日本人』があります。さらに言えば、この12という数字はキリストの弟子である使徒の数。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でも描かれている通り。そして、そこには裏切り者とされるユダがいる。それに倣うように、『十二人の怒れる男』では、父殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員全員が少年の有罪を認めるだろうという予測の中、ひとりが無罪を主張。さあ、どうなるっていう展開。
この作品でも、12人が集まって、ひとりの死体を前に、それでも計画通り
集団自殺を決行するかどうか、全員一致が前提で決を取ると、ひとりだけ、空気の読めない兄ちゃんが「ちょっと待て」と言い始めることで、議論と推理が始まります。同じ構図なんですね。
でも、そこにこの作品がかけ合わせたのは、『霧島、部活やめるってよ』で見られた、時間を切り分けて意図的に観客を混乱させる
ストーリーテリングです。それ自体はある程度うまく行っていたと思います。
なにせ12人も登場人物がいるので、描き分けが難しいんですが、そこはキャスティングやキャラ付けも機能していたので、名前までは覚えられずとも、こちらもうまくいっていたと思います。ただ、正直なところ、ミステリーの方に軸足を置きすぎていて、ひとりひとりの背景の掘り下げは浅めです。それぞれが死を決断した理由ですね。病気。有名人の後追い。いじめ。ろくでもない親との関係性のこじれ。他にも、意表を突く理由が中盤以降で明らかになる展開もありましたが、どれをとっても、予想の範疇に収まるし、密室劇にしたことで、病院の外へ唐突にカメラを持ち出すわけにもいかず、そのせいでセリフに頼ることになるから、どうも生きるか死ぬかという重い決断への踏み込みが弱いんです。そして、僕にとって一番不満だったのは、なぜ
集団自殺を選んだのかという理由がいくつかの例外を除いて見当たらないってことです。
そのままストーリーは謎解きばかりにこちらの興味を差し向けるので、肝心の
集団自殺を決行するか否かの議論がどうも深まらない。というか、議論というわりにはみんな礼儀正しく他人の発言は遮らないし、掛け合いが少ないもんだから、どうもグルーヴが弱いんです。だから、謎が曲がりなりにも解明し、サスペンス、つまり宙吊りになっていた自殺するかどうかの最後の決を取る時のそれぞれの判断がですね、どうにもこうにも、あれじゃただの
同調圧力じゃねえかっていう感じが否めない。それはそれで日本的なんだけど、なんかもやもやさせるものがありました。
堤監督のクセの強いカメラ移動やエフェクト使いは、前作の『
人魚の眠る家』同様、抑制されているので、良かったんだけれど、どうも話がとんとん進んでいくばかりで、結果的に、観ている時は興味が持続して面白いんだけど、余韻はかなり薄いと言わざるを得ない。もったいない。
ただ、これからの日本映画界を背負って立つだろう世代の花形が揃ったという意味では、その演技合戦を見逃す手はない、少なくとも見ている間は釘付けになる作品です。
この手の邦画では珍しく、既存の洋楽ポップスを主題歌にしていました。We are young♪ なんてフレーズと、自分たちの道を行くという若者の声の代弁という感じでしょうか。
リスナーからの意見として、「役者たちが10代に見えない」というものがあって、ディレクターとも打合せで話が盛り上がったのは、衣装のこと。確かにみんなバラバラで、それぞれに個性を出したかったというのはあるんでしょうけど、そこは制服でも良かったんじゃないでしょうかね。私服にすることで、むしろ大人びて見えちゃうという逆効果があった気がします。彼らには到着順に番号が付いてるけど、その匿名性から少しずつ人間性の違いが浮かび上がるっていうお話なら、匿名的な服装でいいと思うんです。制服にも色々あるし、着こなしで人となりは出せるわけだから。そうしていれば、数日前に番組で盛り上がった、「北村匠海くんの衣装の薄手の白シャツから下のランニングが透けていて気になる問題」も生まれずに済んだわけだし(笑)
さ〜て、次回、2019年2月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『メリー・ポピンズ リターンズ』です。もうディズニーの釣瓶打ちです。しかし、なぜ今メリー・ポピンズなんでしょうか。気になる。僕はまだ今回の続編への知識がまっさらな状態ですが、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!