舞台は第一次世界戦後の
アメリカ。全米を鉄道で巡って人気を博した
メディチ・ブラザーズ・サーカスは、戦争や疫病でスター団員を失い、近代化する娯楽産業の中で、経営が行き詰まっていました。起死回生にと団長のマックス・
メディチが購入したのは、妊娠した
アジアゾウのジャンボ。ところが、生まれてきたのは、耳が異様に大きなダンボでした。ショーに出演しても観客からは笑いものになるばかり。ある日、世話係を任されていたかつての花形団員ホルトの子どもミリーとジョーは、一緒に遊ぶうちに、ダンボがその大きな耳を翼のようにして飛べることを発見。空を飛ぶ子象ダンボ。これは商売になると見込んだマックスや、名うての企業家ヴァンデヴァーなど、ダンボを巡って大人の欲望が渦巻く中、引き離されて囚われの身となったダンボの母を救い出すべく、ホルト一家やサーカス団員が力を合わせます。
ここでひとつ、重大な補足をしておきます。誤解を解くというべきかな。これは、はっきり言って、
ティム・バートンの映画ではないです。
アーレン・クルーガーの作品です。だって、企画も脚本も、そして何より製作も彼ですから。え? そのなんとかクルーガーって誰? はい。アーレンは、何を隠そう、あの「
トランスフォーマー」シリーズの脚本家です。あとは、ハリウッド版
「リング」ね。先週の『
バンブルビー』短評で名を挙げた
マイケル・ベイ監督、ベイやん一家なんです。彼が実質的に作品の中心にどっかりいるんだと見ていいでしょう。
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!
今回
アメリカ版の英語プレスに目を通してみましたが、クルーガーはインタビューでこんな趣旨の発言をしています。「ダンボが飛ぶことそのものをシンプルに描いたオリジナルを踏襲するのではなく、本物の象がもし空を飛ぶとしたら、人々はどうリアクションするのか。それを描きたかった」んだと。なるほど。普通ではないものに接した時に、人は、社会は、どう反応するのかというのは、ここ最近の映画界のトレンドでもあるので、確かに面白そうです。
では、クルーガーが単独で書いた脚本が実際のところどうかというと、これが腕組みをしてしまいます。もともと
メディチ・ブラザーズのサーカスそのものが、
見世物小屋的な側面のある古いものであって、はみ出し者たちの集団なので、ダンボを目立たせるために、彼らの魅力をしっかり描けない。似たような題材に『
グレイテスト・ショーマン』がありましたが、あの「This is me」的価値観を各キャラが体現できていないところに、両作の深みの違いがあります。代わりに、
マイケル・キートン演じるヴァンデヴァーみたいな、見るからに悪役という人物たちとの対立構造を作ることで、テーマである人々のリアクションを描こうとするんですが、善悪がはっきりしすぎていて、ストーリーラインにあっと驚く展開が乏しいことは明らかです。
そして何より、あらすじにもある通り、わりとあっさりダンボが宙に浮いちゃうもので、映画的な見せ場、クライマックスの高揚感にどうしたって欠けてしまうのも、この企画の欠点でしょう。
でも、ディズニーだし子ども向けなんだから、わかりやすい勧善懲悪はいいんじゃないの? それはまあそうなんですが、じゃあ、ダンボに対して人間たちがそれぞれ何をやらかし、何をしてあげたかっていうと、特に良いリアクションがね、もうひとつよくわかんないんです。一見わかりやすく見えて、よく考えるとよくわかんない。いろいろ良いこと言いたそうなんだけど、今ひとつ伝わりきらないもどかしさがあります。
だいたい、スタンスとしては、アンチ
見世物小屋なのに、クライマックスのひとつに、象が女性を乗せて空を飛ぶってのはどうなんでしょうか。
このあたり、おしなべて脚本の問題ですね。では、バートンの仕事たる演出面はどうだったのか。古巣のディズニーとの舞台装置でのタッグは効果的でした。鉄道を使った
アバンタイトルの盛り上げ方、
メディチ・ブラザーズのいかがわしさ込みの懐かしきサーカスのイメージ、そしてヴァンデヴァーがオープンするドリームランドのイメージ。それぞれを贅沢なセットと大量のエキストラを動員してアナログも盛大に使いながらの絵作りは楽しいです。
猛獣たちを集めた恐怖の館みたいなアト
ラクションの光と影の使い方、あるいは未来の空虚なイメージを見せるパビリオンもバートンらしさを垣間見ることができました。あと、後日譚として出てくる、科学の娘ミリーがサーカスの中に映画館を作っているところなんかは、オリジナル『ダンボ』オマージュとして気が利いてました。ただ、あくまでバートン印は「垣間見える」程度といった感じで、全体としてウェルメイドに「見える」作品という印象です。この映画自体が空を飛ぶにはもう少し、脚本にも演出にも、そもそもの座組にもマジックが必要だったのではないでしょうか。
僕はバートン前作の『
ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』にも小首をかしげてしまった口です。彼はやっぱり自分でプロデュースする作品でこそ力を発揮できる人だと思いますねって、ここで言っても始まらないけど…
惜しむらくは、クルーガー以外に誰か脚本家を付けてのブラッシュアップができなかったことですね。彼が持ち込んだ企画だから仕方なかったのかもしれないし、クルーガーの人となりまでは知らないので、なんとも言えないけど、誰も何も言えなかったのかなぁ…
でも、最後に言いますけど、ダンボのかわいさだけは、特にあの瞳だけは、間違いなく心惹かれます。すばらしい造形でした。
僕は今回、字幕で鑑賞したもんで、今日は竹内まりやではなく、Arcade Fireのバージョンでお送りしようと思います。同じ曲なんだけど、アレンジが結構違うし、こちらはデュエットになってます。
さ〜て、次回、2019年4月11日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『バイス』です。息子ブッシュの頃の副大統領チェイニーが主人公なわけですが、まだ当の本人は存命中ですからね。どう考えても、「善き人」には描かないんだろうことを考えると、アメリカ映画の批判精神が息づいているとも言えそうですが、なんにせよ、僕はかなり楽しみにしています。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!