京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『マチネの終わりに』短評

FM COCOLO CIAO 765 朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月12日放送分
映画『マチネの終わりに』短評のDJ'sカット版です。

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クラシックギター奏者の蒔野聡史(さとし)。世界的に名の知れた才能の持ち主ではあるが、音楽家としての迷いも抱えていました。ある夜、レコード会社の女性ディレクターがコンサートの楽屋を訪れた時に連れていたのが、海外通信社に勤務するジャーナリストの小峰洋子。初めて会ったその時から、表には出さずとも強く惹かれ合うふたりでしたが、洋子には日系アメリカ人の婚約者がいました。それでも高まる恋心を抑えきれず、蒔野はスペインでの演奏会の後、洋子の住むパリへ足を伸ばし、愛を告げます。世界を飛び回る仕事で、そもそもすれ違いの多いふたりの関係を阻む要因がいくつも重なる中、物語は以外な展開を見せます。
原作は、芥川賞作家の平野啓一郎が2016年に発表した同名小説。メガホンを取ったのは、フジテレビのドラマ演出家、西谷弘。映画だと、『アマルフィ 女神の報酬』や『真夏の方程式』で知られます。蒔野を演じるのは、その『真夏の方程式』でも西谷監督とタッグを組んだ福山雅治。洋子を石田ゆり子、そのフィアンセを伊勢谷友介が演じます。他にも、蒔野のマネージャー早苗を桜井ユキが担当する他、板谷由夏風吹ジュン古谷一行などが出演しています。音楽は、西谷作品に欠かせない存在の菅野祐悟。そして、クラシックギターの監修、福山雅治の指導には、日本を代表するクラシックギタリストの福田進一が招聘されました。
 
僕は先週火曜の夕方にTOHOシネマズ梅田で観てきたんですが、女性客やカップルを中心に、結構入っていました。それでは、映画短評、今週もいってみよう!

時に揶揄の対象となるジャンルに、メロドラマあります。恋に落ちた主人公、カップルは、たいていふたりの間に立ちふさがる障害を抱えていて、それをなかなか突破できない。時代背景にもよりますが、やむにやまれぬ事情があって、行き違い、すれ違い、離ればなれになり、そこでもがくところに感傷的な音楽が流れて、観客の涙腺を刺激する。この展開があまりに型通りで、何も新鮮味がないと、お涙頂戴で安っぽいとなるわけですが、この『マチネの終わりに』は、そんなメロドラマの王道でありながら、含みをもたせた演出と、あえてリアリズムから距離をとった観念的なセリフ回しが功を奏し、自分には縁のない誰かの恋愛の話なのに、自分の人生そのものにも響く映画になっています。
 
ひとつの大きなテーマは、時間です。タイトルのマチネは、バレエやクラシックのコンサートで使われる用語で、昼公演のことを指すんですが、その文脈を離れれば、フランス語でシンプルに朝という意味です。40がらみ、アラフォーで、そろそろ人生が後半のページに差し掛かった主人公たちの人生を暗示しているわけですよ。そして、誰もが印象に残るのは、「今や未来だけでなく、過去だって変えられる」という言葉。僕たちは過去に囚われているけれど、その過去の意味、捉え方はふとした拍子に変えられるし、自ずと変わるのだということ。これは恋愛抜きに、むちゃくちゃ普遍的ですよね。

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これがたとえば10代や20代の恋愛であれば、蓄積している過去が少ないわけですから、「失うものはない」と、人は恋に大胆に飛び込んでいく。一方、40前後の大人にとっては、恋愛だけがすべてではない。自分を培ってきた仕事や人間関係があるからこそ、恋の足は重くなる。逆に言えば、それでも一歩踏み出す時、それをきっかけに過去の意味合いも変化するかもしれない。
 
この映画では、ふたりの出逢い以降、いくつもの障害がふたりの結びつきを阻みます。ギタリスト、ジャーナリストとしての仕事、婚約者の存在、世相を反映した大事件、予期せぬ第三者の介入など。それでも、孤独がふたりの愛情を育んでいく。その時に、芸術がいかに人の心を助けるのかもきっちり描かれます。映画も音楽も。そのあたりを、決して押し付けがましくなく、そっと気づかせてくれる節度ある抑制のきいた演出で見せるんですよ。海外ロケも、異国情緒を醸すためにってわけじゃなく、あくまでふたりの距離を隔てる要因をメインにしたもので、悪い意味での観光映画に陥っていなかったです。そして、画面の奥に映る人物のふとした動作や表情まで配慮が行き届いています。

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主役のふたりもすばらしかった。石田ゆり子はいつもどこか困った顔をしていて、幸が薄そうな感じがするんだけど、ある時はっきりと笑顔を作るんです。僕はそこでついに落涙。福山雅治も、惑う表情に手数があったし、僕は特に声色の使い分けを評価したいです。さすがは当代きってのラジオ・パーソナリティですよ。
 
僕は『ラ・ラ・ランド』を思い出したこの作品。台詞回しは、リチャード・リンクレイターのビフォアシリーズを彷彿ともさせました。では、そのラストは? クライマックス周辺で、コップを使った映画的な見せ場がありましたね。あれは可能性の提示だろうと思うんです。ありえたかもしれない過去と、実際に起きた過去。そこで、感情が溢れ出した蒔野の取る行動は、実際にはコップにどう反映されたのか。含みをもたせての、あのオープン・エンディングは、まことに鮮やかでした。ラストのふたりが歩みだす方向から、こうなるんだろうなという示唆はあるものの、その前にコップの件があるので、また違う解釈もできるのではと僕は考えます。いずれにせよ、あの余韻には、正直に言って、まいりました。
 
下手すりゃ、目も当てられない昼ドラになりかねない題材を、高度に洗練された味わい深い作品に仕立てた西谷監督、ブラボーだったと思います。そりゃ完璧とは言わないし、気になるところもあるにはあるけれど、邦画大作でこの質の高さ、しかも面倒でお金のかかるフィルム撮影の味わいまで画面に出してくれたんですから、やいのやいのつつくより、今はただただ余韻に浸っていたいと心底思います。
福山雅治の演奏は、立派でしたし、いくらギターは弾けるとはいえ、クラシックの訓練には相当な苦労があったろうと想像します。今回の評では、こんな教訓を改めて痛感させられました。人を見かけだけで判断してはいけない。そして、映画は予告だけで判断してはいけない。当たり前なんだけどさ。今週はネタバレに気をつけながら語りましたが、本当はトークショーなんかで、鑑賞済みの人とあれやこれやと語り合いたい作品でした。ちと、もどかしい(笑)
 
さ〜て、次回、2019年11月19日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『グレタ GRETA』となりました。イザベル・ユペールクロエ・グレース・モレッツの共演で贈る身も凍るスリラーなんですよね… 拾ってはいけない。届けてはいけないバッグ… もう怖いんだけど、どうしよう… あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。