京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ハリエット』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月23日放送分
映画『ハリエット』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
時はまだ奴隷制度のはびこる19世紀半ばのアメリカ合衆国中部のメリーランド州。幼い頃から奴隷として白人の農園で働かされてきた小柄な女性ミンティ。近くの農園で、こちらは自由黒人として勤務する夫と、いつかは自由の身となって仲良く暮らしたいと思っていた矢先、ミンティの奴隷主が急死します。農園を継いだ息子は経済事情を立て直そうと、ミンティを売り払おうと、買い主を募り始めます。これでは愛する家族と離れ離れになってしまう。彼女は脱走を決意。奴隷制が廃止されたペンシルベニア州をひとり目指すのですが…
 
アメリカの新しい20ドル紙幣の肖像になったハリエット・タブマンの伝記映画。監督・脚本は、アフリカ系女性のケイシー・レモンズ。女優としてキャリアをスタートした彼女は、97年の『プレイヤー 死の祈り』で監督になって以来、脚本も書ける映画作家として、数は多くないですが、映画界に貢献してきました。

プレイヤー/死の祈り(字幕版) ムーンライト(字幕版)

 主人公のミンティ、後のハリエット・タブマンを演じるのは、ブロードウェイで高く高く評価されているシンシア・エリヴォ。熱演のみならず、歌声もあちこちで聴かせてくれますし、主題歌の『Stand Up』は、アカデミー歌曲賞にノミネートされました。

 
他にも、ブロードウェイからレスリー・オドム・Jr、『ムーンライト』の演技も思い出される歌手のジャネール・モネイ、そしてテイラー・スウィフトのお付き合いも長くなってきているジョー・アルウィンも出演しています。
 
僕は先週火曜日、番組が終わってすぐに京都シネマへ向かいまして、感染対策抜かりない状態で鑑賞しました。販売されている席は結構埋まっている印象でしたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

時代と土地がこの映画を理解するための重要なファクターになっています。まず、時代。1849年というのが、ミンティが脱走を図る年なんですが、アメリカで初めて奴隷制度廃止運動団体ができるのは、1775年です。クエーカー教徒たちが宗教的な違和感から作りました。その後、北部の州は1804年までにすべての州で、制度的には廃止されます。実際のところは別として。映画ではエピローグとしてでてきますが、その後、南北戦争が勃発し、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を発布するのは、1862年。つまり1849年は、長い端境期の終わりの方にあたります。
 
もうひとつは、土地。舞台はメリーランド州です。東部の大西洋岸に位置していて、ワシントンD.C.ペンシルベニア州に隣接する中部なんですね。奴隷制度を最後まで堅持して抵抗したディープサウスとは違うものの、それでもここは南北戦争が始まるまで制度がしぶとく残っていて、お隣のペンシルベニアは制度がない。つまり、ここでも「間(あいだ)」なんです。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
時代も場所もグレーゾーン。そこには混乱が生まれやすい。同じ黒人でも、奴隷もいれば自由黒人もいる。自由と言ったって差別はしっかり受けているんですが、少なくとも誰かの所有物ではない。ミンティの夫は自由。そして、お隣の州でも自由。ところが、もし南へ売られるようなことがあれば、それこそ一生戻れないかもしれない。あの時、あの場所が彼女の逃走を後押ししたことは間違いないでしょう。自由か死か。決死の思いで川へ飛び込んだ彼女は、ペンシルベニアの解放組織「地下鉄道」に潜り込んで、名前をハリエット・タブマンに変えるばかりか、自分の意志で働いてお金を稼ぎながら、メリーランドに戻るタイミングをうかがいます。なぜ、戻るのか、家族を取り戻すためです。やって来るだけでも大変だったのに、帰るなよ! 行くんです。ここから、ミンティ改めハリエットは、行って来いを繰り返すようになるんですが、この反復行為、鉄道になぞらえればスイッチバックにあたるような行為が、脚本の強固なレールです。こうした反復とそこで生まれる違いを見せるという、作劇の基本がここにも見受けられます。だから、実はオーソドックスな作り方をしてあるんですね。大きな話、そのスケール感も出しながら、実は数人の感情と行動の変化を追ってもいるという、ミクロとマクロの共存の仕方が巧みです。
 
自分ひとり生き延びるだけでも大変だったのに、家族を救う。まずは誰それ。勢いでその仲間。さらにはもう、同胞全般をと、最初は一本釣りだったものが、次第に投網になり、やがては底引き網かっていうレベルになる。かつてイエス使徒サン・ピエトロ、ペトロに、「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」と言ったと聖書にありますが、ハリエットは、奴隷解放運動における伝道師の役割を果たした人物です。少女時代に酷い扱いを受けて頭蓋骨に損傷を負った彼女は、てんかんのような症状に時折陥り、記憶が鋭くフラッシュ・バックしたり、逆に先を見通すフラッシュ・フォワードというような映像が断片的に脳裏によぎるようになります。それをもって彼女は、これはきっと神の啓示なのだ、自分の使命は奴隷を解放することなのだと、ますます利他的な行動に邁進します。最初の逃走のスタートが教会だったこともあり、ハリエットを彩る伝説的、文字通り神がかったエピソードの数々を、レモンズ監督はあえてそのまま映像化しています。合理的には片付けられない彼女の異常かつ崇高な現実の行動の裏には、そうした宗教的な信念とそれに担保された全能感があったという解釈だと僕は思います。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
宗教が出てくると、歌も当然出てきます。単純労働のキツさを紛らわせる労働歌や、識字率の低かった黒人奴隷たちに聖書の内容を歌で伝えた側面もある黒人霊歌。ミュージカルではないものの、歌と声がとても大切なこの映画において、シンシア・エリヴォの才能は見事に開花しました。さらに、僕はジョー・アルウィンの演技も気に入りました。ゴリゴリの差別主義者にして奴隷主の彼は、おそらくミンティ、ハリエットにうっすら恋心を抱いていたんでしょう。プライドもあるし、自分でも認められない微妙かつ繊細な、恋とも呼べない感情と、それがあるがゆえの執着を体現していたと思います。それも踏まえてのハイライト。猛烈な憎しみを背負ったハリエットが銃を持った時の選択には、僕は心を撃ち抜かれました。
 
ご承知のように、システムとしての奴隷制や人種差別は禁止されて久しいとはいえ、形を巧妙に変えながら、いずれも現代に引き継がれている問題です。Black Lives Matter運動を考える意味でも、その原点とも言えるハリエットの生き様、の序章くらいですが、スリリングなエンタメ作品にまとめてあるこの作品をご覧になってみてください。
アカデミー賞歌曲賞に堂々ノミネートとなった主演シンシア・エリヴォの歌声をじっくりお送りしました。で、ちなみに、コーナーに入る前にかけたのは、ニール・ヤングの『Southern Man』。50年前の歌ですが、ジョージ・フロイド事件を受けて、彼は去年のライブ映像をウェブで公開しました。残念ながら、今もなお強い意味を持つ歌として、アクチュアルに響くのが虚しいところです。 
 さ〜て、次回、2020年6月30日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、現在配信中の『野性の呼び声』でした。ハリソン・フォードがワンちゃんと大冒険! って案内で良いんでしょうかね(笑) まずは僕も家のテレビを通して冒険しよう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!