京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『コロナの時代の僕ら』訳者インタビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。新型コロナウイルスの感染があれよあれよと拡大した、僕の生まれた国イタリア。毎朝のFM COCOLO CIAO765で紹介できそうな記事を日本の各紙でチェックしつつ、イタリアのメディアの報道や、あちらの友人や親戚がSNSで発信する情報に目を配っていましたが、膨れ上がる感染者数と死者数に目がくらむような感覚に陥る一方、向こうのラジオの陽気さに少し安堵もしつつ、簡単に言えば、僕は軽く混乱していました。

 

もっと冷静に、現状を分析した文章はないものか。そんなことをぼんやりと考えていた矢先、僕の好きな作家のひとり、パオロ・ジョルダーノが書いたエッセーが評判を呼んでいるらしいと、今月上旬に知りました。読みたいなと思いながら、例によって、目の前の仕事にかまけていたところへ、しばらくすると、局内でも話題にのぼるようになり、聞けば早川書房が日本での翻訳権を獲得して緊急出版するというではないですか。題して、『コロナの時代の僕ら』。もしかして、話題の小説をどんどん訳している、現地在住の翻訳家、飯田亮介さんの仕事ではないか? 飯田さんはこれまでもジョルダーノの小説を訳してきた方だし、間違いなく信頼できる。編成部のスタッフが早速早川書房の担当編集者に連絡を取って出版前の文章を取り寄せてくれたのです。4月10日から48時間限定で全文公開された数日前のことでした。急いで読むと、数学の専門家でもあるジョルダーノの抑制の効いた、それでも熱を帯びた実直な文章は、染み入るように僕の頭に入ってきて、特に今後を見据えたあとがきには心打たれるものがありました。 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

 ジョルダーノ本人へのインタビューは難しくとも、飯田さんなら、面識はないけれどTwitterで相互フォローしているし、時差の関係で生出演は無理だろうけれど、もしかするとメールでのインタビューなら引き受けてくれるのではないかとアプローチしました。日本で本の出る前日、4月24日(木)にリスナーに向けて改めて本書のことをアナウンスして、週末に飯田さんとやり取りをし、今日27日(月)、僕が質問と答えの双方を読み上げる形でリスナーに披露しました。ただ、FMラジオの生放送ですべてを紹介するには時間が足りず、なおかつ、声に変化がないので伝わりづらいところもあったかもしれないなと、飯田さんの許可を得て、ここに僕らのやり取りの全文を公開することにしました。ぜひ、『コロナの時代の僕ら』と合わせて、お読みください。

 

と、その前に、飯田さんの略歴を訳書から引用します。

イタリア文学翻訳家。1974年生まれ。日本大学国際関係学部国際文化学科中国文化コース卒。中国雲南省雲南民族学院中文コース履修。イタリア・ペルージャ外国人大学イタリア語コース履修。訳書にジョルダーノ『素数たちの孤独』『兵士たちの肉体』、フェッランテ『リラとわたし』(以上早川書房)他多数。

インタビューの内容の前に、大きな被害を受けて苦しんでいる街、ミラノ近郊、ベルガモ出身の歌手、ロビー・ファッキネッティがリリースしたこのチャリティーソングをオンエアしてから、本の概要を早川書房のサイトから引用して紹介しました。

本書は、イタリアでコロナウイルスの感染が広がり、死者が急激に増えていった本年2月下旬から3月下旬に綴(つづ)られたものです。感染爆発を予感しながらも、最悪の事態を阻めなかったみずからとイタリアの人々、そして人類のふるまいを振り返る、著者の思考と後悔の記録です。

僕らはどこで、何を間違ってしまったのか? 図らずも到来してしまった「コロナの時代」をいかに生きるべきか? 日本の私たちにとってもけっして他人事ではない、とても重要な記録であり、思索です。

以下に27の短いエッセイへのリンクを貼ってあります。お時間のない方はぜひ最後の「著者あとがき」(公開継続中)だけでもお読みください。編集部のおすすめは3章「感染症の数学」、5章「 このまともじゃない非線形の世界で」、27章「日々を数える」ですが、もちろん1章の「地に足を着けたままで」から順番に最後まで読んでいただくのがベストです。

 

ーパオロ・ジョルダーノのイタリアにおける評価と作風を教えてください。

 

勉強不足で、彼のイタリア文壇におけるポジション、現在の評価、などはいまひとつわからないのですが、小説家としてはいまだに、「あのベストセラー『素数たちの孤独』のジョルダーノ」、「史上最年少でストレーガ賞」を獲得した作家、として紹介されることが多いようです。「素数」は2008年の作品です。以来、3作の小説作品があり、それぞれ高い評価を受けているようですが、ベストセラーの声は聞こえません。

 

文体としては静かでミニマルな文章を書く人、という印象があります。けれども冷たいわけではなく、きちんと血が通っている。世界の美しさも醜さもとてもよく見えている優れた観察者という感じでしょうか。静かな感じは村上春樹(あるいは村上が学んだという現代アメリカ文学)にも似ているかもしれません。

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)

 

ーこのエッセイのスタートは、全国紙への寄稿で、その文章が相当数シェアされたということですが、それ以降は、単行本のための企画として書き進められたんでしょうか。一冊の本になるまでの経緯を教えてください。

 

COVID−19の流行が始まった時、イタリアでは世論が混乱していたために、自分の理解したことを世に伝えたい、政府の国民に対する指示の理由を数学的な観点から説明してみたい、として記されたのが2月20日の新聞記事でした。

 

そして、記事の原稿を書き上げた一週間後くらいから、COVID−19の流行を生んだ現代社会の諸問題をまとめておきたい、という使命感にかられ、本書の執筆にいたった、ということのようです。

 

記事に対する大きな反響もありましたが、今書いておかないと、こうしたことは流行の終了とともに、「のど元過ぎれば」でまた忘れられてしまうのではないかという危機感が強い動機となったようです。そして、元の記事の掲載された(そして今も作者がひんぱんに寄稿する)コリエーレ・デッラ・セーラ紙と、社会問題を新書(ブックレット)のかたちで昔から出してきたエイナウディEinaudi社が共同で企画、出版にいたったようです。

 

ただしイタリアでは現状、電子書籍しか出ていません。3月末にコリエーレ紙の付録として紙版もいちおうキオスクで販売されましたが、正式な紙版は今は5月まで予定がずれこんでいます。恐らくロックダウンにともなう印刷所の休業等の物理的な問題でしょう。

 

ーイタリア人が当初の文章を多数シェアしたのはなぜでしょう? 具体的には、どんな感銘を彼らは受けたのでしょう。

 

おそらく、ですが、ちょうど新型コロナウイルスの流行が今の日本と同じくらいの段階にあり、まだ真偽も不確かな情報が多数錯綜する中で、科学的な視点から、しかも一般の読者にもわかりやすいスタイルで現況をていねいに説明した点が支持されたのではないかと思います。どういうことになっているのか、どうしたらいいのか、が理解できたのでしょう。

 

ーこのパンデミックを戦争に喩えることを詐欺だとまで表現するあとがき。そのエモーショナルでいて冷徹な反省と未来へ向けた眼差しには心打たれます。忘れたくないこと、そして元に戻って欲しくないことのリスト。僕も作りたいなと思います。個人的にも、社会的な視点でも。飯田さんが訳していて、個人的にグッと来たところ、膝を打ったところなど、感じられた魅力を挙げてください。

 

今回の作品のリーディングの話が来たのは3月16日でした。その段階でPDFファイルで本文を読んだ時、その内容に感銘はしたのですが、じつを言えば若干のものたりなさも覚えました。というのは、本文に当たる日記的なエッセイが3月4日のもので終了していたのに対し、現実に僕たちは3月10日から全国ロックダウンに既に入っており、感染者数も大幅に増え、事態は作品の内容よりひとつ先の段階に進んでいたからです。

(*飯田さんのお答えにある「リーディング」とは、翻訳家にまず依頼されることの多い、レジュメや資料の作成、及び、作品の評価のこと)

 

数日後に正式に翻訳の依頼を受け、2週間ほどでいちおう脱稿しましたが、版元の早川書房でも、このままでは内容的にものたりないと思ったらしく、「作者へのインタビューをあとがきとして追加したい、ついてはインタビューをお願いできないか」と僕に求めてきました。

 

とは言われてもインタビューなど経験もなく、困っていたら、作者のエージェントから、訳者あとがきの参考になれば、とジョルダーノが最近書いた新聞記事がいくつも送られてきました。

 

そこで出会ったのが、この著者あとがきとなった3月20日の記事です。最初の数段落を読んだだけで、「完璧だ、これで決まりだ、これをあとがきにすれば、この本は完成する」と思いました。「流行が進み、ロックダウンが実行された今、作者はどんな気持ちで過ごしているのだろう」という、本文を読めば当然沸いてくる疑問、つまり、「今ごろジョルダーノは何を考えているのだろう?」への答えがそこに記されていたからです。

 

今の生活を当然、苦痛に感じながらも、あくまでも今後を見据え、過去を反省し、未来を想像するひとつの機会ととらえる作者の姿勢に、やはり何よりもはっとさせられました。

 

アメリカの同時多発テロ9.11の際に僕が出会ったイタリア人ジャーナリスト、ティツィアーノ・テルツァーニ(Tiziano Terzani)の『反戦の手紙』のメッセージにも通じる、「今、本当に伝えるべき言葉」の力を感じ、使命感さえ持って夢中で訳し、早川書房の編集者さんに回しました。すると即座に返事があり、あとがきとして掲載が決まったのです。

反戦の手紙
 

こういうめぐり逢いの体験は恐らく、一生にそう何度もできるわけではないと思います。この文章のどこに感動したか、と言われると困ってしまうのですが、「これは訳さなきゃいけない」、そう思える歴史的なメッセージを日本に伝える役割を担わせてもらった、そんな訳者冥利に尽きる感動がありました。それは言えると思います。

 

ーお住まいのモントットーネ村と、ジョルダーノの暮らすローマでは環境がまるで違うと思います。飯田さんが今忘れたくないことは何でしょう?

(*飯田さんは、マルケ州の人口1000人という村にお住まいです。村での様子は、noteに文章を綴っていらして、こちらも非常に興味深いのでオススメですよ)

 

ありきたりですが、いつまでも続く気がしていた日常が、崩れる時は実にあっさりと崩れるものだ、という驚き、そんな時、自分はとりあえず何もできないものだというふがいなさでしょうか。そして、その一方、人間の世界が大混乱におちいったとしても、庭先の緑から空から、近所の林から遠くに見える山々にいたるまで、自然界はまるで何ごともなかったかのように平然とそこにある。むしろ、いつもに増して美しく見える。そのことに対しても驚きました。当たり前と言えば、当たり前なんですが。また、そうした環境に住んでいる自分の幸運に感謝する気持ちも湧きました。

 

ー幸か不幸か、こうした形で注目されたジョルダーノ。イタリアには、優れた現代作家がたくさんいるわりには、まだまだ紹介が進んでいないのが実情です。飯田さんにとって、海外文学を読む意義とは?

 

僕もけっしてイタリア文学に明るい人間ではなく、ふだん、海外文学、と意識して本を読むこともないのですが、あえて意義をあげてみるならば、世界の多様性に触れることができる点がまずひとつ、でも数を読んでいくうちに、「つまるところ、国は違えど、みんな同じ人間なのだ」という理解にきっとたどりつける、そんなところかもしれません。

 

頭の柔軟で、感性の鋭い読者(特に若い方々)であれば、別に僕みたいに外国語を習ったり、外国で生活などしなくても、きっと翻訳文学に数多く触れるだけで、国際感覚(というか人類という生き物に対する理解)が自然と身につくのではないでしょうか。

 

ーぜひ、イタリア文学翻訳者の第一人者として、今後も番組に現地のホットなトピックなど、教えていただくような機会が得られれば、とても嬉しいです。今後とも、よろしくお願いします。

 

こちらこそ、いつもご声援ありがとうございます。また何か機会がありましたら、ぜひお声をかけてください。あと、第一人者はやめましょう(笑) 辞書を引いたら、恐ろしいこと書いてありました。ある分野で『もっとも』優れているひとだそうです。とんでもないです。やっと中堅になれたのかな、ぐらいのつもりでいます。

最後に、せっかくなので、音楽もお好きな飯田さんのリクエストにお応えしたいなと、何かかけたいものはありますかと質問したところ…

 

「ぱっと思いついたのはこの5曲です。このいずれかをお願いします。今はやはり旅立ちへの憧れとか、いつも歩いていたのに急に遠くなってしまった山々に帰りたい気分が強いので、こういう選曲になりました」

 

番組では、Minaの曲をかけました。60年代、カンツォーネの時代を代表する歌手として、桑田佳祐、可愛いミーナという曲のタイトルにも登場するMina。悲しいことがあっても、音楽がバンドが心の雲を取り払って青空を魅せてくれるという音楽讃歌です。でも、せっかくいただいたので、他の曲も以下に書き上げておきます。 

 

A estrada do Monte / Madredeus

La banda / Mina

La storia di Serafino / Adriano Celentano

Nomadi / Franco Battiato

道 / Yumirose

 

以上が、『コロナの時代の僕ら』をめぐる、僕らのやり取りです。何かの参考になれば、これ幸い!

 

『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月21日放送分

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production
北条司の漫画、シティーハンター。1985年から91年まで週刊少年ジャンプで連載され、単行本の累計売上は5000万部。1987年にはアニメ化され、再放送も含めて長年楽しまれ、その人気は海外にも及んでいる、これまでも劇場アニメ化されていましたが、93年のジャッキー・チェンに続き、今回はフランスでの実写映画化です。
 
凄腕のスイーパー、始末屋、シティーハンターこと冴羽獠は、相棒のカオリと多種多様な依頼を請け負っています。そんなふたりが今回取り組むことになったのは、盗まれた強力な惚れ薬「キューピッドの香水」の奪還。悪用されれば、世界は大変なことになる。香水を試していた獠と香は、その効果が永遠に消えなくなってしまうという48時間後までに、香水の容器に隠された解毒剤を入手しなければと奔走します。

世界の果てまでヒャッハー!(字幕版) シティーハンター SPECIAL VERSION ジャッキー・チェン 後藤久美子 RAX-901 [DVD]

監督は幼い頃からシティーハンターの大ファンで、北条司の事務所へ実写映画化の直談判もしたという、フィリップ・ラショー。脚本も自分で書き、主役の獠も自分で演じるという気合の入りようです。相棒の槇村香を演じたのは、同じくラショーの監督主演作『世界の果てまでヒャッハー!』にも出演し、ラショーらとコメディーグループも結成しているエロディ―・フォンタン。
 
公開はフランスの9ヶ月後、2019年の11月29日。僕は先週土曜の夜、U-Nextのオンラインレンタルをポイントで利用してデラックス吹き替え版なるものを鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

80年代から90年代にかけて、ヨーロッパの地上波に大量の日本のアニメが流入したことで、あちらのオタク文化の礎ができていくんですが、フランスだと「ニッキー・ラーソン」というタイトルになっている「シティーハンター」なんですね。監督のフィリップ・ラショーは80年生まれの現在39歳。つまり、思春期、学校に行く前や帰宅後に浴びるように「シティーハンター」を観ていたという意味で、日本の僕らの世代とほとんど同じ環境にいたんです。だから、彼は自然といつか自分でニッキー=獠を演じてみたいと思うようになったわけです。日本では「フランスで実写映画化!?」って不思議に思われたようですが、この作品、先に公開されたフランスでは168万人が観ていますから、特大ヒット。それにはもちろん、コメディー映画作家としての急先鋒であるラショーが手掛けているっていう安心感も手伝ったはずですが、何よりも北条司の原作マンガとアニメがそれだけ国民的な人気作だという基礎があったというのが大きな理由でしょう。
 
それだけファンが多いということは、期待を裏切るリスクも非常に高いということ。ラショー監督が同じ轍を踏むまいと心に誓っていたのが、アメリカでの実写版『DRAGONBALL EVOLUTION』だったようです。そのためには、原作をきっちりリスペクトをして容姿や仕草を似せるということはもちろん、アクション・コメディとして間口の広い、ファンが喜ぶだけでなく、一本の映画として一級の娯楽作にすることが肝要だと考えました。そして、僕はそれに見事に成功していると思います。僕が指摘したいポイントは3つ。

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production

1.脚本は王道を貫くこと
原作北条司が何よりも重視した脚本。18ヶ月かけてラショーは手掛けたそうですが、女好きのスケベでキザな獠がおっさんを好きになってしまうという、北条氏もうなる軸となるアイデアを幹として枝葉を広げています。「007」や「ルパン三世」にも通じる、キメる時はキメるけれど、油断するとすぐに鼻の下を伸ばす男の冒険として、「適度に予想できる意外な展開」を釣瓶撃ちしているんですね。だから安心して観ていられます。どのキャラクターも適当に出てきているように見える人も含めて、ひとりひとりに役割があって、愛情を感じられるのがすばらしいです。自分の映画常連のコメディーチームとイキイキと演技・演出していました。

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production

2.映画として違和感のない描写に徹すること
シティーハンター」と言えば、小学生でもわかる下ネタですが、代名詞とも言えるあのワード、焼肉屋でよく飲まれるお酒に似たモで始まるあのワードや描写を基本的に捨てたというのは英断でした。あれを漫画通りに誇張して映像化していいのは、タモリ倶楽部空耳アワーくらいのもんです。映画でそのままやれば、悪目立ちしすぎて、観客はストーリーラインに集中できなくなるだろうし、映画全体のリアリティーラインも凹凸が出てしまうはずです。でも、その分というべきか、入れられるものはふんだんに入れています。たとえば冒頭の手術室での獠と海坊主のファイトシーンを思い出してくださいよ。裸の患者の股間に置かれた銃の取り合い、そして、心電図の波形でしっかり例のワードを再現するという遊びをやってました。さらに、いわゆるお色気、サービスシーンも、品が良いとは言いませんが、家族で観ても居心地が悪くならない絶妙なラインを綱渡りしていて、ラショー監督の手腕が光ります。最初から時間を行ったり来たりする映画的な語り口を導入していた点も、漫画原作ということを抜きに、あくまで一本の映画を作りたいんだという意気込みを感じます。

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production

3.架空の街に舞台をすまくすり替えていること
もともとは新宿が舞台の物語なんだけど、そもそも浮世離れした設定だし、街の特性を活かしてうんぬんってものじゃないんですよね。これ、現実にも予算や許可の問題で撮影はできなかっただろうけれど、もし新宿でロケしていたら、目も当てられないものになっていたと思いますよ。あくまで架空の街なんです。パリや南フランスでロケしているんですが、ラショー監督はわざわざポスト・プロダクションでエッフェル塔を消すことまでして匿名性にこだわりました。『バットマン』におけるゴッサムシティ的な感じですね。それが功を奏して、「シティーハンター」の世界に没入できています。
 
以上3つに加えて、1人称視点を導入したユニークなアクションシーンも楽しかったです。それにしても、30年前ならいざしらず、今なら際どくなっているジェンダーの問題も惚れ薬を使って軽やかに乗り越えてみせたラショー監督。僕としてはまたいつか続編を観たいし、他の題材であっても、日本で抜かりなく公開してほしいもんだとつくづく思います。声優のこととか、キャスティングとか、既存曲の使い方とか、まだまだ語る余地のたくさんある、実に愉快痛快な娯楽エンターテインメントが、僕の心を打ち抜きました。 

で、終わり際のこの曲の入り方が、もうオリジナルアニメのタイミングをしっかり意識していて、それはもうアガります。ストップモーションにした時の、絵の構図のキメ具合とか、勘所を押さえてますよ。アスファルト、タイヤを切りつけてますよ。


さ〜て、次回、2020年4月28日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『新聞記者』でした。日本アカデミー賞で圧倒的な評価を勝ち得たこの作品。松坂桃李もそうですが、W主演のシム・ウンギョンにも注目が集まりました。賛否両論渦巻いているようですが、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『マレフィセント2』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月14日放送分
映画『マレフィセント2』短評のDJ'sカット版です。

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©2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

1959年のディズニーアニメ『眠れる森の美女』で、オーロラ姫に永遠の眠りの呪いをかけた悪役マレフィセントを主人公に、「実はこういう話でした」と現代の価値観で名作を語り直してみせた前作から数年後の物語です。マレフィセントがオーロラ姫との間に恋愛とも血縁とも違う「真実の愛」を感じて以来、妖精の国で健やかに暮らしていたオーロラ。前作にも登場した隣国のフィリップ王子がやって来て、ふたりは結ばれます。ところが、フィリップの母イングリス王妃はそれを良しとせず、結婚の挨拶に城を訪れたマレフィセントと火花を散らし、やがてそれは大きな炎へと成長することになるのです。

眠れる森の美女(字幕版) マレフィセント (字幕版)

 監督は、アカデミー賞美術賞を2度獲得していたロバート・ストロンバーグから、今回は『コン・ティキ』『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』のヨアヒム・ローニングへとバトンタッチされました。メインキャストは変わらず、マレフィセントアンジェリーナ・ジョリー、オーロラをエル・ファニングが演じる他、イングリス王妃役には、ミシェル・ファイファーが抜擢されました。さらには、我らがギタリストMIYAVIが、マレフィセントと同じ種族のひとりを演じています。

 
公開は2019の10月18日。僕は先週土曜の夜、U-Nextのオンラインレンタルをポイントで利用して鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!


前作は2014年7月にラジオで評して、概ね好意的に捉えていました。単に実写化するだけでなくて、エピソード0からおとぎ話を語り直す、しかも悪役をただ悪に染めないというか、鮮やかに視点を逆転させるのはゾクゾクしました。男の活躍がほぼないってほどに徹底してフェミニズム映画でもありましたが、それ以上に、妖精という異形の者たち、自分とは違う者との共存というディズニーの思想が反映されていて現代的だし、アンジェリーナ・ジョリーの出で立ちが何しろハマっていて、全体として好ましいと話しました。

 
その分、続編を作るって知った時に不安があったことも否定できません。だって、話としては完結していたし、もはやオーロラとフィリップが結婚するくらいしか話の展開は見込めず、後はオリジナルで作っていく他ないので、それだと『眠れる森の美女』から離れすぎるのではないかと。そんな感じで期待値低め設定での鑑賞となりましたが、総じて僕は楽しむことになりました。総じて、ですけどね。

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やはり、結婚から始まることになったこの物語。そこで勃発するのが、マレフィセントと隣国のイングリス王妃による女の戦いです。後に理由は描写されますが、イングリス王妃はとにかく妖精たちを嫌っていて、何なら根絶やしにしたいと目論んでいます。ミシェル・ファイファーがまた見るからに悪そうで怖いんだけど、だいたい思った通りの悪役っぷりを発揮します。マレフィセントとの対比という意味では仕方のないことかもしれませんが、そこが僕には不満と言えば不満ではありました。彼女にもう一歩踏み込んで厚みのある人間像を与えれば、そりゃ最後はあの仕打ちでいいかなと納得できるんだけど、あれだとただただ悪い奴なんで、それじゃ元のマレフィセントのイメージとそう変わりないじゃないかと。第2のマレフィセントかよって。
 
でも、僕が着目したのは、彼女の悪の実行力です。あれはなかなかのものでしたよ。まず、前作で濡れ衣を払拭したマレフィセントのことを、あの隣国ではまだその事実がよく知られていないことを悪用して、ばっちり悪い噂とイメージを国民に植え付けるプロパガンダに成功していました。さらには結婚の挨拶の場でも会話をリードして彼女を罠にかけましたからね。そして、妖精たちについては、科学を悪用して人体実験を繰り返しながら、ジェノサイドを企てるって、もうナチスばりの悪の所業の数々を見せつけてくれます。マジで怖い。タランティーノに描かせたら、最後には火炎放射器で焼かれるレベルの悪でした。ディズニーだから、そこまではいかないけど、大人が観ると身の毛がよだつレベルです。そりゃ、マレフィセントも激怒するわっていうね。

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©2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

一方のマレフィセントについては、前作からふたつ変化がありました。ひとつは、主にカラスのディアヴァルとのコンビで見せたかわいさ。本音を隠す時の表情、感動して涙を流しているのにそれを認めないとか、かわいいなぁ。アンジェリーナ・ジョリーのセクシー・ショットも見逃せないし、キャラクターの魅力を深めていたのが、ひとつ。もうひとつは、てっきり妖精だと思っていた彼女の出自が思わず明らかになるところです。角と翼の生えた種族がまさかあんなにいたとは… って、ずいぶん性急で取って付けた印象もありましたが、ああいう部族が出てきたことで、クライマックスの戦闘がスペクタクルとして見ごたえのあるものになったと思います。しかも、小さな妖精は狭い場所に押し込めて、大きなマレフィセントたちはオープンスペースでと、ふたつのドラマを同時進行させることで、映画的にもうまく間を持たせていました。それぞれの空間造形も、さすがはディズニーという代物でした。人間側の戦闘方法が、言っちゃえば化学兵器なんですよ。でも、毒ガスだと目に見えないわけで、赤い粉にしてあることで、これがまた画面に美しさと悲壮感を与えるという仕掛けでしたね。

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©2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

結局なんの話って、『ズートピア』的な世界観というか、より多様化した生き物、種族の共生です。で、あのフィナーレでしょ? 結局、何とか『眠れる森の美女』に着地するという荒業を成し遂げています。ただ、前作よりも尺が20分近く伸びているわりには、話がまとめきれておらず、特に最後はバタバタしすぎて、そんなトントン拍子に行くかいなって思うし、王妃への対応に拍子抜けっていうか、ずっこけた人もいるでしょう。サブキャラのサブっぷりも著しすぎて、男たちの無能ぶりもやりすぎだろうとは思いました。だいたいマレフィセントが窮地に陥ってからの〜?ってのが、いくらなんでも強引だし、それ、今回取ってつけた能力だからねっていうツッコミは避けられません。でもね、僕は最後におとぎ話に戻してみせたんだと解釈しています。王妃の悪意に満ちたプロパガンダに対し、おとぎ話らしく夢を描くことで幕を引いた。そう捉えると、この映画が好きになります。最後にお願いとしては、もう続編はやめてください。これで十分です。もう映画としてギリギリ崩壊寸前だったんで…
 
今回はBebe Rexha(ビービー)がハスキーに歌い上げた主題歌You Can’t Stop The Girlを番組ではお送りしました。確かに、ガール以外は、ボーイズもメンもキングも、あいつらダメだったなぁ。


さ〜て、次回、2020年4月21日(火)に扱う作品は? はい、「お家でCIAO CINEMA」が続きます。このコーナーでこれまで扱いそこねた、つまりは僕が外した「準新作」と言えるものをおみくじに入れて、敗者復活的に作品を選んでいきます。で、今回僕が引き当てたのは、『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』でした。北条司の世界観がフランスでどう再現されていたのか。ワクワクと不安が今僕の胸の内で交錯していますよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『任侠学園』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月7日放送分
映画『任侠学園』短評のDJ'sカット版です。

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©2019 映画「任俠学園」製作委員会
任侠とは? 弱い物を助け、強いものをくじき、仁義を重んじて、そのためなら自己犠牲もいとわない、そんなスピリットを指します。そんな任侠に溢れる小さなヤクザ「阿岐本組」。組長は社会貢献に積極的で、厄介な案件も安請け合いしてしまうため、舎弟たちはその尻拭いで大変です。組長が今回相談されたのは、経営不振に陥った高校の立て直し。理事に就任した阿岐本組No.2の日村は、その現場対応として、個性ある子分たちを連れて学校へ。相対することになったのは、事なかれを良しとする校長や、覇気のない生徒たち。全員、善人のヤクザたちは、さぁ、どう動く?

任侠学園 (中公文庫)

原作は、人気作家今野敏(こんのびん)が2004年から続ける「任侠シリーズ」の2作目となる同名小説。脚本は、主にドラマで活動する酒井雅秋。監督は、木村ひさし。堤幸彦の助監督だったことで知られ、TRICK20世紀少年にも関わっていました。で、ここ半年ほどの間に、なんと監督作が他にも2本、『屍人荘の殺人』と『仮面病棟』も… すごいです。
 
ダブル主演となったのは、組長の西田敏行とNo.2日村の西島秀俊。子分たちに、伊藤淳史池田鉄洋、教師に生瀬勝久、生徒に葵わかな、保護者に光石研などといったキャストが揃いました。
 
公開は去年の9月27日。僕は先週金曜の夜、たまっていたポイントを使って、U-Nextのレンタルシステムを使って鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

今でこそ数がかなり減っていますが、日本にはヤクザ映画という一大ジャンルが60年代からあって、独自の様式美、美学をスクリーンで展開していた時代から、実録路線に代表される抗争をメインにドンパチを見せていくものがメインとなる時代、そしてVシネの時代と、それこそ星の数ほど作品があります。つまりは人気があったということです。なぜか。このジャンルの専門家ではないのでザクッとしか言えませんが、高倉健の時代の一般社会、表舞台では力を発揮できない社会の爪弾き者が、義侠心にかられて、しがらみを捨て、悪者を懲らしめていくという、勧善懲悪的な、わりと単純なストーリー展開でわかりやすく大衆の支持を得たからなんですね。さらには、反体制、反権力という側面があったので、特に60年代の学生運動が盛んだった頃、その人気はピークに達します。
 
さて、作品に出てくる阿岐本組の三カ条は、こちら。
1.カタギに手を出さない 2.勝負は正々堂々 3.出された食事は残さず食べる
彼らはこれを遵守しているんですね。
 
今作は、その意味で、物語の構造としては、きっちり任侠映画だと言えます。しかも、観客が楽しめる要因として、阿岐本組は指定暴力団ではない、小さな組であり、暴力や恫喝による物事の解決を良しとはしないヤクザであるということがあります。つまりは、ヤクザの中でも、さらに弱小ではみ出し者なんですよ、彼らは。わらわら群れないし、暴力は相手が正しくない時にしか発動しないし、食事はとにかくおいしく食べる。スカッとしているわけです。筋も通っているし。そして、ヤクザ映画の系譜のあるあるをネタとして茶化すオマージュもいくつかあります。阿岐本組の根っこにあたる関係の組の親分、中尾彬が出てくると、画面は締まるし、ここでまずはタバコを吸うんだろうなと見せかけて、取り出されたのは綿棒。とか、酒場での喧嘩でビール瓶を武器に使おうとテーブルに叩きつけたら、バイ〜ンってなるだけで割れないとか、ギャグに持ち込んでいます。基本、これはコメディーですから、こうした「ズラシ」のギャグを多用しながら、アクの強い阿岐本組の面々の素性や背景を笑いを使って描いていて、そこも誰もが楽しめるポイントです。

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©2019 映画「任俠学園」製作委員会

西島秀俊は、僕はカメレオン的な役者さんだと思っていて、彼自身の演技でドヤって見せるのではなく、その物語に溶け込むのがうまい、要は保護色に変色できる方という認識だったんですが、今回もそこがお見事。だからこそ、周囲のサブキャラたちも引き立っていました。そして、とにかく西田敏行の存在感。まぁ、うまいです。圧倒されます。
 
そして、もうひとつ、日本映画の最近のまた大流行である学園モノとの融合という点が、この映画をさらに見やすくしています。不良っぽい子、優等生、教師、校長、父母会、そして理事。青春のこじらせ、恋愛、学校の権力、しがらみ、利権をまとめて描けるという利点があるわけです。そこもうまく活かしていたと思いますし、これ、原作も他に3本あるんで、シリーズ化もできるんじゃないでしょうか。現代社会が忘れかけている、スピリットとしての任侠、弱きを助け強きをくじく、任侠心を思い出させてくれる、スカッとしたあの連中に早くもまた会いたい。

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©2019 映画「任俠学園」製作委員会

なんて、基本的に褒めてばかりいますが、難点もなくはないです。まずは機能しているとさっき言ったギャグですが、スベっていると思わざるを得ないところも多いです。ちとテレビ的というか、監督がドラマ畑の人なので、演芸的なところが多くて、映画的カタルシス、つまりは今映画を観ているという絵的な醍醐味を感じるところはあまりないです。役者の力量と個性を尊重、いや、そこに頼った結果、だいたいが既視感のある演技になっていて、それが演芸っぽさにつながるばかりか、作品の個性として迫るものがない。そして、脚本上の問題として、色々盛り込んだ結果、そのどれもが薄味なことも指摘しておきます。たくさん問題が起きるんだけれども、それがひとつひとつ順序良く起きているんですよ。ロールプレイングゲーム的な単純化が起きていて、うまくやれば、笑わせながらも、それぞれの問題の本質をえぐり取って提示することもできるだろうところが、そこまで達していないという食い足りなさがありました。

ゲロッパ! アウトレイジ [DVD]

 とはいえ、個人的には、井筒和幸ゲロッパ!』や北野武アウトレイジ』など、西田敏行がヤクザを演じたときに出るギャグシリーズ、「でももストライキもあるかい」「迷惑もハローワークもあるかい!」に続く新作「違法もヤッホーもあるかい」に思わず「待ってました」と言ってしまった僕は、なんだかんだ満足なのでありました。映画神社に出された映画は残さず最後まで観る。今週も、ごちそうさまでした。

 さ〜て、次回、2020年4月14日(火)に扱う作品は? はい、これからしばらくは、「お家でCIAO CINEMA」が続きます。このコーナーでこれまで扱いそこねた、つまりは僕が外した「準新作」と言えるものをおみくじに入れて、敗者復活的に作品を選んでいきます。で、僕が引き当てたのは、『マレフィセント2』でした。調べたら、2014年にFM802 Ciao MUSICAで1を評しているんですが、そうか、もう6年も前か… もう一度見直すかな。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月31日放送分
映画『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』短評のDJ'sカット版です。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
大ヒットTVシリーズに出演して、一躍スターとなった俳優のジョン・F・ドノヴァン。彼が若くして死ぬところから物語は始まります。自殺か、事故か、はたまた事件なのか。世間を騒がせるこの死の前に発覚していたのは、ジョンがイギリスに住む11歳の少年ルパート・ターナーと文通を続けていたということ。10年後、100通を越えるふたりの往復書簡が本になります。新進気鋭の俳優になったルパートは、すべてを明かすと著名なジャーナリストの取材で宣言。ジョンとルパート、それぞれの人生が語られていきます。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.
原案、脚本、監督、編集、そしてプロデュースのすべてを手掛けるのは、現在31歳、カナダのグザヴィエ・ドラン。2009年の『マイ・マザー』でデビューを飾り、『Mommy/マミー』『たかが世界の終わり』と、毎度話題を呼び、評価を獲得してきた彼が、ハリウッドで活躍する豪華キャストを率い、母語のフランス語ではなく、初めて英語で撮った映画となります。
 
ジョン・F・ドノヴァンを演じるのは、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で名を上げたキット・ハリントン。ルパート少年に扮したのは、『ルーム』で天才子役だと注目されたジェイコブ・トレンブレイ。他にも、ルパートの母をナタリー・ポートマン、ジョンのマネージャーをキャシー・ベイツが担当しています。
 
僕は先週木曜日の昼下がり、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

グザヴィエ・ドランには、一貫した作家性があります。たとえば性的マイノリティだったり障害を抱えていたりして社会の中で自己をうまく規定できない主人公が、最も身近な母親と正面切ってぶつかりながら、自分なりの生き方を模索するという物語を撮り続けています。今回もそうですよね。ジョンにしろ、ルパートにしろ、常に母との関係が軸になっています。愛してはいるけれど、いや、愛するがゆえに、時に辛辣な言葉を投げつけてしまう。それでも、愛するがゆえに、和解を求めもする。赤い糸ではなく、へその緒が切っても切れないという感じもあります。何らかの理由によって父親・父性が不在である点も、そこに拍車をかけます。だから、ドランの映画を観るのは、往々にしてとても苦しいのだけれど、ありものの音楽を巧みに使い、画面の縦横比を途中で切り替えるなど、映画表現の可能性を追求する独自の方法で観客のエモーションを解放したりするので、あの鑑賞体験はドランの作品でしかありえないと、この若きヒーロー監督から目が離せなくなる。そうやって、彼はこの10年の間に、カンヌやヴェネツィアで称賛されてきました。彼がカルトたる所以です。

マイ・マザー(字幕版) トム・アット・ザ・ファーム(字幕版)

毎度毎度ハードルは高くなっているのが気の毒ではありますが、今回もテーマに大きな変更がないとすれば、彼はどこに創作の動機、モチベーションを感じていたのか。それは、語り口なんだろうと思います。少なくとも映像面で、僕にははっきりと新しいなと感じる要素はなくて、一定のスタイルを確立したからこそ、今度はごくごくパーソナルな話を、もっと視野を拡大して描くというところに注力したんだと思います。
 
女優を目指していた母親とルパート少年が異郷の地ロンドンで送る生活。ドラマの成功で一気に知名度が上がったけれど、その状況に適応できず、ゲイである自分を偽ることにも疲弊していくジョン。地理的にも社会的にも年齢的にも離れてはいるけれど、それぞれにもがくふたりが手紙を通して密かにつながっているという構図はユニークです。しかも、このふたつの話をさらに大きく括弧でくくるように、10年経ってからルパートが黒人のやり手ジャーナリストからインタビューを受けて全体を回想するという、考えてみると結構ややこしい構造の映画にしてあるんです。おそらくは、わざと、つまり意欲的に。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.

映画って現実という牢獄からのエスケープという側面もありますよね。自分の暮らしとは違う、別の現実を、たった2時間の虚構であるかもしれないけれど、生きることができるし、その経験はかけがえのないものとなって、観る者の脳裏に刻み込まれる。ルパートがジョンにファンレターを送ったように、ドランが『タイタニック』を観てディカプリオにファンレターを送ったように、その現実と虚構の関係があります。ジョンは自分のアイデンティティに悩む現実を世間に対しては隠す、虚構にしなければいけないという現実もある。最後にリバー・フェニックスのオマージュが出てきますが、ドランが理想としてのスター像をルパートに、あの晴れ晴れとしていたいけな表情に反映させたからでしょう。キャスティングも、役柄と俳優のキャリアをダブらせたりしていて、よく考えられている。こうした入り組んだ、込み入った構図をひとつの物語にまとめようとしたんだと思いますが、その意欲は買うけれど、正直なところ、うまくまとめきらなかったというのも現実だと思います。これ、今のバージョンになる前は尺が4時間に膨れ上がっていたらしいですが、それを編集で何とか強引に2時間にした傷跡があちこちに見受けられる。それぞれのシーン・シークエンス単位では拍手できるところも多いものの、そもそもが語りで成立しているという事情もあってセリフが多く、それぞれのシーンのつながりに継ぎ接ぎ感もある。

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(C)THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN INC., UK DONOVAN LTD.

とはいえ、あちこちに眼を見張る、耳をダンボにするシーンがあることも事実。最後に流れるThe VerbeのBittersweet Symphonyよろしく、映画的な出来栄えも甘くも苦くもあるなというのが現時点での僕の想いです。って、ちとくさしてるように思うでしょうが、はっきり言って、かなり高度なレベルに達した上でのことだっていう前提がありますので、まだドランを観たことがないという方は、これを機に過去作も含めてぜひ見逃さないようにしてください。
ベン・E・キングでもジョン・レノンでもなく、Florence + The Machineのバージョンでこの曲が流れるところだけでも、好き嫌いは別として、ドランの映画的才能がいかんなく発揮されるところで、僕としてはもう一度二度三度、この映画を観たいなと思います。


さ〜て、次回、2020年4月6日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、とすんなりいきたいところですが… 新型コロナウィルスCOVID-19をめぐる現況を踏まえ、来週からしばらくは、このコーナーで扱いそこねた、つまりは僕が外した「準新作」と言えるものをおみくじに入れて、言わば敗者復活的に作品を選んでいこうと決めました。基本的に配信やソフト化されているものなので、なんならいつもよりもずっと気軽に観られるかもしれません。普段は映画館へ出かけられていないという方も、これを機に映画をふたつの意味で見直していただければ。

 

で、僕が引き当てたのは、西島秀俊西田敏行が共演した変わり種のヤクザもので、コメディーの『任侠学園』でした。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!  

『スキャンダル』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月24日放送分
映画『スキャンダル』短評のDJ'sカット版です。

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(C)Lions Gate Entertainment Inc.
アメリカの保守系放送局として絶大な影響力を誇るケーブル局FOXニュース。2016年に実際に起きた、というより、ようやく日の目を見た、長年にわたるセクハラ・スキャンダルを映画化したものです。メインの加害者は、CEOのロジャー・エイルズ。FOXニュースの視聴率をナンバーワンへと押し上げた敏腕である彼を訴えようとするのは、元看板キャスターのグレッチェン・カールソン。ロジャーの性的な欲求に応じなかったことで、事実上の降格となっていました。反撃するにはどうすればいいか。グレッチェンは、同じような目に遭った女性たちと力を合わせようとするのですが、ことはそう簡単には運ばないのでした。

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男(字幕版) マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

 女性側でメインとなる出演者は3名。グレッチェンを演じたのは、ニコール・キッドマン。現役バリバリの人気キャスターで、ロジャーを訴えることに踏み切れないメーガン・ケリーは、シャーリーズ・セロンが担当。さらに、彼女はフィクションの人物ですが、スターになるべくどんどん自分を売り込む若きケイラには、マーゴット・ロビーが扮しています。監督は、『オースティン・パワーズ』で世に出て、最近では『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』で知られるジェイ・ローチ。脚本は、同じように実話ベースだった『マネー・ショート』のチャールズ・ランドルフです。

 

そして、今作では特殊メイクを担当した京都出身のカズ・ヒロが、メイクアップ&ヘアスタイリング部門で、二度目のアカデミー賞を獲得しています。
 
2月21日公開でしたから、もう1ヶ月ほど経っているんですが、諸々の今年特有の事情プラス、この作品の出来栄えが評価されてのことでしょう、まだ客を呼べるということで上映が続いています。僕は先週木曜日、109シネマズ大阪エキスポシティに観に行ってまいりました。それでは、今週の映画短評いってみよう!
お話が始まる前に、テロップで表示されるのは、これが実話であること。ただ、ニュース映像以外の部分は俳優が演じていること。当たり前っちゃ当たり前なんですが、わざわざ入れる意味もわからんでもないってくらいに、映画の映像の運びのスピードとカット割が、特に冒頭からしばらくはテレビっぽいんです。カズ・ヒロの特殊メイクでメーガンになりきったシャーリーズ・セロンがFOXニュースの社屋の各フロアの役割を見せていくあたりは、映画の観客をバリバリ意識して説明してくれるので、社会科見学的な楽しさもあるっちゃあるんですが、楽しいなんて言ってられないのはもちろんのこと。
 
この手法を採用することで、語り口の幅が広がるという利点もありますが、観客を直接的に巻き込みながら、この場面の演出のためだなと僕が感じたのは、セクハラを受けている女性が同時進行で考えていることをボイスオーバーで語らせる場面。言わば、心の声という副音声を同時に聞けるとあって、臨場感もあるし、なぜ女性が追い込まれていくのかが手に取るようにわかるシーンでした。

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(C)Lions Gate Entertainment Inc.
それにしても、わずか4年前、国を代表する報道系の放送局で発覚した問題を、こうして実名で容姿も似せて映画にしちゃうってのがすごいし画期的だと思うんですが、脚本もさすがにチャールズ・ランドルフだけあって上手いなと思うのは、決して一放送局のひとりのCEOの特殊なハラスメントではないんだという問題意識を観客にも持たせていること。その意味で、メイン3人のうち、唯一架空のキャラであるケイラの造形が効いています。複数のエピソードを組み上げて編み出された人物なので、彼女とその周囲には、象徴的に問題が集中しています。
 
確かにCEOのロジャーは最低な男として描かれています。何が起きたかはすべてはっきり見せずとも、女性のリアクション、衣装、メイク、表情から察することができます。でも、それ以外にも、トランプ大統領のあからさまな女性蔑視発言もバッチリ入れて、問題が社会的・普遍的なことだとわからせています。民主党支持でレズビアンの女性スタッフの居心地の悪さ、ことあるごとに「君はフェミニストか?」とフェミニズムそのものが糾弾されるような局の偏狭さ、自分たちの考えにそぐわないものは適当に扱って、ニュースソースがいい加減でもシレッと報道してしまうフェイクまがいのいい加減さがまかり通っている様子も描いています。WASPの男性をスタンダードとするFOXニュースには、実際、黒人スタッフはあまり見かけなかったですよね。

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(C)Lions Gate Entertainment Inc.
メインの3人はキャリアも思惑も様々で、『ハスラーズ』のような連帯感があるわけではないですが、逆に、じゃぁどうやってグレッチェンが被害者を束ねていくのかというスリルと、一定程度のスカッとする感覚が後半は映画を引っ張ります。一方で、たとえば、ラストに文字で示されるように、被害者たちが賠償金を得る一方で、職を失った加害者には退職金がふんだんに出ているというようなモヤモヤが残るのも、僕はリアルで良いなと思いました。現実にはろくでもないけど、警告として、映画として良いってことです。
 
最後に言っておきますが、これはセクハラを描いているものの、どんなハラスメントも、それが権力に基づくものである以上、構造は同じだと思います。だから、日本でも男女問わず響くものがあるはずです。この作品を他山の石としないと。途中、ストーリーが定まりきらない散漫な印象もあるっちゃありますが、基本的に良くできた作品ですから、どうぞ劇場で心してご覧ください。
 曲は、予告でも時流に乗って印象的に使われていたビリーのこのヒットをオンエアしました。そうそう、音楽絡みでいうと、冒頭、イーグルスグレン・フライが亡くなったとFOXニュースが伝えている生放送の現場で、使っている顔写真がドン・ヘンリーになってるぞとサブで訂正指示が飛ぶくだりがあります。おいこら! ふざけるんじゃないよ! まったく… やっぱり、保守の彼らにとっては、劇中で揶揄されるハリウッド同様、イーグルスもあまりお好きではないのでしょうかね。ピリリとくるブラック・ジョークが炸裂しておりました。
 
ちなみに、原題は『Bombshell』。これはダブルミーニングでして、手元の英和辞典にもありますが、衝撃を与える大事件という意味と、かわいこちゃん、セクシーな超美人という意味があります。いかにもニュースキャスター然とした、男性ウケのする、白人金髪美女の典型という3人でしたよね。ステレオタイプな美意識を皮肉バリバリ込みでタイトルに込めているというわけです。


さ〜て、次回、2020年3月31日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』となりました。グザヴィエ・ドランが好きな僕としては、「やり〜!」ってスタジオで声を上げそうになりました。彼にとって初めての英語作品。彼が子供の頃にレオなるど・ディカプリオに憧れていたという自身の体験を踏まえて脚本を書いたというエピソードにも興味を惹かれます。お得意の既成曲使いが今回はどんなチョイスでどう出るか。は〜、楽しみだ〜。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

映画『盗まれたカラヴァッジョ』レビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。東京では1月に公開が始まり、シネ・リーブル梅田では3月20日京都シネマでは3月21日、少し遅れてシネ・リーブル神戸では4月3日に上映の始まるイタリア映画『盗まれたカラヴァッジョ』。『ローマに消えた男』や『修道士は沈黙する』が日本でも公開されているロベルト・アンドーが監督・脚本したもので、原題は「名もなき物語」”Una storia senza nome”。2018年のヴェネツィア国際映画祭に出品され、同年にイタリアで一般公開されたこの作品を、セサミあゆみにレビューしてもらいました。

ローマに消えた男(字幕版) 修道士は沈黙する(字幕版)

映画の製作会社に秘書として務める主人公、ヴァレリア。実はここ何年か、人気脚本家のアレッサンドロ・ペスに代わり、ゴーストライターとして映画のシナリオを書いている。次回作の脚本がそろそろ必要になったある日、ヴァレリアはあやしい男に出会い、男の少しずつ語る物語を脚本に起こしていくことになる。それは、一枚の絵画をめぐる物語だった。

昨年から今年のはじめにかけて、札幌、名古屋、大阪の3地方都市で開催されたカラヴァッジョ展。強い光と暗い影の生みだす、ドラマチックな瞬間を切り取ったような絵画の鑑賞に駆けつけた人も多かったことだろう。

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@2018 Bibi Film – Agat Film & Cie

そんなカラヴァッジョの絵画の中には、盗難に遭い、行方知れずになってしまった祭壇画がある。この映画で取り上げられている『キリスト降誕』だ。恥ずかしながら、正直なところ、私はこの事件の知識がなかったが、1967年10月17日から18日にかけての夜にパレルモの教会から盗難されたときには、世界を震撼させたとのこと。今となっては、盗難画は燃えて灰になってしまったのか、豚の餌になってしまったのか、はたまたスイスの富豪が密かに所有しているのか定かではない、というのは映画の中で語られている通り。

 

事件の夜から、その後、行方知れずの現在に至るまでの間には、一体何があったのだろう。どこまでが真実で、どこからがフィクションだかわからないようなこの映画の物語が、その空白を埋めてくれる。

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@2018 Bibi Film – Agat Film & Cie

光と影のコントラストが映える映像は色彩も鮮やかで、カラヴァッジョの絵画を彷彿とさせるよう。ラウラ・モランテ演じる主人公の母親のエキゾチックな服装が、絵画の中の聖母マリアマグダラのマリアかのように思えたのは、宗教画に引きずられすぎかもしれない。ほかにも、この映画監督は見たことがあるような気がするなと思えば、役者は“奇才”と呼ばれる実在の映画監督だそうで(↑イエジー・スコリモフスキ)、また、感情に流される人間味のあるスパイやハッカー、ストーリーの途中でイメチェンをして、ガラッと雰囲気の変わる主人公など、登場人物も魅力的だ。ちなみに、イタリアではイメチェン後の主人公が好まれるのだろうけれども、日本ではどうだろう。

 

細かなところは置いておいたとしても、興味をそそられる題材で、サスペンスのストーリーを追うだけでも、エンターテイメントとして十分に楽しめる。また、胸を打つイタリア小説の数々の翻訳で大活躍されている、関口英子さんの字幕にも注目したい。(文:セサミあゆみ)

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@2018 Bibi Film – Agat Film & Cie