京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月9日放送分
映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』短評のDJ'sカット版です。

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主に広告業界で映像を撮っている演出家のトビーは、スペインでとあるCMの撮影をしているのですが、アイデアが枯渇して難航中。彼はある晩、偶然にも10年前に自分が監督した自主制作にして卒業制作映画「ドン・キホーテを殺した男」のDVDを手に入れます。懐かしくなったトビーがそこそこ近くにあるロケ地の村を訪れると、ドン・キホーテを演じてもらった靴職人のハビエルという老人が自分のことを本物の騎士だと思いこんでいたうえ、トビーは従者のサンチョ・パンサだと勘違いされてしまいます。そこからふたりの過去と現在、夢と現実を往復するような旅が始まるのですが…

ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)ドン・キホーテ 後篇一 (岩波文庫)

原作は、もちろん、スペインの誇る世界的文学、セルバンテスの『ドン・キホーテ』。監督と共同脚本は、イギリスのコメディーグループ、モンティ・パイソンのメンバー、テリー・ギリアム。『12モンキーズ』『ラスベガスをやっつけろ』『未来世紀ブラジル』の監督ですが、この企画は30年来温めていた、というか、撮影も進めてきましたが、この30年の間に、様々な要因で挫折すること9回。呪われた作品として、既に映画史に刻まれるほど有名だったんです。僕も、公開と聞いただけで、「嘘だろ!?」と思ったほど。
 
今世界で最も売れっ子となっている俳優のひとり、アダム・ドライバー。僕はかねてより似ていると言われ続けてきましたが、今作はアダム・ドライバー史上、最も僕に似ているということで、鏡を見る気分で、アマゾン・プライム・レンタルを利用して、先週土曜日に鑑賞しました。似ているかどうかは、シーンによるという、当たり前の結論が出ましたが、それは置いといて、それでは、今週の映画短評いってみよう!

僕が映画を年間100本程度意識して観るようになったのは、大学生の頃だから90年代後半なんですが、よく覚えているのは、その頃には既にこの映画の話が噂されていたことです。小説『ドン・キホーテ』は、もともとオーソン・ウェルズが50年代半ばから、あのフランク・シナトラを巻き込んで15年ほど実現に向けて動いたものの実現せず、85年に亡くなるまで、ずっと画策はしていたんです。今度はテリー・ギリアムが動いてはいたもののこれまた難航しているのだと。それをもって、これは呪われた企画なんだと言われていました。ギリアム監督の辛すぎる様子については、作品のオフィシャルサイトに、企画のヒストリーが自虐ネタのように掲載されています。さらには、僕も今回鑑賞しましたが、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』というドキュメンタリーがあって、そこではスペインで2000年頃、ジョニー・デップジャン・ロシュフォールを主役に迎えて撮影を開始し、やがては失意のうちに企画がストップする様子がよくわかります。映画作りはかくも大変なのだと、僕なんかは涙なしには観られないですよ。あれからまた20年。辛酸を嘗めっぱなしだったギリアム監督が、ついに完成させたという、この事実だけでも、やりました! ブラヴォー! って言いたくなるし、僕は今作の試写状を今も事務所のデスク横に貼りっぱなしです。もうね、テリー・ギリアムさん、あなたが誰よりもドン・キホーテですよって言いたくなるんだけれど、これがあながち突飛な表現ではなく、テーマそのものなんじゃないかってのが、この作品の驚くべきところです。

ロスト・イン・ラ・マンチャ(字幕版)

というのも、これは、マトリョーシカ的に、現実とフィクションがいくつも重なり合う入れ子構造の作品なんです。メタフィクションと言われるやつです。まず原作そのものが、中世の失われた騎士道精神を崇拝するあまり、自分が騎士だと思いこんでしまう老人の話であって、しかも、小説の後半はその小説自体が世に出て売れた後という設定になっています。小説の段階で、既に虚実が入れ子になっている。それをさらに映画化するにあたり、そのドン・キホーテをかつて自主制作映画で撮影した監督を主人公にしていて、そこに出演していた素人役者やその家族の人生を予期せぬ方向に導いた張本人であると。だって、靴屋のハビエルは映画で演じたドン・キホーテになりきってしまい、現実に戻ってこれなくなっているし、居酒屋の娘アンジェリカは女優への道を夢見たものの、その半ばでくすぶってしまっている。こういう話そのものがドン・キホーテ的なる設定です。こうした事実に行き当たり、トビーは過去と現在、現実と夢や虚構を行ったり来たりすることになります。おまけに、僕たちは作品外の情報として、テリー・ギリアム本人がこの映画を撮ろうとして四苦八苦を続けてきたということを知っているがために、さらにもう1枚、虚実のレイヤーがかかるという、何重もの入れ子、夢のまた夢のまた夢みたいなメタメタフィクションを目の前にするので、はっきり言って混乱するわけです。

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(C)2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mat o a Don Quijote A .I.E., Tornasol SLU
そのラビリンスそのものを楽しめるか。はたまた、なんじゃこりゃ意味わからん、となるか。観客は概ねそうして二分されるだろうとは思います。僕はと言えば、ここまでのテンションでお分かりいただける通り、こんなのは好物です。そりゃ、確かにわけわからんくなってきたって混乱もしますよ。あれはなんだったんだと未だによくわからん部分もあるけれど、映画がすべてハリウッド式の文法にのっとった、みんな似たりよったりな解釈をするものであっては面白くないわけで、人間の非合理で腑分けできない心理すら映像にできるメディアだってことを再認識できて愉快愉快と興奮しました。フェリーニの『8 1/2』であるとか、そういう映画監督の頭の中を覗き込むタイプの名作も思い出したし、それこそオーソン・ウェルズも見たくなる。トビーが引き受けることになる理不尽や不運の数々に思わず笑ってしまいながらも、ものを作る人間の夢追いのロマンと、関係者の人生を左右してしまう業のようなものも突きつけられました。そう考えると、トビー自身が辿ることになる道筋、つまり、ドン・キホーテの物語を撮っていたはずが、いつの間にかサンチョ・パンサになり、やがてはドン・キホーテに同化するというのも興味深い。だって、彼は自分でもしょうもないと考えているCMをディレクションして何とか映像業界にしがみついているような男だったわけです。それがものづくりの原点に立ち返ることになり、過去の自分の生み出したものに引っ張られ、やがては巨大な映画業界にまた槍一本で立ち向かうにしても、それはたやすいことではなく… 

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(C)2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mat o a Don Quijote A .I.E., Tornasol SLU
テリー・ギリアムが30年前に構想した規模の映画にはおそらく程遠いものになってしまったとは思いますが、それでも映画は作られなければならない。頭に描いたものを、金を集めて、とにかく映像に落とし込まなければならない。その意味で、ギリアムは呪いから解かれ、またドン・キホーテとして立ち上がったんだと思います。そう考えると、僕はまたこの映画を見直したくなる。そんな危うい普遍的な魅力をはらんだ作品に触れられたことを、こうして短評できた喜びをかみしめています。
お送りしたのは、ニック・カーショウです。彼はシンガーとしては84年のアルバムThe Riddleが代表作でしょうが、その中には、表題曲以外にも、こんなヒットが入っていました。そう、『ドン・キホーテ』。
 

 

さ〜て、次回、2020年6月16日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『デッド・ドント・ダイ』でした。コロナの影響で公開延期になっていたものが、先週ようやく封切られましたんで、僕も久々の映画館です。敬愛するジム・ジャームッシュ監督の新作にして、初のゾンビ映画。そして、2週連続アダム・ドライバーなど、気分は高揚しっぱなしですが、ひとつ気を落ち着けて観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月2日放送分
映画『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019「閉鎖病棟」製作委員会
舞台は長野県のとある精神科病院です。そこに暮らす入院患者たちは、統合失調症だけでなく、認知症麻薬中毒者などなど、さまざまな事情を抱えています。そして、中には、母と妻を殺害した罪で死刑判決を受けたものの、執行が失敗した結果脊髄を損傷し、車椅子で暮らす梶木秀丸もいました。他にも、幻聴に苛まれてかつて強制入院となった元サラリーマンのチュウさんや、父親からのDVを隠しながら病院へやってきた女子高生の由紀など。ぎこちなくも肩を寄せあって生きている彼らでしたが、ある日、思いやりが生み出した大きな事件が起きます。

閉鎖病棟 (新潮文庫) 愛を乞うひと

原作は精神科医で作家の帚木蓬生(ははきぎほうせい)が山本周五郎賞を獲得した95年の同名小説です。99年にも『いのちの海 Closed Ward』というタイトルで映画化されていまして、今回が20年ぶり2度目の映画化です。監督と脚本は『愛を乞うひと』や『しゃべれども しゃべれども』の平山秀幸。元死刑囚の梶木秀丸を演じるのは、単独主演10年ぶりという笑福亭鶴瓶。元サラリーマンのチュウさんを綾野剛、女子高生の由紀を小松菜奈が演じるほか、平岩紙高橋和也小林聡美なども出演しています。
 
公開は去年の11月1日でして、主題歌をFM COCOLO DJでもあるKくんが担当しているということもあり、当然映画神社のおみくじラインナップには入れていたんですが、いくら引いても当たらず、今回アマゾンプライムの配信レンタルで先週金曜日に鑑賞することになりました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

人にはそれぞれ過去があって、事情があって、生きている限り病があります。精神科病院というと、この映画に出てくるように、坂の上だとか人里離れたところだとか、サナトリウム的に社会から隔離されたような場所にあることが特に昔は多かったですね。綾野剛演じるチュウさんはサラリーマン時代に幻聴が聞こえるようになったということで、統合失調症だと推測できます。この病気の原因はさまざまで一概には言えず、世界のどこでも、だいたい100人にひとりの割合でかかると言われています。その意味では、決して縁遠いものではなく、むしろ身近な病気です。だから、結構古い物語にも統合失調症の当事者が出てくるものがあって、日本ではたとえば座敷牢に押し込めて、家族や地域で独自に管理しようとしましたが、今度はそれを精神科病院に入院させる、つまりは社会で管理しようという流れがありました。

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(C)2019「閉鎖病棟」製作委員会
実は日本は国公立以外にも私立の精神科病院が世界的に見ても非常に多く、私立の場合にはベッドがふさがっている方が経営が安定するわけで、長期の入院が多いのが特徴です。本来ならもう社会復帰したほうが良さそうな人でも、地域に居場所が作れないため、だらだらと居続ける。途中で、病院というこの場所が患者を患者らしくするというようなセリフがありましたが、長く病院に滞在して、仕事もできなくなると、無気力になって、ますます地域に戻れなくなるという悪循環が日本にはあります。さらに最近では、誰にでもなる可能性がある認知症や薬物・アルコール中毒患者も多くなっていて、この病院もそうでしたが、ますますごった煮になっています。加えて、精神科の場合は、他の科と違って、看護師の数が少なくて良いというシステムもあるので、場合によっては手が回らなくなり、それが故にスタッフが患者を虐待したり、適正な人数なら防げたかもしれない事件が起こるというケースもあります。
 
僕の生まれたイタリアでは、僕の生まれた78年に法律が通り、公立の精神科病院を新たに開設することはできなくなりました。別にそれですべて解決したわけではもちろんないけれど、向こうの患者たちは病院ではなく、地域で仕事をしながら社会の一員として生きる道が日本と比べてより開かれていることも確かです。僕はこうしたテーマのイタリア映画を自分の会社で配給したり、コメディーから悲劇まで、色々客としてきても観てきたので、日本の精神科病院から講演に呼ばれたり、見学に来てくださいと言われて行ってみたり、そして、今はいないんですが、病院を退院してきた人たちに僕の会社の清掃業務をお願いしていた経緯があるので、この映画の事情について人よりはもしかすると詳しいのかもしれません。だからすんなり観られたんですが、正直に言って、さすがにもうちょっと説明が必要かなとは思いました。それぞれの抱えている事情と病院の事情について、なんなら時代背景すらよくわからないので、この種のテーマに不慣れな人が見ると、誤解を生みかねないなとも思いました。悪役となった人物なんかはとにかく悪いとしかわかりませんよね。そうすると、深みが出ない。一方で、由紀の家族の事情は一番よく描かれていて、一般の社会で暮らしている、「普通」とか「正常」とされている人だって恐ろしい闇を抱えているってことがわかると思います。参考までに、精神障害者の犯罪率は、実は一般の人よりも低いんです。

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(C)2019「閉鎖病棟」製作委員会

鶴瓶さん演じる元死刑囚の秀丸も、そもそもの事件についてはまぁわかりましたけど、その後、彼が何をどう思って暮らしているのかってことが、伝わりきっていないのかなと思いました。普段、僕は映像できっちり語ろうとする映画が好きだ、そうあるべきだって言っていて、平山監督ははっきりその方向です。役者を信頼して、皆さんベスト級の縁起を披露されています。それだけに、脚本が及んでいない部分もあるというのが、僕の見立てです。

精神 [DVD] 人生、ここにあり!(字幕版) 

とはいえ、過度のストレス社会でうつ病も多く、自殺率G7最下位の日本です。精神の問題をきっちり描こうとする作品がこうして製作された、しかも水準が高い作品でるということは大歓迎です。想田和弘監督のドキュメンタリー『精神』シリーズや、イタリアの『人生、ここにあり!』など、この機に関連作もぜひご覧いただきたいです。
 
主題歌はKくんでした。感情にはだいたい名前が付いていますが、心理があまりに複雑だと、どう呼んでいいかわからないということもあるでしょうね。映画の景色ともリンクさせながらのリリックが巧みでした。

さ〜て、次回、2020年6月9日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』でした。苦節30年。呪われた作品とまで言われて、映画史にその名を刻まれてきた映画が、ついにお目見え。しかも、そこに、アダム・ドライバー史上僕に一番似ていると噂のアダム・ドライバーが出演しているってんですから、これは観ないわけにはいきません。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『蜜蜂と遠雷』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月26日放送分
映画『蜜蜂と遠雷』短評のDJ'sカット版です。

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新人ピアニストにとって、世界で活躍できるか、その登竜門となっている芳ケ江国際ピアノコンクール。その予選会に集った4人を追った、音楽群像劇です。同じくピアニストだった母親の死をきっかけにピアノが弾けなくなった天才少女、栄伝亜夜は7年ぶりに出場。優勝候補は、かつて栄伝と一緒にピアノを習い、現在は名門ジュリアード音楽院に在学しているマサル・レビ=アナトール。楽器店で働きながら、生活者の奏でる音楽を構築したいと意気込む年齢制限ぎりぎりの高島明石。そして、最近亡くなった著名なピアニストの推薦状を持って風のように現れた謎の少年、風間塵。映画は予選から本戦までを描きます。

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

原作は、直木賞本屋大賞をダブル受賞して話題を作った恩田陸の同名小説。監督・脚本、そして編集まで手掛けるのは、ポーランドで映画作りを学んだ俊英、『愚行録』の石川慶。キャストは、栄伝亜夜を松岡茉優マサル森崎ウィン、高島を松坂桃李が演じます。他に、斉藤由貴平田満鹿賀丈史臼田あさ美ブルゾンちえみ片桐はいりなどが出演しています。
 
去年の10月4日、公開されましたが、当時はおみくじが当たらず、今回配信でリベンジ。僕はポイントをこれでU-nextの持てるポイントを使い切ってレンタルして、先週金曜日に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

 

世の中には、「映像化不可能と言われた」とか「奇跡の映像化」とかいった常套句がありますが、この映画の場合は、それに加えて、「渾身の音楽的再現」なんて言葉も欲しいところです。残念ながら仕事に追われて、原作をこの機会に読むことはかないませんでしたが、ハードカバー、上下段に分かれて508ページもあるわけです。まずそれを2時間の尺にまとめるにあたってのエピソードの取捨選択が必要になる。それだけでも大変なのに加えて、劇中で演奏される曲の再現も必要です。ここ半年の間だと、『マチネの終わりに』という僕も高く評価した作品があって、あれも小説では文字で表現されていたものを映画ではもちろん聴かせないといけない難しさがありましたが、言ってもあちらはクラシックギターのソロで、演奏はひとりだったのに対し、こちらは4人のピアニストそれぞれの特性を素人にも察することができるレベルで再現できる演奏者が必要で、しかもオーケストラとのコラボレーションまである。『春と修羅』という、小説の中にしかなかった架空の作曲家の作品を映画独自に作曲する必要もあった。これは気の遠くなる作業ですよ。撮影に取り掛かる前に準備すべきことがありすぎる。しかも、下手を打つと、原作ファンが黙っちゃいない。リスクが高すぎる。作曲家、本物のピアニストたちのキャスティングも打ち合わせも入念にしなくちゃいけないし、もちろん俳優たちのキャスティングも。しかも、謎の天才少年、風間塵を演じた鈴鹿央士という、言ってもまだ新人にも主役レベルの存在感を与えられるよう演出しないといけない。脚本、監督、編集と、まさに大車輪の活躍を見せた石川慶はとんでもない才能だし、映画的野心家です。

マチネの終わりに (文春文庫)

原作者の恩田陸に言わせれば、この小説は「ほとんどが心理描写」なんです。映画にとって厳しいですよ。ナレーションや独白も入れられるとはいえ、映画は登場人物の心理を表情も含めたアクションに潜ませる表現です。その意味で映画とは相性の悪い原作に思えるものを、石川監督は真正面から音楽で突破しようと企んで、それに成功しています。小説とは違って、本当の演奏を聴かせられるのだから、その音の流れに、指の運びに、そして演奏している(ように見える)役者の動きに、それぞれの感情を反映させています。つまりは、どのキャラクターにも特徴があって、まだ若手なので未熟さもあって、それがコンクールの間で変化していく。その様子を純粋に楽しむことができる映画なんです。そんな体験はなかなかないです。

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(c)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会
もちろん、コンクールなわけですから、誰が優勝するのか、その結果が大きなサスペンスとして観客の興味をテンポ良く強く引っ張っていく。そんな音楽青春映画、だとまとめることもできるんですが、僕に言わせると、それではこの映画を説明したことにならない。群像劇ですから、それぞれの背景や立場、コンクールにかける想いや、それぞれの関係性とその変化が描かれます。普通はですね、ドラマとして盛り上がるように、ライバル心をむき出しにさせてみたり、何か不正を企てさせたり、恋愛要素を入れてみたり、するものですよ。なんなら、音楽はそこでBGMに後退して、その関係性そのものが前景になるものです。がしかし! この作品は違う。あくまで音楽なんです。潔く、音楽です。それぞれに悩み、もがく4人が、互いに響き合って、誰かを蹴落とすんではなく、それぞれの理想の音楽を奏でる。ただ、それだけです。それがかくも面白いのが画期的なんです。遠くで鳴る雷を察知する才能に恵まれた4人は、その能力を努力で研ぎ澄ませ、世界をすぐれた音楽で満たす。この世界に向き合う。恩田陸は、小説のエントリーでこう書いています。「明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符」だと。若きピアニストたちが、ひとりひとり世界を祝福する様子は、観ているだけで幸せな気分になるんです。
 
蜜蜂、そして遠雷という比喩、メタファーも、妙に説明的にならず、映画独自だと思いますが、馬の映像も手際良く挟みます。挟むと言えば、フラッシュバックで過去の場面もいくつか入りますが、それも必要最小限で品があります。こちらの解釈の余地を残しています。そして、何度か、あっと驚く映画ならではの仕掛けも用意されていて、たとえば、演奏中のグランドピアノの天板に過去の映像が映り込むとか、ハッとさせられました。といったように、これは小説とは適度な距離を取った、言わばシネマティック・ディスタンスをキープした健全な映画化です。はっきり言って、この映画を観ても、小説を読む喜びは減じないでしょう。

砂の器 デジタルリマスター版

特に、ラストの鮮やかさにはしびれました。朝日新聞編集委員の市川速水さんが論座というサイトで言及していて、僕も同じように思い出した映画は、野村芳太郎監督、松本清張原作、74年の『砂の器』です。同じように、オーケストラで大団円を迎えます。あの日本映画史に残る作品を思い出させる。内容はまるで違う、下手すりゃ、正反対なんですが、オーケストラシーンの余韻と解放は、勝るとも劣らないのではないでしょうか。惜しむらくは、家ではなく、蜜蜂の羽音すら聞き取れるような、映画館で観たかったことでしょうか。
サウンドトラックからお送りしたのは、松岡茉優が演じた栄伝亜夜の演奏を再現した河村尚子さんのピアノで、ドビュッシー『月の光』でした。


さ〜て、次回、2020年6月2日(火)も、まだ引き続き「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『閉鎖病棟-それぞれの朝-』でした。精神科病棟を題材にした作品。実はイタリアは公立の精神科病院をとうの昔に廃絶した国でして、僕はこのテーマ、かなり関心があり、同様のテーマのものをそこそこ観ています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『アナと雪の女王2』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月19日放送分
映画『アナと雪の女王2』短評のDJ'sカット版です。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.
雪と氷に覆われたアレンデール王国に太陽が戻った前作の終わりから3年。氷や雪を操る魔法の力を持つ女王のエルサ。そして、持ち前の明るさで周囲から慕われる妹のアナ。ふたりとも、平和な日々を過ごしていました。そこへある日、エルサには、北の方から、自分を呼ぶような、不思議な歌声が聞こえるようになります。なぜ呼ばれているのか。エルサは妹のアナ、そのフィアンセのクリストフ、トナカイのスヴェン、そして雪だるまのオラフと一緒に、アレンデールから出た旅は、エルサの魔法の力の秘密を解明し、アレンデールの過去が明るみに出る冒険でもあったのです。

アナと雪の女王 (字幕版) アナと雪の女王2 (字幕版)【レンタルできるのはデジタルだけ!レンタル開始4/22】

 脚本と共同監督には、ジェニファー・リー。もうひとりの監督は、クリス・バック。どちらも前作から続投となっています。男女、ベテランと、2010年代に活躍を始めたコンビですね。声の出演は、エルサをイディナ・メンゼル、アナをクリステン・ベル、日本ではそれぞれ松たか子と神田沙也加など、続投しつつ、オラフはピエール瀧から武内駿輔に変更されています。

 
前作で『Let It Go』を手掛けてアカデミー歌曲賞を獲得したロペス夫妻が、今回は『Into The Unknown』を書き下ろして、またしても歌曲賞にノミネートとなりました。
 
ブルーレイとDVDがちょうど先週リリースされたところですが、僕はポイントを使ってU-nextでレンタルして、吹替版を鑑賞しましたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

言わずとしれた大ヒット作にして、評論家受けもかなり良かった前作。魔法に象徴される特殊能力があるがゆえに共同体に馴染めず、私はこれでいいのかと悩んでいた姉のエルサがLet It Goとありのままの自分を肯定して、すったもんだの果てに王位に収まりました。自分とは違うかもしれないけれど、というか、そんなことお構いなしに姉を無邪気に愛し、恋人クリストフとの仲もそれなりに順調なのかというのが、妹のアナ。アナはアナで、ディズニーのクラシックなプリンセス像を踏襲するかに見えて乗り越えていくという役柄で現代的でした。これでもういいじゃないかと。確かに表面的にはそうだったんですが、いくつかのテーマは今考えると宙に浮いていたとも言える。そうはっきり伝えてくれる続編となっていまして、その意味で、商業的な要請で付け足したような続編よりも、よっぽど気が利いている、というよりもむしろ、必要なお話だと言えます。
 
そのいくつかのテーマに触れていきましょう。まずは、エルサが感じていただろう、女王としての玉座の微妙な座り心地の悪さです。これはディズニーのおとぎ話なので、魔法が使える人が出てくることそのものはみんなそこまで違和感なく受け入れたわけですが、妹にも、前の国王である父にもそんな能力はなかったわけで、なぜ自分だけがこうなのか。そのアイデンティティは判然としなかったし、前作での氷の城に閉じこもる時の吹っ切れた姿も僕らは観ていただけに、最終的にあっさりシステムに取り込まれてしまったという印象もありました。そこに、どこかから自分を呼ぶ声が聞こえる。そうしてルーツを確かめに行く、Into The Unknown、未知の本来の自分の使命を突き止めに行くことになるわけです。さらに、彼女は王家の娘ですから、それがアレンデールという国そのものの立ち位置にも影響してくる。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.

ここで浮上するのが、もうひとつのテーマである国家のあり方です。今のアレンデールは、かつて敵対もしていたノーサルドラという民族との和睦があって成り立っているのだということが、前半で明らかになります。ノーサルドラは、近代国家というよりも、自然ともっと密接な関係を持った、アニミズム的な先住民と理解して良いんだろうと思います。モデルとなったのが、実際の北欧の先住民、サーミ人。リスナーのeigadaysさんが昨日リンクをツイートしてくれていましたが、日本ではアップリンクが『サーミの血』というドキュメンタリーを配給していて、配信でも観られるそうです。ともかく、先住民と近代国家の衝突、紛争、軋轢、融和というのは、世界中で行われてきたことで、なんとアレンデールにも負の歴史のあったことが判明するわけですね。

サーミの血(字幕版)

なんて具合に、個人と国家のアイデンティティとルーツという、かなり壮大なテーマになってきたのがアナ雪2。結末には触れませんが、僕には大いに納得できる、きっちりどちらにも落とし前をつけてみせた、すごい話だなとは思います。僕もアイデンティティが決してスタンダードでないだけに、なんか胸のつかえが下りた感じのする幕切れ、だとは思います。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.

って、含みがあるでしょ? ただ、正直なところ、前作以上にスピリチュアルで観念的な話になっているせいで、オラフやクリストフが狂言回しとしてどんどん笑いは取ってきますが、すんなりとは飲み込みづらいところも多いです。特に、話が大きく動くところが、とにかく精霊だ水の記憶だってことばかりなんで、魔法にかけられたというよりも、なんか僕には肩透かしで、舞台となる、アレンデール、魔法の森、アートハランなどの位置関係など、空間の描き方がぼんやりしていて、かなり掴みづらかったので、2回観ました。圧倒的に2回目の方がわかり良かったのは、僕の方がぼんやりしていたから、だけかなぁ。
 
ともあれ、内容も表現そのものもかなり攻めていながら、これだけの成功を収めるというディズニー10年代の金字塔なのは間違いありませんので、ソフト化もされたこの機会に、未見の方はぜひご覧ください。
奇しくもこのコロナ禍を踏まえると、「未来が見えなくなった時には、今できること、それも正しいことをする」というトロールのパビーのセリフには納得させられるものがありました。最後になりますが、橋を架けるという、このご時世ますます大切になっている価値観を、見事に体現してみせたエルサとアナのふたりに乾杯ですよ。そう、橋を架けるにはふたつの場所が必要なんだもんなぁと、感じ入ったしだいです。

さ〜て、次回、2020年5月26日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、これもついにという感じの『蜜蜂と遠雷』でした。音楽映画としての評価がかなり高いですよね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『シャザム!』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月12日放送分
映画『シャザム!』短評のDJ'sカット版です。
幼い頃に迷子になり、孤児となってしまったビリー。里親と信頼関係を構築できず、あちこちを転々としながら14歳を迎えています。彼が今回新たに一員となったバスケス夫妻の家族には、他に何人もの孤児たちが集うグループホームでした。彼はある日出会った謎の魔術師に力を授けられ、内面はそのまま、外見は大人のスーパーヒーロー、シャザムに変身できるようになります。次第に仲良くなりつつあったグループホームの義兄弟フレディと一緒に、その力を試していたところ、ビリーの力を我が物にしようとする科学者シヴァナが現れ、フレディは連れ去られてしまいます。

アナベル 死霊博物館(字幕版)

DCコミックス原作のアメコミを映画化したものが世界観を共有するDCエクステンデッド・ユニバースの7作目として、去年4月に公開された今作。シャザムを演じたのは、MCUの「マイティ・ソー」に出演していたザッカリー・リーヴァイ。シヴァナは、キングスマンシリーズのマーク・ストロングが担当しています。監督は、スウェーデン出身のデヴィッド・F・サンドバーグ。『アナベル 死霊人形の誕生』など、ホラーで成り上がってきた人で、81年生まれ、長編3本目にしての超大作抜擢です。
 
僕は先週土曜日にNetflixで鑑賞しました。福田雄一演出の吹替版が物議を醸したんですが、今回はややこしいので、そこには触れず、字幕のみ鑑賞という前提で短評します。それでは、今週の映画短評いってみよう!


 「見た目は大人、中身は子ども」っていうコピーはなるほどその通りだしやっぱり面白いと思いつつ、妙な既視感が付きまとったんですが、昨日読売テレビに行って理由がわかりました。名探偵コナンなんですよ。結論、『シャザム!』はコナンである。っていくらなんでも雑な話ですが(そもそも逆だしね、逆。)、共通している要素もあります。特殊能力の設定もそうですけど、特に仲間で一緒になって敵に向かっていくってのは、似通っているんじゃないでしょうか。

 
ただし、本作のひねりが効いているのは、ビリーとその仲間たちが、孤児たちの共同体で、血こそつながっていないものの、立派な家族であるということ。帰属意識がなく、やさぐれていた孤独な少年ビリーがいかにしその内面の大人の階段をのぼるのか、そのジュブナイルものという見方もできます。そこで物語上大切になるのが、シヴァナというヴィランの存在と、初めて構築することになるファミリーの絆。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

まずはシヴァナですが、あの人はこれまたかなり気の毒でしたよ、僕に言わせれば。映画の冒頭で示される1974年クリスマスのできごと。シヴァナもまた、ビリー同様、幼い頃に魔術師のもとへ召喚されていたんですよね。ビリー同様、彼もまた孤独を感じていたわけです。シヴァナには家族がいたんだけれど、車に同乗していた父と兄からはできそこない呼ばわりされていて、バカにされ、要は血はつながっているのに心のつながりが薄い状態です。さらに気の毒なのは、彼を呼び出した魔術師から、簡単に言えば「君じゃなかった」みたいなことになるわけですよ。そ、そんなぁ! で、まぁ、表面的にはシヴァナのせいとも言える車の事故が起こる。そりゃトラウマにもなるっていうか、あんな妙なヒゲの魔術師に否定されたら、人間ダメになりますって。で、実際に魔術師の力を受け継ぐ存在への嫉妬を燃え上がらせて、邪悪な存在へと堕ちてしまいます。
 
一方のビリーは、あっさり力を受け継ぐんですが、中身は思春期そのものなんで、力を得るなり思いつく限りのバカをためつすがめつ実行に移して、僕らを笑いの渦に巻き込みます。その小ネタはもう見てのお楽しみですよ。街ですれ違う人のスマホを頼まれもしないのに充電してあげたり、ストリップに行ってみたり。どれも必要以上に引っ張らずにサクサクとリズム良く、そして音楽もあちこちで効果音的にスパッと使っているのが今っぽいし、ニクいなぁと感じるところでしょう。で、このビリーの顛末って、シヴァナがかつて望んだものでもあるわけですよね。構図がシヴァナと逆。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

ビリーはかつてはぐれた母を探しに探して疑似家族に巡り会います。血の通った母へと誘ってくれるのも義兄弟たち。知恵を授けてくれました。で、気づけば、彼ら彼女ら人種も年齢も趣味もバラバラな義兄弟とこそ、本当の絆を育んでいく。これ、ことごとくシヴァナに縁のなかったものですよね。シヴァナの周りには7つの大罪の魔物たち。ビリーの周りには愛おしい仲間・家族たち。そしてこの両者の全面対決へというくだりで、SHAZAMという言葉の意味も明らかになってきます。要は、彼ら義兄弟それぞれに与えられた力の名前の頭文字を合わせると、シャザムになる。ってのは、はっきり言って描写がおざなりっちゃおざなりです。なおかつ、シヴァナとビリー、力が与えられるかどうかの資格のようなものの違いについてもぼんやりしているため、僕のようにシヴァナがだんだん不憫に思えてくる人がいてもしょうがないのでは?と思ってしまいました。ただ、続編もありそうだし、不憫なヴィラン、理のあるヴィランは物語を豊かにしますから、不憫でもいいっちゃいいんですけどね。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

それにしても、あの魔物たちのグロテスクな登場の仕方や音の使い方なんかには、ホラー出身のサンドバーグ監督らしいアイデアが光っていたし、全体として、メッセージも含めて、僕は満足しました。何より、とにかくユニバースが複雑っていうマーベルに対して、それぞれのつながりよりも単体として楽しめることを優先したDC、この方向性は間違っていないと素直に感じられる1本でした。
大人になんかなりたくないよってことでしょうかね。主題歌をお送りしました。とにかく今作には、かなりのロック、ポップスが使われていて、サンプリング感覚で効果音よろしく一瞬だけ鳴ったりします。それをひとつひとつ確かめるのも楽しいですよ。フィラデルフィアが舞台だからと、あの階段を使っての『ロッキー』パロディーもあったし、小ネタはもう枚挙にいとまがありません。


 さ〜て、次回、2020年5月19日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕がついに引き当てたのは、『アナと雪の女王2』でした。公開当時も、配信開始してからも、何度となく候補に上がり続けいたものの当たっていなかったアナ雪。いよいよ僕もイントゥ・ジ・アンノウンですよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『エクストリーム・ジョブ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月5日放送分
映画『エクストリーム・ジョブ』短評のDJ'sカット版です。

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日夜身体を張って走り回っているわりには、どうにも成果が出せず、解散の危機に瀕しているのが、コ班長率いる警察の麻薬捜査班。国際犯罪組織による国内麻薬密輸入情報を掴んだ班長は、起死回生だとばかりに、チャン刑事、マ刑事、ヨンホ、ジェフンという個性豊かなメンバー4人と潜伏捜査を開始。24時間の監視徹底をするため、犯罪組織のアジト前にあり、組織の連中もよく注文していたフライドチキン店を買い取った麻薬捜査班だったが、調理にあたったマ刑事の思わぬ腕前で、捜査もままならないほど店が繁盛してしまう。肝心の捜査の行方は? 韓国のアクション・コメディです。

サニー 永遠の仲間たち(字幕版)

日本でリメイクされた『サニー 永遠の仲間たち』の脚色を担当したイ・ビョンホン監督がメガホンを取った今作。キャストには、韓国を代表する俳優たちが揃いました。『7番房の奇跡』など大ヒット作に数々出演してきたリュ・スンリョン、ノーメイクでスクリーンに登場したスターのイ・ハニに加え、犯罪組織のボスを演じたシン・ハギュンなどが拝めます。
 
韓国では2019年1月に公開され、観客動員数はなんと1500万人。興行収入は『アバター』を抜いて歴代1位を記録しました。北米でもヒットしまして、ハリウッド・リメイクも決まる中、日本では今年1月3日に公開されました。
 
まだ公開から間がない中で、現在期間限定先行配信中。各プラットフォームで1200円という均一価格で配信される中、僕は先週土曜日、U-nextで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評いってみよう!
作品ホームページには、「揚げる大捜査線」なんて、どっかで聞いたパロディーのキャッチコピーが踊っていますが、なんならそのパロディー元の本家以上に血湧き肉躍る、笑いまくりの、観客が「アガる大捜査線」でもあります。潜入捜査もの、そしてスラップスティックなコメディー、両方のジャンルを多少強引にでもオイルポットに放り込み、チキンと、違う、きちんと独自の味付けを施していて、もう唸ってしまいました。
 
監督のイ・ビョンホンはさすがは『サニー』を脚色しただけあって、人数の多いキャラクターの色分けがお上手。麻薬捜査班だけでも5人いて、あのチキン屋の親父、犯罪組織のボス、子分たち、チキン屋の近所のおばさん、さらには班長の家族と、誰一人混同したり忘れられないように気を配って演出してあります。その意味で、今回当たったのが韓国映画で見慣れていないとか、俳優を誰も知らないし、どうかなぁなんて人は、もったいなさすぎます。ポチッとなと再生すれば、もう2時間ノンストップで楽しみ放題なんですから。

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だいたい、本分を忘れて何かに夢中になるって面白いじゃないですか。僕もよくあったなぁ。学生の頃はバイトに精を出しすぎて勉強しなくなったもんだとか、最近多いメッセージだと、自粛生活で自宅を断舎離し始めたのはいいけれど、出てきた漫画を読みふけってしまい、気がついたら始める前より部屋が散らかってるみたいな。この映画の主人公達の場合は、そもそもうだつのあがらないチームなんですよ。手柄が一向にあがらない。そのダメっぷりと、ケセラセラでは済まないレベルのやらかしを、冒頭のつかみでテキパキまとめてられています。その前提があるので、彼らがデカいヤマを当てたいばかりに、ギャングたちのアジト近くのチキン屋を買い取ってしまうというバカげた行動も、何となく飲み込めてしまうんですね。そんでもって、まさかの店の大繁盛っぷりと、捜査の進まなさっぷりがもう逐一面白い。しかも、身分を隠すために家族経営だなんて嘘をついたもんだから、その後に繰り出さざるをえなくなる嘘の上塗りも笑えちゃって、もう観客は忙しいこと。そんなこんなであっという間に一時間。ポイントは、映画自体も、物語を進めるという本分を忘れていること。そこ一致させるんだっていうアイデアがすごい。そして、そっからの後半の巻き返したるや! ほら、気がついたら脇道にそれてしまっていた時って、みんな慌てて取り戻そうとするでしょ? あの感じが後半です。

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彼らはミッションを達成できるのか。まさかのチキン屋全国拡大に恋の鞘当てにお決まりの港での逃げる逃走、戦う闘争まで盛り込みます。こうした脚本の妙に加え、イ・ビョンホン監督は要所要所でCMっぽいシズル感のあるキメの構図や、インチキ・マカロニ・ウェスタン、あるいはジョン・ウー的なスローを挟むんだけど、すっかり見慣れた麻薬班の面々を改めてクライマックスでひとりひとり紹介する時を思い出していただきたい。最後の最後で明らかになる、彼らのさらなるぶっ飛び能力の数々と、それまでの不甲斐なさがあったから生まれるギャップの笑い。かっこいい絵なのに爆笑してしまう。そして、最後の一騎打ちは、『紅の豚』のラストばりの、情けなさ(笑)

 
こういう話って、普通は職業の矜持を見せつけて、やっぱり彼らはこうでなくっちゃって思わせてまとめるんですけど、この映画のすごいところは、行き詰まったら別の仕事もあるって提示しちゃうところでした。しかも、それを庶民の貴重なタンパク源鶏肉でやってのけるという。そして、余韻はカラッと爽やか。イ・ビョンホン監督、そして演技の超達者な皆さんの仕事こそがエクストリーム・ジョブでした!!!
 
曲は、トーキング・ヘッズのヒット『Psycho Killer』を下敷きにしたパロディーとして、こちらをオンエアしました(笑) パロディーにはパロディー、笑いには笑い、鶏には鶏での対応でございました。それにしても、なんちゅう曲や! となっていただけたとしたら、結構結構、コケコッコー!

さ〜て、次回、2020年5月12日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『シャザム!』でした。また笑える感じになるのかしら。見た目は大人、中身は子どもの異色のヒーローもの。配信で楽しんでみます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『新聞記者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月28日放送分
映画『新聞記者』短評のDJ'sカット版です。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
東都新聞の記者、吉岡エリカは、日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、アメリカで育ちました。彼女はある理由から、言葉の壁をよじ登るようにして、強い意志と情熱を持って勤務しています。そこへ届いたのは、医療系大学の新設に関する極秘情報が記された匿名のFAX。彼女は真相を探るため、調査を開始します。一方、内閣情報調査室の官僚、杉原は、現政権に関する不都合なニュースをあの手この手で統制する職務に就いてるのですが、その内容に違和感を覚えて葛藤するものの、妻との間にそのうち生まれる子どものこともあり、その違和感を押し殺すように仕事をしています。外務省からの出向である彼は、ある日、元上司の神崎と再会するのですが、その神埼に事件が起こります。なぜこんな事に… 政権側で悩む杉原と、その闇に光を当てようとする吉岡記者の人生が、交錯していきます。
 
東京新聞記者の望月衣塑子(いそこ)が2017年に角川新書から出したノンフィクション、エッセーを原案にしたオリジナルストーリーで、監督と共同脚本を手掛けたのは、86年生まれと若い藤井道人(みちひと)。日大映画学科出身の方ですね。

新聞記者 (角川新書)

吉岡エリカをシム・ウンギョン、杉原を松坂桃李が演じたほか、本田翼、西田尚美高橋和也田中哲司なども重要な役どころで登場します。さらに、劇中、テレビで放送されている座談会には、原作の望月衣塑子や、元官僚の前川喜平も出演しています。
 
公開は2019年の6月28日。日本アカデミー賞では、最優秀作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚本賞編集賞と、もう独壇場という評価を獲得しましたね。課題作になっていなかったこともあって、恥ずかしながら完全にスルーしていたこの作品。僕は先週金曜の夜、U-Nextのオンラインレンタルで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

事実として、日本アカデミー賞を事実上独占したわけですから、どうしたって、それほどの作品なのかって思って目を凝らして観てしまいました。なるほどこれはすごいと思ったところと、なぜこんなことになったのかと首をかしげる決定的なところもあった。ざっと言えば、そんなところです。
 
まず、やはりテーマの踏み込みには驚かされますよ。この物語をたどれば、加計学園問題のことや伊藤詩織さんレイプ事件のこと、そして前川喜平氏の出会い系バーへの出入りというスキャンダル、さらには森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざんに関与して自殺した近畿財務局職員赤木俊夫氏のことを思い出さない観客はいるのだろうかってくらいに、今現在も未解決のままになっている事件を明らかに思わせる出来事が次々出てきます。それをエンターテイメントとして見せるのは勇気のいることです。まずこの映画を成立させ、しっかりヒットさせたことをもってだけでも、プロデューサーの高石明彦さんはすごいと思います。ただでさえ社会派と言われる映画が集客の観点から作られることが少なくなる中でのことですから。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
これはバランス感覚として優れていたと思うのは、権力の中枢、ここで言えば、総理大臣や閣僚といった政府の人間は描かなかったこと。そもそもキャスティングすらできないだろうとは思いますが、描かない怖さ、ブラックホールのような怖さを醸せますから。そして、真実を暴く記者と権力の犬としての官僚というような、単純な善悪の色分け、二項対立にしなかったのも良いです。吉岡とその同僚や上司とのやり取りってのは、かなり現場の雰囲気に近いんじゃないでしょうかね。手柄の取り方も含めて。そして、新聞記者のそりゃダメだろうって側面も描けていました。一方、内閣情報調査室の雰囲気は、取材不足が目立ちます。というか、取材には限界があるでしょう。本当にTwitterや政府寄りのメディアへのリークを内調そのものが実施しているのかどうか、それは僕にもよくわかりません。ある程度はやっているにしても、形式上は民間に委託をしてそこを隠れ蓑にするんじゃなかろうかって考えちゃいますけど、とにかくわからんのならと、そのわからないベールに包まれた不気味な印象を映像でそのまま可視化する様子に、その手があったかと感心しました。他にも、時折入れる高い位置からの見下ろし、俯瞰ショットも恐ろしくて効果的だったと思います。
 
一方、演出と話運びのバランスで、2点、言いたいことがあります。ひとつは、映画の中で問題となっている医学部新設の裏の目的です。フィクションなのだから、あれくらい風呂敷を広げるのはありだという見方もできるかもしれませんが、僕には突拍子もないものに見えてしまって、急に作り事が出てきたって思えてしまいます。設定そのものというより、設定を観客に分からせるまでのプロセスが描けていないので、荒唐無稽に思えるんです。もうひとつは、現実の望月記者や前川氏が出演している劇中テレビ番組が、やはり浮いています。1度ならまだしも、複数回出てくると、むしろノイズです。映画の中の世界の現実が、現実の世界を如実に示す。それでいいのに、妙に現実を挿入するから、チグハグなことになります。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
ただ、そうした欠点を踏まえても、僕は意義のある1本だったと思います。キャストのがんばりも総じて良かったですよ。松坂桃李は煩悶させると絶品だし、シム・ウンギョンは吉岡記者の設定で解せない部分もあれど、やはり表情などはすばらしく上手い。そして、内調のボスである田中哲司の鉄面皮具合がたまりませんでした。その対比としての出産を控えた本田翼の不安の希望の入り混じったイノセントな表情。やがては西田尚美演じる神埼の妻のように疲れ果てるなんてことにならないで〜って観ていました。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
最後に付け加えたいのは、田中哲司松坂桃李に言った「君にも子どもが生まれるんだろう」というセリフの怖さです。いくつか家族が出てきますが、その家族のために仕事をするあまり、家族を破壊することになるという構図で思い出したのは、最近でいうとスコセッシ監督のNetflix映画『アイリッシュマン』。要はマフィア映画です。権力とその忖度がいかに個人も社会も貶めることになるのか。それ自体は紛れもない事実でしょう。
OAUの歌うこの主題歌は、歌詞の内容が物語の余韻と溶け合って、素晴らしかったと思います。あれからそれぞれのキャラクター、特に杉原はどういう選択をするのか、想像しながら聴いていました。


さ〜て、次回、2020年5月5日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エクストリーム・ジョブ』でした。1月に公開されて、現在は期間限定先行配信中のこの作品。配信料金が1200円と少々お高いんですが、高い評判を聞くにつけ、その価値はあるでしょ。昼はフライドチキン店で、夜は麻薬潜入捜査官とか、面白いに違いない。そして、おいしいに違いない。そりゃ映画館で観るのがベストですが、家ではフライドチキンを食べながら観られるってのも、この際の利点としましょう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!