京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ハニー・ボーイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月25日放送分
映画『ハニー・ボーイ』短評のDJ'sカット版です。

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子役として映画業界で働く12歳のオーティス。両親は別居していて、ステージパパであるジェームズと一緒に狭いモーテルで暮らしていました。ただ、前科者で無職のジェームズは、感情のコントロールがうまくできず、オーティスは振り回されることもしばしば。たまに電話をする母親、親身になってくれる保護観察員、安らぎをくれる隣人の少女、そして共演する俳優たちと交流するうちに、成長していくオーティスでしたが、10年後、ハリウッドのトップスターとなった彼は、アルコール中毒で騒動を起こし、更生施設に入ってしまいます。

トランスフォーマー(吹替版) ワンダー 君は太陽(字幕版)

監督と製作を兼任したのは、イスラエルアメリカ人女性のアルマ・ハレル。若手映画監督として、注目を集めている人物です。彼女に脚本を託したのが、父ジェームズ役のシャイア・ラブーフ。『トランスフォーマー』で主役に抜擢された、あの彼、シャイアの自伝的物語だと言われています。子ども時代のオーティスを、天才子役と言われるノア・ジュプ(『ワンダー 君は太陽』)が演じ、青年オーティスには、先日短評した『WAVES/ウェイブス』でも好演していたルーカス・ヘッジズが扮しました。他に、オーティスを癒やす隣人女性として、シンガーソングライターのFKA Twigsが出演していることも見逃せません。
 
僕は先週木曜日の夜、烏丸御池にあるアップリンク京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

映画を観始めて、タイトルが出るまで、僕、劇場で入るスクリーンを間違えたんじゃないかと思いましたね。ノア・ジュプが画面に登場するかと思いきや、ルーカス・ヘッジズがほとんどカメラ目線で登場して、いきなり奥に爆発でふっ飛ばされるんですもん。後ろには、前半分が吹き飛んでいる旅客機。映画の撮影現場だってことは、カチンコが見せられるんでわかるんだけど、驚きの始まりです。ていうか、ノア・ジュプはどこいったって聞きたくなるくらいに、しばらくヘッジズなんですよ。短い編集で、彼がハリウッドで忙しくしてる俳優だってこと、プレッシャーと忙しさに押しつぶされてアルコール依存症になっていることが示されて、逮捕。更生施設へ。PTSD、過去のトラウマがストレスになっているのではないかと疑われた彼は、自分の父親との関係を精神科医に語り始めるわけです。すると、ノア・ジュプ登場。冒頭と同じ構図で、カメラ目線で、今度は飛んできたパイが顔面に直撃するという。同じくカチンコが見せられて、やはり撮影現場だと。ここで、2005年から一気に10年前の1995年へ。オーティスは、22歳から12歳へ。そして、この作品の枠組が分かってきます。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
僕はもっとシンプルな話だと思っていたんですよ。困ったお父さんと息子の、なかなか大変だけど、それなりに心温まる交流みたいな。どっこい、もっと複雑でした。主役は、12歳のオーティス、ノア・ジュプとも言えるし、その当時を振り返る22歳のオーティス、ルーカス・ヘッジズとも言えるけれど、どちらかと言えば、その困ったお父さんを演じた、シャイア・ラブーフなんですよ。だって、シャイアは実際にアルコール中毒になって、更生施設で父親との関係を語って文字にしてアウトプットしてトラウマを乗り越えてきた張本人ですからね。つまり、シャイアこそオーティスなんですよ、本当はね。彼は今リアルに30代半ばです。10代、20代、30代のあり様を僕らは観ることになるわけです。現実と映画が交差するとかいったレベルではなく、もう渾然一体となっている感じですよ。このメタ具合がまずもってすごすぎます。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
ヘッジズ演じる20代のオーティスが、過去を思い出したり、その過去が夢の中に出てきたり。って、話していてもややこしいんですが、観ていると不思議とスッと理解できます。それというのも、まず舞台がほとんど固定されているんですね。更生施設と、親子が住んでいたモーテル、この現在と過去の行き来がベースです。ここをわかりやすく単純化していることで、いろいろ変化をつけられるし、大胆な演出にも踏み込めるってことだと思います。ハレル監督は、これまた女性の撮影監督と一緒に、色使いで心理描写を補強しています。暖色と寒色の使い分け、自然光と照明の使い分けがショットごとにうまくなされていました。

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(C)2019 HONEY BOY, LLC. All Rights Reserved. 
話してきたように、変わった成り立ちの映画なので、トラウマを乗り越える話とか、親子の軋轢と許しの話とか、あまり単純化して捉えないほうが、僕はこの作品を愛せると思います。FKA Twigs演じる近所の女の子との交流なんかは、初恋って一言にまとめられるわけはなく、家族以外の心の居場所を持つことが精神的にいかに健全かってことを示すエピソードだとも言えるでしょう。一応の結末はありますが、スカッとした話ではないです。ポイントは、20代のオーティスが、父親と一緒に画面に映るところでしょうね。夢かうつつかという美しい場面でした。映画そのものが、過去の記憶を物語にまとめるところからスタートしていて、何でも良いんだけど、表現をするということがいかにその人を救うのか、その人たらしめるのかを示してくれる作品だったと思います。95分と短い映画だけれど、必ずやまた思い出すし、観たくなる1本でした。
この曲が鳴ると、訳詞も字幕に表示されます。「君と競争したり、君を打ち負かしたり、騙したり、ひどく扱ったり、分類したり、単純化したり、否定したいんじゃない。僕は君と友達になりたいだけなんだ」。そんなような内容の歌を最後に聴くにつけ、このIとYOUは、父と子なのだろうか、どっちがどっちなんだろうって、映画館からの帰り道に歩きながら考えることになりました。アルマ・ハレル監督、ほんと今後が楽しみです。


さ〜て、次回、2020年9月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『糸』です。おりしも、中島みゆきさんは明日からフェスティバルホールでのコンサート劇場版の上映イベントがありますね。8月31日(月)まで。合わせて観るのも良さそう。あの名曲がどう膨らむのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ジョーンの秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月18日放送分
映画『ジョーンの秘密』短評のDJ'sカット版です。

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2000年、イギリスのMI5から突如拘束されたのは、郊外の住宅地で穏やかなひとり暮らしを送っていた80代の女性、ジョーン・スタンリー。容疑は、かつてイギリスの核開発情報をソ連に渡していたというスパイ容疑。彼女は無罪を主張するものの、少し前に亡くなった元外務事務次官ミッチェル卿の遺した資料を分析したMI5側は、かなりの自信をもって尋問を進めていきます。
 
原作は、ソ連KGBの元スパイとして実際に逮捕されたメリタ・ノーウッドをモデルとしたフィクション『Red Joan』です。邦訳は出ていません。向こうでベストセラーになったこの小説を、舞台を中心に活躍してきた演出家トレヴァー・ナンが監督となって映像化しました。逮捕された80代のジョーンを演じたのは、監督を信頼してやまないジュディ・デンチ。若き日のジョーンは、『キングスマン:ゴールデン・サークル』に出ていたソフィー・クックソンが好演しています。

キングスマン: ゴールデン・サークル (字幕版)

僕は先週木曜日の午後、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してまいりましたよ。上映館数がかなり少なめということとお盆休みという要因が重なったんだとは思いますが、現状の上映スタイルではいっぱいいっぱいというくらいに、お客さんは入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

冒頭、家族と慎ましやかに暮らしてきたのだろうジョーンの様子が手際よく示されます。広くはない庭で木々の手入れ。趣味なんでしょうね。同じく小ぶりで掃除の行き届いた家。キャビネットの息子の写真。と、そこへ、不意に何者かの来訪。そこで、凹凸の模様のある窓ガラス越しに映し出される、ジョーンの顔のショット。不穏な表情が、ガラスのせいで輪郭がズレてバラバラになっているんです。これはつまり、おっとりしていそうなこのおばあさんの見かけに騙されてはいけないし、彼女がひた隠しにしてきた秘密がこれから瓦解する可能性を示唆しているわけです。そして、逮捕までほんの数分。それなりにややこしい複雑なできごとを追ったドラマの割に、全体の尺は101分と短めで、その分、描写に無駄がないことを象徴する出だしです。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

トレヴァー・ナン監督。僕は不勉強にもこれが初見でしたが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ナショナル・シアターで活躍し、重厚な歴史ものからオペラやミュージカルといった歌ものまで、舞台の演出をメインにしてきた方です。あのジュディ・デンチが信頼するのもうなずける、手堅い語り口と演技指導だったんじゃないでしょうか。MI5による取り調べと、第二次大戦前後に彼女がどうソ連寄りの物理学者に成長していって、事に及んだのか、それが行ったり来たり。アクションとリアクションという調子で、シンプルに構成されています。過去と現在。動と静。特にジュディ・デンチが演じるパートにはほとんど動きがないんですけど、監督の本業である演劇的な見せ方でもなくって、クロースアップの切り取り、短めのカット割り、そして取調室、病室など、場所もこまめに変えながら、ジョーンの些細な表情の変化が伝わることにこだわった映画っぽい物語運びを実はしています。
 
ナン監督はインタビューで、これは「巨大なテーマを扱った小さな映画」だと言っています。なるほど、確かに、若きジョーンが実行に移したことひとつひとつは小さなことなんですが、それがやがて国家同士の力関係を左右するような大きな出来事に結びつくわけです。当時の国際情勢はちとややこしいですが、ざっくりと、ナチスの台頭と、敵の敵は味方だとばかりに一時手を結んでいた、市民も理解を示していた資本主義国と共産主義国というぐらいの理解で、映画は十分に追えます。現代史に興味のある方は、パンフを参照すると、そのあたり細やかに確認できるのでおすすめです。で、その国家同士の力学が変化していく渦中で、ジョーンの青春も動いていくんだけど、彼女の変化を体現したソフィー・クックソンがすばらしいです。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

大学入学直後の垢抜けていない真面目な理系オタクが、ある夜窓から入り込んできたユダヤ系ロシア人、そしてイケてるソニアと知り合うことで、やがて彼女の周辺人物とつるむことで、どんどん人生を謳歌していく、女性としても開花していく、そして恋愛と思想の間に張られたタイトロープ、その危ない橋を渡る様子が、きっちり描けています。全体として小道具の使い方がうまいんですよ。たとえばミンクのコート。自分では野暮だと思った親戚からの貰い物を、ソニアが「これはクールだ」と褒めると、見方が変化するといったように、ひとつのアイテムを物語内で効果的に何度か配置しながら、ストーリーに映画的な奥行きを与えていました。

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(C)TRADEMARK (RED JOAN) LIMITED 2018

最終的に彼女が守り続けた核兵器に対する信念というか信条のようなものに、僕はさして共感はしませんが、言いたいことは理屈としてはわかる。物理学者としての葛藤があったことも、描けていました。大きな歴史のうねりの中で、流れに棹さして迎合するのではなく、人生を賭して独自に極秘に抵抗して平和を求めた孤独な胸の内を想うと、じわじわ感じるものがありました。確かに、巨大なテーマを扱った小さな映画になっているし、余韻はかなりのロングスパンです。大人がじっくり味わうスパイ映画という、新しいスタイルかもしれませんね。

さ〜て、次回、2020年8月25日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハニー・ボーイ』です。映画館で予告を観ていて、光の具合がとても美しいなと感じていました。ノア・ジュプくんの成長も見届けなきゃ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『透明人間』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月11日放送分
映画『透明人間』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2020 Universal Pictures
天才科学者にして大富豪のエイドリアン。彼のパートナーであるセシリアは、DVを受けたり、生活のあらゆる局面で過度に干渉されたりしていたところを、ある夜、事前に練っていた家からの脱出計画を命からがら実行します。彼女は知人の男性警官とその娘の住む家にかくまわれるのですが、トラウマはまだまだ癒えない状況。そんな中、ものが勝手に動いたりする不可解な出来事が身の回りで起こるようになります。まるで見えない何かがそこにいるかのように。
 
1933年、ジェイムズ・ホエールという監督が初めて映画にした透明人間。映画ならではのトリックで観客の興味を引っ張るキャラクターとして、すっかり定着してきました。繰り返しの銀幕登場で、飽きられていた感もありますが、久々にリブートしてみせたのは、監督・脚本を務めたリー・ワネル。現在43歳。オーストラリアの方で、『ソウ』シリーズの脚本、製作、出演をしている人です。

ソウ (字幕版) 

透明人間は基本透明なので脇へおきまして、主人公セシリアを演じたのは、エリザベス・モス。彼女をかくまう警察官には、オルディス・ホッジが扮しています。
 
僕は先週木曜日の昼過ぎ、Tジョイ京都で鑑賞してまいりましたよ。お客さんは、ホラー映画らしく、カップルや若い人を中心にかなり入ってました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マッド・サイエンティストが、透明になる薬品を使って姿を消して、騒動を起こす。これは映画には格好の題材なわけです。透明になっていくプロセスをどう見せるか。透明化してからは「見えない」ということをどう見せるか。時代によって、その折々の技術をどう駆使するかが、映画人の腕の見せどころというキャラクター、透明人間です。でも、なんか久々に見たって感じがしますよね。マーヴェルみたいなSFXオンパレードの映像に慣れた現代の観客を素朴に驚かせるのは結構難しいですよ。ただ、僕、個人的には今年「透明人間もの」を観るのは2本目でして、イタリアの『インビジブル・スクワッド』っていうのを、サブスクリプション・サービスで春に鑑賞していたんです。これは少年がある日突然透明人間になってしまうというもの。これはこれで、なかなか面白くて、前半は学園もの、後半はマーヴェル的な展開を見せるという、イタリア映画のイメージを覆すヒーローものでした。一方、今作は本格サスペンス・ホラーです。

インビ​ジブル・スクワッド(字幕版) 

まず、舞台がすばらしくて、冒頭から、海辺の切り立った崖の上にある、コンクリート打ちっぱなしの無機質な豪邸がポツンとある。まだ様子はよくわからないけれど、主人公のセシリアは夜中に目を覚まして、親しげに自分を抱きながら眠るパートナーの手をそっと払い除けて、脱走を図るんですが、個人宅ではありえない、寝室の監視カメラを筆頭に、セコムもアルソックもびっくり仰天ってレベルのセキュリティ・システムが敷いてあって、すべては見せずとも、彼女の一挙手一投足がいかに管理されていたのかが伝わってきます。この家はやばい、と。つまり、主はやばい、と。この冒頭の逃走劇で、波が岩に打ち付ける音や飼い犬の食事用の皿の金属音と共に高らかに表明されるのは、この映画、音でもしっかり怖がらせていきますんでっていうことです。

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(C)2020 Universal Pictures

そして、特徴としては、透明人間の見せ方ですね。実は、そんなに変わったことはしてません。勝手にコンロの火が強火になるとか、包丁が動き出すとか、画面上の動きは、比較的小さな出来事から始まって、それがだんだんエスカレートしていくというもの。なんですが、巧みなのは、透明人間の性質、つまり観客の目にも見えないという特性を活かした怖がらせ方です。特に序盤、フリとして、誰もいない場所にカメラをよく向けるんです。結果として、そこでは何も起こらないことも多いんです。でも、劇映画で登場人物が映っていない画面を繰り返し見せるというのは普通はやらないことなので、僕ら観客も、セシリア同様、だんだん疑心暗鬼になるんですよ。ベンジャミン・ウォルフィッシュの手掛ける、重低音ビリビリでチェロとかそういう弦楽器で巧みに怖がらせる音楽もあいまって、もう何もなくても怖くなる。

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(C)2020 Universal Pictures

ただ、この映画の本当に怖いのは、ここから。というのも、誰が透明人間って、最初からわかってます。セシリアのパートナーです。でも、あのマッド・サイエンティストがどうやって透明になるのか。というより、彼は彼女が逃亡後、自殺したという知らせが届くので、これはどうなっているんだと、話の展開もいくつかどんでん返しが待っている。のですが、そこは恐怖よりも謎じゃないですか。怖いのは、中盤以降、実はもっと心理的な要素が僕らをすくみ上がらせるサイコ・スリラーであることが明るみに出ます。人間が人間を完全に所有したり、操ろうとしたりする、底抜けに利己的な欲望。自分の言っていることが誰にも伝わらない、信じてもらえなくて孤立無援となる恐怖。大事な人に危険が及ぶ不安。そして、失うものが無くなったと感じた時の人間の復讐心… こうした要素が重層的に波状攻撃で襲いかかるので、大変です。でも、根底には、女性の自立というテーマがありまして、それに透明人間という手垢のついたとも言えるモチーフを重ねてみせたところが、リー・ワネル監督の功績でしょう。
 
後で冷静に振り返ると、あの透明人間の移動手段とか気になるところもあるにはあるんですが、兎にも角にも、観ている間は手に汗握りっぱなし。自主映画からスタートして、低予算のアイデア勝負で場数を踏んできた監督の手腕が光る一本。エリザベス・モスの怪演も含めて、腹の底から寒くなる体験を映画館でどうぞ。
劇中、珍しく楽しげな場面で流れるのが、シアトルのソウルバンド、The Dip。こういう新しい音を見つけてくるセンスもいいなと感じます。

 さ〜て、次回、2020年8月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ジョーンの秘密』です。予告でもジュディ・デンチの表情に鬼気迫るものがありますね。原爆についての機密をめぐるスパイの話とあって、興味は今からかなり湧いています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『WAVES ウェイブス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月4日放送分
映画『WAVES/ウェイブス』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

フロリダに暮らすアフリカ系4人家族の物語です。高校生の長男タイラーは、成績優秀で、レスリング部ではスター選手として活躍する文武両道、自慢の息子。厳格な父親を疎ましく思いながらも、リスペクトもしていて、かわゆいガールフレンドに癒やされる日々です。しかし、肩に重い怪我を負ったところから、彼の人生には暗雲が垂れ込めるようになります。ある悲劇を境にもろくも壊れゆく家族。その心の再生が、後半は妹のエミリーを中心に描かれます。

 
監督、脚本、共同編集を手掛けるのは、現在まだ31歳という俊英のトレイ・エドワード・シュルツ。タイラーをケルヴィン・ハリソン・Jr、妹のエミリーをテイラー・ラッセルが演じましたが、今後このふたりは要注目ですね。
あと、基礎情報として外せないのは、制作したのがA24というスタジオであることですね。『ムーンライト』『レディ・バード』『へレディタリー/継承』など、低予算ながらも質の高い作品、そして優れた才能の若手を輩出する制作会社として、新作を出すたびに注目を集めている映画制作会社です。
 
僕は先週火曜日の昼、109シネマズ大阪エキスポシティで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

監督のトレイ・エドワード・シュルツは、作品の中に自伝的な要素を色濃く反映させる作風のようで、今回も自分の経験したことに関しては、ちょっとどうかと思うレベルで再現したり、演技指導に織り込んだと聞いています。が、物語としては、そんな突拍子もないことって起こらないんですよ。最悪な事態は到来するし、心温まるシーンの素敵さも忘れがたいんですが、クールに出来事レベルでまとめると、まぁ、ドロドロの昼ドラとか、中学生日記にもありそうなホームドラマです。家族の軋み、恋愛、スポーツ、性、怪我、病気など、その多くは誰もが程度の差こそあれ経験するようなもの。なのに、シュルツ監督の確固たるビジョンで演出すると、なるほどこれは確かに、アッと驚くし、すごく今っぽくて新鮮な作品だと感心させられるんだから、その手際は見事だと言わざるを得ません。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

技術的な特徴として、まずカメラを挙げましょう。かなりよく動きます。特に前半、いきなり車の中で360度水平に回ってみせるのが象徴的でしょう。もちろん登場人物も持っていますが、スマホで動画を撮影したり投稿したりという、あの忙しない感じがスクリーンに展開されていて、それがそのまま兄タイラーのリア充極まりない日常を描くスタイルとしてマッチしているんです。ポスターにもなっている、赤と青を基調とした鮮やかな色使い、そのコントラストもすごい。ちょい久々に会ったガールフレンドと夕焼けの海で抱き合う時の、彼女のマニキュアの蛍光っぽいあのオレンジとか、徹底してんなぁって思いました。で、一転して、後半ではカメラはおとなしくなります。動から静へ、視点も兄から妹へスイッチ。どんよりした彼女の心に、事あるごとに押し寄せる、無力感や後悔、罪悪感。飲まれそうになったり押し流されそうになる、そんな感情の浮沈から、少しずつ立ち直ろうとする様子が、丁寧で静かなカメラワークと音楽、柔らかい色使いで表現されます。で、実は画面の縦横比、アスペクト比も変化します。1.85:1のビスタ、より横に長いシネマスコープ、さらに横に伸びたり、今度はスタンダードになったりと、複数の画面サイズをシーンによって使い分けているんです。グザヴィエ・ドランもそういうことをしますけど、スマホならそんなのちょいのちょいだし、色んな画面サイズを日頃から使ってきた世代の監督ならではだなと思いますね。もちろん、そのサイズが寄せては返すキャラクターの感情をある程度示してもいます。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.
こうしたいくつもの仕掛けを語っても、まだ大事な要素が抜けてます。音楽ですね。シュルツ監督は、31もの既存曲を台本の時点で添えてあって、関係者がオンラインで参照できるようになっていた台本には、シーンごとに該当曲を鳴らせるようにしてあったという念の入れようです。だから、字幕では限度もありますが、歌詞やサウンドがかなりシチュエーションや感情とリンクさせてあるわけです。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

何代も苦労を重ねた末の、アフリカ系ファミリーの経済的に安定した暮らし。成功したからこそ、努力はすれば必ずかなうんだというマッチョな思い込みもあって、宗教的にも敬虔で、善良であるがゆえに、家族4人それぞれが「らしさ」と役割から逃げられなくなっているし、互いに無意識に押し付けあっているんですね。だから、ひとつボタンを掛け違えると、あっという間に瓦解する。あの家は、そんな砂上の楼閣です。波が来れば、砂の城はもろいです。でも、形を変えて、既成の家族像ではないものを、もう一度構築できはしないか。そんな再生の物語を、シュルツ監督は、工夫をこらして映画にまとめました。トピックも、技術も、音楽も、ひとつひとつはありものなんだけれど、監督の手にかかれば、経験したことのない映画的語り口になっています。
 
観ていてモヤッとはするし、130分を長く感じる人もいるだろうけど、それはこの映画が誰かを裁くことではなく、許しにベクトルを向けているからです。許すのには時間が必要。それを音楽などありものを梃子にして描き切りました。好き嫌いは別として、彼のセンスを映画館の良質な視聴空間で浴びるように受け止める作品でした。
たくさん流れる既存曲の中でも、59年のこの曲は大事なところで2度使われます。流れる時の違いにも否応なしに気づかされます。 

さ〜て、次回、2020年8月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当ててしまったのは、『透明人間』です。映画館で観た予告だけでも失禁寸前だった僕は、無事に最後まで目撃できるんでしょうか。こんな納涼、望んでなかった… でも、映画の神様のお告げなので、観念して行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パブリック 図書館の奇跡』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月28日放送分
映画『パブリック 図書館の奇跡』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、オハイオ州の街、シンシナティ。記録的な寒波に見舞われていた冬、中央図書館で司書として働くスチュワートは、常連の利用者であるホームレスから、思いもかけないことを言われます。「今夜、俺たちは帰らずに、この図書館を占拠する」。市のシェルターが収容能力を超えている中、このまま路上へ出れば、凍死してしまうと、70人ほどのホームレスたちが、閉館時間を過ぎても居残りを決め込んでいます。さぁ、スチュワートはどうする。図書館長、他の司書、検察、警察、メディア、市民を巻き込んだ、長い夜が始まります。

星の旅人たち (字幕版)

製作・監督・脚本、さらには主演まで務めたのが、エミリオ・エステベスチャーリー・シーンのお兄さんです。『セント・エルモス・ファイアー』『ブレックファスト・クラブ』など、80年代青春映画にどんどん出演する一方、23歳で監督デビュー。ケネディ暗殺事件を描いた『ボビー』や聖地巡礼ロードムービー『星の旅人たち』など、着実に監督としてのキャリアも重ねていて、今作が7本目です。
 
僕は先週木曜日の夕方、なんばパークスシネマで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

図書館っていうと、ただで本を貸してくれる公共の施設。その定義は間違ってはいないんですが、あの静かな空間で行われていることは、実はもっと多義的です。大学院の修士課程に入った頃だったかな、僕は大学図書館の活用法についてレクチャーを受けたんです。そんなもの、教えてもらわなくったって知ってら〜って、半ば義務的に参加したんですが、なるほど開架されているものだけでなく、書庫にはそれこそ膨大な書物、資料が眠っていて、普通だったら、中には司書でないと入れないのだけれど、院生なら中に入れますよって。無敵か!と思いました。野村さんは映画の研究をなさるんだったら、この棚には国内の映画雑誌、海外のメジャーなものならバックナンバーがありますんで、なんて司書の方に教えてもらいました。宝の山だと思うと同時に、これだけの情報、知識にアクセスするための案内役となる司書の仕事に関心したこと、覚えています。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
タイトルにもなっているパブリック。「公の」ってことですね。映画の舞台もそうですけど、図書館というのはそのほとんどが公立で、基本的には誰にでも開かれているわけです。借りるのは市民である必要があるでしょうが、少なくも立ち入って閲覧するのは誰でもできる。何か調べ物をする、知的好奇心を満たすために参考書となるような文献について、司書に質問することができる。この誰にでもってことが、とても大切で、そこがまさにパブリックってことですよね。知識・情報へのアクセスを制限することなく、どんな状況の人にも等しくサービスを提供する。のは、原理原則であって、理想であって、それはなかなか難しいことでもある。だって、図書館のあの静謐な環境ではありますが、実は司書の仕事って心穏やかノンストレスではないんですよね、映画の前半で早速示されるように。素っ頓狂な質問をぶつけてくる人も結構な数いて、もちろん、本の管理もあるのだけれど、トイレではホームレスが身体を洗っていたりするので、それ以上の問題がないか見に行って、少し会話につきあう。根気と寛大さ、そして人に迷惑をかける利用者がいれば、時には苦渋の選択として、退去を願い出る主人公スチュワート。一度あったらしい事例の理由は体臭。匂い。申し訳ないが、出直してくれないかと。すると、彼は訴えられて被告の身に… 建前論でガンガン攻め立てる検察。部下を守りきれなくとも止むなしといった雰囲気の館長。などなど、訴訟に対してそれぞれのスタンスで保身めいた行動を取る関係者たち。この前フリがポイントです。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
その後、問題の占拠事件が起こる。内部は実はいたって平和なデモンストレーション。要求もシンプル。何も悪さをするつもりはない。外の寒さでは生き残れない。せめて今夜、私たちに屋根を。ぬくもりを。そこで、渦中のスチュワートが、さらにまた厄介ごとの中心に。要は人質状態になるわけです。さっき話したフリで登場した人物たちも、皆当然解決にあたろうとはするのですが、そこで露呈するのは、要は本音ですよ。みんな多かれ少なかれ、馬脚をあらわしたり、腹をくくったり、目覚めたりと、変化します。ホームレスの問題もさることながら、Black Lives Matterのこともさることながら、僕はこうしたキャラクターの言動の変化を観察する作品として魅力を感じました。ひとつの事件に対して、いろんな視点が提示されるというより、それらがどう変化するかを観るのが興味深いんです。
 
どうやら過去の失敗を乗り越えて今があるらしいスチュワートは、誰にでも開かれた民主主義の砦である図書館で、ひょんなことから出ることになったテレビに向けて、不器用だけれど思いつきで、だけれども図書館司書らしい、教養の力を信じる引用をします。日米ともに反知性主義がはびこると言われる中、あの言葉には力があったし、もうひとつ、歌にも力がありました。文脈を変える、コンテクストを変えると、音楽は言葉はまた生き生きと新しい意味をまとうことを表すいい場面だったと思います。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
最後にはきっと、あなたも変化していることと思います。冒頭で出てきた利用者からの困った素っ頓狂な質問の数々が、また耳に聞こえてきた時。面倒くさいなってものも、愛おしくなってくると言うべきか、この場所が無くなってはいけないって、僕は思えました。誰にでも開かれたパブリックなものでなくてはならない。そう、民主主義って、だいたい面倒くさいんだって思い出しました。
番組では、劇中で大事な役割を果たすこの曲をオンエアしました。あと、放送ではネタバレかなと触れませんでしたが、スタインベック怒りの葡萄』が引用されるくだりは、そりゃ印象に残ります。
 
そして、パンフレットはおすすめ。武田砂鉄氏のコラムによれば、昨秋、台風19号の折、台東区が避難所へのホームレスの受け入れを拒んでいたことを知りました。なんたる!!!!

さ〜て、次回、2020年8月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『WAVES/ウエイブス』です。劇中で31曲も流れるらしく、そりゃ興味津々です。MVみたくなっていないのか。惹句の「ミュージカルを超えたプレイリスト・ムービー」の意味がなんだかよくわからないんだけど。やたら映像はきれいらしい… なにはともあれ、百聞は一見にしかず。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『一度も撃ってません』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月21日放送分
映画『一度も撃ってません』短評のDJ'sカット版です。
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誠に売れない小説家、70代の市川進。タバコ、トレンチコート、そして黒のハットを愛する彼は、夜の街を徘徊する伝説のヒットマン。なのだが… 殺しの仕事を請け負っては本物のヒットマンに下請けさせ、自分はその現場の状況をヒアリングして小説のネタにしている。妻や編集者からは愛想を尽かされ、腐れ縁の元検事や元ミュージカル女優とバーでよろしくやっているが… ついに市川にもツケが回り、ある長い夜が始まる。そんなハードボイルド・コメディーです。
 
なんといっても、市川を演じる石橋蓮司の久しぶりの主演作として話題になりました、この作品。妻には、大楠道代、元検事に岸部一徳、元ミュージカル女優には、桃井かおりという、泣く子も黙るベテラン勢の顔ぶれ。さらには、佐藤浩市寛一郎、そして柄本明柄本佑という2組の親子共演も実現。豊川悦司江口洋介妻夫木聡井上真央など、ものすごい布陣です。

どついたるねん 団地 [Blu-ray]

 監督は、『どついたるねん』『顔』『団地』『エルネスト もう一人のゲバラ』で知られる阪本順治。公開前には、番組では監督へのインタビューを放送しました。脚本は、『野獣死すべし』『探偵物語』のベテラン、丸山昇一です。

 
僕は一度サンプルをパソコンで観ていたんですが、これではいかんと、先週木曜昼下がり、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
映画を鑑賞する上で、とにかくしくじりたくないという方が増えています。わざわざ金を払って映画館へ行くからには、何かスカッとしたり、教訓・メッセージの類があったり、泣けたり笑えたりというわかりやすい感動があったり。大どんでん返しの果てに、回収される伏線!  そういうもの期待している方には、正直、肩透かしかもしれません。なにしろ、主人公は一度も撃っていないって、タイトルから既にバラしてあります。じゃあ、今度こそ、鉄砲を撃つことになるのではないか。という期待、可能性のサスペンスは成立しますが、爽快なカタルシスを得るようなものでないことは、予告からもうかがえるでしょう。
 
では、何を楽しむのか。それはもう、今や時代劇ばりに数の少なくなったハードボイルドの雰囲気、そのケレン味ある監督の画作りがまずひとつ。カクテル一杯が2000円くらいする、オーセンティックなバーのカウンターの端でマッチを擦り、少し顔を傾げて、タバコに火を付ける。かと思えば、ドリンクオール500円、新宿ゴールデン街にありそうな、知性と猥雑が同居するようなバーで、ウィスキーをあおる。どれも絵になります。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

とはいえ、翌朝には、その市川が妻の作ったしじみ汁をズズズッとすすっている。なんて、老夫婦のふたり暮らしは、絵にはなりません。妻は教職をリタイアしていて、悠々自適。スマホを持って、友人のSNSにツッコミを入れています。ふたりのトイレの巡るやり取り、ゴミ出しでのご近所さんとの、害はないがかったるい会話がある。たまらず、吹き出してしまうし、劇場でも笑い声が聞こえてきました。この身も蓋もない日中の日常と、もはや時代遅れなまでにキザな夜のファンタジー。そのギャップが生み出す笑いが楽しみになってきます。
 
現実から逃避するように、市川は小説を書く。ただ、その小説には、彼の言う「リアル」が必要で、それを追求しすぎた結果、銃器にやたら詳しくなり、ヒットマンともタッグを組む。がしかし、そのこだわり、リアルは出版されることはなく、出版社の引き出しに眠り続ける。現実には日の目を見ないリアル。昭和と令和。社会の裏表。世代の新旧。生と死。虚構と現実。この作品は、こうした対立軸をどんどん放り込みながら進みます。セリフで言えば、「夜は酒が連れてくる」と、「朝はしじみが連れてくる」の対応が象徴的でしょうか。両者が互いに作用し合って、綯い交ぜになりながらも、とにかく時間は人生は進んでいく。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

そもそも、この企画は、亡くなった原田芳雄さんを慕う映画人たちの宴の席で出てきたもの。あのバーのyというのを、芳雄のyと考えれば、これまた現実と虚構がごった煮になります。そういう、資本ありき、商売っ気ありきじゃないからこそ生まれる、大人たちの本気の遊びに、僕らはつき合うわけです。キャスティングが豪華で、みんなはまり役なのは、誰もが楽しんで遊び場でキャッキャやっている。そんな場を役者たちも求めているからでしょう。キャラクターも役者のキャリアも、「連帯を求めて、孤立を恐れず」なところがあります。一癖も二癖も、いや、個性のある皆さんばかり。粋なもんです。あるいは、そこに、メッセージがどうだなんてのは、野暮でしょうよ。市川のこだわりと悪あがき、表裏一体の夢のあり様を僕たちはしばし眺めて、劇場が明るくなれば、現実に飲み込まれる。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

ラストショット手前、原田芳雄の文字をもとに彫ったという、バーyの看板の表裏が入れ替わります。若いスタッフを多く起用したという阪本監督。原作ありきのソロバンばかりを気にした大作ばかりじゃなくていい。って、もちろんお客さんが詰めかけるに越したことはないのですが、そんな軽妙洒脱で、盛り上がりも笑いもちょうどいい映画が受け継がれていくといいなと、僕は帰りの電車の中でふと思いました。
Yという名のあのバーで、桃井かおり演じる元ミュージカル女優が、十八番なんでしょうね、バーテンダーにシェイカーを借りて、それをマイク代わりに、こんな曲を。みんなは静かになってうっとり。今日はビリー・ホリデイの歌でお送りしました。ガーシュウィンのメロディーを歌った吹いた人、多数。ビリー・ホリデイがヒットさせて、コルトレーンマイルス・デイヴィスエラ・フィッツジェラルドビル・エヴァンスジャニス・ジョプリンのブルージーな解釈も良い。そこに、桃井かおりも日本語に独自に訳して、加わった格好です。
 
それにしても、井上真央は良かったなぁ。こいつ、人の話、まったく聞いてねぇな。あるいは、質問したくせに、本当はまったく興味ねぇな。そんな感じがびんびん伝わってきて、僕はひとりマスクの下でほくそ笑みっぱなしでした。あと、ヨーロッパ企画の諏訪雅さん、出てらっしゃったと思うんだけど、気のせい?


さ〜て、次回、2020年7月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パブリック 図書館の奇跡』です。既に番組にもリスナーから「観に行ってきた」「良かった」と感想が届いていたので、僕も気になっていた作品です。なんか、映画館再開後、良質なミニシアター系の作品が渋滞している感がありますね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『カセットテープ・ダイアリーズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月14日放送分
映画『カセットテープ・ダイアリーズ』短評のDJ'sカット版です。
 

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
1987年。ロンドンから車で1時間ほどの町ルートンで暮らす、パキスタン系の移民2世である16歳のジャベド。趣味は詩を書くこと。イケてなくはないが、ちょいと根暗でぼんくら感のある彼。流行りのペット・ショップ・ボーイズを聴きながら、保守的な父に心の内では反発し、サッチャー政権下で移民排斥と差別的言動を繰り返す町の住民を見ては、こんなところ抜け出したいと願っていました。ある日、入学した高校で、ムスリムのクラスメートに借りた、ブルース・スプリングスティーンのカセットテープが、ジャベドのを覚醒させます。

ベッカムに恋して [レンタル落ち]

原作は、日本では訳が出ていませんが、作家・ジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの回顧録。つまり、この物語は実話なんですね。そのマンズールと、共同脚本、そして製作・監督を務めたのは、インド系の女性監督グリンダ・チャーダ。『ベッカムに恋して』が有名ですが、ミュージカルから大河もの、そしてドキュメンタリーまで、得意分野の広い方です。ジャベド役のヴィヴェイク・カルラや、ヒロインのネル・ウィリアムズなど、新人が活躍する他、理解ある女性教師役で、『プーと大人になった僕』でユアン・マクレガーの相手役を務めたヘイリー・アトウェルが登場します。
 
僕は先週火曜日の昼すぎ、TOHOシネマズ二条で鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

不惑を越えたからか、はたまた、コロナ禍でメンタルが弱まっているのか、理由はともあれ、最近よく映画で泣いています。中でも、今回は、涙の量という点においては、群を抜いていました。なぜ僕の頬からアゴにかけてを、マスクをすり抜けて涙が伝ったのか、その理由を考えました。ひとつは、87年のイギリスの小さな街でのジャベドの物語が、僕の物語だと思えた、つまり当事者意識をもって観ていたからだと思います。ちょうど、彼がブルース・スプリングスティーンの音楽、つまり大西洋をまたいだアメリカの地方都市で生まれた一昔前の曲に心揺さぶられたのと同じように。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

大事な要素としては、僕は3つ挙げます。それは、地域での疎外感、父親、そして音楽。
 
1つ目の「地域での疎外感」から話します。ジャベドは、親が移民なので2世。家庭内でも英語だから、ウルドゥー語は多少話せても、母語は英語。現地の学校に通っているから、自分としては中身はイギリス人なんだけど、周囲から見ればそうじゃない。仲良くしてくれる友達には幸い恵まれるし、そこそこごきげんにやっているのだけれど、ふとした瞬間に訪れる、ここが最終的な居場所ではない感じ。ここの人間ではないんじゃないかという感覚はあるものの、何をすればいいかわからない。とりあえず、文章で想いを書き留める日々。
 
2つ目は、父親について。ただでさえ、思春期なら反発がある上に、ジャベドの家の場合は、パキスタンとイギリスでそもそもずいぶん価値観が違うカルチャーギャップがあって、厳然たる家父長制の中でトップに君臨するお父さんに、唯一の息子として、従いつつも、違和感を覚えてもいます。移民排斥で矢面に立つ父には頼もしく思いつつも、とにかくいい仕事に就かせるためだけに自分の教育を捉えていることには辟易しています。女の子にうつつを抜かしてんじゃないって感じもね。結果として、やっぱり、ここではないどこかへ行くしかない。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

3つ目は、音楽。ジャベドはどこへ行くにもウォークマンで、もともと音楽を聞いていたし、幼馴染のマットと音楽やりたいねと、彼は歌詞を書いている。そこへ、ハイスクールでブルースに出会うわけです。貸してくれたのは、似た境遇だけれど、もっと朗らかな男。聞いてみると、グッと来る。これは僕の言葉だし、未来を照らす懐中電灯でもある。流行の音楽、シンセの音に馴染めきれなかったところに、サウンドもフィット。そこで、彼は自分を解放できるようになるわけです。
 
いずれも、よくわかる。1と2の鬱屈があって、3が突破口になる。そこで一気に成長するんだけれど、触媒になっていたのは、あの女性の国語教師でしょう。彼女はいち早くジャベドの文章力を見抜いて、率先して褒めるし、どんどん書け、もっと書けと鼓舞する。それから、近所の強面だったり、チャラい感じのおじさんたちも、それぞれにジャベドを認めてくれました。ああいう、世代を越えた理解者が家族以外に生まれたことも、彼の精神的支えになった様子がよくわかりました。
 
で、普通なら、自信を持った彼が張り切って、自分にとっての「約束の地」へと向かいましたとさ。これで終わりなんだけど、僕が心打たれたのは、学校で行ったハイライトのスピーチです。ジャベドがすごいのは、思い切ってイギリスに移り住んだ、若い頃の父親の境遇に思いを馳せながら、ボスを聴き込んで血肉と化した彼のスピリットをもって、父や地域社会といかに融和できるか、その可能性を模索するってことです。アメリカン・ドリームを、アメリカでもない自分の街で実践することです。自分が抜け駆けをするのが目的だろうか。ボスは言う。『全員が勝たなければ、誰も勝ちにはならない』。外に出ることはあっても、僕はここを捨てたいんじゃないんだと、グンと成長して、器が一気に肥大化するんです。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

それがきれいごとでもなんでもないって、本当にそう思えているんだって、わかる物語運びになっているので、涙腺が緩みます。嵐の夜に初めてボスの音楽を聞いた時の、歌詞の出し方とか、ちと長いなとか、ボスの音楽の聴かせ方のバリエーションは、もうひと工夫ほしかったですが、思春期に音楽や自分の打ち込む何かを自分のよすがにしたことのある人なら、確実に喰らうはずです。そして、僕は、まんまとボスの音楽をもっと知りたくなりました。聞き込みたくなりました。その意味で、『カセットテープ・ダイアリーズ』は大成功だと言えるでしょう。
ちなみに、『カセットテープ・ダイアリーズ』は邦題でして、原題は、この曲のタイトルでした。僕の言ったスピーチシーンでも言及があります。曲の邦題は『光で目もくらみ』。

 

さ〜て、次回、2020年7月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『一度も撃ってません』です。コロナで公開が延期されていたものが、ようやく7月3日に決まり、3月に収録していた阪本順治監督へのインタビューを、この番組でもオンエアしました。当然、既に観ていますが、改めて劇場へ行ってきます。この演技バトルを鑑賞、いや、観戦するために。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!