さ〜て、次回、2020年9月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『糸』です。おりしも、中島みゆきさんは明日からフェスティバルホールでのコンサート劇場版の上映イベントがありますね。8月31日(月)まで。合わせて観るのも良さそう。あの名曲がどう膨らむのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『ジョーンの秘密』短評
トレヴァー・ナン監督。僕は不勉強にもこれが初見でしたが、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ナショナル・シアターで活躍し、重厚な歴史ものからオペラやミュージカルといった歌ものまで、舞台の演出をメインにしてきた方です。あのジュディ・デンチが信頼するのもうなずける、手堅い語り口と演技指導だったんじゃないでしょうか。MI5による取り調べと、第二次大戦前後に彼女がどうソ連寄りの物理学者に成長していって、事に及んだのか、それが行ったり来たり。アクションとリアクションという調子で、シンプルに構成されています。過去と現在。動と静。特にジュディ・デンチが演じるパートにはほとんど動きがないんですけど、監督の本業である演劇的な見せ方でもなくって、クロースアップの切り取り、短めのカット割り、そして取調室、病室など、場所もこまめに変えながら、ジョーンの些細な表情の変化が伝わることにこだわった映画っぽい物語運びを実はしています。
大学入学直後の垢抜けていない真面目な理系オタクが、ある夜窓から入り込んできたユダヤ系ロシア人、そしてイケてるソニアと知り合うことで、やがて彼女の周辺人物とつるむことで、どんどん人生を謳歌していく、女性としても開花していく、そして恋愛と思想の間に張られたタイトロープ、その危ない橋を渡る様子が、きっちり描けています。全体として小道具の使い方がうまいんですよ。たとえばミンクのコート。自分では野暮だと思った親戚からの貰い物を、ソニアが「これはクールだ」と褒めると、見方が変化するといったように、ひとつのアイテムを物語内で効果的に何度か配置しながら、ストーリーに映画的な奥行きを与えていました。
最終的に彼女が守り続けた核兵器に対する信念というか信条のようなものに、僕はさして共感はしませんが、言いたいことは理屈としてはわかる。物理学者としての葛藤があったことも、描けていました。大きな歴史のうねりの中で、流れに棹さして迎合するのではなく、人生を賭して独自に極秘に抵抗して平和を求めた孤独な胸の内を想うと、じわじわ感じるものがありました。確かに、巨大なテーマを扱った小さな映画になっているし、余韻はかなりのロングスパンです。大人がじっくり味わうスパイ映画という、新しいスタイルかもしれませんね。
『透明人間』短評
そして、特徴としては、透明人間の見せ方ですね。実は、そんなに変わったことはしてません。勝手にコンロの火が強火になるとか、包丁が動き出すとか、画面上の動きは、比較的小さな出来事から始まって、それがだんだんエスカレートしていくというもの。なんですが、巧みなのは、透明人間の性質、つまり観客の目にも見えないという特性を活かした怖がらせ方です。特に序盤、フリとして、誰もいない場所にカメラをよく向けるんです。結果として、そこでは何も起こらないことも多いんです。でも、劇映画で登場人物が映っていない画面を繰り返し見せるというのは普通はやらないことなので、僕ら観客も、セシリア同様、だんだん疑心暗鬼になるんですよ。ベンジャミン・ウォルフィッシュの手掛ける、重低音ビリビリでチェロとかそういう弦楽器で巧みに怖がらせる音楽もあいまって、もう何もなくても怖くなる。
ただ、この映画の本当に怖いのは、ここから。というのも、誰が透明人間って、最初からわかってます。セシリアのパートナーです。でも、あのマッド・サイエンティストがどうやって透明になるのか。というより、彼は彼女が逃亡後、自殺したという知らせが届くので、これはどうなっているんだと、話の展開もいくつかどんでん返しが待っている。のですが、そこは恐怖よりも謎じゃないですか。怖いのは、中盤以降、実はもっと心理的な要素が僕らをすくみ上がらせるサイコ・スリラーであることが明るみに出ます。人間が人間を完全に所有したり、操ろうとしたりする、底抜けに利己的な欲望。自分の言っていることが誰にも伝わらない、信じてもらえなくて孤立無援となる恐怖。大事な人に危険が及ぶ不安。そして、失うものが無くなったと感じた時の人間の復讐心… こうした要素が重層的に波状攻撃で襲いかかるので、大変です。でも、根底には、女性の自立というテーマがありまして、それに透明人間という手垢のついたとも言えるモチーフを重ねてみせたところが、リー・ワネル監督の功績でしょう。
『WAVES ウェイブス』短評
フロリダに暮らすアフリカ系4人家族の物語です。高校生の長男タイラーは、成績優秀で、レスリング部ではスター選手として活躍する文武両道、自慢の息子。厳格な父親を疎ましく思いながらも、リスペクトもしていて、かわゆいガールフレンドに癒やされる日々です。しかし、肩に重い怪我を負ったところから、彼の人生には暗雲が垂れ込めるようになります。ある悲劇を境にもろくも壊れゆく家族。その心の再生が、後半は妹のエミリーを中心に描かれます。
技術的な特徴として、まずカメラを挙げましょう。かなりよく動きます。特に前半、いきなり車の中で360度水平に回ってみせるのが象徴的でしょう。もちろん登場人物も持っていますが、スマホで動画を撮影したり投稿したりという、あの忙しない感じがスクリーンに展開されていて、それがそのまま兄タイラーのリア充極まりない日常を描くスタイルとしてマッチしているんです。ポスターにもなっている、赤と青を基調とした鮮やかな色使い、そのコントラストもすごい。ちょい久々に会ったガールフレンドと夕焼けの海で抱き合う時の、彼女のマニキュアの蛍光っぽいあのオレンジとか、徹底してんなぁって思いました。で、一転して、後半ではカメラはおとなしくなります。動から静へ、視点も兄から妹へスイッチ。どんよりした彼女の心に、事あるごとに押し寄せる、無力感や後悔、罪悪感。飲まれそうになったり押し流されそうになる、そんな感情の浮沈から、少しずつ立ち直ろうとする様子が、丁寧で静かなカメラワークと音楽、柔らかい色使いで表現されます。で、実は画面の縦横比、アスペクト比も変化します。1.85:1のビスタ、より横に長いシネマスコープ、さらに横に伸びたり、今度はスタンダードになったりと、複数の画面サイズをシーンによって使い分けているんです。グザヴィエ・ドランもそういうことをしますけど、スマホならそんなのちょいのちょいだし、色んな画面サイズを日頃から使ってきた世代の監督ならではだなと思いますね。もちろん、そのサイズが寄せては返すキャラクターの感情をある程度示してもいます。
何代も苦労を重ねた末の、アフリカ系ファミリーの経済的に安定した暮らし。成功したからこそ、努力はすれば必ずかなうんだというマッチョな思い込みもあって、宗教的にも敬虔で、善良であるがゆえに、家族4人それぞれが「らしさ」と役割から逃げられなくなっているし、互いに無意識に押し付けあっているんですね。だから、ひとつボタンを掛け違えると、あっという間に瓦解する。あの家は、そんな砂上の楼閣です。波が来れば、砂の城はもろいです。でも、形を変えて、既成の家族像ではないものを、もう一度構築できはしないか。そんな再生の物語を、シュルツ監督は、工夫をこらして映画にまとめました。トピックも、技術も、音楽も、ひとつひとつはありものなんだけれど、監督の手にかかれば、経験したことのない映画的語り口になっています。
『パブリック 図書館の奇跡』短評
アメリカ、オハイオ州の街、シンシナティ。記録的な寒波に見舞われていた冬、中央図書館で司書として働くスチュワートは、常連の利用者であるホームレスから、思いもかけないことを言われます。「今夜、俺たちは帰らずに、この図書館を占拠する」。市のシェルターが収容能力を超えている中、このまま路上へ出れば、凍死してしまうと、70人ほどのホームレスたちが、閉館時間を過ぎても居残りを決め込んでいます。さぁ、スチュワートはどうする。図書館長、他の司書、検察、警察、メディア、市民を巻き込んだ、長い夜が始まります。
さ〜て、次回、2020年8月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『WAVES/ウエイブス』です。劇中で31曲も流れるらしく、そりゃ興味津々です。MVみたくなっていないのか。惹句の「ミュージカルを超えたプレイリスト・ムービー」の意味がなんだかよくわからないんだけど。やたら映像はきれいらしい… なにはともあれ、百聞は一見にしかず。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『一度も撃ってません』短評
誠に売れない小説家、70代の市川進。タバコ、トレンチコート、そして黒のハットを愛する彼は、夜の街を徘徊する伝説のヒットマン。なのだが… 殺しの仕事を請け負っては本物のヒットマンに下請けさせ、自分はその現場の状況をヒアリングして小説のネタにしている。妻や編集者からは愛想を尽かされ、腐れ縁の元検事や元ミュージカル女優とバーでよろしくやっているが… ついに市川にもツケが回り、ある長い夜が始まる。そんなハードボイルド・コメディーです。
監督は、『どついたるねん』『顔』『団地』『エルネスト もう一人のゲバラ』で知られる阪本順治。公開前には、番組では監督へのインタビューを放送しました。脚本は、『野獣死すべし』『探偵物語』のベテラン、丸山昇一です。
とはいえ、翌朝には、その市川が妻の作ったしじみ汁をズズズッとすすっている。なんて、老夫婦のふたり暮らしは、絵にはなりません。妻は教職をリタイアしていて、悠々自適。スマホを持って、友人のSNSにツッコミを入れています。ふたりのトイレの巡るやり取り、ゴミ出しでのご近所さんとの、害はないがかったるい会話がある。たまらず、吹き出してしまうし、劇場でも笑い声が聞こえてきました。この身も蓋もない日中の日常と、もはや時代遅れなまでにキザな夜のファンタジー。そのギャップが生み出す笑いが楽しみになってきます。
そもそも、この企画は、亡くなった原田芳雄さんを慕う映画人たちの宴の席で出てきたもの。あのバーのyというのを、芳雄のyと考えれば、これまた現実と虚構がごった煮になります。そういう、資本ありき、商売っ気ありきじゃないからこそ生まれる、大人たちの本気の遊びに、僕らはつき合うわけです。キャスティングが豪華で、みんなはまり役なのは、誰もが楽しんで遊び場でキャッキャやっている。そんな場を役者たちも求めているからでしょう。キャラクターも役者のキャリアも、「連帯を求めて、孤立を恐れず」なところがあります。一癖も二癖も、いや、個性のある皆さんばかり。粋なもんです。あるいは、そこに、メッセージがどうだなんてのは、野暮でしょうよ。市川のこだわりと悪あがき、表裏一体の夢のあり様を僕たちはしばし眺めて、劇場が明るくなれば、現実に飲み込まれる。
ラストショット手前、原田芳雄の文字をもとに彫ったという、バーyの看板の表裏が入れ替わります。若いスタッフを多く起用したという阪本監督。原作ありきのソロバンばかりを気にした大作ばかりじゃなくていい。って、もちろんお客さんが詰めかけるに越したことはないのですが、そんな軽妙洒脱で、盛り上がりも笑いもちょうどいい映画が受け継がれていくといいなと、僕は帰りの電車の中でふと思いました。
さ〜て、次回、2020年7月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パブリック 図書館の奇跡』です。既に番組にもリスナーから「観に行ってきた」「良かった」と感想が届いていたので、僕も気になっていた作品です。なんか、映画館再開後、良質なミニシアター系の作品が渋滞している感がありますね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『カセットテープ・ダイアリーズ』短評
大事な要素としては、僕は3つ挙げます。それは、地域での疎外感、父親、そして音楽。
3つ目は、音楽。ジャベドはどこへ行くにもウォークマンで、もともと音楽を聞いていたし、幼馴染のマットと音楽やりたいねと、彼は歌詞を書いている。そこへ、ハイスクールでブルースに出会うわけです。貸してくれたのは、似た境遇だけれど、もっと朗らかな男。聞いてみると、グッと来る。これは僕の言葉だし、未来を照らす懐中電灯でもある。流行の音楽、シンセの音に馴染めきれなかったところに、サウンドもフィット。そこで、彼は自分を解放できるようになるわけです。
それがきれいごとでもなんでもないって、本当にそう思えているんだって、わかる物語運びになっているので、涙腺が緩みます。嵐の夜に初めてボスの音楽を聞いた時の、歌詞の出し方とか、ちと長いなとか、ボスの音楽の聴かせ方のバリエーションは、もうひと工夫ほしかったですが、思春期に音楽や自分の打ち込む何かを自分のよすがにしたことのある人なら、確実に喰らうはずです。そして、僕は、まんまとボスの音楽をもっと知りたくなりました。聞き込みたくなりました。その意味で、『カセットテープ・ダイアリーズ』は大成功だと言えるでしょう。