京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ミッドナイトスワン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月6日放送分
映画『ミッドナイトスワン』短評のDJ'sカット版です。

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男性の身体に生まれてはきたものの、自分としては女性だと自覚する、トランスジェンダーの凪沙(なぎさ)。故郷の広島を離れて上京。親にはカミングアウトしないまま、新宿のニューハーフクラブでショーガールとして働いています。ある日、一人暮らしの凪沙のもとに転がり込んでくることになったのは、育児放棄状態のいとこの娘、中学生の一果(いちか)。それぞれに社会から孤立していたふたりは、一緒に住むことで、しだいに変化していくのですが…
 
オリジナル脚本を書いて監督も担当したのは、Netflix『全裸監督』の演出にも深く関わった内田英治。凪沙を演じたのは、草なぎ剛。他に、水川あさみ真飛聖(まとぶせい)、田口トモロヲなどが脇を固めているのですが、なんといっても、今後の活躍が楽しみでしょうがないのは、オーディションで一果役を射止めた新人、服部樹咲(みさき)、2006年生まれ。彼女の演技がまたすごい。
 
僕は先週木曜日の夜に、TOHOシネマズ二条で観てきました。結構入ってましたね。女性が多めって印象かな。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


結論から言いますと、前評判通り、鑑賞の意義は大いにある1本なので、劇場での鑑賞を強くお勧めします。ただ、どうも首を傾げてしまう演出があったことも事実なので、その点も指摘していきます。

 
まず、キャストの好演がとにかく光っています。どなたも、その表情ひとつで、もっと言うと、目の色でも、社会からいかにその人が孤立していて、人生に希望を見いだせないでいるかを見事に表明していました。凪沙役の草なぎ剛しかり、一果役の服部樹咲しかり、その母役の水川あさみしかり。この3人は、シーンによって、姿勢とか歩き方まで変化をつけています。お見事!
 
特に服部樹咲さんは、恐るべき新人ですよ。バレエの心得はあったということですが、それにしたって、達者な役者たちに怯むことなく、つま先立ちもおぼつかないレベルから、国際コンクールのレベルまでを演じ分けるのは圧巻です。

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© 2020 Midnight Swan Film Partners.

その上で、テーマがまた興味深いです。LGBTQの当事者がいかにまだまだ世間の理解を得られずに困窮・転落しかねないかという点、そして血の繋がりだけに依存する家族の絆と呼ばれるものがいかに誰かをスポイルしかねないかという点もさることながら、僕がより深く感銘を受けたのは、この映画が人を広い意味で育てる、その人を形成するのは、両親だけでなく、家族外の人間との交流であり、芸術との関わりであるという点です。当たり前に聞こえるけれど、この作品はそのテーマを深く胸を打つやり方で描いているんです。
 
擬似親子もの、とか、凪沙が母性を獲得する話とまとめると、どうもこの映画の意義を矮小化してしまうような気がして、僕はためらわれます。だって、一果を育てたのは、凪沙であり、ろくでもないけど母親であり、そしてバレエの先生なんですよ。誰一人欠けても、彼女の成長はありません。そこが大事だし、今挙げた3人は、それぞれに一果に希望を見出して、一果に未来の光を見ます。はっきり言って、誰かひとりだけなら、一果にとっては悲劇が続いたかもしれない。そして、一果の輝ける可能性は、広い意味での3人の母の輝ける未来を保証するものではない。にも関わらず、3人は彼女に惜しみなく自分を捧げようとする。不器用だし、問題もあるけれど、それこそ愛情なのではないかということです。

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© 2020 Midnight Swan Film Partners.
なんだよ、結局絶賛じゃないか。と思われるかもしれませんが、僕にはこの映画で起こる大きな出来事の多くが、突然で唐突に感じられたんです。百歩譲って、それこそ演出だとしても、あまりにも一果がそれぞれの出来事に対して何を考えているかがよくわからないんですね。「見てて」とか、「お母さん」とか、やおらセリフを口にしたりするんだけど、僕らが彼女の胸の内を想像する材料としては、いくらなんでも不十分ではないですかと。
 
とはいえ、物語られる出来事は、どれも衝撃だし、分断や貧困の日本社会に対して示唆的だし、その上で美しい。不満要素はあれど、強く強く、鑑賞をオススメしたい作品でした。


さ〜て、次回、2020年10月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『オン・ザ・ロック』です。ソフィア・コッポラ監督に、ビル・マーレイ。しかも、小ぶりな物語…とくれば、『ロスト・イン・トランスレーション』じゃないですか。予断は禁物ですが、僕の好みの匂いがプンプンします。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『窮鼠はチーズの夢を見る』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月29日放送分
映画『窮鼠はチーズの夢を見る』短評のDJ'sカット版です。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
どうにも優柔不断で、女性からのアプローチを断りきれず、不倫もしてきた広告代理店勤務の大供恭一。ある日、会社に、大学卒業以来会う機会のなかった後輩、今ヶ瀬渉がやって来ます。今ヶ瀬は探偵で、恭一の浮気調査を依頼され、その真相を追っていたのですが、証拠を掴んだ彼は恭一にそれを隠蔽する条件として肉体関係を要求。恭一は当初こそ拒否するものの、実は7年間ずっと自分をを想い続けてきたという今ヶ瀬のペースに乗せられてしまいます。

窮鼠はチーズの夢を見る (フラワーコミックスα) ナラタージュ

 水城せとなの同名人気漫画を行定勲監督が映画化。脚本は、『真夜中の五分前』や『ナラタージュ』など、行定作品で書いてきた堀泉杏が担当しました。恭一を大倉忠義、今ヶ瀬渉を成田凌が演じた他、バンド「ゲスの極み乙女。」のドラム、さとうほなみも出演しています。僕も以前ご自身の監督作『パラダイス・ネクスト』でインタビューしたことのある半野喜弘が、印象的な劇伴で参加しました。

 
行定監督には、先日、withコロナ時代のエンタメの未来をゲストと一緒に考えるコーナーTHE SHOW MUST GO ONにご出演いただきました。その時にも話題になりましたが、6月に公開予定だったものが、新型コロナウィルスの影響で公開延期となりまして、このほど9月11日に無事に公開されました。良かった!

僕は行定監督のコーナー出演をきっかけに、試写で作品は拝見していまして、ご本人にもチラッと感想はお伝えしましたが、改めて評してみます。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

大倉忠義成田凌がフルヌードでラブシーンを演じた! 体当たり! なんて感じで、好奇の目で見られがちな作品かもしれません。BLものっていうジャンルで括られて。でも、その実、大倉忠義は自分としては異性愛者だと思っていたわけで、結婚もしていて、ちゃっかり不倫もしてっていうことなんで、女性との関係も繰り返し出てきます。だから、観ている最中に気づくことですが、これはもっとシンプルに恋愛映画なんです。やたらモテる男が、言い寄ってくる、すり寄ってくる人たちとどう心を通わせるのか、いや、通わせているのか、通わせることなんでできるのかって話。どの恋愛にも「クセ」があります。不倫、同性愛、会社の要人がこじれて関わるオフィスラブ、元カノ込みの修羅場など。トータルに考えれば、「普通の恋愛」なんてあるんですかっていう問いかけや提言にすら思えてきます。恋愛には、大なり小なり、クセがあるものだろうと。
 
とにかくモテる恭一という男。確かに人当たりが良い。端正でクールなマスクに、スマートな所作。発言はわりと知的。さらに、線は細くて、儚げで支えてあげたくなる感じですよ。しかも、やさしいと言えば聞こえはいいけれど、とにかく自分で決断しないからズルズルいっちゃって、いつも流されがち。結果として、関わった人をより深く傷つけることがあろうと、その性質はなかなか変えられないという厄介さ。そんな恭一に、それぞれ惚れていくんだけど、今ヶ瀬渉は惚れているというより、惚れ抜いている。彼のセリフで言えば、「すべてにおいてその人だけが例外になっちゃう」って状態です。対して、パッシブ、受け身な恭一なんだけど、相手からすれば、「あれ? こっちに気があるのかな?」的な態度や視線を送ってくる、スタートははんなりアクティブな男だったりするので、ますます厄介です。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
彼ら/彼女らの行く末は映画でご覧いただくことにして、行定監督の演出で光っていると僕が感じたのは、やはり視線です。監督も僕のインタビューで言っていたように、わりとセリフが多いんです。発せられた後に尾を引くような刺さる言葉もちょくちょく入る。にも関わらず、喋りまくりの会話劇という印象は受けません。言葉と同じように、あるいは時にそれ以上に、映像が語っていたからです。被写体のキャラクターの口は閉じていたとしても、目は開いているわけで、それがどんな瞳をしていて、どこを向いているのか、どこへ動くのか、留まるのか、泳ぐのか。そのバリエーションが豊かでした。ほとんどが室内のシーンです。恭一と誰かが向き合うのか、並ぶのか。人物の配置も入念に行われていましたから、そこに僕らは意味を見出そう読み取ろうと、ついつい目が離せなくなるんです。限られた空間と人数で表現できるバリエーションを最大限に見せながらも、作劇の基礎とも言える反復と差異もきっちりやっています。性行為そのものもそうだし、その後の表情や仕草、下着の見せ方ひとつ取っても、演出の芸が細やかです。タバコ、ビール、カーテン、TVモニターで流れる映画と、小道具の類にもすべて物語的な役割が与えられているので、物語もその見せ方も、ともにかなり求心力のあるものになっています。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
ムービーウォーカープラスの記事にあったインタビューによれば、成田凌はこの作品を通じて「『なにもしないということをする』のを学んだ」んですって。目の動きや吐息だって、映画では大きな意味を持つ。それだけ小さなことも、大きなスクリーンと音響にアンプリファイされる。だから、大きなアクションやリアクションだけでなく、佇まいそのもの、そこにいることそのものが表現になりうるってことだと思います。つまりは、それほどに繊細な心模様とその折り重なりが描かれているだけに、特にラストにかけてバーンと画面いっぱいに外の景色が広がると、インパクトがありました。

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(C)水城せとな小学館/映画「窮鼠はチーズの夢を見る」製作委員会
この恋愛の渦に巻き込まれると、かなり集中させられますから疲れますけど、恋愛って疲れるものでもあるでしょう。爽やかで清々しくて気持ちの良いだけのものではない。TVでは観られない恋愛がここにあります。観に行ってみてください。僕はあのふたりにはできれば関わりたくないけれど、画面は穴が開くほど眺めることになりました。
 

今週は「窮鼠はチーズの夢を見る」を短評しました。曲はサントラからではなく、Macklemore & Ryan Lewisにしました。愛には様々な形があって、どれも同じ愛だと、LGBTQの観点からもアンセム化した『Same Love』です。

行定さんは、関西でのトークショーを控えています。枚方T-SITE蔦屋書店が企画する「CREATOR'S SALON」というシリーズの一環で、10月5日(月)、19時半開演です。MCは僕が務めます。現場のチケットはソールドアウトですが、オンラインのチケットはまだまだいくらでも販売できるということなので(そりゃそうだ)、ぜひご覧ください。


さ〜て、次回、2020年10月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ミッドナイトスワン』です。前評判は相当高いですね。そして、またもやLGBTQもの。ただ、「窮鼠は〜」とまたかなり違ったアプローチであることが予想されるので、そのあたりにも気を配って観ようかしら。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映より 『わしら中年犯罪団』解説

「マリアーナ団にぞっこんさ」

このセリフから始まる予告編からもわかるとおり、主人公モレーノもぞっこんになる実在の犯罪組織マリアーナ団が、本作の大きなテーマです。今回は作中、ましてや字幕だけでは語り切れないマリアーナ団の魅力に迫りたいと思います。これを知っておけば、『わしら中年犯罪団』鑑賞が百倍楽しくなること間違いなし! ややこしいカタカナの固有名詞ばかり出てくるのですが、そこはごめんなさい!

 

vimeo.com

奥さんと別れ慰謝料支払いをめぐって紛糾するモレーノ、愛妻家で間が抜けているけれどどこか憎めないセバスティアーノ、義父の会社でいやいや働く気の弱いジュゼッペ。彼らは小学校からの付き合いで、ことあるごとに集まってはバカをやらかす仲良し中年三人組だ。今回集まったのは、マリアーナ団マニアのモレーノが、小金を稼ぐために、このギャング団ゆかりの地を巡る観光ツアーを企画したためだった。もちろん犯罪集団の犯行現場や元アジトを観光するツアーなど成立するはずもない。ところが、下見で訪れたマリアーナ団のたまり場だったバールの奥に入っていくと、謎の扉が怪しい光を放っているではないか。成り行きのまま扉をくぐると、1982年にタイムスリップしてしまう。サッカーのワールドカップでイタリアが歴史的優勝を果たしたその年は、マリアーナ団の勢力が最も大きかった時期でもある。バールでたむろするマリアーナ団構成員たちと鉢合わせてしまった三人組。危険な目に遭わないうちに、さっさと現代に帰りたがるセバスティアーノとジュゼッペをしり目に、モレーノはここでも金儲けに走るのだった……。

 

現実のマリアーナ団は、1977年頃、ローマ南西の郊外住宅地マリアーナで結成された。「鉛の時代」と呼ばれた当時のイタリアでは、爆破テロや要人の暗殺が横行し、そのいくつかにマリアーナ団が関わっていたことが指摘されている。例えば1980年のボローニャ駅爆破テロ、元首相アルド・モーロ誘拐事件の真相を究明しようとしたジャーナリストのミーノ・ペコレッリの殺害などなど。さらにそれを指示したのが当時の首相ジュリオ・アンドレオッティという説もある。つまり、マリアーナ団はきな臭い時代の未解決事件のカギを握る存在で、今もなお、野次馬根性たくましい現代史好きの興味を刺激し続けているのだ。その意味では、少し強引な比較になるが、日本でいうところの新選組と少し似ている。

かくしてマリアーナ団の関連本やドキュメンタリーは相当な数に上る。なかでも2000年代に入り注目を集めたのが『野良犬たちの掟』(Romanzo criminale)だ。もともとは、当時の事件に詳しい元判事ジャンカルロ・デ・カタルドが2004年に発表した小説で、それが映画化を経て、TVドラマ化されて大成功を収めた。尺が長い分、映画版よりもかなり濃厚なTVドラマ版”Romanzo criminale”は、登場人物が実名ではないものの、忠実にマリアーナ団の魅力を伝えている。そのあらすじを見てみよう。

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TVドラマ版"Romanzo criminale"の主人公3人。右からフレッド(ヴィニーチョ・マルキオーニ)、リバネーゼ(フランチェスコ・モンタナーリ)、ダンディ(アレッサンドロ・ローヤ)

 

マリアーナに住むチンピラのリバネーゼは、色男のダンディほか、地区の仲間たちといっしょに小さな盗みで手に入れた金で、銃を大量購入する。さらなる大金を手に入れるべく、銃を使ってローマの富豪ロセッリーニ伯爵を誘拐するつもりだ。ところが購入した銃を積んだ車が盗難に遭う。盗んだ相手は、別のチンピラ集団を取り仕切るフレッドだ。本来なら大事な車を盗んだ相手など、殴り倒してしまうリバネーゼだが、凄む彼を前に全く動じないフレッドを見て、ただ者ではないと悟り、伯爵の誘拐計画を持ちかけるのだった。

 こうして伯爵の誘拐が実行される。事件が起こった当初、当局は高をくくっていた。必ず失敗に終わる。なぜならローマには、チンピラの小集団がいくつも存在するだけで、これほど大きな犯罪をやり遂げられる統制のとれた組織など、ありえないからだ。それを覆したのが、リバネーゼとフレッドという二人のカリスマだった。決して馴れ合うことはないが互いを認め合う二人は、信頼できる仲間たちとともに、誘拐を遂行し、麻薬売買の元手となる大金を手に入れる。そこからさらにのし上がっていくのだが、あまりにも強大な力を手に入れリバネーゼは何者かによって暗殺され、仲間の密告によりフレッドは国外逃亡を余儀なくされる。彼らの趨勢を横目にボスの座に君臨したのが、リバネーゼの親友だった色男ダンディだ。

このあらすじは、やや脚色されている部分もあるが、事実をかなり忠実に再現している。麻薬の売買に参入する郊外地区のチンピラたちが、ナポリのカモッラやシチリアのマフィアと対等に渡り合う様は、まるで甲子園の強豪校と互角の勝負をする弱小公立高校の野球部といったところだ。

歴史好きから愛される新選組的な要素あり、野球漫画のような成長物語ありのマリアーナ団に情熱を注ぐマニアのひとりが、『わしら中年犯罪団』のモレーノというわけだ。そして1982年にタイムスリップした彼は、マリアーナ団のボスと対面する。その名はレナティーノことエンリコ・デ・ペーディス、”Romanzo criminale”のダンディだ。『わしら中年犯罪団』のなかでは、かなり乱暴なキャラクターとして描かれているが、娼婦の彼女に惚れ込んでいたり、教会に宝を隠していたりという設定は踏襲されており、マリアーナ団マニアの心をしっかりとくすぐるのであった。

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『わしら中年犯罪団』のレナティーノ(エドアルド・レオ)

 

『わしら中年犯罪団』も上映されるエドアルド・レオ特集上映@アップリンク京都の上映時間が公開されました! 一般のお客様のチケット予約も9月30日10時から可能になります。

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 

 

コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。

 

POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。

 

公式サイト

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エドアルド・レオ特集上映より 『黄金の一味』俳優紹介

先日『黄金の一味』(Gli uomini d’oro)をなら国際映画祭にてプレミアム上映させていただきました。おかげで大盛況のうちに上映を終えることができました。難しい状況下でご来場いただいた皆様、改めてありがとうございました! そして本作は10月にアップリンク吉祥寺、アップリンク京都、アップリンククラウドにて鑑賞可能なので、引き続きよろしくお願いします。

というわけで、今回はその『黄金の一味』の主人公ふたりをご紹介。エドアルド・レオ特集上映と銘打っておりますが、ほかの俳優も曲者ぞろいで大注目です。

 

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ザーゴ役のファビオ・デ・ルイージ(左)とメローニ役のジャンパオロ・モレッリ(右)

 

まずは『黄金の一味』第一章の主人公ルイージ・メローニ。彼は郵便局の現金輸送車を運転するという今の仕事に飽き飽きしていて、早期退職してコスタリカでビーチバーを開くという夢を抱いている。ところが国の金融政策により、早期退職の道が断たれたメローニは、現金略奪の完全犯罪を計画する。友人を犯罪に巻き込むメローニは、仕事中もほぼ一人でしゃべり続ける自分勝手なナポリ人。彼を演じるのが、ナポリ生まれのイケメン俳優ジャンパオロ・モレッリ。ドーナッツクラブが過去に字幕を担当したマネッティ兄弟の映画『僕はナポリタン』(Song’e Napule)や『愛と銃弾』(Ammore e malavita)にも出演しており、勝手に縁を感じている推しメンだ。TVドラマや娯楽映画の端役をしていたが、2000年代中盤から、マネッティ兄弟に気に入られてブレイクにいたった。2020年4月には、自作の小説を、自ら監督・主演を務めて映画化した『君を恋に落とす7時間』(7ore per farti innamorare)を公開し、その多才ぶりを発揮している。ジローラモ・パンツェッタもナポリ出身だが、もしかしたら系統は似ているかも……?


映画『愛と銃弾』劇場予告編

 

この予告編で見られるとおり、『愛と銃弾』では無口でクールな殺し屋だったモレッリが、『黄金の一味』では字幕が追いつかないほどしゃべりまくる。それでも周りから特に鬱陶しがられる訳でもなく、人懐っこい魅力的な人柄が成り立つのは、ナポリ人の天性かもしれない。

 

次に第二章の主人公アルヴィーゼ・ザーゴを見てみよう。メローニとは対照的な、無口で不愛想な彼は、家では電気代を節約し、仕事を掛け持ちして家族を養う。愛する娘のことを思い、借金を完済するために、メローニの犯罪計画に手を貸す。彼を演じているのはコメディアンのファビオ・デ・ルイージだ。舞台俳優からコメディアンに転身し、テレビのお笑い番組への出演をきっかけに人気を勝ち取った。個人的に彼を知ったのは、人気コメディー女優ルチアーナ・リッティッツェットと共演した映画『男やもめ希望者』(Aspirante vedovo)だ。リッティッツェット演じるやり手の女社長と結婚した青年実業家夫のデ・ルイージが、彼女を殺して遺産を手にすることを夢見るが……というストーリー。これはアルベルト・ソルディが主役を務めた1959年の映画『男やもめ』(Il vedovo)の現代版リメイクだ。


Aspirante vedovo - Trailer ufficiale

 

ところが、モレッリのケースとは逆に、普段なら饒舌にしゃべるデ・ルイージが、『黄金の一味』では、無口な仏頂面で勝負している。「コメディアンなのに、心の奥に哀愁が漂っている」という理由で監督ヴィンチェンツォ・アルフィエーリに惚れこまれたデ・ルイージは、役作りのために6か月で10キロ体重を落とし、本来の彼とは違う「別人」役に臨んだ。自由奔放なナポリ人メローニと、仕事に真面目で口数の少ないトリノ人ザーゴという対比も、イタリアの地域性を反映していて面白い。

 

三人目の主人公エドアルド・レオも、本作では、いつもの中年ダメ男というはまり役ではなく、哀しみを背負った元ボクサーを演じていることを考えると、主人公の俳優三人ともに、キャラ違いの意表を突いた役どころを演じていることになる。『黄金の一味』はそんな大胆なキャスティングも楽しめる作品なのだ。

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。

 

Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。

ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。

 

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実写版『ムーラン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月15日放送分
実写映画『ムーラン』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
むかしむかし、中国の小さな村で育った女の子ムーラン。周囲から浮くほどのおてんばですが、それもそのはずで、彼女には「気」と呼ばれる特殊能力が備わっていました。立派な兵士だった父は、そのことに気づきながらも、女性には結婚と家庭の維持ばかりが求められる時代でもあることから、その能力は隠しておくように諭します。時は経って、ムーランが花嫁修業を始めようかという頃、北方民族の首領ボーリー・カーン率いる軍勢が国家を脅かしており、皇帝は各家庭からひとり男性を差し出すよう命じました。徴兵ですね。ただ、ムーランの父親は足が悪く、戦場へ赴けば命を落としかねない。そこでムーランは、父親の武具を盗み出し、自分が男であると偽って軍隊に参加するのですが…
 
このところ相次いでいる、90年代、ディズニー・ルネサンス時代のアニメ作品の実写化。今回は98年『ムーラン』が対象となりました。監督は、女性を生き生きと描くことを得意とするニュージーランド出身の女性ニキ・カーロ。ムーラン役に抜擢されたのは、リウ・イーフェイチャン・イーモウ監督の『紅夢(こうむ)』でヴェネツィア映画祭主演女優賞を獲得したコン・リーが魔女のシェンニャンを演じている他、『イップ・マン』シリーズのドニー・イェンや、ジェット・リーなど、アジアとアメリカ双方で活動する役者が揃い踏みです。

イップ・マン 序章 (字幕版) 秋菊の物語 [DVD]

もともとは2018年秋に公開が予定されていましたが、製作そのものが遅れていたところに新型コロナウィルスによる影響もあって、ディズニーはついに多くの国や地域で劇場公開を断念。サブスクリプションサービスのディズニー+での有料配信となりました。
 
僕はもともとディズニー+には加入していましたが、もちろん、税抜2980円を支払って、土曜日に自宅のテレビで日本語吹き替え版を鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

2010年代に入ってから、ハリウッドにおけるアジア系の俳優の活躍が顕著となり、特に中国との映画合作も増える中、繰り返し映像化されてきた、6世紀の漢詩を基にしたこの物語の実写化には注目が集まりました。ただ、様々な角度からの期待があるがゆえに、製作は難航しました。アニメ版のリメイクとしての「原作」ファンの期待もあったし、実写として中国文化をどう描けるかという問題や、物語が内包する政治的な側面や、主演のリウ・イーフェイSNSでの香港民主化問題への発言など、何かと波乱含みで、それはもう気の毒と言っていいレベルにも感じられました。
 
そこで、僕としてはまず何よりもできあがった作品そのものを評価するべく、作品外の情報は鑑賞前に触れないようにしていましたが、残念ながら、魅力は限定的と言わざるをえません。アニメ版からの改変はいくつもあります。ミュージカル要素の排除。サブ・キャラクターを統廃合して整理したこと。武侠映画のスタイルを採用してアクションを重視したこと。マレフィセントに似たヴィランの魔女をムーランを導く存在にも仕立てたこと、など。アニメ版に特に思い入れのない僕からすれば、どれもディズニーのチャレンジに感じられるし、その意味で興味深いんですが、これら改変が物語にもたらす効果がどれもさほどないんですね。むしろ、観る人によっては逆効果にすらなりうるリスクをはらんでいます。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
女性が主人公だからと恋愛要素を入れる必要はないし、戦争する映画であるというハードな内容なので笑いの要素も控えめにしたのはうなずけます。そして、中華圏の伝統である武侠映画スタイルを取り入れるのもわかるんですが、そのわりには肉体を駆使したアクションはあまり見られず、スター・ウォーズのフォースのような「気」という概念で説明される、CGやワイヤーを使った動きで見せ場の多くが占められていることは、むしろ武侠映画へのリスペクトが足りないとの批判は免れません。そして肝心の「気」についての言及がなさすぎて、これじゃ努力によって何かを成し遂げるという側面が緩んでしまって、カタルシスが削がれるんですね。

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(C)2020 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
おそらくはムーランと同じような能力を有する魔女の存在も、彼女が何を望んでいるのかよくわからないため、結局はヴィランとしてもメンターとしても謎めいたままで、今ひとつピンとこないんです。そして、おそらくはディズニーにとって一番プッシュしたかっただろう、自分で考えて行動するプリンセスとしてのムーランですが、考えてみれば彼女は皇帝を頂点とする中央集権的な軍事国家の駒であることからは逃れられないわけで、価値観を刷新することはないんですよね。だいたい、北方民族を単なる野蛮な存在として端から悪者としてしか描かないという単純化は、むしろディズニーが志向するリベラルな価値観からも遠いものではないでしょうか。
 
こうした要素がいくつも重なって、ムーラン実写版は、表面的には美しい画面ですいすい展開していく観やすい作品になっているものの、各方面からのどの期待にも満足には応えられないものになってしまった気がします。


 Christina Aguileraが表現度が上がった歌い直し、響きましたよ。

 


さ〜て、次回、2020年9月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『窮鼠はチーズの夢を見る』です。番組では先日行定勲監督を迎えて、コロナ禍でますます浮き彫りになった映画というシステムの未来の話をしました。その時に、僕は既にこの作品を観ていたので、少し感想もお伝えしましたが、改めてしっかりまた来週評します。監督とは、枚方の蔦屋書店で10月5日にCREATOR'S SALONというトークイベント(配信あり)で、またご一緒しますよ。この新作と合わせて、ぜひ。その前に、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ソワレ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月15日放送分
映画『ソワレ』短評のDJ'sカット版です。

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役者になる夢を持ちながらも、なかなか鳴かず飛ばずの翔太。ある夏、所属劇団が高齢者施設でワークショップを開くことになって向かったのは、彼の故郷和歌山県の海辺の街。施設には、年の近いタカラという女性が、生気のない表情で働いていました。彼女は父親から性暴力を受けていたのです。夏祭りの日。翔太は、衝動的に父親を刺したタカラの手を強く引き、ふたりの予期せぬ逃避行が始まります。

わさび 此の岸のこと

監督・脚本は、1980年生まれの外山文治。これが長編2作目となる彼に大いなる期待を込めてサポートしたのが、共に俳優である豊原功補小泉今日子。ふたりは、監督を巻き込んで新世界合同会社という映像プロダクションを設立。本作はその第一作となります。昨年行われたクラウドファンディングでは、400人弱の支援も受け、公開にこぎつけました。翔太を村上虹郎、タカラを芋生悠(はるか)が演じています。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

逃避行、なんて言うと、「愛の」を枕詞に付けたくなります。アメリカン・ニュー・シネマの名作『俺たちに明日はない』も頭をよぎります。ただ、この作品の場合は、様子が違います。ふたりは愛を成就するために逃げるんではないんですね。愛し合うどころか、まだたいした交流もない状態で、それぞれに着の身着のままで逃げ出すことになります。刑務所から戻ってきたばかりで娘のもとをまたぞろ訪れた父を刺してしまったタカラ。その場に居合わせた翔太。冷静に考えると、逃げずにその場にとどまれば、正当防衛で情状酌量の余地はあるだろうか    ら、罪はそう重くならないだろうと思うんですが、とっさに逃げ出すわけです。表面的には、ふたりは犯罪からの逃亡を図るんだけれど、もう少し踏み込んで考えると、ままならない現状、人生の見えない壁にぶち当たっている閉塞感から矢も盾もたまらず飛び出したという印象があります。つまり、逃亡の素地があったということですね。そんな状態だから、計画も何もない。微妙な距離を保ったまま、ふたりは電車に乗り込み、あてもなくさまよいます。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
翔太が強く手を引いたってストーリー紹介で言いましたけど、彼は彼で、やり場のない焦燥感を抱えています。役者としてうまく立ち回れない中、努力も中途半端で、オレオレ詐欺の片棒をかつぐような有様のはっきり言って小物です。そんな彼がたまたま実家近くの老人ホームへ行って、カモにしてきたような老人たちと交流するわけですから、気まずさや罪悪感も湧いてくる。俺は何をやってるんだろう。こんなはずじゃなかった。でも、タカラを窮地から救うことで、自分の存在意義を確認するような、そんな感覚もあったかもしれません。申し訳無さそうにするタカラに対し、「俺、かくれんぼ得意なんだ」なんて口にします。
 
一方のタカラは、途中で巡り合った人を相手に、事情を説明しなければならなくなった際、怪しまれないように、「駆け落ちです」と応える。このあたりから、翔太が助けるように見えて、むしろタカラが引っ張ったり支えたりする局面が垣間見えるようになっていきます。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
つまり、ふたりの関係と距離が入れ替わったり、伸び縮みしたりしていくんです。その「時間」とふたりの「体温」を感じさせることに、監督は心を砕きます。説明するんではなしに、感じてもらうために、今僕はべらべら喋っていますが、セリフはかなり削ぎ落としてあるし、当初の脚本にあったキラキラ青春映画的要素もカットしたようです。代わりに、和歌山ロケだからこそ実現できる景色や眩しい陽光の濃淡と色味の工夫でふたりの時々の心境を画面に映し出すことに成功しています。だから、今思い出すのはその映像なんです。ドキュメンタリー的な息遣いの映像もあれば、何度かファンタジックに飛躍する演出があって、忘れがたいです。

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(C) 2020 ソワレフィルムパートナーズ
タイトルの出し方もかっこよかった。ソワレとは、フランス語で芝居の夜公演を指す言葉。これを幼年期の終わり、大人として迎える夜明けまでの物語として見ると面白いと僕は思います。ふたりの寄せては返す感情と言動の果て、鑑賞後の僕に残ったのは、意外にも、働くこと、誰かの記憶に残ること、そして、誰かを想って生きることの、喜びでした。逃避行というジャンルの常として、明快なハッピーエンドは少ないし、これも決して明るい話ではないけれど、ジメッとはしていなくて、最後にはじんわりと喜びがやって来ました。不思議な体験だし、僕は「映画を観た」という実感を強く覚える佳作だと思います。


これは僕が勝手に添える曲です。イギリスのBIBIOが今年リリースした作品。眠りながらも飛び続けるアマツバメをモチーフに、辛いことに直面してから抱く希望を歌っています。


さ〜て、次回、2020年9月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、実写版の『ムーラン』です。製作上のすったもんだがあって公開が遅れ、コロナ禍にぶち当たり、挙句の果てにディズニー+での配信となってしまった作品。会員登録(一ヶ月は無料とはいえ)に加えて税抜2980円が必要というハードルの高い作品。いろいろと波乱含みですが、ディズニーの新作を候補に入れないのもなと思っていたら、当たりました(笑) あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映より 『黄金の一味』解説 

どうも僕です。ハムエッグ大輔です。恥ずかしながらドーナッツクラブに戻ってまいりました。ここ数年は個人で活動してたのですが、この度エドアルド・レオ特集上映実現のために、再びドーナッツクラブと手を組むことになった次第です。今日から数回にわたって映画の解説を担当させていただきます。まずは数日後になら国際映画祭でも上映が決まっている『黄金の一味』(Gli uomini d’oro)からご紹介。

 

トリノの郵便局に勤めるナポリ出身のお調子者メローニは、給与にも仕事内容にも不満を覚えている。年金を繰り上げて受け取り、コスタリカに新天地を見出そうとしていたが、政府の金融改革により、計画はふいになってしまった。そこで企てたのが、自分の運転する現金輸送車から、護衛の警官に気づかれないように、現金を略奪するという計画だ。小柄の親友ルチャーノを、輸送車後部の金庫に潜ませ、偽の札束と現金をすり替えさせるのだが、この作業の時間を稼ぐために、堅物の同僚ザーゴも共謀者に引き込む……。

2019年に公開されたヴィンチェンツォ・アルフィエーリ監督の長編第二作『黄金の一味』は、1996年にトリノで実際に起こった現金略奪事件を題材にしたノワール映画だ。あまり知られていないが、イタリアは、実話をもとにしたノワールの宝庫だ。その理由は実際に題材となるような事件がたくさん起きていたから。誘拐、監禁の果てに殺害された元首相、在位期間33日で不審死を遂げた法王、テロ準備中に誤爆死したとされる実業家などなど、過激な政治集団のテロが横行した70年代には、信じがたい事件がたくさん起こり、そのいくつかは映画にもなっている。

 

このようなノワールのなかでもエポックメイキングだったのが、2008年から2010年にかけて放映されたドラマ『野良犬たちの掟』(Romanzo criminale)だろう。ローマを牛耳る犯罪組織マリアーナ団の趨勢を描いた一大叙事詩で、これが社会現象と言ってもよいほどの大ヒットとなった。さらにナポリの犯罪組織カモッラの抗争から着想を得た『ゴモラ』(Gomorra)、ローマの行政とマフィアの癒着問題を脚色した『暗黒街』(Suburra)と、人気ノワール・ドラマの系譜が続く。だから『黄金の一味』の前情報をつかんだとき、トリノの現金略奪事件という題材が、これらのドラマに比べて、ネタとして弱いのではないかと危惧した。ところが映画を観て、それはまったくの杞憂だったことがわかった。

 

まず、その脚本の妙に着目したい。事件に関わった三人の主人公メローニ、ザーゴ、そして映画序盤ではほとんど姿を現さない第三の男ウルフが、それぞれの視点で事件を体験する、いわば黒澤明羅生門』方式になっている。主人公が変わるごとに、新事実が明かされ、事件自体はあっけないものなのだが、鑑賞者を飽きさせずに惹きつける仕掛けがたくさん施されている。緻密な脚本をアルフィエーリと一年かけて共同執筆したのは、エドアルド・レオ主演映画『私が神』で監督を務めたアレッサンドロ・アロナディーオ、アルフィエーリ監督のデビュー作『最悪の男たち』(I peggiori)からタッグを組むレナート・サンニオ、人気コメディー『お帰りなさい、大統領』(Bentornato Presidente)の監督ジュゼッペ・スタージ。アルフィエーリと同年代で、30代半ばから40代前半の彼らは、互いの作品に関わり合い、また各々で活躍している印象を受ける。今後のイタリア娯楽映画の重要な担い手となっていくだろう。

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メローニ役のジャンパオロ・モレッリ(左)とヴィンチェンツォ・アルフィエーリ監督(右)

 

もう一つのポイントは、アルフィエーリがハイブリッドな感覚を持った監督であるということ。長編第一作『最悪な男たち』はヒーローものを選んだが、二作目はノワールで勝負したいと、当初から考えていた。そんな彼のもとに、脚本の共同執筆者サンニオが、トリノの現金略奪事件の新聞記事を持ってくる。記事の末尾に書かれた「もしこの事件を映画化したら、『いつもの見知らぬ男たち』(I soliti ignoti)のように始まって、『レザボア・ドッグス』(Reservoir Dogs)のように終わるだろう」という一文を読み、両作品の大ファンだったアルフィエーリは、この事件を自分の長編二作目の題材にすることを決意したのだった。

 

『いつもの見知らぬ男たち』は、イタリア式喜劇の第一人者マリオ・モニチェッリの代名詞的作品。『レザボア・ドッグス』はクエンティン・タランティーノの記念すべき処女作だ。どちらも、ろくでもない悪人たちが出てきて強盗を企み失敗するという点で、『黄金の一味』に通じるものはある。どう始まって、どう終わるかはさておき、記事の文言に共鳴するほど、アルフィエーリのなでは、イタリア映画とハリウッドが骨肉になっている。その事実は、『アトミック・ブロンド』『ダンケルク』『暗殺の森』などなど、インタビューの端々で彼が引用する作品名からもよくわかる。イタリアのノワールの系譜のみに収まり切らない、彼のハイブリッドな感覚が、本作に深い味わいをもたらしている。

 

『黄金の一味』の上映日程はこちらでチェック!

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。

 

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