エドアルド・レオ特集上映より 『ブォンジョルノ、パパ。』邦題について
「スッチャーデスさんボンジョルノ」とオザケンが早口で朗読したダースのテレビCMが流れていたのは、もうかれこれ25年前のこと。「おはよう」や「こんにちは」を意味するこの「ボンジョルノ」という言葉が曲者で、分解すると「ボン」(良い)、「ジョルノ」(日)となるのだが、「ボン」の実際の発音は明らかに「ブオン」に近い。カタカナ表記では忠実に原語の発音を再現できないため、イタリア語に限らず、この手の間違いは多々ある。間違ったカタカナ発音が流布して独自の日本語になった例もある。有名どころでは“white shirts”が「ワイシャツ」などだ。これら間違ったカタカナ発音を、自らの生業にしているイタリア語でまかり通らせてよいのかという葛藤を日々感じている。「ボン」と書くことで、どこかイタリア語を日本語から遠ざけているような、罪の意識にさいなまれるのだ。ちなみに「ボーノ」(おいしい)も、「ブオーノ」と発音するほうがもともとの発音に近いし、よりおいしそうじゃないですか?
この発音の是正を提唱したのが、なにを隠そう弊社代表の野村雅夫である。日伊ハーフの彼は、イタリア人の母親に指摘を受けたらしく、以降SNSでの挨拶は、「ボンジョルノ」ではなく「ブオンジョルノ」と記すようになった。
そんな細かいこと言わずに、別に「ボンジョルノ」でいいじゃんという言い分も、よくわかる。例えば、ベトナムのもとの発音に近いのは「ヴェットナム」だと指摘する向きもあるが、日本で浸透している「ベトナム」でなんら問題ないし、なにより言いやすいではないかと思えてくる。結局は、原語の発音を正確に再現するのが難しいカタカナの中で、どこで折り合いをつけるかという問題になってくる。ただ、イタリア語を話す身としては、多少面倒くさいと思われても、「ボンジョルノ」ではなく「ブオンジョルノ」と書きたくなるのが人情だ。
『ブォンジョルノ、パパ。』の1シーン。レイラ役のロザベル・ラウレンティ・セラーズ(左)とおじいちゃんと呼ぶのを怒るおじいちゃん役のマルコ・ジャッリーニ(右)
さて、京都ドーナッツクラブでは”Buongiorno, papà”の邦題を『ブォンジョルノ、パパ。』とした。野村式の「ブオンジョルノ」よりさらに忠実に、”Buon”の母音の連続“uo”を意識して「ブォンジョルノ」と、もう一段階面倒くさくしたのだ。前回のブログですでに紹介したとおり、『ブォンジョルノ、パパ。』は父と娘のヒューマンドラマだ。40過ぎの色男アンドレアのもとに、娘だと名乗る17歳の少女レイラが突如現れる。話を聞いてみると、アンドレアがまだ若かったころ、ひと夏のバカンスで関係を持った女性の子どもらしい。母親はもう亡くなってこの世にいない。困惑するアンドレアだったが、DND鑑定でレイラが自分の娘であることが確定する。戸惑いながらも徐々に事実を受け入れはじめるアンドレアに対して、レイラは実の父の軽薄さを目の当たりにして嫌悪感を示す。
レイラが初めてのアンドレアの家を訪ねたときの挨拶は、「ブォンジョルノ」ではなく、「チャオ」だった。「ブォンジョルノ」よりも、簡易でフランクな挨拶で、知らない人にいきなり「チャオ」では、少し失礼な印象を与えることもある。「チャオ、私レイラ。あなたの娘よ」。もちろん彼女はアンドレアに対して「パパ」などと呼んだりはしない。だが物語が進むに連れて、紆余曲折を経て「ブォンジョルノ、パパ」と言える関係性にたどり着く。その言葉の重みを大事にするために、やや面倒くさくはあるものの、「ボン」でも「ブオン」でもなく、「ブォン」で折り合いをつけた。
アンドレアを演じたラウル・ボーヴァは、15歳のときに背泳ぎの全国大会で優勝するほどの有望な水泳選手だった。日本で全国公開されたリカルド・ミラーニ監督『これが私の人生設計』に出てくるゲイのレストラン・オーナー役の印象が強いかもしれないが、元スポーツ選手の体形と甘いマスクで、二枚目の色男役が多い。
レイラを演じたのは、ロザベル・ラウレンティ・セラーズ。イタリア人ドキュメタリー作家の父とアメリカ人女優の母のもと、1996年カリフォルニアで生まれたが、2004年に家族でローマに移住。以来、子役として多数のTVドラマに出演する。京都ドーナッツクラブが主催した「映画で旅するイタリア2016」で上映したイヴァーノ・デ・マッテオ監督『幸せのバランス』の娘役が素晴らしかった。こちらでは浮気をきっかけに社会的地位から転落していく父を支えるけなげな女の子を熱演していた。
つまりそれぞれが得意とする役どころで共演したのがこの『ブォンジョルノ、パパ。』だ。その二人を取り巻くアンドレアの友人役エドアルド・レオと、レイラのおじいちゃん役マルコ・ジャッリーニの姿も、個性的で楽しい。
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コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。
POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』短評
さ〜て、次回、2020年10月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『スパイの妻 劇場版』です。「『TENET』当ててねっと」というリスナーの願いも虚しく、今回も当たりませんでしたね。候補作に入れるのも、来週が最後かな。とはいえ、何とか開催された今年のヴェネツィア国際映画祭で監督賞を受賞した黒沢清監督の最新作。いいじゃないですか! 神戸が舞台でもあるし、僕は俄然興味が湧いていますよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『黄金の一味』
私、セサミあゆみは今回、「黄金の一味」の字幕制作を担当しました。
この作品には、イタリアの事情を知らないと少しわかりにくいだろうな、というところがいくつか。語りすぎて野暮にならなければいいのだけれど、知っていると映画をより楽しめるだろうイタリア情報を少しだけお伝えします。
白黒の縦じまユニフォームのユヴェントス
作品の舞台はイタリア北西に位置するトリノ。トリノには、そこをホームタウンとするプロサッカーチームが二つあります。
一つは言わずと知れた強豪ユヴェントス。毎年のように優勝争いをする、イタリアを代表するチームのひとつなので、サッカー好きでなくとも耳にしたことがあるのではないでしょうか。白黒の縦じまのユニフォームで、現在はクリスチアーノ・ロナウドも所属。トリノに限らずイタリア全土、どこにでもファンがいる。ある意味、巨人のようなチームとでも言えるでしょうか。
そしてもう一つ、別のチームがあるのです。えんじ色のユニフォームのトリノFC。Toro(雄牛)の愛称で呼ばれるのを耳にします。成績はユヴェントスほど振るわず、セリエBに降格したこともしばしば。ユヴェントスを知る日本人でも、トリノFCは知らないことが多いでしょう。
とはいえ、トリノFCにも、飛ぶ鳥を落とす勢いでセリエAを連覇し続けた時代がありました。そして、そんなときに悲劇が起こります。1949年、前年までセリエA四連覇を果たしていたトリノFCは、その年の優勝も間近に控え、国際親善試合から帰還するときのことでした。選手やチームスタッフを乗せた飛行機が、トリノの郊外の丘の上に建つスペルガ聖堂に突っ込んだのです。選手やチームスタッフ、搭乗者全員が死亡しました。
ガンバ大阪とセレッソ大阪の大阪ダービーのように、同じ町をホームタウンとするチーム同士はライバル心が芽生えやすく、試合が盛りあがるのはイタリアでも同じ。「黄金の一味」には、強豪ユヴェントスファンと、古豪トリノFCファンが出てきます。両者のやり取りに注目ください。
また、北部は勤勉で、南部は怠け者といった、イタリアおなじみのステレオタイプ像も出てきますが、残念ながら(あるいは力不足で)、方言の音が伝えるセリフのニュアンスを字幕には載せられませんでした。ですが、ぜひ登場人物の出身地も気に留めながらご鑑賞ください。
最後に、「黄金の一味」が狙う現金輸送車が運んでいるお金の額について。「40億リラほどではないか」というセリフがあります。40億リラは日本円に換算すると、およそ2億5000万円ほどでしょうか。このセリフの後にも、金額を推測する数字がいくつか出てきますが、参考までに。
以上、過剰な前情報にならないことを願いつつ、「黄金の一味」をぜひお楽しみください。
ビリヤード場で北部のイタリア人ザーゴと「南部野郎」メローニとルチャーノが邂逅する……
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『黄金の一味』が劇場で見れる機会はあと4回!
10月20日(火)20時40分~
10月24日(土)時間未定、おそらく夕方
アップリンク京都にて
10月24日(土)17時10分~
10月27日(火)20時~
あ、「予定が合わへんわ~」という方はアップリンク・クラウドでのオンライン上映会で10月30日~11月7日まで視聴可能ですよ!
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。
Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。
ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。
エドアルド・レオ特集上映より 監督としてのレオ
子どものころは俳優をするなんて、一度も考えたことがなかった。
この一文から始まるエドアルド・レオのホームページのバイオグラフィが面白い。キューブリックにはまって、履歴書に嘘のキャリアを書き、イエローページでみつけた芸能事務所に送り付けると、その履歴書を信じた事務所が、大事な映画のオーディションにレオを送り込むが、彼は一時間遅れで到着する。そんな感じでオーディションを繰り返し、なんとか端役を手にしたのがデビューのきっかけだ。
バイオグラフィの最後は、好きなアーティストの羅列で終わる。コーエン兄弟、セルジョ・レオーネ、バスキア、ローマ方言の詩人ジョアキーノ・ベッリ、キース・ジャレット、ブルース・スプリングスティーン、そしてなんといってもエットレ・スコラが好きとのことだ。
2017年、レオの監督としての第四作『どうってことないさ』(Che vuoi che sia)がイタリア映画祭で上映されるのに合わせて来日したことがあった。その彼に、文化会館のはからいでインタビューさせてもらった。私は上記のバイオグラフィを引っ張り出して、キューブリックで始まりエットレ・スコラで終わるこの雑食ぶりを、自分のなかでどのように消化してアウトプットしているのかという話をしようとした。ところがレオからは早々に「そもそも、これは僕のバイオグラフィじゃないよ」と、意地悪な冗談でかわされてしまった。インタビューはまったくうまくいかなかったが、最後にこんなことを言い添えてくれた。「僕の映画は近所の肉屋からは楽しいと言われ、知り合いの新聞記者からはインテリだと評される。僕は肉屋にインテリと言われ、記者から楽しいと評される映画をつくりたい」
このエピソードを弊社野村に語ったら、「それってうまいこと言ってるようで、よく分からん映画を見たときに言うやつやん」と突っ込まれた。確かに、うまいこと言いたがるイタリア人らしいロジックのように思えるが、要は、芸術に造詣の深いインテリも唸らすほどのエンタメ映画を撮りたいということではないだろうか。その気概を、レオの監督映画を見ていてひしひしと感じる。
俳優としてブレイクする前から、彼はコンスタントに監督として映画をつくり続けてきた。第一作は2010年の『18年後』(Diciotto anni dopo)。母の事故死をきっかけに話すことのなくなった兄弟ミルコとグラツィアーノは、それが尾を引いて18年間まったく会話をせず、離れて暮らしている。父親の葬儀で久しぶりに再会したふたりは、父の遺言に従い、亡くなった母のお墓まで父の遺骨を運ぶたびに出かける。監督を務めたレオは、主人公で吃音のミルコを演じている。
第二作は今回の特集上映でも上映される2013年の『ブォンジョルノ、パパ。』(Buongiorno papà)。40過ぎのアンドレアは映画業界で働くやり手の色男。高級車を乗り回し、ローマ市内のオシャレなマンションで悠々自適に暮らしている。彼とハウスシェアしているパオロは、仕事も女性関係もうまくいっていないが、大道芸で一旗揚げるロマンチックな夢を胸に抱いている。そんな彼らのもとに、アンドレアの娘だと名乗る十七歳の少女レイラが現れ、生活は一変してしまう。ここでレオは、主人公を上手にフォローする友人パオロを演じている。
この初期二作のテーマは明らかに家族だ。それぞれ両親の喪失、娘の出現という極限のシュチュエーションをつくり出し、家族の在り方と、それが再生していく様子を描いている。
パオロ(エドアルド・レオ)とレイラ。『ブォンジョルノ、パパ。』の一場面。
2015年の第三作『俺たちとジュリア』になると趣が少し変わる。人生に行き詰まりを感じた車のセールスマンのディエゴ、通販番組の司会者ファウスト、町の総菜屋クラウディオの3人は、古い農場を共同購入し、ファームホテルにリノベーションして再起を図る。気性の激しい元武闘派共産党員、タトゥーだらけの妊婦という超個性的な面々を仲間に加え、絶妙なチームワークで準備を進めるが、クラシックカー「ジュリア」に乗ったカモッラが現れ、上納金を要求する。
家族というテーマが影を潜めたように見えるこの作品も、実は亡くなった父に語りかける形で、主人公ディエゴのナレーションが入る。物語の最後には、今までにない人生の冒険に挑んだ旨を亡父に報告し、人生の意味を反芻する。そして「フランチェスコとアニータへ」というテロップが添えられて物語は終わる。フランチェスコとアニータというのは、エドアルド・レオの実の子どもだ。人生の意味を我が子に伝えるという意図がこの映画には含まれているのだ。
三作目は彼が一貫して持っているテーマに加えて、人生を失敗した男の再生劇がコメディ・タッチで描かれており、よりエンターテイメント性が増している。つまり、彼の目指す映画の形に近づいていることが伺える。その傾向は2016年の第四作『どうってことないさ』にも受け継がれ、そして現在は2021年に公開予定の『いつかローマで別れることになる』(Lasciarsi un giorno a Roma)を準備中だ。果たしてインテリに楽しいと評される作品は完成したのか。心待ちにしたい。
左からディエゴ、元共産党員のセルジョ、総菜屋のクラウディオ、通販の司会ファウスト(エドアルド・レオ)。『俺たちとジュリア』の一場面。
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。
「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。
イタリアのトップブランド、トップクォリティーの商品の提案において最も先進的で機動的であること、それがJETの強みです。
1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。
現在、JETはイタリアの全20州からトップブランドの名にふさわしいワインを揃え、ガストロノミーの発展のため、次世代の方々の成長のために、商品だけでなく、豊かな食と文化の活性化を目指しています。
その特徴は、イタリアの食文化と人、そして食品マーケットに精通しているイタリア人のオーナーとスタッフが「素材」と「味」をリサーチし、選んでいること。
イタリアとの幅広く、太いパイプとコミュニケーションにおいて、他社の追随を許さない際立ったノウハウといえます。
イタリアの食文化を通し、日本とイタリアの架け橋になることを使命としています。 次世代に続く、豊かな食文化の発展のために活動していきます。
『オン・ザ・ロック』短評
つまり、小説で言えば、リベラルな中年女性の人生の迷い・戸惑いやスランプを描く、私小説的な中編という感じ。あくまで例えですが、ジム・ジャームッシュの初期作品や、ニューヨークでもあるしウディ・アレンのタッチが好きな人にはハマるし、そうでない人には、どこにチューニングしていいかよくわからないまま終わるという可能性も大いにある映画だと思います。では、僕としてはどうかと言えば、チューニング感度良好でした。この手のささやかだけれど、細やかで丁寧な描写は大好きです。
とある評論家の、こんな批判も眼にしました。曰く、「ローラにしたって、父のフェリックスにしたって、経済的余裕のある層の一人よがりな行動、贅沢な悩みの解決法に見えてしまう」と。これが、チューニングが合わなかった一例だと思います。僕に言わせれば、ここで経済的な困窮や格差みたいなことを描こうもんなら、肝心のテーマは浮かび上がってこないですもん。都市生活者の孤立なんかすっ飛んじゃいますから。
エドアルド・レオ特集上映より 『わしら中年犯罪団』サウンドトラック
「ジローラモに騙されるな」と声を大にして言いたい。スーツに高級腕時計でキメて、口を開けば女の子の話……。そんなステレオタイプなイタリアのちょいワルおやじ像を打ち壊すべきではないか。そんな思いから、現地イタリアのちょいワルおやじの生態を紹介すべく、『わしら中年犯罪団』を上映する運びになったと言っても差し支えないだろう。2018年から1982年にタイムスリップしたちょいワル……もといぱっとしない中年三人組。ちょっと間の抜けた色男セバスティアーノ役はアレッサンドロ・ガスマン、気の小さいジュゼッペ役はジャンマルコ・トニャッツィ、お金に汚いモレーノ役はマルコ・ジャッリーニが演じる。経歴も紹介しておくと、アレッサンドロ・ガスマンは『追い越し野郎』など1950年代から活躍し続けた名優ヴィットリオ・ガスマンの息子、ジャンマルコ・トニャッツィはイタリア式コメディーの象徴ウーゴ・トニャッツィの息子だ。実力と名声を兼ねそろえた二世俳優の豪華な共演が実現している。そしてマルコ・ジャッリーニはいくつもの映画でエドアルド・レオと共演した「コンビの相方」的な存在。作中ではこの中年三人がレオと一緒にハードロックバンドのキッスのコスプレで銀行強盗をするのだから、面白くないわけがない。
左からモレーノ(マルコ・ジャッリーニ)、ジュゼッペ(ジャンマルコ・トニャッツィ)、セバスティアーノ(アレッサンドロ・ガスマン)
さて、タイムスリップした彼らは、戸惑いつつも、古き良き「リラの時代」を謳歌する。ベルトや靴を購入し、『ランボー』のポスターをバックに自撮りをし、今はなきアイスキャンディーをほおばる。つまり作中には中年おやじを引き立てる様々な文化的アイテムが登場するのだが、そのなかでも今回は音楽に着目したい。1982年であるがゆえに、かかる音楽は懐メロばかり。ディスコの場面では、当時リリースされたばかりのインディープ「ラスト・ナイト」、そしてもちろんキッスのコスチュームを着て強盗に入るシーンはキッスの「ラヴィン・ユー・ベイビー」。当時の流行がよくわかる洋楽も聞いていて楽しいのだが、ここはイタリア国産の懐メロを見てみよう。
物語り後半のディスコの場面で流れるアラン・ソレンティ「星の子どもたち」(Figli delle stelle)。1977年にリリースされた軽快なディスコ・ポップ・チューンで、当時この手の曲が英語ではなくイタリア語で歌われることは非常に珍しく、その目新しさも手伝って16週に渡りイタリアのシングルチャートのトップ10入りを果たした。アラン・ソレンティは元々プログレ・ロック出身だが、この曲が収録されているアルバムで大きく方向転換する。AOR的な大人の雰囲気を醸しつつ、のびやかで柔らかいハイトーンボイスで歌われるそのサビの歌詞が以下のようなものだ。
Alan Sorrenti - Figli Delle Stelle - 1977 versione originale restaurata
Noi siamo figli delle stelle ぼくらは星の子ども
figli della notte che ci gira intorno. 周りを包む夜の子ども
Noi siamo figli delle stelle, ぼくらは星の子ども
non ci fermeremo mai per niente al mondo. この世界にとどまることはない
noi siamo figli delle stelle, ぼくらは星の子ども
senza storia senza età eroi di un sogno. 歴史も年齢も夢のヒーローも知らない
Noi stanotte figli delle stelle, ぼくらは今夜 星の子ども
ci incontriamo per poi perderci nel tempo. 時のなかで迷子になるために出会うのさ
アラン・ソレンティは「星の子どもたち」のリリースから二年後にバラード「僕にとって君は唯一の女性」(Tu sei l’unica donna per me)でさらなる成功を収める。それに引き換え日本では知名度が低いこちらの楽曲だが、いま聴き返しても鮮度が落ちていない。「ぼくらは星の子ども」を繰り返し、刹那的な生き方を楽しむ当時の若者たちの儚さを、その軽やかな旋律で表現している。イタリア中年たちが、こんなオシャレ曲を聴いて育っていたとは、やはりあなどりがたい。
そしてもう一曲紹介したいのが、物語の肝となるヴァレリア・ロッシの「三つのことば」(Tre parole)だ。2001年のトルメントーネ(その夏いちばんのヒット曲)で、当時32歳だったヴァレリア・ロッシはこのデビュー曲でキャリア最大のセールスを売り上げた。意地悪な言い方をすれば一発屋と呼べなくもないが、こちらのサビの歌詞も興味深い。
Dammi tre parole 三つのことばをちょうだい
Sole, cuore, amore 太陽 心 愛
Dammi un bacio che non fa parlare 口を開けなくなるようなキスをちょうだい
È l'amore che ti vuole あなたが望む愛
Prendere o lasciare つかみとるの それとも手放すの
Stavolta non farlo scappare 今度は逃さないでね
Sono le istruzioni これは教え
Per muovere le mani 手を動かすための
Non siamo mai 私たちがこれほど
Così vicini 近くにいることはなかった
透明感のある楽曲の雰囲気とアレンジはどことなく、「三つのことば」のさらに数年前に全世界で流行ったオーストラリアの歌手ナタリー・インブルーリアの「トーン」に似ている気がするが、高揚感のあるサビでparole(パローレ=ことば)、 sole(ソーレ=太陽)、 cuore(クオーレ=心) 、amore(アモーレ=愛)と、母音「オーエ」でイタリア人の心にもっとも刺さる最強の韻を踏んでいるところはこの曲ならでは。さらにサビの後半でもistruzioni(イストゥルツォーニ=教え)、mani(マーニ=手)、vicini(ヴィチーニ=近い)で長音+「ニ」の韻を踏んでいる。この押し寄せる韻のコンボが大ヒットに結びついた。
1982年時のヒット曲に混ざって、2004年のヒット曲が歌われる、いわば懐メロのマリアージュが、中年おやじの冒険譚を鮮やかに引き立てている。
アップリンク吉祥寺で上映される『わしら中年犯罪団』16時30分~(野村雅夫トークショー付き)の回、チケット先行予約が始まっております!
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました!
今回は、イタリア語およびヨーロッパ言語の観光ガイド・アシスタントになるためのグイダプリマベーラ養成講座をご紹介。
インバウンド業務のプロフェッショナル株式会社JAPANISSIMOが母体となって立ち上げた一般社団法人日本ツーリストガイド・アシスタント協会。協会ではガイド・アシスタントを養成するグイダプリマベーラ養成講座をイタリア語、スペイン語、フランス語で定期開催。その他、野外講座、翻訳講座、文化セミナーなど、入会していただくと語学を使ったお仕事につながる様々な特典が用意されています。
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