京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『わしら中年犯罪団』

最近は観光ガイドの仕事がなくて、YouTubeばかり見ている。いままで見てこなかった総合格闘家YouTubeチャンネルなどを見ている。これが面白い。めちゃくちゃ面白い。いろんな切り口で面白さを語ることができるのだが、何より格闘技が語学に通じているところが面白い。共通点としては、まず両者ともに日々の鍛錬が必要ということ。来るべき試合(仕事)のために、日々練習をして筋力をつけたり、試合勘を磨いたりしなければならない。スパーリングはさながら語学を用いたフリートークだ。相手が母国語話者となると、おのずとトップレベルの格闘家と一戦交えているような気分になる。そんな考えを巡らせながらYouTubeチャンネルを視聴するのが楽しいのだ。

なかでも感銘を受けたのが朝倉未来とボクシングのWBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人がコラボレーションした動画である。総合格闘家の朝倉とボクサーの京口が、ボクシングのルールでスパーリングをする。スパーリング終了後に京口が朝倉のセンスをほめちぎるのだが、こう釘をさしもするのだ。「総合の選手がボクシングのパンチの打ち方を覚えるとマイナスに働くこともあると思う」。同じ格闘技であっても、総合格闘技とボクシングでは、セオリーがまったく違う。関連性はありながらも、ボクシングで学んだことが、そのまま別ジャンルの格闘技に活かせるというわけではない。逆もまた然りである。

このコメントを聞いた私は興奮した。文芸翻訳と字幕翻訳の関係とまったく同じではないか。文字のみで表現する文芸書の翻訳は、原文の細やかなニュアンスや語調、字面を気にしながら、時には訳注もつけながら仕事を進める。ところが次々と映像が流れていく字幕翻訳では、そうはいかない。可能な限り文字数を削って簡潔さを心がける。そこに訳注など入ろうはずもないし、ある程度は手ぶりや話者の口調で理解してもらえることを想定する。だから文芸と字幕では、同じ翻訳であっても完全に別物なのだ。今回の特集上映で久しぶりに字幕翻訳に触れて、それを痛感した。

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『わしら中年犯罪団』のヒロイン役ローマ弁女優サブリーナイレニア・パルトレッリ。現代のアンナ・マニャーニか。

 

特に『わしら中年犯罪団』のような、登場人物の掛け合いが多く、方言や固有名詞や言葉遊びがふんだんに盛り込まれている作品となると、ウルトラC的な技を繰り出さなければならない。その技量がないときはどうすればいいか。少々せこい気もするが、英語字幕を確認するのだ。イタリア語字幕をつける際に使う映像素材には、たいてい英語字幕がすでについている。ウルトラCの技を繰り出せずに悩んでいるときは、ひとまず英語字幕を参考にする。格闘技でも、強敵と戦う前は、相手の過去の試合を見て研究するのが定石だろう。そんなわけで、今回も英語字幕を折に触れ参考にしつつ作業していたら、偶然にも、ウルトラCではなく、この英語訳は反則ではなかろうか……という箇所を発見してしまった。まずは下記の動画で疑惑の場面を確認してほしい。


NON CI RESTA CHE IL CRIMINE - Clip - Tanti auguri a me

 

自宅でひとり寂しく「ハッピーバースデートゥーユー」を歌うサブリーナ。そこに彼女に盗まれた結婚指輪を取り返すため、セバスティアーノがやってくる。まずはご機嫌を取ろうと、誕生日プレゼントとして、彼女にライターを渡す。このライターは、セバスティアーノ含む、現代から1982年にタイムスリップしてきた主人公の中年三人組が、現代で企画していた「マリアーナ団ゆかりの地ツアー」の販促アイテムである。ライターの表面に「ローマを占領」(Pijamoce Roma)の文字がでかでかとプリントされている。これは作中に登場する実在の犯罪組織マリアーナ団のボスが発した名言だ。だが実際には、ボスの名言がプリントされたライターなど、この時代にあるはずがない。うまく読めないサブリーナが「英語かしら?」とたずねると、本当のことが言うに言えないセバスティアーノは、話を合わせて「英語だよ」と答える。

コミカルな場面だが、なんとここの英語字幕が「フランス語かしら?」(French?)となっているのだ。真意はわからないが、おそらくは英語圏の映画鑑賞者を想定して、英語を笑いのネタにするのはまずいという判断で、「英語」を「フランス語」に差し替えたのではないだろうか。イタリア語でははっきりと「英語」(inglese)としゃべっているのに。この反則技は、イタリアとアメリカ、またはイギリスとの関係性をよく表していると思う。配給会社か字幕翻訳者か、誰かが英米に忖度しているのではないか。大金持ちのアメリカ人クライアントを前にもみ手をするイタリア人の姿が脳裏に浮かぶ。それにしても、フランス語にしてみれば、とんだとばっちりだ。

そもそも作品になる前の素材での話なので、実際にアメリカで上映された”All you need is crime”(『わしら中年犯罪団』の英題)で、この訳が採用されているかは知らない。このままだとすれば、何かしらの力が働いた意図的な誤訳、つまり八百長試合と言えるのではないだろうか。今回の字幕翻訳は、純粋に言葉遊びや会話の応酬などでたいへん苦労したが、このような予想外の発見もあった。なんともつらく、楽しい字幕翻訳作業だった。

 

2020年10月30日~11月7日『わしら中年犯罪団』はオンライン上映会で鑑賞できます。

オンライン映画館アップリンク・クラウドへゴー!

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。

 

「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。

イタリアのトップブランド、トップクォリティーの商品の提案において最も先進的で機動的であること、それがJETの強みです。

1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。

現在、JETはイタリアの全20州からトップブランドの名にふさわしいワインを揃え、ガストロノミーの発展のため、次世代の方々の成長のために、商品だけでなく、豊かな食と文化の活性化を目指しています。

その特徴は、イタリアの食文化と人、そして食品マーケットに精通しているイタリア人のオーナーとスタッフが「素材」と「味」をリサーチし、選んでいること。

イタリアとの幅広く、太いパイプとコミュニケーションにおいて、他社の追随を許さない際立ったノウハウといえます。

  

イタリアの食文化を通し、日本とイタリアの架け橋になることを使命としています。 次世代に続く、豊かな食文化の発展のために活動していきます。

 

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エドアルド・レオ特集上映より 『俺たちとジュリア』解説

短い短いストローのささった熱い熱いコカコーラ。

これがなにかというと、トスカーナ方言の特徴を紹介するときのおもしろフレーズだ。イタリア語で書くと、La coca cola calda calda con la cannuccia corta corta.となる。前回のカタカナ表記のジレンマをいったん忘れて、発音を表記すると「ラ・コカコーラ・カルダカルダ、コン・ラ・カンヌッチャ・コルタコルタ」だ。ところがトスカーナ方言では母音にはさまれたcはhに変わるという法則がある。つまり上記のフレーズのcのほとんどがhに変わって「ラ・ホハホーラ・ハルダハルダ、ホン・ラ・ハンヌッチャ・ホルタホルタ」となるのである。だからどうしたと問われればそれまでだが、初めてトスカーナの人に会ったときは、本当にcをhで発音している!と感動したものだ。

さて、耳のいい視聴者諸賢は、『俺たちとジュリア』のなかに、トスカーナ方言でしゃべっている登場人物がいるのに気づかれるだろうか。刺青妊婦のエリーザである。

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刺青妊婦エリーザ!役のアンナ・フォリエッタ

 

エリーザを演じたアンナ・フォリエッタは1979年にローマ生まれ。十代のころから劇の舞台に立ち、27歳で映画デビュー。代表作はイタリア映画祭でも話題になった『元カノ/カレ』『みんなフロイトのせい』など。プライベートでは三人の子育てにいそしむ彼女は、最近ではTVドラマ版『マフィアは夏しか殺らない』など母親役が増えた。つまりトスカーナとは無縁の彼女なのだが、エドアルド・レオのインタビューによると、トスカーナ人の設定はフォリエッタが勝手に持ちこんできたらしい。後に『おとなの事情』やレオ監督作『どうってことないさ』でレオと共演するフォリエッタは、彼の意図を汲む能力に長けていたのかもしれない。

というのは、この作品にはトスカーナ方言だけでなく、様々な方言を使う登場人物が出てくる。エドアルド・レオ演じるうさん臭い通販番組の司会者ファウストはローマ弁、ルカ・アルジェンテーロ演じる内気な自動車セールスマンのディエゴはトリノ弁、そしてもちろん舞台である田舎の方言を、カモッラたちがしゃべりたてる。作中では明確に言及されていないが、撮影が行われたのは、バジリカータ州の洞窟都市で有名なマテーラに近いポマーリコとモンテスカリオーゾ。ゆえに彼らが話すのはナポリ弁といよりは、もっと最南端の方言かもしれない。

つまりレオは舞台となるファームホテルを、様々な人種の集まるメルティング・ポットにしたかったのだ。さらには、ガーナから移住してきたアブーや共産主義に傾倒していたセルジョも加わり、物語が進むにつれて人種と思想のごった煮感がどんどん増していく。

様々な方言を操り、異なる価値観を持った彼らが一堂に会する状況がここに生まれる。映画のタイトルでそんな彼らを指す一人称複数形の「俺たち」(Noi)は、もしかするとイタリア人全体を指しているのではないだろうか。となると、ジュリアは必然的にイタリアと言い換えることができる。地下に埋められて美しい音楽を奏で、そして最後には掘り起こされて、なんとか皆を助ける奇跡の車だ。エミール・クストリッツァユーゴスラヴィアの比喩として、外界と接触を断たれ地下で武器をつくり続ける『アンダーグラウンド』をつくったが、エドアルド・レオはイタリアの比喩として、人生につまずいた中年男たちと地下に埋められたクラシックカーの話をコメディーで描いた。そう考えてみると、『俺たちとジュリア』のなかに、もう一つの大きな物語が見えてくる。

  

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協賛社の一般社団法人日本ツーリストガイド・アシスタント協会さまが、素敵なオンラインセミナーを企画してくれました! ゼロカルカーレはローマ弁ですね。それもRoma Nord-Estの!

 

「イタリア語翻訳の魅力:漫画家ゼロカルカーレ」

今年の9月にゼロカルカーレ『コバニ・コーリング』の邦訳が出ました。イタリア国内で絶大な人気を誇る漫画家ゼロカルカーレ初の邦訳です。この作品の何が面白いかというと、シリア‐トルコ国境地帯の旅を描いたルポルタージュでありながら、その旅の主人公が、ローマ郊外に住む方言ばりばりの神経質な青年ゼロカルカーレというところです。本セミナーでは、時にイタリア特有の文化的知識がないと理解しがたいゼロの独白をいかに日本語に変換するかという翻訳の難しさと楽しさについて、3人の講演者に語ってもらいます。

特別協力:花伝社

◆日時:11月28日(土)10時~12時 

セミナーは、ZOOMを使用しておこないます。ZOOMIDは、お申込後メールにてお伝えいたします。

セミナー参加費:2,000円(税込)協会会員は無料となります。

セミナー内容

栗原俊秀さんによる『コバニ・コーリング』について(30分・日本語)

野村雅夫さんによる映画『アルマジロの予言』について(30分・日本語)

ジョヴァンニ・ガッロによるイタリア人から見たゼロカルカーレ(30分・イタリア語)

質疑応答、みんなでおしゃべり(20分程度)

 

お申込&お問合せ

メール:info@guidaprimavera.com

www.japantourist.guide

 

『スパイの妻 劇場版』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月27日放送分
映画『スパイの妻 劇場版』短評のDJ'sカット版です。

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1940年。日本の軍国主義化か進み、街にもきな臭いムードが漂ってきている神戸。貿易会社を営む福原優作は、仕事で訪れた満州でとある国家機密に触れてしまう。それが許せなかった彼は、自らの正義に基づき、これを国際社会に知らしめるべく動き出します。満州から謎の女を連れ帰った他、油紙に包まれたノートや金庫に隠したフィルムなど、途端に秘密を抱えだした夫を不審に思う妻、聡子。憲兵たちからも目をつけられたこの夫婦の命運やいかに。
 
第77回ヴェネツィア国際映画祭で監督賞にあたる銀獅子賞を獲得したこの作品。監督は、黒沢清。脚本は、東京芸術大学大学院教授としての、彼の教え子である濱口竜介、野原位(ただし)と一緒に書き上げました。聡子を蒼井優、優作を高橋一生、聡子の幼馴染である憲兵東出昌大が演じた他、夫婦の理解者、野崎医師には笹野高史が扮しています。
 
僕は先週金曜日の午後に、MOVIX京都で観てきました。『鬼滅の刃』に乗り切れない映画ファン層を取り込んだのか、ヴェネツィア効果なのか、とにかく入ってましたね。すばらしい。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

優れた映画はあらすじにまとめきれないところに魅力があるもの。この作品もそうです。理解の肝は、優作が道楽で映画を撮影しているアマチュア映画作家であること。これが、物語のアクセントどころか、物語をより深く理解するための鍵になっています。
 
黒沢清監督は、これまでだいたい現代の東京を舞台にした映画を撮ってきましたが、今回は故郷の神戸を舞台にした時代もの。ロケもあるけれど、セットを作る必要もありました。お手伝いさんが住み込んでいるような金持ちの夫婦が主人公ってのもこれまでなかったことですが、このふたりと夫優作の甥っ子で部下の男が、会社の忘年会で披露するためにと、スパイものの自主映画を撮っているんです。当時の9.5ミリというフォーマットの小型映画のフィルムで、聡子が女スパイに扮して、暗闇で金庫を開けているところを何者かに見つかって仮面を剥がされる。素人ながら、舶来の映画も好きなんだろうなあという、なかなかのカメラワークと照明使いで、夫婦と親戚でキャッキャやってるなという、物語のスパイス程度に僕も当初は眺めていました。ところが、ここで既に首をもたげていたのが「演じる」あるいは「仮面をかぶる」という、実は全体を貫くアクションなんです。

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その同じカメラを優作と甥っ子が満州に持ち込んで次に捉えることになるのは、優作にとって看過できなかった、関東軍の機密事項。帰国してからの夫の様子がおかしい。夫は何かを隠しているのではないか。女の影もある。嫉妬心に駆られる聡子。監督はここでいかにも思わせぶりな演出をします。もしかすると、優作は本当に女とできたのでは? 急に持ち上がる三角関係。さらに、東出昌大演じる憲兵も優作にいよいよ目をつけて難癖をつけつつあるし、何よりこの憲兵は明らかに聡子に恋心を抱いている。さあ、どうなる。ここからがむちゃくちゃ面白くなります。それぞれの思惑、本音、それを粉飾する演技が交錯するからです。
 
そこへ、またフィルムが再登場。満州で撮影されたフィルムが、自宅で映写されるや、スクリーンに浮かぶ恐怖を目の当たりにする聡子。その様子を目にする優作。今度はそのフィルムそのものが誰の手に渡るのか。国際世論に訴えるために海外に持ち出せるのか。それが憲兵に阻止されるのか。国家vs個人。全体主義vsコスモポリタニズム。軍国主義vs人道主義。こうした対立も浮かび上がって、1940年という時代設定が活きてくるわけです。その中で描かれるのは、これはこの夫婦の愛情、絆の行方って表面的には見えるし、決して間違いではないけれど、愛や正義にこの話を押し込めてはもったいないです。黒沢清映画にしては珍しく登場人物がよく喋りますが、そのセリフだけを追っては、鵜呑みにしてはいけないんですよ。
 
あの大戦で亡くなった若き天才監督、山中貞雄の映画が引用され、溝口健二の名が登場して、ラストには溝口的な霧に登場人物が消えていく。そして、気づけば、あの聡子がスパイを演じたあのアマチュア映画も極めて重要な意味をもっているのだと、あとあと気づかされることに…

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特に主人公たる聡子がいつ何をきっかけにどんな心境になり、誰に本心をあらわにして、誰にそれを隠そうとしているのか。僕は鑑賞後にまた観たくなりました。確認したかったからです。これはいわゆる史実をトレースした歴史映画ではありません。ありそうな話だけど、完全オリジナル脚本です。そのまま見れば、あらすじだけ追えば、ヒューマニズムや夫婦の絆、戦争のむごたらしさを描いた、よくできた歴史もの。でも、一方で、フィルム、映画というのが、事実を映しもすれば、事実を欺きもする、そして人の人生を左右してしまうのだという、映画で映画を語る映画でもある。この重層的な語り口・描写を劇場で体験して、なるほどこれは、聡子のセリフを借りれば「お見事!」だと僕も思ったし、ヴェネツィア銀獅子さもありなんと納得しました。ごちゃごちゃ言いましたが、スリラーでホラーでロマンティクでコミカルでヒストリカル黒沢清作品入門としてもバッチリですので、どうぞ世界で評価された二人目の「クロサワ」最新作をあなたも映画館でご覧ください。
音楽は、東京事変浮雲、ペトロールズの長岡亮介が担当。重厚なサントラを書いていました。ここでは、ソイルアンドピンプセッションズに彼が呼ばれたConnectedをオンエアしました。

さ〜て、次回、2020年11月3日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『博士と狂人』です。『テネット』は結局ずっと当たらずで、諦めました。やれやれ。でも、当たったこの作品が、面白そうで何より。メル・ギブソンショーン・ペンが髭を生やしての演技合戦でしょ? しかも、そこで世界最高峰の辞書が生まれるわけでしょ? 辞書好きとしても見逃せない作品、つぶさに観てまいります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映より 『ブォンジョルノ、パパ。』邦題について

「スッチャーデスさんボンジョルノ」とオザケンが早口で朗読したダースのテレビCMが流れていたのは、もうかれこれ25年前のこと。「おはよう」や「こんにちは」を意味するこの「ボンジョルノ」という言葉が曲者で、分解すると「ボン」(良い)、「ジョルノ」(日)となるのだが、「ボン」の実際の発音は明らかに「ブオン」に近い。カタカナ表記では忠実に原語の発音を再現できないため、イタリア語に限らず、この手の間違いは多々ある。間違ったカタカナ発音が流布して独自の日本語になった例もある。有名どころでは“white shirts”が「ワイシャツ」などだ。これら間違ったカタカナ発音を、自らの生業にしているイタリア語でまかり通らせてよいのかという葛藤を日々感じている。「ボン」と書くことで、どこかイタリア語を日本語から遠ざけているような、罪の意識にさいなまれるのだ。ちなみに「ボーノ」(おいしい)も、「ブオーノ」と発音するほうがもともとの発音に近いし、よりおいしそうじゃないですか?

この発音の是正を提唱したのが、なにを隠そう弊社代表の野村雅夫である。日伊ハーフの彼は、イタリア人の母親に指摘を受けたらしく、以降SNSでの挨拶は、「ボンジョルノ」ではなく「ブオンジョルノ」と記すようになった。

そんな細かいこと言わずに、別に「ボンジョルノ」でいいじゃんという言い分も、よくわかる。例えば、ベトナムのもとの発音に近いのは「ヴェットナム」だと指摘する向きもあるが、日本で浸透している「ベトナム」でなんら問題ないし、なにより言いやすいではないかと思えてくる。結局は、原語の発音を正確に再現するのが難しいカタカナの中で、どこで折り合いをつけるかという問題になってくる。ただ、イタリア語を話す身としては、多少面倒くさいと思われても、「ボンジョルノ」ではなく「ブオンジョルノ」と書きたくなるのが人情だ。

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『ブォンジョルノ、パパ。』の1シーン。レイラ役のロザベル・ラウレンティ・セラーズ(左)とおじいちゃんと呼ぶのを怒るおじいちゃん役のマルコ・ジャッリーニ(右)

さて、京都ドーナッツクラブでは”Buongiorno, papà”の邦題を『ブォンジョルノ、パパ。』とした。野村式の「ブオンジョルノ」よりさらに忠実に、”Buon”の母音の連続“uo”を意識して「ブォンジョルノ」と、もう一段階面倒くさくしたのだ。前回のブログですでに紹介したとおり、『ブォンジョルノ、パパ。』は父と娘のヒューマンドラマだ。40過ぎの色男アンドレアのもとに、娘だと名乗る17歳の少女レイラが突如現れる。話を聞いてみると、アンドレアがまだ若かったころ、ひと夏のバカンスで関係を持った女性の子どもらしい。母親はもう亡くなってこの世にいない。困惑するアンドレアだったが、DND鑑定でレイラが自分の娘であることが確定する。戸惑いながらも徐々に事実を受け入れはじめるアンドレアに対して、レイラは実の父の軽薄さを目の当たりにして嫌悪感を示す。

レイラが初めてのアンドレアの家を訪ねたときの挨拶は、「ブォンジョルノ」ではなく、「チャオ」だった。「ブォンジョルノ」よりも、簡易でフランクな挨拶で、知らない人にいきなり「チャオ」では、少し失礼な印象を与えることもある。「チャオ、私レイラ。あなたの娘よ」。もちろん彼女はアンドレアに対して「パパ」などと呼んだりはしない。だが物語が進むに連れて、紆余曲折を経て「ブォンジョルノ、パパ」と言える関係性にたどり着く。その言葉の重みを大事にするために、やや面倒くさくはあるものの、「ボン」でも「ブオン」でもなく、「ブォン」で折り合いをつけた。

アンドレアを演じたラウル・ボーヴァは、15歳のときに背泳ぎの全国大会で優勝するほどの有望な水泳選手だった。日本で全国公開されたリカルド・ミラーニ監督『これが私の人生設計』に出てくるゲイのレストラン・オーナー役の印象が強いかもしれないが、元スポーツ選手の体形と甘いマスクで、二枚目の色男役が多い。

レイラを演じたのは、ロザベル・ラウレンティ・セラーズ。イタリア人ドキュメタリー作家の父とアメリカ人女優の母のもと、1996年カリフォルニアで生まれたが、2004年に家族でローマに移住。以来、子役として多数のTVドラマに出演する。京都ドーナッツクラブが主催した「映画で旅するイタリア2016」で上映したイヴァーノ・デ・マッテオ監督『幸せのバランス』の娘役が素晴らしかった。こちらでは浮気をきっかけに社会的地位から転落していく父を支えるけなげな女の子を熱演していた。


映画『幸せのバランス』予告編

 

つまりそれぞれが得意とする役どころで共演したのがこの『ブォンジョルノ、パパ。』だ。その二人を取り巻くアンドレアの友人役エドアルド・レオと、レイラのおじいちゃん役マルコ・ジャッリーニの姿も、個性的で楽しい。

 

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コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。

 

POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。

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映画『82年生まれ、キム・ジヨン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月20日放送分
映画『82年生まれ、キム・ジヨン』短評のDJ'sカット版です。

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© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
現代、韓国・ソウルの集合住宅。仕事のできる優しい夫がいて、2歳の娘と暮らしているキム・ジヨン。彼女には広告代理店という華麗な勤め口があったものの、出産を機に主婦となり、家で家事と育児に追われる日々。一見して何不自由ない幸せな暮らしのようには見えるのですが、その実、自分と夫、それぞれの実家との関係や、妻、そして母という役割にがんじがらめになっていて、ジヨンは深く傷ついています。心身とも追い詰められた彼女は、自分の気づかないうちに、彼女に憑依した別人の言葉を語るようになっていきます。

82年生まれ、キム・ジヨン 新感染 ファイナル・エクスプレス(字幕版) 

原作は、韓国の作家チョ・ナムジュが2016年に出版した同名小説。韓国では130万部を超えるベストセラーとなり、あれよあれよという間に世界22ヶ国で翻訳されました。日本でも、その人気は抜群で、翻訳小説としては異例の20万部を売り上げています。
 
監督は、この作品の制作会社、春風映画社の創設者にして、これが長編デビューとなるキム・ドヨン。ふたりの子どもを育てる女性で、長く演劇の世界で女優として活動してきた方です。ややこしいんだけど、主人公のキム・ジヨンを演じたのは、チョン・ユミ。夫にはコン・ユが扮しています。このふたりは、『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも共演していますが、これが3度目にして、初の夫婦役です。
 
僕は先週木曜日の夜に、MOVIX京都で観てきました。女性が多めという印象はありましたが、結構入ってましたね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まず原作の時点で、特に韓国では賛否両論があったと聞いています。儒教的な価値観の悪しき側面が浮き彫りになり、いかに女性差別が深く根を張っているかがえぐられたりするわけですから、アラフォー女性の人生を軸に、そこであぐらをかいてきた男どもにナイフを突きつけるようなものってのは、自国の伝統や文化を否定されたなんて思う人がいてもおかしくないわけで、アンチもたくさん生まれたってのも、そりゃそうだろうなと察しが付きます。ただ、それもあいまってと言うべきか、この映画は大ヒットしました。キム・ジヨンという名前は、韓国で一番多い名字のキムと、82年に生まれた女性で一番多い名前を組み合わせた、言わばありふれた名前です。興味深いのは、現代韓国女性の平均的生きづらさが、多くの国や地域の女性の共感を得たこと。韓国に固有のローカルな問題もあるけれど、一方で女性の生きづらさ、もっと言うと、生まれた時点で平等ではない社会に生きていると感じる人たちが世界中にいるというグローバルな問題の核心に触れているということだと思います。
 
極めて残念ながら、世界経済フォーラムにて今年発表された世界男女平等ランキングにおいて、対象の153カ国中、121位、G7で最下位、総合的に韓国よりも少し低いという日本です。だから、映画の受け止め方にも、さぞかし賛否が渦巻いているのだろうと、レビューや評を探ると、絶賛の意見も、アンチフェミニズム的な批判、的外れも含め、そういうのは想定内として、これまた興味深いのは、原作よりもその強いメッセージが後退してしまっているという批判がいくつも目についたことです。要は、映画版が日和っていると。

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© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
ここで、原作未読、映画のみ鑑賞した僕の立場を表明しておきます。かなり良くできてるでしょうよ! ヒリヒリきましたよ。そして、これはあるある、普通に見聞きする話だぜって感心しながら観ていました。
 
確かに原作からの脚色は、かなりあるんですよね。そもそもが、小説はキム・ジヨンのかかった男性精神科医によるカルテ、報告書の体裁を取っていて、その構造が最後に活かされる仕掛けもあります。映画では、まず精神科医は女性だし、その医者への受診を夫がサポートします。原作では傍観者にすぎない夫が、映画ではサポートしている。結果として、ラストも違います。映画だと絶望の向こうに光が見える構成にしてあります。それをもって、そんな甘いもんじゃないのに、とか、夫婦愛で乗り越えられるようなもんじゃないだろ、とか、批判が出てくると。

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© 2020 LOTTE ENTERTAINMENT All Rights Reserved.
確かにそうかも知れません。実際、日本の宣伝用ポスターを見ると、優しい夫が寄り添ってくれるイメージなんですよ。本の表紙とまったく違う。むしろですね、比較的理解のあるように表面的には見える夫ですら対処不能に陥るような事態が進行しているわけです。要するに、社会構造的な問題であって、個人レベルで一気に解決なんてできないんですよ。それぞれの両親との関係。会社での圧倒的不公正。都会の核家族における育児・家事のワンオペ。産後うつ。子連れの母親への街なかでの無理解どころか嫌がらせ。痴漢、盗撮などの性暴力… でもね、韓国にしろ、日本にしろ、少しはより良くしたいと考える男性ももちろんいるわけです。そういう男性の存在を描いたことは間違いじゃないし、そんな程度では焼け石に水だってことも描けていたと思います。そして、原作にはないキム・ジヨン怒りの発言、痴漢のくだりのスカーフの女性、実の母親の気丈な振る舞いなど、映画には映画のアプローチがあったと考えるべきです。男性上位の社会に順応した結果、むしろ男性優位に加担してしまう女性の存在を入れたことも、僕は評価したいです。
 
キム・ドヨン監督は、画面の陰影の付け方もうまいし、役者出身だけあって演技もうまく引き出していました。主演のチョン・ユミさんの、場面ごとの表情の変化のつけ方は圧倒的。すべて、劇映画として極めて高いレベルにあります。楽しいだけの娯楽作ではないけれど、僕ら誰しもが関わることですよ。女性もそうだけど、特に男性こそ絶対に観るべき。語弊を恐れずに言いますが、すごく面白い作品でした。 
韓国のシンガーソングライターHen、ゆらゆらという邦題が付いています。この曲の歌詞の訳を読みながらのエンディング。実に余韻がありました。


さ〜て、次回、2020年10月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『スパイの妻 劇場版』です。「『TENET』当ててねっと」というリスナーの願いも虚しく、今回も当たりませんでしたね。候補作に入れるのも、来週が最後かな。とはいえ、何とか開催された今年のヴェネツィア国際映画祭で監督賞を受賞した黒沢清監督の最新作。いいじゃないですか! 神戸が舞台でもあるし、僕は俄然興味が湧いていますよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『黄金の一味』

私、セサミあゆみは今回、「黄金の一味」の字幕制作を担当しました。

この作品には、イタリアの事情を知らないと少しわかりにくいだろうな、というところがいくつか。語りすぎて野暮にならなければいいのだけれど、知っていると映画をより楽しめるだろうイタリア情報を少しだけお伝えします。

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白黒の縦じまユニフォームのユヴェントス

 

作品の舞台はイタリア北西に位置するトリノトリノには、そこをホームタウンとするプロサッカーチームが二つあります。

一つは言わずと知れた強豪ユヴェントス。毎年のように優勝争いをする、イタリアを代表するチームのひとつなので、サッカー好きでなくとも耳にしたことがあるのではないでしょうか。白黒の縦じまのユニフォームで、現在はクリスチアーノ・ロナウドも所属。トリノに限らずイタリア全土、どこにでもファンがいる。ある意味、巨人のようなチームとでも言えるでしょうか。

そしてもう一つ、別のチームがあるのです。えんじ色のユニフォームのトリノFC。Toro(雄牛)の愛称で呼ばれるのを耳にします。成績はユヴェントスほど振るわず、セリエBに降格したこともしばしば。ユヴェントスを知る日本人でも、トリノFCは知らないことが多いでしょう。

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トリノFCロゴマーク

 

とはいえ、トリノFCにも、飛ぶ鳥を落とす勢いでセリエAを連覇し続けた時代がありました。そして、そんなときに悲劇が起こります。1949年、前年までセリエA四連覇を果たしていたトリノFCは、その年の優勝も間近に控え、国際親善試合から帰還するときのことでした。選手やチームスタッフを乗せた飛行機が、トリノの郊外の丘の上に建つスペルガ聖堂に突っ込んだのです。選手やチームスタッフ、搭乗者全員が死亡しました。

ガンバ大阪セレッソ大阪大阪ダービーのように、同じ町をホームタウンとするチーム同士はライバル心が芽生えやすく、試合が盛りあがるのはイタリアでも同じ。「黄金の一味」には、強豪ユヴェントスファンと、古豪トリノFCファンが出てきます。両者のやり取りに注目ください。

また、北部は勤勉で、南部は怠け者といった、イタリアおなじみのステレオタイプ像も出てきますが、残念ながら(あるいは力不足で)、方言の音が伝えるセリフのニュアンスを字幕には載せられませんでした。ですが、ぜひ登場人物の出身地も気に留めながらご鑑賞ください。

最後に、「黄金の一味」が狙う現金輸送車が運んでいるお金の額について。「40億リラほどではないか」というセリフがあります。40億リラは日本円に換算すると、およそ2億5000万円ほどでしょうか。このセリフの後にも、金額を推測する数字がいくつか出てきますが、参考までに。

以上、過剰な前情報にならないことを願いつつ、「黄金の一味」をぜひお楽しみください。

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ビリヤード場で北部のイタリア人ザーゴと「南部野郎」メローニとルチャーノが邂逅する……

 

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『黄金の一味』が劇場で見れる機会はあと4回!

アップリンク吉祥寺にて

10月20日(火)20時40分~

10月24日(土)時間未定、おそらく夕方

 

アップリンク京都にて

10月24日(土)17時10分~

10月27日(火)20時~

 

あ、「予定が合わへんわ~」という方はアップリンク・クラウドでのオンライン上映会で10月30日~11月7日まで視聴可能ですよ!

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。

 

Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。

ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。

 

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エドアルド・レオ特集上映より 監督としてのレオ

子どものころは俳優をするなんて、一度も考えたことがなかった。

この一文から始まるエドアルド・レオのホームページのバイオグラフィが面白い。キューブリックにはまって、履歴書に嘘のキャリアを書き、イエローページでみつけた芸能事務所に送り付けると、その履歴書を信じた事務所が、大事な映画のオーディションにレオを送り込むが、彼は一時間遅れで到着する。そんな感じでオーディションを繰り返し、なんとか端役を手にしたのがデビューのきっかけだ。

バイオグラフィの最後は、好きなアーティストの羅列で終わる。コーエン兄弟セルジョ・レオーネバスキア、ローマ方言の詩人ジョアキーノ・ベッリ、キース・ジャレットブルース・スプリングスティーン、そしてなんといってもエットレ・スコラが好きとのことだ。

2017年、レオの監督としての第四作『どうってことないさ』(Che vuoi che sia)がイタリア映画祭で上映されるのに合わせて来日したことがあった。その彼に、文化会館のはからいでインタビューさせてもらった。私は上記のバイオグラフィを引っ張り出して、キューブリックで始まりエットレ・スコラで終わるこの雑食ぶりを、自分のなかでどのように消化してアウトプットしているのかという話をしようとした。ところがレオからは早々に「そもそも、これは僕のバイオグラフィじゃないよ」と、意地悪な冗談でかわされてしまった。インタビューはまったくうまくいかなかったが、最後にこんなことを言い添えてくれた。「僕の映画は近所の肉屋からは楽しいと言われ、知り合いの新聞記者からはインテリだと評される。僕は肉屋にインテリと言われ、記者から楽しいと評される映画をつくりたい」

このエピソードを弊社野村に語ったら、「それってうまいこと言ってるようで、よく分からん映画を見たときに言うやつやん」と突っ込まれた。確かに、うまいこと言いたがるイタリア人らしいロジックのように思えるが、要は、芸術に造詣の深いインテリも唸らすほどのエンタメ映画を撮りたいということではないだろうか。その気概を、レオの監督映画を見ていてひしひしと感じる。

俳優としてブレイクする前から、彼はコンスタントに監督として映画をつくり続けてきた。第一作は2010年の『18年後』(Diciotto anni dopo)。母の事故死をきっかけに話すことのなくなった兄弟ミルコとグラツィアーノは、それが尾を引いて18年間まったく会話をせず、離れて暮らしている。父親の葬儀で久しぶりに再会したふたりは、父の遺言に従い、亡くなった母のお墓まで父の遺骨を運ぶたびに出かける。監督を務めたレオは、主人公で吃音のミルコを演じている。

第二作は今回の特集上映でも上映される2013年の『ブォンジョルノ、パパ。』(Buongiorno papà)。40過ぎのアンドレアは映画業界で働くやり手の色男。高級車を乗り回し、ローマ市内のオシャレなマンションで悠々自適に暮らしている。彼とハウスシェアしているパオロは、仕事も女性関係もうまくいっていないが、大道芸で一旗揚げるロマンチックな夢を胸に抱いている。そんな彼らのもとに、アンドレアの娘だと名乗る十七歳の少女レイラが現れ、生活は一変してしまう。ここでレオは、主人公を上手にフォローする友人パオロを演じている。

この初期二作のテーマは明らかに家族だ。それぞれ両親の喪失、娘の出現という極限のシュチュエーションをつくり出し、家族の在り方と、それが再生していく様子を描いている。

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パオロ(エドアルド・レオ)とレイラ。『ブォンジョルノ、パパ。』の一場面。

 

2015年の第三作『俺たちとジュリア』になると趣が少し変わる。人生に行き詰まりを感じた車のセールスマンのディエゴ、通販番組の司会者ファウスト、町の総菜屋クラウディオの3人は、古い農場を共同購入し、ファームホテルにリノベーションして再起を図る。気性の激しい元武闘派共産党員、タトゥーだらけの妊婦という超個性的な面々を仲間に加え、絶妙なチームワークで準備を進めるが、クラシックカー「ジュリア」に乗ったカモッラが現れ、上納金を要求する。

家族というテーマが影を潜めたように見えるこの作品も、実は亡くなった父に語りかける形で、主人公ディエゴのナレーションが入る。物語の最後には、今までにない人生の冒険に挑んだ旨を亡父に報告し、人生の意味を反芻する。そして「フランチェスコとアニータへ」というテロップが添えられて物語は終わる。フランチェスコとアニータというのは、エドアルド・レオの実の子どもだ。人生の意味を我が子に伝えるという意図がこの映画には含まれているのだ。

三作目は彼が一貫して持っているテーマに加えて、人生を失敗した男の再生劇がコメディ・タッチで描かれており、よりエンターテイメント性が増している。つまり、彼の目指す映画の形に近づいていることが伺える。その傾向は2016年の第四作『どうってことないさ』にも受け継がれ、そして現在は2021年に公開予定の『いつかローマで別れることになる』(Lasciarsi un giorno a Roma)を準備中だ。果たしてインテリに楽しいと評される作品は完成したのか。心待ちにしたい。

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左からディエゴ、元共産党員のセルジョ、総菜屋のクラウディオ、通販の司会ファウストエドアルド・レオ)。『俺たちとジュリア』の一場面。

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。

 

「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。

イタリアのトップブランド、トップクォリティーの商品の提案において最も先進的で機動的であること、それがJETの強みです。

1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。

現在、JETはイタリアの全20州からトップブランドの名にふさわしいワインを揃え、ガストロノミーの発展のため、次世代の方々の成長のために、商品だけでなく、豊かな食と文化の活性化を目指しています。

その特徴は、イタリアの食文化と人、そして食品マーケットに精通しているイタリア人のオーナーとスタッフが「素材」と「味」をリサーチし、選んでいること。

イタリアとの幅広く、太いパイプとコミュニケーションにおいて、他社の追随を許さない際立ったノウハウといえます。

 

イタリアの食文化を通し、日本とイタリアの架け橋になることを使命としています。 次世代に続く、豊かな食文化の発展のために活動していきます。 

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