京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『おらおらでひとりいぐも』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月24日放送分
映画『おらおらでひとりいぐも』短評のDJ'sカット版です。

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75歳の桃子さんは、長く寄り添った夫に先立たれて以来、郊外の大きな一軒家で一人暮らしをしています。頻繁に図書館へ通っては本を借りてきて読み漁っているのですが、近頃のお気に入りは、地球の歴史。コツコツと読んでは、46億年の歴史ノートを自分でまとめています。傍から見れば孤独な老人に見える桃子さんの脳内は、実は賑やか。心の声がたくさん聞こえるのみならず、最近では目の前に立ち現れてきます。これは、そんな桃子さんが自分らしく一人で生きていく様子を綴った、ささやかながらも壮大な1年の物語です。

おらおらでひとりいぐも (河出文庫)

3年前に出版され、芥川賞文藝賞をダブル受賞して話題となった若竹千佐子の同名ベストセラー小説を映画化したこの作品。監督と脚本は、『南極料理人』や『横道世之介』の沖田修一。75歳の桃子を演じたのは田中裕子。若き日の桃子は蒼井優が演じました。他に、夫の周造を東出昌大が担当する他、桃子さんの脳内の声を体現する素っ頓狂な役どころに扮するのは、濱田岳青木崇高宮藤官九郎です。
 
僕は先週水曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。サービスデーということを考慮しても、僕の人生の先輩たちを中心に、かなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

考えてみると、ひとりで番組を進行する僕たちラジオDJってのは、妙なことを生業にしています。同じ一人喋りなら落語があるじゃないかってことですけど、噺家はお客さんを前に話すわけですよ。今の僕はどうでしょう。ガラス向こうにスタッフはいるものの、スタジオのブースにはひとり。聞いてくれているリスナーが万単位でいることはわかっていても、相槌は誰も打ってくれません。そんな状況である程度意味の通ったことをまとめて喋るのって、日常生活では普通ないんですよね。主人公の桃子さんは、家でぶつくさ独り言。のみならず、声にはならない声で、心のなかであれやこれやと、それぞれに脈絡のないことを考えるともなく考えたり、自動筆記のようにもうひとりでに考えが湧いてくる。それは他人には、いや、下手すりゃ本人にだって制御も理解もできないことがある。原作は、そういう桃子さんの生活描写と思考の断片を地続きに綴った小説です。彼女の脳内には、性別も年齢も不詳で、使う言葉もバラバラな様々な声があるんです。少し引用します。「有り体にいえば、おらの心の内側で誰かがおらに話しかけてくる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。それをおらの考えどいっていいもんだがどうだが。たしかにおらの心の内側で起こっていることで、話し手もおらだし、聞き手もおらなんだが、ついおめだば誰だ、と聞いてしまう」。

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© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
物語の出来事、アクションは、目に見える範囲では、ひとりの老婆が病院や図書館へ行き、車の営業マンやおまわりさん、たまに訪ねてくる娘や孫娘と話して、墓参りをするという、極めて日常的で静かで地味なものです。ところが、その実、彼女はとても賑やかな環境にいて、長い人生の記憶と経験が堆積した地層、言わば時間の層「時層」の上に生きている。桃子さんが地球という星そのものの歴史に興味を持つのは、それゆえだったりするんですが、ともかく、映画化にははっきり向いていません。普通はね。ところが、これが沖田修一監督のように現実とファンタジーを自在に行き来してユーモアとペーソスでくるむ術を知っている映画人の手にかかれば、一級のエンターテイメントになるんです。

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© 2020 「おらおらでひとりいぐも」製作委員会
予告編などでも垣間見えるように、映画ならではの表現としてわかりやすいのは、心の声を完全に擬人化していること。濱田岳青木崇高宮藤官九郎と、それぞれ特に似てもいない男性が出てきて、桃子さんと合わせて4人でコタツを囲んで会話したり、ジャズセッションをしたり。でも、これにとどまりません。話が進んでいくと、この心の声の人数が極端に増えることも。さらには、過去の自分や亡くなった夫、周造の若い頃もそのまま画面に登場。CGなんかは使わずに、ほんとにただそこに一緒にいるというのが面白みにつながります。あとは、絶滅したマンモスがこちらはアニメーションやCGで登場。いかに人の脳内が、精神が小宇宙を成しているかをそっくり絵で見せてくれます。その時の最大のポイントは、妄想をただスクリーンに映すのではなく、桃子さんが見ている世界を桃子さんごしに捉えていること。注意してみると、これがものすごく多い。原作では、「オラは」という一人称と、「桃子さんは」という三人称がまぜこぜになり、方言と標準語、話し言葉と書き言葉がないまぜになって、独自の文体を形作っています。映像そのものには人称ってありません。「何かを見ている桃子さん」の後に「桃子さんの見ている何か」を見せることで、初めて三人称と一人称の関係を擬似的に編集で生み出せるんですが、沖田監督は、画面奥に「桃子さんの見ている何か」、手前に「何かを見ている桃子さん」と、ひとつの画面にどちらも収めることで、原作小説のテイストを映像に置き換えることに成功しているんです。それによって、映画では、すべてを見ているカメラを強く意識させられるんですね。つまりは沖田監督の視点です。実際、インタビューを読むと、桃子さんの部屋は監督のお母さんの家を再現したそうです。
関連作として思い出したのは、スペインのアニメーション『しわ』という老人の物語と、子どもの感情をそれぞれに描いたアニメ『インサイド・ヘッド』。老人と子どもってのが面白いですが、世間の常識にとらわれない頭の中を見事に映像化した、いずれも傑作です。ただ、どちらもアニメならではの表現を活用していたわけですが、今回は沖田監督がそれを実写で実現してみせたのがすばらしい。惜しむらくは、さすがに尺が長かったので、もう少しタイトに引き締めても良かったのかな。でも、お見事と手を叩きたくなるとともに、今後のこうした分野の可能性を押し広げる1本でした。

主題歌はハナレグミの歌う『賑やかな日々』。エンドロールで名場面を振り返る編集ってのにお目にかかることがありますが、この作品の場合は、監督作詞によるこの歌がその役割を果たしているような気がします。
 
ところで、京都シネマで作品を観終わった後、エスカレーターに向かっていたら、桃子さんと同世代のふたり連れの女性がこんな会話をしているのが耳に入りました。「良かったねえ。なんか思うところがありすぎるからさ、今日はお茶をせずにそれぞればらばらに帰りましょうか」。なんかすごくいい瞬間に立ち会えた気がする!

さ〜て、次回、2020年12月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ホテルローヤル』です。ホテルものって、昔からたくさん作られていますよね。それぞれに関わりのない人たちが行き来して、同じ屋根の下で夜を越える場所。しかも、これは北国のラブホテル。どう考えても面白そうじゃないですか。『TENET/テネット』に続き『罪の声』が一向に当たらないまま消えていきましたが、いいんだもん! これも面白そうなんだもん! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ストックホルム・ケース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月17日放送分
映画『ストックホルム・ケース』短評のDJ'sカット版です。

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1973年、スウェーデンストックホルム。過去に犯罪歴のある男ラースは、アメリカへ逃れる資金を得ようと、銀行に押し入り、ビアンカという女性銀行員を含む3人を人質に取ります。要求は、仲間の釈放と現金、そして逃走用の自動車。警察や行政と犯人側の駆け引きが長引いていく中で、犯人と人質の関係性が徐々に変化していきます。

ブルーに生まれついて (字幕版) ミレニアム ドラゴンタトゥーの女(字幕版)

 ノルマルム広場強盗事件として、心理学用語「ストックホルム症候群」の語源となったこの事件。製作、脚本、監督と映画化プロジェクトの中心人物となったのは、ロバート・バドロー。ラースを演じたのは、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』でバドローとタッグを組んだイーサン・ホーク。人質のビアンカには、「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスです。

 
僕は先週水曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。またまたかなり入っていましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

さぞかしスリリングなクライム・サスペンスなんだろうなと予想すると同時に、実際にあった有名な事件だけに、先が読めてしまうから難しい作品だろうなとも思っていましたが、良い意味で予想は覆されました。
 
まずもって、ジャンルが思った以上にゴチャまぜになっていました。確かに犯罪の一部始終を描いた、手に汗握るスリルが映画全体を貫いてはいるものの、実はかなりコミカルでもあったということです。だって、イーサン兄さん演じるラースという男は、映画冒頭、やおら長髪のかつらを被るんです。変装っちゃ変装なんだけどさ、たっぷりした口ひげや革ジャン、ハットのチョイスも手伝って、『イージー・ライダー』がお好きなんですよね、っていう。それであらよっと、気軽にというか、楽しそうにというか、計画はしていたんだろうが、ふらっと銀行で強盗をおっぱじめます。映画のテンポとしても、この導入を手早く進めるのがとても良いです。この物語の場合には、これまでうだつの上がらない人生を送り、何をやってもダメな男だったラースが人生の一発逆転を狙って、数ある銀行の中からあそこを選んで、なんて説明はない方がいい。いきなり始まるほうがむしろ、ビアンカという人質になる女性同様、僕ら観客も、だんだんラースの人となり、過去の片鱗がわかってきて、ラースの心情に寄り添いやすくなるという、大きな利点があります。

イージー★ライダー (字幕版)

もう後は密室劇としての楽しさが充満しているんですよ。冒頭に「実在の事件に基づく物語」みたいなお決まりの文句が出るんですが、この映画でちと違うのは、「based on the absurd true story」って書いてあること。つまり、「馬鹿げているが本当にあった話」なんだと。そのバカげた、素っ頓狂な要素ってのが、この映画を貫く魅力になっています。「え? なにそれ?」ってことが起こるので、先が読めると思いきや、読めないし、最後の最後は逃げるか捕まるかなわけだけど、途中からはその結果よりもプロセスそのものが興味深くなってくるので、そう観客に思わせたバドロー監督の勝ちなんです。

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© 2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
その昔、成田離婚って言葉が流行りましたけど、あれは新婚旅行っていう、慣れない場所でふたりで力を合わせてトラブルを乗り越えられず、こいつ頼りにならないなとか、実はろくでもないやつじゃないかって気づいてしまって、即離婚してしまうという現象だったと思います。ビアンカたち人質にしてみれば、当然ながら、頼るのは警察であり、政治家であり、夫など家族であるわけなんですが、これが困ったことにですね、どいつもこいつも頼りにならないんですよ。ビアンカとしては、自分も含めて誰一人怪我をすることなく、ましてや命を落とすことなく、とにかく無事に外へ出て、子どもたちを抱きしめ、手料理をふるまってやりたい。ところが、ふらっと交渉に来る警察にはやる気があるのかないのか、打てども響かない。夫を連れてきてくれたけれど、夫との会話もどうもチグハグ。それよりは、必要なものを用意したり、話を聞いてくれるラースの方が魅力的に感じられてきて、なんなら、この人、無鉄砲だし、運もないし、今こうしてろくでもないことやってるけど、その実とても優しいところもあるような。そんなシーンごとの犯人たち、人質たちの心情の変化が丁寧に描写されていくので、僕たち観客も、同じ釜の飯を食った仲間であるかのように、だんだんこいつらとにかく無事でいてほしいなって思えるし、メンツやら組織論やらでいけ好かない外の奴らにイラッとしてくるんですよ。

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© 2018 Bankdrama Film Ltd. & Chimney Group. All rights reserved.
ラースと仲間は持ち込んだラジカセでボブ・ディランの曲を聴き、歌います。格好はイージー・ライダーです。逃走用に要求する車は、スティーブ・マックイーンの映画『ブリット』が好きだからマスタングです。70年代のアメリカに憧れる北欧のぼんくらオヤジたち。事態としてはとんでもないことになっているんだけど、どこか牧歌的でユーモラス。そして、ほんのり悲哀がある。予想とは違ったけれど、すっかり魅了されてお気に入りの1本となりました。
 
では、ディランを聴きましょう。ラースが歌ってましたよ。しみじみと楽しそうだったなぁ。

さ〜て、次回、2020年11月24日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『おらおらでひとりいぐも』です。ぴあの華崎さんも番組で取り上げてくれていたし、沖田修一監督は同世代としてとても応援したい人でもあるし、3人の男性たちの役柄にも興味をそそられるしってんで、もう観たいことこの上なし! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パピチャ 未来へのランウェイ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月10放送分
映画『パピチャ 未来へのランウェイ』短評のDJ'sカット版です。

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90年代のアルジェリア、首都のアルジェ。当時はイスラム原理主義の台頭によってテロが頻発。伝統的な価値観に基づいて、女性はヒジャブを着るべきだとする啓発ポスターを街のあちこちで見かけるような状況でした。そんな中、ファッションデザイナーを目指し、夜には学生寮を抜け出してクラブへ踊りに行くような奔放な主人公のネジュマ。ある日起きた悲劇をきっかけに、彼女は大学内でファッションショーを開催することを目指します。
 
カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品されるや話題を呼んだこの作品。監督・脚本は、78年生まれでアルジェリア育ちの女性ムニア・メドゥール。彼女自身があのアルジェリア「暗黒の10年」を過ごし、自分を投影したというネジュマに扮したのは、リナ・クードリ。彼女もやはりアルジェリア出身。2歳でフランスへ家族みんなで移住した方。ウェス・アンダーソンの新作にも出演してティモシー・シャラメの相手役を務めるなど、注目の俳優です。
 
僕は先週木曜日の昼下がりに京都シネマで観てまいりました。かなり入ってまして、関心の高さがうかがえました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
まずタイトルのパピチャという言葉、これはアルジェリアスラングで、「愉快で魅力的、常識にとらわれない自由な女性」という意味なんだそうです。アルジェリアアラビア語圏ですが、アラビア語の方言と、旧宗主国フランス語とアラビア語のミックスされたような言葉、そして大学の授業なんかでは完全にフランス語と、この作品にはそれぞれの立場や考え方によって複数の言語が登場します。そもそもあの国は1830年にフランスの植民地になりますが、その後戦争状態となる独立運動を経て、1962年に独立。社会主義国になります。この独立のプロセスを描いた『アルジェ最後の戦い』という名作もあります。で、80年代後半には石油価格の下落から経済が混乱をきたすようになり、民主化を求める反体制運動が高まって、一党独裁ではなくなるんですが、そこで選挙で力をつけてくるのが、イスラム原理主義政党。急激な都市化と、それに伴う地方格差や生活の困窮が、特に若者たちの支持を集めながら、軍事政権と対立する格好になります。そのイスラム原理主義も分裂して派閥争いを繰り返したりと、内戦状態に入った。ざっくりそれが90年代のアルジェリアで、15万人の一般市民が亡くなったと言われているそうです。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

メドゥール監督と僕は同い年なので、90年代後半に大学生になるわけです。だから、場所はまったく違えど、親近感を覚えながら観始めました。僕の通っていた大阪外国語大学は女子も多かったし、将来は海外へ出たいとか、地方から大阪へ来て夢をそれぞれにみんな語ってた。クラブに行ったり、コンパをしたり、付き合ったり、別れたり。もちろん、勉強もして。それが大学生じゃないかと。ところが、こうも違う現実を彼女たちは生きていたのかと、かなり打ちのめされました。女性であるというただそれだけで、あれもだめ、これもだめ。
 
興味深いのは、それが男性ばかりでなく、若い女性たちからも、そうした声が出てくることです。「ヒジャブを身につけて肌の露出を控えろ」「タバコを吸うとは何ごとだ」「不浄とされる左手でコップを持つなんて」「このやかましい音楽はなんだ」「女が外出をして何かするには家の男の許可が必要」。イスラム教徒は世界に18億人ほどいると言われています。どんな宗教でもそうですけど、今挙げたような教義というか倫理・慣習ってのは極端なものであって、相当ゆるい地域や人から、かなり厳格なケースまで、さまざまなグラデーションがあります。物語の始まった頃のアルジェは、まだ緩かったんですよ。夜間の車の検閲とかあってきな臭いムードはあったけれど、寮の敷地のフェンスが象徴するように、社会に隙間があった。ところが、徐々にムードが彼女たちにとって居心地の悪いものになっていきます。それをまた象徴するのが、寮のフェンスが壁になること。しかも、すごく嫌なのは、これは政府によるファシズム的な支配ではなく、ある種の相互監視が起きるわけです。あそこの家の娘は奔放すぎるんじゃないか。あいつの彼女は女らしからぬ価値観の持ち主だ。今年の日本では流行語ノミネートに自粛警察が入りましたが、あれのもっと過酷なやつです。銃まで出回ってるわけだから。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

そのあたりの社会の空気の変化をメドゥール監督は巧みに物語ります。ネジュマがよく出入りする生地屋さんや、寮母、寮の警備員、つるむ学生たち、母親… 街の景色もそうだけど、顔のわかる登場人物の言動の変化をじわじわ見せてくれます。手持ちカメラを使ったり、寄りの絵が多かったり、いわゆるドキュメンタリーっぽい撮り方をしているから気づきにくいんですが、設定も脚本もカメラワークも、実は相当細かく念入りに準備されています。主人公のネジュマは、そんな状況にあって、イスラームの文化をないがしろにする、ただの西洋かぶれかっていうと、決してそうではないんですね。彼女は確かに自由を尊ぶ、あの環境ではぶっ飛んで見える人だけれど、アルジェリアの風土と人を愛してもいて、標的にされがちだった多くの知識人のようにヨーロッパへ移住するつもりはないんですよ。何があっても、私はここで生きていく。ファッション・デザイナーを目指すからといって、フランス語もできるから、とりあえずパリへっていう発想はないんですよ。
 
ある強烈な出来事があった後、彼女が取り組むのは、アルジェリアの女性がまとう、シルクの布、ハイクというもの。その伝統的なハイクをどうかっこよくアレンジするか。そうやって、いつ弾圧されるかわからずとも、彼女は命がけのファッションショーに邁進します。僕が注目してほしいなと思ったのは、ネジュマの手です。映画を通して、繰り返し出てくるモチーフです。その手が血に染まることもあれば、大地を掘り起こし、結婚前に妊娠した友達のお腹を撫で、タバコに火を付け、何より布を裁ち、縫っていく。正直、観終わってからも、重い衝撃が僕の胸にズンと残っていますが、希望も彼女の手に宿っていると僕は解釈しています。

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©2019 HIGH SEA PRODUCTION – THE INK CONNECTION – TAYDA FILM – SCOPE PICTURES – TRIBUS P FILMS –– JOUR2FETE – CREAMINAL - CALESON – CADC

この前は、韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』を高く評価しました。地域は違いますが、自覚的であれ無自覚であれ、女性たちが男性優位の社会で卑屈にならざるをえない状況を克明に描き、そこからの脱却を目指す勇気ある女性の姿を映像にする女性監督が活躍することに、僕は大いなるエールを贈りたい。すばらしい作品でした。
 彼女たちが寮を抜け出して白タクに乗って、クラブへ。そこで流れていたのがこの曲でした。


さ〜て、次回、2020年11月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ストックホルム・ケース』です。人質にとられたり、誘拐された被害者が、どういうわけか加害者に惹かれてしまうという心理状態を表す言葉「ストックホルム症候群」の由来となった事件が映画化されました。主演イーサン・ホークの役柄が僕に似ている、いや、僕がイーサン・ホークの役柄に似ている(どっちでもいい)という話も聞いていますから、これは他人事ではありませんぞ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

閉会宣言! エドアルド・レオ特集上映~イタリア娯楽映画の進行形~

どうも、僕です。野村雅夫です。

まだ今日7日(土)いっぱいはオンライン上映が続いておりますが、 一足先に閉会宣言です。春に緊急事態宣言が出る頃に企画を練り始めたこのイベント、吉祥寺、京都、そしてオンラインと、大勢の方にご参加いただけたこと、感無量です。

 

ゴールデンウィークに毎年開催されてきたイタリア映画祭の延期(あるいは中止)が発表されたことで、いつもならスクリーンにかかるはずの10本強の新作に今年はお目にかかることができないと知った僕らは、それでは寂しすぎるし、何よりもイタリア映画受容の流れが寸断されることを危惧しました。僕らは弱小の会社ではあるけれど、何かできることがあるのではないか。そこで、小さいわりには超ヘビー級の腰を上げて、動き出したわけです。

 

「今のイタリア映画のスターを知って、楽しんで、覚えてもらおう」というのが、コンセプト。エドアルド・レオは、まさにうってつけだったと思います。だって、僕らも作品の選定から字幕制作まで、たっぷり楽しむことができたのですから。1本でもご覧いただいた皆さんも、同様に楽しんでいただけたのなら、これ幸いです。

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そして、レオを身近に感じてもらうためのわかりやすい言い回しとして使っていた「イタリアの大泉洋」というフレーズ。なんとまぁ、イベント中には紅白歌合戦の司会に抜擢されたというニュースが! って、僕らのイベントとはまったく関係ないんですが、ともかく喜ばしいことです。さらに、延期となっていた、僕らにとっての本家とも言えるイタリア映画祭2020の開催も発表されましたね。新作の本数は限られ、オンライン上映がメインにはなりますが、それでも少ない新作の中に、我らがレオの出演作『幸運の女神』(下の写真)が含まれているではありませんか! 何より嬉しいことです。

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今回の大きな目的は、日本未公開の貴重な作品をご覧いただくだけでなく、新型コロナウィルスの感染拡大が社会に大きな影を落としたイタリアの赤十字と、僕らの活動の原点とも言える映画作家シルヴァーノ・アゴスティが運営するローマの名画座存続のために会場で寄付を募ること。趣旨に賛同いただき、ご寄付いただいた皆さんに、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。いただきました73.434円は、今月、責任を持って小社より寄付をいたします。また、ご協賛いただいた各企業の皆さん、イベント告知でご協力いただいたメディア関係者の皆さん、そしてUPLINKの皆さんも、ありがとうございました。

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僕ら京都ドーナッツクラブは、今年結成から15周年を迎えました。吹けば飛ぶような弱小会社ではありますが、今後もイタリアの知られざるカルチャーを日本に紹介する業務を続けてまいります。今年レオという旬の映画人を取り上げられたことによる手応えを、また次に活かしていきます。あ、そうそう、今回取り上げた4作品は、今のところ、配信やソフト化の予定はありません。もしご興味をお持ちの映画関係者の方、いらっしゃいましたら、ぜひぜひ小社にご一報ください。首を長くして、手ぐすねも引いて、お待ちしております。

 

今回お越しいただいた皆さんに、また映画館などでお目にかかることのできる日を信じて、イタリア娯楽映画の進行形「エドアルド・レオ特集上映」、これにて閉会です!

 

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ご協賛社さまの中から、今回はPOLPETTA様をご紹介。

 

コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。

 

POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。

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『博士と狂人』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月3日放送分
映画『博士と狂人』短評のDJ'sカット版です。

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1872年、イギリス。独学で言語学を学んでいた在野の学者マレーは、今では世界に冠たるオックスフォード英語大辞典の編纂計画に関わることになります。それは、古語も俗語も外来語も、とにかくすべての英語を網羅しようという途方もないプロジェクト。やはり作業は困難を極め、遅々として進みません。そんなマレーの窮地を救ったのは、殺人を犯し、精神科病院に収容されていたアメリカの元兵士にして医師のマイナー。彼がマレーに宛てて届けた用例集が、辞書編纂を大きく前進させるのですが…
原作は、98年出版のノンフィクション『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』。魅了されたメル・ギブソンはすぐに映画化権を獲得しました。監督には、ギブソンの盟友にして『アポカリプト』の脚本を共作したファラド・サフィニアを据えて、撮影がスタートしました。ただ、予算が乏しい中、オックスフォード大学での追加撮影を主張する現場と製作会社の意見が対立し、裁判に発展。サフィニア監督の名前は結局クレジットされず、架空の人物の名前が掲載されるという異例の事態となりました。マレーを演じたメル・ギブソンと、マレットに扮したショーン・ペンは、これが初共演となります。
 
僕は一昨日、日曜日の夕方にシネ・リーブル梅田で観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

番組でも何度か話題にしてきましたが、僕は辞書が好きでして、いつもイタリア語対応の電子辞書を持ち歩いているし、紙のものも、たくさん持っています。この作品のパンフレットには、日本語学者の金田一秀穂さんの文章が掲載されていて、そうだよなって頷いたので、少し引用します。「辞書は、莫大な英語の海を渡る羅針盤である。言葉を得ることによって、人は大地から天空へと飛ぶ翼を手に入れることができる」。メル・ギブソンは敬虔なカトリックとして知られています。聖書で言えば、「始めに言葉ありき」ですよ。言葉がないと僕らは考えることすら出来ないし、気持ちを伝えられないし、世界の森羅万象を表現できない。この物語にメル・ギブソンが強く惹かれた理由はよくわかります。

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人間の正気と狂気についてもテーマになっています。これも、フィルモグラフィーを振り返れば、メル・ギブソンっぽいなというあたりですね。南北戦争に軍医として従軍したマイナーは、そこで非人道的な所業の数々を体験したことが引き金になって統合失調症を患います。冒頭、彼が起こした人違いの殺人事件の顛末を見ると、暗い画面、強烈な陰影、傾いだカメラワークなど、そのいわゆる狂気が演出されていて、確かに恐ろしいのだけれど、一方で、それが病気でもなんでもない人間が集団で起こした戦争という狂気によって生み出されたということがわかってくるわけですよ。
 
つまり、正気と狂気、あるいは知性と狂気は、対義語ではなく、むしろ人間の中に同居しているものであるとはっきり伝わってくる映画でした。これは辞書編纂の共同作業が始まってからの、マレーの作業場とマレットの病室の状況が酷似していく様子で、映像としても示されていましたね。おびただしい数のメモ書きを整理して、秩序付けて配列していくところなんて、すごいと声を上げたくなると同時に、ちょっと怖いっていう。彼の辞書には、41万語、そして183万の引用が収録されるわけですから、さもありなん。

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他にも、贖罪と許しというテーマも入っていて、これが中盤以降、グッと前にせり出してきます。さらに、大学の権威主義であるとか、近代資本主義が拍車をかけた格差であるとか、近代国家がどこも急いで競り合った「国の言葉」としての「国語」の成立であるとか、精神科病院における不当かつ非科学的な「治療」であるとか、それぞれに映画一本撮れるぜっていう骨太なテーマがうまく散りばめられていたと思います。それだけに、どこに興味をフォーカスするかで、また味わいも変わるし、もう一度観たいって、また思ってしまいました。
 
主演ふたりは、ぎりぎりのところで、ステレオタイプやオーバーアクションを回避するバランスの演技でさすがだったんですが、この映画では、ある事故があって以来、マレットに寄り添い続けた看守やマレーの妻など、サブキャラクターの存在も記憶によく残りますね。これも良い映画の証でしょう。

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最後に、僕が思わず感心したのは、マレーの編纂スタイルでした。自分たちチームだけの知識や発想だと限界があるのだから、そこは広く市民の力を募れば良いという、言わば集合知を信じるという姿勢ですね。ここが、仕立て屋の息子で叩き上げで学者になったマレーならではの考え方だと思いました。偉ぶってないし、分け隔てない人柄がよく出ています。でも、その集合知をネットもない時代にどう集めるのか。僕はびっくりしましたね。映画でご確認ください。今のネット社会にも通じるような、実はこれはとても現代的なテーマをいくつも扱った映画なのだと感じました。
このThe ScriptのNo Wordsという曲。言葉だけでは、描写しきれないものがあるって歌なんだけど、それを言うために、彼らの歌の半ばでも屈指の単語数を並べ立てているんです。そう、言葉の限界を表現するにも、言葉は必要なんです。しかも、歌詞にはThe Professor and The Madmanというフレーズも。おそらくはメンバーが原作を読んでるんでしょうね。


さ〜て、次回、2020年11月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パピチャ 未来へのランウェイ』です。90年代のアルジェリアを活きた女性たちの青春絵巻。当時あの国は、とりわけ女性にとっては暗黒とも呼ぶべき時代で、イスラム原理主義が幅を利かせていたようですが、彼女たち、ヒジャブもまとっていませんね。どんな心持ちで暮らしていたんだろう。未知の世界を覗く心持ちで観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『ブォンジョルノ、パパ。』

どうも、ドーナッツクラブのクルーラー担当、有北です。

 

このたび、エドアルド・レオ特集上映の1本『ブォンジョルノ、パパ。』を字幕翻訳しました。特集上映のほかの作品ではバイオレンスな役どころも見事にこなしていますが、やはり本作のように、レオはまわりに翻弄されてひどい目に遭う役柄がはまりますね。

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エドアルド・レオ演じるパオロ(右)と大好きなKISSのメイクをするマルコ・ジャッリーニ演じるエンツォ翁(左)

『ブォンジョルノ、パパ。』では、主人公アンドレアと同居する親友パオロを演じていて、この人、とにかくひどい目に遭います。トイレで一息ついているところを複数人に詰めかけられたり、顔の真横におっさんの生ケツが迫ってきたり、夢遊病のおっさんに謎の禅問答を挑まれたり……。

 

どのシーンもコメディーとして非常に面白い。言うのは簡単ですが、この「ひどい目に遭って面白い」というのはなかなか難しいのです。しかも注目すべきなのは、レオは監督としてその役をどんなひどい目に遭わそうか嬉々として考えつつ、自らが俳優としてひどい目に遭うことを楽しんでもいること。監督としてはドSでありつつ、俳優としてはドMであるという、奇跡のひとりSM状態が成立しているわけです。じつに稀有な才能の持ち主であるといえます。

 

そんな、ひとりSMのプロフェッショナル、レオですが、彼のSM術についてもう少し考察してみましょう。だれかれ構わずひどい目に遭わせたからって、コメディーとして成立するわけではないのです。具体的には、ひどい目に遭うのは何かしら悪いやつでなければいけない。

 

評論家の夏目房之介岡田斗司夫らが、マンガ『北斗の拳』についてこのように考察しています。

 

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悪党達のあの手この手の悪事と、それに対するサディスティックなまでのケンシロウの拷問・制裁というパターンは、「絶妙のボケとツッコミ」の一種のギャグ漫画とも解釈出来る。

 

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このように、「悪いやつをひどい目に遭わす」という構造には、コメディーにつながるところが大いにあります。そこで、多くの作家はいかにこの「悪さ」というものを物語内にすべりこませるかに神経を注ぎます。このさじ加減が、レオは非常に秀逸なのです。

 

悪さといっても、必ずしも性質や性格の悪さをいうのではなくて、行動や行いの悪さが問題とされます。やらなくてもいいことをやる、余計なことをやる、というのも同様に考えてよい。いかにもなゾンビものや推理もので、ひとりだけ別行動をとってすぐに死ぬやつ、などもそうですね。「そんなことをしたら、ひどい目に遭ってもしょうがないな」と思わせることが大事なのです。因果応報というのはやはり納得しやすいんですね。

 

これをふまえて『ブォンジョルノ、パパ。』を観てみると、レオ演じるパオロという男、前半で特に言わなくていいことを言ったり、余計なことに首をつっこんだりばかりしています。アンドレアの早漏をからかってみたり、就職が決まらないと嘆きながら、大道芸の練習に打ち込んだり。細かいことですが、こういう些細な描写の積み重ねとキャラ造形が非常に秀逸です。

 

さて、物語の後半、パオロのかつての彼女が、アンドレアと関係をもっていたということで、親友だったふたりは仲違いします。パオロはアンドレアを口汚く罵り、同居していた家も飛び出します。ここはシリアスシーンです。

 

しかしその後、その彼女はじつはとんだビッチで、パオロの友だちほとんどすべてと関係をもっていたことが明らかになります。状況としてはひどいはずなのに、こちらはコメディーシーンとして成立しています。

 

あのシリアス展開から一転、コメディーにもってくる手腕が見事なのですが、なぜそんな離れ業が成立しえたのか? もっといえば、パオロの悪い点は何だったのか?

 

・そんなビッチとつきあっていたのなら浮気されてもしょうがない

 

というのはもちろんあるとして、

 

アンドレアを必要以上に罵りすぎた

 

ことでいくぶん、パオロが敵役の領域に足を踏み入れたこと、何よりも

 

・同居を解消して出ていく時に、払ってなかった家賃を若干踏み倒した

 

というジャブをヒットさせたことが、後半のコメディーシーンを成立させた決め手だったのではないでしょうか。この部分、非常に細かいですが、クライマックスに向かう大きなターニングポイントであり、レオのひとりSM監督としての手腕が発揮された場面だったと思います。

 

そういえば、こんなバルゼッレッタ(イタリアのジョークのこと)があります。

 

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子どもが警官に助けを求めた。

「お巡りさん、助けてください! あそこで僕の父さんが男とケンカしてるんです!」

「よし、わかった。それで、どっちがきみのお父さんだい?」

「わかりません。それがケンカの原因なんです!」

 

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『ブォンジョルノ、パパ。』は、かつての過ちでできた娘が父親の元に押しかけてくることから始まる、家族の再生の物語です。リアル映画館での上映会は終了しましたが、オンライン上映会は絶賛開催中。ぜひご家庭で、家族そろってご鑑賞ください。

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。

 

Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。

ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。

 

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エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『わしら中年犯罪団』

最近は観光ガイドの仕事がなくて、YouTubeばかり見ている。いままで見てこなかった総合格闘家YouTubeチャンネルなどを見ている。これが面白い。めちゃくちゃ面白い。いろんな切り口で面白さを語ることができるのだが、何より格闘技が語学に通じているところが面白い。共通点としては、まず両者ともに日々の鍛錬が必要ということ。来るべき試合(仕事)のために、日々練習をして筋力をつけたり、試合勘を磨いたりしなければならない。スパーリングはさながら語学を用いたフリートークだ。相手が母国語話者となると、おのずとトップレベルの格闘家と一戦交えているような気分になる。そんな考えを巡らせながらYouTubeチャンネルを視聴するのが楽しいのだ。

なかでも感銘を受けたのが朝倉未来とボクシングのWBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人がコラボレーションした動画である。総合格闘家の朝倉とボクサーの京口が、ボクシングのルールでスパーリングをする。スパーリング終了後に京口が朝倉のセンスをほめちぎるのだが、こう釘をさしもするのだ。「総合の選手がボクシングのパンチの打ち方を覚えるとマイナスに働くこともあると思う」。同じ格闘技であっても、総合格闘技とボクシングでは、セオリーがまったく違う。関連性はありながらも、ボクシングで学んだことが、そのまま別ジャンルの格闘技に活かせるというわけではない。逆もまた然りである。

このコメントを聞いた私は興奮した。文芸翻訳と字幕翻訳の関係とまったく同じではないか。文字のみで表現する文芸書の翻訳は、原文の細やかなニュアンスや語調、字面を気にしながら、時には訳注もつけながら仕事を進める。ところが次々と映像が流れていく字幕翻訳では、そうはいかない。可能な限り文字数を削って簡潔さを心がける。そこに訳注など入ろうはずもないし、ある程度は手ぶりや話者の口調で理解してもらえることを想定する。だから文芸と字幕では、同じ翻訳であっても完全に別物なのだ。今回の特集上映で久しぶりに字幕翻訳に触れて、それを痛感した。

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『わしら中年犯罪団』のヒロイン役ローマ弁女優サブリーナイレニア・パルトレッリ。現代のアンナ・マニャーニか。

 

特に『わしら中年犯罪団』のような、登場人物の掛け合いが多く、方言や固有名詞や言葉遊びがふんだんに盛り込まれている作品となると、ウルトラC的な技を繰り出さなければならない。その技量がないときはどうすればいいか。少々せこい気もするが、英語字幕を確認するのだ。イタリア語字幕をつける際に使う映像素材には、たいてい英語字幕がすでについている。ウルトラCの技を繰り出せずに悩んでいるときは、ひとまず英語字幕を参考にする。格闘技でも、強敵と戦う前は、相手の過去の試合を見て研究するのが定石だろう。そんなわけで、今回も英語字幕を折に触れ参考にしつつ作業していたら、偶然にも、ウルトラCではなく、この英語訳は反則ではなかろうか……という箇所を発見してしまった。まずは下記の動画で疑惑の場面を確認してほしい。


NON CI RESTA CHE IL CRIMINE - Clip - Tanti auguri a me

 

自宅でひとり寂しく「ハッピーバースデートゥーユー」を歌うサブリーナ。そこに彼女に盗まれた結婚指輪を取り返すため、セバスティアーノがやってくる。まずはご機嫌を取ろうと、誕生日プレゼントとして、彼女にライターを渡す。このライターは、セバスティアーノ含む、現代から1982年にタイムスリップしてきた主人公の中年三人組が、現代で企画していた「マリアーナ団ゆかりの地ツアー」の販促アイテムである。ライターの表面に「ローマを占領」(Pijamoce Roma)の文字がでかでかとプリントされている。これは作中に登場する実在の犯罪組織マリアーナ団のボスが発した名言だ。だが実際には、ボスの名言がプリントされたライターなど、この時代にあるはずがない。うまく読めないサブリーナが「英語かしら?」とたずねると、本当のことが言うに言えないセバスティアーノは、話を合わせて「英語だよ」と答える。

コミカルな場面だが、なんとここの英語字幕が「フランス語かしら?」(French?)となっているのだ。真意はわからないが、おそらくは英語圏の映画鑑賞者を想定して、英語を笑いのネタにするのはまずいという判断で、「英語」を「フランス語」に差し替えたのではないだろうか。イタリア語でははっきりと「英語」(inglese)としゃべっているのに。この反則技は、イタリアとアメリカ、またはイギリスとの関係性をよく表していると思う。配給会社か字幕翻訳者か、誰かが英米に忖度しているのではないか。大金持ちのアメリカ人クライアントを前にもみ手をするイタリア人の姿が脳裏に浮かぶ。それにしても、フランス語にしてみれば、とんだとばっちりだ。

そもそも作品になる前の素材での話なので、実際にアメリカで上映された”All you need is crime”(『わしら中年犯罪団』の英題)で、この訳が採用されているかは知らない。このままだとすれば、何かしらの力が働いた意図的な誤訳、つまり八百長試合と言えるのではないだろうか。今回の字幕翻訳は、純粋に言葉遊びや会話の応酬などでたいへん苦労したが、このような予想外の発見もあった。なんともつらく、楽しい字幕翻訳作業だった。

 

2020年10月30日~11月7日『わしら中年犯罪団』はオンライン上映会で鑑賞できます。

オンライン映画館アップリンク・クラウドへゴー!

 

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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。

 

「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。

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1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。

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