『ストックホルム・ケース』短評
ノルマルム広場強盗事件として、心理学用語「ストックホルム症候群」の語源となったこの事件。製作、脚本、監督と映画化プロジェクトの中心人物となったのは、ロバート・バドロー。ラースを演じたのは、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』でバドローとタッグを組んだイーサン・ホーク。人質のビアンカには、「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスです。
『パピチャ 未来へのランウェイ』短評
メドゥール監督と僕は同い年なので、90年代後半に大学生になるわけです。だから、場所はまったく違えど、親近感を覚えながら観始めました。僕の通っていた大阪外国語大学は女子も多かったし、将来は海外へ出たいとか、地方から大阪へ来て夢をそれぞれにみんな語ってた。クラブに行ったり、コンパをしたり、付き合ったり、別れたり。もちろん、勉強もして。それが大学生じゃないかと。ところが、こうも違う現実を彼女たちは生きていたのかと、かなり打ちのめされました。女性であるというただそれだけで、あれもだめ、これもだめ。
そのあたりの社会の空気の変化をメドゥール監督は巧みに物語ります。ネジュマがよく出入りする生地屋さんや、寮母、寮の警備員、つるむ学生たち、母親… 街の景色もそうだけど、顔のわかる登場人物の言動の変化をじわじわ見せてくれます。手持ちカメラを使ったり、寄りの絵が多かったり、いわゆるドキュメンタリーっぽい撮り方をしているから気づきにくいんですが、設定も脚本もカメラワークも、実は相当細かく念入りに準備されています。主人公のネジュマは、そんな状況にあって、イスラームの文化をないがしろにする、ただの西洋かぶれかっていうと、決してそうではないんですね。彼女は確かに自由を尊ぶ、あの環境ではぶっ飛んで見える人だけれど、アルジェリアの風土と人を愛してもいて、標的にされがちだった多くの知識人のようにヨーロッパへ移住するつもりはないんですよ。何があっても、私はここで生きていく。ファッション・デザイナーを目指すからといって、フランス語もできるから、とりあえずパリへっていう発想はないんですよ。
この前は、韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』を高く評価しました。地域は違いますが、自覚的であれ無自覚であれ、女性たちが男性優位の社会で卑屈にならざるをえない状況を克明に描き、そこからの脱却を目指す勇気ある女性の姿を映像にする女性監督が活躍することに、僕は大いなるエールを贈りたい。すばらしい作品でした。
さ〜て、次回、2020年11月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ストックホルム・ケース』です。人質にとられたり、誘拐された被害者が、どういうわけか加害者に惹かれてしまうという心理状態を表す言葉「ストックホルム症候群」の由来となった事件が映画化されました。主演イーサン・ホークの役柄が僕に似ている、いや、僕がイーサン・ホークの役柄に似ている(どっちでもいい)という話も聞いていますから、これは他人事ではありませんぞ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
閉会宣言! エドアルド・レオ特集上映~イタリア娯楽映画の進行形~
どうも、僕です。野村雅夫です。
まだ今日7日(土)いっぱいはオンライン上映が続いておりますが、 一足先に閉会宣言です。春に緊急事態宣言が出る頃に企画を練り始めたこのイベント、吉祥寺、京都、そしてオンラインと、大勢の方にご参加いただけたこと、感無量です。
ゴールデンウィークに毎年開催されてきたイタリア映画祭の延期(あるいは中止)が発表されたことで、いつもならスクリーンにかかるはずの10本強の新作に今年はお目にかかることができないと知った僕らは、それでは寂しすぎるし、何よりもイタリア映画受容の流れが寸断されることを危惧しました。僕らは弱小の会社ではあるけれど、何かできることがあるのではないか。そこで、小さいわりには超ヘビー級の腰を上げて、動き出したわけです。
「今のイタリア映画のスターを知って、楽しんで、覚えてもらおう」というのが、コンセプト。エドアルド・レオは、まさにうってつけだったと思います。だって、僕らも作品の選定から字幕制作まで、たっぷり楽しむことができたのですから。1本でもご覧いただいた皆さんも、同様に楽しんでいただけたのなら、これ幸いです。
そして、レオを身近に感じてもらうためのわかりやすい言い回しとして使っていた「イタリアの大泉洋」というフレーズ。なんとまぁ、イベント中には紅白歌合戦の司会に抜擢されたというニュースが! って、僕らのイベントとはまったく関係ないんですが、ともかく喜ばしいことです。さらに、延期となっていた、僕らにとっての本家とも言えるイタリア映画祭2020の開催も発表されましたね。新作の本数は限られ、オンライン上映がメインにはなりますが、それでも少ない新作の中に、我らがレオの出演作『幸運の女神』(下の写真)が含まれているではありませんか! 何より嬉しいことです。
今回の大きな目的は、日本未公開の貴重な作品をご覧いただくだけでなく、新型コロナウィルスの感染拡大が社会に大きな影を落としたイタリアの赤十字と、僕らの活動の原点とも言える映画作家シルヴァーノ・アゴスティが運営するローマの名画座存続のために会場で寄付を募ること。趣旨に賛同いただき、ご寄付いただいた皆さんに、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。いただきました73.434円は、今月、責任を持って小社より寄付をいたします。また、ご協賛いただいた各企業の皆さん、イベント告知でご協力いただいたメディア関係者の皆さん、そしてUPLINKの皆さんも、ありがとうございました。
僕ら京都ドーナッツクラブは、今年結成から15周年を迎えました。吹けば飛ぶような弱小会社ではありますが、今後もイタリアの知られざるカルチャーを日本に紹介する業務を続けてまいります。今年レオという旬の映画人を取り上げられたことによる手応えを、また次に活かしていきます。あ、そうそう、今回取り上げた4作品は、今のところ、配信やソフト化の予定はありません。もしご興味をお持ちの映画関係者の方、いらっしゃいましたら、ぜひぜひ小社にご一報ください。首を長くして、手ぐすねも引いて、お待ちしております。
今回お越しいただいた皆さんに、また映画館などでお目にかかることのできる日を信じて、イタリア娯楽映画の進行形「エドアルド・レオ特集上映」、これにて閉会です!
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ご協賛社さまの中から、今回はPOLPETTA様をご紹介。
コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。
POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。
『博士と狂人』短評
さ〜て、次回、2020年11月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パピチャ 未来へのランウェイ』です。90年代のアルジェリアを活きた女性たちの青春絵巻。当時あの国は、とりわけ女性にとっては暗黒とも呼ぶべき時代で、イスラム原理主義が幅を利かせていたようですが、彼女たち、ヒジャブもまとっていませんね。どんな心持ちで暮らしていたんだろう。未知の世界を覗く心持ちで観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『ブォンジョルノ、パパ。』
どうも、ドーナッツクラブのクルーラー担当、有北です。
このたび、エドアルド・レオ特集上映の1本『ブォンジョルノ、パパ。』を字幕翻訳しました。特集上映のほかの作品ではバイオレンスな役どころも見事にこなしていますが、やはり本作のように、レオはまわりに翻弄されてひどい目に遭う役柄がはまりますね。
エドアルド・レオ演じるパオロ(右)と大好きなKISSのメイクをするマルコ・ジャッリーニ演じるエンツォ翁(左)
『ブォンジョルノ、パパ。』では、主人公アンドレアと同居する親友パオロを演じていて、この人、とにかくひどい目に遭います。トイレで一息ついているところを複数人に詰めかけられたり、顔の真横におっさんの生ケツが迫ってきたり、夢遊病のおっさんに謎の禅問答を挑まれたり……。
どのシーンもコメディーとして非常に面白い。言うのは簡単ですが、この「ひどい目に遭って面白い」というのはなかなか難しいのです。しかも注目すべきなのは、レオは監督としてその役をどんなひどい目に遭わそうか嬉々として考えつつ、自らが俳優としてひどい目に遭うことを楽しんでもいること。監督としてはドSでありつつ、俳優としてはドMであるという、奇跡のひとりSM状態が成立しているわけです。じつに稀有な才能の持ち主であるといえます。
そんな、ひとりSMのプロフェッショナル、レオですが、彼のSM術についてもう少し考察してみましょう。だれかれ構わずひどい目に遭わせたからって、コメディーとして成立するわけではないのです。具体的には、ひどい目に遭うのは何かしら悪いやつでなければいけない。
評論家の夏目房之介、岡田斗司夫らが、マンガ『北斗の拳』についてこのように考察しています。
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悪党達のあの手この手の悪事と、それに対するサディスティックなまでのケンシロウの拷問・制裁というパターンは、「絶妙のボケとツッコミ」の一種のギャグ漫画とも解釈出来る。
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このように、「悪いやつをひどい目に遭わす」という構造には、コメディーにつながるところが大いにあります。そこで、多くの作家はいかにこの「悪さ」というものを物語内にすべりこませるかに神経を注ぎます。このさじ加減が、レオは非常に秀逸なのです。
悪さといっても、必ずしも性質や性格の悪さをいうのではなくて、行動や行いの悪さが問題とされます。やらなくてもいいことをやる、余計なことをやる、というのも同様に考えてよい。いかにもなゾンビものや推理もので、ひとりだけ別行動をとってすぐに死ぬやつ、などもそうですね。「そんなことをしたら、ひどい目に遭ってもしょうがないな」と思わせることが大事なのです。因果応報というのはやはり納得しやすいんですね。
これをふまえて『ブォンジョルノ、パパ。』を観てみると、レオ演じるパオロという男、前半で特に言わなくていいことを言ったり、余計なことに首をつっこんだりばかりしています。アンドレアの早漏をからかってみたり、就職が決まらないと嘆きながら、大道芸の練習に打ち込んだり。細かいことですが、こういう些細な描写の積み重ねとキャラ造形が非常に秀逸です。
さて、物語の後半、パオロのかつての彼女が、アンドレアと関係をもっていたということで、親友だったふたりは仲違いします。パオロはアンドレアを口汚く罵り、同居していた家も飛び出します。ここはシリアスシーンです。
しかしその後、その彼女はじつはとんだビッチで、パオロの友だちほとんどすべてと関係をもっていたことが明らかになります。状況としてはひどいはずなのに、こちらはコメディーシーンとして成立しています。
あのシリアス展開から一転、コメディーにもってくる手腕が見事なのですが、なぜそんな離れ業が成立しえたのか? もっといえば、パオロの悪い点は何だったのか?
・そんなビッチとつきあっていたのなら浮気されてもしょうがない
というのはもちろんあるとして、
・アンドレアを必要以上に罵りすぎた
ことでいくぶん、パオロが敵役の領域に足を踏み入れたこと、何よりも
・同居を解消して出ていく時に、払ってなかった家賃を若干踏み倒した
というジャブをヒットさせたことが、後半のコメディーシーンを成立させた決め手だったのではないでしょうか。この部分、非常に細かいですが、クライマックスに向かう大きなターニングポイントであり、レオのひとりSM監督としての手腕が発揮された場面だったと思います。
そういえば、こんなバルゼッレッタ(イタリアのジョークのこと)があります。
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子どもが警官に助けを求めた。
「お巡りさん、助けてください! あそこで僕の父さんが男とケンカしてるんです!」
「よし、わかった。それで、どっちがきみのお父さんだい?」
「わかりません。それがケンカの原因なんです!」
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『ブォンジョルノ、パパ。』は、かつての過ちでできた娘が父親の元に押しかけてくることから始まる、家族の再生の物語です。リアル映画館での上映会は終了しましたが、オンライン上映会は絶賛開催中。ぜひご家庭で、家族そろってご鑑賞ください。
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、バッグとベルトの気鋭ブランドFattoria del cuoioをご紹介。
Fattoria del cuoioとは革なめし工場の意味。
ミラノでヴィンテージの素材を活かしたオリジナルリメイクアイテムのデザイナーとして腕を磨き、日本に帰国後イタリア製ベルト・バッグブランドTIBERIO FERRETTIの企画とブランディングを務めた(株)コマコ・オフィチーナ代表の駒井氏が、トスカーナ州の小村モンスンマーノを拠点に、2019年春夏から新たに立ち上げた新ブランド。彼らと手を組んだのは、イタリア国内外の大手ブランドのベルトを多数手がける100%トスカーナ生産の由緒ある革工房の凄腕職人たち。すでに10年以上にわたり共に仕事をしてきたここモンスンマーノで、職人たちが培ってきた革小物の品質とこだわりに、TIBERIO FERRETTTIの企画で鍛えられた駒井氏の発想力と独創性が混ざり合う。クリエイティブでありながら高品質を保つ魅惑の新ブランドを、日本から発信し、育て上げていく。
エドアルド・レオ特集上映 字幕翻訳者が語る『わしら中年犯罪団』
最近は観光ガイドの仕事がなくて、YouTubeばかり見ている。いままで見てこなかった総合格闘家のYouTubeチャンネルなどを見ている。これが面白い。めちゃくちゃ面白い。いろんな切り口で面白さを語ることができるのだが、何より格闘技が語学に通じているところが面白い。共通点としては、まず両者ともに日々の鍛錬が必要ということ。来るべき試合(仕事)のために、日々練習をして筋力をつけたり、試合勘を磨いたりしなければならない。スパーリングはさながら語学を用いたフリートークだ。相手が母国語話者となると、おのずとトップレベルの格闘家と一戦交えているような気分になる。そんな考えを巡らせながらYouTubeチャンネルを視聴するのが楽しいのだ。
なかでも感銘を受けたのが朝倉未来とボクシングのWBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人がコラボレーションした動画である。総合格闘家の朝倉とボクサーの京口が、ボクシングのルールでスパーリングをする。スパーリング終了後に京口が朝倉のセンスをほめちぎるのだが、こう釘をさしもするのだ。「総合の選手がボクシングのパンチの打ち方を覚えるとマイナスに働くこともあると思う」。同じ格闘技であっても、総合格闘技とボクシングでは、セオリーがまったく違う。関連性はありながらも、ボクシングで学んだことが、そのまま別ジャンルの格闘技に活かせるというわけではない。逆もまた然りである。
このコメントを聞いた私は興奮した。文芸翻訳と字幕翻訳の関係とまったく同じではないか。文字のみで表現する文芸書の翻訳は、原文の細やかなニュアンスや語調、字面を気にしながら、時には訳注もつけながら仕事を進める。ところが次々と映像が流れていく字幕翻訳では、そうはいかない。可能な限り文字数を削って簡潔さを心がける。そこに訳注など入ろうはずもないし、ある程度は手ぶりや話者の口調で理解してもらえることを想定する。だから文芸と字幕では、同じ翻訳であっても完全に別物なのだ。今回の特集上映で久しぶりに字幕翻訳に触れて、それを痛感した。
『わしら中年犯罪団』のヒロイン役ローマ弁女優サブリーナイレニア・パルトレッリ。現代のアンナ・マニャーニか。
特に『わしら中年犯罪団』のような、登場人物の掛け合いが多く、方言や固有名詞や言葉遊びがふんだんに盛り込まれている作品となると、ウルトラC的な技を繰り出さなければならない。その技量がないときはどうすればいいか。少々せこい気もするが、英語字幕を確認するのだ。イタリア語字幕をつける際に使う映像素材には、たいてい英語字幕がすでについている。ウルトラCの技を繰り出せずに悩んでいるときは、ひとまず英語字幕を参考にする。格闘技でも、強敵と戦う前は、相手の過去の試合を見て研究するのが定石だろう。そんなわけで、今回も英語字幕を折に触れ参考にしつつ作業していたら、偶然にも、ウルトラCではなく、この英語訳は反則ではなかろうか……という箇所を発見してしまった。まずは下記の動画で疑惑の場面を確認してほしい。
NON CI RESTA CHE IL CRIMINE - Clip - Tanti auguri a me
自宅でひとり寂しく「ハッピーバースデートゥーユー」を歌うサブリーナ。そこに彼女に盗まれた結婚指輪を取り返すため、セバスティアーノがやってくる。まずはご機嫌を取ろうと、誕生日プレゼントとして、彼女にライターを渡す。このライターは、セバスティアーノ含む、現代から1982年にタイムスリップしてきた主人公の中年三人組が、現代で企画していた「マリアーナ団ゆかりの地ツアー」の販促アイテムである。ライターの表面に「ローマを占領」(Pijamoce Roma)の文字がでかでかとプリントされている。これは作中に登場する実在の犯罪組織マリアーナ団のボスが発した名言だ。だが実際には、ボスの名言がプリントされたライターなど、この時代にあるはずがない。うまく読めないサブリーナが「英語かしら?」とたずねると、本当のことが言うに言えないセバスティアーノは、話を合わせて「英語だよ」と答える。
コミカルな場面だが、なんとここの英語字幕が「フランス語かしら?」(French?)となっているのだ。真意はわからないが、おそらくは英語圏の映画鑑賞者を想定して、英語を笑いのネタにするのはまずいという判断で、「英語」を「フランス語」に差し替えたのではないだろうか。イタリア語でははっきりと「英語」(inglese)としゃべっているのに。この反則技は、イタリアとアメリカ、またはイギリスとの関係性をよく表していると思う。配給会社か字幕翻訳者か、誰かが英米に忖度しているのではないか。大金持ちのアメリカ人クライアントを前にもみ手をするイタリア人の姿が脳裏に浮かぶ。それにしても、フランス語にしてみれば、とんだとばっちりだ。
そもそも作品になる前の素材での話なので、実際にアメリカで上映された”All you need is crime”(『わしら中年犯罪団』の英題)で、この訳が採用されているかは知らない。このままだとすれば、何かしらの力が働いた意図的な誤訳、つまり八百長試合と言えるのではないだろうか。今回の字幕翻訳は、純粋に言葉遊びや会話の応酬などでたいへん苦労したが、このような予想外の発見もあった。なんともつらく、楽しい字幕翻訳作業だった。
2020年10月30日~11月7日『わしら中年犯罪団』はオンライン上映会で鑑賞できます。
オンライン映画館アップリンク・クラウドへゴー!
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そしてイベント開催にあたり、難しい状況下でイベントの意義を汲み賛同してくださった協賛社さま、ありがとうございました! 今回は、イタリア産のワインとフードの輸入を手がける日欧商事をご紹介。
「私たちはイタリアのスペシャリストです」のモットーの下、「本物のイタリアの味」を日本の消費者に紹介しています。
イタリアのトップブランド、トップクォリティーの商品の提案において最も先進的で機動的であること、それがJETの強みです。
1981年に設立以来、JETは常にイタリアワインと食材の市場をリードしてきました。
現在、JETはイタリアの全20州からトップブランドの名にふさわしいワインを揃え、ガストロノミーの発展のため、次世代の方々の成長のために、商品だけでなく、豊かな食と文化の活性化を目指しています。
その特徴は、イタリアの食文化と人、そして食品マーケットに精通しているイタリア人のオーナーとスタッフが「素材」と「味」をリサーチし、選んでいること。
イタリアとの幅広く、太いパイプとコミュニケーションにおいて、他社の追随を許さない際立ったノウハウといえます。
イタリアの食文化を通し、日本とイタリアの架け橋になることを使命としています。 次世代に続く、豊かな食文化の発展のために活動していきます。