モルタッチは魔法のことば
「ブオニッシモ」という言葉を耳にしたことはないだろうか。「美味しい」を意味する「ブオーノ」の語尾が変化したもので、協調の意味が加わり「めちゃくちゃ美味しい」となる。イタリア語で書くと”buono”の語尾の“o”の部分が”issimo”に変わって”buonissimo”だ。音楽用語の「フォルテ」から「フォルティッシモ」、「ピアノ」から「ピアニッシモ」も同様の変化で、前者は「強く(演奏する)」が「めちゃくちゃ強く(演奏する)」となり、後者は「静かに(演奏する)」が「めちゃくちゃ静かに(演奏する)」となる。このように語尾をいじることで、もとの言葉に意味合いが加わるのが、イタリア語の大きな特徴だ。
”issimo”以外にも、さまざまな語尾変化がある。例えば”ino”とすると「小さな」の意味が付加され、”one”は「バカでかい」となる。そして今回のテーマとなる”accio”は侮蔑としての「クソ」の意味合いが加えられる。例えば、少年は”ragazzo”というのだが、”ragazzaccio”は「クソ少年」ということになる。いたずらをした少年を、近所のおばさんが「このラガッツァッチョめ!」と叱りつけるのだ。
つまり”accio”の語尾変化は悪口を言うときに頻出するのだが、ローマ弁の悪口で”accio”を活用した「リ・モルタッチ・トゥア」なるものが存在する。この“Li mortacci tua”をスタンダードなイタリア語に直すと”I mortacci tuoi”だ。冒頭の”I”は男性名の複数形につける定冠詞、”tuoi”は所有形容詞の「あなたの」。これらに挟まれた名詞”mortacci”というのは死人を意味する”morto”の語尾をaccioに変化させて”mortaccio”、さらにそれを複数形になって”mortacci”だ。まとめると「お前のクソ死人ども」ということになるが、ここで言う死人というのはご先祖さまのことで、つまり悪口を言われる対象の自分だけではなく、先祖もろともクソ扱いされるという超ド級の悪口になる。
ゼロカルカーレ、言われてみると、ちょっとフランス人っぽいですね~♪
そんな「リ・モルタッチ・トゥア」も、TPOによっては良い意味にもなると、漫画家ゼロカルカーレは主張する。フランス人とイタリア人のハーフであるゼロは、生まれはローマではないが、子どもの頃にローマ郊外レビッビアに引っ越し、高校時代から落書きのような独特のタッチで漫画を描き始め、そこで暮らす自らの無為な生活と、社会問題を絡めたとめどない独白を描き散らし、ローマのアンダーグラウンド・シーンで多くのファンを獲得し、いっきに全国区に上り詰めた。
彼の育ったレビッビアというのは、地下鉄の終点という閉塞感、刑務所があるという圧迫感、郊外に延びる幹線道路のわびしさなどの特徴から、治安の悪いローマ郊外のなかでも異彩を放っている。そこでは、まさに「リ・モルタッチ・トゥア!」とののしり合う日常生活が営まれているのだが、レビッビアの「リ・モルタッチ・トゥア」には、ドギツイ方言を耳にしたときに覚えるほっこり感もある。言うなれば、石川啄木が上野駅で故郷の訛りを聞いて安堵するのと同じ効用がある……のかもしれない。とにかく、額面通りの「クソ先祖ども」の意味合いだけではない、親しみのニュアンスがそこにはにじみ出ている。
こうなってくると難しいのが日本語訳だ。誇張するとイタリアで『鬼滅の刃』くらい売れているゼロカルカーレなので、マニアックな内容ではあるが、日本でも作品が発表されている。ゼロカルカーレの原作をもとに映画化された『アルマジロの予言』が2019年イタリア映画祭の機会に東京と大阪で上映され、2015年の代表作『コバニ・コーリング』が今年の9月に出版された。『アルマジロの予言』は、子どものころ好きだった女の子の訃報を受け、戸惑いながらも悶々とした日々を過ごす実話風の青春物語で、字幕を付けたのは、このブログの主、野村雅夫を中心とする京都ドーナッツクラブのメンバーだ。いっぽう『コバニ・コーリング』はレビッビアで鬱屈した生活を過ごすゼロが、シリア北部の自治区ロジャヴァを訪れるルポルタージュで、主に現代イタリア文学を訳している栗原俊秀さんが訳された。
La Profezia dell'Armadillo - Trailer Ufficiale Italiano HD
ジャンルは違えど、両作品のなかに、悪い意味ばかりではないという文脈で「リ・モルタッチ・トゥア」というセリフが出てくる。映画『アルマジロの予言』では「チクショ-」と訳され、単行本『コバニ・コーリング』では「これはローマ方言で『お前のご先祖でべそ』を意味するが、文脈によって侮辱にも愛情表現にもなる、たいへん可塑性に富んだ表現である」と原註が付けられた。
正しい答えがないのが翻訳なので、同じ訳にならないのは当然だ。そして映画では長くて数秒という厳しい時間制限があり、単行本でも物語の流れを止めてしまわない巧みなテクニックが必要となる。当然ながら、私がここでつらつらと解説した「リ・モルタッチ・トゥア」の意味に触れる暇なんてまったくない。それは裏を返すと、ゼロカルカーレの仕掛ける言葉には、それだけ意味が濃く詰まっている場合もあるということだ。数秒、数ページで過ぎ去る訳文のはざまに、その濃さを感じ取ることができれば、最高の鑑賞/読書体験になるに違いない。
ちなみに12月20日までオンラインで特別に開催されているイタリア映画祭で『アルマジロの予言』は鑑賞できるし、単行本『コバニ・コーリング』も絶賛発売中だ。ぜひ「視聴する」をクリックして、手に取って、濃厚なゼロカルカーレの世界を味わってほしい。
そして両作品の訳者である栗原さんと京都ドーナッツクラブ野村が参加するオンライン講演会が来る11月28日(土)に開催される。この記事や作品に触れて気になった方は、ご参加のほど、よろしくお願いします。
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映画『おらおらでひとりいぐも』短評
『ストックホルム・ケース』短評
ノルマルム広場強盗事件として、心理学用語「ストックホルム症候群」の語源となったこの事件。製作、脚本、監督と映画化プロジェクトの中心人物となったのは、ロバート・バドロー。ラースを演じたのは、チェット・ベイカーの伝記映画『ブルーに生まれついて』でバドローとタッグを組んだイーサン・ホーク。人質のビアンカには、「ミレニアム」シリーズのノオミ・ラパスです。
『パピチャ 未来へのランウェイ』短評
メドゥール監督と僕は同い年なので、90年代後半に大学生になるわけです。だから、場所はまったく違えど、親近感を覚えながら観始めました。僕の通っていた大阪外国語大学は女子も多かったし、将来は海外へ出たいとか、地方から大阪へ来て夢をそれぞれにみんな語ってた。クラブに行ったり、コンパをしたり、付き合ったり、別れたり。もちろん、勉強もして。それが大学生じゃないかと。ところが、こうも違う現実を彼女たちは生きていたのかと、かなり打ちのめされました。女性であるというただそれだけで、あれもだめ、これもだめ。
そのあたりの社会の空気の変化をメドゥール監督は巧みに物語ります。ネジュマがよく出入りする生地屋さんや、寮母、寮の警備員、つるむ学生たち、母親… 街の景色もそうだけど、顔のわかる登場人物の言動の変化をじわじわ見せてくれます。手持ちカメラを使ったり、寄りの絵が多かったり、いわゆるドキュメンタリーっぽい撮り方をしているから気づきにくいんですが、設定も脚本もカメラワークも、実は相当細かく念入りに準備されています。主人公のネジュマは、そんな状況にあって、イスラームの文化をないがしろにする、ただの西洋かぶれかっていうと、決してそうではないんですね。彼女は確かに自由を尊ぶ、あの環境ではぶっ飛んで見える人だけれど、アルジェリアの風土と人を愛してもいて、標的にされがちだった多くの知識人のようにヨーロッパへ移住するつもりはないんですよ。何があっても、私はここで生きていく。ファッション・デザイナーを目指すからといって、フランス語もできるから、とりあえずパリへっていう発想はないんですよ。
この前は、韓国の『82年生まれ、キム・ジヨン』を高く評価しました。地域は違いますが、自覚的であれ無自覚であれ、女性たちが男性優位の社会で卑屈にならざるをえない状況を克明に描き、そこからの脱却を目指す勇気ある女性の姿を映像にする女性監督が活躍することに、僕は大いなるエールを贈りたい。すばらしい作品でした。
さ〜て、次回、2020年11月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ストックホルム・ケース』です。人質にとられたり、誘拐された被害者が、どういうわけか加害者に惹かれてしまうという心理状態を表す言葉「ストックホルム症候群」の由来となった事件が映画化されました。主演イーサン・ホークの役柄が僕に似ている、いや、僕がイーサン・ホークの役柄に似ている(どっちでもいい)という話も聞いていますから、これは他人事ではありませんぞ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
閉会宣言! エドアルド・レオ特集上映~イタリア娯楽映画の進行形~
どうも、僕です。野村雅夫です。
まだ今日7日(土)いっぱいはオンライン上映が続いておりますが、 一足先に閉会宣言です。春に緊急事態宣言が出る頃に企画を練り始めたこのイベント、吉祥寺、京都、そしてオンラインと、大勢の方にご参加いただけたこと、感無量です。
ゴールデンウィークに毎年開催されてきたイタリア映画祭の延期(あるいは中止)が発表されたことで、いつもならスクリーンにかかるはずの10本強の新作に今年はお目にかかることができないと知った僕らは、それでは寂しすぎるし、何よりもイタリア映画受容の流れが寸断されることを危惧しました。僕らは弱小の会社ではあるけれど、何かできることがあるのではないか。そこで、小さいわりには超ヘビー級の腰を上げて、動き出したわけです。
「今のイタリア映画のスターを知って、楽しんで、覚えてもらおう」というのが、コンセプト。エドアルド・レオは、まさにうってつけだったと思います。だって、僕らも作品の選定から字幕制作まで、たっぷり楽しむことができたのですから。1本でもご覧いただいた皆さんも、同様に楽しんでいただけたのなら、これ幸いです。
そして、レオを身近に感じてもらうためのわかりやすい言い回しとして使っていた「イタリアの大泉洋」というフレーズ。なんとまぁ、イベント中には紅白歌合戦の司会に抜擢されたというニュースが! って、僕らのイベントとはまったく関係ないんですが、ともかく喜ばしいことです。さらに、延期となっていた、僕らにとっての本家とも言えるイタリア映画祭2020の開催も発表されましたね。新作の本数は限られ、オンライン上映がメインにはなりますが、それでも少ない新作の中に、我らがレオの出演作『幸運の女神』(下の写真)が含まれているではありませんか! 何より嬉しいことです。
今回の大きな目的は、日本未公開の貴重な作品をご覧いただくだけでなく、新型コロナウィルスの感染拡大が社会に大きな影を落としたイタリアの赤十字と、僕らの活動の原点とも言える映画作家シルヴァーノ・アゴスティが運営するローマの名画座存続のために会場で寄付を募ること。趣旨に賛同いただき、ご寄付いただいた皆さんに、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。いただきました73.434円は、今月、責任を持って小社より寄付をいたします。また、ご協賛いただいた各企業の皆さん、イベント告知でご協力いただいたメディア関係者の皆さん、そしてUPLINKの皆さんも、ありがとうございました。
僕ら京都ドーナッツクラブは、今年結成から15周年を迎えました。吹けば飛ぶような弱小会社ではありますが、今後もイタリアの知られざるカルチャーを日本に紹介する業務を続けてまいります。今年レオという旬の映画人を取り上げられたことによる手応えを、また次に活かしていきます。あ、そうそう、今回取り上げた4作品は、今のところ、配信やソフト化の予定はありません。もしご興味をお持ちの映画関係者の方、いらっしゃいましたら、ぜひぜひ小社にご一報ください。首を長くして、手ぐすねも引いて、お待ちしております。
今回お越しいただいた皆さんに、また映画館などでお目にかかることのできる日を信じて、イタリア娯楽映画の進行形「エドアルド・レオ特集上映」、これにて閉会です!
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ご協賛社さまの中から、今回はPOLPETTA様をご紹介。
コンセプトは足元を主役にした大人の遊べるファンタジーシューズ。コーディネートに個性を演出できる新しいフットウェアスタイルを提案します。
POLPETTAのルーツはイタリア・パレルモにあります。パレルモから10kmも離れていない場所にMONDELLO(モンデッロ)という素晴らしいビーチがあります。別荘地としても知られるこの場所の時間の流れが大好きで、ここで仲間と靴作りをした経験がPOLPETTAのベースになっています。夏でも湿気のない清々しい空気が全ての色を変えてしまう。大人たちがお洒落をして夜の街に繰り出す。遊び心を忘れないパレルモっ子の気分です。
『博士と狂人』短評
さ〜て、次回、2020年11月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パピチャ 未来へのランウェイ』です。90年代のアルジェリアを活きた女性たちの青春絵巻。当時あの国は、とりわけ女性にとっては暗黒とも呼ぶべき時代で、イスラム原理主義が幅を利かせていたようですが、彼女たち、ヒジャブもまとっていませんね。どんな心持ちで暮らしていたんだろう。未知の世界を覗く心持ちで観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!