京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『新感染半島 ファイナル・ステージ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月19日放送分

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日本でもヒットしたゾンビもの『新感染 ファイナル・エクスプレス』の続編です。野生動物から広がり、人間を凶暴かつ俊敏なゾンビに変えてしまう謎のウイルスが朝鮮半島を襲ってから4年。半島を脱出して香港で生き延びていた元軍人のジョンソクは、マフィアとの取引によって、あるミッションを遂行します。それは、大量の米ドル札を積んで韓国に取り残されたトラックを、限られた時間内に回収すること。順調に進めていたところに、ゾンビだらけの街に潜んでいた民兵組織にトラックを奪われます。

新感染 ファイナル・エクスプレス(字幕版)

カンヌ国際映画祭2020のオフィシャルセレクションに入りました本作。続編とは言いつつ、お話は基本的に前作と別ものです。監督と共同脚本は、前作と同じヨン・サンホなんですけどね。今回、主人公のジョンソクを、カン・ドンウォン、韓国で隠れ住んでいた女性をイ・ジョンヒョンが演じています。イ・ジョンヒョンさんは歌手でもあって、Lady Gagaオープニングアクトを経験していたり、日本では紅白にも出演したことがありますね。
 
僕は先週火曜日の午後、TOHOシネマズ梅田で観てまいりましたよ。ゾンビ・ファンが集っておりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

前作がたいへん良かったんですね。2017年の9月に僕はラジオで評しまして、それはブログで読めます。もう、ただただ褒めていました。舞台を列車内に限定した設定の妙。ゾンビではなく人間を描く骨太なテーマ。すばらしいと。ただ、ヒット作の続編は基本的に難しいのに加えて、あの後の物語って言ったって、ゾンビ映画に解決って難しいわけだからなぁと、同じヨン・サンホ監督とは言え、こりゃしくじってる可能性があるぞ。とは思っておりました、正直。そして、その通りにこりゃコケとるわと観る人が出てくるのはわかるけれど、僕はこれはこれとして、実は結構楽しく観ることができたんです。
 
4年後、韓国はもう文字通り壊滅状態で、ゾンビしかいないっていう廃墟化したところへ、今回の主人公ジョンソクは潜入するわけですが、お宝を奪ってこいというミッションのルール説明が必要なだけでなく、そもそも主人公も前作と違うし、このシリーズのゾンビはこんな特徴がありますっていう説明も必要なので、物語のセットアップが手こずりそう、ストーリーテリングの難度が高いところを、監督はいとも簡単に、さくさく頭からクリアしていくし、それどころか、軍人だったジョンソクの4年前、朝鮮半島脱出時の後悔、自責の念を、きちんとゾンビ映画的見せ場としていきなり提示しているんですよね。
 
ジョンソクは渋々ながらではありましたが、再び韓国の土を踏みます。さあ、トラックはどこにある。ゾンビは闇夜では動かないか、動きが鈍いんです。ところが、たとえ月の光でも、ある程度の明るさがあると活性化しますよって追加ルールを、廃墟の街、実地で教えてくれるくだりも、こんな世界になってしまうのかと観光映画ゾンビワールド編として面白い。で、わりとあっさりめにトラック発見、ようし、あとは衛星電話で迎えの船を呼び出しでと… うぇ〜い、4年我慢したけど、これで億万長者だ〜いって、この油断、からの大惨事が、この手のジャンル映画のお決まりですよね。

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(C)2020 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILMS.All Rights Reserved.
ただ、ここから様相が変わってくるのは、さっきルール説明って表現を使いましたが、今回はむしろ人間同士のサバイバルゲームになっていくんですね。観れば思い出すのは、「マッドマックス」ではないでしょうか。怒りのデス・ロードばりに、ゾンビたちに囲まれて脱出不能だと人間性を見失った軍人たちの所業がひとつの見ものになり、その環境でかろうじて人間性と理性をつなぎとめている人たちも出てくる。そこでのお宝と命をめぐる攻防戦の装置は車と銃や兵器です。あとは、ラジコン。って、まぁ、これも車ですね。つまり、やはりマッドマックスっぽいんですね。漫画っぽいし、なんじゃそりゃっていう、物理法則を無視したような展開もあるんだけど、それはもうそういうエンタメだと思って笑って見ていればいいんです。あの女の子ふたりの運転技術とラジコン操作技術は、もはや笑いでしょ? そして、怒りのデスロードよろしく、主人公ジョンソクよりも、女の子、母、そして老人と、社会的に力が弱いとされている人物たちがむしろ活躍していく。このあたりは、韓国や日本のまだまだ厳しい女性の立場を映したものだという解釈も成り立つだろうし、今回はとにかくおびただしい数のゾンビがわらわら出てきますが、それだって行き過ぎた競争社会のメタファーになるってところは、このジャンルのお決まりでしょう。

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(C)2020 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILMS.All Rights Reserved.
全体として、CGが多くて萎えるとか、カーチェイスもやりすぎでもはやリアリティーがないとか、鋭い社会風刺が前作に比べれば後退しているとか、最後のお涙頂戴演出がしつこいとか、主人公の葛藤がもうひとつ表現しきれていないとか、いくらでも批判はできるんですが、それでも、僕はエンタメにシフト・チェンジした続編のあり方として、これはこれで面白いと思います。ラストも、誰が生き残って、誰が犠牲になるのか、そして危険を犯して助けに行くのか、そもそも助けは来るのか。こうしたお決まりの問題に、それなりにツイストを加えたオチをつけていたと思いますし、ちゃんと人間を信じたくなる、塩気のある淡い甘みがブレンドされたフィナーレでしょう。って、これ、実は前作の評の最後に僕が言った言葉と同じなんです。今回は甘味が強めではあったし、湿っぽくもあったけれど、方向性としては結局同じとも言えるのではないか。僕はそんな風に受け取っています。
曲はサントラからではなく、僕のイメージを膨らませて、キラーズを持ってきました。ゾンビ映画というジャンルには多分に社会風刺が含まれているもの。この曲もそうだよなと。


さ〜て、次回、2021年1月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『大コメ騒動』です。学校の日本史で習った米騒動、わかるんですが、なぜあれを今映画にしたのかってことはよくわかっておりません。でも、『超高速!参勤交代』の本木克英監督で、井上真央が主演… 面白そうでないか! 作品のコピー通り、「もう我慢できん!」。エンヤコラと、すぐ観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!  

『映画 えんとつ町のプペル』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月12日放送分
『映画 えんとつ町のプペル』短評のDJ'sカット版です。

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キングコング西野亮廣(あきひろ)が手掛けて幅広い世代に人気を得ている絵本『えんとつ町のプペル』。分厚い煙にいつも覆われた、えんとつ町。その煙の上に空があることも、そこに星が瞬くことも、誰も想像すらできなくなっています。1年前、ただひとり星について紙芝居で表現していたブルーノが失踪。噂では海の怪物に食べられたのだとか。息子のルビッチは、学校をやめて煙突掃除で家計を助けるのですが、ハロウィンの夜、ゴミから生まれたゴミ人間のプペルが現れ、ふたりは友達になります。

えんとつ町のプペル

西野亮廣が製作総指揮と脚本を務め、アニメーション制作は湯浅政明大友克洋片渕須直の作品など、ハイクオリティな映像表現で知られるSTUDIO4℃が担いました。もともとジブリで『となりのトトロ』やら『魔女の宅急便』やらのラインプロデューサーを務めた田中栄子が起こしたスタジオですね。監督はこれが初長編の廣田裕介。主人公のルビッチとプペルの声を、それぞれ芦田愛菜窪田正孝が演じた他、立川志の輔小池栄子國村隼などが参加しています。
 
僕は先週水曜日の午後、MOVIX京都で観てまいりましたよ。結構入っていたし、客層は幅広いなと感じました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

絵本の原作を長編アニメーションにするのは、なかなか大変です。同じビジュアル表現で言えば、漫画の劇場版がありますが、絵本の方がより大変です。日本の連載漫画の場合には、最近だと『鬼滅の刃』がそうですが、それなりに長いものが多いので、映画化にあたっては、とりあえずキリの良いところまでにしておく、など、描きこまれたエピソードの取捨選択が必要で、そこに脚本家の腕が発揮されるのですが、絵本の場合はお話が比較的簡潔であることが多いので、むしろどう膨らませるかが重要だと言えます。
 
その上で、この原作絵本は、異例のことですが、総勢33人のクリエーターによる分業体制で作られたんですね。なんなら、その制作資金もクラウドファンディングによって集まったもので、西野氏は言わば全体の旗振り役なんです。絵本の時点で、製作総指揮・脚本だったみたいなわけで、集団製作という商業映画の手法を絵本に持ち込んでいました。珍しいケースだし、そのやり方、出版の仕方、クレジットの仕方など、5年ほど前に賛否両論渦巻いていて、僕なんかはそれ自体が興味深いなとネット越しに眺めていた口です。だって、このお話が出る杭を打つ社会への風刺なんで、西野氏が日本というえんとつ町のプペル、あるいはルビッチになっているようにも見えましたから。

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(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会
そして今度は、丹念に微細に描きこんだ絵を動かすプロジェクトのために、より大きな集団製作の旗を西野氏は降ったわけです。これだけの情報量のアニメを高い水準で実現するなら、STUDIO4℃には自ら依頼をしに行きました。キャスト、ミュージシャンなど、錚々たるメンバーが集いました。にも関わらず、僕にはこの映画がそこまで輝いて見えませんでした。
 
絵は素晴らしかったし、キャラクターたちがダイナミックに動いてアニメならではの視聴覚的快感もありました。何より特徴あるスチームパンク的な街の表現が細かくって、プペルと一緒に探検をするようでワクワクもした。のは、前半1/3くらいまでです。僕と同じように感じている人もいるようですが、それはなぜかと言えば、煎じ詰めれば脚本の問題です。常識に囚われずに、想像すること。誰かがそれを否定しても、自分の夢を信じること。信じ切ること。そのメッセージは否定しませんよ。真っ当ですよ。正論だし、風刺としても今また大切な価値観です。でも、悪く言えば、それ以上のひねりが、遊びが脚本に決定的に足りないんです。

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(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会
絵本だったらね、話はむしろソリッドにして、あとは絵を描きこんであるから、フレーズごとに、ページごとに、読者に想像させるべきなんです。だけど、長編アニメにするなら、もっともっとエピソードも細かく積み上げていかないと、どうしたって話の推進力が落ちるんです。だから、途中からは「それ、さっきも聞いたよ」っていうセリフが多くなってしまう。その意味で、僕は映画化にあたっては、脚本こそ、西野氏を中心に複数の人で肉付けしていくべきだったと考えています。結果的に、話はすごくあっさり感じられるし、普通だし、こんなメッセージなのに想像を超えない。
 
えんとつ町は魅力的なので、今後たとえばルビッチ少年がその外の世界をどう受け止めるのか、挑むのか。続編やスピンオフを生み出せる土壌のある設定だと思います。僕はむしろそこが見たいなと、今後の展開にちょっぴり期待しながら劇場を後にしました。絵本は現在、映画のホームページで無料公開されているので、ぜひ比較してみてください。

絵本のプペルが話題になった頃から、西野さんが交流を持って、その才能を世に知らしめる一助となってきたシンガーソングライターのロザリーナ。1stミニアルバムが出た時には、既にプペルのイラストがジャケットに使われるなど、一種のメディアミックスが2016年から行われてきたわけですが、西野さんが作詞したこの歌はここに来て、映画のエンディングとして高らかに響くことになりました。独特の声の魅力がいかんなく発揮される高いキーです。

さ〜て、次回、2021年1月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『新感染半島 ファイナル・ステージ』です。アニメの後にゾンビです。ものすごい振り幅の采配となりました。前作を僕はかなり楽しんだし評価もしたので、楽しみではありますが、とかく難しいのが続編。どうなりますか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『天外者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月5日放送分
映画『天外者』短評のDJ'sカット版です。

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江戸末期、黒船の登場に動揺が広がる日本。新時代の到来を予見する薩摩出身の青年武士、五代才助は、攘夷か開国かという短期的な視野ではなく、もっと長い射程で世の中を見ていました。誰もが自由に夢を見て、それを叶えられる社会を作りたい。五代は坂本龍馬岩崎弥太郎伊藤博文らと志をともにしながら、時代のうねりの中へ飛び込んでいきます。

利休にたずねよ 海難1890

監督は、『利休にたずねよ』や『海難1890』の田中光敏。脚本は今挙げた2本でもタッグを組んだ小松江里子。原作小説があるわけではなく、オリジナル・ストーリーです。五代才助、のちの五代友厚を演じたのは、三浦春馬。これが遺作となりました。坂本龍馬を三浦翔平、岩崎弥太郎西川貴教伊藤博文森永悠希と主要キャストを担当した他、森川葵が若き五代に長崎で出会う遊女に扮しています。
 
僕は先週火曜日の昼、TOHOシネマズ梅田で観てまいりましたよ。公開から日が経っていたのでスクリーンは小さい場所になっていますが、驚いたことにほぼ満席。女性ファンを中心に、大勢リピーターも詰めかけているという印象。なんと、終映後には拍手もわきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まずタイトルとなった耳慣れない言葉、天外者ですが、鹿児島の方言で「お利口さん」「功績をあげた人」という意味と「いたずら小僧」という相反する意味を内包しているのだと、鹿児島弁ネット辞典にありました。天からの子、典雅な人、手柄のある人、語源についても諸説あり。でも、その複数の意味が、すごい才能を持った五代の伝記映画を作る上でハマるということで名付けられました。
 
五代才助という人物は、武士、役人、商売人と、49年の短い生涯の中で、肩書をみるみる変えていきました。彼は世間からどう見られるかにこだわらず柔軟にその時々でなすべきことをなし、あくまでも視線は高く遠く、自らの描く、当時としては相当に進歩的な国の将来像そのものにこだわった。その生き様を、「てんがらもん」と言い表すのは的を射ていると僕も思います。そして、三浦春馬がどの五代を演じても、つまり刀を奮っていても、大阪商工会議所で熱弁を振るっていても、和服でも洋服でも、堂に入っていました。これを見応えと呼ばずして何と呼ぶ。さらに、彼が昨年7月に五代よりも早く他界してしまったことを観ている誰もが知っているがゆえに、僕らは目頭が熱くなります。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
ただですね、残念ながら、映画そのものの出来栄えを客観的に分析すると、評価は厳しくなります。主な原因は脚本です。幕末、明治維新を描くのが難しいのはわかります。登場人物が多くなるし、それぞれの立場もいろいろで変化もしていくから、とかく複雑になりがち。マニアも大勢いるから、批判もされやすいだろうし。それを逆手に取ったと言うべきか、竜馬暗殺など、誰もが知るようなところは大胆に端折ってあるし、僕はそれはそれで良いと思うんですが、僕がよくわからなかったのは、語り手を、物語の導入になる長崎の商人トーマス・グラバーにしてあることです。複雑な人物だから、どっかに貫く視点が必要だということも、グラバーと五代の交友関係がそれほどに豊かだったことはわかるんですが、それならもっとふたりの関係を掘り下げないといけないでしょう。現状、グラバーはナレーターとしての役割のほうが大きいんですよ。たとえばですが、僕は竜馬からの五代、岩崎弥太郎からの、はるからの、妻豊子からのと、時代ごとに彼のことを語る構成にした方が良かったのではないかと考えています。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
「てんがらもん」を描くにあたって、時系列で展開するという伝記映画のスタンダードを採用した結果、五代の生きるスピードに脚本が置いてきぼりをくらったような格好で、結局はダイジェストになっちゃっているんです。演出もそれに引っ張られて、シーンごとにぶつ切れだから、ひとつひとつに力が入っちゃって見せ場をこしらえようとするんで、映画というより紙芝居的なんです。ぶつ切れになるので、状況を説明するためにキャストはよく喋る。で、見せ場ばかりのダイジェストだから、口角泡を飛ばす場面が多くて、竜馬と弥太郎に関しては、なんだかよくわからないが、常にガハハと笑っているか怒っているかっていう感じなんです。平気で独り言も言いますし。で、音楽も悲しいところには悲しい音楽、勇ましいところには勇ましい音楽と、平板な劇伴になっちゃうし… そして、そこまでみんな喋ってるわりには、結局ダイジェストなんで、できごとベースで、肝心の彼の胸の内は大きな声でかき消されています。ハイライトのひとつとなるだろう大阪商工会議所の場面にも、僕は言いたいことがたくさんあるんですが、まぁ、胸の内にしまっておきましょう。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
と、かなり手厳しい評価をくだしてしまいましたが、三浦春馬の勇姿はもちろんそれだけで一見の価値があるし、僕自身はあの時代にそう詳しくないので、五代友厚という英雄のひとりについて、かなり興味が湧いたことは事実です。ただ、この映画だけ観ていると、なんか彼だけで日本の近代化と大阪経済の近代化が図られたみたいにみえるので、そこは今後自分でも調べて見識を広げたいなと思いました。

国の将来を想って、時に孤独な戦いを辞さなかった五代友厚を演じた三浦春馬の叫びをみんなで聴こうと、Fight for your heartをオンエアしました。

 

さ〜て、次回、2021年1月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『えんとつ町のプペル』です。キング・コング西野亮廣さんの絵本が、ご自身のプロデュースのもと、ついに劇場アニメ化。話題になっていますね。僕は絵本も含めて、まだ接したことがないので、この機会にえんとつ町を探索します。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『私をくいとめて』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月29日放送分
映画『私をくいとめて』短評のDJ'sカット版です。

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31歳、みつ子。会社員。独身。一人暮らし。休日はひとりで気ままにどこへでも。特に不自由も不満も不安もないのだけれど、なんか足りないような、そうでもないような。そんな彼女が久々に恋に落ちたのです。お相手はみつ子の会社に出入りする少し年下の営業マン、多田くん。両思いかもしれないけれど、なかなか踏み込めない。どうしようかな。彼女に助言をするのは、Aという男性の声。実は、みつ子の脳内には、いつも親身になってくれる相談役Aがいて、みつ子の問いに正しい答えAnswerをくれるのです。

勝手にふるえてろ 私をくいとめて (朝日文庫)

 監督・脚本は大九明子。原作は綿矢りさの同名小説。あの痛快な映画『勝手にふるえてろ』のタッグが再び実現です。みつ子を演じたのは、のん。多田くんは林遣都。そして、みつ子の親友でイタリアに嫁いだ皐月を橋本愛が担当したほか、臼田あさ美片桐はいりも個性あふれる演技で作品に華を添えています。コロナ禍で予定していたイタリアロケができなくなるなど、いくつものハードルを乗り越えながら公開にこぎつけたこの作品。第30回東京国際映画祭では観客賞を獲得しました。

 
僕は先週水曜日の昼過ぎにテアトル梅田で観てまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

大九明子X綿矢りさのタッグ、今回もすごくいいです。パンフレットによれば、監督は原作を読んで、こう思ったそうです。「切れ味のいい言葉たちの間を、さまざまな色が漂い、ある時はスパークする。この色と言葉をどう映像で描こうかと考え始めていました。私、これ撮らなくちゃ」と。実際、確かに言葉が多いんですよね。みつ子は一人暮らしなんだけど、なにしろ家だろうが外だろうがどこだろうが、常に脳内のAと会話をしている状態なので、めっちゃ喋ってます。これ、ある程度は誰でも経験があると思うんですよ。別の人格というか、Aと名づけるところまでいくのはレアケースかもしれないけれど、ぶつくさ脳内で何か言ってみたり、ひとりでボケてひとりでツッコんだり。何を隠そう、僕がそうですから。でも、これって、映画で普通にやると、主人公のモノローグとして同じ声でアフレコすることになるので、視聴覚的な変化に乏しくて、観客はすぐに飽きちゃうんですよね。言葉数は多いけれど、なんか閉じちゃうというか。それに対して、このAは一応別人格で、感覚としてはSiriとかAIに近いですね。冷静沈着にみつ子を分析して、的を射た提案や助言をしてきます。しかも、声が男性なんですよね。って、考えたら、似たような設定の作品がありましたね、最近。沖田修一監督の『おらおらでひとりいぐも』ですよ。あれは一人暮らしの老婆を、彼女の空想上の別の「おら」が3人も画面に登場して取り囲む。あれは、そのビジュアルが面白かった。3人のおらも、ひとりひとり似ていないという驚異の設定に笑えました。一方、この『私をくいとめて』はというと、逆にAのビジュアルは基本出さないんですよね。だから、この声の主はどんな人なんだろうかと想像が膨らみます。それはラジオを聴いているような感覚に近いんですよ。みつ子は脳内ラジオのリスナーでもあり、DJでもあるということ。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
大九監督が原作に見て取ったカラフルな文字表現を、映画ではそのまま映像化するってよりも、バリエーション豊かな音声表現に翻訳してみせたのではないかと僕は考えています。ファンタジックな脳内世界が現実と地続きに展開するという映画ならではの表現ももちろんあるんですが、そのトリガーになる要素としての音使いが冴えに冴えていたのではないかと。ご近所さんのホーミー。食品サンプルを作る揚げ物さながらの音。洗濯機の回る音。玄関ドアや蛍光灯の切れかかる音。ホテルの製氷機の音。などなど。かなり印象に残ります。それから、イケメンなんだけど、スカしているあまり社内で浮いてしまっている「カーター」と呼ばれる青年が登場する時のラテン系の音楽なんかも笑わせてくれます。音使いのうまい監督は信頼できるなと。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
ラテンと言えば、ローマに嫁いだ親友皐月のシーン、みつ子が意を決してローマへ尋ねるパートも良かったです。本来なら向こうへ行って撮影するつもりだったそうですが、コロナ禍でかなわなかったんです。でも、転んでもただでは起きないというか、撮影機材をあちらへ送って、現地のチームにこういう映像を撮ってくれと指示。届いたものに、日本でイタリア人と一緒に撮影した屋内や半屋内の演技パートを引っ付けて成立させています。訪問してみたら皐月が妊娠していたという設定は映画オリジナルのようですが、それに加えて、COVID-19を想起させるマスクの演出や、外出を不安がる皐月という要素も加えて、彼女が遠い異国に移住したことをちょっぴり後悔しているという感じが物語に奥行きを出していました。いくらイタリア語ができても、そりゃ不安ですよ。海外に移住して家族を持った友人って、みつ子からすれば格好良くて頼もしい親友なんだけど、それは記号的な捉え方であって、生身の人間としてあえいでいるんだという様子がよく伝わりました。そして、ある種、音使いの変化球として、向こうで皐月の家族・親戚が話すイタリア語に字幕に出さないのがすごく良かったです。僕はイタリア語がわかるけれど、みつ子にはさっぱりなわけで、外国語が言葉でなしに意味のわからない音として入ってくる感じがとてもリアルですね。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
大九監督の人の描き方が丁寧だなと思うのは、サブキャラクターの造形です。会社の先輩ノゾミさん、上司の澤田さん、コロッケ屋の親父、姿は見えないけれどクリーニング屋のおばあさんまで、ひとりひとり、あの街に暮らしている実感が持てます。ひとづきあいは大変。ノゾミさんが言うように、人といるためには努力が必要なんだけど、その努力をしたくなるって素直に思えてくるくらい、誰もが愛おしい。みつ子は20代と30代の恋愛の違いにもんどり打っていますが、多田くんとの恋愛が物語の中ですごく大事でありながら、恋愛至上主義になっていない、ただのハッピーなラブコメになっていないのがすごく現代的。みつ子よ、型通りの幸せなんかどうでもいい。君の幸せを抱いて生きていくんだってエールを送りたくなる、そして誰かにやさしくなれる1本でした。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
最後にやさしくないことを言えば、尺が長い。あのイタリア・パートと日帰り温泉旅のパートはもっとタイトに運んでほしいって感じました。まぁ、でも、起承転結のくっきりした物語ではなくて、登場人物が自分の感情をどう受け止めるか、あるいは受け止めそこねるかが主眼の話だし、コロナ禍での奮闘もあったろうしって、あっさり良しとしています。それよりも何よりも、おひとりさまの哲学がますます重要になっていると感じる現代社会にとって、ひとつの指標とも言える映画がここに生まれたことを、僕はとても歓迎しています。
 
最後に音楽について。僕はひとりっこでもあるし、みつ子のおひとりさまな思考にとても共感するし、似たような経験もあるなって思うんですね。そんな好意的な観客の一人である僕の「わかりみ」が沸点に達したのは、彼女が大滝詠一の『君は天然色』をココぞという時の勝負曲、人生のテーマソングのひとつにしているとわかった時でした。僕にはいないけど、お前は妹なのかと!
映画のサントラではありませんが、歌手のんの歌も聴きたいなと、物語の内容を踏まえて、『わたしは部屋充』お送りしました。

さ〜て、次回、2021年1月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『天外者』です。三浦春馬の勇姿を心して胸に刻んでおけというご託宣だと受け止めました。行ってまいります! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月22日放送分
映画『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』短評のDJ'sカット版です。

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ハリウッドの音楽業界でトップに君臨するベテラン黒人女性シンガー、グレース。いつか音楽プロデューサーとして一旗揚げたいという夢を持つマギーは、グレースの付き人として日々の雑用をこなしてはいるのですが、製作にはまったく関与できず悶々としていました。ある日、マギーの前に現れたのは、才能はあるがまだ磨きがかからずくすぶっているシンガーソングライターのデヴィッド。マギーは彼をプロデュースしたいと仕事の合間にレコーディングを始めるのですが…

WAVES/ウェイブス(字幕版)

本作は脚本家も監督も女性です。脚本は音楽業界に身をおいたこともあるフローラ・グリーソン。監督は配信作品で名を挙げてきたニーシャ・ガナトラ。さらに付け加えるなら、製作総指揮のアレクサンドラ・ローウィーも女性なんですね。マギーには『フィフティ・シェイズ』シリーズや『ソーシャル・ネットワーク』のダコタ・ジョンソン、グレースにはダイアナ・ロスの娘であるトレイシー・エリス・ロスが扮した他、デヴィッド役として『WAVES/ウェイブス』のケルヴィン・ハリソン・Jr.、そしてグレースのマネージャー役としてラッパーのアイス・キューブも出演しています。
 
僕は先週火曜日の昼過ぎに大阪ステーションシティシネマで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画のすばらしいところを、まず列挙しましょう。キャスティングが良い。ロケーションが良い。サントラが良い。脚本が良い。はい、だいたい良いんです。欠点を挙げることもできますが、それら欠点を補って余りある美点がゴロゴロしているのが、この作品の長所です。
 
まずキャスティング。グレースの役どころはとても難しいです。ハリウッドを舞台に、本当にいそうだけど実際にはいないグレースという40代のシンガーソングライターを演じられるのは、トレイシー・エリス・ロス以外にあり得ないし、彼女はグレースを見事に体現しました。大ヒット曲を複数持っていて、キャリアも十分というオーラと自信を放ちつつ、その栄光を傷つけずに新たな挑戦をするにはどうすれば良いのか、焦燥感を募らせているという繊細な弱みも表現する必要がある。練られた衣装やメーキャップの助けを借りながら、トレイシーはグレースとしてスクリーンにいます。
そして、プロデューサーを目指しているマギーを演じたダコタ・ジョンソン。豊富な音楽知識と豊かなセンスを持つマニアであり、野心を持ってグレースに近づいたのは良いけれど、このままではいけないという、これまた焦燥感を抱えながら、チャーミングでユーモアがあって、生真面目だけれど少し抜けている。ダコタ史上最高のダコタを引き出してくれた監督のガナトラさんに感謝です。マギーの前傾姿勢で夢は、きっと若い女性を勇気づけることでしょう。42歳のおじさんですら、そうでした。さらに、彼女は劇中で恋をするんですが、夢を追いながら、今は恋をしている場合じゃないと思いながら、ためらいながらも恋に落ちる様子が最高でした。
加えて、アイスキューブの強面で「こういう人いるんだろうな」っていう敏腕マネージャー感、ケルヴィン・ハリソン・Jr.の愚直で素直な青年っぷりも良かったし、極めつけはビル・プルマンが演じたマギーの父親にしてラジオDJのマックスがすばらしい。かつてはビッグなラジオ局で活躍していて、今はリゾート地の小さなローカル局で番組を持っているマックスの娘との距離感なんて絶妙。あんなDJ、憧れるなぁ。
ロケーションは、もちろんハリウッド、LAなんですが、映画はなかなか舞台の街そのもので撮影できないのが常です。使用許可とか大変ですから。ところが、この作品は幸運にも、そしてスタッフのロケハンと許可取りの成果がスクリーンいっぱいに広がっているので、観光映画的な側面と、そこで生活している感覚を疑似体験させてくれるんです。グレースの豪奢な邸宅も、市民の憩いの場であるトレッキングコースも小さなライブハウスも味わえるんですね。
 
そして、サントラ。音楽映画ですからこれが肝ですが、この映画ではまずアルバムを先に作ってるんです。しかも、統括したのは、マイケル、ホイットニー、マライア、アリアナ・グランデビヨンセ、マルーン5などなどなど… ジャンルを問わず活躍してきた名プロデューサーのロドニー・ジャーキンスコリーヌ・ベイリー・レイ、サラ・アーロンズ、レノン・ステラといった作家陣が曲を書き下ろしています。盤石の布陣ですね。
最後に脚本。業界の裏側を垣間見せながら、ふたりの立場の違う女性の来し方行く末を希望を込めて描き、起承転結の前半は少々もたつくものの、転結の鮮やかさと美しさには目頭が熱くなりました。パンフに評論家の宇野維正氏が寄せた文章に詳しくは譲りますが、グレースが抱える葛藤は真に迫っています。男社会の音楽業界で、表舞台に立つ女性で、40代で、有色人種であるグレースが未来をどう意欲的に描けるのか。実際にそういう条件で全米ナンバーワンを獲得するシンガーはほとんどいません。だから、それが茨の道であることと、だからと言ってひるまずに進むには女性の連帯が必要なことを見事に描いたと思います。
 
以上の理由から、若干甘い評価であることは百も承知で、この映画を僕は強く推したい。映画の神様に感謝感謝の1本でした。

トレイシー・エリス・ロスの堂々たる歌声とグッド・メロディーを楽しめるこの曲のみならず、サントラはどれもすばらしいです。今回の評はずっと流しっぱで書いていました。それから、あちこちで引用される曲たちも、的を射た選曲で、ただ雰囲気を醸すBGMとしてではなく、物語にしっかり組み込んでいたことに好感が持てました。


さ〜て、次回、2020年12月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『私をくいとめて』です。攻めた映画を撮り続ける大九明子監督と綿矢りさの原作と言えば、すばらしかった『勝手にふるえてろ』があるじゃないですか。今回は、のんちゃんと林遣都を巻き込んで、どうしたって抱いてしまう期待に応えてくれるのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『100日間のシンプルライフ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月15日放送分
映画『100日間のシンプルライフ』短評のDJ'sカット版です。

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IT系のベンチャー企業を経営する30代の幼馴染パウルとトニー。ふたりはまずまずの成功を収め、好きなものに囲まれながら、結構広いこじゃれたフラットに上下で住んでいます。プログラマーパウルは、自分が作った人工知能搭載アプリNANAを恋人のようにしていて、デジタル依存気味。トニーは自分の見た目を過度に気にする自分大好き人間。ふたりは、ひょんなことから、ある勝負を始めます。持ち物すべてを倉庫に預け、取り戻せるのは1日ひとつずつのみ。期間は100日。どちらが先にギブアップするのか。

365日のシンプルライフ(字幕版)

この話は、もともとドキュメンタリーがあったんですね。フィンランドでブームになりました。そちらのタイトルは、100日ではなく、『365日のシンプルライフ』。その設定をベースに、舞台をドイツ・ベルリンに移しつつ、働き盛りの独身男が財産をかけるゲームへと脚色しました。主役のパウルを演じているフロリアン・ダーヴィト・フィッツが、なんと監督・脚本も手がけています。豊かな才能ですね。そして、親友のトニーはあちらの人気俳優マティアス・シュヴァイクホファーが演じています。
 
僕は先週水曜日の昼過ぎにまたまた京都シネマで観てまいりました。会員になるべきだよってくらいに通っております。最近は課題作がミニシアター作品続きなもんでね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
結論から先にお伝えすると、ハートフルで風刺の効いた巧みなコメディーでした。縦軸には、100日間のゲームとその勝敗の行方があって、横軸に、トニーの恋の行方、パウルの家族との関係、ふたりの会社の今後、浮上するわだかまり、価値観の変化といった要素がいいタイミングで絡んできて、ストーリーラインに起伏と刺激を与えていくという構成。もともとドキュメンタリーがあったということで、フィッツ監督も、これ、自分だったら、あの人だったらどうして乗り越えていくんだろうと、想像を働かせたんだと思うんですよね。映画を観終わると、僕たち観客も、きっと似たような感覚を覚えて帰路につき、家に溢れるものを見ながら、こんなにもたくさんのものが必要なんだろうか、むしろものがたくさんあることによって失われていることもあるだろうし、それにしたってこれはかけがえのないものなんだと愛おしさが増すアイテムを再発見したりと、自分に引き寄せて考えることになるはずです。

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© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

まぁ、しかし、小難しくはなくて、語り口はポップそのもの。巧みだと言ったのは、そこです。冒頭、ふたりがゲームに突入するまでの日常描写が既に噴飯ものです。自意識高すぎるイケメンのトニーは、見た目の手入れと筋トレに無我夢中で、鏡の前でも笑顔の練習は欠かさない。明らかに恋も仕事もできるが、どうも胡散臭く、見かけ倒しな雰囲気も。プログラマーである相棒のパウルはと言えば、仮想世界と現実をシームレスに行き来していて、好きなスニーカーの新製品が発売されようものなら、たとえ既に何十足と持っていたとしても手に入れずにはいられない買い物依存症。このあたりの描写のテンポ良く、ネタが細かいので、すべて当てはまらずとも、誰でもひとつくらいは心当たりがあるっていう、前フリになっています。そして、どうやらいいコンビなんですよ、このふたりは。互いに抜けている部分を補い合える間柄。生活にも困っていない独身貴族で、会社まで持ってる。なんなら、持ち過ぎなくらいなんだけど、そこで例のアプリがアメリカのザッカーバーグ的なSNSのキングに売れてしまったもんだから、また大金が転がり込んでくる予定。普通なら、会社のみんなと大喜びでパーティーやって、もうエンドマークなんですが、そこでかねてよりの互いの不満が爆発。「取らぬ狸の大金」を巡ってのゲーム、賭けに酔っ払った勢いで突入。目が覚めると、それぞれの家で裸ですよ。首から鍵をぶら下げてるだけで、あとは文字通り映像通りの裸一貫、すっぽんぽん。

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© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

寒い! ふたりはまず食い物よりもあったまる服だと、倉庫へ走るんだけど、会社の仲間たちが押さえた貸し倉庫がまた微妙に遠いのね。ふたりは股間を隠しながら、ベルリンの名所を走る。この手の、小学生、あるいは思春期レベルのライトな下ネタいっぱいで、万国共通の笑いがいい具合です。そして、倉庫にたどり着くと、俺、こんなにものを持ってたのかという家財道具の数々。ところが、向かいのコンテナを借りている美女ときたら、さらに多くの服、また服を所有している様子。なんだ彼女は。ここでトニーとのロマンスが持ち上がる、と同時に、テーマは一段、深くなります。
 
考えてみたら、ドイツは東西に分かれていたわけで、時々見かけますが、過度の消費主義社会へのアンチとしての、東ドイツ懐古描写ってのがここでもスパイスになります。案の定、主人公たちの親、祖父母の世代は、まさにそこで揺れていたわけですから。認知が怪しくなってきているパウルのお祖母さんが大事に所有しているものは何か。達観しているような母親の眼差しがぬくもりを宿すのはなぜか。大の男が恋人でもない女性の膝枕でホッとして心開くのはなぜか。

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© 2018 Pantaleon Films GmbH / Erfttal Film & Fernsehproduktion GmbH & Co. KG/ WS Filmproduktion / Warner Bros. Entertainment GmbH

アッと驚くほどの結論が出るわけではないものの、自分たちの暮らしぶりと価値観の問い直しへとやさしく導いてくれるストーリーラインと映像運び、そして、最後のカメラ目線でのパウルの問いかけも含めて、とにかく巧い1本。正直、話を広げて目先の笑いに夢中になった結果、盛り込みすぎて、テーマのピントがぼやけた印象もありますが… タイトルのわりに、設定がシンプルじゃないのでね。これ、ドイツでの公開は2年前ですが、コロナ禍でそもそもワークライフバランスも改めて見直され、プレゼントを贈り合うクリスマス・シーズン、そして大掃除の時期にぜひご覧いただきたい作品に出会いました。
主題歌は、ベルギーのシンガーソングライター、Milowでした。


さ〜て、次回、2020年12月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢』です。ダイアナ・ロスの娘やらダコタ・ジョンソンやらアイス・キューブやらが出てくる、ハリウッドの音楽業界内幕ものと聞いてます。そりゃ、音楽ファンにはたまらないでしょうよ、きっと。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『エイブのキッチンストーリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月8日放送分
映画『エイブのキッチンストーリー』短評のDJ'sカット版です。

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なんだか知らないけれど、「エイプのキッチン・ストーリー」って予定表に入力してしまっていたんですが、エイプ、類人猿の料理の話ではありません。12歳の少年エイブくんの物語。舞台はニューヨークのブルックリン。デジタルネイティブ世代、エイブくんの家庭は少々複雑。母親はイスラエル人、父親はパレスティナ人。ふたりとも無宗教ではあるものの、双方の両親や親戚の信仰まではコントロールできないし、習慣やもろもろの儀式も違うとあって、なかなか大変。そんな環境でエイブが夢中になっているのは、料理。ある日、フュージョン料理を作るブラジル人シェフ、チコとの出会いが彼に大いなる刺激を与えます。
 
物語の原案と監督を務めたのは、81年生まれ、ブラジル出身でユダヤ系の若手映像作家、フェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ。脚本はパレスティナアメリカ人のラミース・イサックとジェイコブ・カデルに頼み、撮影はイタリア人といった具合に、スタッフもかなり国際色豊かです。主演はNetflixのSFホラーシリーズ「ストレンジャー・シングス」で一躍スターとなったノア・シュナップで、彼の映画初主演作となります。ちなみに、現在公開中の『アーニャは、きっと来る』も彼の主演作。引っ張りだこなのがうかがえますね。
 
僕は先週水曜日の昼過ぎに京都シネマで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
 

昨今、日本だけでなく、世界のあちこちで分断の時代と言われていますね。グローバル化が進んだ一方で、民族・宗教・政治的スタンスなど、それぞれの特性によって似た者同士が近づく一方、それぞれの集団同士は交わらず、理解し合うことがなくなってきている。こうした、たとえばカルチャーギャップが引き起こす軋轢ですけれども、考えてみれば別に最近始まったものではありませんね。それこそ、エイプの時代からあったものだと思います。古くからの問題がここにきて複雑化し、ネットで急加速した高度情報化社会によって、ますますのっぴきならないものになっている状況なんでしょう。争いはないほうが良いけれど、接触・交錯・衝突がやがては融和し、その先に生まれる新しいものってのも必ずあるわけですよ。そんな融和を促してくれるものに、恋と料理があるわけです。

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© 2019 Spray Films S.A.

恋の賜物としてのエイブのような子どもがいて、料理の場合だと、新しいレシピが僕たちの舌と胃袋を満たしてくれる。その最先端の場所のひとつとして、ブルックリンが今回は舞台になっているんだと思います。それにしても、ですよ。ユダヤ教イスラム教ってだけでなく、イスラエルパレスティナの領土問題まであの小さなエイブの家庭の外堀にあるってんですから、まぁ大変です。ここでひとつツイストしてあるのが、両親が結婚を機に無宗教を選択しているということですね。積極的には宗教的なことはしないんだと。ただ、宗教から完全に離れているかというと、そうでもないんですね。結局、親や親戚も近くに住んでいるから、それなりの頻度で会うわけで、彼らが日常的に行っている祈りや儀式、習慣の影響から免れることはできないわけです。このあたりの描写と感覚は非常によくわかります。僕のイタリア人の母も無宗教ですが、向こうのクリスマスの街の雰囲気を懐かしんで話すこともあるわけです。結局、信仰のあるなしとか深浅は別にして、宗教はその社会に根づいていますからね。そのシンボルが食習慣というわけです。

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© 2019 Spray Films S.A.
エイブの気持ち、アイデンティティの揺れというのは、日本とイタリアの血を引く僕にはよくわかります。ひとりっ子という共通点もある。子はかすがいなんて表現もありますけど、かすがいという部品になる子にかかる圧力は、特にまだ未熟な思春期には相当なもので、きっと大人には想像もつかないものです。だからこそ、避難所になるような場所が必要なんですが、それがエイブにとってはSNSでありキッチン=料理というわけです。ひとりっ子なので、家庭内に同世代がいませんから、そこはSNSでカバーして独自のコミュニティーを形成しつつ、家族や親戚以外に自分を導いてくれるような年長者=メンターが必要になれば、親に無断ででも外出して、彼の場合はブラジル人のチコという料理人に大いに影響を受けていきます。

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© 2019 Spray Films S.A.

ここで大事になるのが、チコがフュージョン料理を得意としていること。故郷ブラジルの食習慣をベースに持ちながらも、発想・着想は常に大胆で自由です。そのアイデアがエイブにとって翼となるわけですね。フュージョンという言葉は日本ではともすると料理よりも音楽の方が馴染みがあるかもしれません。ただ、現代の日本の料理はフュージョンそのものだと思います。僕がよく例に出すたらこスパゲティや海鮮のカルパッチョ、いわゆる洋食がその好例ですよ。もともと日本のものでないものを、日本の味付けになじませているわけですから。ただ、考えたら、保守的に見えるイタリア料理だって、素材の代表格トマトが日常的に使われるようになったのは、ここ150年ほどです。原産地のアンデスからやって来た当初は「魔の果物」と言われて日陰者の野菜だったんですね。

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© 2019 Spray Films S.A.

頭の柔らかいエイブは、愛する自分の家族・親戚をフュージョンさせたいと、皿の上で奮闘するわけですが、生み出すのはコンフュージョン、混乱でした。それは料理を習う過程で、誰もが経験するプロセスでもあります。味がまとまらない。それがどう曲がりなりにもまとまっていくのかってのが、物語のテーマと見事に一致しているので、とても観やすい作品になっています。ジャーナリストであり、YouTuberでもあるアンドラーデ監督の柔軟で軽快なカメラワーク、編集技術も、作品の口当たりの良さに貢献しています。尺も89分と観やすいんですが、ドスンとした素材、いくらでも深堀りできる内容なだけに、食い足りなさもありました。それこそ、それぞれの伝統料理の描写、料理のバックグラウンドがもう少し見えても良かったんじゃないか。もうちょい食べたいぞという感じも否めませんが、監督としては安心して楽しめる腹八分目を目指したのかもしれません。それこそ屋台料理のような感覚でこのテーマを味わえる良作でした。
曲はラテンよりのジャズ・カルテットquasimodeを選びました。サントラも、南米の要素を巧みに取り入れたもので、料理のリズムともあっていて楽しかったですよ。
 
さ〜て、次回、2020年12月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『100日間のシンプルライフ』です。この超のつく消費主義社会にあって、ゲームとして、あえて所持品すべてを倉庫に預け、本当に必要なものだけを1日ひとつ持ち出していく。そんな設定を読みましたが、まさかすっぽんぽんからスタートするとは… 面白そうじゃないですか。そして、自分の生活の見直しを余儀なくされそうだ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!