京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『喜劇 愛妻物語』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月9日放送分
『喜劇 愛妻物語』短評のDJ'sカット版です。

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結婚から10年。保育園に通う一人娘をかすがいに夫婦生活を続ける豪太とチカ。大学の映画研究会で出会ったふたり。夢を追いかけ、売れない脚本家を続ける豪太の収入ではとても家族3人食べていくことはかなわず、チカのパートの稼ぎで糊口をしのぐ毎日です。そんなうだつの上がらない豪太にも吉報が。ホラー映画の仕事が一本決まったのです。しかも、その仕事をくれたプロデューサーからは、四国へのシナリオハンティングの旅を勧められました。調子に乗った豪太は、この出張を家族旅行とドッキングさせ、あわよくばチカとの冷え切った夫婦関係に火をつけたいと目論むのですが…

喜劇 愛妻物語 (幻冬舎文庫) それでも俺は、妻としたい

なんとこの話、基本的に実話だってのがすごいです。映画『百円の恋』の脚本家、足立紳が5年前に発表した小説『乳房に蚊』を自分で脚本にして自分で監督してしまいました。とにかくダメな夫豪太を濱田岳、言葉を弾丸のように夫へ乱射する妻チカを水川あさみ、一人娘を新津ちせが演じる他、大久保佳代子夏帆ふせえり光石研なども出演しています。
 
昨年9月11日に全国ロードショーとなったこの作品。僕は先週火曜日の午後、自宅のリビングで、U-NEXTの配信でゲラゲラ笑いながら鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この作品は原作小説、脚本、監督、すべて足立紳ということになりますが、ある種のパロディーにしている作品として、1951年に新藤兼人が脚本と監督を務めた『愛妻物語』があります。これは彼の監督デビュー作で、同じく脚本家を目指す主人公の男性が、彼の才能を信じる妻の献身的な支えによって身を立てるんですが、妻は吐血してしまうという自伝的なもので感動的なんですよ。僕は新藤兼人が好きなもので、パロディーの今作も期待大。さらに、宣伝用の写真を目にして早速ニヤリ。だって、水川あさみ濱田岳をおんぶしてるんです。これ、新藤兼人の作品の逆なんですよ。もとのほうは、夫である宇野重吉が妻の乙羽信子をおぶってますから。そして、今作には娘もいる。さぁ、どうなる。

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まぁ、凄まじかったです。足立監督、どこまでさらけ出してるんですか。そして主演のふたりもよく引き受けましたよ。「喜劇」ってつけたことでパロディーとして成立させているというよりも、「愛妻」って言葉自体がもう笑いとしてパロディーになっちゃってるんじゃないかと思うくらい、夫の豪太がダメです。このふたりは学生時代から一緒にいて、映画業界でやっていこうと同棲を初めて、そこまではいいんだけど、脚本家になりたいくせにパソコンの導入もキーボードのブラインドタッチもチカ任せ。ぐうたらしてばかりで、脚本ができても売り込みに力を入れず、また次があるさとぼんやりしてる。それじゃ食えないから、チカは近所で働き始め、いつの間にやら娘も生まれて、ますます生活はてんやわんや。チカにしてみれば、イライラは募るばかりで、豪太の体たらくをなじる言葉もきつくなり、脚本の手伝いなんざやる気も起きず、疲れ果て、とにかく愛情が冷え切ってます。だのに、豪太はチカちゃんチカちゃんと、何から何まで、ねぇねぇと引っ付いてくるし、一向に衰えない性欲を持て余してもんもんとしている始末。もうね、パラサイト豪太です。チカは娘と豪太ふたりを育てているみたいなもんです。

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(C)2020「喜劇 愛妻物語」製作委員会
そんな家族の文字通りの四国への珍道中、旅が始まるわけですけど、これもすぐに頓挫するんですね。頼りない&いい加減なプロデューサーの下調べと根回しが不足していて、せっかく温めていた企画が着いてみたらポシャっとるやないかと。お金がないのに家族3人、青春18きっぷで出かけ、かけうどんをすすり、ビジネスホテルのシングルルームに泊まってるっつうのに、なんだこれはおい! チカは怒り心頭に発するんですが、ここでまた豪太はのらりくらり。こののれんに腕押し感たるや。そりゃ、チカも酎ハイがどこでも手放せませんわっていうね。そのうち、腕押しの徒労感から、こんなのれんはたたむだけでなく燃やしてやるわって話ですが、娘もいるしとなかなか踏み切れない。時に度を越していくチカの罵詈雑言マシンガンと、その鋭い言葉ですら倒れない図太い神経の豪太のさらに開いた口が塞がらない言動の数々が延々続くロード・ムービーです。

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(C)2020「喜劇 愛妻物語」製作委員会
そもそも、さっき言ったように、旅の目的が途中で無くなってるんですけど、それって夫婦の人生そのもののメタファーにもなってるんですよ。プロデューサーからの打診は、バカの一つ覚えのように「笑って泣けるやつ」。奇しくも、ふたりの生き様がまさに傍から見れば「笑って泣ける」んです。正確に言えば、怒って呆れて笑って泣ける。その真骨頂とも言えるのが、とあるズドンとくる出来事とやり取りの果てに家族3人が川沿いを歩く場面。この番組に出演した竹中直人さんもビックリっていうレベルで笑いながら怒り、怒りながら泣く家族の様子を拝めます。特に拝みたくはないけれど、見せつけられます。

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(C)2020「喜劇 愛妻物語」製作委員会
豪太を擁護するなんて芸当は僕には到底できませんが、チカも実は決して胸を張るような人生を歩んできたわけではないんですよ。彼女にだって、自分にも人に対しても弱いところがあるから、流れ流れてああなった側面があります。問題は、それぞれが惰性で生きていく内に、共に目指した舞台に上がることすらできず、目の前のことに汲々として崖っぷち。互いに別なところを見てばかりで、力を合わせることができなくなっていること。その意味で、物語でははっきりと明示されずにほのめかす程度だけれど、この自伝的な作品を世に出していること自体が、この物語のメタ的な最高にして「幸」と書いて最「幸」の結末とも言えます。プロデューサーがダメなら、自分で小説を書く。それを自分で監督してるんだから。と、実はそれも近代映画協会という独立プロを自分で作って自分で『愛妻物語』を監督した新藤兼人と重なる部分なんです。話のことばかり言いましたが、ロケ地の選定、衣装の選択、劇伴、キャスティング、演技、そしてモノローグと客観を巧みに使い分けるシーンごとの視点の演出と、映画として見応え抜群。足立紳監督に、反り返るほど親指を立ててグッジョブとお伝えしたいです。
トルコの楽隊っぽいサントラもユニークなんですが、ここはですね、キミらほんまに大丈夫かいなっていう夫婦の様子を歌ったものとして、この曲を選んでみました。

さ〜て、次回、2021年2月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『宇宙でいちばんあかるい屋根』です。清原果耶の初主演として話題となったこの作品。もう配信が始まっていますね。で、考えたら、このコーナーで短評もした『新聞記者』、さらには今週候補作に入れていたけれど当たらなかった『ヤクザと家族 The Family』も、同じ藤井道人監督。すごいなぁ。どれもジャンルが違うってことも含めて。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!   

『KCIA 南山の部長たち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月2日放送分
『KCIA 南山の部長たち』短評のDJ'sカット版です。

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1979年10月26日。大韓民国大統領直属の諜報機関、中央情報部KCIAのトップ、キム・ギュピョン部長は、大統領を射殺しました。国家のみならず、世界を揺るがす暗殺事件。この作品は、その40日前から、キム部長の置かれた状況と心理的な変化を丹念に描きます。KCIAの前の部長だったパク・ヨンガクは亡命先のアメリカ、下院議会の聴聞会で、韓国大統領の腐敗を告発する証言を行ったんです。しかも、回顧録を執筆中だと発言。当然怒った大統領は、キム部長をアメリカへ派遣。回顧録を持ち帰れと命令するのですが…

実録KCIA―「南山と呼ばれた男たち」 インサイダーズ/内部者たち(字幕版)

原作となる実録本があって、それを脚本にして監督したのは、『インサイダーズ/内部者たち』の成功などで知られ、長編デビューから10年でヒットメーカーになっているウ・ミンホ。事件を起こしたキム部長を演じたのは、イ・ビョンホン。パク大統領にはイ・ソンミン、パク・ヨンガク元KCIA部長にはクァク・ドウォンが扮するなど、豪華キャストが集いました。政治サスペンスという、硬派な内容にも関わらず、昨年の韓国年間興行収入ランキング1位。もちろん、向こうでは知らない人はいないというレベルの出来事だし、世代によって評価も異なるだけに、関心が集まって、その期待に応えた格好です。結果、アメリカのアカデミー賞国際長編映画賞の韓国代表になりました。
 
僕は先週火曜日の午後、Tジョイ京都で固唾を呑んで観てまいりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

韓国の現代史に明るくない人は、僕も含め、文字や音声だけでは、なかなかパッと理解できないと思います。今のごく簡単なあらすじだけでも、固有名を含め、結構ややこしいですよね。実際、ちょっと調べただけでも、パク・チョンヒ大統領が、彼らの言うところの革命、軍事クーデターを起こして権力を掌握して以来、18年にわたって権勢を振るう中で、中央情報部、軍隊も含め、権力構造や外交関係、そして国内の市民たちの政権への想いと、描き出したらキリがないし、登場人物は多いし、これを観やすいエンタメにまとめ上げるのは至難の業です。
 
ところが、観ていて特別複雑に感じないのが、まずこの映画の強みです。言わば、ノイズがたくさんある中、アナログラジオのチューニングがピタッと合ってクリアに聞き取れるように、物語のチューニングがよくできているんです。周辺の部分は捨て置き、歴史的な評価もまだ定まりきっていないこの事件に対して政治的な視点は極力挟まず、出来事を客観的に、わかっているものは細かく追いつつ、描くのも40日間に絞りました。その上で、登場人物の名前をそれぞれ微妙に変えて、フィクションという体にすることで、当事者の心理の流れには踏み込んでいく。だから、話はすっきり整理してあって焦点がはっきり合っていて、観客はそれを材料に、自分の興味に引き寄せて鑑賞できるんです。ある人は会社役所などなんでもいいいんだけど組織論として観るだろうし、またある人はスパイ映画やヤクザ映画的なスリルを味わうだろうし、もちろん韓国現代史の闇と90年代になってようやく達成される民主化への起点の歴史新解釈ドキュメントとして観る人もいるでしょう。すっきりとスタイリッシュな画面構成と色味の映像は、物語同様、ソリッドで無駄がなく、風格と緊張感が徹頭徹尾漂います。僕なりにまとめると、テーマはふたつです。所属する組織の存在意義が失われたように感じた時、そして師と仰いできた人に裏切られたと感じた時、人の心理はどうなるのか。

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© 2020 SHOWBOX, HIVE MEDIA CORP AND GEMSTONE PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

具体的な構成に触れましょう。まず事件当日、意を決して殺害へと向かうキム部長が、部下に指示を出し、舞台となる部屋へ入り、扉が閉まる。銃声が聞こえる。そこから一気に40日前にさかのぼって、当日までを概ね時系列で追っていきます。これもすごくわかりやすいですよね。クライマックスでは殺人があります。国家のナンバー2が大統領を殺します。でも、普通はそんなことありえないですよね? でも、ありえる状況に彼は追い込まれていったんです。その直接的なきっかけは、40日前にありましたと。でも、それだけでは2時間も観客の興味を持続させるのは難しいですから、もうひとり、アメリカへ亡命して大統領の腐敗ぶりを国際世論にぶちまけた前のKCIA部長の運命という見せ場を中盤に用意することで、起伏を持たせているのもうまい。これによって、舞台も韓国だけでなく、アメリカ、そして前部長がその後向かうパリと、実際にロケもしていますから、往年のスパイ映画の華やかさも画面に生まれます。パリでのカーチェイスから、郊外、林の中での一連の命からがらの場面は、僕はベルトルッチ監督の『暗殺の森』を思い出しました。あの映画も、ファシズムに染まっていく国家権力の流れの中で、組織人がそこに乗るのか反るのかという話だし、主人公の「父親殺し」の話でもありました。肉親という意味ではなく、自分という人間を導いた精神的な父との決別。

暗殺の森 Blu-ray

イ・ビョンホンが表面上は抑えた演技、でも内側には複雑な感情が渦巻いていってやがては沸点に達する様子が滲み出る驚異の演技で見せていたのは、大統領閣下という精神的な父への想いだったんだろうと僕は考えます。というのも、権力が長期的に集中した閣下にはすり寄る人間も多く、まず前の部長が近づきすぎたことで煙たがられます。しかも、彼の回顧録にもあるように、だんだんと大統領=父への疑念も湧いてくるようになる。先輩、革命の初心を忘れてますよねと。そんな中、自分もまた前の部長のように蹴落とされるのではないかという予感が出てくる。なぜなら、他にもすり寄るものが何人も出てきて、どうやら閣下の関心はそちらに移っている。じわりじわりとやるせない想いがキム部長の心を蝕みます。その中で面白いのは、大統領自身も権力に疲れた佇まいをフッと見せることです。そのあたり、大統領役のイ・ソンミンのこれまた抑えた演技がすばらしかった。

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© 2020 SHOWBOX, HIVE MEDIA CORP AND GEMSTONE PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

そして、ラスト近く、いよいよ暗殺を決意するキム部長の盗聴シーンの緊張感たるや。何度か出てきた盗み聞き、盗聴という行為のクライマックス。降りしきる雨の中、忍び込んだ大統領のプライベート空間。国家のナンバー2が、まるで忍者のように耳を澄まして聞き取ってしまう、これまた何度か出てくるキーフレーズ。大統領が発する「君のそばには私がいる。好きにやればいい」という言葉。以前は自分に向けられたが、今回は違う。この言葉を聴いた瞬間のイ・ビョンホンの表情。僕はここで映画が終わってもいいってくらいに味わい深かったです。にもかかわらず、最後の最後に、当然殺害の場面がこれまたきっちりとてつもない長回し込みで写実的にぶち込まれるし、たまらない余韻を与える殺害後の場面も用意されているんです。結末がわかっている映画でこれほどまで観客を退屈させないどころか、緊張感を強いて興奮させ考えさせるって、なんなんですか! 

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© 2020 SHOWBOX, HIVE MEDIA CORP AND GEMSTONE PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

色々理屈っぽいことも言いましたが、戦車と向かい合うイ・ビョンホン、コートを着てリンカーン像の前に立つイ・ビョンホン、酒を苦々しく飲み干すイ・ビョンホン、すってんころりんするイ・ビョンホンと、イ・ビョンホン最高峰の演技を堪能できるというだけで、なめるように観る価値あり。この1年を代表するような一本が、また韓国から生まれました。僕はまだまだ身震いが止まりません!
この曲はもちろんサントラからではなく、僕のイメージ選曲です。ローマ時代の皇帝の名前を冒頭で出しつつ、どれほどの声が聞かれずにきたのか。どれだけの教訓が学ばれずにきたのか。そんなフレーズも盛り込まれてきます。キム部長が銃の引き金に指をかけた時の心境と、その後彼が取った行動にも思いを馳せつつ、お送りしました。

さ〜て、次回、2021年2月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『喜劇 愛妻物語』です。緊急事態宣言延長といううこともあり、今週は配信作品をおみくじ候補作の半分にしたところ、番組で扱いそびれていたこの作品が当たりました。KCIAの緊張を緩めるにはいいかなと思いつつ、水川あさみの夫婦げんかにおける口撃で、僕もやられてしまうのか!? あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!   

『大コメ騒動』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月26日放送分
『大コメ騒動』短評のDJ'sカット版です。

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(c)2021「大コメ騒動」製作委員会
1918年と言いますから、時は大正の時代でございます。米どころであり、日本海の豊かな漁場も広がる富山県。そこで毎日汗水たらして家事に育児に精を出すのが、「おかか」と呼ばれる漁師の妻たち。男たちが出稼ぎで不在となれば、自ら米俵の運搬など肉体労働にも繰り出す、たくましく頼もしい女性たちです。彼女たちの目下の悩みは、米の価格。なぜ高騰するのか。これでは、家族に満足に食べさせられない。どうなってるんだ! はい、日本史の授業で習った、あの米騒動の映画化です。
 
監督は、『空飛ぶタイヤ』などの現代劇も撮る一方、『超高速!参勤交代』など時代劇もフィルモグラフィーにある、富山出身の本木克英。役者も富山出身の俳優が多く起用されていまして、室井滋、立川(たてかわ)志の輔、西村まさ彦、柴田理恵左時枝なんかがそうです。主人公のいとを演じたのは、井上真央。その姑には夏木マリ、夫には三浦貴大が扮しています。

超高速!参勤交代 空飛ぶタイヤ

 僕は先週火曜日の午後、TOHOシネマズ梅田で観てまいりましたよ。平日、昼間ということもあって、わりとシニア多めという感じでしたね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まさかの米騒動の映画化ということになりました。その意義ってのは大いにあると思うんですね。タイトルのキャッチーさもあって、日本近代史の中でもテストに出て間違える人も少ないだろうっていう、この事件。考えてみたら、まだ100年ちょいしか経っていないんですが、これだけよく知られている理由は、片田舎の漁師の妻たちが声を上げたことを契機に、やがては内閣総辞職にまでいたるという、近代的な一揆の成功例であるということがひとつ。そして、これも映画に出てきますが、新聞が連日大々的に報じることで速やかに全国にこの騒動が広まって市民の共感を得たというメディアの役割が大きかったこともあります。
 
ただ、先の大戦ですら、生存する経験者が少なくなっているわけですから、1世紀以上も経つ米騒動については、何をか言わんやで、このままでは歴史の出来事のひとつとして埋没しかねない。そして今もなお女性の権利がないがしろにされている状況と、それを何とかしたいという世界のエンターテインメントの潮流も追い風となり、ここはひとつエンターテインメントとして、笑って力が湧いてくるような作品に仕立て、米騒動の顛末を記録しておこうではないか。富山出身の本木克英監督には、そんな意気込みが強くあったわけです。

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(c)2021「大コメ騒動」製作委員会

本木監督の作品は、僕の気に入っているものもあるし、群像劇を得意としている印象もあったので、楽しみに劇場へ向かったわけですが、今作に対する僕の評価は微妙な感じです。いいなと思うところはいくつもありました。演出面で言えば、照明なんかはかなり作り込んでいました。たとえば僕がハッとしたのは、ある女の子が家の寝床を抜け出して近所の米屋の倉庫へ忍び込むくだりがあるんですが、彼女が画面奥に消えていく時は、まるで闇に吸い込まれてしまったかのような明暗のしっかりしたコントラストがあって、映画館の上映環境とも、物語内容ともマッチしていました。

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(c)2021「大コメ騒動」製作委員会
それから、富山出身者も多く起用された役者陣の奮闘も強い印象を残しています。男たちが北海道への出稼ぎで不在になってしまうと、女たち、かかあたちが重い米俵を背中に担いで浜へ持っていくんですが、その重みや背中の痛み、足腰への負担がこちらにも伝わってくる歩き方、表情、そして日焼け具合は、言葉で何かを言わずとも、その過酷さが伝わります。特に日焼けはみんなすごかったですよね。きれいな着物に髪を見事に結った女性が出てくると、その肌の白さとのギャップでますます苦労が滲み出ます。と同時に、彼女たちの生命感も伝わるんです。化粧っ気はなくとも、ある種の色気すら漂わせていました。戦後すぐのイタリア映画で、日本でもヒットした、田んぼで重労働をする女たちを描いた『にがい米』っていう作品を僕はひとり思い出しましたよ。井上真央なんて、撮影中米断ちをしたんですって。その甲斐もあって、細い身体の線はさらに細く、そして大きな目はギョロっていうレベルに目立っていました。彼女は劇中で佇まいが大きく変化して力強くなるんですが、その覚悟も表情や立ち姿にまで反映する熱演でしたよ。
 
さらに、市民運動を啓蒙する男性思想家や、ジャーナリズムの役割だけでなく報道機関としてのモラルを疑問視する視点など、当時の男たちを皮肉る描写にもニンマリさせられました。

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(c)2021「大コメ騒動」製作委員会

なんなん、良いことばかりじゃあ〜りませんか。どっこい、今挙げてきた良いところをさらに大きく膨らませて互いに響き合わせる脚本にはなっていません。立川志の輔演じる語り手の存在も取ってつけたようで存在に必然性が感じられないキャラクターになっているし、全体として、よく言えば教育的、悪く言えば説明的な歴史再現ドラマを見ているような、あまりにもストレートでひねりのない展開なので、このパワフルな騒動を描くには物足りないんです。そのまんまやなって感じてしまう。それがとてもとてももったいなかったです。
主題歌はもう絶対に米米CLUBだって制作陣も思ったことでしょう。そのオファーを受けてできたのが、この曲です。『愛を米て』とはまいりましたよね。いい曲なんだけど、タイトルに噴飯です。

 

さ〜て、次回、2021年2月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『KCIA 南山の部長たち』です。イ・ビョンホンですよ。実話の映画化ですよ。興味深いですよ。でも、緊急事態宣言発令中とあって、配信の始まった『TENET / テネット』もおみくじラインナップには舞い戻っていたんですが、またまた当たらず、これをもって、さらばテネットとなってしまいました。ま、もうとっくにみんな観てるから僕があれこれ言うこともないか。なんてね… あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!   

『新感染半島 ファイナル・ステージ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月19日放送分

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日本でもヒットしたゾンビもの『新感染 ファイナル・エクスプレス』の続編です。野生動物から広がり、人間を凶暴かつ俊敏なゾンビに変えてしまう謎のウイルスが朝鮮半島を襲ってから4年。半島を脱出して香港で生き延びていた元軍人のジョンソクは、マフィアとの取引によって、あるミッションを遂行します。それは、大量の米ドル札を積んで韓国に取り残されたトラックを、限られた時間内に回収すること。順調に進めていたところに、ゾンビだらけの街に潜んでいた民兵組織にトラックを奪われます。

新感染 ファイナル・エクスプレス(字幕版)

カンヌ国際映画祭2020のオフィシャルセレクションに入りました本作。続編とは言いつつ、お話は基本的に前作と別ものです。監督と共同脚本は、前作と同じヨン・サンホなんですけどね。今回、主人公のジョンソクを、カン・ドンウォン、韓国で隠れ住んでいた女性をイ・ジョンヒョンが演じています。イ・ジョンヒョンさんは歌手でもあって、Lady Gagaオープニングアクトを経験していたり、日本では紅白にも出演したことがありますね。
 
僕は先週火曜日の午後、TOHOシネマズ梅田で観てまいりましたよ。ゾンビ・ファンが集っておりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

前作がたいへん良かったんですね。2017年の9月に僕はラジオで評しまして、それはブログで読めます。もう、ただただ褒めていました。舞台を列車内に限定した設定の妙。ゾンビではなく人間を描く骨太なテーマ。すばらしいと。ただ、ヒット作の続編は基本的に難しいのに加えて、あの後の物語って言ったって、ゾンビ映画に解決って難しいわけだからなぁと、同じヨン・サンホ監督とは言え、こりゃしくじってる可能性があるぞ。とは思っておりました、正直。そして、その通りにこりゃコケとるわと観る人が出てくるのはわかるけれど、僕はこれはこれとして、実は結構楽しく観ることができたんです。
 
4年後、韓国はもう文字通り壊滅状態で、ゾンビしかいないっていう廃墟化したところへ、今回の主人公ジョンソクは潜入するわけですが、お宝を奪ってこいというミッションのルール説明が必要なだけでなく、そもそも主人公も前作と違うし、このシリーズのゾンビはこんな特徴がありますっていう説明も必要なので、物語のセットアップが手こずりそう、ストーリーテリングの難度が高いところを、監督はいとも簡単に、さくさく頭からクリアしていくし、それどころか、軍人だったジョンソクの4年前、朝鮮半島脱出時の後悔、自責の念を、きちんとゾンビ映画的見せ場としていきなり提示しているんですよね。
 
ジョンソクは渋々ながらではありましたが、再び韓国の土を踏みます。さあ、トラックはどこにある。ゾンビは闇夜では動かないか、動きが鈍いんです。ところが、たとえ月の光でも、ある程度の明るさがあると活性化しますよって追加ルールを、廃墟の街、実地で教えてくれるくだりも、こんな世界になってしまうのかと観光映画ゾンビワールド編として面白い。で、わりとあっさりめにトラック発見、ようし、あとは衛星電話で迎えの船を呼び出しでと… うぇ〜い、4年我慢したけど、これで億万長者だ〜いって、この油断、からの大惨事が、この手のジャンル映画のお決まりですよね。

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(C)2020 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILMS.All Rights Reserved.
ただ、ここから様相が変わってくるのは、さっきルール説明って表現を使いましたが、今回はむしろ人間同士のサバイバルゲームになっていくんですね。観れば思い出すのは、「マッドマックス」ではないでしょうか。怒りのデス・ロードばりに、ゾンビたちに囲まれて脱出不能だと人間性を見失った軍人たちの所業がひとつの見ものになり、その環境でかろうじて人間性と理性をつなぎとめている人たちも出てくる。そこでのお宝と命をめぐる攻防戦の装置は車と銃や兵器です。あとは、ラジコン。って、まぁ、これも車ですね。つまり、やはりマッドマックスっぽいんですね。漫画っぽいし、なんじゃそりゃっていう、物理法則を無視したような展開もあるんだけど、それはもうそういうエンタメだと思って笑って見ていればいいんです。あの女の子ふたりの運転技術とラジコン操作技術は、もはや笑いでしょ? そして、怒りのデスロードよろしく、主人公ジョンソクよりも、女の子、母、そして老人と、社会的に力が弱いとされている人物たちがむしろ活躍していく。このあたりは、韓国や日本のまだまだ厳しい女性の立場を映したものだという解釈も成り立つだろうし、今回はとにかくおびただしい数のゾンビがわらわら出てきますが、それだって行き過ぎた競争社会のメタファーになるってところは、このジャンルのお決まりでしょう。

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(C)2020 NEXT ENTERTAINMENT WORLD & REDPETER FILMS.All Rights Reserved.
全体として、CGが多くて萎えるとか、カーチェイスもやりすぎでもはやリアリティーがないとか、鋭い社会風刺が前作に比べれば後退しているとか、最後のお涙頂戴演出がしつこいとか、主人公の葛藤がもうひとつ表現しきれていないとか、いくらでも批判はできるんですが、それでも、僕はエンタメにシフト・チェンジした続編のあり方として、これはこれで面白いと思います。ラストも、誰が生き残って、誰が犠牲になるのか、そして危険を犯して助けに行くのか、そもそも助けは来るのか。こうしたお決まりの問題に、それなりにツイストを加えたオチをつけていたと思いますし、ちゃんと人間を信じたくなる、塩気のある淡い甘みがブレンドされたフィナーレでしょう。って、これ、実は前作の評の最後に僕が言った言葉と同じなんです。今回は甘味が強めではあったし、湿っぽくもあったけれど、方向性としては結局同じとも言えるのではないか。僕はそんな風に受け取っています。
曲はサントラからではなく、僕のイメージを膨らませて、キラーズを持ってきました。ゾンビ映画というジャンルには多分に社会風刺が含まれているもの。この曲もそうだよなと。


さ〜て、次回、2021年1月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『大コメ騒動』です。学校の日本史で習った米騒動、わかるんですが、なぜあれを今映画にしたのかってことはよくわかっておりません。でも、『超高速!参勤交代』の本木克英監督で、井上真央が主演… 面白そうでないか! 作品のコピー通り、「もう我慢できん!」。エンヤコラと、すぐ観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!  

『映画 えんとつ町のプペル』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月12日放送分
『映画 えんとつ町のプペル』短評のDJ'sカット版です。

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キングコング西野亮廣(あきひろ)が手掛けて幅広い世代に人気を得ている絵本『えんとつ町のプペル』。分厚い煙にいつも覆われた、えんとつ町。その煙の上に空があることも、そこに星が瞬くことも、誰も想像すらできなくなっています。1年前、ただひとり星について紙芝居で表現していたブルーノが失踪。噂では海の怪物に食べられたのだとか。息子のルビッチは、学校をやめて煙突掃除で家計を助けるのですが、ハロウィンの夜、ゴミから生まれたゴミ人間のプペルが現れ、ふたりは友達になります。

えんとつ町のプペル

西野亮廣が製作総指揮と脚本を務め、アニメーション制作は湯浅政明大友克洋片渕須直の作品など、ハイクオリティな映像表現で知られるSTUDIO4℃が担いました。もともとジブリで『となりのトトロ』やら『魔女の宅急便』やらのラインプロデューサーを務めた田中栄子が起こしたスタジオですね。監督はこれが初長編の廣田裕介。主人公のルビッチとプペルの声を、それぞれ芦田愛菜窪田正孝が演じた他、立川志の輔小池栄子國村隼などが参加しています。
 
僕は先週水曜日の午後、MOVIX京都で観てまいりましたよ。結構入っていたし、客層は幅広いなと感じました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

絵本の原作を長編アニメーションにするのは、なかなか大変です。同じビジュアル表現で言えば、漫画の劇場版がありますが、絵本の方がより大変です。日本の連載漫画の場合には、最近だと『鬼滅の刃』がそうですが、それなりに長いものが多いので、映画化にあたっては、とりあえずキリの良いところまでにしておく、など、描きこまれたエピソードの取捨選択が必要で、そこに脚本家の腕が発揮されるのですが、絵本の場合はお話が比較的簡潔であることが多いので、むしろどう膨らませるかが重要だと言えます。
 
その上で、この原作絵本は、異例のことですが、総勢33人のクリエーターによる分業体制で作られたんですね。なんなら、その制作資金もクラウドファンディングによって集まったもので、西野氏は言わば全体の旗振り役なんです。絵本の時点で、製作総指揮・脚本だったみたいなわけで、集団製作という商業映画の手法を絵本に持ち込んでいました。珍しいケースだし、そのやり方、出版の仕方、クレジットの仕方など、5年ほど前に賛否両論渦巻いていて、僕なんかはそれ自体が興味深いなとネット越しに眺めていた口です。だって、このお話が出る杭を打つ社会への風刺なんで、西野氏が日本というえんとつ町のプペル、あるいはルビッチになっているようにも見えましたから。

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(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会
そして今度は、丹念に微細に描きこんだ絵を動かすプロジェクトのために、より大きな集団製作の旗を西野氏は降ったわけです。これだけの情報量のアニメを高い水準で実現するなら、STUDIO4℃には自ら依頼をしに行きました。キャスト、ミュージシャンなど、錚々たるメンバーが集いました。にも関わらず、僕にはこの映画がそこまで輝いて見えませんでした。
 
絵は素晴らしかったし、キャラクターたちがダイナミックに動いてアニメならではの視聴覚的快感もありました。何より特徴あるスチームパンク的な街の表現が細かくって、プペルと一緒に探検をするようでワクワクもした。のは、前半1/3くらいまでです。僕と同じように感じている人もいるようですが、それはなぜかと言えば、煎じ詰めれば脚本の問題です。常識に囚われずに、想像すること。誰かがそれを否定しても、自分の夢を信じること。信じ切ること。そのメッセージは否定しませんよ。真っ当ですよ。正論だし、風刺としても今また大切な価値観です。でも、悪く言えば、それ以上のひねりが、遊びが脚本に決定的に足りないんです。

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(C)西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会
絵本だったらね、話はむしろソリッドにして、あとは絵を描きこんであるから、フレーズごとに、ページごとに、読者に想像させるべきなんです。だけど、長編アニメにするなら、もっともっとエピソードも細かく積み上げていかないと、どうしたって話の推進力が落ちるんです。だから、途中からは「それ、さっきも聞いたよ」っていうセリフが多くなってしまう。その意味で、僕は映画化にあたっては、脚本こそ、西野氏を中心に複数の人で肉付けしていくべきだったと考えています。結果的に、話はすごくあっさり感じられるし、普通だし、こんなメッセージなのに想像を超えない。
 
えんとつ町は魅力的なので、今後たとえばルビッチ少年がその外の世界をどう受け止めるのか、挑むのか。続編やスピンオフを生み出せる土壌のある設定だと思います。僕はむしろそこが見たいなと、今後の展開にちょっぴり期待しながら劇場を後にしました。絵本は現在、映画のホームページで無料公開されているので、ぜひ比較してみてください。

絵本のプペルが話題になった頃から、西野さんが交流を持って、その才能を世に知らしめる一助となってきたシンガーソングライターのロザリーナ。1stミニアルバムが出た時には、既にプペルのイラストがジャケットに使われるなど、一種のメディアミックスが2016年から行われてきたわけですが、西野さんが作詞したこの歌はここに来て、映画のエンディングとして高らかに響くことになりました。独特の声の魅力がいかんなく発揮される高いキーです。

さ〜て、次回、2021年1月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『新感染半島 ファイナル・ステージ』です。アニメの後にゾンビです。ものすごい振り幅の采配となりました。前作を僕はかなり楽しんだし評価もしたので、楽しみではありますが、とかく難しいのが続編。どうなりますか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『天外者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月5日放送分
映画『天外者』短評のDJ'sカット版です。

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江戸末期、黒船の登場に動揺が広がる日本。新時代の到来を予見する薩摩出身の青年武士、五代才助は、攘夷か開国かという短期的な視野ではなく、もっと長い射程で世の中を見ていました。誰もが自由に夢を見て、それを叶えられる社会を作りたい。五代は坂本龍馬岩崎弥太郎伊藤博文らと志をともにしながら、時代のうねりの中へ飛び込んでいきます。

利休にたずねよ 海難1890

監督は、『利休にたずねよ』や『海難1890』の田中光敏。脚本は今挙げた2本でもタッグを組んだ小松江里子。原作小説があるわけではなく、オリジナル・ストーリーです。五代才助、のちの五代友厚を演じたのは、三浦春馬。これが遺作となりました。坂本龍馬を三浦翔平、岩崎弥太郎西川貴教伊藤博文森永悠希と主要キャストを担当した他、森川葵が若き五代に長崎で出会う遊女に扮しています。
 
僕は先週火曜日の昼、TOHOシネマズ梅田で観てまいりましたよ。公開から日が経っていたのでスクリーンは小さい場所になっていますが、驚いたことにほぼ満席。女性ファンを中心に、大勢リピーターも詰めかけているという印象。なんと、終映後には拍手もわきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まずタイトルとなった耳慣れない言葉、天外者ですが、鹿児島の方言で「お利口さん」「功績をあげた人」という意味と「いたずら小僧」という相反する意味を内包しているのだと、鹿児島弁ネット辞典にありました。天からの子、典雅な人、手柄のある人、語源についても諸説あり。でも、その複数の意味が、すごい才能を持った五代の伝記映画を作る上でハマるということで名付けられました。
 
五代才助という人物は、武士、役人、商売人と、49年の短い生涯の中で、肩書をみるみる変えていきました。彼は世間からどう見られるかにこだわらず柔軟にその時々でなすべきことをなし、あくまでも視線は高く遠く、自らの描く、当時としては相当に進歩的な国の将来像そのものにこだわった。その生き様を、「てんがらもん」と言い表すのは的を射ていると僕も思います。そして、三浦春馬がどの五代を演じても、つまり刀を奮っていても、大阪商工会議所で熱弁を振るっていても、和服でも洋服でも、堂に入っていました。これを見応えと呼ばずして何と呼ぶ。さらに、彼が昨年7月に五代よりも早く他界してしまったことを観ている誰もが知っているがゆえに、僕らは目頭が熱くなります。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
ただですね、残念ながら、映画そのものの出来栄えを客観的に分析すると、評価は厳しくなります。主な原因は脚本です。幕末、明治維新を描くのが難しいのはわかります。登場人物が多くなるし、それぞれの立場もいろいろで変化もしていくから、とかく複雑になりがち。マニアも大勢いるから、批判もされやすいだろうし。それを逆手に取ったと言うべきか、竜馬暗殺など、誰もが知るようなところは大胆に端折ってあるし、僕はそれはそれで良いと思うんですが、僕がよくわからなかったのは、語り手を、物語の導入になる長崎の商人トーマス・グラバーにしてあることです。複雑な人物だから、どっかに貫く視点が必要だということも、グラバーと五代の交友関係がそれほどに豊かだったことはわかるんですが、それならもっとふたりの関係を掘り下げないといけないでしょう。現状、グラバーはナレーターとしての役割のほうが大きいんですよ。たとえばですが、僕は竜馬からの五代、岩崎弥太郎からの、はるからの、妻豊子からのと、時代ごとに彼のことを語る構成にした方が良かったのではないかと考えています。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
「てんがらもん」を描くにあたって、時系列で展開するという伝記映画のスタンダードを採用した結果、五代の生きるスピードに脚本が置いてきぼりをくらったような格好で、結局はダイジェストになっちゃっているんです。演出もそれに引っ張られて、シーンごとにぶつ切れだから、ひとつひとつに力が入っちゃって見せ場をこしらえようとするんで、映画というより紙芝居的なんです。ぶつ切れになるので、状況を説明するためにキャストはよく喋る。で、見せ場ばかりのダイジェストだから、口角泡を飛ばす場面が多くて、竜馬と弥太郎に関しては、なんだかよくわからないが、常にガハハと笑っているか怒っているかっていう感じなんです。平気で独り言も言いますし。で、音楽も悲しいところには悲しい音楽、勇ましいところには勇ましい音楽と、平板な劇伴になっちゃうし… そして、そこまでみんな喋ってるわりには、結局ダイジェストなんで、できごとベースで、肝心の彼の胸の内は大きな声でかき消されています。ハイライトのひとつとなるだろう大阪商工会議所の場面にも、僕は言いたいことがたくさんあるんですが、まぁ、胸の内にしまっておきましょう。

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(C)2020「五代友厚」製作委員会
と、かなり手厳しい評価をくだしてしまいましたが、三浦春馬の勇姿はもちろんそれだけで一見の価値があるし、僕自身はあの時代にそう詳しくないので、五代友厚という英雄のひとりについて、かなり興味が湧いたことは事実です。ただ、この映画だけ観ていると、なんか彼だけで日本の近代化と大阪経済の近代化が図られたみたいにみえるので、そこは今後自分でも調べて見識を広げたいなと思いました。

国の将来を想って、時に孤独な戦いを辞さなかった五代友厚を演じた三浦春馬の叫びをみんなで聴こうと、Fight for your heartをオンエアしました。

 

さ〜て、次回、2021年1月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『えんとつ町のプペル』です。キング・コング西野亮廣さんの絵本が、ご自身のプロデュースのもと、ついに劇場アニメ化。話題になっていますね。僕は絵本も含めて、まだ接したことがないので、この機会にえんとつ町を探索します。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『私をくいとめて』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月29日放送分
映画『私をくいとめて』短評のDJ'sカット版です。

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31歳、みつ子。会社員。独身。一人暮らし。休日はひとりで気ままにどこへでも。特に不自由も不満も不安もないのだけれど、なんか足りないような、そうでもないような。そんな彼女が久々に恋に落ちたのです。お相手はみつ子の会社に出入りする少し年下の営業マン、多田くん。両思いかもしれないけれど、なかなか踏み込めない。どうしようかな。彼女に助言をするのは、Aという男性の声。実は、みつ子の脳内には、いつも親身になってくれる相談役Aがいて、みつ子の問いに正しい答えAnswerをくれるのです。

勝手にふるえてろ 私をくいとめて (朝日文庫)

 監督・脚本は大九明子。原作は綿矢りさの同名小説。あの痛快な映画『勝手にふるえてろ』のタッグが再び実現です。みつ子を演じたのは、のん。多田くんは林遣都。そして、みつ子の親友でイタリアに嫁いだ皐月を橋本愛が担当したほか、臼田あさ美片桐はいりも個性あふれる演技で作品に華を添えています。コロナ禍で予定していたイタリアロケができなくなるなど、いくつものハードルを乗り越えながら公開にこぎつけたこの作品。第30回東京国際映画祭では観客賞を獲得しました。

 
僕は先週水曜日の昼過ぎにテアトル梅田で観てまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

大九明子X綿矢りさのタッグ、今回もすごくいいです。パンフレットによれば、監督は原作を読んで、こう思ったそうです。「切れ味のいい言葉たちの間を、さまざまな色が漂い、ある時はスパークする。この色と言葉をどう映像で描こうかと考え始めていました。私、これ撮らなくちゃ」と。実際、確かに言葉が多いんですよね。みつ子は一人暮らしなんだけど、なにしろ家だろうが外だろうがどこだろうが、常に脳内のAと会話をしている状態なので、めっちゃ喋ってます。これ、ある程度は誰でも経験があると思うんですよ。別の人格というか、Aと名づけるところまでいくのはレアケースかもしれないけれど、ぶつくさ脳内で何か言ってみたり、ひとりでボケてひとりでツッコんだり。何を隠そう、僕がそうですから。でも、これって、映画で普通にやると、主人公のモノローグとして同じ声でアフレコすることになるので、視聴覚的な変化に乏しくて、観客はすぐに飽きちゃうんですよね。言葉数は多いけれど、なんか閉じちゃうというか。それに対して、このAは一応別人格で、感覚としてはSiriとかAIに近いですね。冷静沈着にみつ子を分析して、的を射た提案や助言をしてきます。しかも、声が男性なんですよね。って、考えたら、似たような設定の作品がありましたね、最近。沖田修一監督の『おらおらでひとりいぐも』ですよ。あれは一人暮らしの老婆を、彼女の空想上の別の「おら」が3人も画面に登場して取り囲む。あれは、そのビジュアルが面白かった。3人のおらも、ひとりひとり似ていないという驚異の設定に笑えました。一方、この『私をくいとめて』はというと、逆にAのビジュアルは基本出さないんですよね。だから、この声の主はどんな人なんだろうかと想像が膨らみます。それはラジオを聴いているような感覚に近いんですよ。みつ子は脳内ラジオのリスナーでもあり、DJでもあるということ。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
大九監督が原作に見て取ったカラフルな文字表現を、映画ではそのまま映像化するってよりも、バリエーション豊かな音声表現に翻訳してみせたのではないかと僕は考えています。ファンタジックな脳内世界が現実と地続きに展開するという映画ならではの表現ももちろんあるんですが、そのトリガーになる要素としての音使いが冴えに冴えていたのではないかと。ご近所さんのホーミー。食品サンプルを作る揚げ物さながらの音。洗濯機の回る音。玄関ドアや蛍光灯の切れかかる音。ホテルの製氷機の音。などなど。かなり印象に残ります。それから、イケメンなんだけど、スカしているあまり社内で浮いてしまっている「カーター」と呼ばれる青年が登場する時のラテン系の音楽なんかも笑わせてくれます。音使いのうまい監督は信頼できるなと。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
ラテンと言えば、ローマに嫁いだ親友皐月のシーン、みつ子が意を決してローマへ尋ねるパートも良かったです。本来なら向こうへ行って撮影するつもりだったそうですが、コロナ禍でかなわなかったんです。でも、転んでもただでは起きないというか、撮影機材をあちらへ送って、現地のチームにこういう映像を撮ってくれと指示。届いたものに、日本でイタリア人と一緒に撮影した屋内や半屋内の演技パートを引っ付けて成立させています。訪問してみたら皐月が妊娠していたという設定は映画オリジナルのようですが、それに加えて、COVID-19を想起させるマスクの演出や、外出を不安がる皐月という要素も加えて、彼女が遠い異国に移住したことをちょっぴり後悔しているという感じが物語に奥行きを出していました。いくらイタリア語ができても、そりゃ不安ですよ。海外に移住して家族を持った友人って、みつ子からすれば格好良くて頼もしい親友なんだけど、それは記号的な捉え方であって、生身の人間としてあえいでいるんだという様子がよく伝わりました。そして、ある種、音使いの変化球として、向こうで皐月の家族・親戚が話すイタリア語に字幕に出さないのがすごく良かったです。僕はイタリア語がわかるけれど、みつ子にはさっぱりなわけで、外国語が言葉でなしに意味のわからない音として入ってくる感じがとてもリアルですね。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
大九監督の人の描き方が丁寧だなと思うのは、サブキャラクターの造形です。会社の先輩ノゾミさん、上司の澤田さん、コロッケ屋の親父、姿は見えないけれどクリーニング屋のおばあさんまで、ひとりひとり、あの街に暮らしている実感が持てます。ひとづきあいは大変。ノゾミさんが言うように、人といるためには努力が必要なんだけど、その努力をしたくなるって素直に思えてくるくらい、誰もが愛おしい。みつ子は20代と30代の恋愛の違いにもんどり打っていますが、多田くんとの恋愛が物語の中ですごく大事でありながら、恋愛至上主義になっていない、ただのハッピーなラブコメになっていないのがすごく現代的。みつ子よ、型通りの幸せなんかどうでもいい。君の幸せを抱いて生きていくんだってエールを送りたくなる、そして誰かにやさしくなれる1本でした。

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(C)2020「私をくいとめて」製作委員会
最後にやさしくないことを言えば、尺が長い。あのイタリア・パートと日帰り温泉旅のパートはもっとタイトに運んでほしいって感じました。まぁ、でも、起承転結のくっきりした物語ではなくて、登場人物が自分の感情をどう受け止めるか、あるいは受け止めそこねるかが主眼の話だし、コロナ禍での奮闘もあったろうしって、あっさり良しとしています。それよりも何よりも、おひとりさまの哲学がますます重要になっていると感じる現代社会にとって、ひとつの指標とも言える映画がここに生まれたことを、僕はとても歓迎しています。
 
最後に音楽について。僕はひとりっこでもあるし、みつ子のおひとりさまな思考にとても共感するし、似たような経験もあるなって思うんですね。そんな好意的な観客の一人である僕の「わかりみ」が沸点に達したのは、彼女が大滝詠一の『君は天然色』をココぞという時の勝負曲、人生のテーマソングのひとつにしているとわかった時でした。僕にはいないけど、お前は妹なのかと!
映画のサントラではありませんが、歌手のんの歌も聴きたいなと、物語の内容を踏まえて、『わたしは部屋充』お送りしました。

さ〜て、次回、2021年1月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『天外者』です。三浦春馬の勇姿を心して胸に刻んでおけというご託宣だと受け止めました。行ってまいります! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!