ぴあ関西版の華崎さんがこの番組でいち早く紹介してくれた時には、同じくフランスのジャン・ピエール・ジュネ『アメリ』を引き合いに出していました。それはもう納得という小道具の数々と、画面の色味の鮮やかさでしたよ。加えて、異形のものとの恋愛ということでは、ギレルモ・デル・トロの『シェイプ・オブ・ウォーター』を思い浮かべてしまいますが、男女が入れ替わっているものの、やはり近いものはありました。あとは、お話も考えられるし、アニメも実写もその組み合わせもお手のものっていう意味で、ティム・バートンや、同じくフランスのミシェル・ゴンドリーも念頭に置きたくなる。中には、これもフランス、ジャン・コクトーを引き合いに出して語る人までいます。実際、今挙げた監督たちの作品が好きな方なら、少なからず楽しめること請け合いです。
人生のロスタイムを描くイタリアンコメディ『ワン・モア・ライフ!』3.12公開!
「人って死んだらどうなるの?」
子供の頃から死後の世界に興味があった私は、よく周囲を困らせる質問をした。大人からは誰からも納得のいく答えを得られなかったが、かわりに映画が未知の世界を教えてくれた。
例えば『天国は待ってくれる』(1943年)では、閻魔大王曰く、“すぐに天国に入れなくても別館の小部屋に時々空きが出る”のだそうだ。本館への移動は数百年待たされることもあるが、希望すれば別館で待機できるらしい。そのあと本館での審査に通れば天国に行けるというユニークな制度に、私の想像は膨らんだ。
そんな中、今回、さらに面白い世界に出会った。それがダニエーレ・ルケッティ監督の最新作『ワン・モア・ライフ!』だ。
中年男のパオロはある日、いつもの交差点で交通事故死してしまう。天国の入口は大混雑、寿命に納得できない人々が役人に猛抗議している。パオロも窓口で抗議すると、前代未聞の寿命の計算ミスが発覚。審議の結果、92分間だけ寿命が延長され、監視の役人付きで現世に戻ることになる。
原作はフランチェスコ・ピッコロの2冊の短編集『Momenti di trascurabile felicità』(取るに足らない幸せの瞬間)と『Momenti di trascurabile infelicità』(取るに足らない不幸の瞬間)で、監督と原作者が共同で脚本を執筆し、映画化した。初めから主人公をピフ(ピエールフランチェスコ・ディリベルト)に想定して書いたという監督の思惑通り、憎めないダメ男をピフが好演している。映画の舞台になったパレルモの街並も美しく、死の恐怖を感じさせない仕上がりだ。
それにしても、まさか人生にロスタイムが与えられるとは思ってもいなかった。さすがサッカー大国、イタリアである。92分という中途半端な制限時間にもお国柄が滲み出ている。物語は自由奔放に生きてきた男が死をきっかけに内省し、家族との絆を取り戻そうと奮闘するのだが、日常の些細な幸せの見せ方が上手い。有限な時間を意識させる時計の針音も効果的だ。いつ起こるかもしれない大地震やウイルスの感染拡大など、今や私たちの誰もが“死”を意識せざるを得ない状況だ。ライフスタイルも大きく変化した。こうした背景からも「些細な幸せの瞬間」の重要性がリアルに感じ取れる。きっと誰もが生の尊さや日常のありがたみを再考する良い機会になるだろう。結末については、ぜひご自身の目で確かめてもらいたい。
ロスタイムを経た今、私の死後の世界の想像はますます膨らむばかりだ。
(文・ココナツくにこ)
『ワン・モア・ライフ!』
2021年3月12日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
監督・脚本:ダニエーレ・ルケッティ(『ローマ法王になる日まで』)
出演:ピエルフランチェスコ・ディリベルト(ピフ)、トニー・エドゥアルト
2019年/イタリア/94分/シネスコ/5.1ch/言語:イタリア語/原題:Momenti di trascurabile felicità/英題:Ordinary Happiness/日本語字幕:関口英子/後援:イタリア大使館、イタリア文化会館/提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム
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『花束みたいな恋をした』短評
『東京ラブストーリー』『カルテット』など、連ドラの名手である坂元裕二が10数年ぶりに映画のオリジナル脚本を手掛けました。監督は、元TBSの社員でドラマ出身、映画だと『いま、会いにゆきます』や『罪の声』の土井裕泰(のぶひろ)。主演のふたりは、当て書きだったそうです。麦は菅田将暉、絹は有村架純という、同い年、ふたりとも今月誕生日だった、箕面、伊丹と同じ北摂出身のコンビが演じます。
いつもなら、短評後にサントラから関連曲のオンエアへとつなげるのですが、今週は先にこのインスパイアソングをかけました。デビューの頃から贔屓のバンドのひとつではありましたが、ここに来て大名曲をものにしました。特にPORINさんは、主演のふたりとの会話も含めて、達者な演技も見せていましたね。
僕は先週水曜日の昼、TOHOシネマズ梅田、久々に一番大きなスクリーン1で鑑賞しました。レディースデイだったとはいえ、平日の昼間ですよ、かなり入ってました。若いカップルが多かったですが、僕の世代、さらには上の世代の女性がおひとりでってケースもよく見かけました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
ところが、ふたりもそれぞれ食べていかなくちゃいけない。たとえ新卒でなくとも、モラトリアムを延長したとしても、やがては社会に出ていかなくちゃならない。その時に、好きなものを仕事にするのか、それとも好きなものは趣味にしておくのか。このあたりが、麦と絹にとっての初めてのはっきりした価値の分かれ道になっていきます。それは似た者同士にとっては試練ですよね。
考えてみれば、いくら似ていても、当たり前ですが、まったく同じだと人は惹かれ合わないんですよね。僕だって僕自身とはつきあいたくないもの。違いがある。わからない。究極にはわかりあえない。からこそ、実は恋愛は楽しいのであって、似た者同士の確認からスタートすると、その先にはどうしたって試練があるもの。そして、その試練への対応によっては、すれ違いが軌道修正のきかないものになってしまう。
それにしても、僕みたいな大人になりきれない人間は、喰らいましたね。と同時に、面白かったのは、最近論じた『喜劇 愛妻物語』と重ね合わせてしまったことです。あの夫婦は終わりのないモラトリアム恋愛の悲劇であり喜劇。荒れ地に咲いてはしおれる雑草のような花でした。麦と絹は、終わりを迎えて花束になったけれど、もう咲くことのない花瓶の花。いつかこの2本をまたゆっくり二本立てで観てみたいなと感じています。そんなイベント、面白そうじゃないですか? 鑑賞後、天国か地獄か、それはまだ僕にもわかりません。
映画『宇宙でいちばんあかるい屋根』短評
さ〜て、次回、2021年2月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『花束みたいな恋をした』です。口コミでどんどん観客動員が伸びて大きな話題となっているこの作品が、ついに当たりました。楽しみすぎる。そして、年度末恒例のマサデミー賞ですが、この『花束みたいな恋をした』までが対象作品となります。もうじき、まずは対象作品の一覧、続いて各賞のノミニー、そして3月末にはいよいよ大賞の発表と展開していきますよ。どうぞ、頭の片隅に置きつつ、この1年間にご覧になった、あるいは話題になった作品の総ざらいとして、お楽しみください。ともあれ、「花束みたいな恋をした」、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『喜劇 愛妻物語』短評
『KCIA 南山の部長たち』短評
具体的な構成に触れましょう。まず事件当日、意を決して殺害へと向かうキム部長が、部下に指示を出し、舞台となる部屋へ入り、扉が閉まる。銃声が聞こえる。そこから一気に40日前にさかのぼって、当日までを概ね時系列で追っていきます。これもすごくわかりやすいですよね。クライマックスでは殺人があります。国家のナンバー2が大統領を殺します。でも、普通はそんなことありえないですよね? でも、ありえる状況に彼は追い込まれていったんです。その直接的なきっかけは、40日前にありましたと。でも、それだけでは2時間も観客の興味を持続させるのは難しいですから、もうひとり、アメリカへ亡命して大統領の腐敗ぶりを国際世論にぶちまけた前のKCIA部長の運命という見せ場を中盤に用意することで、起伏を持たせているのもうまい。これによって、舞台も韓国だけでなく、アメリカ、そして前部長がその後向かうパリと、実際にロケもしていますから、往年のスパイ映画の華やかさも画面に生まれます。パリでのカーチェイスから、郊外、林の中での一連の命からがらの場面は、僕はベルトルッチ監督の『暗殺の森』を思い出しました。あの映画も、ファシズムに染まっていく国家権力の流れの中で、組織人がそこに乗るのか反るのかという話だし、主人公の「父親殺し」の話でもありました。肉親という意味ではなく、自分という人間を導いた精神的な父との決別。
そして、ラスト近く、いよいよ暗殺を決意するキム部長の盗聴シーンの緊張感たるや。何度か出てきた盗み聞き、盗聴という行為のクライマックス。降りしきる雨の中、忍び込んだ大統領のプライベート空間。国家のナンバー2が、まるで忍者のように耳を澄まして聞き取ってしまう、これまた何度か出てくるキーフレーズ。大統領が発する「君のそばには私がいる。好きにやればいい」という言葉。以前は自分に向けられたが、今回は違う。この言葉を聴いた瞬間のイ・ビョンホンの表情。僕はここで映画が終わってもいいってくらいに味わい深かったです。にもかかわらず、最後の最後に、当然殺害の場面がこれまたきっちりとてつもない長回し込みで写実的にぶち込まれるし、たまらない余韻を与える殺害後の場面も用意されているんです。結末がわかっている映画でこれほどまで観客を退屈させないどころか、緊張感を強いて興奮させ考えさせるって、なんなんですか!
色々理屈っぽいことも言いましたが、戦車と向かい合うイ・ビョンホン、コートを着てリンカーン像の前に立つイ・ビョンホン、酒を苦々しく飲み干すイ・ビョンホン、すってんころりんするイ・ビョンホンと、イ・ビョンホン最高峰の演技を堪能できるというだけで、なめるように観る価値あり。この1年を代表するような一本が、また韓国から生まれました。僕はまだまだ身震いが止まりません!
『大コメ騒動』短評
本木監督の作品は、僕の気に入っているものもあるし、群像劇を得意としている印象もあったので、楽しみに劇場へ向かったわけですが、今作に対する僕の評価は微妙な感じです。いいなと思うところはいくつもありました。演出面で言えば、照明なんかはかなり作り込んでいました。たとえば僕がハッとしたのは、ある女の子が家の寝床を抜け出して近所の米屋の倉庫へ忍び込むくだりがあるんですが、彼女が画面奥に消えていく時は、まるで闇に吸い込まれてしまったかのような明暗のしっかりしたコントラストがあって、映画館の上映環境とも、物語内容ともマッチしていました。
なんなん、良いことばかりじゃあ〜りませんか。どっこい、今挙げてきた良いところをさらに大きく膨らませて互いに響き合わせる脚本にはなっていません。立川志の輔演じる語り手の存在も取ってつけたようで存在に必然性が感じられないキャラクターになっているし、全体として、よく言えば教育的、悪く言えば説明的な歴史再現ドラマを見ているような、あまりにもストレートでひねりのない展開なので、このパワフルな騒動を描くには物足りないんです。そのまんまやなって感じてしまう。それがとてもとてももったいなかったです。