監督は『ベイマックス』のドン・ホールと、実写映画『ブラインドスポッティング』の監督でまだ32歳のメキシコ出身カルロス・ロペス・エストラーダの2人。エストラーダさんは原案も務めています。脚本はベトナム系のクイ・グエンと『クレイジー・リッチ』のマレーシア系アデル・リム。僕は吹き替えで観ましたが、オリジナル・キャストもアジア系の比率が非常に高いです。
だけど、ワンダー、心躍る要素はたくさんある。その最たるものは仲間でしょう。この作品はあらすじをまとめるのが一苦労ってほどに、結構設定も舞台も込み入っているし複雑なんですが、おそらく小学生以上なら難なく理解できるでしょう。それはロールプレイング・ゲームのような物語の運びに理由があります。まず前提となる龍の昔話があって、クマンドラの人々は互いに信じられなくなり、分裂してしまった。そこで地図が大写しになります。わかりやすい。500年後、ラーヤはそれぞれの国に散らばった龍の石の欠片を集めに行く。いっぺんには無理だから、順を追って探していく。そこでだんだん仲間が増えていく。事実、最初は行方知れずの龍の生き残りシスーと出会うんですが、このシスーがまたいいんですよ。ドラゴンボールのシェンロンみたいなのが出てくるのかと思いきや、ちょっとどんくさくて、愛嬌があって、純真なんですよね。そこから各地域の個性的なキャラクターとの出会いにドラマの起伏を見出していく。エリアの地形や人々の暮らしぶりもバリエーションが豊かなので観光映画的な側面があって、展開がとても明快。人間たちの造形は、そりゃキャッチーに造形してありますが、3DCGの描写力、特に難しいとされる水なんかは、これって実写ではないですよねっていうレベルで目を見張ります。これもすごい。
テーマとしては、わかりやすく分断を乗り越えてどう融和できるか、ですね。僕があえてここで四の五の言うまでもなく、極めて現代的で現在進行形の問題です。僕はさっき冒険と戦闘って言ったけれど、ラーヤが誰かを心底憎んで、つまり敵として誰かを倒そうとすることって、実はないんですよね。これも大きなポイント。理解してもらうために、必要最小限の武力行使はやむを得ないという感じなんです。ところが、龍のシスーは、理解してもらえないって、それ思い込みじゃないって言い出すわけですよ。それによって大変な目にも遭うんだけれど、それでも信じることはやめない。ラーヤもその信じる行為を取り戻せるのか。そのプロセスと試行錯誤が一貫して描かれています。きれいごとに聞こえるだろうし、現実の世の中がもっと複雑なのは当然ですが、人を信じるまでの葛藤はきっちり映画に刻印されていて見ごたえがあります。
と同時に、実は僕が今回一番感心したのは、実は何かに秀でた存在だけに世の中を変える力があるわけではないということ。それは終盤に明らかになることなんだけど、凡庸とされかねない人や生き物にだって大切な役割があることを諭してくれる物語運びは、実に爽やかで真っ当だと思いました。