京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『BLUE/ブルー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月27日放送分
『BLUE/ブルー』短評のDJ'sカット版です。

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プロボクサーの瓜田。ボクシング愛と分析力は人一倍なんですが、肝心の試合ではなかなか勝てない若者です。同じジムには、瓜田から誘われて通い始めた後輩の小川がいて、彼は日本チャンピオンに王手をかけている状態。かつて瓜田をボクシングの世界へと導いた初恋の相手にして幼馴染の千佳は、今では小川のフィアンセです。瓜田はそれでもへこたれず、ふてくされず、努力の日々を送っています。一方、小川はこのところ、パンチドランカーの症状で平衡感覚を失うようになっていました。

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 映画オリジナルの物語である今作で監督・脚本を務めたのは、自らも長年ボクシングをしている吉田恵輔。『ばしゃ馬さんとビッグマウス』や『ヒメアノ~ル』など、僕も高く評価していた方です。瓜田を松山ケンイチ、小川を東出昌大、千佳を木村文乃が演じた他、軽い気持ちでジムに新しく入会してきた楢崎には、柄本時生が扮しています。

 
僕は映画館へもちろん行きたかったんですが、緊急事態宣言が出て観られなくなるかもしれないスケジュール上の都合と不安もありまして、今回は例外として、試写を手配してもらって鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

自分の好きなものに夢中になる。それはとても素晴らしいことですが、何をそんなにしゃかりきになってしまうのか。その理由が意外とはっきりしないというのはよくあることでしょう。このスポーツが好きだ。この仕事が好きだ。あるいはこの人が好きだという恋もそう。それっぽい理由をそれらしく挙げることはできたとしても、心の蓋を開けてみたら、なぜこんなにお熱なのか、合理的な説明ができないというケースです。
 
劇中では、千佳の質問をきっかけにして、瓜田も小川も、それぞれボクシングを始めた理由については触れるんですが、たとえばなかなか勝てなくても、身体に危険が生じようとも、何があってものめり込み続けている理由というのは、本人にすらよくわからない。逆に、やめ時もよくわからない。とにかく、好きだからとしか言えなかったりするわけです。

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(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会
吉田恵輔監督は、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』においても、そんな自分の好きなことに打ち込む若者の青春の終わりを見つめていました。脚本家になりたいという男女の話でした。最近だと『喜劇 愛妻物語』でも、脚本家としてやっていきたいが、なかなかそれだけでは食えずにいるという、世間的には「甲斐性なし」と言われかねない主人公がいました。映画でも仕事が取れる採れないという線引はありますが、ボクシングの場合はもっと冷酷です。特にプロボクサーは、試合に勝つか負けるか。そのどちらかしかない。瓜田と小川は、対称的なふたりです。日本タイトル目前の実力者で、千佳の恋心も射止めている小川。その千佳からボクシングへの興味を植え付けられたにも関わらず、思いを寄せる千佳との関係は幼馴染以上のものにならず、地道に人一倍努力を重ねるボクシングでは芽が出ない。それでも腐らず、いつもニコニコしているので、周囲からは単なるお人好しに見られて、下手をすればなめられる。なんというか、持てる者と持たざる者というのが、見ていられないレベルではっきりしています。いつも同じジムにいるわけだから、その歴然とした実力差には毎日のように気づかされる。瓜田だって辛いだろうけれど、そんなのはおくびにも出さない。

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(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会
ボクシングを描く物語には、普通、キツい訓練や厳しい減量を積み重ねた先の勝利や、逆に劇的な敗戦など、強烈なカタルシスが用意されます。ところが、この映画にはそういう王道的展開はありません。瓜田と小川のアスリートとしての行く末が一応の軸にはなるんですが、そこへもうひとり、「ボクシングやってる風」を目指したいという不埒な心持ちでジムに入会した楢崎という男が物語のスパイスになります。「なめてんのか、お前は」ってことなんだけど、そんな楢崎にも瓜田は朗らかに接して、的確なアドバイスをするうちに、楢崎もまたボクシングの魅力に取りつかれていきます。
 
吉田監督自身、30年ほどボクシングを続けていて、今作では殺陣、要するにリングでの振り付け、動きもすべて付けています。ボクシング映画というのは、役者は危険を伴うし、体作りから含めると拘束時間も長くなるしで、実は製作へのハードルはかなり高いんですね。実際、特に最近はあまり作られていません。それでも監督は8年ほど温め続けて、このボクシングそのものを描くような映画を撮りきりました。それは監督自身、ボクシングがとても好きだからでしょう。もちろん、映画もすごく好きなわけです。

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(C)2021「BLUE ブルー」製作委員会
観終わって思うのは、きっかけや理由はどうあれ、人が何かに夢中に取り組む姿が愛おしいということです。何かを好きでいる気持ちに終わりはないという情熱の結晶を目にした気持ちです。BLUEというのは、ボクシングコーナーの挑戦者側の色。傍から見れば負け犬かもしれないけれど、挑戦者であり続けられる精神の美しさと業のような治らぬ病気のような、コントラストの強い明暗の両面を僕はラストショットに観ました。その意味でとても変わった作品だけれど、普遍的で力強かったです。
主題歌は、劇中でもチラッと登場する竹原ピストルでした。彼もボクシングをしていらっしゃいましたよね。映画の内容を煮詰めた歌詞はお見事。特に、ラスト近く、「もはや足跡を残したいわけじゃない。でも、足音を鳴らしていたいんだ」なんて絶品ですよ。
 
幼馴染の恋の三角関係とか、ボクシングでこてんぱんに負けちゃうとか、僕はちょいとあだち充の『タッチ』前半を思い出しましたが、まぁ、それは完全なる余談です(笑)
 

さ〜て、次回、2021年5月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『浅田家!』となりました。え? 去年の映画じゃないか。そうなんです。シネコンの多くが休業に入った緊急事態宣言下の関西ですから、ここはやむなく、配信作の中からおみくじを引くことに… まことに残念ではありますが、見落としていた話題作をしっかり拾ってまいります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月20日放送分

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あちこちの放送局のドラマや映画など、いつも複数の作品が同時進行している富士山麓の大きな撮影所バイプレウッド。最近は、濱田岳を中心とした若手俳優たちがチワワを主人公にしたSFファンタジー映画を自主制作しようと奮闘しています。ところが、そのチワワが現場から逃げ出してしまうなど、トラブル続き。見るに見かねた田口トモロヲ松重豊光石研遠藤憲一たちは、どうにかしてやろうと手を差し伸べます。数々の撮影現場にまたがる大小様々な騒動を横断的に描いていく映画バックステージもの群像劇です。

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テレビ東京の人気ドラマ・シリーズの劇場版で、役所広司天海祐希有村架純など、主役を張るような役者から、いわゆるバイプレイヤーズまで、本当に約100人が集結しています。監督は、若手売れっ子で新作『くれなずめ』の公開を控えている松居大悟。
 
僕は先週水曜日の午後、Tジョイ京都で鑑賞してきました。大きなスクリーンにそこそこ入っていまして、ドラマからのファンなんでしょうね。世代と男女がバランス良いなっていう客層でしたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

バイプレイヤーという映像業界の用語は、もともと和製英語なんですね。英語では、Supporting characterなんて言います。助演ってこれまた日本語に訳すと、準主役みたいなイメージも出てきますが、要するに、映画の中で、物語の中心にいる人物ではないが、そのキャラが登場することで全体が引き締まったり、要所でのみサッと登場して強烈な印象を残しながら主人公たちをサポートする存在。だから、定義としては広めです。また、他の作品では主役を張るような俳優が出演する場合には、ゲスト出演とか、友情出演としてクレジットされることもあります。ただ、冷静に考えれば、俳優の多くは主演することはまれであって、基本的にはバイプレイヤーとしてキャリアを重ねる人のほうが多いわけですね。特殊なケースを除き、集団芸術である映画製作には驚くほどたくさんの人が関わっています。俳優もそう。スタッフもそう。この作品は、そうした映画の制作システムそのものを愛おしく見つめています。
 
これまで3シーズンあったドラマ版から一貫しているのは、役者たちがそのままの名前で本人を演じていること。だから面白いんですよね。もちろん、フィクションなんだけど、田口トモロヲ田口トモロヲとして出ているから、劇中でも一般の観客から「あ、プロジェクトX!」みたいなことを言われていました。まさにそういう観客が持っているぼんやりめの知識や思い入れを活用する、あるいは逆手に取って生み出すおかしみを充満させていたわけです。その結果、脇役たちがこの物語では主役に躍り出る。改めて、このアイデアそのものが映画愛に溢れていました。

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©2021「映画 バイプレイヤーズ」製作委員会
今回はその劇場版ですから、「THE MOVIE」の常としてスケールアップが要求されるわけです。ドラマではシーズンごとにひとつのプロジェクトが軸にあって、その実現に向けて、おじさんレギュラー陣がやいのやいのとしていました。それが今回は、有村架純主演のネット配信ドラマ「小さいおじさん」を撮影するいつものおじさんたちに加え、濱田岳高杉真宙菜々緒柄本時生芳根京子たち、言わば若きバイプレイヤーズが作る自主映画というもうひとつの軸が出てきます。いや、もうひとつというか、若者たちの方が主軸で、おじさんたちはまた助演に戻るという格好でしょうか。つまりは撮影所での、映画製作における世代交代、バトンパス、継承、それがポンと渡されるんでなしに、ディープにクロスフェードしていく。さらには、映像業界の外資黒船がバイプレウッドスタジオを乗っ取るんじゃないかという噂がながれて、撮影所そのものの存続や意義もテーマに巻き込みます。
 
もちろん、例によって、見栄の張り合い、つばぜり合い、馴れ合い、じゃれ合い、不平不満に自慢も合わせて楽しませるうえ、同時進行している映画やドラマで垣間見える、過去の名作パロディーにもウキウキします。役者一人一人の演技については、もういくら時間があっても足りないので触れませんが、あえて言及するなら濱田岳です、今回は。最近だと『喜劇 愛妻物語』で見せていた、あのダメ男っぷり、小物っぷり、器の小ささを、今回は監督という立場でも観られます。自主映画撮ってるんでね。役所広司に出てもらおうってんで呼んできた時の手の震え。ビビリ具合。かと思えば、濱田さん、じゃなくて、監督って呼びかけてもらわないと振り向かないというあの権威主義っぷりとか、最低にして最高でした。

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©2021「映画 バイプレイヤーズ」製作委員会
ただ、登場人物がとにかく増えたことで、描かないといけない場面も多くなり、必然的にみんな少しずつ出ては強烈な印象、爪痕を残してもらう必要性が生まれるせいで、全体としては話の求心力が足りないとは言えます。結果として、スケールアップのつもりが、撮影所舞台のコント集になってしまったことは否めません。主演も助演も、とにかくすべての役者100名があくまで映像的に集う大団円への流れもかなり強引だよなと失笑してしまう人も出てくるでしょう。映画がその最初期から被写体にしてきた機関車と、撮影所そのものの歴史や、夢工場としてのあり方を合成という映画ならではの表現で見せる映画内映画。やりたいことはよくわかるし、その粗がある感じも狙いですらあるのかもしれませんが、大きなスクリーンで観るとなると、ちと物足りなさを覚えたのも事実です。画作りもあくまでドラマの延長という感じでしたから。
 
と、ぶつくさ言いたくなるところもあるものの、楽しいのは間違いないし、日本映画界にこの人達ありっていう夢の共演祭を傍から見てちゃもったいない。観た誰かとワイワイ楽しく語りたくなる、これからも彼らをスクリーンで観たくなる作品でした。
主題歌は、Creepy Nuts。R-指定のリリックの物語との距離が絶妙だと思います。

さ〜て、次回、2021年4月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『BLUE/ブルー』。ボクシング映画の傑作ってのはいくつもありますが、松山ケンイチ演じるボクサーの場合はどうか。監督の吉田恵輔さんもボクシングをされる方ということで、期待大。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ノマドランド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月13日放送分
『ノマドランド』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、ネバダ州のエンパイアという小さな田舎町。住民のほとんどが、そこに工場を構える石膏メーカーに勤めていたのですが、リーマン・ショックで工場は閉鎖。町は即座にゴーストタウンに。仕事も家も失ってしまった女性ファーンは、夫も既に亡くしており、頼れる人などいません。バンに必要なものだけ詰め込んだ彼女は、ノマド、現代の遊牧民として、季節労働をしながら車上生活をするようになります。
 
監督・製作・脚色・編集は、中国系のアメリカ人女性、39歳のクロエ・ジャオ。マーベルの新作エターナルズの公開も控えていて、これを機に名前をしっかり覚えておきたい天才肌。脚色というからには原作がありまして、『ノマド 漂流する高齢労働者たち』というノンフィクション。日本でも春秋社から翻訳が出ています。その本を面白いと感じたフランシス・マクドーマンドが自ら映画にしたいと製作をスタートしてクロエ・ジャオに話を持ちかけ、自分でも主演するという珍しいプロセスを辿りました。

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Photo by Amy Sussman/Getty Images

日本では26日月曜日に発表されるアカデミー賞では作品賞最有力と言われています。既に、ヴェネツィア国際映画祭トロント国際映画祭、さらにゴールデン・グローブ賞で作品賞を獲得しているが故に、アカデミー賞作品賞の最有力と言われています。
 
僕は先週木曜日の午後、TOHOシネマズ梅田で鑑賞してきました。公開から少し日が経っていて、小さめのスクリーンになっていましたが、それでも平日昼間にかなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕も学生時代にワンダーフォーゲル部にいましたから、全国あちこちの山を登り、里を歩き、サバイバル体験もしてきました。なおかつ、車の運転が好きだから、生まれたイタリアへ戻っても移動は車がいいし、国内でもそう。日本ではコロナ禍も手伝ってキャンピングカーに乗る人が増えていると言うし、ソロキャンプも流行中。僕の知人の映像作家、馬杉雅喜氏が作ったYou Tubeのドラマシリーズ、『おやじキャンプ飯』もヒットしている状況。だから、僕の作品への興味も膨らんでいて、原作がノンフィクションでもあるし、実態はどんな感じなんだろうと、観始めました。


残念なお知らせですが、簡単に言えば、そう甘くないということです。だって、まず仕事を失っていますからね。というより、住んでいた街があっさり無くなっていますから。そりゃ、厳しい状況です。のほのんとキレイな景色でも見て回ろうか、じゃないですから。それに、ノマドライフを始めるにいたった原因も、彼女が自分で生み出したものではありません。遠いウォール街の狂乱が彼女の人生を変えてしまったわけです。彼女の暮らしに選択に何か落ち度があったんだ、自己責任だと誰が言えるでしょうか。世界の長者番付1位は今年もAmazon創始者であるジェフ・ペゾス氏でしたが、その配送の現場ではファーンのような労働者たちが上層部とは比較にならない賃金で単純作業に従事している様子もわかります。

 
人によっては、この映画をそういう社会問題を扱った、告発するような作品と捉えているようですが、僕には少なくともそうはまったく思えませんでした。「ホームレスなの?」と心配されたら、彼女は「違う。ハウスレスだ」と答えます。それは、決して虚勢を張っての言葉ではありません。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

ファーンは確かに落胆します。でも、しばらくすると顔を上げて、悟ったように身の回りの今となっては必要でないものを処分して、路上へ出るわけです。身の回りにあるのは、ぐるり自分の愛着のあるものだけ。決して、悲壮感が支配するような状況ではないんです。しばらくすると、多かれ少なかれ自分と似たような境遇の人にたくさん出会います。確かに、60を過ぎて、ひとりもので、定職がなく、不動産などの蓄えの乏しい状況で生きていくのは、なかなか大変です。ファーンも車が故障してその修理に困っていました。事故に遭うかもしれないし、次の仕事は前よりも条件が良くないかもしれない。でも、この世の中で、明日どうなるかわからないのは、誰しもそうではないでしょうか。僕は決して経済的に困窮していることを、それはそれで仕方ないとか、構わないなんて言うつもりはありません。社会的格差は是正されるべきだと思います。ただ、健康で文化的な最低限度の生活が保証されるという条件付きで、誰もが経済的豊かさをハングリーに求める必要もないはずです。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

仕事が必要だとは言うけれど、体を動かして、何かの役に立つことに喜びを感じているという意味でしょう。儲けたいというよりも、エッセンシャルな生活を維持するためでしょう。ファーンは決して世捨て人ではありません。孤独を良しとはするけれど、人懐っこいところもあって、職場や駐車場で会ったノマドたちとも一定の人間関係を築くんです。ちょっとしたロマンスまであります。誰かに助言をしたり、助言を受けたり、余命いくばくもないノマドの人生観に深くタッチすることもあります。何より彼女には学があり、尊厳がある。周囲にはアメリカの豊かな自然がある。ファーンのHOBOライフを不幸だと規定するのには賛同できません。現に、この映画は決して小難しいものではなく、むしろ圧倒的な映像美と印象に残る生きた言葉、さらにはドライなタッチの小気味良い編集によって、エンターテイメントとして十二分に成立しているんです。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

これはクロエ・ジャオ監督の演出術の賜物ですが、彼女は非職業俳優たち、しかも、実際にその境遇に置かれている現実の人々をそのままドキュメンタリーのようにカメラで捉えます。マクドーマンドが渓流に素っ裸で浮かんでリラックスしているショットがありますが、プロの俳優である彼女はまさにあの調子でノマドたちの中に身を置くんです。だからこそ、人々の言葉には力がある。
 
一方で、ノマドの中には、何かの拍子にあっさり定住する人もいます。では、彼女はどうして誰かに手を差し伸べられても、それをやんわり、でも、きっぱり断るのか。その理由はおぼろげながら最後に明らかになっていきます。僕はラストでじんわり胸と目頭が熱くなりました。そして、ファーンは孤独で寂しい人ではない、豊かな心を持つやさしくて強靭な人だとわかるのです。素晴らしい映画でした。
劇中でファーンがチラッと耳にし、エンド・クレジットで流れるこの歌をオンエアしました。

さ〜て、次回、2021年4月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら』。やったやった〜! 予告編で「役所! 役所!! や・く・しょ!!!」のコールを見聞きして既に笑っていたんです。僕にとっては大好物の映画バックステージもの。楽しんできます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『トムとジェリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月6日放送分
『トムとジェリー』短評のDJ'sカット版です。

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1940年に誕生したコンビのキャラクター、猫のトムとネズミのジェリー。80周年をきっかけに、アニメの動物たちと実写を融合させた長編映画化が実現しました。
 
舞台はニューヨークの高級ホテル。住み着いたジェリーを追いかけてきたのは、もちろんトム。そこで新人スタッフとして働くケイラは、近づいているセレブカップルのウェディングパーティーを成功させて躍進しようと企んでいます。彼女はトムをネズミ捕り要員としてホテルで雇うよう上司に認めてもらったのはいいんですが、結局パーティーは散々なことに。ケイラの巻き返し、そして新郎新婦のため、トムとジェリーが今度はタッグを組みます。

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(c)2020 Warner Bros. All Rights Reserved.

ケイラを演じるのは、クロエ・グレース・モレッツ。他にも、ホテルのイベント関係を取り仕切るテレンスには、イーストウッドの『運び屋』に出ていたマイケル・ペーニャ。シェフのジャッキーには、『ハングオーバー!!』シリーズのケン・チョンがそれぞれ扮しています。
 
監督と製作総指揮を務めたのは、ティム・ストーリーR&B、ヒップホップ、ポップスと、たくさんのMVをキャリア初期に演出してきた人で、監督としては『ファンタスティック・フォー』を手掛けていますね。
 
僕は先週水曜日、MOVIX京都で吹替版を鑑賞してきました。春休みってこともあって、親子とか、中高生の友達同士とか、年配の方も含め、老若男女、幅広く劇場に詰めかけていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
トムとジェリーに僕が出会ったのはいつだったか、はっきり覚えていないんですが、ほんとに小さな頃、イタリアへ戻った時に、飛行機の中や向こうのテレビで観ていた記憶がぼんやりとあります。短編が多いので、子どもにもわかりやすいシンプルな筋立て。アクションがめっぽう面白いから、言葉はわからなくても楽しめる。僕の経験は80年代のテレビだけれど、今はまたカートゥーンネットワークなどのケーブルTVにDVD、あるいはサブスクリプションなんかがあるから、なんなら僕の世代よりも、家庭環境によっては、よっぽど深く馴染んだっていう若い人たちも多くいるんだって、今回映画館で実感しました。
 
パンフレットにもある謳い文句「大嫌いだけど、好き」は、言い得て妙です。この2匹の関係、追いつ追われつ、追われつ、追いつ。相容れないように見えて、相性抜群の凸凹バディー。やっていることは、いつもそう変わりませんね。ジェリーがちょっかいを出して、トムの癪に障って、追いかけられる。パンフに寄稿した早稲田大学の有馬哲夫氏は「千変万化のマンネリズム」と、その魅力を定義しています。いつも同じパターンなんだけど、バリエーションの豊かさが尋常でないってことです。とりわけデビューからしばらくは、ディズニーを目指したウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラ、ハンナ=バーベラのコンビが、短編においてはディズニーを差し置いて、同じキャラでアカデミー賞をほぼ独占という事態が続いていました。

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(c)2020 Warner Bros. All Rights Reserved.

で、今回はアニメと実写の融合でバリエーションを出そうってわけか。と思いたいところですが、実はこの手法とトムジェリの出会いは1945年に端を発するものだと、やはりパンフで映画ライターの神武団四郎氏が書いています。なんとジーン・ケリーと一緒に、ジェリーが踊っている『錨を上げて』という作品があったんです。以来、トムとジェリーも実写に何度も進出していたし、『メリー・ポピンズ』や『ロジャー・ラビット』、さらには『ピンク・パンサー』といった人気・質ともに高い作品がありました。では、このタイミングでの『トムとジェリー』に勝算はあるのか。ずいぶん久しぶりの劇場長編だし、これまでとの差別化を魅力的に出せるのか。そりゃ、僕も少々訝しんでいましたが、いやはや、なんのその、でしたね。

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 僕に言わせれば、ちょうどいいミックスセンスを発揮して成功したのがティム・ストーリー監督です。ちょうどいいというのは、トムとジェリーにあってほしい適度なレトロ、ノスタルジックな雰囲気は出しつつも、今のNYを舞台にしたこと。それでも、スマホだなんだ興ざめするようなアイテムはあまり出さず、ドローンみたいなドタバタがさらに面白くなるものは喜んで小道具に出すっていうバランス感覚がちょうどいい。キャスティングにおける人種のバランスも今っぽいんですが、新婦がインド系であることを活かした、まさかの象の登場といったハイライトも用意する変化。さらに、これは褒める点として挙げますが、クロエ・グレース・モレッツも含め、ファッションがみんなたいしてイケていない。要は、最新のトレンドって感じじゃなくて、制服なんかも古き良きアメリカンな感じと言えば良いのかな。それもトムとジェリーにはちょうどいいなと。

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(c)2020 Warner Bros. All Rights Reserved.

決定的なのは音楽。トムをミュージシャン志望にしたのも面白いんですが、ヒップホップ満載のサントラ。トムとジェリーという古典、言わばブレイクビーツを映画的にセンスよく今打ち出すならこんな感じと、全体をリズミカルかつグルーヴィーにまとめようというティム・ストーリー監督の意志が伝わります。最後に、クロエ・グレース・モレッツたち俳優と完全アニメの動物たちのアンサンブル。モレッツも繊細な演技というよりは、古式ゆかしくすらあるはっきりとしたコミカルな表情や仕草に専念していて、ちょうどいい。そして、アニメのリアルを追求していない感じもちょうどいい。
 
てな具合に、とにかく映画を観ている間、居心地が良いなと感じました。正直、もうちょい端折って90分くらいにまとめてしまっていいとは思いましたが、ジェリーがチーズにうっとり吸い寄せられるように、あるいはトムがしょっちゅう雷に打たれる天丼ギャグのように、忘れた頃にはまた絶対観たくなる、2020年代トムとジェリーの復活劇。生みの親であるハンナ=バーベラのコンビも「やりおるな」と天国で楽しんでいるんじゃないでしょうか。
劇中でこんな曲も流れてきて、ハイライトの盛り上げに一役買っています。まさに燃料満タンって感じで、みんな大騒ぎの楽しい一幕でした。

 

さ〜て、次回、2021年4月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、ついに出ましたアカデミー賞最有力と言われる『ノマドランド』。既に観た人の中には、広大なアメリカ大陸を移動する様子が、興味深くはあるが日本人にはピンとこないという意見も。さて、僕はどう観るかな。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『まともじゃないのは君も一緒』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月30日放送分
『まともじゃないのは君も一緒』短評のDJ'sカット版です。

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主人公のひとり大野康臣は、学生時代に数学の研究に没頭したものの、学者になるにはいたらず、それでも好きな数学の世界に生きようと予備校講師をしています。恋人のいない現状に不満はないものの、このままずっとひとりで暮らしていくことに漠然とした不安を持っています。純朴ではあるのですが、女性との付き合い方はさっぱりわかりません。そんな大野の恋の指南役を買って出るのが、生徒の秋本香住。「先生は普通じゃない」と一刀両断する彼女もまた、実は恋愛経験に乏しいのに恋愛雑学だけは詳しいという女の子。香住はある日、ずっと憧れている青年実業家、宮本の婚約者・美奈子と大野をくっつけて破局させるという作戦を思いついたから、さぁ大変。

わたしのハワイの歩きかた そこのみにて光輝く

手掛けたのは、『わたしのハワイの歩きかた』などの前田弘二監督と、『そこのみにて光輝く』や前田作品の脚本を書いてきた高田亮というコンビ。オリジナル脚本になります。大野を成田凌、香住を清原果耶が演じる他、小泉孝太郎が実業家の宮本、泉里香がそのフィアンセに扮しています。
 
僕は先週水曜日、TOHOシネマズ二条で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

先日発表したマサデミー賞2021を賑わせた俳優の共演ということで、かなり期待して劇場へ向かいました。そして、その甲斐あって演技も満喫できました。ミイラ取りがミイラになるパターンのバリエーションですね。当初の計画がだんだんズレていって、あれ、これはどういう作戦だったんだっけと、だんだん目的がわからなくなってくるパターンですよ。その変化を楽しみながら、僕たち自身も「普通」という得体のしれない物差しで価値や行動規範を測ってやいないか、最後には自問自答する。その目論見は、概ね達成していると言えます。

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(C) 2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
オリジナルで書いた高田亮のペンがまず冴えていますね。大野と香住、このふたりは数学においては教師と生徒なんだけれど、恋愛においては役割が逆になる。この面白さはありますよね。論理的な思考を反映しすぎるあまり、会話が窮屈になりがちな大野に対して、利発だが感性と雰囲気で喋る香住という対比。ステレオタイプな役回りだけれど、大野だって実はかなり感覚的で想像力に富んだところがあるし、香住にも頭でっかちすぎるが故の柔軟性のなさが言動の端々から見えてくる。つまりは、タイトル通り、まともじゃない。ふたりとも、そうなんですね。では、その「まとも」という曖昧なものを体現しているのは誰か。大野と香住のターゲットとなる、宮本とそのフィアンセ美奈子でしょう。宮本は教育ビジネスで急成長していて、メディア露出や講演活動もお盛んな様子。ただ、どうもその美辞麗句はうさんくさく、近づいてみるとメッキが剥げてくるように思える。一見幸せそうなカップルだけれど、美奈子の表情にもどこか影がある。
 
他にも、香住の学校のイケてる女子が、これまたイケてる男子とつきあっていて、それに対して完全にやっかみであらぬ噂を広げるJK集団が出てきます。宮本に憧れたおして来たけれど、リアルな恋愛経験のない香住は、そんな噂を無視してイケてる女子に話しかけ、「人を好きになるって、どういうこと?」なんて、十分におかしな行動に出る一幕もありました。やっかんでいるJKたちにとっては、いけ好かないし、鼻持ちならないのだけれど、話を聞いてみると、感じはいいし、お高くもとまっていない。むしろ、下町でまともじゃない大人たちに囲まれて家業のスナックを手伝うような律儀なところもある。

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(C) 2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
こうしたキャラクターを配置して作り手たちが軸にしているのは、「普通」にがんじがらめになって生きるのは「まともじゃない」ってことです。序破急な物語運びには無駄がないし、キャラクターの心情の変化が服装や言葉遣いに直結していく役をそれぞれに成田凌はすらりと、清原果耶は熱っぽく演じていました。
 
ただし、気になったのは、脚本全体が図式的に感じられたこと。無駄はない、のだが、ところによって一足飛びに次の展開へ移るんですね。それが僕には、いわゆる少女マンガっぽく見えました。で、一度そう思っちゃうと、ご都合主義的な時間・空間の流れも目につきます。ま、でも、ラブコメというジャンルだからこその、ある種の緩さ、あるいは「そんなわけあるかい!」というツッコミ待ちという笑いにギリギリ変えられているのかなとも思います。別にマンガっぽいのがそれ自体ダメってことではないんですが、もうひとつ気になるっちゃなったのは、主演のふたり以外の体温が低い、人間味が薄い、演出の解像度にあまりに差があるのが、キャスティングにも出てしまっているなと思えたのが惜しく感じました。

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(C) 2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
それゆえか、必要以上にサラッと軽くなっている感も拭えませんが、必ずしも恋愛至上主義にならない物語のソフト・ランディングは爽やかでした。ガツガツ笑いを取りに行かないコメディーの良さでしょう。なんか心理的に窮屈だなと日頃感じているような人には、まさに息抜き、なおかつ、少し自分でも考えを巡らせる佳作、ご覧になってみてください。
映画の劇伴はOvallのギタリスト関口シンゴさんが手掛けています。チャームくんもギタリストだし、映画全体の音の調和が主題歌も含めて取れていました。歌詞と物語の距離感もちょうどいいと思います。深い森は歌詞のメタファーと思っていたけれど、冒頭から出てくるし、単なる舞台装置ではなく、森自体もメタファーとして主人公ふたりに働きかけていることがわかって、味わい深いエンディングでの歌との再会となりました。


さ〜て、次回、2021年4月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『トムとジェリー』です。2021年にトムとジェリーの新作を観られることになるとは! そこにクロエ・グレース・モレッツちゃんも共演するとは! 実写との融合の具合はどうなんだろう? あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ビバリウム』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月23日放送分
『ビバリウム』短評のDJ'sカット版です。

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今週はコーナーに入る前に、映画を観た後に思い出したHotel California / Eaglesをかけました。カリフォルニアをひとつのホテルに見立てて、チェックインしたが最後、チェックアウトできなくなるって歌なんで、どことなく似通ったところもあるなと。で、以下、本題に入ります。まずはあらすじから。
 
庭師のトムと、小学校教師のジェマ。ふたりは新居を探そうと、ぶらり不動産屋を訪れたところ、紹介されたのは、機能的で快適だけれど、見渡す限り同じ建物が並び、うっかりすると迷いそうな新興住宅地ヨンダー。家の中を見せてもらう内に、ふと気づくと、不動産屋の姿は見当たりません。気味が悪いなと、ふたりはそのまま帰路につくのですが、どこまで走らせても、どこを曲がっても、必ず案内された家に戻ってしまうのです。そう、トムとジェマは、その住宅地から抜け出せなくなってしまっていたのでした。そこへ知らぬ間に届けられた段ボール箱。中には見知らぬ赤ん坊の姿が…

ソーシャル・ネットワーク (字幕版) 

監督は、アイルランド出身の41歳、ロルカン・フィネガン。ロンドンで人気SFドラマシリーズ『ブラック・ミラー』の制作関連会社で実践を積みながら、長編の監督に成長して、これが2本目。カンヌ国際映画祭では、批評家週間で有望な新人を奨励するギャン・ファンデーション賞を獲得しました。トムには『ソーシャル・ネットワーク』や『グランド・イリュージョン』のジェシー・アイゼンバーグ、ジェマには『グリーンルーム』のイモージェン・プーツが扮しています。

 

僕は先週水曜日、大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


僕としては、久々にこの手の不条理もの、SFスリラーを観たなと、鑑賞後にもぞくぞくきました。哲学的でいて、風刺が効いていて、不気味で、謎めいている。わかりやすいのに、解釈は多様。まったくスカッとしない。でも、この感じ、キライじゃないぜ。

 
まずもって誰の目にも明らかなのは、郊外の画一的な住宅群が象徴する、絵に描いたような幸せな家族、家庭のイメージが内包する欺瞞、そのメッキを剥がすという目論見です。これはもう1960年代ぐらいから、世界あちこちで共有されてきたテーマなので、映像としてドラマとして、あるいはさっきお送りしたイーグルスの『Hotel California』みたいにポップソングまで含め、アプローチは出尽くした…ってことでもないんですね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
ビバリウム』では、消費主義社会の欺瞞を暴くというテーマから逃げず、むしろ濃密に煮詰めて苦々しくまとめましたって感じで、構図から色使いから美術から、何から何まで、徹底して焦点化。太陽光を集めた虫眼鏡が火を起こすようにじりじりと描いているのが新しく思えます。キャストは、カップルと、不動産屋と、謎の子ども、基本は以上です。ここも余計な要素は要らんとばかりの潔さ。絵に描いたような幸せって言葉をさっき使いましたが、ヨンダーという住宅地の空には、実際のところ、絵に描いたような雲が浮かんでいます。地平線まで続く、でも、それが故に、嘘っぽい、セットの書割りのような、要するにペラペラの安っぽい薄っぺらい住宅街。そこには人の気配も動物の気配もなく、漂白されたような、言わば生き物の気配がない世界なんですね。だから、生き物はトムとジェマだけ。プラス、自分たちの子ではない、配達された赤ん坊だけ。その子どもを育てれば解放されるということで、選択の余地のないふたりは、やむなく、これまた定期的に届けられる味気ない食材を使って育てていくことになるんだけど、こいつがまた不気味なことに見る間に成長していって、ほどなく会話ができるようになるんです。まるでマグリットが絵に描いたような空の、絵に描いたような雲を見上げる、ジェマと子ども。よく親子で、あの雲は何かの動物の形をしている、なんて微笑ましいやり取りがありますが、ここでは子どもは「雲の形をした雲だ」みたいなことを言うわけですよ。もう絶句するしかないですよね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
メディアや広告が喧伝する「幸せ」の形に囚われ、多かれ少なかれ似たような家に住んで、似たようなものを食べ、似たような人生を送り、死んでいく。このヨンダーという住宅地でふたりのもとに届けられる食材は、誰がどこで生産して、誰がどうやって届けているのかもわからない。これは複雑怪奇な流通システムに依存して、地球の裏側からも物を買って食べている、何が入っているやらわからないものを食べている僕ら現代人への痛烈な風刺です。観ていると、一見、突拍子もないシュールなSF不条理劇に思えるんだけれど、実は痛いところを突かれるというかえぐられるようなメッセージを受け取る作品です。僕らは何かを選択して自由に生きているようで、誰が運用しているとも知れない巨大なシステムに知らない間に組み込まれ、選択させられているのではないか。それも、揺りかごから墓場まで。自分で生きているように見えて、生かされているだけなのではないか。僕らの身体なんて、ホモ・サピエンスという生き物として生態系の中で、そして長い地球の歴史の中で、ただただ乗り物として遺伝子が乗り継いでいるだけなのではないか。そんな哲学的な宗教的な考えを巡らせることも強いられる物語です。僕たちは遺伝子の螺旋をくるくる回る無限の生物学的なループの中のたった一コマ。なんて言うと、虚無感に駆られてしまうんですが、そういう映画なんですよ。考えてみりゃ、あのヨンダーは車でいくら道路を進んでも同じところへ戻ってくる。また絵画のたとえをすれば、エッシャーのだまし絵みたいな世界ですからね。

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(C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film
そして、もうひとつのテーマは、子育てのままならなさでしょう。何か気に入らなければ、すぐに奇声を発する、あの不気味な子ども。親をまるで監視するかのように付いて回っては、親の喋っていることをモノマネする。トムとジェマで途中から子どもへの対応が変わっていくのも興味深かったですね。トムは穴を掘るという労働をし、ジェマは子育てに翻弄されるという性別による役割分担も現実を戯画化して反映させていました。あの子はどこかから荷物のように送られてきた子どもなんだけれど、思い出されるのは、冒頭のナショナル・ジオグラフィック・チャンネル的な、鳥カッコウの習性を教えてくれる映像。カッコウは別の鳥の巣に卵を産みつける托卵をするんですよね。で、もともといた雛は巣から追いやられて殺されてしまう。学校の裏庭で死んだ雛を見つけて悲しむ自分の女子生徒に対し、ジェマは「それが自然の摂理なの」と言っていました。ここで鍵となるのがタイトルのビバリウムという言葉。手元のジーニアス英和辞典の定義では「観察・研究用に自然の生息状態に模した、動物の飼育ケース」とあります。誰が観察しているんでしょうか、自然の摂理を。それはエイリアンなのか、はたまた神なのか。謎が謎を呼びますが、ひとつ言えるのは、僕たち観客も観察者であるということです。不気味で後味は悪いし、粗もある映画ですが、とてもユニークで実験的、なおかつ示唆に富んだ作品です。あなたも劇場で鑑賞、いや、観察してみてください。
主人公のふたりは、家の内覧へ向かう車の中で、この曲を口ずさんでいます。
その頃は、まだ後の展開はもちろん知る由もありません。
4月4日に大阪城ホールで40周年のメモリアルなライブを控える佐野元春さんも、考えてみればマグリットの絵画に影響を受けただろうジャケットのアルバムを出していますね。この『Blood Moon』とか『No Damage』とか。さらに、この曲はテーマがこの作品と通じる向きもあるように思います。

 

さ〜て、次回、2021年3月30日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『まともじゃないのは君も一緒』です。折しも今週発表しているマサデミー賞では、成田凌がマサデミー賞2021で助演男優賞を獲得したところ。タイムリーだし、今回も驚異の演技となるか、見届けてまいります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ラーヤと龍の王国』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月16日放送分
『ラーヤと龍の王国』短評のDJ'sカット版です。

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舞台は、聖なる龍たちに守られ、多様な人々が平和に暮らす、クマンドラという世界。ある時、ドルーンという心を持たない闇の魔物が出現。ドルーンは触れたものを石に変える力があり、世界は混沌とします。龍たちは持てる力を結集して、最後の龍シスーに委ね、自分たちが犠牲になることでクマンドラを守ったものの、シスーはそのまま行方知れずに。それから500年。龍のいないクマンドラで人々は互いに信じる心を失い、5つの国に分裂して対立しています。ハートの国で代々龍の石を守ってきた一族の少女ラーヤは、荒廃したクマンドラをもう一度平和な世界にしようと、最後の龍シスーを甦らせる旅へと出発します。
 
ご覧になっていない方にとっては、なんのこっちゃって感じだと思いますので、珍しくひとことで言い直すと…
 
信じ合うことを忘れ、分断された世界を再びひとつにするため、少女ラーヤが龍のシスーや仲間と力を合わせて奮闘する冒険ファンタジーです。

ベイマックス (字幕版) ブラインドスポッティング(字幕版)

 監督は『ベイマックス』のドン・ホールと、実写映画『ブラインドスポッティング』の監督でまだ32歳のメキシコ出身カルロス・ロペス・エストラーダの2人。エストラーダさんは原案も務めています。脚本はベトナム系のクイ・グエンと『クレイジー・リッチ』のマレーシア系アデル・リム。僕は吹き替えで観ましたが、オリジナル・キャストもアジア系の比率が非常に高いです。

 
アナと雪の女王2』以来のディズニーの長編アニメーションである今作は、劇場公開と同時にディズニープラスのプレミア・アクセスでも配信しています。僕は先週金曜日、その配信で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

映画を観ながら、これはディズニーの新作だと自分に言い聞かせる必要があるくらい、いくつもの新しい要素がこの作品にはひしめいているので、そのあたりを中心に話していきます。
 
まずは音楽よりも冒険と戦闘をメインにしていること。ディズニーと言えば、歌だし、なんならミュージカルだっていう常識は当てはまりません。歌詞と物語を連動させ、歌いながら映画を進めていく構成は今回まったくなく、その代わりにラーヤが世界を順に巡っていく旅、冒険がワクワクの柱となっています。そして、踊りよりも、宙を舞い、肉体の鍛錬と技の修練が織りなす武闘が見どころなんですね。特に武器も使いません。ディズニーによくある魔法など特殊能力も、プリンセスにあたるラーヤにはそもそも備わっておらず、今回そういう人智を超えた能力は、旅の相棒となる龍のシスーや闇のドルーンなど魔物たちにのみ授けられている。結果として、ラーヤたちは極めて人間的なキャラクター造形になっています。それに、龍の石を代々守ってきた家系の娘ではあるものの、そして龍の王国という邦題が付いているものの、王様の娘ってわけでもなさそうなんですよね。そこはぼやかしてあって、どうやら厳密な身分制度があるってわけでもない共和制っぽいのも、おとぎの世界とはいえ、好感が持てるというか、今っぽいです。恋愛要素もありません。そもそも、それっぽいお相手も出てきません。キラキラのドレスもありません。

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だけど、ワンダー、心躍る要素はたくさんある。その最たるものは仲間でしょう。この作品はあらすじをまとめるのが一苦労ってほどに、結構設定も舞台も込み入っているし複雑なんですが、おそらく小学生以上なら難なく理解できるでしょう。それはロールプレイング・ゲームのような物語の運びに理由があります。まず前提となる龍の昔話があって、クマンドラの人々は互いに信じられなくなり、分裂してしまった。そこで地図が大写しになります。わかりやすい。500年後、ラーヤはそれぞれの国に散らばった龍の石の欠片を集めに行く。いっぺんには無理だから、順を追って探していく。そこでだんだん仲間が増えていく。事実、最初は行方知れずの龍の生き残りシスーと出会うんですが、このシスーがまたいいんですよ。ドラゴンボールのシェンロンみたいなのが出てくるのかと思いきや、ちょっとどんくさくて、愛嬌があって、純真なんですよね。そこから各地域の個性的なキャラクターとの出会いにドラマの起伏を見出していく。エリアの地形や人々の暮らしぶりもバリエーションが豊かなので観光映画的な側面があって、展開がとても明快。人間たちの造形は、そりゃキャッチーに造形してありますが、3DCGの描写力、特に難しいとされる水なんかは、これって実写ではないですよねっていうレベルで目を見張ります。これもすごい。

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テーマとしては、わかりやすく分断を乗り越えてどう融和できるか、ですね。僕があえてここで四の五の言うまでもなく、極めて現代的で現在進行形の問題です。僕はさっき冒険と戦闘って言ったけれど、ラーヤが誰かを心底憎んで、つまり敵として誰かを倒そうとすることって、実はないんですよね。これも大きなポイント。理解してもらうために、必要最小限の武力行使はやむを得ないという感じなんです。ところが、龍のシスーは、理解してもらえないって、それ思い込みじゃないって言い出すわけですよ。それによって大変な目にも遭うんだけれど、それでも信じることはやめない。ラーヤもその信じる行為を取り戻せるのか。そのプロセスと試行錯誤が一貫して描かれています。きれいごとに聞こえるだろうし、現実の世の中がもっと複雑なのは当然ですが、人を信じるまでの葛藤はきっちり映画に刻印されていて見ごたえがあります。

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と同時に、実は僕が今回一番感心したのは、実は何かに秀でた存在だけに世の中を変える力があるわけではないということ。それは終盤に明らかになることなんだけど、凡庸とされかねない人や生き物にだって大切な役割があることを諭してくれる物語運びは、実に爽やかで真っ当だと思いました。

 
ドルーンの設定など、脚本でいくつかご都合主義的な面も見受けられたものの、21世紀的な価値観のディズニーの新たなモデルケースとして申し分のない1本の誕生です。
 
本編に歌はないものの、主題歌は当然あって、物語を端的に要約する内容でした。歌っているジェネイ・アイコは、今回のグラミー賞で3部門にノミネートしていた新鋭。日本の血も入っているということで、やはりアジアを意識しているし、こうした才ある若手をきっちりフックアップする人選はさすがです。

このダンゴムシトゥクトゥクちゃん。まさかクルクル転がってあちこち連れてってくれるなんて。またかわいいキャラが出てきたよ。僕も乗りたいぞ!

さ〜て、次回、2021年3月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ビバリウム』です。仲睦まじいカップルが不動産屋から紹介された夢のマイホーム。ところが、その住宅街から出られなくなる… ちょっと、怖いんですけど。スティーヴン・キングも驚いたスリラーって… ひえぇぇぇ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!