映画オリジナルの物語である今作で監督・脚本を務めたのは、自らも長年ボクシングをしている吉田恵輔。『ばしゃ馬さんとビッグマウス』や『ヒメアノ~ル』など、僕も高く評価していた方です。瓜田を松山ケンイチ、小川を東出昌大、千佳を木村文乃が演じた他、軽い気持ちでジムに新しく入会してきた楢崎には、柄本時生が扮しています。
『バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら』短評
『ノマドランド』短評
日本では26日月曜日に発表されるアカデミー賞では作品賞最有力と言われています。既に、ヴェネツィア国際映画祭とトロント国際映画祭、さらにゴールデン・グローブ賞で作品賞を獲得しているが故に、アカデミー賞作品賞の最有力と言われています。
残念なお知らせですが、簡単に言えば、そう甘くないということです。だって、まず仕事を失っていますからね。というより、住んでいた街があっさり無くなっていますから。そりゃ、厳しい状況です。のほのんとキレイな景色でも見て回ろうか、じゃないですから。それに、ノマドライフを始めるにいたった原因も、彼女が自分で生み出したものではありません。遠いウォール街の狂乱が彼女の人生を変えてしまったわけです。彼女の暮らしに選択に何か落ち度があったんだ、自己責任だと誰が言えるでしょうか。世界の長者番付1位は今年もAmazonの創始者であるジェフ・ペゾス氏でしたが、その配送の現場ではファーンのような労働者たちが上層部とは比較にならない賃金で単純作業に従事している様子もわかります。
ファーンは確かに落胆します。でも、しばらくすると顔を上げて、悟ったように身の回りの今となっては必要でないものを処分して、路上へ出るわけです。身の回りにあるのは、ぐるり自分の愛着のあるものだけ。決して、悲壮感が支配するような状況ではないんです。しばらくすると、多かれ少なかれ自分と似たような境遇の人にたくさん出会います。確かに、60を過ぎて、ひとりもので、定職がなく、不動産などの蓄えの乏しい状況で生きていくのは、なかなか大変です。ファーンも車が故障してその修理に困っていました。事故に遭うかもしれないし、次の仕事は前よりも条件が良くないかもしれない。でも、この世の中で、明日どうなるかわからないのは、誰しもそうではないでしょうか。僕は決して経済的に困窮していることを、それはそれで仕方ないとか、構わないなんて言うつもりはありません。社会的格差は是正されるべきだと思います。ただ、健康で文化的な最低限度の生活が保証されるという条件付きで、誰もが経済的豊かさをハングリーに求める必要もないはずです。
仕事が必要だとは言うけれど、体を動かして、何かの役に立つことに喜びを感じているという意味でしょう。儲けたいというよりも、エッセンシャルな生活を維持するためでしょう。ファーンは決して世捨て人ではありません。孤独を良しとはするけれど、人懐っこいところもあって、職場や駐車場で会ったノマドたちとも一定の人間関係を築くんです。ちょっとしたロマンスまであります。誰かに助言をしたり、助言を受けたり、余命いくばくもないノマドの人生観に深くタッチすることもあります。何より彼女には学があり、尊厳がある。周囲にはアメリカの豊かな自然がある。ファーンのHOBOライフを不幸だと規定するのには賛同できません。現に、この映画は決して小難しいものではなく、むしろ圧倒的な映像美と印象に残る生きた言葉、さらにはドライなタッチの小気味良い編集によって、エンターテイメントとして十二分に成立しているんです。
これはクロエ・ジャオ監督の演出術の賜物ですが、彼女は非職業俳優たち、しかも、実際にその境遇に置かれている現実の人々をそのままドキュメンタリーのようにカメラで捉えます。マクドーマンドが渓流に素っ裸で浮かんでリラックスしているショットがありますが、プロの俳優である彼女はまさにあの調子でノマドたちの中に身を置くんです。だからこそ、人々の言葉には力がある。
『トムとジェリー』短評
ケイラを演じるのは、クロエ・グレース・モレッツ。他にも、ホテルのイベント関係を取り仕切るテレンスには、イーストウッドの『運び屋』に出ていたマイケル・ペーニャ。シェフのジャッキーには、『ハングオーバー!!』シリーズのケン・チョンがそれぞれ扮しています。
で、今回はアニメと実写の融合でバリエーションを出そうってわけか。と思いたいところですが、実はこの手法とトムジェリの出会いは1945年に端を発するものだと、やはりパンフで映画ライターの神武団四郎氏が書いています。なんとジーン・ケリーと一緒に、ジェリーが踊っている『錨を上げて』という作品があったんです。以来、トムとジェリーも実写に何度も進出していたし、『メリー・ポピンズ』や『ロジャー・ラビット』、さらには『ピンク・パンサー』といった人気・質ともに高い作品がありました。では、このタイミングでの『トムとジェリー』に勝算はあるのか。ずいぶん久しぶりの劇場長編だし、これまでとの差別化を魅力的に出せるのか。そりゃ、僕も少々訝しんでいましたが、いやはや、なんのその、でしたね。
僕に言わせれば、ちょうどいいミックスセンスを発揮して成功したのがティム・ストーリー監督です。ちょうどいいというのは、トムとジェリーにあってほしい適度なレトロ、ノスタルジックな雰囲気は出しつつも、今のNYを舞台にしたこと。それでも、スマホだなんだ興ざめするようなアイテムはあまり出さず、ドローンみたいなドタバタがさらに面白くなるものは喜んで小道具に出すっていうバランス感覚がちょうどいい。キャスティングにおける人種のバランスも今っぽいんですが、新婦がインド系であることを活かした、まさかの象の登場といったハイライトも用意する変化。さらに、これは褒める点として挙げますが、クロエ・グレース・モレッツも含め、ファッションがみんなたいしてイケていない。要は、最新のトレンドって感じじゃなくて、制服なんかも古き良きアメリカンな感じと言えば良いのかな。それもトムとジェリーにはちょうどいいなと。
決定的なのは音楽。トムをミュージシャン志望にしたのも面白いんですが、ヒップホップ満載のサントラ。トムとジェリーという古典、言わばブレイクビーツを映画的にセンスよく今打ち出すならこんな感じと、全体をリズミカルかつグルーヴィーにまとめようというティム・ストーリー監督の意志が伝わります。最後に、クロエ・グレース・モレッツたち俳優と完全アニメの動物たちのアンサンブル。モレッツも繊細な演技というよりは、古式ゆかしくすらあるはっきりとしたコミカルな表情や仕草に専念していて、ちょうどいい。そして、アニメのリアルを追求していない感じもちょうどいい。
『まともじゃないのは君も一緒』短評
さ〜て、次回、2021年4月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『トムとジェリー』です。2021年にトムとジェリーの新作を観られることになるとは! そこにクロエ・グレース・モレッツちゃんも共演するとは! 実写との融合の具合はどうなんだろう? あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『ビバリウム』短評
監督は、アイルランド出身の41歳、ロルカン・フィネガン。ロンドンで人気SFドラマシリーズ『ブラック・ミラー』の制作関連会社で実践を積みながら、長編の監督に成長して、これが2本目。カンヌ国際映画祭では、批評家週間で有望な新人を奨励するギャン・ファンデーション賞を獲得しました。トムには『ソーシャル・ネットワーク』や『グランド・イリュージョン』のジェシー・アイゼンバーグ、ジェマには『グリーンルーム』のイモージェン・プーツが扮しています。
僕としては、久々にこの手の不条理もの、SFスリラーを観たなと、鑑賞後にもぞくぞくきました。哲学的でいて、風刺が効いていて、不気味で、謎めいている。わかりやすいのに、解釈は多様。まったくスカッとしない。でも、この感じ、キライじゃないぜ。
『ラーヤと龍の王国』短評
監督は『ベイマックス』のドン・ホールと、実写映画『ブラインドスポッティング』の監督でまだ32歳のメキシコ出身カルロス・ロペス・エストラーダの2人。エストラーダさんは原案も務めています。脚本はベトナム系のクイ・グエンと『クレイジー・リッチ』のマレーシア系アデル・リム。僕は吹き替えで観ましたが、オリジナル・キャストもアジア系の比率が非常に高いです。
だけど、ワンダー、心躍る要素はたくさんある。その最たるものは仲間でしょう。この作品はあらすじをまとめるのが一苦労ってほどに、結構設定も舞台も込み入っているし複雑なんですが、おそらく小学生以上なら難なく理解できるでしょう。それはロールプレイング・ゲームのような物語の運びに理由があります。まず前提となる龍の昔話があって、クマンドラの人々は互いに信じられなくなり、分裂してしまった。そこで地図が大写しになります。わかりやすい。500年後、ラーヤはそれぞれの国に散らばった龍の石の欠片を集めに行く。いっぺんには無理だから、順を追って探していく。そこでだんだん仲間が増えていく。事実、最初は行方知れずの龍の生き残りシスーと出会うんですが、このシスーがまたいいんですよ。ドラゴンボールのシェンロンみたいなのが出てくるのかと思いきや、ちょっとどんくさくて、愛嬌があって、純真なんですよね。そこから各地域の個性的なキャラクターとの出会いにドラマの起伏を見出していく。エリアの地形や人々の暮らしぶりもバリエーションが豊かなので観光映画的な側面があって、展開がとても明快。人間たちの造形は、そりゃキャッチーに造形してありますが、3DCGの描写力、特に難しいとされる水なんかは、これって実写ではないですよねっていうレベルで目を見張ります。これもすごい。
テーマとしては、わかりやすく分断を乗り越えてどう融和できるか、ですね。僕があえてここで四の五の言うまでもなく、極めて現代的で現在進行形の問題です。僕はさっき冒険と戦闘って言ったけれど、ラーヤが誰かを心底憎んで、つまり敵として誰かを倒そうとすることって、実はないんですよね。これも大きなポイント。理解してもらうために、必要最小限の武力行使はやむを得ないという感じなんです。ところが、龍のシスーは、理解してもらえないって、それ思い込みじゃないって言い出すわけですよ。それによって大変な目にも遭うんだけれど、それでも信じることはやめない。ラーヤもその信じる行為を取り戻せるのか。そのプロセスと試行錯誤が一貫して描かれています。きれいごとに聞こえるだろうし、現実の世の中がもっと複雑なのは当然ですが、人を信じるまでの葛藤はきっちり映画に刻印されていて見ごたえがあります。
と同時に、実は僕が今回一番感心したのは、実は何かに秀でた存在だけに世の中を変える力があるわけではないということ。それは終盤に明らかになることなんだけど、凡庸とされかねない人や生き物にだって大切な役割があることを諭してくれる物語運びは、実に爽やかで真っ当だと思いました。