京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『唐人街探偵 東京MISSION』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月20日放送分
『唐人街探偵 東京MISSION』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210719174105j:plain

バンコク、ニューヨークと、これまで難事件を解決してきた中国の探偵コンビ、タン・レンとチン・フォン。ふたりは日本の探偵野田昊(ひろし)から協力を依頼されて東京へ。同じ頃、タイの元刑事でやはり探偵のジャック・ジャーも同じ事件を解決するため、日本へ飛んでいました。その事件とは、東南アジアのマフィアの会長が密室で殺害されたもの。容疑者として起訴されたのは、ヤクザの組長、渡辺。今回のミッションは、渡辺の冤罪を証明することなのですが、果たして…。

f:id:djmasao:20210719174535j:plain

©WANDA MEDIA CO.,LTD. AS ONE PICTURES(BEIJING)CO.,LTD.CHINA FILM CO.,LTD “DETECTIVE CHINATOWN3”

中国のスター俳優が共演し、世界中のチャイナタウンで事件を解決するミステリーコメディ・シリーズ3作目。前の2作は日本未公開だったのですが、2作目のニューヨーク編も年内に公開されることになったようですね。監督・脚本は、78年生まれで、俳優から監督へとキャリアを移して大ブレイクのチェン・スーチェン。中国の探偵コンビを、ワン・バオチャンとリウ・ハオランがシリーズを通して演じている他、今回は日本のキャストが豪華です。前作から登場している探偵の野田に扮する妻夫木聡の他、浅野忠信長澤まさみ三浦友和染谷将太鈴木保奈美なども大事な役どころで出演しています。
 
僕は先週水曜日の午後、TOHOシネマズ二条で字幕版を鑑賞してきました。日本語吹き替え版も考えたんですが、中国語と日本語が入り乱れる感じが楽しいだろうと字幕を選んで大正解。ちゃんと言語の壁を越えるような仕掛けもあるので(ご都合主義的だけれど、そこはご愛嬌)、どうせなら字幕を強くオススメします。そして、劇場はわりと入っていましたね。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

今年のマサデミー賞では、中国新世代の才能の塊、『ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ』のビー・ガンさんに監督賞を授けました。僕の貧弱な映画体験だと、日本で観られる中国の映画というのは、そういったアート系や歴史超大作が多いなという印象でしたが、ここ10年ぐらいはハリウッドにもばりばり資本を投下しているわけで、大衆娯楽エンタメとしての作品だってそりゃ出てきてるわけだよなと、遅まきながらこのシリーズで知ることになりました。先週当たった時には、前の2本は観てない、まずいなって言っていましたが、それもそのはずで、現時点で、日本を舞台にしたこの3作目が本邦初公開です。
 
とはいえ、その辺は親切設計になっていまして、「東京MISSION」から入る観客を想定して、冒頭にこれまでのダイジェストがテンションアゲアゲでしっかり挿入されます。007方式と言いますか、そもそもが1本ごとに完結する物語だし、新キャラも多いので、置いてけぼりを食らうような心配はしなくて大丈夫です。公式サイトでも、「全ジャンルメガ盛り」という言葉がギラギラ踊っているその看板通り、観光映画、コメディー、ミステリー、アクション、ヒューマンドラマと、それこそ大衆娯楽映画の人気ジャンルがすべて入っています。しかも、つまみ食いどころか、ひとつひとつ本格的で尺も割いているので、満漢全席状態。お腹いっぱい夢いっぱい。シリーズの人気がうなぎのぼりで、今作が754億円の興行収入を生み出したってのもうなずけます。パンフで評論家のくれい響さんが書いていたことですが、中国では検閲の問題が今もなおしっかりあるので、違法とされる私立探偵を主人公にするというのは難しいそうです。じゃぁ、海外で事件を解立決すりゃいいじゃんってことで裏をかいたのが本シリーズ。背が低くお調子者でお笑い担当の便利屋タンと、その甥っ子で天才肌の推理オタクのイケメンであるチン。この凸凹バディが海外を飛び回るんだから、そりゃ面白いですよ。

f:id:djmasao:20210719175025j:plain

©WANDA MEDIA CO.,LTD. AS ONE PICTURES(BEIJING)CO.,LTD.CHINA FILM CO.,LTD “DETECTIVE CHINATOWN3”

今回であれば、我らが日本で象徴的なところで言うと、東京都内で6ヶ所、関西は兵庫県を含む16ヶ所で大規模なロケが敢行されています。これは後に、聖地化することを考えれば、ポスト・コロナの観光資産になるはずです。さらに、現地ロケが難しい場所として、渋谷のスクランブル交差点があって、2000人のエキストラを動員したシーンが展開されるんですが、あれはまるまるオープンセットを栃木県に作ったそうです。日本ならこのセットの建築費用で映画一本撮れるという資金力。唸る他ありません。

f:id:djmasao:20210719175058j:plain

©WANDA MEDIA CO.,LTD. AS ONE PICTURES(BEIJING)CO.,LTD.CHINA FILM CO.,LTD “DETECTIVE CHINATOWN3”

全体を通して、笑いの取り方がクドいとか、大げさなんだよとか、ツッコミを入れたくなることが何度もありました。ただね、たとえば、秋葉原で突如おっぱじまるアニメコスプレ大会に象徴されているんですが、やるからにはとことんやるって感じで、あの場面には『金田一少年の事件簿』の原作者、天樹征丸(あまぎせいまる)さんがチラッと出演していたりとか、事件解決のくだりでは、日中の歴史の闇の部分にしっかりストーリーの背景を透かせてみせたりしているんですよ。各方面へのリスペクトも感じるから、憎めない、どころか、わかってんなぁっていうキャスティングも含め、ばっちり面白い。『Sherlock』だよねっていうスタイリッシュな編集術とコテコテのギャグが同居するんですから。僕はかなり好意的に観ています。
 
順番は逆になりますが、年内には2作目が日本でも公開されるし、4作目はロンドンが舞台とされているということで、いずれも期待大です。「配信でもいいので、1本目も観せてほしい!」ってどこに言えばいいのかわからないので、ラジオで言っておきました。
結構、大事な、キメの場面で、角川映画のわりと有名な曲を持ってくるというのにびっくりしましたが、悪くはない! 色々書きましたが、語り甲斐のある作品で、僕はとにかく内容も製作の枠組みも、興味深くてしょうがなかったです。


さ〜て、次回、2021年7月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『竜とそばかすの姫』となりました。カンヌ国際映画祭の栄えあるオープニングに選ばれた細田守監督最新作にして、僕もデビュー前から交流のあるシンガーソングライター中村佳穂さんが歌のみならず声優としても大車輪の活躍って、そりゃ期待大です。当たって良かった! 大画面で観るのが楽しみでなりません。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月13日放送分

f:id:djmasao:20210712163932j:plain

前作から3年後、湖水地方に住む動物思いの優しい女性ビアは、隣に引っ越してきたピーターラビットたちの宿敵マグレガーさんの孫トーマスと結婚式を挙げます。動物たちと畑の作物の取り分にルールを設けたトーマスは、ピーターたちの擬似的な父親として振る舞うものの、まだまだギクシャクしていました。そんな中、ピーターはビアの絵本の打ち合わせで一緒に訪れた街で、お父さんの友達だったといううさぎ、バーナバスに巡り会うのですが、そこで悪事に手を染めるようになっていきます。

ピーターラビット™  (吹替版) 【対訳】ピーターラビット ① ピーターラビットのおはなし -THE TALE OF PETER RABBIT-

 監督・脚本・プロデュースは、前作同様、ウィル・グラック。キャストも続投していまして、ビアをローズ・バーン、トーマスをドーナル・グリーソンが演じている他、ピーターの声をジェームズ・コーデン、日本語吹き替え版では千葉雄大が担当しています。

 
僕は今回も諸事情ありまして、日本語吹替版をマスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

改めて、1を観た僕がどんなことを言っていたのか。これは、ピーターとマグレガー、一匹のオスウサギとひとりの男による、土地と女の奪い合いの抗争だと分析。構図としては、かなり古典的な、ヤクザ映画のそれに近いって言っていました。およそ子ども向け作品の評に出てくる言葉ではないですが、いたずらなんて生易しいワードでは片付けられないレベルの度を越した仕掛けに笑いながら背筋が凍ることもある、限りなくブラックに近いユーモアが、あの湖水地方、もぐらの穴か野うさぎの巣穴かって調子でそこかしこに張り巡らされていました。
 
実際、原作絵本からはかなり遠いところへと僕らを連れて行く作品でして、原作ファンはかなり戸惑ったわけですが、むしろその部分にこそ面白みがあると、評論家たちからも認められていました。なので、今作でも、そのテイストは踏襲します。続編ですから。ただ、土地と女を巡る戦いは、一応休戦・停戦状態にあるんです。では、今回のテーマは何かと言えば、それは家族、しかも血縁関係にない疑似家族の絆は成立するのか、でしょう。前作では、いがみあうピーターとトーマスは、両者共に、自分とは違う相手のこと、自分の眼とは違う眼で見たら世界がどう見えるのかについて思いを馳せるにいたりました。まだ火種はくすぶっているのだけれど、理性とエンパシー、考えの違う人のことを慮る能力を発揮して踏みとどまっている状態。そのバランスが崩れると、ドラマが前進する。そういう仕組です。

f:id:djmasao:20210712164701j:plain

(C)Columbia Pictures

ドラマを進める、バランス崩しの要因は、ふたつ。第一は、もちろん邦題にあるバーナバスです。哀川翔が声を当てているわけですから、大人は察しがつく、いや、それ以上の悪知恵と組織力を駆使してきます。タイトル通り、ピーターを引きずり込むわけですね。第二は、ビアの絵本シリーズの今後の展開をめぐる商魂たくましい出版社とのやりとりです。僕はむしろ、こちらを面白くみました。こうすれば、より売れますよ〜、読者の心をつかみますよ〜、エンディングはこうするといいですよ〜、ほんわかだけではなく、もっとうさぎたちに冒険させましょうよ〜と、こういう具合。ビア=作者のオリジナリティーが、たぶらかされてしまうのが我慢ならない。今作では、マグレガーが変わりゆくビアとピーター、そのどちらの目を覚ますべく、言わば二兎を追うような構図で奮闘するんだけど、基本ドジなんでまた笑いが巻き起こる。
 
ピーターやバーナバスたち動物は、スパイものやチーム強奪もののパロディーとして機能しているってのは、たとえば似た映画化の『パディントン』と似ているんですが、僕がそう来たかと感心したのは、出版社によるシリーズ改変の企みのほうです。街なかにピーターたちの看板が出ていて人気ものになってるのをピーターたちが目撃するとか、シリーズがとんでもない展開を見せていくって、この映画化2本にだってその傾向があるわけで、テーマ設定がメタ的、入れ子的なんですよね。その面白さもある。

f:id:djmasao:20210712164742j:plain

(C)Columbia Pictures

あとはダメ押し的によくできている台詞回し。どのシーンにも必ずクスリと来るセリフやギャグがあって、字幕翻訳家として言わせてもらうなら、吹替版の出来栄えはお見事、かなり巧みに英語からの置き換えができていて、僕は嫉妬しましたよ。
 
前作同様、大感動するものではないけれど、サクッと観られるちょうどいい娯楽作として、間違いないです。蛇足と言われかねない続編に堕することなく、オリジナルタイトル通り、その危険からThe Runaway、脱兎のごとく逃げ出していました。よくやった!
この曲は、大事なところで2度出てきます。SupergrassのAlrightしかり、今回もポップソングをうまく取り入れていて、サントラもいい感じでした。

さ〜て、次回、2021年7月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『唐人街探偵 東京MISSION』となりました。中国の人気シリーズ、3作目にして日本上陸。キャストも妻夫木聡長澤まさみが加わって、さぁどうなるってことなんですが、不勉強ながら、1も2も観ていないのです… 大丈夫かしら。必死のパッチの詰め込み学習で評に臨みます! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『5月の花嫁学校』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月6日放送分
『5月の花嫁学校』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210706094910j:plain

1967年のフランス、アルザス地方。小さな村にある家政学校に18名の少女が入学します。校長のポーレットは、夫のロベールと二人三脚で学校の運営に精を出してきました。スタッフは他に、修道女とポーレットの義理の妹ジルベルト。社会変革を求める五月革命を翌年に控え、いわゆる花嫁修業を担う学校は時代遅れではないのか。生徒たちにもそんな雰囲気が漂う中、経営者の夫ロベールが急死したもんだから、さぁ大変。

f:id:djmasao:20210706101827j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA

監督と共同脚本は、マルタン・プロボ。これまで先進的な女性を映画にして、大女優たちの信頼も勝ち取ってきた人で、今回は60年代後半小学生だった彼が当時を思い出しながら物語を固めていったようです。
 
校長のポーレットをジュリエット・ビノシュ。修道女をノエミ・ルヴォウスキー、料理の先生ジルベルトを、ヨランド・モローと、フランシュを代表する女優陣が夢の共演です。フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞では、衣装デザイン賞を獲得しました。
 
僕は今回は諸事情ありまして、マスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は1978年生まれですが、この世代でも「花嫁修業」だの「花嫁学校」って言葉は、もう死にかけていたものだったと思います。小学校の頃、幼心に疑問だったのは、地元のJRの駅の近く、歓楽街にかつて存在した「花嫁学校」というキャバクラ、なのかな、ともかく夜のお店があって、バスの車窓からでかい看板を見る度に、不思議な学校だなと思ったものです。
 
で、花嫁学校って何? まずはそこから始めましょう。もともとは暮らしに余裕のある貴族などの、要は両家の娘が、社会に出るためというよりも、社交界にデビューするために必要なあれこれを実践していく場として、多くの場合、個人授業に近い形で教育が行われていたようです。それがヨーロッパでは19世紀頃までの話。やがて、近代国家が成立して、家族という単位をベースにした社会が形成される、教育制度もぼちぼち進んでくると、性別や年齢による家庭内の役割分担が制度化されていきますね。それが良妻賢母という概念を育んでいきます。女性は家の中で大黒柱の夫を支え、子どもを生み育てるべしという考え方ですね。フランスでは農家や小さな自営業者の娘なんかが、中学校を出て、2年ほど、全寮制の環境のもとで、プチブルジョワ家庭における主婦の「いろは」を叩き込まれていた。お国のためという側面もあったし、子だくさん家庭の娘が、恋愛というよりも親の都合で、自分たちよりも経済的に恵まれた家の男と結婚させられるまでの準備という側面もありました。それが、68年のパリを中心とした五月革命前後に価値観がガラッと変化してい、その変化そのものをテーマにした作品です。

f:id:djmasao:20210706101546j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA
監督のマルタン・プロボは、実家の台所の引き出しに、「若い夫婦のためのガイド」という本が入っていたことを覚えているといいます。本作でも、良妻賢母の鉄則みたいなのが出てきます。夫に付き従い、不平不満は口にせずに家事は完璧。倹約に励んで、家族の健康にも気を配る。のみならず、すごいのが、2日連続同じ服は着ずにオシャレに気を遣う。酒は飲まず、夜のお勤めも進んでこなす… お〜こわ!
 
設定の妙としては、ビノシュ演じる校長のポーレット自身が、どうやら戦時中から辛い目に散々あって、玉の輿に乗る格好で、この学校の秘書から校長になった経緯があること。世が世なら自立した才覚のある女性であったかもしれないという自覚を、彼女は無意識下で押し殺していただろうし、時代の流れとして、学生が減ってきていた、つまりは学校の未来に展望が見いだせない状況もあったところに、夫の急死。しかも、多額の借金あり。ポーレット自身の人生、そして学校の直近の未来について、大転換を迫られた格好です。そんな変化の中ですから、そりゃドタバタしますよ。生徒たち、ポーレットたちスタッフのそれぞれの変化への対応と対応しきれない様子ってのを、群像劇的に見せていくんですが、各シーンの接続が今ひとつで有機的につながっていないので、ドタバタコメディーというよりは、映画の作りが全体としてはドタバタしています。だから、抱腹絶倒というのを期待すると、物足りないでしょうね。ただ、エピソードのひとつひとつが興味深いので、退屈ではまったくないです。

f:id:djmasao:20210706101650j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA

と思っていたら、最後、映画を観た誰しもが指摘する、あのラスト10分ほどの意表を突くシーンへと突入するわけですよ。これだ、これがやりたかったんだなっていう解放感。歌とファッションと躍動する身体。さらに、美しい自然を凝縮させた一連の映像は、楽しさであっけにとられます。映画のジャンルからも解放されているようで、楽しいんですよ。ボーヴォワールやらヴァージニア・ウルフやら、唐突に連呼される女性の生き方を変革してきた偉人たちの名前を耳にしながら、この後、彼女たちは人生を謳歌する決定的な一歩を前に大きく踏み出すんだろうなと表現できていたように感じるんです。吹き始めていた追い風を、ある時、着実にキャッチしてググっと進んだ瞬間という感じ。そう考えると、全体的なぎくしゃくしたムードも意外に味わいになっています。良妻賢母より、女性がやりたいことをしてイキイキとする予感が、最後にグッと来る。終わってみれば、爽やかな気持ちになる1本でした。
劇中で女の子たちがこの歌をラジオで聞きながら、タバコを吸って踊っていました。Joe Dassinの『野ばらのひと』Siffler Sur la collineをオンエアしましたよ。

さ〜て、次回、2021年7月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』となりました。僕は1が公開されたタイミングで吹替版でピーターラビットを演じている千葉雄大さんにお話をうかがう機会に恵まれたこともあって、改めて原書に触れつつ、しっかり鑑賞しました。もう大好きですね、まさかの実写化における良い意味での拡大解釈と、度を越した悪戯の数々。今回はいかばかりか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『いのちの停車場』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月29日放送分
『いのちの停車場』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210628214610j:plain

救急医療の最前線で働く医師、白石咲和子。彼女は病院でのトラブルをきっかけに故郷の金沢へ戻り、在宅医療を行う小さな診療所に務めるようになります。怪我で車椅子生活の院長仙川徹、看護師の星野麻世、咲和子を慕い、大病院の事務職を捨てて金沢へ追いかけてきた青年の野呂聖二。4人はチームとなって、金沢で生活を営む様々な患者たちの人生、命のあり方に向き合っていきます。
 
原作は、現役の医師でもある作家、南杏子の同名小説。山田洋次作品で数多く脚本を執筆してきた平松恵美子。監督は、『八日目の蝉』や『ソロモンの偽証』の成島出です。

いのちの停車場 (幻冬舎文庫)

主演は吉永小百合で、白石咲和子を演じます。仙川院長を西田敏行、野呂青年を松坂桃李(まつざか)、看護師の星野麻世(まよ)を広瀬すずが担当した他、南野陽子柳葉敏郎小池栄子田中泯泉谷しげるみなみらんぼうなどが、それぞれ印象的な役柄で出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。僕の行った回は、僕が最年少くらいだったかな。男女問わず、サユリストだろう方々が詰めかけたっていうのはあるでしょう。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

吉永小百合という稀代のスター俳優は、思い浮かべる出演作によって、世代によって、多少はイメージが変わるかも知れませんが、やさしく品のある柔らかい物腰でいて、どこかに少女のような初々しさも漂わせながら、それでも言うべきことは物怖じせずに言う、というところから概ねズレないだろう思います。そして、今回彼女が演じた咲和子という役柄も、そのパブリック・イメージに重なっていました。
 
大きな病院で毎日てんやわんやの救急医療の現場にいても、的確に指示を出し、患者にはやさしく声をかけ、戸惑うことはあっても、責任者として、そこで起きたことには腹をくくる。まさに吉永小百合的な医師の咲和子が、彼女にとっては懐かしの金沢へ、だけれど勤務環境としては大きな組織とは対極の「吹けば飛ぶような」診療所という新しい環境へ身を置くという一大決心をするわけですが、そこで仙川院長と出会うまでの物語のセットアップが的確で迅速でした。無駄がない。少ないシーンと短いセリフで、咲和子の置かれた状況と、そんな彼女の誠実さと潔さに惚れ込んで金沢へ移り住んでくる前のめりな熱血漢、野呂青年のことがよくわかるんです。少し類型的と言えなくもないけれど、説明臭くはないし、すいすい映画的に進むこうした手際の良さは、脚本の平松恵美子、そして成島出監督の手腕にほれぼれします。野呂青年についても、観客にはまだまだ未知の存在ながら、高級車に乗って仕事を放り出す経済的余裕はあるらしいが、自分の将来像はまだ描ききれていない20代というような、この時点での必要にして十分な情報が過不足なく提示されます。同様のことが、看護師の麻世や院長の仙川にも言えます。まだ互いにわからない探り探りのところもあるけれど、互いに支え合いながら地域の患者を一緒に診ていこうという4人の関係の中に、僕たち観客もスッと入っていけるんです。

f:id:djmasao:20210628214711p:plain

©2021「いのちの停車場」製作委員会

年齢も性別も境遇も様々なキャラクターたちそれぞれが、自分のいのちと自分たちなりに向き合っていくわけですが、この作品でスポットがあたるのは、人と人のつながりです。診療所の4人は疑似家族的な様相を呈していくし、患者たちひとりひとりも、家族や属しているコミュニティーの誰かとのつながりの中で、命のありようと、ピリオドの打ち方に思いを巡らせていきます。そのひとつひとつのエピソードが示唆に富んでいるし、僕たち観客も自分や誰か身近な人のことを自然と考えるはずです。正直、なかなかタフですよ。でも、しんどくなるギリギリ手前のところで踏みとどまりながら、次へ次へ。若い二人のキャストが溌剌としたハリのようなものをもたらしているし、どの挿話も描き切らないのがいいと僕は考えます。それがオムニバスの良さだし、バリエーションを見せることのほうがこの場合は大切ですから。南野陽子にしても、柳葉敏郎にしても、泉谷しげる小池栄子伊勢谷友介も、短い出番でしっかり印象を残していて、その力量に演出陣も助けられていますが、監督も金沢の季節の移ろいを示す短いショットは丁寧に撮影していたし、要所要所でハッとする決めの画面を見せて全体を引き締めていました。特に、院長と咲和子が抱き合う場面は、お見事。そして、これは在宅医療、訪問看護の話なので、殺風景な病院ではなく、それぞれの家の様子がキャラクター造形を補強するわけですが、この仕事もとても丁寧だったことを付け加えておきます。こうした細部が大切だと、成島組はおろそかにしていません。

f:id:djmasao:20210628214756j:plain

©2021「いのちの停車場」製作委員会

自分の命にどうピリオドを打つか。最終的には、どうしたって咲和子と、田中泯演じる父の話になります。そもそも、咲和子は一人暮らしの父のことをおもんぱかって金沢へ戻った部分もあるんでね。医師として、家族の命にどう対応するのか。ここで、倫理的にかなり踏み込んだ問いかけがあります。ちと、色々描きすぎて咲和子の影が薄くなっていて、彼女が在宅医療の経験で感じた医師としての倫理観の変化が描ききれていないのが玉に瑕ではありますが、それはともかく、小説と映画ではピリオドの打ち方がそれこそ違っていて、この映画の流れだと、僕は今の着地、吉永小百合がこだわったという着地で良かったと思います。泣けるだの、感動巨編だのといった、紋切り型の宣伝キャッチフレーズからはかなり距離のある、思いのほかヘビーなところへサスペンスフルに連れていかれます。なかなか鋭い、メスのような切れ味のラストでした。その余韻が、吉永小百合の俳優イメージとも重なるように僕には思えるわけです。

f:id:djmasao:20210629095755j:plain

©2021「いのちの停車場」製作委員会

全体として古風な味わいの日本映画ですが、医療ものやホームドラマのポイントは随所で押さえつつ、安易に命をエンタメとして消費しない気概も感じる作品でしたよ。最後に、僕の評価が多少甘くなっているとするなら、それは広瀬すずの眩しさに目がくらんでのことだとご理解いただいて結構です。
この曲は、映画全体のイメージソングになっています。


さ〜て、次回、2021年7月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『5月の花嫁学校』となりました。ジュリエット・ビノシュが主演のフレンチ・コメディとのことですが、60年代を舞台にしながらも、「花嫁学校」でありながらも、わきまえない、自由な妻のあり様を示してくれるとのこと、楽しみです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『カムバック・トゥ・ハリウッド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月22日放送分
『カムバック・トゥ・ハリウッド』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210621220412j:plain

70年代のハリウッド。映画プロデューサーのマックスは、新作がコケてしまい、資金を出していたギャングのレジーに金を払えず、窮地に陥っています。一発逆転を狙う彼は、往年のスター俳優デューク・モンタナを起用して、今度こそヒット作を作ろうというのではなく、実はデュークを撮影中の事故に見せかけて殺してしまい、その保険金で一儲けしようという魂胆ですが、果たして…。
 
監督と脚本のジョージ・ギャロは、デ・ニーロが主演した88年の『ミッドナイト・ラン』で脚本を担当して映画業界で名を挙げた人ですね。今回、忘れられていた70年代の作品『The Comeback Trail』をリメイクしました。集まったキャストがすごい。プロデューサーのマックスに、ロバート・デ・ニーロ。ギャングのレジーモーガン・フリーマン。デューク・モンタナにトミー・リー・ジョーンズ。どえらいことです。
 
僕は今回は諸事情ありまして、マスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

もうね、このアカデミー俳優の大ベテラン3人が、キャッキャウフフで絡みながら、多彩な顔と動きを見せてくれるだけで、それを100分ほど観られるだけで、僕はもう十分に満足なんです。デ・ニーロの困り顔、味をしめた顔、怒り散らかした顔、どれも最高です。地団駄を踏んだり、小走りしたり。そして、あの男の口車は、天下一品、口車の高級車、ロールス・ロイスですよ。もう、いちいち、ゲラゲラ笑えるんだもの。

f:id:djmasao:20210621220713j:plain

©2020 The Comeback Trail, LLC All rights Reserved
モーガン・フリーマンは一番の高齢80代で、動きは控えめではあるものの、そこは腰ぎんちゃくの若い衆2人とのいいチーム感を出していて、ドスの利いた声でマックスの家に立てこもったり、ボクシングのリングサイドにいたり、しっかり着飾ってレッドカーペットに現れたりと、おいしいところはしっかり持っていっています。
 
そして、最年少、といっても、現在75歳のトミー・リー・ジョーンズは、体を張っていますよ。なにしろ、デ・ニーロとモーガン・フリーマンのパイセン2人が殺してやろうと狙っているわけですから、演技にもますます身が入ったかどうかは知りませんが、デューク・モンタナは、もう、飛んだり跳ねたり、さぁ、大変。そして、彼が頑張れば頑張るほど、かっこよく映れば映るほど、物語的には笑えてくるという設定ですから、そこにコメディーとしての妙味があります。今度こそ、これは死んじゃうんじゃないか… そんなことはなかった! むしろ、かっこいい! ただし、マックスはひとり地団駄を踏んでいる!

f:id:djmasao:20210621220621j:plain

©2020 The Comeback Trail, LLC All rights Reserved
映画作りとは集団作業なわけですが、スタッフみんなで完成という同じゴールに向かっているはずなのに、ひとりまったく逆を見ていて、なおかつそれが責任者であるはずのプロデューサーだっていう、映画の中の映画、つまり映画内幕ものコメディーとして間違いなく面白い設定を用意してあるので、あとは多少詰めが甘かろうが、先の展開が読めてしまおうが、少々ご都合主義的だろうが、とにかく3人がいい顔してるんだから、四の五の言うのは野暮だと僕は捉えています。
 
映画業界もかつてはかなりインチキで、胡散臭くて、無茶苦茶なことをする人がいましたよねっていう、70年代のハリウッドを寓話的に振り返る映画ですから、そこへ実際に70年から活躍してきた3人がキャスティングできた時点で、もう8割がたOKですよ。そこで予算の多くを使っちゃってても、それでいいんです。なんなら、全体として、B級感が漂っているのも、僕には愛おしいくらい。
 
プロデューサーのマックスと、ギャングのレジーの会話を中心に、あちこちに張り巡らされた映画史的な小ネタもいい感じです。『サンセット大通り』『サイコ』『黒い罠』『明日に向かって撃て!』といった傑作の引用をしつつ、彼らがあれだけ常軌を逸していても、とにかく映画が好きなんだというのがわかる構成なんですね。それも愛おしい。

f:id:djmasao:20210621220743j:plain

©2020 The Comeback Trail, LLC All rights Reserved
実はこの企画、監督が少年だった70年代にひょんなことからラフカットのフィルムを目にしたことから始まっているんだそうです。つまり、当時一度撮影された物語なんだが、出来栄えはいまいちで結局お蔵入りしていて、その物語の骨格は面白いからと、いつか監督がやりたいと胸に秘めていたところ、物語の権利者と巡り合って実現したんです。まさに、死にかけた映画が、数十年の時を経て、当時以上の輝きとバカさ加減で甦った不死身のカムバック!  いつもはコーナーのシメに使うこの言葉を、もう言ってしまいます。映画って、本当にいいもんですね。
イーグルスのセカンド・アルバム『ならず者』は73年に発表されました。西部開拓時代をテーマにしたコンセプト・アルバムで、ジャケットには、西部劇のセットでメンバーが架空の映画の登場人物に扮しています。70年代のハリウッドを舞台に、公開されるはずのない映画を撮影する、ならず者プロデューサーの話には、ここからオンエアするのがいいかなと思いまして、アルバムを締めくくるDoolin-Dalton / Desperado (Reprise)をお送りしました。

 

さ〜て、次回、2021年6月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『いのちの停車場』となりました。いかにも感動巨編というコピーライトで攻めてこられても、僕はそうやすやすと涙など流しませんよ。でも、吉永小百合南野陽子広瀬すずが束になって出てきたら… どうなることやら! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『HOKUSAI』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月15日放送分
『HOKUSAI』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210614195513j:plain

江戸後期の浮世絵師、葛飾北斎の伝記映画ということになりますが、若き日の資料は特に少ないこともあり、今もなお謎の多き生涯です。企画・脚本・出演と大活躍だった河原れんが徹底的に資料にあたった上でイマジネーションを膨らませ、浮世絵師として身を立てるまでと、老いてなお精力的に描き続けた晩年に的を絞って描いています。

探偵はBARにいる

監督は、『相棒』や『探偵はBARにいる』の橋本一(はじめ)。若き日の北斎柳楽優弥、老年期を田中泯が演じるほか、浮世絵の版元である蔦屋重三郎阿部寛、戯作者柳亭種彦(りゅうてい・たねひこ)に永山瑛太喜多川歌麿玉木宏がそれぞれ扮しています。
 
僕は先週木曜日の午後、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

無知を露呈するようですが、北斎の作品ならまだある程度は知っていても、その人生や、他の絵師・戯作者たちとの前後関係やどう交差していたのかという美術史・文化史的な位置づけについてはまったくできていなかった僕です。ぼんやりとしか知らなかったことだらけということで、冒頭から興味津々の状態で最後まで目を見張っての鑑賞でした。
 
脚本の河原れんさんのインタビューを読むと、5年ほど前から執筆に取り掛かり、プロットは30回、脚本は13回の改稿を重ねたそうです。しかも、形がまとまってきたと感じられたのは、8稿以降と言いますから、いかに北斎という男をまとめるのが難しいか、よくわかりますね。浮世絵師としてデビューするまでの前半では、歌麿写楽といった先輩やライバルが登場することで、なるほど、こういう前後関係や同時代性があるのかとわかりますが、絵師たちが火花を散らす対決ものとして全体を構成するアイデアもあったようです。紆余曲折を経て、人生を四季になぞらえた4部構成で、前半2部を柳楽優弥、後半を田中泯に演じてもらい、大胆にも、一般的に働き盛りと言える時代を数十年、すっ飛ばしています。
 
もともと作品の数は多いし、引っ越し魔で足跡については謎が多いしで、想像力の翼を広げないと埋められない部分が多い人物です。だったらもう、ある程度わかっている部分を基礎にして、せっかくなら観客にも想像を巡らせてもらおうということではないですかね。好感が持てました。貫いているテーマは、「表現の自由」です。

f:id:djmasao:20210614195730j:plain

©︎2020 HOKUSAI MOVIE
まだ北斎と名乗る前、彼は絵こそうまいが、頭でっかちで人の意見になかなか耳を貸さない、生意気で半人前な青二才でした。まだ、これといって人をうならせる作品は描けていません。ただ、光るものがあると目をかけるようになるのが、今でいう名プロデューサーと呼ぶべき男、版元の蔦屋重三郎です。なぜ絵を描くのか、そこに求められるものは何か、そして自分にしか出せない特徴は何か、蔦屋との一連のやり取りの中で、彼は辛酸を嘗め、嫉妬し、努力し、迷いに迷い、ついにある到達点にたどり着く。その上で、なぜ北斎と名乗ったのかも明かします。あれだけの人であっても、自由な表現が自分の中からだけ生まれるものではないんですね。なおかつ、時の幕府が風俗を乱すとして蔦屋をめちゃくちゃに荒らす公権力の圧力ってのが、冒頭で楔のように打ち込まれていますから、表現の自由、そして独自の表現の模索がどう変遷していくのかっていう一本の大黒柱的テーマが全体を貫いていて、とても見やすいです。だけれど、押し付けがましくない。なおかつ、むやみにぐずぐず情緒に傾かず、映画としてはスッキリしている。道具立てやセット、照明、カメラワークは、いつも丁寧、繊細でありながら、再現ドラマに陥らないように、どこかに大胆な映画的仕掛けを盛り込んでいて、意気込みを感じます。

f:id:djmasao:20210614195817j:plain

©︎2020 HOKUSAI MOVIE
その状態で迎える田中泯の演じる北斎は、迫力抜群。彼の髪の毛一本まで含めた全身の表現は圧巻です。そして、柳楽優弥から引き継いだ目ヂカラ、眼力! その鋭さ、観察眼を映像的に見せるための工夫もあったし、表現者としての覚悟と人生をかけた飽くなき探究心がますます高みへと達する、北斎90歳の最晩年まで、かなり高いレベルで映画化できていると思います。
 
少なくとも門外漢の僕はいよいよ興味を高められたし、入門として今後もまずはこれをご覧なさいという1本になっているんじゃないですかね。2024年度からは、新1000円札に富嶽三十六景神奈川沖浪裏が採用されますよ。これからまた注目を浴びるだろう北斎の魅力に、映画館で今触れてみてください。 

日本のシングル集 (日本独自企画盤) (特典なし) ジャポニスム・クラシック-西洋作曲家が描いた日本-

放送では、短評に入る前に、ボブ・ディランのKnockin' on My Heaven's Doorをオンエアしました。コロナ禍の入り口、結局来日はなりませんでしたが、来日記念盤としてリリースされた日本独自のシングル・ベスト、ジャケットは、本人の希望によって、北斎の作品をモチーフにしたものに変更された経緯があったんです。

 

そして、短評後には、ドビュッシーを。きっかけは、キング・レコードが編んでいた『ジャポニスム・クラシック-西洋作曲家が描いた日本-』というCDの存在を知ったから。以下、公式サイトから引用しておきます。

浮世絵などの日本美術が“ジャポニスム”として西洋美術に大きな影響を与えたように、
西洋音楽家も日本からインスパイアされて作品をうみだしました。
その響き、その美しさと新鮮さはもうひとつのジャポニスムクラシック音楽の新しい魅力に触れてください!

北斎の「冨嶽三十六景」に影響され作曲したドビュッシーラヴェル
『月の光』などの作曲で知られる、ドビュッシー(1862-1918)は、フランスの作曲家。
中でも、交響曲「海」は葛飾北斎の「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に影響を受けて作曲されたと言われています。
譜面の初版表紙に、「冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が使用されており、また自室にも同じ北斎の絵が飾られていました。 
また、同じくラヴェル(1875-1937)も冨嶽三十六景・神奈川沖浪裏」に影響を受けてピアノ曲『洋上の小舟』を作曲しました。
ドビュッシーが、その大波に注目し作曲したのと対照的にラヴェルは、
心もとなく揺れる3艘の舟とそれに乗る人々の様子に触発され作曲を行いました。

 

さ〜て、次回、2021年6月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『カムバック・トゥ・ハリウッド』となりました。やった〜〜! 観たかったやつ! 70年代のハリウッドを舞台に交錯して迷走する映画人3人の思惑。確かリメイクなんですよね。オリジナルも気になるな。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『461個のおべんとう』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月8日放送分
『461個のおべんとう』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210607202620j:plain

ミュージシャンの鈴本一樹は、妻とひとり息子の虹輝と、3人で海の見える小高い丘の住宅街に一軒家を買って暮らしてきました。ただ、夫婦は少しずつすれ違ってしまい、虹輝が高校受験というタイミングで、ふたりは離婚。虹輝は受験に失敗し、1年浪人した後に志望校へ入学することに。男ふたり暮らしとなっていた父と虹輝は、高校3年間、毎日父の手作り弁当を持って、休まず通学するという、約束をしたのですが…

461個の弁当は、親父と息子の男の約束。 (マガジンハウス文庫 わ 3-1)

原作は、TOKYO No. 1 SOUL SETの渡辺俊美による同名エッセイ。監督と共同脚本は、『キセキ -あの日のソビト-』や『水上のフライト』の兼重淳。父一樹と息子虹輝に扮したのは、V6井ノ原快彦(よしひこ)と、なにわ男子の道枝駿佑(みちえだしゅんすけ)。虹輝のクラスメート役として、森七菜、若林時英(じえい)、妻として映美くらら、他にも坂井真紀や倍賞千恵子などが出演する他、一樹のバンドメンバーとして、KREVAやついいちろうも演技と演奏を披露しています。
 
昨年11月6日に公開されたこの作品、僕はアマゾンプライムのレンタルで先週金曜日に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


このお話、ち〜とばかし特殊な家庭事情ってのをまず観客に植え付けておかないと、肝心のお弁当ルーティーンに入れないわけです。一樹がミュージシャンとして生計を立てていること。結婚して、息子が生まれて、一軒家を買い、家族がだんだん家族然としていくのに従い、妻も仕事をして社会に出ながら、生活時間帯の違いやら何やらから生まれるすれ違いが増え、夫婦の会話と笑顔がだんだん減って、ついに離婚。そして、息子の虹輝は出ていく母ではなく、父と自分の家を選ぶ。ただ、高校入試に意義を見出だせず、精神的に不安定にもなったのでしょう。高校浪人をするも、やがては決意を新たにして、同級生より1年遅れで入学する。下手すりゃ、ここまでのセットアップで数十分かかりそうなんだけど、ワンカット内で時間をジャンプさせるなど、今作では巧みな編集を駆使して、短い時間でササッとまとめていて感心しました。それこそ、コース料理ではなく、一樹の作るお弁当のように、短時間、低コスト、彩ありの手際の良さでしたよ。

f:id:djmasao:20210607203156j:plain

(C)2020「461個のおべんとう」製作委員会

一方、物語そのものの組み立てには、思うところありです。もとがエッセイ集ということで、2時間の流れの中で一筋の流れが組み立てられていたかというと、その芯が弱いんですね。3年間、父が息子にお弁当を作り続けた記録であり、それ以上でもそれ以下でもない。というようなナレーションが、虹輝の高校入学のタイミングで入るんですが、話しているのは虹輝なんです。だから、僕はその時点で、「なるほど、映画では息子の視点で語り直してみるのか」なんて思ったもんですが、その実、決してそんなことはなくて、父側の視点がメインで進むところもたくさんあるし、もうひとつ、どちらの何を描きたいのかがはっきりしません。
 
いや、おかずが乏しくとも想像力で白ごはんを食べられる自信のある僕があえて汲み取るなら、父と息子の互いの成長です。まぁ、でも、高校の3年間って、身も蓋もないことを言えば、子どもは成長しますよね。内面もそうです。恋もするだろうし、好きなことを見つけたり、親との折り合いをつけたりする。親だって、そんな子どもを見ながら、人生の機微を感じ取っていく。その成長は、どちらもあるっちゃあるんだけど、それは視点が1人称に限定されたエッセイのほうが表現しやすいので、その視点が定まらないこの形式の映画だと、もうひとつ煮え切らないなという印象です。その意味で、僕はもっとお弁当そのものにフォーカスして、一樹の試行錯誤と、虹輝やクラスメートのリアクションをもっと定点観測的にしたほうがカタルシスにつながる劇的なものになったんじゃないかと思います。特に、一樹の葛藤、心理的な変化が出づらい構造がこの物語にはあるので、余計にそう感じます。

f:id:djmasao:20210607203229j:plain

ただ、観ていて面白くないかと言えば、そんなことはありません。一樹のバンドのライブシーンはKREVAのパフォーマンスとやついいちろうの存在感もあって、雰囲気がよく出ていたし、レコーディング風景も楽しいです。お弁当そのものや調理風景はよく撮れていて、どれもおいしそうだし、特に卵焼きは誰もがすぐ食べたくなるでしょう。
 
何より、井ノ原快彦の何をどうしたって隠せない、いい人ぶり、好人物っぷりが全体をふわふわくるんでいるので、彼の人間力がこの作品の大きな魅力になっています。それでも、惜しむらくは、エンディング・パートの回想です。日本映画全体の悪い癖ですが、そんな丁寧に振り返らなくても覚えているから大丈夫って言いたくなるくらいで、少々くどい。一樹と虹輝、それぞれの淡いロマンスの描写は踏み込みすぎず、僕たちの想像力をくすぐる展開が良かっただけに、しっかり見せるところ描写するところとのバランスを脚本レベルで構築すれば、冒頭で虹輝が言うところの、それ以上でもそれ以下でもない、それ以上の映画になっていたはずです。

主題歌は、渡辺俊美さんがやはり手掛けたもの。そうそう、ご本人もカメオ出演されていましたね。音楽関係者という設定でのご登場からの、主人公一樹とのさり気なくも軽妙なやり取りには、にんまりするものがありました。映画では、一樹と虹輝ふたりがジャジーなアレンジでこの曲を一緒に歌っています。

さ〜て、次回、2021年6月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『HOKUSAI』となりました。田中泯の演技も、柳楽優弥のんも気になっていたし、いい評判、耳に入っております。何より、僕にとっては知ってるつもりの葛飾北斎、この機会にその生き様をとくと観てきます。久々の映画館だ!
あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!