京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『THE BATMAN ーザ・バットマンー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月22日放送分
『THE BATMAN ーザ・バットマンー』短評のDJ'sカット版です。

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自分が幼い頃に両親を殺されたことへの復讐心を持ちながら、ゴッサム・シティの大富豪ブルース・ウェインが悪をくじくバットマンに扮するようになって2年。というのが、今作のスタート地点です。街の選挙戦が近づく中、権力者を狙う連続殺人事件が発生します。犯人を名乗るリドラーは、犯行現場に必ずなぞなぞとバットマンへの手紙を残していました。挑戦を受けた格好のバットマンですが、知能犯リドラーの意図とは?

猿の惑星:新世紀(ライジング) (字幕版) エクリプス/トワイライト・サーガ (字幕版)

 クリストファー・ノーランが手掛けたダークナイト三部作、完結から10年。共同製作と共同脚本、そして監督を務めたのは、『猿の惑星:新世紀ライジング)』や『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』のマット・リーブス。ブルース・ウェインには、『TENET テネット』や「トワイライト」シリーズのロバート・パティンソンが扮したほか、レニー・クラヴィッツの娘ゾーイ・クラヴィッツや、ジェフリー・ライトコリン・ファレルなどが出演しています。

 
僕は先週金曜日の昼に、梅田ブルク7で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 
「信じれば残酷になり、否定すれば凶暴になるもの、な〜んだ?」
 
これは、ザ・バットマンのヒールとして今回登場する殺人鬼にして知能犯のリドラーが出す数々のなぞなぞのひとつです。カチカチカチと回答時間が短くなる切羽詰まった状況でこんな哲学的ななぞなぞを出されたらたまったもんじゃありませんが、今回のバットマンは、闇夜に紛れて街の悪漢を撃退するのみならず、名探偵ばりの推理も要求されて、大忙しです。
 
複数のキャラクターたちが同じ世界観を共有するユニバース構想でマーベルが大成功を収める中、DCコミックスの方もエクステンデッド・ユニバースを展開して、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』ってのが2016年にありましたけれど、今回もどうやら3部作となりそうな気配のバットマンのリブートは、あの『ジョーカー』同様、どうやら直接関係のない、異なる世界の話ということになるようです。マーベルとDC各ユニバースに正直しんどくなってきている僕としては、少なくとも今作はバットマンに詳しくなくても、過去作を観たことがない人にもすっきりオススメできていいです。敷居がかなり低い。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
ただ、そうなると、物語の構成が難しくなることも事実です。だって、リブートの宿命として、その誕生からの語り直しが避けて通れず、毎度のこと見せ場にはなるけれど、有名なエピソードだけに「もうわかったよ」ともなりがち。そこでマット・リーブスが選択したお話の時期が絶妙です。バットマンバットマンになってから2年目ですもん。まだ若く、未熟な部分も迷いもあり、確固たる存在でないだけに揺らぎがある。観客としても、なんとなくバットマンのことは知っていて、そのイメージを裏切ることなく、一緒に補強していくような調子で物語を進めていく。そして、巧みなのは、過去に否応なく向き合わせるのが、悪役であるリドリーだということ。バットマンは、計算され尽くした犯罪に巻き込まれ、その謎を解けば解くほど、解決に向かえば向かうほど、「自分とは何か」と考えさせられる。それがそのまま、THE BATMANという新シリーズのテーマ表明にも重なっていくので、複雑な話ではあるけれど、とても見やすいです。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
そこで、もう一度、あのなぞなぞ。「信じれば残酷になり、否定すれば凶暴になるもの、な〜んだ?」。バットマンは即答します。それが正義であると。つまり、わかっているんです。正義はそう単純ではないってこと。わかっちゃいるけど、大金持ちとしての自分の出自や、過去のトラウマや、実は浅はかで視野狭窄だった自分に気づかされる。バットマンはいつも、闇夜からヌッと登場して、また闇に消えていました。街のチンピラを成敗してヒーローを気取っていたけれど、闇の中から犯罪に目を凝らしていたバットマンが、実はリドリーによってその単純な行動様式と浅はかさな部分を見透かされていたようなもの。「お前は世の悪の根っこが何かをうまく見極めることなんてできていない。ただ燃える復讐心を散発的に慰めているにすぎない。それがお前の正義なのか…」最悪な犯罪者から、的を射た批判を公然と突きつけられちゃたまりませんよ。このあたりは、デヴィッド・フィンチャーの『セブン』を思い浮かべます。

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(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved
マット・リーブスはこうした哲学的なテーマを、抽象的にではなく具体的に、説教臭くならずスリリングに、黒と闇と雨とネオンを基調にした、ジャンルで言えばノワール極まりない映像世界に、探偵もののクライム・ミステリーという要素と、手に汗握るカーチェイスみたいなアクションを結びつけて描き出しました。しかも、トーンは極めてシリアスで、ユーモアはありません。ユーモアはないが、後のキャットウーマンになるだろう女性セリーナとのまるで青春映画のような、ロマンスめいたものがある。それでも、甘くはならず、とにかくどこを切り取っても、画面はかっこいい。2022年現在、地球のどこか、アメリカのどこかにゴッサム・シティのような街があって、そこでバットマンが苦悩しているんじゃないかと思えてくるほどに、様式美と存在感が同居しているのはすごいことです。だって、コウモリの格好をした妙な格好の男が、警察に混じって殺人現場で推理してるって、荒唐無稽としか言いようがないし、笑っちゃいそうでもあるけれど、それを見事に回避して緊張感を持続させ、『ゴッドファーザー』ばりに複雑で根深い犯罪模様をきっちり交通整理してスタイリッシュに僕らに伝え、最近の各種ヒーローものが忘れがちな、無辜の市民にシンプルに手を差し伸べる様子も用意するって、こんなの普通できません。

セブン (字幕版) ゴッド・ファーザー (字幕版)

僕はこれまでのバットマンで現状一番好きだってほどにハマりました。長いけどね。ニューズウィークの映画評を読んでいて笑ったのは、「エンディングになりそうな場面が3つはある」という指摘。確かにね。でも、長くて退屈したり、話がでっかくなりすぎて何が何やらというヒーローものにもなっていないので、ヒーロー映画好き以外の方にも強くオススメできるすごいのができました。
 
劇中で何度か繰り返されたのは、Nirvanaのこの曲でした。マット・リーブスはインタビューで、今回のバットマンブルース・ウェインをダークなロックヒーローのように描く構想を持っていたと明かしています。Something In The Way

さ〜て、次回、2022年3月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』となりました。ちょうど来週は日本時間で月曜日にアカデミー賞の授賞式がって、これも作品賞にしっかりノミネートしているので、結果はどうあれ、観てみたいなと思っていたところに、見事引き寄せました。まにあった! 鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ナイル殺人事件』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月15日放送分
『ナイル殺人事件』短評のDJ'sカット版です。

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大富豪の令嬢であるリネットは、ハンサムな夫サイモンとの新婚旅行にエジプトへ。その旅には、友人や親戚なども同行していて、ハイライトはナイル川を行く豪華客船クルーズです。ところが、そのハネムーンに水を差すのは、妻リネットの親友で、夫サイモンの元カノであるジャクリーン。彼女はストーカーとなって、船にも乗り込んできたところ、ある夜、リネットは殺されます。当然、ジャクリーンに疑いがかかるのですが、彼女にはアリバイあり。旅に同行していた名探偵エルキュール・ポアロの捜査が始まります。

ナイルに死す〔新訳版〕 エルキュール・ポアロ (クリスティー文庫)

演劇界の鬼才と名高いケネス・ブラナーによるポワロのリメイク・シリーズ2作目です。製作・監督・そして主演もケネス・ブラナー。富豪の娘リネットを演じるのは、『ワンダーウーマン』のガル・ガドット。夫サイモンを『君の名前で僕を呼んで』のアーミー・ハマー、ジャクリーンをエマ・マッキーが演じる他、大御所のアネット・ベニングなども出演しています。
 
僕は先週木曜日の午後に、MOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ご存知、アガサ・クリスティが生み出した名探偵、エルキュール・ポアロ。卵型の頭には灰色の脳細胞がうごめいていて、見事な口ひげをたくわえたポアロが、パリッと着飾ってステッキ片手に登場。ベルギー出身なので、フランス語混じりの英語で事件を解決に導く。大きな特徴はこうしたところでしょうか。僕も10代の頃にいくつか原作を読みつつ、映像化という意味では、日本でも放送されていたイギリスのドラマシリーズ『名探偵ポワロ』が、デヴィッド・スーシェの風貌も原作通りだと世界中のファンを獲得しました。もちろん、それ以外にも映像化はあって、ピーター・ユスティノフ主演で1978年、今日扱う原作『ナイルに死す』を脚色した『ナイル殺人事件』が公開されました。ニノ・ロータによる音楽も含めて、ヒットしたものが、今回、ケネス・ブラナーによるポワロ映画リメイクものの2作目としてお目見えという流れです。

オリエント急行殺人事件 (字幕版)

前提が長くなりましたが、それだけ人気の物語でもあるので、特に往年のポワロのファンにとってはそれぞれに思い入れがあるだけに、ヒットが見込める映画化であると同時に、観客の評価は下手すりゃ厳しいものになるという諸刃の剣でもあります。それは、前作の『オリエント急行殺人事件』もそうでした。僕はあの時も当時のCiao! MUSICAという番組で短評していまして、振り返ると、それなりに褒めて、ブラナー扮する新しいポアロのキビキビした動きと、推理を経てのまさかの人間的成長描写を独自のものがあると評価しつつ、全体として、演劇人らしい決めすぎの構図が大げさで興が削がれるなんて言っていました。ただ、ジョニー・デップデイジー・リドリージュディ・デンチペネロペ・クルスという豪華キャストによる演技合戦はそりゃ、見どころであると。

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(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
で、今回はキャスティングはさすがに前と比較すれば地味になっていますが、僕は設定や物語の改変ポイントに興味を惹かれました。サロメ・オッタボーンという人物が、原作や前回の映画化においては作家で、アガサ・クリスティもそこに自身を投影するキャラクターだったのに対し、今回は黒人でなおかつアメリカのブルーズ・シンガーなんです。ロンドンやナイルで、人々が生のブルーズ、しかもかっこいいジャズアレンジで踊る。この点については、ライターの速水健朗氏がpenに寄せた分析の中で、テネシー州のブルースの聖地として知られる町のメンフィスの名が、古代エジプトのメンフィスに由来しているのだという面白い読み解きをしています。それを監督がどこまで意識したかは別として、この設定変更によってもたらされたのは、音楽的な奥行きは当然ですが、加えて、1930年代当時、世界恐慌の影響でかつての威光に陰りが見え始めたイギリス社会の縮図をあの船の上に描くこと。黒人やインド人も含めたキャラクター配置は、単純にポリティカリー・コレクトだからということを越えて、時代背景の掘り下げの意図が反映されてのことだとうかがえるし、そうすることで、ケネス・ブラナーが目指す「愛の描写」ができると踏んだのでしょう。

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(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
謎解きよりも、事件を取り巻く人の感情、愛情を描くことに腐心しているケネス・ブラナー版『ナイル殺人事件』は、第一次世界大戦に兵士として参戦していたポワロの過去の恋愛と口ひげの秘密を付け足すなど、冒頭から最後まで一貫していましたし、その点は面白かったです。ただし、全体的にやはり大げさと言われても仕方のない演劇的な演技と、計算があざとくすら感じられるほどのカメラワークや色使いに食傷してしまう人はいるのは、好みの問題として仕方のないところです。さらに、ただでさえ込み入った物語を2時間強にまとめないといけないのに、さらに新たな要素を足したことで、どうしても事件が起きてからの展開があまりに性急で、ポワロのセリフ頼みで物語が進むことになり、名探偵の灰色の脳細胞が活性化していく様子は描きこみ不足と言わざるを得ません。ポワロがいつから何をどのように知っていたのかってことがわからないと、彼のすごさが伝わらないでしょうよ。その意味では、あれだけ左右対称を好むポワロを描くのに、バランスを欠いた演出になっていたかなと、僕は思います。でも、話も時代も異国情緒も面白いのは間違いないので、ぜひあなたも束の間の映画の船旅をスクリーンでお楽しみあれ。
 
愛を描いたうえで、そのままならなさがどうしたって醸し出されるラストに、例のサロメ・オッタボーンがこの曲を歌うというのはしびれるものがあります。

さ〜て、次回、2022年3月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『THE BATMANーザ・バットマンー』となりました。当たった瞬間に、「バットマンはこれまでだいぶ観てきたよ」ってついつい口走ってしまいましたが、予告を観る限り、これまたかなりダークでヘビーな雰囲気ただよう映像でしたね。尺は3時間弱… そのスリルと強烈さに、ぼくちん、耐えられるかしら… 鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ドリームプラン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月8日放送分
『ドリームプラン』短評のDJ'sカット版です。

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90年代後半からテニスで世界最強と謳われたビーナス&セリーナ・ウィリアムズ姉妹。彼女たちは、カリフォルニア州のコンプトン、荒れたエリアで他の3人の姉妹と育ちました。母親は看護師。父親は警備員。つましい暮らしをしていますが、父リチャードには、スポーツの才に恵まれた姉妹を世界最高のテニスプレイヤーにするという夢があり、独学でトレーニングプログラムと計画書を作成していました。その中身と、ふたりがたどった道のりとは?
 
この実話を映画化したいと製作・主演として活躍するのは、ウィル・スミス。ウィリアムズ姉妹も製作総指揮に名を連ねています。監督は、まだ長編3作目の若手、レイナルド・マーカス・グリーン。脚本は、ロッキーのスピンオフ・シリーズ『クリード』の最新作を手がけているという、こちらも若手のザック・ベイリン。母親役には、『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』のアーンジャニュー・エリスがキャスティングされました。

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月末に発表されるアカデミー賞では、作品賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、歌曲賞、編集賞と、主要な部門を中心に6つのノミネートと、かなり高い評価をすでに獲得しています。僕は先週木曜日の午後に、MOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

邦題が『ドリームプラン』となっているんで、僕としてはウィリアムズ姉妹がいかに父親のサポートを受けて成功していったのかを見せる姉妹の伝記映画だと思っていまして、その側面ももちろんあるのだけれど、実際にはもっとずっと父親リチャードの物語でした。姉妹の話がメインなのだとしたら、物語のゴールに据えられるべき地点は、ふたりのオリンピックでの活躍とか、4大大会での優勝とか、引退になるはずですけど、この作品では、姉のビーナスがプロデビューしてからしばらくのところまでしか描かないんです。それって、不思議なことですよね。ウィリアムズ姉妹の後の活躍は有名だから、あとは描かなくても良いんだという考え方も成立するでしょうが、伝記映画としては尻切れトンボな感じになっちゃうじゃないですか。なぜなのか、それは原題にはっきり現れています。オリジナルタイトルは、「キング・リチャード」。つまり、父親の物語なんですね。
 
まるでリア王みたいな呼び方で、劇中でもそんな風に路上で呼びかけられる場面があったように記憶していますが、『リア王』とは、シェイクスピアの戯曲で、自分の娘達との行き違いの果てに破滅していく暴君の父親が主人公。僕はこのタイトル付けにも、それなりに送り手側のメッセージというか、リチャードの半生への解釈が入っているような気がします。

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(C)2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved
基本的には成功譚であり、美談なんだと思うんですね。カリフォルニアでも、そして当時の全米でも屈指の荒れたエリアのひとつとされたコンプトンで、ひもじくはなくとも、裕福とはとても言えない環境に身をおいていた家族。ウィリアムズ家の住んでいるストリートはまだマシなほうだと思うけれど、そりゃ治安は良くないし、喧嘩っ早くて肩をいつも怒らせているような若造たちも登場します。そんな中、リチャードとその妻は、かつて受けたような公然とした黒人への差別や暴力とその屈辱を、自分たちの子どもには受け継ぎたくないし、娘たちには高潔な人であってほしいという願いから、5人姉妹をとても熱心に教育する。その甲斐あってと言いますか、長女なんて飛び抜けて成績がいいし、ビーナスとセリーナは、テニスに才覚を発揮します。ただ、このふたりにしても、リチャードの要求するものははっきりしていて、スポーツ馬鹿みたいなのはダメなんだと。プレーヤーとしてのキャリアは長い人生の一部でしかないのだからと、日頃のトレーニング以外にもしっかり勉強をさせます。古風な言葉で言えば、文武両道を地で行く、さらに劇中の言葉を借りれば、「ゲットーのシンデレラ」を本当に何人も生み出してしまうんだから、彼の目指した屹立するような高みにある理想は誰にも否定できないし、目指す人間像も、どれも正論なのですが…
 
これが単純なるサクセス・ストーリーでもないと言いますか、最終的には狂気すら感じるほどに、リチャードは頑迷なんです。意志が固くて強いんです。専制的で、独善的で、ほとんど毒親すれすれの、そう、下手すりゃリア王のように。子どもたちが幼い頃は、彼女たちもそういうものだと無邪気に受け入れていますが、10代に入ってある程度大きくなってくれば、この教育方法は娘たちの選択肢を奪っているようにも感じられます。

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(C)2021 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved
もちろん、環境という逆境をバネにして、一代で社会を駆け上がる、のし上がっていく様子は、アメリカン・ドリームそのものです。応援したくなるのと同時に、見ていてヒヤヒヤするのがユニークなんですよ。成功したからいいものの、もし失敗していたら、その失敗の方向性、角度によってはそこそこ悲劇になる可能性もあるよなって想像してしまうほどに… 実際のところ、当初はずっと一緒だった家族が、中盤から後半にかけては、特にリチャードについてはひとりで画面に登場することが増えていたように思います。
 
ウィル・スミスの珍しくなりきり型の演技も良かったし、全体として既存曲の使い方も時代性や内容が的を射た引用だったし、撮影も80年代のムードを醸すフィルムっぽい画作りが良いです。テニスコートの金網や囲いなど、何かを区切ったり仕切ったりするアイテムをメタファーとして織り込んだ画面の構成にも感心。
 
これは、アメリカ人が好きな物語で、だからこそアカデミー賞でも順当に評価されているんだけれど、アメリカン・ドリームの単純な美談にまとめきれない部分を描いていることが、僕には興味深く思えました。結果として僕が好きなのは、その幕切れの部分。詳しくは、言いませんが、リチャードの子離れというか、彼がそのエキセントリックな教育を終えて、ビーナスが自立するところをゴールとして描いているんだなと総括しています。
主題歌を担当して、アカデミー歌曲賞にもノミネートされたビヨンセですが、セリーナの結婚式に出席したり、テニスの試合で姉妹を激励しに行ったりするなど、これまでも親密な関係を築いてきたようですね。

さ〜て、次回、2022年3月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ナイル殺人事件』となりました。灰色の脳細胞を誇る名探偵エルキュール・ポアロの活躍を描くリメイク・シリーズですね。今回もケネス・ブラナーが製作・監督・主演と、かなり気合が入っています。前作はそのみなぎるやる気に気圧されてしまった部分も僕には正直ありましたが、今回はどうでしょうか。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『偶然と想像』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 3月1日放送分
『偶然と想像』短評のDJ'sカット版です。

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『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞作品賞を含む4部門にノミネートという快挙でいよいよファンの裾野も広がっている濱口竜介監督の最新作で、この形式をライフワークにしたいと意気込む、短編オムニバス。3つの物語が収録されています。
 
女性の親友同士が仕事終わりのタクシーで交わしていた何気ない恋話から始まるまさかの話、『魔法(よりもっと不確か)』。
 
作家でもある大学教授に単位をもらえなかったせいで就職もフイになったと憤る男子大学生から、俺に代わってハニートラップを仕掛けてくれと頼まれた同級生の話、『扉は開けたままで』。
 
高校の同窓会に参加するため、久々に故郷に帰った女性が、駅のエスカレーターで20年ぶりに友だちと偶然すれ違って、話し始めたのはいいけれど、事態は思わぬ方向へという話、『もう一度』。

ドライブ・マイ・カー インターナショナル版

去年の第71回ベルリン国際映画祭では、審査員グランプリにあたる銀熊賞を獲得し、今年は濱口さんが審査員に名を連ねています。12月17日から上映がスタートしていて、バーチャル・シアターというシステムを使った配信も同時に行いながら、映画館でのロングランもまだまだ続いています。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

濱口竜介の快進撃は止まらないというのが、観終わってまず思ったことです。彼は映画理論や映画というメディアの特性をしっかり学んだうえで、自分の演出メソッドをもう確立していて、今作のタイトルになぞらえれば、役者陣のホン読みの段階から「偶然と想像」をいかに作品の味方につけられるかという方法論を自分のものにしています。
 
『ドライブ・マイ・カー』をご覧になった方は思い出していただきたいのが、西島秀俊演じる主人公の舞台演出家が役者たちにホン読みをさせて稽古をつけている場面。俳優が少しでも感情を込めると「もっとフラットに読んでください」と、演出家からいわゆる棒読みを強要されるんですね。しかも、あの演劇の場合には、何ヶ国語もの言語や手話が飛び交う多言語劇になっていたので、役者は相手が言っている言葉の一つ一つを十全に理解することすらできないという驚きの状況でした。これって、実は濱口監督の演出方法を垣間見せるものでもあるんですね。カメラを回すまでは、感情を入れさせない。なんとも奇抜にも思えるやり方ですが、僕が理解し想像する範囲でその意図を話すとするなら、誰もが簡単に想像できるような反応を演技に最初から反映させることなく、起きている状況やものごとを安易にこういうものだと決めつけることなく、つまり意味を最初から決めつけずに本番に望むことで、自分の言動と相手のリアクションに対して、可能性のドアを開いておけるということでしょう。役作りをしないということではなく、アドリブが要求されるのでもなく、俳優はカメラが回って映画の中に命を与えられた時に、その瞬間を予め決まったことではなく、僕たちの人生と同じように、未知なものとして受け入れて反応することができるようになるんです。それがきっと、フィクションである作りものの映画の中に「もうひとつの現実」が立ち現れることを目指す濱口映画のスタイルなんです。

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(c)2021 NEOPA/fictive
今作の3つのエピソードでは、タイトル通り、登場人物たちにとって驚きの偶然、アクシデント、落とし穴が用意されています。いずれも少人数の会話劇で、小さな日常の延長で誰の身にも起こりそうなシチュエーションが用意されます。ただ、お膳立てされた情報の提示はなく、僕たち観客は能動的に状況を推理しながら、その驚きの偶然が起こるのを目撃します。さらには、そこで面食らうキャラクターのありようを見て思わず笑ってしまったり、息を呑んだり、画面の外で起きたこと、起きていること、これから起こることを想像する。なおかつ、この3話に直接的な関係はないのだけれど、不思議と響き合うような感覚に見舞われて、誰かと話をしたくなる。もう、そうなったら、濱口監督のスタイル、その面白さの虜です。

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(c)2021 NEOPA/fictive
特に今回の短編集は、濱口さんも大好きなフランスの監督エリック・ロメールがかつて撮った「六つの教訓話(道徳的コント集)」の影響も感じられます。去年デジタル・リマスターされて日本でもリバイバル上映されたこの映画に向けて、実は濱口さんはコメントを寄せているんです。引用します。

映画チラシ エリック・ロメール監督特集上映「六つの教訓話」デジタル・リマスター版

誘惑に右往左往する男たちの姿に『道徳とは果たして何か』と宙吊りにされるのみだ。しかし、面白い映画というのはそもそもそういうものなのだ。答えは宙吊りにされ、私たちは永遠に誘惑され続ける。

 

誘惑されて困惑する男たちってところも含めて、この濱口さんのロメールの評価は、そのまんま『偶然と想像』にも当てはまります。はっきり言って、海外での評価を受けての逆輸入状態になっている濱口作品ですが、誰もが知るスターが出ていようがそうでなかろうが、尺が短かろうが長かろうが、予算が多かろうが少なかろうが、安定して質が高く面白いものを世に出せる濱口メソッド、あなたも今のうちに接しておいてください。特にこの作品は入門としておすすめです。

とても印象的に3つのエピソードをつないでいくのが、シューマンのおなじみのメロディーだったので、放送でオンエアしましたよ。で、3月1日現在の情報として、『偶然と想像』は、テアトル梅田、シアタス心斎橋、塚口サンサン劇場では、また今週金曜から上映がスタートします。その他、シネ・ヌーヴォ、出町座、みなみ会館では、まだやってるというすごい状況が続きます。ヒットを願っています。

さ〜て、次回、2022年3月8日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドリームプラン』となりました。テニス界で最強と謳われた、あのウィリアムズ姉妹を育てたテニス未経験の父親が用意していた驚愕の計画、その実話を映画化です。ウィル・スミスはとにかく笑顔が一番だと思っている僕です。あのスマイルをどんな形で拝めるのか、劇場に出向きます。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ドント・ルック・アップ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月22日放送分
『ドント・ルック・アップ』短評のDJ'sカット版です。

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ミシガン州立大学天文学者ミンディ博士のもとで研究を続ける大学院生のケイト・ディビアスキーは、ある日、新しい彗星を発見するのですが、それが半年後、ほぼ間違いなく地球に衝突し、そのインパクトは人類を滅亡させるレベルであると、気づきます。ふたりは、政府に対策を促すべく、なんとか大統領にその事実を伝えるのですが、その回答は「静観し精査する」というものでした。がっかりしたふたり。もちろん、その間にも彗星は地球に近づいています。どうなる、人類。

マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版) バイス (字幕版)

 社会派ダークコメディーを得意とする、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』『バイス』などの監督、アダム・マッケイ。彼が監督・脚本・製作を務めた今作には、超豪華キャストが集いました。ミンディ博士にレオナルド・ディカプリオ、ケイト・ディビアスキーにジェニファー・ローレンスのほか、メリル・ストリープケイト・ブランシェットジョナ・ヒルティモシー・シャラメアリアナ・グランデと、すごいことになっています。

 
去年の12月10日から一部劇場で公開されまして、今はNetflixで配信中。アカデミー賞では、作品賞や脚本賞など、4部門にノミネートしています。僕は事前に観ていましたが、先週土曜日、Netflixで改めて鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

アダム・マッケイ監督は、少なくとも僕が観ている作品、どれも好きだし、世相の捉え方、風刺や皮肉をたっぷりまぶしたストーリーライン、セリフ回し、そして編集がすばらしい人ですよ。それが今回はSFだっていうから、どんなものなのか、観る前はピンときていないところもあったんです。やはり現実ベースで、とことん調べて、情報過多という勢いで作劇をするタイプの人ですから。観たらもう、夢中です。巨大な彗星が地球にぶつかるっていう、その設定から、よくぞここまで深いレベルの掘り下げをして人間の悲しい性を浮き彫りにできたもんだと、手放しで拍手してしまいました。
 
ここ数年、僕たちは新型コロナウィルスによるCOVID-19という感染症に翻弄されています。このワードは安易に使うべきではないってことは承知のうえであえて言えば、これって、人類共通の敵とも言えるわけです。だから、普段は小さな違いをあげつらって、資源や利権を奪い合っていがみ合っている国や地域や企業を越えて、たとえばワクチンなど、知恵と力を資金を集めて立ち向かってきた側面もあるものの、コロナ禍をきっかけに、現実の諸問題がむしろ深刻化した側面もありますよね。あちこちに引かれていたボーダーが、目に見えるものも見えないものも含めて強調されたような気がして、なんだかなぁって思うこともしばしばでした。アダム・マッケイは、そんな「人間ってどうしてこうなるのか」っていう風刺を、ウイルスよりももっと強烈な共通の敵、彗星に託すことで成立させています。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

映画を観ていて思い出したのは、アーサー・C・クラークの代表作であり、SF史上の傑作とされる『幼年期の終り』です。あの小説では、地球に圧倒的な異星人がやってきたことで、人類は当初こそ混乱するんだけれど、やがて既存の国家みたいな枠組みから離れて奇妙なことにユートピアのような地球に変貌していきました。ところが、アダム・マッケイが想定したのは、まるで逆のディストピアです。半年後には人類が滅亡する可能性が高いって言ってんのに、大統領も、メディアも、なかなか取り合わない。やっと発表できたと思っても、売れっ子シンガー・ソングライターとラッパーの痴話喧嘩と復縁話に視聴率でボロ負けするわ、ネット民からはさっそくコラージュだ何だで天文学者がいじられるわで、とにかくどうしようもないんですよ。そのどれもが、ありそうなことだなぁって思えることのオンパレード。SF設定で浮かび上がらせた人間の所業は、隕石衝突で絶滅したという説のある恐竜と同レベル、いや、それ以下じゃないかという愚かさ。

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(C)Netflix
環境問題のメタファーになっているような分断も起こります。彗星を直視してともに立ち向かおうという人たちと、そんなの嘘っぱちで空なんか見上げてもしょうがないんだ、Don't Look Upだという人たち。それから、デマによるモノの買い占め、品薄状態。政治家による選挙への利用。超巨大企業による政府への介入、などなど。結局は目先のことばかりです。そうこうするうちに、彗星はやって来るというのに、そんなこと今はどうでもいいだろうというエピソードの連続です。で、この映画のすごいのは、リベラル寄りの人たちにも痛烈な皮肉をかましている点でして、ディカプリオ演じるミンディ博士もまたメディアに出ているうちに調子に乗って、ミイラ取りがミイラになる調子で、うさんくさい慈善運動家みたいに見えてくるといった具合に、立場の違う人たち双方をシニカルに描いているということです。IT長者も、ティモシー・シャラメ演じるスピリチュアルなストリート・キッズもそう。そして、最後はどうなるってところですが、これが飛び抜けて痛烈なんですよねぇ。僕にとっては、同じく地球や人類滅亡のかかったあまたのスーパーヒーローもの以上にゾクゾク来ました。

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(C)Netflix
2時間18分と長いですが、テンポが良いし、笑いの仕掛けに満ちているので、短く感じます。それは、アダム・マッケイ自慢の編集が、また輪をかけて抜群だからです。人のセリフの途中でぶった切って次にいっちゃう笑いに加え、シーンとシーンの間に挟み込む、一件、脈絡がなさそうに見えて、実はひとつひとつ意味を込めて吟味された映像のチョイスも見事。僕はドハマリです。

さ〜て、次回、2022年3月1日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、濱口竜介監督の『偶然と想像』となりました。『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞にいくつもノミネートということになる中、こちらのオムニバス映画も公開されて、しかもコロナ禍で配信も並行して行われているんですが、そのやり方が特別で興味を持っていたんです。要は、この作品を公開している映画館にも、その売り上げが配分されるように、オンラインで観るにしても、自分の贔屓の映画館をネット上で選択できるようになっているんです。これはすごい。あなたもぜひやってみてください。鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『The Hand of God』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月15日放送分
『The Hand of God』短評のDJ'sカット版です。

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舞台は、1980年代のナポリ。主人公は、自分の将来、進路について考える年頃の悩めるハイティーン、ファビエット。他に登場するのは、家族や友人、親戚、ご近所、そして憧れのアーティスト、さらにはセリエAの地元チームに加入したブラウン管ごしのディエゴ・マラドーナ、などなど。多感な若者ファビエットをめぐる豊富なエピソードを通して、パオロ・ソレンティーノ監督が当時のナポリを、自伝的に、そして断片的に、しかし立体的かつ多面的、ノスタルジックに描写した物語です。

グレート・ビューティー 追憶のローマ(字幕版) 

監督・脚本・製作は、『グレート・ビューティー/追憶のローマ』でアカデミー賞外国語映画賞を獲得したパオロ・ソレンティーノ。主人公のファビエットに扮したのは、フィリッポ・スコッティ。この作品で、ヴェネツィア国際映画祭で優れた新人俳優に贈られるマルチェロ・マストロヤンニ賞を獲得してブレイクした22歳の新鋭です。父親を演じたのは、イタリアを代表する名優にしてソレンティーノ作品の常連、トーニ・セルヴィッロ。他にも、『ワン・モア・ライフ!』のレナート・カルペンティエーリなどが出演しています。作品はヴェネツィア国際映画祭審査員グランプリにあたる銀獅子賞を獲得し、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートしています。去年の12月3日から一部劇場で順次公開されている他、今はNetflixで配信中です。
 
僕は先週土曜日、Netflixで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

パオロ・ソレンティーノ監督は、現在51歳でして、これが長編9本目かな。2001年デビューなんで、2・3年に1本、コンスタントに公開にこぎつけているんですが、すべて脚本も自分で書く作家性の強い映画人です。カンヌ、ヴェネツィア、オスカーを始めとする名だたる映画祭で次々と賞を獲得していることから、今やイタリアを代表する巨匠だと言われることが多いです。他に小説も書いていて、まだ邦訳はないものの、僕も持っていますが、これがなかなか面白い。彼は、自分が影響を受けた、インスピレーションを得た人たちとして、フェリーニ、スコセッシの名前を挙げているんですが、それはまあ映画監督として、そして過去作を観れば、なるほどなと感じるところなんですが、同じようにしてトーキング・ヘッズも並べるんです。これも、ショーン・ペンと一緒に作った『きっと ここが帰る場所』に結実しました。去年の『アメリカン・ユートピア』ばりのものすごいライブシーンのある作品でもあって、これも強くオススメします。つまり、ソレンティーノは、自分の影響を公言しながら、オマージュと片づけるにはためらわれるほどのレベルで、先達の仕事を賛美しながら、咀嚼して磨いて独自の表現にまで高めてきました。そこで描くのは、抽象的な表現ですが、欲望に満ちた人間の不思議です。人はなぜ欲望に固執するのか、夢を抱くのか、そして囚われたり、絡め取られたりするのか。個々人のエピソードと、その複雑怪奇な集合体としての街や時代を映像に凝縮する作風です。

きっと ここが帰る場所(字幕版) アメリカン・ユートピア

 そして、アカデミー賞の授賞式で観客の度肝を抜いたのが、マラドーナへの感謝です。マラドーナがいたからこそ、今の僕がいると。どういうことなのか。今作では、ソレンティーノが映画監督になってからも、37歳にいたるまで住み続けたナポリそのものの不思議と、世界的スターのマラドーナナポリへやってきたことがいかに多くの市民に影響を与え、例のワールドカップにおける神の手ゴールによって自分が文字通り生かされた体験の不思議を描いています。マラドーナがいたからこそ、今の僕がいるという趣旨の発言は、誇張でもなんでもないのだと、これを観ればわかります。

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映画全体を貫く一本のストーリーラインというのはありません。主人公のファビエットは狂言回しとして、個性豊かな人物のひとつひとつ強烈なエピソードを見たり聞いたりしては、それを少しずつ人生の滋養にしていくといったところ。ユーモアがふんだんに盛り込まれる前半と、ある決定的なできごとを境に、否応なく自立を迫られて映画監督という夢にもがきながらも進んでいく後半。光きらめく前半と、闇の中に光を探す後半。トーンは変わりながらも、スクリーンには人の営みのめくるめくワンダーが貼り付いています。

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冒頭、美しきあこがれのおば、パトリツィアの身に起こる宗教的かつ俗っぽくもある奇妙なできごとのシーンがありました。彼女は聖人と妖精に出会ったというのだけれど、夫からは浮気だと罵られて大騒ぎになる場面。ファビエットは、彼女の不可思議な体験を信じるんですよね。理性や理屈を超えて、その話を受け入れるわけです。そのスタンスが全体を通して満ちています。思わずあっけにとられたり、固唾を飲んでしまう、現実ベースなのに現実離れした映像の数々は、鑑賞後にも不意に脳裏に蘇るほど、すごいです。ラスト、主人公がナポリを離れて映画の都ローマへとひとり列車で旅立つ場面。車窓の外側からとらえたファビエットの顔には、ガラス越しに外の景色が二重写しになっていて、それが流れていく。ナポリで彼が経験した数々のできごとを僕たちも反芻しながら、人の営みや時代、街の不思議と、その中で地に足つけて自分の生を紡ぐのだと一歩踏み出す勇気をじわじわたたえるラスト。ノスタルジックであり、シビアでもあり、愛おしくもあり、忘れたいが、思い出される… 遠いナポリのユニークな映画でありながら、オトナの階段を登る若者の普遍的な有り様をしっかり描く。ソレンティーノ、やはり巨匠の域です。入門としてもオススメ。フェリーニを継承するイタリア映画の最高峰のひとつ、ぜひどなたもご覧ください。

エンドで流れるこの曲は、やはりナポリ出身でナポリ弁を歌に持ち込むPino Daniele。クラプトンやパット・メセニーとの共演でも知られる偉大なるミュージシャンです。ナポリには千の色があると歌いだして、街の、そしてそこに生きる人びとの悲喜こもごもを愛情たっぷりに歌いこんだ名曲です。

さ〜て、次回、2022年2月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドント・ルック・アップ』となりました。超豪華キャストでアダム・マッケイが描く、SFダーク・コメディにして、アカデミー賞作品賞にノミネートしたNetflix配信作品ですが、どこまで笑って見られるのか。そして、SFと言えるのか、な、内容ですよ。空恐ろしい。既に観ておりますが、これはもう一度だ! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ノイズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月8日放送分
『ノイズ』短評のDJ'sカット版です。

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伊勢湾に浮かぶ小さな猪狩島。住民の高齢化と過疎化、そして町の財政悪化が進む中で、黒イチジクの生産という新しい産業を創出して注目を浴びる若者、35歳の泉圭太。彼は、同じく島育ちの幼馴染、加奈と結婚。娘の絵里奈と3人家族。いずみ農園には、猟師として害獣駆除などを手がける親友の田辺純もよく手伝いに来てくれていました。そんなある日、彼らの農園に不審者が侵入。着任したばかり、やはり島出身の警察官を呼び、島の3人で不審者ともみ合ううちに、誤ってその不審者を殺してしまいます。自分たちの未来、島の未来が、この一件ですべてパーになるというのか。3人は共謀し、その死体をなかったことにしようとするのですが…

ノイズ【noise】 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

原作はグランドジャンプで連載されていた筒井哲也の同名マンガ。脚本は片岡翔、監督は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』など、ベテランの廣木隆一。キャストが豪華です。いちじく農家の泉圭太を藤原竜也、妻の加奈を黒木華、幼馴染の純を松山ケンイチ、警察官を神木隆之介が演じる他、永瀬正敏柄本明余貴美子渡辺大知らが出演しています。
 
僕は先週金曜の朝、MOVIX京都で鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

こういう死体の処理で困る話ってのは、いろいろありますが、クラシックで代表的なのは、やはりヒッチコックの『ハリーの災難』でしょう。タイトル通り、死んでいるハリーがだんだん気の毒になり、死体が移動するたびに、もうブラックな笑いがこみ上げてくるというタイプの作品でした。そして、古畑任三郎刑事コロンボのように、観客は殺人の現場に居合わせる恰好なので、犯人と同じように何がどう起きたかを知っているがために、それがいつかバレてしまうのではないかという不安がサスペンスにつながるんですが、そこへ猪の死体が登場したり、人間の死体が増えたりして、話がどんどんこじれていくというのが、物語の面白みにつながっています。僕はマンガ原作も今回読みましたが、たとえば死んだ猪は映画版独自のアイデアでして、なるほどアレンジとして、猪肉いい味出してんなと思いました。

ハリーの災難 (字幕版)

なんて言い回しをしたくなるくらい、『ノイズ』にもブラックで思わず笑ってしまうような展開というのはあります。ただ、まったく笑い飛ばせないのは、のどかな島に紛れ込んだ異物、ノイズとして死んでいった男の過去の性犯罪と出所してからの行動がおぞましいものであることに加え、これが金田一耕助的な日本のコミュニティの閉鎖性を浮き彫りにするものだからです。

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(C)筒井哲也集英社 (C)2022映画「ノイズ」製作委員会
理由はなんであれ、取り返しのつかない犯罪の当事者として、自分のこれまで培ってきたことや描いていた未来を失いたくないがために、その犯罪を隠蔽しようとする。それは古今東西、たくさんの物語で描かれてきたことです。今作で発端となる事件も、主人公の泉圭太にしてみれば不条理そのものだし、素直に自首していれば、罪は極めて軽かったはずなんです。ところが、そうしなかったのは、彼が軌道に乗せてきたいちじく栽培という事業と家族と同じように、あるいは下手すりゃそれ以上に大事なことである島の振興と繁栄が頭にあったから。居合わせた幼馴染の純も、親友の家族を守ることと島の未来をどうするんだということが動機になり、若い巡査は警察の先輩の教えに従い、法律をかたくなに運用するよりも、時には社会のかさぶたとして犯罪を黙認し、コミュニティを維持することを目指し、3人は死体をなかったことにしようとするわけです。
 
この行き過ぎた連帯意識と閉鎖性は、平和な島を波立たせます。ストレンジャーの訪問によるノイズで生じた波紋は、島の各所に及び、そこでまた誰かにぶつかって波立ち、それまで表面化していなかった心のノイズがそこかしこで顕になって、警察官が言うところの「かさぶた」は脆くも剥がれ落ちてしまうわけです。その点で、永瀬正敏演じる刑事が、島全体を敵に回しているようだという一言も効いてきます。

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(C)筒井哲也集英社 (C)2022映画「ノイズ」製作委員会
この閉鎖性というテーマっていうのは、舞台を島にしたことでよりシンボリックに浮かび上がるし、人物の配置や各家庭環境の設定も微妙にアレンジしていて、その意図にうなずけるところも多くあったんですが…
 
問題は自体が複雑化していくにつれ、住民の誰が何をいつからどこまで承知しているのかが観客にわかりづらくなり、原作をスケールアップさせてサスペンス重視にしたことが、むしろ災いしていること。そして、原作では、事件をきっかけに家族やコミュニティがむしろ崩壊から立ち直る再生の兆しを見せていたのに対し、実は映画版では最後の最後に大どんでん返しが用意されていまして、僕ははっきり言って、そこに納得できないものを感じています。ひっくり返るくらいまんまと驚いたし、「映画ではここが違うんです、どうよ?」っていうドヤ顔が透けて見えそうなカメラワークでもあったんですが、見せ場は確かに作れても、それでじゃあ結局この映画は何が見せたかったのか、原作とはまるで違う後味に変貌する必然性がいまいち理解できないし、あのラストシーンに何を込めたのか、それもピントがぼやけるなと感じます。
 
その意味で、この映画化は、劇場を後にしてからの宙ぶらりん感が、物語以上にサスペンス、宙吊りだなと僕には思えてしまいました。

さ〜て、次回、2022年2月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『Hand of God ー神の手が触れた日ー』となりました。『グレート・ビューティー』でアカデミー賞外国語映画賞を獲得したイタリアの名匠パオロ・ソレンティーノによる自伝的作品。ヴェネツィアでは審査員賞に相当する銀獅子を受賞しています。今回もアカデミー賞国際長編映画賞のイタリア代表となっていまして、日本でも劇場公開されましたが、今はNetflixでいつでもどこでもご覧いただけます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!