京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『犬王』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月14日放送分
『犬王』短評のDJ'sカット版です。

時は南北朝から室町の時代です。京の都で、当時は近江猿楽と言われた能楽、比叡座の家にひとりの子どもが誕生します。ただ、その姿があまりにも奇怪だと、大人たちは彼にお面を被せ、全身を衣服で包んでしまいます。彼こそは、後の犬王なのですが、彼はある日、友魚(ともな)という琵琶法師の少年と出会います。友魚は壇ノ浦出身で、幼い頃に父親と自分の視力を失っていたのですが、京都へ流れ着いたのです。ふたりはやがてコンビを組み、独自の平家物語を人々にショーとして披露することで人気を博し、ポップスターへになっていくのですが…

平家物語 犬王の巻 (河出文庫)

原作は平家物語を現代語に訳してもいる古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』。監督は『四畳半神話大系』『映像研に手を出すな!』の湯浅政明。脚本は野木亜紀子。キャラクターは松本大洋。音楽は大友良英という豪華な布陣。犬王の声を当てたのは、ロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。友魚を森山未來が演じた他、柄本佑松重豊、さらにはヨーロッパ企画の面々も出演しています。
 
僕は、先週金曜日の午後、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

湯浅作品は頭から油断なりませんよ。ものすごいアニメ表現のオンパレードでした。野木亜紀子脚本の原作にはないアイデアだったようですが、まず現代の京都を舞台にしたプロローグが用意されています。僕はまさに京都で観ていましたから、余計にゾクゾク来ますよ。ストリート・ミュージシャンのような琵琶法師と舞を舞う犬王がアスファルトの路上にいる。そこから時代は一気に600年前へ。その時間の移動の際にサブリミナル状態で矢継ぎ早に挟まれる映像に驚きながら、古都京都が当たり前だけれど堆積してきた歴史、それも大文字で書かれる歴史ではなく、名もなき人々の営みの上にあるということを思い知らされるわけです。
 
ところ変わって、600年前の壇ノ浦。源平の合戦で海に沈んでしまった神器のひとつである刀剣を、今日の侍からの依頼を受けて地元の潜水士親子が海の底から拾い上げると、悲劇が起きて、主人公のひとり、友魚が視力をほぼ失ってしまい、その復讐を果たすべく、京へ上ってくる間に、琵琶法師と出会い、楽器も覚えるようになる。物語としてはこういうことなんですが、これだけでは何も語れていない気がするのはなぜって、それは湯浅監督の淡い水墨画のようなタッチによる友魚のおぼろげな視界の描写がものすごいからです。視覚が損なわれたことでみるみる発達していく聴覚と連動するような絵の動きはお見事で、僕はとりわけ序盤にアニメ的快楽を覚えました。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
一方の犬王ですが、腕が1本だけ異様に長かったり、どうやら素顔も人間らしからぬ姿のようで、いつもひょうたん型のこれまたいびつなお面をしています。彼の動きも、人間の身体の動きとは違うわけで、アニメとして見ていて楽しい部分です。ましてや、そんな彼が独自の舞、猿楽の舞を編み出していくわけですから、劇中での変化から目が離せなくなります。
 
実在の人物とされる犬王ですが、どうやら作品の記録は残っていないようでして、それはなぜなのかという僕たちの疑問も、映画を貫く観客の好奇心として作用するので、ますます目が離せず、耳も傾けっぱなしになる。そんな快調な出だしでした。絵の技法やアングル、画面の引きと寄りが自由自在で、湯浅監督のアイデアをこれでもかと注ぎ込んだであろう動きは、アニメが絵に魂=アニマを吹き込む行為そのものだという言葉の由来まで思い出させるような集大成的なレベルに達しています。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
原作の古川日出男さんのロング・インタビューリアルサウンドに掲載されていて興味深く読んだんですが、そもそも平家物語というのは文字を読むというよりも、琵琶法師が歌って聞かせる、まさに「物語る」ものとして伝承されたわけで、バリエーションも様々だし、全国津々浦々でこういう話やああいう人物を入れろといったリクエストに応えて、琵琶法師たちがエピソードを拾い拡張してきたものです。だからこそ、主人公のふたりが平家の亡霊たちの無念を拾い上げて、それまでの平家物語の枠組みを押し広げていく様子はなるほどなと思うし、そうした名もなき者たちを、語りと舞と音楽という総合芸術で救済することを全体を貫くテーマに据えているのも合点がいきます。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
当時の彼らのパフォーマンスが革新的で庶民をストリートで巻き込むものだったかを見せるために、この映画ではジャンルとしてはロックを採用しています。そこに踊りはヒップホップの要素も加えつつ、和楽器の音色にいわゆるバンドサウンドを混ぜながら、簡単に言えばサウンドトラックは和楽器バンドみたいなことになっています。大友良英の用意した劇伴にアヴちゃんや森山未來の語り混じりのボーカルが重なって、話が進んでくると、ストリートからライブハウス、ホールからアリーナへという具合に、ショーの内容と規模、そして観客の構成も変化していくんですが、僕が正直なところ乗り切れなかったのは、その音楽的な語りの部分です。アニメーションでの序盤の豊富な見せ方が、ライブシーンになると現代の僕たちには既視感のあるものにむしろ後退して手数が少なくなったように見えるのと、規模が大きくなるにつれ、そこでの映画全体の物語のスピードが落ちるように感じたんですね。だいたいそれまでに超現実的なことが乱発されていたわけで、ショーがむしろ普通に見えてしまうという現象が起きていました。そして、結局犬王はなぜ最終的に権力者である足利義満にあのような対応をしたのか、すんなり合点がいかない流れで、また最後にスッと現代に戻られても、僕のもやもやとした気持ちが結局現代の京都に浮遊するという結果にはなりました。
 
とはいえ、湯浅監督がこれだけ有名になって大御所になっても、まだまだ意欲と挑戦、冒険心の塊でいることをビリビリ感じる作品であることは間違いないので、でっかい音で楽しめる劇場で観られるうちに、あなたも鑑賞してみてください。
ロックオペラ的なサントラから、チラッと雰囲気を味わってもらおうと、ラジオではこの『腕塚』をオンエアしました。ただ、語る要素の多い作品とあって、まだまだ語りきれていないもどかしさも残っていますよ。たとえば、友魚が名前を友一、友有と変化させていく名前のアイデンティティのことなんかも、もう少し考えてみたいところ。あと、エピローグについては、リスナーのラジオネームかばじゅんこさんがこんな解釈を番組に寄せてくれました。「ふたりの魂が現代で再会して成仏できた(?)のは、この作品がふたりの物語を”拾った”からだと気づかせる終わり方は好き!」これには、なるほどと膝を打ちましたよ。なんだかんだ、早速見返したくなっています。


さ〜て、次回、2022年6月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『冬薔薇』(ふゆそうび)となりました。これまで何度か阪本順治監督にインタビューをしていて盛り上がった経緯もあり、先日も番組にゲスト出演いただきました。そこでの話も思い出しながら、伊藤健太郎主演のこのオリジナルの物語を来週は語ります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『トップガン マーヴェリック』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月7日放送分
『トップガン マーヴェリック』短評のDJ'sカット版です。

アメリカ海軍のエリート・パイロットチーム「トップガン」。そんなベスト・オブ・ザ・ベストのエース・パイロットたちをもってしても厳しい任務に、彼らは直面していました。それは、とある「ならず者国家」が複雑な地形の山岳地帯に建設している、核兵器開発プラントの破壊です。このミッションを可能にする男として白羽の矢が立ったのは、伝説のパイロットであるマーヴェリック。彼はトップガンに何を求め、求められるのか…。

トップガン (字幕版)

86年の前作から36年。製作が遅れ、公開もコロナ禍で遅れ、ついに先月27日封切られた続編です。前作の監督トニー・スコットは2012年に亡くなっていて、今作はSF大作『オブリビオン』でもトム・クルーズとタッグを組んでいたジョセフ・コシンスキーがメガホンを取りました。脚本は、『トランスフォーマー』シリーズのアーレン・クルーガーや、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』などのクリストファー・マッカリーが務めました。主演は、もちろんトム・クルーズ。共同製作にも名前を連ねています。他に、前作でマーヴェリックのライバルだったヴァル・キルマーも出演している他、かつての恋人ペニーの役でジェニファー・コネリー、そして新生トップガンのメンバーとして、マイルズ・テラーも参加しています。
 
僕は、先週金曜日の朝、TOHOシネマズ二条のIMAXで字幕版を鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マッハで結論を出すと、今のところ、今年ベストです。少なくとも、最大公約数の満足を引き出すことを要請されているこうした娯楽映画の中で、しかも続編という難しさもある中で、申し分ないどころか、これ以上ない傑作と言い切っていいんじゃないでしょうか。それぐらい興奮しています。これ、前作の大ファンとして言うなら、「そうなんだ、へぇ、好きだもんねぇ」って思われるかもしれないですけど、僕は実はファンでもなんでもありません。
 
トップガン』の80年代のあの感じっていうのは、90年代、バブルが弾けて中学高校と過ごしていくことになる僕としては、MTVっぽいトニー・スコットのキメキメな画面構成も、やたらと繰り返される音楽も、どでかい日本のバイクも、あのマッチョだらけの半裸の男たちも、そして軍隊のあのノリも、すべては過去の遺物と感じていたんです。あれはないだろうと。90年には湾岸戦争も勃発して、いよいよないわと。もちろん、大人になって、その尖った感じは僕も薄れまして、当時共有されたかっこよさってのは、だんだんとわかるようになっていきました。それでも、トップガンくらいのヒット作、ブームを巻き起こしたものとなると、あの全体的に歌舞いたテイストは、半笑いで見てしまうところがあるんです。そんな僕がですよ。どんなもんかと観に行ってみたら、最初から最後まで、「完璧やん」なんてマスクの中でぶつぶつ呟くほどの盛り上がり。

(C)2021 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
トム・クルーズは、前作では20代前半。映画業界での地位も名声も成層圏レベルにまで高まって、彼は今やプロデューサーとしても業界を盛り上げる存在ですね。って、そういう人は他にもたくさんいますが、彼がすごいのは、このCG全盛時代にあって、サイレント映画時代からの基本である役者のアクションそのものの面白さかっこよさを今も追求しているところです。彼はもはや、バスター・キートンハロルド・ロイドジャン・ポール・ベルモンドジャッキー・チェンといった映画人の後継者として、グリーンバックを使わずになんでもかんでもやってみせる。続編までにここまで時間のかかった要因のひとつは、IMAXのカメラを戦闘機に複数持ち込んで、実際に飛ばして撮影する技術の開発もあったわけです。トム・クルーズのそうしたこだわりをスタッフも共有しているわけで、撮影時50代後半にして、ますますかっこいいトム・クルーズのアクション、バイクの操縦、笑顔、肉体美、全部盛りなのは、そりゃアガります。あの頃と変わらぬ、いや、それ以上のトム・クルーズではあるものの、時代は変わって戦闘機も大幅に進化。ドローンもあるし、凄腕パイロットのトップガンはチームそのものの存続が危ぶまれています。時代は変わりつつある。そこに、かつてのレジェンドであるハグレモノのマーヴェリックが教官として戻ってくることが、トム・クルーズのキャリア、そして映画というメディアのありようとダブって見えるんです。俺はまだ現役であり、飛行機乗りはまだ必要。

(C)2021 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
実際に、人間が操縦しないと達成できないミッションがあり、マーヴェリックが彼らを指導する。トムが若手俳優を導く。そのプロセスの中で、オールドファンへの懐かしのサービスも入れつつ、それを単なる過去の焼き直しにとどまらせることはなく、すべてツイストを入れてきます。過去の仲間との和解。はぐれものだった彼が若い後輩たちと信頼関係を構築するための手段。上司に自分の主張を通すためにあえてとる無茶な行動。そして、サントラではなく、ピアノで生演奏されるあの曲。どれもが、前作の踏襲でありながら、どれもが前作に変化が加えられ、それが奏功しています。そうそう、恋心も忘れちゃいません。今回トップガンの面々が挑むあのミッションと同じく、脚本もギリギリの飛行ですよ。ファンからの重圧=Gに耐えながら、終わってみればこれしかないというルートを辿りました。そこには過不足がないんです。ムダも物足りなさもないシャープな2時間強。

(C)2021 Paramount Pictures Corporation. All rights reserved.
と、ここまで褒めておいて、それでも僕は見ながら懸念が残っていました。それは、戦闘機のパイロットの物語である以上、避けては通れないクライマックスの構築です。どうしたってドンパチがある。そこでの盛り上げるポイントを誤れば、僕は脱落するだろうし、自らパラシュートを出すかも知れない。ウクライナ侵攻が起きている今、いくらエンタメとはいえ、うかつな描写があっては台無しになりかねない。そこも、クリアしてきました。自己犠牲や殉職が美談になりがちなこの手のジャンルにあって、今作が掲げるのはとにかく生きることです。生きて帰り、誰かと友情や愛情を育むこと。あきらめないこと。最後まで読めない展開と、最後に曲がかかり、前作の様式にかなったクレジットの見せ方があって、トニー・スコット監督への献辞が出るまで、とにかく密度の濃い、映画という娯楽の魅力を詰め込んだ見事な続編にして、これ単体でも十分楽しめる作品でした。トム・クルーズ他、スタッフ・キャストに最敬礼!
エンディングでばっちり流れるLady Gagaのこの主題歌は、これまたタイミングも笑っちゃうくらい完璧でほれぼれしました。

さ〜て、次回、2022年6月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『犬王』となりました。主演がアヴちゃん×森山未來。 監督は湯浅政明で、キャラクター原案は松本大洋、そして脚本は野木亜紀子。さらに音楽は大友良英というドリームチームが贈る劇場アニメーションですよ。湯浅政明と言えば、『夜は短し歩けよ乙女』の舞台が京都でしたが、今回もそうですね。南北朝室町時代に実在した能楽師「犬王」を描いた古川日出男の小説が、どう「ミュージカル」アニメになるのか。しかと見届けようぞ! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『死刑にいたる病』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月31日放送分
『死刑にいたる病』短評のDJ'sカット版です。

しがない大学生の雅也のもとに届いた一通の手紙。差出人は、地元の町で子どもの頃によく通ったパン屋の経営者であり、現在は24件もの殺人容疑で逮捕され、死刑囚として収監されている榛村大和(はいむらやまと)でした。大和によれば、罪を否認するつもりはないが、実は1件、冤罪が混じっているから、その真犯人がいることを証明してくれないかという内容。雅也はまず大和に面会をするのですが…

死刑にいたる病 (ハヤカワ文庫JA)

原作は櫛木理宇の同名小説で、脚本は『さよなら渓谷』『そこのみにて光輝く』の高田亮。監督は白石和彌。死刑囚の榛村大和を阿部サダヲ、大学生の雅也を岡田健史が演じたほか、岩田剛典、雅也の母親役で中山美穂、父親役で鈴木卓爾などが出演しています。
 
僕は、先週金曜日の朝、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ジャンルで言えば、まずはサイコ・スリラーであり、そこにミステリー、謎解きの要素が加わるという手触りです。謎が謎を呼ぶストーリーの流れになっていて、しかもどれひとつとしてスッキリ解けるわけではなく、ひとつの謎が次の謎を呼び込んだり、その次の謎は猜疑心と恐怖を引き連れていたりと、雅也が動いて調べれば調べるほど、謎は深まり肥大化していきます。しかも、その間、榛村は獄中から一歩も出ていないわけですね。調査の進捗を報告しにいけば、面会室で「よくがんばったね。自力でそこまでできるなんて、雅也くんはすごいよ」などと褒めてくれるんです。ミス・マープルのような安楽椅子探偵というミステリーのジャンルがありますけど、榛村死刑囚は、獄中から一歩も動かずに、雅也を手足のように意のままに操って真相に辿り着こうとしているように見えてくるのが怖いんです。ただ、雅也にとっての大きな疑問であり謎は、いくら昔パン屋の常連だったからとはいえ、なぜ自分に白羽の矢が立ったのか。そして、そんな一文の得にもならないそんな気味の悪い調査なんて、途中で放り投げたって構わないはずなのに、なぜそうはできないのか。抗えないのか。調べていくうちに、パン屋の客だったこと以外にも、自分はこの死刑囚と関わりがあったのではないかと思えるような事象も持ち上がってきて、展開にはますます目が離せなくなるわ、殺害の猟奇性がダイレクトにグロテスクに描写されるシーンでは目をそらしたくなるわ、例によって例のごとく、白石監督はなかなかに残酷な策士です。

(c)PictureLux/The Hollywood Archive/Alamy Stock Photo
実際のところ、お話を語る順序がうまい作品だと思うんですね。そこは脚本の高田亮クオリティーっていうことなんでしょうが、これは出来事や事実のみを書き出して、それを元に誰かに伝えてくださいって言ったら、語り手によって全然違う印象の話になるだろうと思います。適切なトーンと効果的な順序で、雅也と観客が知っている情報を制御しているからゾクゾクするんです。
 
どうしても殺人やその前後のおぞましさについて触れたくなるんだけど、僕にとっては物語的な謎や猜疑心をさらに増幅させる白石演出に注目したいです。冒頭から印象的な、用水路の水に流れる花びらと思いきやのあれ。一見花びらだと思いきや、美しいと思いきや、身の毛もよだつあれ。見かけに騙されてはいけないということですよね。榛村が用水路に水を流す時に開ける重たい金属のハンドルのやな感じ。雅也の実家のやな感じの空気も見事。優柔不断な母親のおどおどした表情。高圧的な父が暖簾越しに不意に現れる時の気持ち悪さ。あんな嫌な感じのビールの飲み方ありますか。そして何より、面会室で向き合う雅也と榛村大和の一連のシーンです。決して触れ合うことはないんですが、ガラスに映る表情をふたり重ねて見せるところなんて、途中から湧いてくる疑念の影響で余計に不気味だし、殺風景の極みの壁に映像を映してみたり、実際にはあり得ないんだけど、ふたりが同じサイドにいるように見せてみたり、白石さんが思いつく限りの映像のアイデア・技術を盛り込んでいて、そこは大いなる見どころです。

(c)PictureLux/The Hollywood Archive/Alamy Stock Photo
一方で、謎は雪だるま式に膨らんで、映画版に用意された異なる結末もゾッとはしますが、映画館の席を立ってから落ち着いて考えた時に、こうも思うんです。結局これはなんの話だったのかと。人の心に入り込んで掌握して操ることに長けた榛村。彼はなぜあそこまで他人を傷つけることに固執したのか。裁判では「それが必要だったから」としていました。親から愛されることの少なかった、あるいはまったくなかった人間の不幸は断片的にこそ出てきましたが、死刑にいたる病とはなんなのか、先天的なものなのか、環境要因もある後天的なものなのか、それが謎として残るのはいいにしても、そこを解き明かす素振りがあまりにも少ないことが、僕には不満に感じられました。ことがことだけに、エンタテイメントにしても、殺人鬼を殺人鬼としてただ描くことにはもう少し躊躇があるべきではないかと、最後に僕の意見を表明して評を終えます。それでも、白石演出、さすがという評価は変わりませんけどね。
 
大間々昂さんが見事なサントラを提供していましたが、ここは僕のイメージ選曲で、人を巧みに操ってしまう恐怖がモチーフにもなっているMuseのPsychoをオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年6月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『トップガン マーヴェリック』となりました。キタキタキター!!! やりました。サンクス・ウィークス2週目のFM COCOLO CIAO 765としては、ぜひとも当てたかったところ。リスナーからも、語り合いたいとの声を多数いただいていたということもあり、なんなら枠をひとつ増やすという禁じ手まで使って、引き当ててやりました。大丈夫かな。映画神社のタタリとかないかしら。いや、大丈夫でしょう。みんなも大興奮しているのだから。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月24日放送分

稀代の才能の持ち主である魔術師として地球を守ってきたドクター・ストレンジは、このところ、悪夢に悩まされていました。それは、ひとりの少女と得体の知れない敵から逃げる内容です。ある日、突如として街に出現した謎の怪物を仲間のウォンと一緒に倒したところ、その怪物が狙っていたのは、自分の夢に出てきた少女だったとわかります。どうやら、この宇宙以外にも別の宇宙が存在しているようで、彼女が持つそのマルチバースを行き来できる能力をほしがる連中に追われている模様。ドクター・ストレンジは、アベンジャーズのメンバーであるワンダ・マキシモフのもとへ向かうのですが…

死霊のはらわた

劇場公開作だけでなく、ディズニー+での配信ドラマシリーズも合わせて、実際にとんでもない作品宇宙を作り上げているマーベルですが、今回監督を務めたのは、『死霊のはらわた』シリーズ、『シンプル・プラン』そしてなんといっても『スパイダーマン』シリーズでおなじみのサム・ライミドクター・ストレンジを演じるベネディクト・カンバーバッチの他に、ワンダ・マキシモフのエリザベス・オルセン、ウォンのベネディクト・ウォン、そしてストレンジの元恋人クリスティーンのレイチェル・マクアダムスが引き続き出演する他、謎の少女アメリカ・チャベスというキャラクターを、17歳のソーチー・ゴメスが演じています。
 
僕は、先週金曜日の朝、TOHOシネマズ梅田のドルビーアトモスで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マーベルファン、そしてアメコミ原作もののファンたちから熱狂的な期待をもって迎えられた本作。予告編が発表されたところから、話題には事欠かなかったわけですが、概ね好評という受け止めなんだろうと思います。語りだしたらいくらでもいけるというくらいに要素がとてつもなく多く詰め込まれているので、切り口はいくらでもあるわけですが、リスナーから届いた感想も見るにつけ、サム・ライミすげえとか、やってくれたと、監督を称賛する声が多いのはひとつ特徴としてあると思います。ヒーロっていうことなら、スパイダーマン3本がありましたから、まず今回の抜擢そのものがマルチバース化しているっていうのが面白いし、彼が1981年公開のデビュー作である『死霊のはらわた』以来得意としているホラー描写、しかも、いい意味でB級感のある味わいがどう反映されるのか否かに注目が集まったわけですが、今作では特に後半なんてもう、サム・ライミ節オンパレードだったもんだから、みんなアガりにアガっている状態です。なおかつ、サム・ライミの演出だからこそ成し得る、なおかつ笑えちゃう仕掛けというのがありまして、今作でも冒頭で注意喚起されているように、付属するエンド・クレジットが終わってからのおまけ映像にいたるまで、ファンサービスが抜かりないし、隙がないのは、嬉しいところですよね。

(c) Marvel Studios 2022
でも、一番の功績は、こんなややこしすぎる設定のマーベル・シネマティック・ユニバース28作目を、僕みたいなマーベル弱者にもある程度ついていけるレベルで、お話としても映像としても構成したということじゃないでしょうか。平行世界・宇宙を描くマルチバースは、単純にキャラクターがそれぞれの物語世界を越えて共有していくってことだけではなくて、ディズニープラス配信のアニメ『ホワット・イフ…?』が設定としてわかりやすいと思いますが、「実際には起こらなかった<もしも>の物語」というのも、平行宇宙の話として盛り込んでしまうということなんで、マルチ・バース・オブ・マッドネスという名前の通り、もはやなんでもありなんです。もはや劇場公開された長編映画のみならず、ディズニープラスで配信されているドラマシリーズ、たとえば『ワンダヴィジョン』なんかはもろに関係してくるわけですから、とんでもない情報量なんですけど、一応僕みたいなのもついていける親切設計にしてありながら、関連作を網羅しているというMCU猛者をもワクワクドキドキ大満足させてしまえるというのは、離れ業としか言いようがないです。もちろん、それはマーベルという、現状世界のトップに君臨するスタジオだからこそますます集まってくる才能あるスタッフたちの力によるものなんですが、そんな土俵で自分の色をこんなにはっきり出せるサム・ライミたるやという驚きを禁じえません。だって、後半なんてあんなに凄惨なことになるし、下手にシリアスに描きすぎたらヘビー過ぎてしんどいだろうっていう血なまぐさい話を、むしろアガるムードに仕立てるなんて、普通はできません。これまでいろんな側面に振り切ってみせたマーベルが、ついにホラー映画にまでその領域を広げて、鑑賞後に後味はなぜかスカッと爽やかですらあるんですもの。ゾンビなあいつには、みんな笑っちゃうでしょうよ。そこには、サム・ライミの各ユニバースにおける、色彩やCGの調整が細かく細かくあるからこそなわけで、それを操ったサム・ライミこそ、ドクター・ストレンジばりの映像魔法使いです。

(c) Marvel Studios 2022
ただ、お決まりの苦言を呈することが許されるなら、今回久しぶりにマーベルを扱いまして、正直なところ、疎外感を禁じえなかったです。ドルビーアトモスで追加料金を払ってまで観ているんだけれど、マーベルが観客に要求するのはもはやお金だけではなくて、時間もだなって実感しました。だって、膨大な量、もはやマーベル以外のコンテンツにも目を配るとするなら到底追いかけるのは不可能というレベルで供給され続ける作品群を鑑賞する時間を確保するって、それはもうマーベル帝国のような状況でしょう。気がついたら、僕は別の宇宙を生きているような感覚になりました。悔しいかな、面白いんだけどね。ということで、そもそもヒーローものにそこまで熱くなれない僕としては、今後もそこそこ観て、そこそこ楽しむというスタンスのユニバースで生きていこうということです。
 
予告などでも使われて、内容と相まって印象に残る名曲です。もう聴くだけで悪夢を見そうになるという弊害が生まれてますけどね(笑)

さ〜て、次回、2022年5月31日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『死刑にいたる病』となりました。白石和彌監督の作品は、何年もずっと監督へインタビューする機会に恵まれていたものの、ここ数作はそれも叶わず、寂しい想いをしていたところ、結局、映画神社経由で白石さんに捕まりました(笑) フィルムで撮影しているという噂も耳にしているので、画面のルックも楽しみです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月17日放送分
『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』短評のDJ'sカット版です。

90年代前半のニューヨーク。あのJ.D.サリンジャーを抱える老舗の出版エージェンシーで働くことになったのは、作家を夢見る西海岸出身のジョアンナ。まだ見習いということで、ボスのマーガレットの助手として、手始めに、サリンジャーあてに届く大量のファンレターへの対応を命じられます。ある日、会社で電話を受けると、その向こうで彼女に話しかけたのは、サリンジャーその人でした。

サリンジャーと過ごした日々

原作は、ジョアンナ・ラコフの自叙伝『サリンジャーと過ごした日々』。監督と脚本は、カナダ出身のフィリップ・ファラルドー。ドキュメンタリーから映像業界に入って、有名なのは学校を舞台にした『ぼくたちのムッシュ・ラザール』(2011年)ですね。あとは『グッド・ライ いちばんやさしい嘘』も良かったです。文化や世代のギャップを人がどう埋めていくのかを描かせるとうまい監督だと思います。

ぼくたちのムッシュ・ラザール [DVD] グッド▶ライ~いちばん優しい嘘~(字幕版)

 主役のジョアンナを演じたのは、『ナイスガイズ!』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で注目を浴びたマーガレット・クアリー。ジョアンナのボスであるマーガレットに扮したのは、シガニー・ウィーバーです。

 
ニューヨークには行ったことはない左京区民、サキョーカーの僕は、今回はメディア関係者の試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


オリジナルのタイトルは、本も映画も『My Salinger Year』です。それが、日本での翻訳本は『サリンジャーと過ごした日々』と名を変え、映画では『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』となっています。この邦題に違和感を覚える人が多いようで、言われたい放題だなと思っていますが、違和感の正体として、主人公ジョアンナは日記を書いていないし、サリンジャーとの関わりが大事なポイントだし著名な作家なのに、なぜ省いてしまったのか、という2点が挙げられます。それもよくわかるんですが、僕がひとつ擁護するなら、残るマイ・ニューヨークっていう言葉は僕は的を射ているような気もするんです。これは、ひとりの若い女性が、夢を持ちながら憧れの街で恋に仕事に奮闘するという意味では普遍的だし、あちこちの時代と場所に置き換え可能でしょうが、それが90年代半ばのニューヨークでないと描けない要素に満ちているんですね。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
ジョアンナはニューヨークを旅行中に、街そのものに憧れたわけです。少なくとも彼女にとっては世界の文化の中心と言えるマンハッタンの佇まい。そして、若者が多く集まるようになり、夢を育むのに最適な刺激あふれるブルックリン。20代の彼女が、自分の人生を決定づける大事な時期を、ここで過ごしたいと思える空気と仲間がそこにあったわけです。ファラルドー監督は、だからこそ、限られた予算の多くを映画セットに費やしました。加えて、インターネットやパソコンが登場してはいたものの、ジョアンナが務める出版エージェンシーのように、紙媒体にこだわり、文書作成もタイプライターで行うことに固執することがまだぎりぎり可能だった90年代独特の時代感が物語にも大きな影響を与えていることも見逃せません。その意味で、この映画は確かに、「90年代ニューヨークにおけるジョアンナの大切な日々」なんですね。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
でも、こう話すと、「それでも、サリンジャーが鍵になることは確かだろう?」と思われることでしょう。その通りです。彼と話す機会に恵まれたことが、彼女の人生を左右しますから。でも、興味深いことに、ジョアンナに与えられた仕事は、隠遁生活を送っていたサリンジャーにコンタクトを取ろうとするファンたちから、彼を守ること、つまり彼を世間から隠す助けをすることなんですね。具体的には、世界中から大量に届く、老若男女の読者からのファンレターに、「著者は手紙を読みません」といった紋切り型の返信を出すこと。ただし、中身には一応目を通すことを命じられます。作家を目指すために出版業界に進んだジョアンナにとって、クリエイティビティのまったく求められないこの業務は、かなりきついですよね。言わば仕事の洗礼ですが、そこでふてくされずに意義を見出したり工夫をこらしたりすることが肝要であるはず。彼女は図らずも、実践しました。この映画では、サリンジャーその人の姿は基本的に出てきませんが、手紙を書くたくさんの名もなき読者がカメラに向かって話をする演出がなされています。そんな読者の多様な想いのこもった文章の読者になることことが、現代作家に疎くて実は未読だったサリンジャー作品を読むことにも繋がったり、調子に乗って出過ぎた真似をしてしまったりする。そのひとつひとつの経験が彼女のその後の血肉になります。サリンジャーを世間から隠すことが、彼女の人生と才能と可能性を顕にさせるという意味で、監督もインタビューで語っていることですが、これはサリンジャーではなく、ジョアンナの物語なんです。なので、総合すると、僕はこの邦題『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』も、芯を食っているなと感じます。

9232-2437 Quebec Inc – Parallel Films (Salinger) Dac (C) 2020 All rights reserved.
マーガレット・クアリーは、迷いながらもがきながらも着実に自己形成していくジョアンナをハツラツと演じていました。90年代のニューヨークでないと成立しない映画なんだと言ったことと矛盾するようですが、現代女性が自前の人生を切り開いていく「仕事もの」として普遍的でもあります。夢と仕事、あるいは、恋愛や友情と仕事の関係についても、今の日本にもストレートに反映されるようなエッセンスがそこかしこに散りばめられています。シガニー・ウィーバーが強さの中にふとジョアンナにだけ見せた実は脆く繊細な表情にも感じ入ってしまいます。ファラルドー監督の確かな映像さばきを味わえる、すがすがしい1本です。
サントラから、ピックアップしたのは、アメリカのシンガーソングライター、ケイティー・ヘルツィヒのBeat of Your Own。歌いだしで、あなたはどこへ行くの? 何になりたいの?と聞こえるあたり、フィットしているなと思いました。彼女がしだいに自前の人生のビートを刻んでいけるようになる成長物語でしたしね。

さ〜て、次回、2022年5月24日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』となりました。当たった瞬間に、ついつい「面倒なのがきた」って口走ってしまいましたが、それは評するのが大変そうということであって、ワクワクはしているんです。僕としては久しぶりという感のあるマーベル。くらいついていこう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パリ13区』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月10日放送分
『パリ13区』短評のDJ'sカット版です。

パリを構成する20の行政区のひとつ、セーヌ川の南、13区。高層住宅団地レゾランピアードや、パリ最大の中華街、そしてソルボンヌ大学などが位置するこのエリアを舞台にした、男1人、女3人、男女4人の恋模様を描いた作品です。高学歴ながら、コールセンターでオペレーターとして働く台湾系のエミリー。そのエミリーとルームシェアすることになった男、アフリカ系フランス人で高校教師のカミーユボルドーからあこがれのパリにやって来て大学に復学するノラ。元ポルノスターで、今はウェブカメラを使ったセックスワーカーとして生きるアンバー・スウィート。彼女たちが、パリ13区で交錯します。

預言者(字幕版) ディーパンの闘い(字幕版)

 監督・脚本は、『預言者』や『ディーパンの闘い』でカンヌ国際映画祭をあっと言わせてきた巨匠のジャック・オディアール。共同脚本には、セリーヌ・シアマ、レア・ミシウスのふたりを迎えていたこの作品には、実は原作があって、それは日系アメリカ人エイドリアン・トミネのグラフィック・ノベル。3つほどの短編を下敷きとしています。

サマーブロンド

台湾系のエミリーを演じたのは、これがスクリーンデビューとなるルーシー・チャン。他に、ノエミ・メルラン、ロックバンドSavagesのボーカリスト、ジェニー・ベス、マキタ・サンバが出演しています。
 
僕は先週木曜日に、シネ・リーブル梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

最近僕が観た中では、最も性描写の多い作品でした。R18なんで、そりゃそうかとも思ったんですが、ちょっと笑ってしまうくらい多いんです。今振り返れば、男も女も、酒を飲んでいるシーンはあるのに、食事のシーンはほとんど無いんです。ネット社会における人と人のつながり、結びつきについての考察であり、研究と言えるこの物語においては、意図的に食事シーンを性的なシーンにシンボリックに置き換えてあるという理解でいいんだろうと思います。台湾系フランス人女性のエミリーなんて、途中から働き始めた中華料理屋で気分が高まっちゃって、職場を抜け出してとある人物と事に及ぶくだりがありましたよね。あれなんかは、食事をする場所からベッドへの逃避というのがまさにこの映画そのものだって思いました。満足してレストランに戻ってきた時、羽が生えたようにふわふわと踊っているのが楽しそうで、あれなんかは、あっけらかんというレベルで性の喜びを彼女に体現させてみせた素敵な表現だったと思います。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
こんなふうに、とにかく、性的な関わりを軸に4人の関係が終始ぐるぐる変化していった先にどうなるのかってことを描くわけです。そのスタンスは、オープニングからのカメラワークが教えてくれます。夜、パリ13区の団地です。ロングショットから、だんだんとエミリーと高校教師カミーユがいる部屋へと寄っていくってのは、古くからの劇映画の始まりとして定石ですが、街を俯瞰するように、カメラが宙に浮いていて、映画にその後何度か登場するムクドリの群れのように上下左右に滑らかに動いていく。フィックスではない。とどまらない。ステディではない。それこそ、この映画内の人と人との結びつきそのものでもありました。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
こんなことを言うと、性的に奔放な男女の若気の至りを高みの見物ってことかと思われるかもしれませんが、ちと違うんです。年齢の設定がそれぞれ絶妙でして、アイデンティティを構築できずにふらふらしているエミリーは20代前半ですが、残りの3人はもう30代なんです。若いとは言えない。それなりに人生経験も積んでいるけれど、たとえば家庭であったり職場のシステムだったりにもやもやした不満やわだかまりがあって、それを打破しようともがいている状況です。だから、いわゆる青春物語というわけでもなく、そのぶん、4人それぞれの過去やバックグラウンドを示すことも重要ではあるんですが、群像劇でもあるからあまり深いところまで考察するわけでもなく、さわりだけを的確に描写する技術は相当レベルが高く、見ていて心地いいです。認知症の祖母、吃音があってコメディアンを目指す妹、できすぎの姉、親戚とのいびつな距離感などなど。こうした問題が4人それぞれにあるんだけど、フラッシュバックして見せるのではなく、引っ越してきた家の壁にカビが生えちゃってたからペンキで塗り込める様子や、畳めるはずなのにうまく畳めなくて苦労する車椅子といったアイテムで、ほのめかしたり暗示してすませるのがうまい。

©︎ShannaBesson ©PAGE 114 - France 2 Cinéma
ジャック・オディアール監督は、今回共同脚本に女性二人を招いていて、世代も彼よりずいぶん下です。それが功を奏している理由のひとつは、性的な場面の気まずさがなく、かといって奔放で開放的な性のあり方を推奨するわけでもなく、美しく見せていることです。この作品はポルノではないから、性的な興奮を煽るものでもないですからね。下品でないんです。しかも、それを陰影の美しいモノクロームで見せるのも良かったですね。色をつける作業は観客に委ねてしまうことで、画面から情報を削いで物語の核心に迫っていく効果も得られていました。
 
人と人との結びつきには、この作品でもいろいろありました。SNSでひとは繋がりたがっているけれど、たとえ肉体的に安易につながったとしても、心の空白が埋まらないケースはありました。同時に、カメラ越しのつながりに、安らぎを得るケースもありました。そして、そうした関係も絶えず変化して、過剰に思えた言葉や性行為がシンプルになった時に、ふと並々ならぬ充足感を得ていることもありました。ジェンダーや年齢や人種、言葉、リアルとオンラインなど、現代の多様な恋愛模様を見事に盛り合わせて見せてくれる、僕にとってはとても満ち足りた映画体験となりました。
曲はサントラからではなく、Sabrina Carpenterが自分の好きな街パリの魅力、そのロマンティックさを讃え、合間にフランス語も忍ばせた歌にしました。ずばり、Parisをお送りしました。


さ〜て、次回、2022年5月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』となりました。パリの次はニューヨーク。世代とキャリアの違う女性編集者が、J・D・サリンジャーを扱う出版社でどんなドラマを見せてくれるのか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月3日放送分

あの『ハリー・ポッター』シリーズの前日譚の既に3作目となります。魔法動物学者のニュート・スキャマンダーが主人公なんですが、今回は黒い魔法使いのグリンデルバルドが世界を支配しようと着々と動く中、それをなんとか阻止しようと、魔法学校時代の恩師ダンブルドアや魔法使いの仲間たち、そしてあの世界ではマグルと呼ばれる人間との寄せ集めデコボコ・チームを結成します。その中で、ダンブルドアとそのファミリーに隠された秘密が明らかになってもいきます。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅(字幕版) ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生(字幕版)

全5部作とされるこの前日譚シリーズの脚本は、原作者J・K・ローリング自らが書いています。監督は、ハリー・ポッター4作目の「不死鳥の騎士団」以来、ずっとこの魔法の世界を映像化し続けているデヴィッド・イェーツ。キャストは、ニュート役のエディ・レッドメインダンブルドアジュード・ロウが演じる他、基本的にはおなじみのキャストが揃っているんですが、大きな変更点として、黒い魔法使いグリンデルバルドがジョニー・デップからマッツ・ミケルセンへとバトンパスされました。
 
僕は先週木曜日に、TOHOシネマズ二条のIMAXで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これまでの作品を復習すると言ったって、ファンタスティック・ビーストで2作あるし、今回は特にファンにとって嬉しい展開となるホグワーツ魔法学校のことやダンブルドアのことを知ろうとハリー・ポッターから見直すとなると8作あるわけです。しかも、どれも長い。大変です。それを5本目からずっと撮って映画人生を魔法ワールドに捧げているデヴィッド・イェーツにそんなこと言ったら、「クルーシオ!」とか言って魔法をかけられそうですが、この魔法世界の映画化も20年以上経っているので、ファン層の世代交代、ご新規さんの獲得も考えなきゃいけないし、熱心なファンへのサービスも入れていかないといけないという、それこそ魔法みたいな離れ業が、原作者にして脚本も手掛けるJ・K・ローリングには求められていて、僕はある程度それに成功していると思います。そこはさすがです。さらに、イェーツ監督の演出も手慣れたものという感じで、ファンタビの魅力になっている要素はきっちり押さえています。

(C) 2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved Wizarding World TM Publishing Rights (C) J.K. Rowling WIZARDING WORLD and all related characters and elements are trademarks of and (C) Warner Bros. Entertainment Inc.
1920年代のニューヨーク、ロンドン、パリ、オーストリアを舞台にしてきましたが、今回はそこにドイツやブータンまで加え、いよいよ007よろしく観光映画の歴史版といった様相を呈してきました。人間世界と魔法世界の行ったり来たりのややこしい部分には、人間代表、パン屋のジェイコブさんがいることで、いちいち今回も魔法に驚くリアクションを見せてくれるから、僕ら観客も「魔法を当たり前に思わずに楽しめる」んです。壁を通り抜けるような時にも、ジェイコブが「いや、これ、わかってんにゃけど、なんべんやっても慣れへんわあ」みたいな表情を見せるのが良いんです。コミカルでもあるし。さらには、魔法動物たちですね。正直、今回は影が薄めではあるものの、モグラやカモノハシみたいなニフラーとか、小枝のボウトラックルの見せ場も出てきますよ。途中、仲間を救出するとあるシーンでは、インディー・ジョーンズばりの冒険があって、そうだそうだ、ニュート・スキャマンダーは学者だったんだというリマインドも入れてありました。さらに、新キャラのキリン、鹿みたいなキリンが出てきて、物語の行方を左右します。どれもかわいいし、面白いし、魔法はもう既視感がムンムンだけれど、CGがますますレベルアップしているのでまだまだ飽きません。加えて、今回はダンブルドア先生と、その家族にまつわる謎も明らかになるってんですよ。なに、この要素の多さ…

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もう満腹でしょう? 僕もホームページやら何やらで予習復習を軽くしましたけど、固有名詞の多さに大混乱。観に行くまでは、こりゃ置いてけぼりを食らって下手すりゃ寝るなと思ったものの、スルスル頭に入ってくるのに感心しました。それぐらい、よくできていると思います。謎もですね、ひとつやふたつではなく、3つ4つ、でかいのがあって、それをバランス良く物語の中に配置することで、だれないように展開するのはうまいです。それなりの眠気を引きずって劇場へ向かった僕ですが、冒頭のダンブルドアとグリンデルバルド、つまりは、ジュード・ロウマッツ・ミケルセンが喫茶店で向き合っていきなりあっさり明かされる謎には驚いてばっちり目を覚まされてしまいました。これ、ふたりにとっては驚きもなにもないからあっさりなんだけど、そのあっさり具合が逆に見事な演出になっていました。
 
ただですね、ここからは僕がぶつくさ言うところです。だいたいがお家騒動だよなっていうこと。さっき褒めたのと裏返しにはなりますが、話を整理することに腐心した結果、全体として落ち着いたトーンになっていて、今回は「ノープランこそがプランなんだ」とか言うわりには、段取り良くトントン拍子に物事が進んでいくのだなと思ってしまうこと。魔法世界の総選挙みたいなのがあって、ポリティカリー・コレクトを踏まえ、アジア系、ラテン系、男女と候補者のキャスティングまでしっかり考慮しているのに、肝心の選抜方法が、キリンってなんなん? ほな、演説意味ないよ、とか。そもそも魔法はCGでなんでもできちゃえるようになっていて、強くなればなるほど、本人たちの肉体的な動きが鈍くなって、役者たちは落ち着いた感じに見えるという問題点が浮き彫りになったようにも思います。ローリングさんには、言葉も魔法も場面転換もいいけれど、動きで見せる展開を次作以降は強化してほしいもんです。

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などなど、ぶつくさはまだまだ言えるんですが、ジョニー・デップに代わる大役を見事やってのけたのは、マッツ・ミケルセンでした。奇抜な出で立ちと狂気じみたふるまいのデップではなく、見た目はほとんどそのままで、冷静と情熱のあいだを妖艶さが服を着て歩くようなグリンデルバルドに持っていけたのは、ミケルセンの魅力の賜物です。すばらしい! ということで、なんだかんだ言って、結局は次も観に行くことになると思います〜
今回は家族・一族の秘密、そこでないがしろになってしまったことや感情ってのがいくつか出てきましたが、同時に、前作からの流れを踏まえて、マグル、人間と魔法使いの恋の行方、新しい家族の形も模索されていて、そこで鍵となっていたこの甘いラブソングをオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年5月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パリ13区』となりました。この前扱った『ベルファスト』しかり、今回も当たらなかった『カモンカモン』しかり、モノクローム映像の作品がにわかに増えていますね。ジャック・オディアールのこの作品はどうしてモノクロなのかしら。パリを舞台にした恋愛群像劇、監督の意図に思いを巡らせながら劇場へ向かいます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!