京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ソー:ラブ&サンダー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月26日放送分
映画『ソー:ラブ&サンダー』短評のDJ'sカット版です。

マーベル・シネマティック・ユニバースで展開されてきた雷神ソーの活躍を描くマイティ・ソーの4作目となります。『アベンジャーズ エンドゲーム』におけるサノスとの激闘の後、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々と宇宙へ旅立ったソーは、失うことばかりだった過去を振り返り、戦いを避け、いつの間にやら、自分探しの日々を送っていました。ところがそこへ、神々のせん滅を目論むゴアが登場。新たな王となっていたヴァルキリーと一緒にゴアに立ち向かうソーでしたが、苦戦を強いられていたところに、元カノのジェーンがなぜかソーのコスチュームで現れたものだから、ソーは浮足立つし事情はよくわからないわで、さぁ大変です。

ジョジョ・ラビット (字幕版)

共同脚本と監督を務めたのは、前作から続いて、俳優でもあり、コメディー演出が得意なタイカ・ワイティティ。監督作の公開は『ジョジョ・ラビット』以来3年ぶりですね。ソーを演じるのはもちろんクリス・ヘムズワース。ヴァルキリーをテッサ・トンプソン、ゴアをクリスチャン・ベールが演じた他、ジェーン役のナタリー・ポートマンが9年ぶりにMCU作品に復帰しています。さらに、ラッセル・クロウも出演して絶妙な存在感を果たしていますよ。
 
僕は、先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マーベルの作品をこのコーナーで評したのは、前回が『ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』でした。サム・ライミ監督が自分の作家性を結構グイグイ出していました。ホラー表現を、しかもブラック・ジョーク込みで取り込んでいましたよね。そこへいくと、今回のソー4作目はワイティティ監督でしょ? 作家性をグイグイどころか、バリバリ、いや、雷なんでビリビリ出しています。まぁ、「エンド・ゲーム」を経て、壮大な物語が幕を引いた後ですから、徐々にまたそれぞれ物語の照準を合わせていくフェーズに入っているマーベルだし、冒頭でガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々との交流シーンがあるように、そもそもが宇宙で大暴れする神であり、力もありすぎるハッスルマッスルゴッドっていう時点でだいぶ異端なんで、これぐらい振り切ってもいいんじゃないかという判断でしょう。あの手この手のギャグ満載。多少滑ろうが何しようが、とにかく突き進むという前のめりかつ数撃ちゃ当たる方式そのものにも笑ってしまうぐらいバカバカしいです。

(c)Marvel Studios 2022
でもね、これがもしワイティティ監督でなかったら、ここまで振り切れてはいないと思うんです。だって、考えてみれば、ストーリーラインは結構シリアスなんですよ。クリスチャン・ベールが演じるヴィランのゴアは、ゴッド・ブッチャーなんて異名を持っていて、宇宙の神々をどんどん殺していこうという野心を持つ男。これは助けを乞うても神に見放されて娘が死んでしまったことに対する復讐に駆られていることが原因でした。そして、ソーの元カノであるジェーンも、実は癌を患っていて死に瀕している。化学療法を続けるのかどうするか、残された限りある人生のこれからを考えるにあたり、過去の行動と選択を振り返っているような状況です。そんなゴアとジェーンの間に、ソーです。でも、そのソーも、冒頭で表明されていた通り、エンド・ゲームの後、引きこもって自分探しという名の元にお菓子食べ過ぎたりお酒飲みすぎたりで一度ブヨブヨになっていたくらいですから、こんな悲しくシリアスなふたりは手に余りますよ。ゴアをやっつけるのも、元カノにやさしく寄り添うのも、心もとない状況です。

(c)Marvel Studios 2022
そこで用意する道具立てが、文字通り道具なんですよね。まずは未練たっぷりのジェーンが、とある事情でソーと同じ力を手に入れて、同じコスチュームになって登場すること自体もぶっ飛んでいるのだが、これもとある事情で彼女が手にしているのが、ソーがかつて愛用していたハンマーなんですよ。言い方を変えれば、元カノが元オノを持っているんです。それに対して、ソーは今回から新しいストームブレイカーっていう武器を手に入れていて、その今オノがちょいちょい元オノに嫉妬するって、なんなのよ? 何を見せられてるのよ、これは。そして、ヴィランのゴアを倒すためには、全能の神であるゼウスのサンダーボルトっていう武器を借りに行くべきだっていうことになるのはいいんだけど、まずこのゼウスがだいぶふざけているし、サンダーボルトの造形がだいぶ子供っぽいしで、もう大変です。

(c)Marvel Studios 2022
なんかこうして喋っていると、大味なんだろうって思われるでしょう。でも、振り返って考えると、よく考えてあるというか、締めるところはちゃんとネジを締めてあるんです。クリス・ヘムズワースを今の地位にお仕上げた単体で4本目となる人気キャラの仕切り直しのストーリーということで、門外漢もなんならこっからでも入っていけるような配慮もありました。劇中劇の要素を取り入れての振り返りや、ジェーンとの馴れ初めと別れまでのダイジェストも、ただの焼き直しじゃなくって、しっかりひねって新旧どちらのファンも喜べるようになっていて、ドクター・ストレンジで僕が感じたようなマーベル弱者の疎外感も排除されていました。ネタもマーベルだけじゃなくてジョーカーっぽいのを入れてみたり、映画史そのものに目配せするようなところもあって、ちゃんとしているんです。その上で、ラブ&サンダーってバカみたいなタイトルが、最後には誰もがちゃんと納得できるような落とし所に持っていくって、これは神業ですよ。しかも、僕は今作に貫かれている、朗らかで、ポジティブで、生きることへの肯定的なメッセージに共鳴しました。ろくでもない辛いこともあるけれど、生きるというのは素敵なことですと。そして、多様な価値観の肯定と共存こそ、風通しの良くてしなやかで強い世界を育む道なんだと、信じられないけど、ハッスルマッスルゴッドに教えてもらえたようで、苦笑いしながら劇場を後にしました。次も行くぜ!
エンド・クレジットで流れるこの曲。Dioって、考えたらイタリア語で神なんですよ。そして、歌詞の内容も含めて、これ、雰囲気で選んだってより、練って練っての選曲なんですよね。


さ〜て、次回、2022年8月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『キャメラを止めるな!』です。「カメラ」の時も僕は当時の番組で短評していまして、ネタバレせずにどうやって喋ったらええのんやと頭を抱えたものですが、まさかのまさか、リメイクでまた悩むことになろうとは… あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

アニメ映画『神々の山嶺』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月19日放送分
アニメ映画『神々の山嶺』短評のDJ'sカット版です。

雑誌カメラマンの深町は、ネパールのカトマンズを取材で訪れていました。そこで見かけたのが、長らく消息不明になっていた伝説のクライマー羽生。羽生はその時、1台のカメラを持って再び姿を消します。そのカメラとは、1924年、人類初のエベレスト登頂に挑んで行方不明になったイギリスの登山家マロリーの遺品と思しきもの。あのカメラに残っているフィルムを現像すれば、エベレスト初登頂を巡る歴史を塗り替えるスクープをものにできるかもしれない。野心に駆られた深町は、カメラを追って、羽生の半生を調べ始めます。

神々の山嶺(上) (集英社文庫) 神々の山嶺 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 夢枕獏が98年に発表した同名小説は、谷口ジローが漫画化して大きな反響を呼び、フランスでも翻訳されると、あちらだけで累計38万部というベストセラーになりました。それを読んで感銘を受けたフランスの映像プロデューサー、ジャン=シャルル・オストレロがアニメ映画化に乗り出し、監督にパトリック・インバートを迎えながら、7年の歳月をかけて完成した力作です。フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞では、長編アニメーション賞を獲得しました。

 
僕は、先週木曜日の夜、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作の小説は文庫で上下巻、合わせて1000ページを超える分厚さです。大きな山ほど裾野も大きくなるように、文字としての物語は壮大に広がりました。谷口ジローは、繊細で綿密であると同時に力強い、卓越したデッサン力を武器に漫画化しましたが、それでも単行本にして5巻あります。とはいえ、この時点で文字が一度映像に置き換わっていたわけで、アニメ化するのは比較的容易に思えるかも知れませんが、いくらそこを指針にするにしても、この壮大なストーリーをただのハイライトに終わらせることなく、高い密度を保ったまま1本の映画の中に凝縮させるのは至難の技です。プロデューサーは、まず谷口ジローにコンタクトを取りつつ、シナリオを何度も練り直して、その脚本と下絵を見てもらったそうです。実はその直後に谷口ジローは亡くなるわけですが、原作小説の漫画的脚色をさらにアニメ的脚色にする設計図について、そこで好感触を得たことは、映画スタッフたちの大きな力になりました。

(C)Le Sommet des Dieux - 2021 / Julianne Films / Folivari / Melusine Productions / France 3 Cinema / Aura Cinema
具体的には、主人公である深町と羽生ふたりから広がる人間関係の枝葉を大胆に切り落として、あらすじで紹介したふたつの謎を軸に据えました。つまりは、1953年とされるエベレスト初登頂のはるか30年前にマロリーがその頂きに立っていたかもしれないというロマンをくすぐる古いカメラの存在。そして、なぜかある時から消息を絶っていた羽生がなぜそのカメラを手にしていたのかという問題。監督は高畑勲の『おもひでぽろぽろ』を参考にしたと発言しているように、羽生の過去とそれを調査する深町の現在を交錯させて語ることで、ミステリーの体裁をとって観客の興味をしっかり結わえつけながら、作品の実は狙いである、哲学的な領域へと僕たちを誘ってくれます。
 
人はなぜ山に登るのか。有名な言葉がありますよね。「そこに山があるから。そこにエヴェレストがあるから」。これはマロリーがニューヨーク・タイムズの記者からの質問に出した回答でした。これは登山だけではなく、何かを成し遂げようとする時、生み出そうとする時、人はなぜ孤独を覚えてでも命をかけてでも取り組むのかという問いにこの映画は踏み込むんです。羽生という孤高の存在に、カメラマンという観客に比較的近い存在である深町がザイルをかけるようにして取りつくうち、だんだんとふたりは物理的にも精神的にも近づいていきます。つまり、僕ら観客も擬似的に、映画館にいながらにして、マロリーのあの名言の簡潔にして深い言葉の何たるかに手をかけることになる。どれほどゾクゾクすることか。

(C)Le Sommet des Dieux - 2021 / Julianne Films / Folivari / Melusine Productions / France 3 Cinema / Aura Cinema
一度日本で実写映画化されているこの物語ですが、隅々まで描きこむ画作りと構図が見事だった谷口ジローの絵をいわばベースキャンプにして、そこから荷物を減らして、つまり絵の線を削ぐことで、特に人物の内面を示す表情を端的に示すなど、ゼロからすべてを描き込んでいくアニメだからこそ、僕はより高いレベルでテーマに迫っていると考えます。山でしか聴こえない数々の音の再現もすごかったし、高山病によってもたらされる強烈な頭痛の描写や、極限状態で見える幻覚についても、アニメの強みを活かして真に迫っていました。とにかく僕は大満足。これ、ネットフリックスが世界配信権を獲得しているんですが、映画館で体験できたのは貴重でした。音もすごいし、パノラマも圧巻なので、限られた上映回数になってきていますが、今のうちにぜひ劇場で!
曲はサントラからではありません。雰囲気も神々の山嶺とはまるで違うんですが、何者もおれをとめられない。世界のいただきに立つんだすべてをかけてと勢いよく歌っていたVan Halenで、あなたを映画館へ後押しだと、Top of The Worldお送りしました。

さ〜て、次回、2022年7月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ソー:ラブ&サンダー』ヴァン・ヘイレンをかけたことが呼び水になったのか、ガンズのハードロックがゴロゴロピッカンと鳴り響く雷神ソーの最新作になりました。当コーナーでは比較的縁遠いマーベルですが、久々に観に行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『エルヴィス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月12日放送分
映画『エルヴィス』短評のDJ'sカット版です。

世界で最も売れたソロ・ミュージシャン、エルヴィス・プレスリー。1950年代にロックンロールを世界中に知らしめたキング・オブ・ロックンロールの伝記映画です。センセーショナルなパフォーマンスの数々と私生活を、悪名高いマネージャー、トム・パーカー大佐の視点で描きました。
 
共同脚本、監督、製作を務めたのはバズ・ラーマン。製作、美術、衣装は、監督の右腕として、そして私生活のパートナーとして、30年以上チームを組んでいるオスカー受賞者のキャサリン・マーティン。エルヴィスに扮したのは、オースティン・バトラー。マネージャーのトム・パーカーは、トム・ハンクスが演じました。
 
僕は、先週金曜日の昼、MOVIX京都のドルビー・シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

バズ・ラーマンのすごいところは、『ロミオ+ジュリエット』しかり、『華麗なるギャツビー』、みんなが知っている物語を扱いながら、「こんなの初めて観た」と観客に思わせてしまうことです。だからこそ、その演出に賛否両論が出てくるわけですが、彼が心がけているのは「実際に『どうだった』かを解読するのではなく、当時の観客が『どう感じた』かを再現するようにしている」とプロダクション・ノートにありました。僕たちの感じるインパクトを重視しているということですね。シェイクスピアの戯曲をマイアミに舞台を移してレディオヘッドを合わせれば、コテコテの古典ではなくなるわけです。ジャズ・エイジのギャツビーなら、当時まだなかったヒップホップの音楽的アプローチをジェイ・Zに担当してもらうことで、そのままやればセピアがかった古臭いものと捉えられそうな物語を新鮮に感じさせてくれました。今作だと、たとえば、1954年、人気ラジオ番組の生放送での有観客のライブ・パフォーマンスを描いた場面を思い出していただきたい。あそこは会場の様子なんかは忠実に再現したということなんですが、音楽的には実は違和感のある速弾きのギターリフが採用されているんですね。わざわざ、ゲイリー・クラーク・ジュニアに弾いてもらったそうです。なぜって、現代の観客には、その方が当時のインパクト、パンキッシュな衝撃と強烈さが伝わるからなんですね。これは、当時の現実の映像を観ても、もしかすると僕たちには伝わらないかもしれないことで、バズ・ラーマン作品を鑑賞する醍醐味のひとつです。

ロミオ&ジュリエット (字幕版) 華麗なるギャツビー(字幕版)

パンフに掲載されたインタビューにおいて、監督は伝記映画が好きだとしたうえで、「単純にその人の経歴を紹介するような映画を作りたいと思ったことはない」と語っています。彼がこの作品で目指したのは、1950〜70年代のアメリカを描くことなんです。多様な要素が交わって新しいものを生み出していくエネルギーのあった時代ですよ。ロックンロールはそうやって生まれたわけですしね。エルヴィスは黒人街で育った数少ない白人だったこと。彼がそこでブルーズやゴスペルをどっぷり浴びていたからこそ、カントリーと自然に結びつけられたことを描いています。当時はそれは南部の保守派のひんしゅくを買うどころか、踊るだけで逮捕すると言われるくらいの批判と反感を買うものだったけれど、エルヴィスのおかげで大衆音楽がとても豊かになったことを僕たちは知っていますよね。Black Lives Matter運動以降、また顕在化してしまっている人種問題を考える上でも、エルヴィスの当時の感覚を描くことは、異なる文化の交流や交錯が新しいものを生み出して社会を発展させるんだと僕たちに再確認させてくれます。

©2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
そして、もうひとつあの時代のアメリカを描くにあたってラーマン監督が描きたかったのは、ギラギラしたアメリカン・ドリームを体現するような、なりふり構わず売り込んでいくようなエネルギーです。僕が今作で最もユニークだと感じているのは、マネージャーであるトム・パーカー大佐の存在です。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の成功は、クライマックスとなるライブエイドのパフォーマンスへ向かうフレディ・マーキュリーの様子をまず見せておくという語りの順序に大きな要因があると思いますが、この作品の鍵はマネージャーのトム・パーカーが語り手になっていることです。ショービジネスの世界ではよく登場する悪人としてのマネージャーなんですが、彼自身がまず無茶苦茶興味深いんですよね。実はオランダからの密入国者で、トムもパーカーも偽名です。アメリカ国籍を取るために軍隊に入って、除隊後に興行師になるんですけど、大佐っていうのも軍でそこまで出世したんじゃなくって、そう呼んでもらったほうが箔がつくからってことです。彼は音楽よりもエルヴィスのダンスに着目して、これをブランド化して売り出せば億万長者になれると踏んで、達者な口車と世渡り術で突き進んでいきます。エルヴィスの父親代わりとも言える恩人でもありながら、その売り上げだけでなく命そのものを搾り取った悪人でもあるかもしれない。そんなトム・パーカーという「信用できない語り手」がいるからこそ、僕たち観客は余計に目が離せないし、本当のところはどうだったのだろうかと食い入るように観ることになるんですね。

©2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
この映画は、エルヴィスとトム・パーカーが出会い、ともに歩き出し、ふたりの足並みが揃っている時と、そうでない時を軸にエピソードをピックアップして、やがてふたりともこの世を去るまでを描いています。僕がその中でハイライトだと感じたのは、パーカーが売り込みまくって仕組んだクリスマス・ソングばかりを歌わせるテレビ番組の中で、エルヴィスが自分のルーツたる黒人音楽を反映させた『明日への願い/If I Can Dream』という曲、しかもキング牧師のスピーチへのアンサーソングとして書いた新曲を披露する場面です。あそこには、ショービジネスの表と裏と、時代性と普遍性が同時に凝縮されていました。

©2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
監督はこんなことも言っています。「映画は言葉、音楽、ビジュアル、演技のそれぞれのレイヤーがオーケストラの楽器のように重なり、ひとつの統合された素晴らしい瞬間を紡ぐ。いつもうまくいくとは限らないけどね」と。バズ・ラーマンのそんな信念がものすごくうまくいった集大成であり、新たな音楽映画の傑作です。まいりました!
現在配信中、そして今月29日にはCDでもリリースになるサントラから、エンドロールで流れるこの曲を放送ではオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年7月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『神々の山嶺』。漫画化もされて人気の夢枕獏の小説が、フランスでアニメになったとあって、これは山好きの僕としても興味深いと思っていたらばっちり当たりました。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ザ・ロストシティ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月5日放送分
映画『ザ・ロストシティ』短評のDJ'sカット版です。

ロマンティックな冒険小説を得意とする、元考古学者の売れっ子作家ロレッタ。シリーズ最新作のプロモーション・ツアーに駆り出されたところで、謎の億万長者フェアファックスに拉致連行されたのは、南の島。狙いは、彼女が小説に描いていた伝説の古代都市ロストシティの財宝です。ロレッタを救い出すべく島に追いかけてきたのは、彼女の本のカバーモデルを一貫して務めてきたモデルのアランなんですが、どうもこのイケメン・マッチョが使えない男でして…
 
監督・脚本を務めたのは、イキの良いコンビ、アーロンとアダムのニー・ブラザーズ。『マスターズ/超空の覇者』のリブートを今手がけているというふたりです。主役の作家ロレッタ・セージを演じ、製作にも関わっているのがサンドラ・ブロック。相棒のアランをチャニング・テイタム、謎の富豪をダニエル・ラドクリフが演じている他、ブラッド・ピットもおいしい出方をしています。
 
僕は、先週金曜日の昼、MOVIX京都で字幕版を鑑賞しました。映画サービスデーってこともあるし、こういう笑える冒険ものの大作が久々ってこともあるのか、かなりお客さんは入っていましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

19世紀後半に映画が発明したリュミエール兄弟は、その後まず何をしたか。カメラを担いで、世界のあちこちを巡っては記録して、それを映画館にかけていきました。1897年には日本でも撮影が行われていて、京都で剣道の試合を記録したものは、現存する日本最古の動く映像とも言われます。つまり、映画というのは、映画館にいながらにして世界あちこち、秘境と言われるようななかなか一般人が出かけられない場所の様子も擬似的に体験できる装置だったわけです。それがいつしか、地球上で人類未踏の地が減り、フロンティアも秘境も少なくなったことに呼応するかのようにして、映画でも未開の地を探索する冒険活劇は明らかに減ってきていますね。寂しくないと言えば嘘にはなるけれど、いわゆる先進国のキャラクターがいわゆる未開の地でトラブルを引き起こしたり、カルチャーショックを受けてドタバタするっていうのは、差別や偏見を助長する可能性もあるので、ポリティカル・コレクトネスを踏まえると今は昔のように描けないってのも背景にある事情でしょう。

ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(字幕版)

今作は、題材としては古代文明の謎の解明+アドベンチャーということで、インディー・ジョーンズのシリーズに近いものがあるわけですが、もっとはっきり似ている、いや、間違いなく参照している、なんならパロディーにしているのが、ロバート・ゼメキスが監督した『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』です。84年の作品で、キャスリーン・ターナーマイケル・ダグラスの共演。作家の女性が中南米のジャングルで拉致された姉を救出すべく奮闘するうちに伝説の秘宝であるエメラルドをめぐる戦いに巻き込まれて、冒険家のジャックと助け合いながら… あれ?  なんか、似てますよね? ロマンシング・ストーンを現代版に更新するにあたり、ひねりを加えたのが本作です。

(C)2022 Paramount Pictures. All rights reserved.
僕も参照したこのサイトのように丁寧に比較すると面白いと思いますが、まずわかりやすいのは、危機に陥った女性をマッチョな男性が救出するという物語的な鋳型に、まったくそぐわないキャラクターを流し込んでいることです。チャニング・テイタム演じるアランは、モデルとして有名になって世間から期待されている勇ましいイメージとは裏腹に、ジャングルへ美顔パックを持参するようなフェミニンな要素があって、勇気は振り絞るけれど、何をやっても見掛け倒しです。それが笑いを誘うという構図ですね。ロレッタはロレッタで、作家として社会的に成功してはいるけれど、考古学の世界をともに追求した夫に先立たれた喪失感から立ち直れず、書いている小説だって自分の創作意欲を追求すると言うよりは大衆の求めるものに応じているに過ぎないんだと、作家としても、学者としても、自分を卑下するような感覚でいる。どうにも満たされない作家と、空回りのイケメンモデル。冒険のワクワクを読者に提供してきたふたりが、望まない本当の冒険に巻き込まれたら、ドラマティックどころか、ドタバタで、スットコドッコイであるという、イメージと実態のギャップを笑う構造が随所に散りばめられています。だいたいが、ロレッタがジャングルでラメ入りのジャンプスーツってのもおかしな話ですよね。それは拉致されたから、やむなくそんなそぐわない恰好なんだけど、じゃあ小説のプロモーション・イベントで着る服かって言ったら、そもそもそれもそぐわなかったわけだし、本人も気乗りしていなかったわけです。気乗りしない、そぐわない、からの、さらにそぐわない状況に陥るという仕掛けですね。

(C)2022 Paramount Pictures. All rights reserved.
序盤、唯一の例外として、ブラピ演じる、イケメンで武闘派で知恵も経験も揃った謎の男が、そんな男女二人の救世主になるのかと思いきや〜、まさかの退場。まだ冒険の本番が始まってもいないような段階でスクリーンから文字通り姿を消すんです。主役級の人、観客もキャラたちも期待をかけていた人がある理由でいなくなるという、定石を外すギャップの笑いがここでも炸裂しているし、キャラを消す、デリートするというのは、予告編にも出てくる、作家の頭の中の再現でもあって、それを「リアル」に再現したらとんでもねえぞっていう再現でもあるという入れ子構造。これ、つまりは現代では冒険ものがポリコレもあって難しいっていうことを、かつての有名作品をイジって逆手に取った、ある種ずる賢いコメディーでもあります。
 
てな具合に、ひとしきり練ってあるんだけれど、ブラック・ユーモアと下ネタの釣瓶撃ちに辟易する人がいるのは、もうやむなしだと思います。予告にも出てくる、あの『スタンド・バイ・ミー』的なヒルの場面だって、笑えない人の神経は逆なでするでしょう。でも、僕はキライではないです。バカやってるなぁのバカの味付けに好き嫌いはあっても、バカの方向性は間違っていないと思うからです。新喜劇を観に行くノリで、ぜひあなたもご確認ください。
 
映画の序盤でこれからの絶え間ない移動を予告するかのように流れるこの曲をオンエアしました。他にも、ニヤリとできる選曲が、あちこちにありましたね。

さ〜て、次回、2022年7月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エルヴィス』。やりました。やってやりました。今は話題作が目白押しの映画館ですが、その中でも既に番組にたくさん感想が届いているバズ・ラーマン監督作にしてプレスリーの伝記映画。僕も知らないことたくさんなので、学びも込みで楽しんできます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『メタモルフォーゼの縁側』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月28日放送分
映画『メタモルフォーゼの縁側』短評のDJ'sカット版です。

さえない日常を送る女子高生の佐山うららと、夫に先立たれて一人暮らしをしている老婦人の市野井雪。これまで交わることのなかった58歳差のふたりの女性が、ゆるやかに、でも分かちがたく友情を育んでいくきっかけはボーイズラブの漫画でした。何度も会ってときめきに満ちた会話をするうちに、ふたりはやがてある目標に挑むことになります。

メタモルフォーゼの縁側 映画記念BOXセット

 原作は鶴谷香央理の人気同名漫画ですね。5巻の物語のエピソードを取捨選択して映画用に脚色したのは、『阪急電車 片道15分の奇跡』の岡田惠和(よしかず)で、監督はドラマ畑で活躍してきた狩山俊輔。劇伴はT字路sが担当し、ボーカルの伊東妙子はうららの母親役としても出演しています。うららを演じたのは、まさに今高校生の芦田愛菜。雪に扮したのは、宮本信子。他に古川琴音やなにわ男子の高橋恭平、光石研なども登場しています。

 
僕は、金曜日の朝イチ、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕はですね、映画を観る時に、「セットですが何か?」みたいな作り物感のある美術に出くわしてしまうと、どうしても気になってあまりのめりこめなくなってしまうんです。予算のこともありますが、ドラマだとどうしてもその点でしんどく感じることが多いし、せっかくの映画館の大きなスクリーンで美術のぞんざいな仕事が映り込んでいると、もったいないなと思ってしまいます。この作品の場合、女子高生うららの住んでいる古びた団地と、老婦人雪の住んでいる庭付きの日本家屋、それぞれの住空間が舞台装置としてすごく重要なわけですが、僕は美術デザインをされた内田哲也さんの見事な仕事に感心しました。

(C)2022「メタモルフォーゼの縁側」製作委員会
たとえば、雪の家。あの建物は実在するものなんですが、室内のものはすべて出してクリアにして、家具から食器から、雪がやっている書道教室のあれやこれやまで、すべての小道具大道具を持ち込んだそうです。そして、タイトルにもなっている縁側。あれは今風に言えばウッドデッキになる、外にせり出した濡れ縁ですね。事前にスタジオで製作したものを設置したそうです。その結果、本当に雪さんが住んでいる家になっているんです。夫に先立たれ、ひとり娘は北欧で暮らしていても、彼女はひとり凛と上品に生活を送っている。家の手入れも怠らない。のだけれど、さすがに寄る年波には勝てず、家の端々にガタが来ているところまでは手が回らずにいる感じが出ているんです。たとえば、細かいようだけれど、雪の背後に何度か映るふすま。そこそこ大きな凹みがあるんですよ。そういうところまで、ぜひ味わっていただきたい。繰り返し登場する雪の家は、うららとの関係の変化、深まりに合わせて、そして他にも訪問する人に合わせて、微細に、あるいは時に大きく移ろっていきます。だから、そこに宮本信子がいれば、ごちゃごちゃ説明しなくても、僕らにはしっかり状況がじわり伝わるんです。匂いまで伝わってきそうなんです。

(C)2022「メタモルフォーゼの縁側」製作委員会
同じことはうららの団地にも言えます。おそらくは、母子家庭なんでしょう。裕福とは決して言えないし、伊藤妙子演じるお母さんも自分たちを「小市民」なんて言っていました。でも、そこには金持ちへのやっかみもないどころか、汗かいて仕事して娘を育てているというささやかな誇りもある。うららはうららで、そんな母のような境地にはまだ達していない思春期の女の子だからこそ、迷いもあるし、クラスのイケてる女子へのやっかみを捨てきれずに悶々としていたりもする。そんな彼女の部屋のデスク、見ました? ふすまを取っ払って、押し入れの段をそのままデスクにしてるんですよ。漫画は数が多くなりすぎていて、BLはまとめて段ボール箱に入れて、その押し入れデスクの下に押し込んである。そのわりには、一番開け閉めするんですけどね。

(C)2022「メタモルフォーゼの縁側」製作委員会
思えば、ふたりの出会いのきっかけは、うららがアルバイトをしている町の本屋さんに雪がふらりとやって来たら、棚の配置換えがあって、以前は料理本が置いてあったところに、漫画本が並んでいて、たまたまその表紙の美しさに惹かれて手に取ったら、それがBLだったということ。とても偶発的なことですよね。僕は映画を観終わってとても爽やかな気持ちになりました。たまたま起きる出来事や好奇心を素直にキャッチすれば、人はいくつになっても、ときめくことができると教えてくれたからです。これはBLがモチーフでしたけど、はっきり言ってなんでもいいんです。主題歌のタイトルのように「これさえあれば」というものに巡り会えれば、人生は豊かになる。家族や学校・職場といった居場所以外に、もうひとつ、ふたつ、立場や年齢を越えた友人がいれば、人生は華やぐ。あの縁側のように風通しが良くなる。メタモルフォーゼ、変身は、死ぬまでいつだってできる。とっても清々しい作品でした。

映画の終わりには、芦田愛菜宮本信子のふたりがこの曲を歌うんですが、びっくりするくらい物語にマッチしていましたよ。オリジナルはT字路s。手がけられたサウンド・トラックもすばらしかったです。


さ〜て、次回、2022年7月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ザ・ロストシティ』サンドラ・ブロックが主演だけでなくてプロデュースにまで乗り出したというノンストップ・アクション・コメディ。面白そうじゃないですか。チャニング・テイタムブラッド・ピットがどんな演技アンサンブルを見せるのか。笑う気満々で劇場へ行ってきますよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『冬薔薇』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月21日放送分
『冬薔薇』短評のDJ'sカット版です。

埋め立て用の土砂を運ぶガット船で海運業を営む両親のもと、港町で育ってきた淳。服飾系の専門学校に籍こそ置いているものの、まともに通学もせず、半端な不良仲間とつるみながら、友人や女から金をせびってダラダラくらすロクデナシです。時代の波に乗り切れず、ガット船の操業と後継者について悩みを抱える父ですが、親子の会話もほとんどない状況の中、淳の仲間が街で襲われる事件が発生。浮上した犯人像は、意外な人物のものでした。
 
伊藤健太郎を主演に映画を撮ってほしいという依頼を受け、オリジナルで脚本を書いて監督したのが、これが29作目となる阪本順治。集められたキャストは、両親役に小林薫余貴美子、ガット船の乗組員に石橋蓮司伊武雅刀真木蔵人など。そして、永山絢斗河合優実といった面々も出演しています。
 
僕は、監督を番組ゲストに迎えるにあたり、マスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

2年弱前でしたかね、伊藤健太郎さんが交通事故を起こして、不起訴とはなったものの、逮捕されたことにより、約1年、芸能活動がストップしました。人気と才能を考えれば、もう一度チャンスを与えたい。そう考えられても不思議ではないところへ、阪本順治監督に何とか主役で一本お願いできないかということになったわけです。監督にしてみれば、これまで縁もなく、40年ほど年の離れた若い俳優を主演で迎えることになるとは思っていなかった。ついては、一度、マネージャーも抜きの、一対一、サシで話し合わせてほしいと2時間ほど語り合い、伊藤さんにしてみればきっと探られたくないような質問もあえてしたうえで、正直に何でも打ち明けてくれたその内容と態度を踏まえて、オリジナルの脚本を当て書きで練り上げました。
 
もうひとつ前提としてお伝えしたいのは、タイトルで季語でもある冬薔薇について。薔薇にも種類はいろいろあるけれど、冬に咲くものは珍しい。冬枯れの中、枝葉も落としてしまったところに小ぶりの花をつけるのは、わびしい思いを禁じえないと歳時記にはあります。つまり、美しいけれど、どこか物悲しい。生命力を感じるが、気を逸したような孤独も漂う。監督は数年前、飲みに行った帰り道、花屋の軒先でたまたま見かけた薔薇の鉢植えを生まれて初めて勢いで買って、ご自身がおっしゃるには「おじさんが柄にもなく」丁寧に手入れをしていたら、冬のある日にふと咲いてくれた。この出来事は何かのモチーフとして使えるんじゃないかと温めていたわけです。

(C)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
若くして自分の失敗で出直しを余儀なくされた伊藤健太郎と、冬に咲く薔薇。さらには、以前から気になっていたガット船を盛り込んで、あえてこんなワードを使えば、令和のろくでなしブルースを編んでいくことになるわけですが、はっきり言って、ああしたヤンキー漫画のようなキャラクター的魅力はありません。伊藤健太郎演じる淳は、つるんでいる半グレ集団の中でも上層部にいるわけではなく、強者には媚びへつらい、弱者には偉そうで、自活能力もなく、野望も展望もなく、ただ漂っているだけの浮き草なんですね。他の連中にもそういうところはあるし、一見真っ当な奴だって、闇を抱えているところも見せます。そして、考えてみれば、淳の親や雇われている労働者たち大人も、多かれ少なかれ不安定に揺れて生きているじゃないかと、監督は若者をクールに見るだけでなく、自分と同世代をある種自虐的に見ているところもありました。そこはフェアだと思うし、あの父親の不甲斐なさを考えれば、淳に対して同情の念が湧かなくもないです。

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でも、それにしたって、久々に、目に見えてどうしようもないなっていう青年の話を見ましたよ。最近評したもので言えば、ギレルモ・デル・トロの『ナイトメア・アリー』なんて、人生の再出発もの、なおかつ因果報応ものがありましたけど、あれなんかだと、主人公は一応は野心を抱いて、それがどう転ぶのかっていう見どころがあるものの、淳にはその野心もないんです。僕はイタリアのパゾリーニ監督、1961年のデビュー作『アッカトーネ』を思い出しました。ローマ郊外のチンピラでヒモとして暮らしている青年の顛末を描いた作品でしたけどね。同じく、どうしようもない話だし、行儀の良い教訓もないんだけれど、なぜか食い入るように見てしまう共通点があります。

(C)2022「冬薔薇(ふゆそうび)」FILM PARTNERS
『冬薔薇』について言えば、小林薫余貴美子石橋蓮司といったベテランとのアンサンブルもありますが、斜陽化する肉体労働たるガット船の操業という、監督の言葉を借りれば「お仕事映画」としての興味の持続と、波間を空っぽのままたゆたう不思議な船そのものが、空虚さと、見通しの立たなさの暗喩として機能させるのがとても良かったです。もちろん、母親が途中から事務所脇で不意に育て始めた冬薔薇もそう。サングラスも意味深なモチーフになりました。それら道具立ての巧さがストーリーそのものの深みを越えてしまっている気もして、そこは歯車が多少きしんでいるように思える箇所も僕にはありました。そして、そのままなんだかんだと、最後には伊藤健太郎復帰作で主人公に花を持たせるラストとなれば、その花は造花に違いないと嘘くささが充満するところですが、阪本監督に限ってそんなことはしません。ラストに、淳は咲いてみせます。しかも、彼は落ちこぼれて落ちこぼれて、文字通り地を這う彼を、これでもかと真上から俯瞰ショットで撮影して映像的にも叩き落とした上で、彼は這い上がります。きっかけと場所は僕らが期待したものではなかったけれど。そして、サングラスはかけているのに、ラストショットでそのレンズの向こうに、彼の生きた目が初めて見えるような気がするんです。それは見たことのない伊藤健太郎の顔であり、結果として、阪本順治監督の伊藤健太郎をまた土俵・リングに上げるお仕事は成功していると思います。
主題歌にあたるようなものはないので、僕のイメージ選曲。ならず者にこちらへ戻ってこいと助言を贈るDesperadoをDiana Krallのバージョンでオンエアしました。誰かに愛してもらえるような人になるんだ。手遅れになる前に。そんな言葉で締められるこの曲を、僕は主人公の淳に贈りたいなと。


さ〜て、次回、2022年6月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『メタモルフォーゼの縁側』となりました。話題になった漫画の映画化ですよね。芦田愛菜宮本信子が演じる世代のまったく違う女性ふたりが、まさかまさかのBL漫画を通して交流するということですが、なぜ宮本信子演じる婦人がBLにハマったのか、まずそこに興味津々の僕です。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『犬王』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月14日放送分
『犬王』短評のDJ'sカット版です。

時は南北朝から室町の時代です。京の都で、当時は近江猿楽と言われた能楽、比叡座の家にひとりの子どもが誕生します。ただ、その姿があまりにも奇怪だと、大人たちは彼にお面を被せ、全身を衣服で包んでしまいます。彼こそは、後の犬王なのですが、彼はある日、友魚(ともな)という琵琶法師の少年と出会います。友魚は壇ノ浦出身で、幼い頃に父親と自分の視力を失っていたのですが、京都へ流れ着いたのです。ふたりはやがてコンビを組み、独自の平家物語を人々にショーとして披露することで人気を博し、ポップスターへになっていくのですが…

平家物語 犬王の巻 (河出文庫)

原作は平家物語を現代語に訳してもいる古川日出男の小説『平家物語 犬王の巻』。監督は『四畳半神話大系』『映像研に手を出すな!』の湯浅政明。脚本は野木亜紀子。キャラクターは松本大洋。音楽は大友良英という豪華な布陣。犬王の声を当てたのは、ロックバンド女王蜂のヴォーカル、アヴちゃん。友魚を森山未來が演じた他、柄本佑松重豊、さらにはヨーロッパ企画の面々も出演しています。
 
僕は、先週金曜日の午後、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

湯浅作品は頭から油断なりませんよ。ものすごいアニメ表現のオンパレードでした。野木亜紀子脚本の原作にはないアイデアだったようですが、まず現代の京都を舞台にしたプロローグが用意されています。僕はまさに京都で観ていましたから、余計にゾクゾク来ますよ。ストリート・ミュージシャンのような琵琶法師と舞を舞う犬王がアスファルトの路上にいる。そこから時代は一気に600年前へ。その時間の移動の際にサブリミナル状態で矢継ぎ早に挟まれる映像に驚きながら、古都京都が当たり前だけれど堆積してきた歴史、それも大文字で書かれる歴史ではなく、名もなき人々の営みの上にあるということを思い知らされるわけです。
 
ところ変わって、600年前の壇ノ浦。源平の合戦で海に沈んでしまった神器のひとつである刀剣を、今日の侍からの依頼を受けて地元の潜水士親子が海の底から拾い上げると、悲劇が起きて、主人公のひとり、友魚が視力をほぼ失ってしまい、その復讐を果たすべく、京へ上ってくる間に、琵琶法師と出会い、楽器も覚えるようになる。物語としてはこういうことなんですが、これだけでは何も語れていない気がするのはなぜって、それは湯浅監督の淡い水墨画のようなタッチによる友魚のおぼろげな視界の描写がものすごいからです。視覚が損なわれたことでみるみる発達していく聴覚と連動するような絵の動きはお見事で、僕はとりわけ序盤にアニメ的快楽を覚えました。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
一方の犬王ですが、腕が1本だけ異様に長かったり、どうやら素顔も人間らしからぬ姿のようで、いつもひょうたん型のこれまたいびつなお面をしています。彼の動きも、人間の身体の動きとは違うわけで、アニメとして見ていて楽しい部分です。ましてや、そんな彼が独自の舞、猿楽の舞を編み出していくわけですから、劇中での変化から目が離せなくなります。
 
実在の人物とされる犬王ですが、どうやら作品の記録は残っていないようでして、それはなぜなのかという僕たちの疑問も、映画を貫く観客の好奇心として作用するので、ますます目が離せず、耳も傾けっぱなしになる。そんな快調な出だしでした。絵の技法やアングル、画面の引きと寄りが自由自在で、湯浅監督のアイデアをこれでもかと注ぎ込んだであろう動きは、アニメが絵に魂=アニマを吹き込む行為そのものだという言葉の由来まで思い出させるような集大成的なレベルに達しています。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
原作の古川日出男さんのロング・インタビューリアルサウンドに掲載されていて興味深く読んだんですが、そもそも平家物語というのは文字を読むというよりも、琵琶法師が歌って聞かせる、まさに「物語る」ものとして伝承されたわけで、バリエーションも様々だし、全国津々浦々でこういう話やああいう人物を入れろといったリクエストに応えて、琵琶法師たちがエピソードを拾い拡張してきたものです。だからこそ、主人公のふたりが平家の亡霊たちの無念を拾い上げて、それまでの平家物語の枠組みを押し広げていく様子はなるほどなと思うし、そうした名もなき者たちを、語りと舞と音楽という総合芸術で救済することを全体を貫くテーマに据えているのも合点がいきます。

(c) 2021 "INU-OH" Film Partners.
当時の彼らのパフォーマンスが革新的で庶民をストリートで巻き込むものだったかを見せるために、この映画ではジャンルとしてはロックを採用しています。そこに踊りはヒップホップの要素も加えつつ、和楽器の音色にいわゆるバンドサウンドを混ぜながら、簡単に言えばサウンドトラックは和楽器バンドみたいなことになっています。大友良英の用意した劇伴にアヴちゃんや森山未來の語り混じりのボーカルが重なって、話が進んでくると、ストリートからライブハウス、ホールからアリーナへという具合に、ショーの内容と規模、そして観客の構成も変化していくんですが、僕が正直なところ乗り切れなかったのは、その音楽的な語りの部分です。アニメーションでの序盤の豊富な見せ方が、ライブシーンになると現代の僕たちには既視感のあるものにむしろ後退して手数が少なくなったように見えるのと、規模が大きくなるにつれ、そこでの映画全体の物語のスピードが落ちるように感じたんですね。だいたいそれまでに超現実的なことが乱発されていたわけで、ショーがむしろ普通に見えてしまうという現象が起きていました。そして、結局犬王はなぜ最終的に権力者である足利義満にあのような対応をしたのか、すんなり合点がいかない流れで、また最後にスッと現代に戻られても、僕のもやもやとした気持ちが結局現代の京都に浮遊するという結果にはなりました。
 
とはいえ、湯浅監督がこれだけ有名になって大御所になっても、まだまだ意欲と挑戦、冒険心の塊でいることをビリビリ感じる作品であることは間違いないので、でっかい音で楽しめる劇場で観られるうちに、あなたも鑑賞してみてください。
ロックオペラ的なサントラから、チラッと雰囲気を味わってもらおうと、ラジオではこの『腕塚』をオンエアしました。ただ、語る要素の多い作品とあって、まだまだ語りきれていないもどかしさも残っていますよ。たとえば、友魚が名前を友一、友有と変化させていく名前のアイデンティティのことなんかも、もう少し考えてみたいところ。あと、エピローグについては、リスナーのラジオネームかばじゅんこさんがこんな解釈を番組に寄せてくれました。「ふたりの魂が現代で再会して成仏できた(?)のは、この作品がふたりの物語を”拾った”からだと気づかせる終わり方は好き!」これには、なるほどと膝を打ちましたよ。なんだかんだ、早速見返したくなっています。


さ〜て、次回、2022年6月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『冬薔薇』(ふゆそうび)となりました。これまで何度か阪本順治監督にインタビューをしていて盛り上がった経緯もあり、先日も番組にゲスト出演いただきました。そこでの話も思い出しながら、伊藤健太郎主演のこのオリジナルの物語を来週は語ります。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!