京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『L.A.コールドケース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月16日放送分
映画『L.A.コールドケース』短評のDJ'sカット版です。

ロサンゼルス市警の元刑事ラッセル・プール。97年に起きたラップの大スター、ノトーリアスB.I.G.銃殺事件から18年経っても、彼はひとりでその真相を追い続けていました。事件の裏には、東海岸と西海岸のレーベル同士で何かと揉めていたHIPHOP東西抗争とされ、その趣旨の記事でかつて評価された新聞記者のジャックは、新たな特集記事を書くために取材でプール元刑事のもとを訪れ、ふたりは事件の再調査を始めます。そこに浮かび上がってきたのは、想像を越える巨大な闇でした。
 
原作は、ピューリッツァー賞にノミネートされた、ランドール・サリヴァンのノンフィクション『ラビリンス』。脚本は、俳優としてキャリアを積んできたクリスチャン・コントレラスで、これが脚本家デビューとなります。監督は、『リンカーン弁護士』やジャスティン・ビーバーのMV演出などで知られるブラッド・ファーマン。元刑事プールを演じたのは、ジョニー・デップ。新聞記者ジャックに扮したのはフォレスト・ウィテカーです。
 
僕は、先週木曜の昼間、アップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


まず、一言。気骨のある作品だったと振り返りたいところです。残念ながら日本語ではまだ読めない原作が、現在進行形のアメリカ社会の闇を暴いたのも価値あることで向こうでは一定程度の反響を呼んだわけですが、映画になるとすると、対象となる闇にますます光が当たるわけで、それを快く思わない人たちがいます。端的に言えば、それはロス市警です。映画を観ていない人は、「え? 警察? 確かにこのふたりの大物ラッパーの暗殺事件ってのは未解決ではあるから警察にとっては不名誉なことだろうけれども、要するにヒップホップ界の東西抗争、ギャングたちのいさかいがエスカレートして起きたってだけなのに、なぜそこまで警察が嫌がるの?」って思うでしょう。僕もそんなひとりでした。実は、この作品は、このふたりの若者の死を細かく丹念に追いながらも、全体としてはもっと俯瞰的にLA警察の組織の腐敗とその構造、ひいてはアメリカ社会に根強くはびこる偏見と差別の問題を見せつけるんだから驚きなんです。目をカッと開かされるし、開いた口が塞がらなくなります。

(C)2018 Good Films Enterprises, LLC.
話を戻して、そんな不都合な真実をまず世に突きつけたノンフィクションが2002年に出版されました。なぜ映画化に20年もかかったのか。それは、一度頓挫しているからです。劇場パンフにLA在住の映画ジャーナリスト猿渡由紀さんが寄せた文章によれば、大手のドリームワークスが、なんとディカプリオ主演で動いていたんですって。でも、実現しなかった。原作者のサリヴァンは、そこに警察からプレッシャーがかかったのだと推測しています。たとえ難しい企画だとしても、これは映画にして多くの人に、そして世界のあちこちで観てもらうべきだと、今作の監督ブラッド・ファーマンは自分でもさらなるリサーチに入ったんですが、やはりと言うべきか、そこでも警察内部の知り合いから突然連絡があって、「その映画を作るのはやめておいたほうがいい」という助言というより警告があったそうです。撮影が終わって、公開直前には、今度はジョニー・デップの訴訟問題が降って湧き、アメリカでの公開は2年以上遅れ、しかもコロナ禍に入ったことで、向こうでは配信がメインになってしまいました。それほどまでに不都合な真実なのか。そうと言わざるを得ません。

(C)2018 Good Films Enterprises, LLC.
映画の冒頭、今から30年前の大事件、白人警官4人が黒人青年を暴行したことに端を発するロス暴動が手際よく振り返られます。死者、実に63人。負傷者2383人。一見直接関係のない事件だけれど、根底ではつながっている。この映画の脚色として生み出されたキャラクター、黒人ジャーナリストのジャクソンがプール元刑事に初めて会う場面で、刑事は彼にこう投げかけます。「白人が黒人を射殺した。非はどっちにある?」。要するに、いつもまず疑われ、下手すれば罪をなすりつけられるのは黒人だということです。この一言は、まさに原作のタイトル通り迷宮そのものと言うべき事件と社会の黒いパズルのピースをはめていくうえでガイドになります。フォレスト・ウィテカージョニー・デップも、抑制された渋い演技でそれぞれに組織のハグレモノを演じ、この作品が孤高の存在として灯台のように輝くことに貢献しました。複雑でややこしい話ではありますが、ノワールな刑事モノとしても観られるし、意外なことに泣かせる家族ものとしてグッと来る場面もきっちり用意されています。これを気骨のある作品と言わずしてどうする。アメリカでも日本でも大々的に公開されなかったのが残念ですよ。ひとりでも多くの方に、ご覧いただきたいと自信を持ってお伝えします。
やはり彼のラップを聴いておきたいと、映画でも流れたこの曲をオンエアしました。


さ〜て、次回、2022年8月23日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『プアン/友だちと呼ばせて』です。これ、ぴあの映画担当華崎さんが公開前に紹介してくれて興味を持っていたんですよね。ウォン・カーウァイが製作総指揮を買って出ていて、ラジオDJも重要な役割を果たすロード・ムービーって、既にこの情報だけで良さげなんだもの。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月9日放送分

(C) 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
最新の科学技術を駆使して蘇らせた恐竜を客寄せに活用して観光資源とするジュラシック・ワールドが存在したイスラ・ヌブラル島。火山噴火による壊滅から救出された恐竜たちが世界あちこちへ解き放たれてから4年が経過しました。人類は恐竜たちとうまく共存しきれないままでいたところ、恐竜の保護活動を続けるオーウェンとクレアは、人里離れた山小屋で暮らしています。ふたりが守っているのは、14歳になった少女メイジー。彼女はジュラシック・パーク創設に協力したロックウッドの娘から作られたクローンでした。

ジュラシック・パーク(字幕版)

93年に映画史を書き換えることになった『ジュラシック・パーク』シリーズの3作。そして、スピルバーグ監督が製作総指揮に回って2015年にスタートした『ジュラシック・ワールド』シリーズの3作目にして、一応の完結作と言われる本作。監督と共同脚本には、コリン・トレヴォロウが新シリーズ1作目から復帰しました。キャストには、クリス・プラット、そしてドラマ『マンダロリアン』で監督としての才能も開花したロン・ハワードの娘ブライス・ダラス・ハワードに加え、「パーク」シリーズのサム・ニールローラ・ダーンジェフ・ゴールドブラム、B・D・ウォンなども揃って躍動するほか、メイジー役のイザベラ・サーモンが存在感をますます発揮しています。
 
僕は、先週木曜の夜、TOHOシネマズ二条で字幕2D版を鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これが完結編ということで、観光施設ジュラシック・ワールドに端を発する一連の騒動に一応の解決を出さないといけないわけです。なかなか大変ですよ。まず、今作のスタート時点で、恐竜は世界のあちこちに散らばっていて、自然の中で生きている状況。陸海空を問わず、はびこってます。しかも、闇取引をする連中までいて、もうカオスです。だって、これまでは一応、空間が限定された中での話だったのが、そのフィールドが果てしなく広がってしまうわけですから。
 
ただ、話の主眼としては、この作品だけでなく、新三部作に通底しているものとしてあるのが、人間が遺伝子を操作するなどして、生き物を蘇らせたり、生み出したりする、つまりは神のごとき行いをしてしまっていいのかという問題ですね。そこで今作がググッとクロースアップするのが、農作物を壊滅させてしまうイナゴと、クローンとして14歳まで成長している女の子メイジーです。

(C) 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
イナゴの大量発生と穀物の被害が深刻化しているけれど、どうやらまったく被害に合わない畑もあって、これは何か人為的な要因があるのではないかと疑問に持った登場人物が、イナゴの出どころを探るストーリーも同時に展開します。一方、クローンとして生を受けたメイジーは、当然ながら自分の親のことを知りたがるわけだけれども、その母親探し、つまりは自分は何者でなんのために産み落とされたのかという自分探しの物語も並行して語られます。
 
拉致されたメイジー、イナゴの出どころを探る人たち、その他、途中からくっついてきた人たちが、まぁ、結局はやがて全員集合して、やっぱり空間的にひとところに収まってハイライトを作っていくということになりますし、複数の物語を配置することで、旧三部作からのキャストの出番を用意して、シリーズ全体のファンサービスも実現することができる。テーマに引っ張られて、キャラも増えたことで、恐竜の出番が少ないような気もしないではないが、せっかく世界あちこちに散らばったんだから、007的なスパイものや観光映画的要素も入れてみようってことで、マルタ島でワイワイとチェイスシーンやアクションシーンを撮ってみたり、なんなら、インディ・ジョーンズ的なアドベンチャー要素も入れられるんじゃないかってことでお膳立てしたり… とりあえず、全部盛りです。盛り込んだ結果、尺も2時間半に及んでいます。そして、各要素の継ぎ目には、ご都合主義という接着剤が使われています。

(C) 2021 Universal Studios. All Rights Reserved.
その批判は免れないところですが、僕としてはそこまで悪く言いたくはないんです。観たいものは、あちこちに散らばっていて、ちゃっかり興奮させられたからです。特に、イナゴの群れの動き、マルタの世界遺産都市ヴァレッタを猛スピードで行き交う恐竜には目を見張りました。
 
その上で、テーマとして、科学者、人類に改心を促すという着地は、驚きはないけれど穏当なものだったし、処女懐胎をしたメイジーの母、イナゴの大量発生といった聖書のモチーフを出して、人間は果たして神のようにすべてをつかさどろうとして良いのかという問いかけに、一応はなっていたと思います。僕としては『ドント・ルック・アップ』ばりに突っ込んだメッセージになっても面白かったように思うけれど、このシリーズにそこまで求めるのは酷だろうと思うし、夏休みにワイワイ観るには僕は決して悪くないと感じています。


さ〜て、次回、2022年8月16日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『L.A.コールドケース』です。ジョニー・デップフォレスト・ウィテカーが共演したサスペンスってだけでも観たいのに、扱われるのは、あの2パックとノートリアス・B.I.G.が殺害された未解決事件なんですよ。97年でしたかね。ひっくり返った悲しき出来事の裏にどんなことがあったのか。僕も詳しくはないから、学びつもりで観に行きます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『キャメラを止めるな!』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月2日放送分
映画『キャメラを止めるな!』短評のDJ'sカット版です。

 カメラを止めるな!

今年のカンヌ国際映画祭で、なんとオープニングを飾ったのが、日本のインディーズ映画で2018年に日本でも大ブームになった『カメラを止めるな!』のフランス版リメイク作品でした。カメ止めを観ていないし、キャメ止めも観ていないという方、リメイクともなると、ネタバレはどうしても少ししてしまいますので、情報ゼロがいいという方は、いったん、Spotifyでこの番組がやっているThrowback Thursday with FM COCOLOを10分ほどお聞きください。よろしいでしょうか。
日本版、フランス版ともに、山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影しているクルーの話です。そこへ本物のゾンビが登場してしまってクルーが危機に陥るものの、なんとか撮影を終了。エンドクレジットが流れ終わったところで、この映画が作られた背景が明かされることになります。

アーティスト (字幕版) 

監督・脚本は『アーティスト』でアカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞など5部門を獲得したミシェル・アザナヴィシウス。監督のレミーロマン・デュリス、監督の妻役をベレニス・ベジョが演じた他、日本のプロデューサー役として、カメ止めにも出演していた竹原芳子が出演しています。
 
僕は、先週木曜の午後、大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

「カメ止め」のあの空前のブームはまだまだ記憶に新しいところだし、短評した身としては、壮大な仕掛けが施された作品だったので喋りづらいというか気をつけながら核心をついていかないといけないという意味で、忘れられません。当時のキャッチコピーは「この映画は二度はじまる」というものでしたが、観た人はわかりますね。1/3ほど進んだところで、ガラッと語りの構造が変わるし、それに伴って画面のルック、画調も変化していました。僕は当時、「技術的には三度、四度始まるんだ」と脚本を分析して、なぜみんなあの作品に夢中になるって、それは知恵と工夫で力を合わせて困難を乗り越えていく集団作業の生みの苦しみと喜びがテーマになっているからだと語りました。

(C)2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINEMA – GAGA CORPORATION
で、「キャメ止め」はどうなのか。基本的には「カメ止め」の忠実なリメイクなんですが、いくつかユニークなアイデアが新たに盛り込まれていました。まずはリメイクであることをそのまま物語に反映させていることです。つまり、日本でヒットした企画をフランスで再現するという企画の無理難題さがあって、もともと第一幕の内容を大きくカッコに入れるメタ構造とネタバラシの第二幕という面白さがあるという構造そのものをもうひとつ大きなカッコに入れる、入れ子構造のさらなる重層化が図られていて、発想として面白いものがありました。
 
もうひとつは、考えたら原作ではあまり意識されていなかった音楽・音響のスタッフの大変さが描かれていたこと。いろいろと映画評を見ていると、あちこちで「映画にかける情熱に感動」みたいな言葉が踊っているんですが、冷静に言えば、これは映画ではなくって、テレビの生放送なんですよね。映画だったら普通は後で編集をするわけだから、しくじればやり直せば良いんだけど、生放送はそうはいかないわけです。そして大事なことは、生だから音楽もその場で付けていかないといけない。そこに着目したアザナビシウス監督はさすがでした。結果として、「キャメ止め」ではファティという男性スタッフが爆笑を誘っていました。

(C)2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINEMA – GAGA CORPORATION
ただ、こうした一定の評価はしつつも、僕は「キャメ止め」にそこまでのめり込めませんでした。もちろん、ストーリーラインを知ってしまっているから、話自体の驚きが減じているのはしょうがないですよね。でも、そこは先に言った2点を始めとして、リメイクならではのプラスアルファがあるので、新鮮に楽しめたはずなんです。では、なぜか。原因は、テーマが深く掘り下げきれていないからです。笑いの要素はプラスしてありました。そして、尺も実はオリジナルよりも20分ほど長くなっているにも関わらず、集団作業によるものづくりの苦労と楽しさという面は、むしろ原作より後退しているんです。たとえば主人公である監督のパートナーの女性も大きな役割を果たしますが、彼女がかつて役者を目指していてどんな特性があったのか、観客にうまく伝わらないままでした。あるいは、子育て中の女優の役者ともうひとりの俳優についても、撮影当日までの流れをさすがにもう少し見せておかないと、飲み込みづらいものがあります。そして、監督と娘の関係、特に娘が小さかった時の写真の扱いも、リメイクでは取ってつけたように見えてしまうなど、僕は笑いに力点を置いた結果失ったものがあるように思えてなりません。
 
とはいえ、フランスでのリメイクだということを前提としたリメイク、あるいは続編としても観られる作品ですので、あなたもご自身の目でジャッジしてみてください。ただ、先に「カメ止め!」を観るのが大前提だとは思います。
キャメ止め!では、エンドロールでこんなノリの良い曲が流れて、物語の余韻に浸ることになるわけですが、クレジットがすべて流れてからのちょっとしたお楽しみも控えていますんで、どうぞ最後までご覧くださいよ。

さ〜て、次回、2022年8月9日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』です。告白します。映画館で予告編を観るたびに、わかっていても新鮮に驚いています。いや、ビビっています。劇場から無事に生還できるかしら。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ソー:ラブ&サンダー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月26日放送分
映画『ソー:ラブ&サンダー』短評のDJ'sカット版です。

マーベル・シネマティック・ユニバースで展開されてきた雷神ソーの活躍を描くマイティ・ソーの4作目となります。『アベンジャーズ エンドゲーム』におけるサノスとの激闘の後、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々と宇宙へ旅立ったソーは、失うことばかりだった過去を振り返り、戦いを避け、いつの間にやら、自分探しの日々を送っていました。ところがそこへ、神々のせん滅を目論むゴアが登場。新たな王となっていたヴァルキリーと一緒にゴアに立ち向かうソーでしたが、苦戦を強いられていたところに、元カノのジェーンがなぜかソーのコスチュームで現れたものだから、ソーは浮足立つし事情はよくわからないわで、さぁ大変です。

ジョジョ・ラビット (字幕版)

共同脚本と監督を務めたのは、前作から続いて、俳優でもあり、コメディー演出が得意なタイカ・ワイティティ。監督作の公開は『ジョジョ・ラビット』以来3年ぶりですね。ソーを演じるのはもちろんクリス・ヘムズワース。ヴァルキリーをテッサ・トンプソン、ゴアをクリスチャン・ベールが演じた他、ジェーン役のナタリー・ポートマンが9年ぶりにMCU作品に復帰しています。さらに、ラッセル・クロウも出演して絶妙な存在感を果たしていますよ。
 
僕は、先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

マーベルの作品をこのコーナーで評したのは、前回が『ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』でした。サム・ライミ監督が自分の作家性を結構グイグイ出していました。ホラー表現を、しかもブラック・ジョーク込みで取り込んでいましたよね。そこへいくと、今回のソー4作目はワイティティ監督でしょ? 作家性をグイグイどころか、バリバリ、いや、雷なんでビリビリ出しています。まぁ、「エンド・ゲーム」を経て、壮大な物語が幕を引いた後ですから、徐々にまたそれぞれ物語の照準を合わせていくフェーズに入っているマーベルだし、冒頭でガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの面々との交流シーンがあるように、そもそもが宇宙で大暴れする神であり、力もありすぎるハッスルマッスルゴッドっていう時点でだいぶ異端なんで、これぐらい振り切ってもいいんじゃないかという判断でしょう。あの手この手のギャグ満載。多少滑ろうが何しようが、とにかく突き進むという前のめりかつ数撃ちゃ当たる方式そのものにも笑ってしまうぐらいバカバカしいです。

(c)Marvel Studios 2022
でもね、これがもしワイティティ監督でなかったら、ここまで振り切れてはいないと思うんです。だって、考えてみれば、ストーリーラインは結構シリアスなんですよ。クリスチャン・ベールが演じるヴィランのゴアは、ゴッド・ブッチャーなんて異名を持っていて、宇宙の神々をどんどん殺していこうという野心を持つ男。これは助けを乞うても神に見放されて娘が死んでしまったことに対する復讐に駆られていることが原因でした。そして、ソーの元カノであるジェーンも、実は癌を患っていて死に瀕している。化学療法を続けるのかどうするか、残された限りある人生のこれからを考えるにあたり、過去の行動と選択を振り返っているような状況です。そんなゴアとジェーンの間に、ソーです。でも、そのソーも、冒頭で表明されていた通り、エンド・ゲームの後、引きこもって自分探しという名の元にお菓子食べ過ぎたりお酒飲みすぎたりで一度ブヨブヨになっていたくらいですから、こんな悲しくシリアスなふたりは手に余りますよ。ゴアをやっつけるのも、元カノにやさしく寄り添うのも、心もとない状況です。

(c)Marvel Studios 2022
そこで用意する道具立てが、文字通り道具なんですよね。まずは未練たっぷりのジェーンが、とある事情でソーと同じ力を手に入れて、同じコスチュームになって登場すること自体もぶっ飛んでいるのだが、これもとある事情で彼女が手にしているのが、ソーがかつて愛用していたハンマーなんですよ。言い方を変えれば、元カノが元オノを持っているんです。それに対して、ソーは今回から新しいストームブレイカーっていう武器を手に入れていて、その今オノがちょいちょい元オノに嫉妬するって、なんなのよ? 何を見せられてるのよ、これは。そして、ヴィランのゴアを倒すためには、全能の神であるゼウスのサンダーボルトっていう武器を借りに行くべきだっていうことになるのはいいんだけど、まずこのゼウスがだいぶふざけているし、サンダーボルトの造形がだいぶ子供っぽいしで、もう大変です。

(c)Marvel Studios 2022
なんかこうして喋っていると、大味なんだろうって思われるでしょう。でも、振り返って考えると、よく考えてあるというか、締めるところはちゃんとネジを締めてあるんです。クリス・ヘムズワースを今の地位にお仕上げた単体で4本目となる人気キャラの仕切り直しのストーリーということで、門外漢もなんならこっからでも入っていけるような配慮もありました。劇中劇の要素を取り入れての振り返りや、ジェーンとの馴れ初めと別れまでのダイジェストも、ただの焼き直しじゃなくって、しっかりひねって新旧どちらのファンも喜べるようになっていて、ドクター・ストレンジで僕が感じたようなマーベル弱者の疎外感も排除されていました。ネタもマーベルだけじゃなくてジョーカーっぽいのを入れてみたり、映画史そのものに目配せするようなところもあって、ちゃんとしているんです。その上で、ラブ&サンダーってバカみたいなタイトルが、最後には誰もがちゃんと納得できるような落とし所に持っていくって、これは神業ですよ。しかも、僕は今作に貫かれている、朗らかで、ポジティブで、生きることへの肯定的なメッセージに共鳴しました。ろくでもない辛いこともあるけれど、生きるというのは素敵なことですと。そして、多様な価値観の肯定と共存こそ、風通しの良くてしなやかで強い世界を育む道なんだと、信じられないけど、ハッスルマッスルゴッドに教えてもらえたようで、苦笑いしながら劇場を後にしました。次も行くぜ!
エンド・クレジットで流れるこの曲。Dioって、考えたらイタリア語で神なんですよ。そして、歌詞の内容も含めて、これ、雰囲気で選んだってより、練って練っての選曲なんですよね。


さ〜て、次回、2022年8月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『キャメラを止めるな!』です。「カメラ」の時も僕は当時の番組で短評していまして、ネタバレせずにどうやって喋ったらええのんやと頭を抱えたものですが、まさかのまさか、リメイクでまた悩むことになろうとは… あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

アニメ映画『神々の山嶺』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月19日放送分
アニメ映画『神々の山嶺』短評のDJ'sカット版です。

雑誌カメラマンの深町は、ネパールのカトマンズを取材で訪れていました。そこで見かけたのが、長らく消息不明になっていた伝説のクライマー羽生。羽生はその時、1台のカメラを持って再び姿を消します。そのカメラとは、1924年、人類初のエベレスト登頂に挑んで行方不明になったイギリスの登山家マロリーの遺品と思しきもの。あのカメラに残っているフィルムを現像すれば、エベレスト初登頂を巡る歴史を塗り替えるスクープをものにできるかもしれない。野心に駆られた深町は、カメラを追って、羽生の半生を調べ始めます。

神々の山嶺(上) (集英社文庫) 神々の山嶺 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

 夢枕獏が98年に発表した同名小説は、谷口ジローが漫画化して大きな反響を呼び、フランスでも翻訳されると、あちらだけで累計38万部というベストセラーになりました。それを読んで感銘を受けたフランスの映像プロデューサー、ジャン=シャルル・オストレロがアニメ映画化に乗り出し、監督にパトリック・インバートを迎えながら、7年の歳月をかけて完成した力作です。フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞では、長編アニメーション賞を獲得しました。

 
僕は、先週木曜日の夜、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作の小説は文庫で上下巻、合わせて1000ページを超える分厚さです。大きな山ほど裾野も大きくなるように、文字としての物語は壮大に広がりました。谷口ジローは、繊細で綿密であると同時に力強い、卓越したデッサン力を武器に漫画化しましたが、それでも単行本にして5巻あります。とはいえ、この時点で文字が一度映像に置き換わっていたわけで、アニメ化するのは比較的容易に思えるかも知れませんが、いくらそこを指針にするにしても、この壮大なストーリーをただのハイライトに終わらせることなく、高い密度を保ったまま1本の映画の中に凝縮させるのは至難の技です。プロデューサーは、まず谷口ジローにコンタクトを取りつつ、シナリオを何度も練り直して、その脚本と下絵を見てもらったそうです。実はその直後に谷口ジローは亡くなるわけですが、原作小説の漫画的脚色をさらにアニメ的脚色にする設計図について、そこで好感触を得たことは、映画スタッフたちの大きな力になりました。

(C)Le Sommet des Dieux - 2021 / Julianne Films / Folivari / Melusine Productions / France 3 Cinema / Aura Cinema
具体的には、主人公である深町と羽生ふたりから広がる人間関係の枝葉を大胆に切り落として、あらすじで紹介したふたつの謎を軸に据えました。つまりは、1953年とされるエベレスト初登頂のはるか30年前にマロリーがその頂きに立っていたかもしれないというロマンをくすぐる古いカメラの存在。そして、なぜかある時から消息を絶っていた羽生がなぜそのカメラを手にしていたのかという問題。監督は高畑勲の『おもひでぽろぽろ』を参考にしたと発言しているように、羽生の過去とそれを調査する深町の現在を交錯させて語ることで、ミステリーの体裁をとって観客の興味をしっかり結わえつけながら、作品の実は狙いである、哲学的な領域へと僕たちを誘ってくれます。
 
人はなぜ山に登るのか。有名な言葉がありますよね。「そこに山があるから。そこにエヴェレストがあるから」。これはマロリーがニューヨーク・タイムズの記者からの質問に出した回答でした。これは登山だけではなく、何かを成し遂げようとする時、生み出そうとする時、人はなぜ孤独を覚えてでも命をかけてでも取り組むのかという問いにこの映画は踏み込むんです。羽生という孤高の存在に、カメラマンという観客に比較的近い存在である深町がザイルをかけるようにして取りつくうち、だんだんとふたりは物理的にも精神的にも近づいていきます。つまり、僕ら観客も擬似的に、映画館にいながらにして、マロリーのあの名言の簡潔にして深い言葉の何たるかに手をかけることになる。どれほどゾクゾクすることか。

(C)Le Sommet des Dieux - 2021 / Julianne Films / Folivari / Melusine Productions / France 3 Cinema / Aura Cinema
一度日本で実写映画化されているこの物語ですが、隅々まで描きこむ画作りと構図が見事だった谷口ジローの絵をいわばベースキャンプにして、そこから荷物を減らして、つまり絵の線を削ぐことで、特に人物の内面を示す表情を端的に示すなど、ゼロからすべてを描き込んでいくアニメだからこそ、僕はより高いレベルでテーマに迫っていると考えます。山でしか聴こえない数々の音の再現もすごかったし、高山病によってもたらされる強烈な頭痛の描写や、極限状態で見える幻覚についても、アニメの強みを活かして真に迫っていました。とにかく僕は大満足。これ、ネットフリックスが世界配信権を獲得しているんですが、映画館で体験できたのは貴重でした。音もすごいし、パノラマも圧巻なので、限られた上映回数になってきていますが、今のうちにぜひ劇場で!
曲はサントラからではありません。雰囲気も神々の山嶺とはまるで違うんですが、何者もおれをとめられない。世界のいただきに立つんだすべてをかけてと勢いよく歌っていたVan Halenで、あなたを映画館へ後押しだと、Top of The Worldお送りしました。

さ〜て、次回、2022年7月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ソー:ラブ&サンダー』ヴァン・ヘイレンをかけたことが呼び水になったのか、ガンズのハードロックがゴロゴロピッカンと鳴り響く雷神ソーの最新作になりました。当コーナーでは比較的縁遠いマーベルですが、久々に観に行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『エルヴィス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月12日放送分
映画『エルヴィス』短評のDJ'sカット版です。

世界で最も売れたソロ・ミュージシャン、エルヴィス・プレスリー。1950年代にロックンロールを世界中に知らしめたキング・オブ・ロックンロールの伝記映画です。センセーショナルなパフォーマンスの数々と私生活を、悪名高いマネージャー、トム・パーカー大佐の視点で描きました。
 
共同脚本、監督、製作を務めたのはバズ・ラーマン。製作、美術、衣装は、監督の右腕として、そして私生活のパートナーとして、30年以上チームを組んでいるオスカー受賞者のキャサリン・マーティン。エルヴィスに扮したのは、オースティン・バトラー。マネージャーのトム・パーカーは、トム・ハンクスが演じました。
 
僕は、先週金曜日の昼、MOVIX京都のドルビー・シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

バズ・ラーマンのすごいところは、『ロミオ+ジュリエット』しかり、『華麗なるギャツビー』、みんなが知っている物語を扱いながら、「こんなの初めて観た」と観客に思わせてしまうことです。だからこそ、その演出に賛否両論が出てくるわけですが、彼が心がけているのは「実際に『どうだった』かを解読するのではなく、当時の観客が『どう感じた』かを再現するようにしている」とプロダクション・ノートにありました。僕たちの感じるインパクトを重視しているということですね。シェイクスピアの戯曲をマイアミに舞台を移してレディオヘッドを合わせれば、コテコテの古典ではなくなるわけです。ジャズ・エイジのギャツビーなら、当時まだなかったヒップホップの音楽的アプローチをジェイ・Zに担当してもらうことで、そのままやればセピアがかった古臭いものと捉えられそうな物語を新鮮に感じさせてくれました。今作だと、たとえば、1954年、人気ラジオ番組の生放送での有観客のライブ・パフォーマンスを描いた場面を思い出していただきたい。あそこは会場の様子なんかは忠実に再現したということなんですが、音楽的には実は違和感のある速弾きのギターリフが採用されているんですね。わざわざ、ゲイリー・クラーク・ジュニアに弾いてもらったそうです。なぜって、現代の観客には、その方が当時のインパクト、パンキッシュな衝撃と強烈さが伝わるからなんですね。これは、当時の現実の映像を観ても、もしかすると僕たちには伝わらないかもしれないことで、バズ・ラーマン作品を鑑賞する醍醐味のひとつです。

ロミオ&ジュリエット (字幕版) 華麗なるギャツビー(字幕版)

パンフに掲載されたインタビューにおいて、監督は伝記映画が好きだとしたうえで、「単純にその人の経歴を紹介するような映画を作りたいと思ったことはない」と語っています。彼がこの作品で目指したのは、1950〜70年代のアメリカを描くことなんです。多様な要素が交わって新しいものを生み出していくエネルギーのあった時代ですよ。ロックンロールはそうやって生まれたわけですしね。エルヴィスは黒人街で育った数少ない白人だったこと。彼がそこでブルーズやゴスペルをどっぷり浴びていたからこそ、カントリーと自然に結びつけられたことを描いています。当時はそれは南部の保守派のひんしゅくを買うどころか、踊るだけで逮捕すると言われるくらいの批判と反感を買うものだったけれど、エルヴィスのおかげで大衆音楽がとても豊かになったことを僕たちは知っていますよね。Black Lives Matter運動以降、また顕在化してしまっている人種問題を考える上でも、エルヴィスの当時の感覚を描くことは、異なる文化の交流や交錯が新しいものを生み出して社会を発展させるんだと僕たちに再確認させてくれます。

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そして、もうひとつあの時代のアメリカを描くにあたってラーマン監督が描きたかったのは、ギラギラしたアメリカン・ドリームを体現するような、なりふり構わず売り込んでいくようなエネルギーです。僕が今作で最もユニークだと感じているのは、マネージャーであるトム・パーカー大佐の存在です。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の成功は、クライマックスとなるライブエイドのパフォーマンスへ向かうフレディ・マーキュリーの様子をまず見せておくという語りの順序に大きな要因があると思いますが、この作品の鍵はマネージャーのトム・パーカーが語り手になっていることです。ショービジネスの世界ではよく登場する悪人としてのマネージャーなんですが、彼自身がまず無茶苦茶興味深いんですよね。実はオランダからの密入国者で、トムもパーカーも偽名です。アメリカ国籍を取るために軍隊に入って、除隊後に興行師になるんですけど、大佐っていうのも軍でそこまで出世したんじゃなくって、そう呼んでもらったほうが箔がつくからってことです。彼は音楽よりもエルヴィスのダンスに着目して、これをブランド化して売り出せば億万長者になれると踏んで、達者な口車と世渡り術で突き進んでいきます。エルヴィスの父親代わりとも言える恩人でもありながら、その売り上げだけでなく命そのものを搾り取った悪人でもあるかもしれない。そんなトム・パーカーという「信用できない語り手」がいるからこそ、僕たち観客は余計に目が離せないし、本当のところはどうだったのだろうかと食い入るように観ることになるんですね。

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この映画は、エルヴィスとトム・パーカーが出会い、ともに歩き出し、ふたりの足並みが揃っている時と、そうでない時を軸にエピソードをピックアップして、やがてふたりともこの世を去るまでを描いています。僕がその中でハイライトだと感じたのは、パーカーが売り込みまくって仕組んだクリスマス・ソングばかりを歌わせるテレビ番組の中で、エルヴィスが自分のルーツたる黒人音楽を反映させた『明日への願い/If I Can Dream』という曲、しかもキング牧師のスピーチへのアンサーソングとして書いた新曲を披露する場面です。あそこには、ショービジネスの表と裏と、時代性と普遍性が同時に凝縮されていました。

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監督はこんなことも言っています。「映画は言葉、音楽、ビジュアル、演技のそれぞれのレイヤーがオーケストラの楽器のように重なり、ひとつの統合された素晴らしい瞬間を紡ぐ。いつもうまくいくとは限らないけどね」と。バズ・ラーマンのそんな信念がものすごくうまくいった集大成であり、新たな音楽映画の傑作です。まいりました!
現在配信中、そして今月29日にはCDでもリリースになるサントラから、エンドロールで流れるこの曲を放送ではオンエアしました。

さ〜て、次回、2022年7月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『神々の山嶺』。漫画化もされて人気の夢枕獏の小説が、フランスでアニメになったとあって、これは山好きの僕としても興味深いと思っていたらばっちり当たりました。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ザ・ロストシティ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月5日放送分
映画『ザ・ロストシティ』短評のDJ'sカット版です。

ロマンティックな冒険小説を得意とする、元考古学者の売れっ子作家ロレッタ。シリーズ最新作のプロモーション・ツアーに駆り出されたところで、謎の億万長者フェアファックスに拉致連行されたのは、南の島。狙いは、彼女が小説に描いていた伝説の古代都市ロストシティの財宝です。ロレッタを救い出すべく島に追いかけてきたのは、彼女の本のカバーモデルを一貫して務めてきたモデルのアランなんですが、どうもこのイケメン・マッチョが使えない男でして…
 
監督・脚本を務めたのは、イキの良いコンビ、アーロンとアダムのニー・ブラザーズ。『マスターズ/超空の覇者』のリブートを今手がけているというふたりです。主役の作家ロレッタ・セージを演じ、製作にも関わっているのがサンドラ・ブロック。相棒のアランをチャニング・テイタム、謎の富豪をダニエル・ラドクリフが演じている他、ブラッド・ピットもおいしい出方をしています。
 
僕は、先週金曜日の昼、MOVIX京都で字幕版を鑑賞しました。映画サービスデーってこともあるし、こういう笑える冒険ものの大作が久々ってこともあるのか、かなりお客さんは入っていましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

19世紀後半に映画が発明したリュミエール兄弟は、その後まず何をしたか。カメラを担いで、世界のあちこちを巡っては記録して、それを映画館にかけていきました。1897年には日本でも撮影が行われていて、京都で剣道の試合を記録したものは、現存する日本最古の動く映像とも言われます。つまり、映画というのは、映画館にいながらにして世界あちこち、秘境と言われるようななかなか一般人が出かけられない場所の様子も擬似的に体験できる装置だったわけです。それがいつしか、地球上で人類未踏の地が減り、フロンティアも秘境も少なくなったことに呼応するかのようにして、映画でも未開の地を探索する冒険活劇は明らかに減ってきていますね。寂しくないと言えば嘘にはなるけれど、いわゆる先進国のキャラクターがいわゆる未開の地でトラブルを引き起こしたり、カルチャーショックを受けてドタバタするっていうのは、差別や偏見を助長する可能性もあるので、ポリティカル・コレクトネスを踏まえると今は昔のように描けないってのも背景にある事情でしょう。

ロマンシング・ストーン 秘宝の谷(字幕版)

今作は、題材としては古代文明の謎の解明+アドベンチャーということで、インディー・ジョーンズのシリーズに近いものがあるわけですが、もっとはっきり似ている、いや、間違いなく参照している、なんならパロディーにしているのが、ロバート・ゼメキスが監督した『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』です。84年の作品で、キャスリーン・ターナーマイケル・ダグラスの共演。作家の女性が中南米のジャングルで拉致された姉を救出すべく奮闘するうちに伝説の秘宝であるエメラルドをめぐる戦いに巻き込まれて、冒険家のジャックと助け合いながら… あれ?  なんか、似てますよね? ロマンシング・ストーンを現代版に更新するにあたり、ひねりを加えたのが本作です。

(C)2022 Paramount Pictures. All rights reserved.
僕も参照したこのサイトのように丁寧に比較すると面白いと思いますが、まずわかりやすいのは、危機に陥った女性をマッチョな男性が救出するという物語的な鋳型に、まったくそぐわないキャラクターを流し込んでいることです。チャニング・テイタム演じるアランは、モデルとして有名になって世間から期待されている勇ましいイメージとは裏腹に、ジャングルへ美顔パックを持参するようなフェミニンな要素があって、勇気は振り絞るけれど、何をやっても見掛け倒しです。それが笑いを誘うという構図ですね。ロレッタはロレッタで、作家として社会的に成功してはいるけれど、考古学の世界をともに追求した夫に先立たれた喪失感から立ち直れず、書いている小説だって自分の創作意欲を追求すると言うよりは大衆の求めるものに応じているに過ぎないんだと、作家としても、学者としても、自分を卑下するような感覚でいる。どうにも満たされない作家と、空回りのイケメンモデル。冒険のワクワクを読者に提供してきたふたりが、望まない本当の冒険に巻き込まれたら、ドラマティックどころか、ドタバタで、スットコドッコイであるという、イメージと実態のギャップを笑う構造が随所に散りばめられています。だいたいが、ロレッタがジャングルでラメ入りのジャンプスーツってのもおかしな話ですよね。それは拉致されたから、やむなくそんなそぐわない恰好なんだけど、じゃあ小説のプロモーション・イベントで着る服かって言ったら、そもそもそれもそぐわなかったわけだし、本人も気乗りしていなかったわけです。気乗りしない、そぐわない、からの、さらにそぐわない状況に陥るという仕掛けですね。

(C)2022 Paramount Pictures. All rights reserved.
序盤、唯一の例外として、ブラピ演じる、イケメンで武闘派で知恵も経験も揃った謎の男が、そんな男女二人の救世主になるのかと思いきや〜、まさかの退場。まだ冒険の本番が始まってもいないような段階でスクリーンから文字通り姿を消すんです。主役級の人、観客もキャラたちも期待をかけていた人がある理由でいなくなるという、定石を外すギャップの笑いがここでも炸裂しているし、キャラを消す、デリートするというのは、予告編にも出てくる、作家の頭の中の再現でもあって、それを「リアル」に再現したらとんでもねえぞっていう再現でもあるという入れ子構造。これ、つまりは現代では冒険ものがポリコレもあって難しいっていうことを、かつての有名作品をイジって逆手に取った、ある種ずる賢いコメディーでもあります。
 
てな具合に、ひとしきり練ってあるんだけれど、ブラック・ユーモアと下ネタの釣瓶撃ちに辟易する人がいるのは、もうやむなしだと思います。予告にも出てくる、あの『スタンド・バイ・ミー』的なヒルの場面だって、笑えない人の神経は逆なでするでしょう。でも、僕はキライではないです。バカやってるなぁのバカの味付けに好き嫌いはあっても、バカの方向性は間違っていないと思うからです。新喜劇を観に行くノリで、ぜひあなたもご確認ください。
 
映画の序盤でこれからの絶え間ない移動を予告するかのように流れるこの曲をオンエアしました。他にも、ニヤリとできる選曲が、あちこちにありましたね。

さ〜て、次回、2022年7月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エルヴィス』。やりました。やってやりました。今は話題作が目白押しの映画館ですが、その中でも既に番組にたくさん感想が届いているバズ・ラーマン監督作にしてプレスリーの伝記映画。僕も知らないことたくさんなので、学びも込みで楽しんできます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!