京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『四畳半タイムマシンブルース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月11日放送分
映画『四畳半タイムマシンブルース』短評のDJ'sカット版です。

京都の腐れ大学生の「私」は、下鴨幽水荘という4畳半のぼろアパートに暮らしている。何をやってもうだつの上がらないその原因を、すべて暑さのせいにしていた灼熱の夏。建物にたった一台しかないクーラーのある部屋に引っ越して3日後、とんだことでコーラがこぼれてリモコンが水没してしまう。途方に暮れていたところへ、突如現れたタイムマシンを見た彼は、これで昨日に戻って壊れる前のリモコンを持ってくることを思いついたのだが、悪友の小津たちが調子に乗って過去である昨日を改変したからさあ大変。リモコンの行方、そして「私」の密やかな恋の行方やいかに。

四畳半神話大系 四畳半シリーズ (角川文庫) 四畳半タイムマシンブルース【電子特典付き】 四畳半シリーズ (角川文庫)

作家の森見登美彦が2005年に発表した小説『四畳半神話大系』。これは、脚本をヨーロッパ企画上田誠、監督を湯浅政明が担当してTVアニメ化されていました。その小説世界に、ヨーロッパ企画の戯曲『サマータイムマシン・ブルース』がドッキングした『四畳半タイムマシンブルース』が、まず2020年に森見登美彦によって小説として出版され、こちらはそれが上田誠脚本で映画化されたという、とてもややこしくかつ楽しい、特殊なプロセスを経ています。今回は同じく森見原作の劇場アニメ『夜は短し歩けよ乙女』も監督していた湯浅政明率いるサイエンスSARUがアニメ制作を担当しつつ、監督は「四畳半」「夜は短し」ともにスタッフとして参加していた夏目真悟が担当しています。キャラクター原案は、TVアニメの時から中村佑介が担当し、その中村佑介がジャケットを毎度書いていることでおなじみ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが今回も主題歌を書き下ろしました。
 
声は「私」を浅沼晋太郎、恋心寄せる明石さんを坂本真綾、悪友の小津を吉野裕行など、TVアニメのキャストが再集合した他、ヨーロッパ企画本多力が未来からやって来た青年の声をあてています。
 
この作品はDisney +で配信している他、現在映画館でも期間限定で公開中ですが、僕は公開前にマスコミ試写で、そして今回改めてDiney +で途中まで細切れに公開されているエピソードを再鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

森見作品、特に初期に見られる、うだつの上がらないモラトリアムな大学生ものの魅力のひとつに、僕は「過剰さ」があるんだと考えます。何かと考えすぎる。恋に対しても慎重でありすぎる。考えに考えて、シミュレーションを幾重にも重ねた結果、石橋を叩いて叩いて叩き壊す。クーラーのリモコンが壊れたら、リモコンの通夜が営まれる。大げさにすぎる。そもそもアパートがボロすぎる。すぎる、すぎる、すぎるが多すぎる。どのキャラクターも濃すぎる。濃すぎるがゆえに、万年学生の樋口師匠にしろ、映画サークルに君臨する城ヶ崎先輩にしろ、歯科衛生士の色っぽい羽貫さん、そして悪友にして運命の黒い糸で「私」と結ばれているという小津。もう一度言おう。濃すぎる。中村佑介のこれまたデフォルメのウマすぎるキャラクター造形も加わり、原作から飛び出した彼らは、小説、アニメ、演劇、いろんなメディアの複数の作品を気ままに横断するようになるわけです。アジカンの今作主題歌のタイトル通り、森見作品内の左京区出町柳パラレルユニバースにおけるスターシステムの俳優として機能してきました。強固なキャラクターの魅力があるからこそ、ヨーロッパ企画のこれまた名作『サマータイムマシン・ブルース』の枠内に彼らをまるごと放り込んでもお話は壊れないわけです。

(C)2022 森見登美彦上田誠KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会
そもそも、森見登美彦上田誠がどうしてこんなに相性がいいのか。いくつか理由はあるのでしょうが、そのひとつに、たとえどんなに些細でどうでも良さそうなことであっても、おそるべき丹念さと綿密さで語りきる描写しきることが挙げられるのではないでしょうか。やはり過剰なんです。なので、いきおいセリフが多くなります。僕は普段から台詞による説明が多い作品によく文句をつけていますが、本作における言葉の洪水ともいうべき事態は例外です。なぜなら、その過剰さこそがスタイルだからです。リモコンが使えなくなるという、彼らにとっては確かに一大事かもしれないが、どこから見たってどうでも良いことを、またよせばいいのに過去と未来を行ったり来たりしてオオゴトにしすぎるあまり、これまたいきおい情報量が多くなり、複雑怪奇となり、それをまたよせばいいのに短いカット割りでポンポン説明的な絵で見せたりする演出になっているものだから、もう大変。たとえば、細かいところで言うと、五山の送り火デートに「私」が明石さんを誘えるか否かのくだりで、五山の送り火KBS京都テレビで生中継されているという情報が一瞬出てくるんだけど、はっきり言って、それはセリフとしても端折れるし、ましてや映像で絵解きする必要なんて微塵もないにも関わらず、KBS京都の社屋のカットを差し挟むわけですよ。僕がこのクラクラくる感覚で思い出したのは、ジャンルはまったく違うんだけど、アダム・マッケイの『マネー・ショート 華麗なる大逆転』でしたね。あれは原作からの過剰な脚色が見事でアカデミー賞を獲得した作品でした。過剰な説明、過剰な情報の中に、不意に芯を食ったセリフや映像が出てきてハッとする感じ、似てるなと。

マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

何につけても無駄を省き、だれもかれもが人生にコストパフォーマンスでも追い求め、とかくライフハックがもてはやされる現代にあって、彼らが過ごしているのは無駄過ぎる時間です。でも、それこそが青春というやつではなかったか。何かをして徒労に終わったり、無駄に悩んだり、今作において映画研究会が自主制作する『幕末軟弱者列伝』みたいなヘンテコなものづくりに血道をあげるようなことこそ、実は難なく卒なく過ごした日々よりも得難い人生の宝になるのではないか。逆に言えば、傍から見ればなんでそんなことに夢中になっているんだというものがある人は、年齢に関係なく青春の只中にあるのではないか。そんなことさえ考えてしまった、実は恋愛映画の良作でもありました。

(C)2022 森見登美彦上田誠KADOKAWA/「四畳半タイムマシンブルース」製作委員会
オススメは、映画館でやってるうちに一度怒涛の情報を食らい、気に入ったら、ひとつひとつのネタをしがむように、込み入った時間の糸をほどくように、配信でゆっくり見直していくスタイルです。さらに、『四畳半神話大系』も見直す。さらには、原作へ。さすれば、あなたも立派な四畳半主義者です。四畳半という沼へ、どうぞ、おいでやす。

アジカンとの相性は今回も抜群でした。もちろん、主題歌をオンエアしましたよ。

さ〜て、次回2022年10月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ソングバード』です。マイケル・ベイがプロデューサーになった、パンデミック・スリラーとのこと。そして、リスナーからは、主演のKJ・アパが僕にそっくりだという声がいくつも届きました。え? そうなの? 僕、出てるの? 僕に似ているケースは、『テリー・ギリアムドン・キホーテ』におけるアダム・ドライバーが殿堂入りだと認定してあるんですが、どうでしょうか。ってことはさておき、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『川っぺりムコリッタ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月4日放送分
映画『川っぺりムコリッタ』短評のDJ'sカット版です。

富山県の川沿いにある小さな町の塩辛工場。そこで働き口を見つけた無口な青年山田は、社長から紹介された安アパート「ハイツムコリッタ」で一人暮らしを始めます。ひっそりとした新生活になるかと思いきや、隣人の島田が初対面でいきなり「風呂を貸してほしい」と訪ねてきたことで、一変。夫を亡くした大家の南や、息子とふたりで墓石の訪問販売を続ける溝口、そして島田の幼馴染の寺の住職など、ムコリッタ界隈の人たちとの交流の中で、ふさぎ込んでいた山田の心が少しずつほぐれていきます。
 
かもめ食堂』などで知られる荻上直子が2019年に発表した同名小説を原作に、彼女が脚本を書いて自分で監督しました。山田青年と隣人の島田を演じるのは、松山ケンイチムロツヨシ。大家の南には満島ひかり、墓石販売の溝口には吉岡秀隆が扮するほか、江口のりこ薬師丸ひろ子柄本佑などが出演しています。
 
僕は先週金曜日にMOVIX京都で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


映画でも冒頭で説明が入るので、まずムコリッタのことを話しておきましょう。僕は寡聞(ぶん)にして知りませんでしたが、これは仏教用語が由来とのことで、1日という時間を30分の1にした、48分という時間を指しています。しばらくの間、みたいな意味を持つわけです。まず、この単位が面白いなと思いました。僕がよく10時すぎに「番組はまだ小1時間生放送です」って口癖で言ってますが、それぐらいの単位ですよね。何かをするには短いささやかな時間だけれど、同じく仏教用語である刹那と比べるとうんと長く、考えてみたら、ムコリッタの間に昼は夜にもなりうる。映画を見るには短いが、食事をしたり、風呂に入ったり、ちょっとした庭仕事ならできる時間。ささやかだけれど、生きている実感が得られうる時間とも言えるかもしれません。

 
実際に劇場でもあちこちから結構笑いがもれていたように、コミカルなところもあるし、ファンタジックでシュールなところもある。おいしそう。これは悲しい… などなど、ほんわかしたタッチの中に喜怒哀楽をうまく散らしてあるんですが、鑑賞後に振り返ると、生と死、あるいはそのサイクルの話ということで、一本、筋がしっかり通っています。その意味で、あのように川のある町でロケをしているのは、タイトルにもなっている通り大事なんですね。いくつもの象徴的な意味が込められています。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
世界の大きな都市には必ずと言っていいほど川があるように、あの川も社会の象徴だと考えれば、文字通りハイツムコリッタの住人たちは、その「へり」でささやかなつましい暮らしを送る人たちです。島田さんは自称ミニマリストだけれど、傍目には無職だし、山田青年は社長のデリカシーに欠ける(とその時点では思ってしまう)あけすけな物言いで序盤にあっけなく明らかになる通り、元受刑者です。そして墓石を売る溝口さんにしても、傍から見れば変なおじさんであり、社会の本流からは外れているのでしょう。そんな彼らが、既存の価値観に踊らされることなく、自分の時間軸で、ささやかな幸せってものを模索していく話なんですね。僕たち誰しもがふとした拍子に考えるのは、生きていることの意味でしょう。この映画は死の影をあちこちに垂れ込ませることで、僕たちに問うてきます。思い出してください。大家の南さんは入居する山田さんにアパートの中を案内した時に「築50年の古いところですが、大丈夫。この部屋で死んだ人はいませんから」みたいなことをさりげなく言うんだけど、その後、山田がその部屋である意味死者と同居することになるわけで、見事なフリになっていました。実際、何人かの死が強烈な存在感をもって登場しますね。大家の南さんのパートナーや、ある人の家族、そしてご近所さん。彼らの死がそばに浮かび上がるにつれて、登場人物たちの生きている実感もより顕(あらわ)になってくる構成と演出に、荻上監督の手腕が光っていました。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
あつあつの風呂。風呂上がりの牛乳。炊きたてのご飯。自分で作った野菜の漬物。たまの贅沢の牛肉。誰かと囲む食卓。せっせと手足を動かすことで何かを作ること、生み出すこと。かつて生きていた誰かを思い出すこと。そうしたムコリッタな時間が有意義に感じられるようになる。
 
となると、あの川は現世とあの世、生と死を隔てる流れにも見えてきます。かつて日本の農村で頻繁に見られた弔いの儀式「野辺送り」のような場面があの川沿いを舞台にしていたことも大事です。遺骨も出てきましたが、人間という種の長い歴史という川の中で、その生と死のサイクルの中で見れば、僕たちの人生もムコリッタな時間なのだろうと感じます。そこに、誰かに決められたわけじゃない、自分なりのお手製の幸せを見つけてみるのも一興だろうと最後にじんわり思わせてくれる良作だったと僕は思います。

© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会
ピアニカやリコーダーなんかを中心にした楽しい音作りをするパスカルズが担当していた音楽も劇中のあちこちで、かわいらいくて、どこかシュールで、どっか怖い不思議な効果をもたらしていました。
 
この声でお気づきだと思いますが、元たまの知久寿焼(ちくとしあき)さんです。知久さんは出演もしていて、溝口さんちの息子とセッションもしていましたよね。彼が率いるバンド、パスカルズは、最近短評した『さかなのこ』でも劇伴を作っていました。主題歌の歌詞ありバージョンで、むこりった、お送りしました。

さ〜て、次回2022年10月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『四畳半タイムマシンブルース』です。僕は森見登美彦の小説は全部読んでいて、森見作品と相性抜群でこれまで何度も映像化にあたって脚色をしてきたヨーロッパ企画上田誠氏も大好き。さらに、舞台は僕の左京区とくれば、観ない手はありません。なんなら、既にマスコミ試写で鑑賞済みですが、この機会にもう一度観る所存です。森見作品『四畳半神話大系』とヨーロッパ企画サマータイムマシンブルース』の悪魔的融合と銘打たれています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『3つの鍵』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月27日放送分
映画『3つの鍵』短評のDJ'sカット版です。

ローマの高級住宅街のとあるアパートに3つの家族が住んでいます。互いに顔見知りであり、ある程度の交流はあるものの、素性をよくよく知っているわけではないという、都会の暮らしぶりです。ある夜、1階に車が衝突し、女性が亡くなってしまいます。運転手は、3階の裁判官ヴィットリオとその妻ドーラの息子である青年アンドレアでした。この日を境に、3つの家族はそれまでとは違う人生を歩み始めることになるという群像劇です。

三階-あの日テルアビブのアパートで起きたこと

原作は、イスラエルのベストセラー作家エシュコル・ネヴォが10年ほど前に書いた「Three Floors Up」という小説で、映画公開に合わせてか、五月書房新社から邦訳が先日出版されました。裁判官のヴィットリオを演じているのが、共同脚本と監督を務めるナンニ・モレッティです。キャストには、イタリアを代表する面々が揃いました。特に、モレッティ作品ではこれが4度目の出演となるマルゲリータ・ブイが裁判官の妻ドーラを演じたほか、リッカルド・スカマルチョが事故で仕事場を破壊された1階の住人ルーチョ、そしてアルバ・ロルヴァケルが2階の妊婦モニカに扮しています。
 
僕は先週月曜日にUPLINK京都でトークショーを開催することもあり、公開前にマスコミ試写で鑑賞しておりました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

現在69歳で、70年代から監督として俳優として国際的に知られる活躍を見せ、ホームタウンのローマでは映画館も共同経営する名匠ナンニ・モレッティ。今作が、実は初めての原作ものになります。さっき概説で触れたように、小説は邦訳が出たところなんですが、そのタイトルは『三階 あの日テルアビブのアパートで起きたこと』です。そう、舞台はもともとイスラエル第2の都市であるテルアビブなんです。それをモレッティはローマにスライドさせました。なおかつ、彼はこんな風にも語っています。場所を選ばないテーマであり、この物語は東京でも起こりうるかもしれません、と。では、そのテーマとは何かと問われれば、今年春に日本初上映されたイタリア映画祭のリモートQ&Aでこう答えました。「親であることの難しさです。親であるということは、やっぱり間違いは必ずすると思うんです。だけど自分がとってしまった行動、親としての自分がとった決断、ないしは行動のもたらした結果というのも含めて、責任を追うということはどういうことなのかを映画で描きたかった」と。
 
なるほど、確かに、これは3つの家族の物語ですから、それぞれに何らかの形で親子の問題が浮上します。ただ、小説と映画ではまったくと言っていいほど語り方が違うのは注目に値するし、それこそがモレッティの演出の手腕でもあると思うのです。原作では、3つのフロアの3つの物語は、実は独立して語られます。1階の男は自分の身に起きたことを友だちの小説家に話して聞かせ、2階の妊婦はやはり友だちに手紙をしたため、3階の未亡人は死んだ夫にボイスレターを録音するんです。言わばオムニバスで、それぞれ出来事のクライマックスで語りが中断され、読者は小説ならではの余韻として、その後のことや3つのフロアの関係を想像することになります。

©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte
モレッティは物語とテーマに惹かれながらも、これでは映画としては弱いと考えて、まず3つの物語を組紐状に交差させて結わえていきます。同時進行させるんですね。その発端となる、建物に車が突っ込むあの事故ですが、原作にはないオリジナルです。事故が起きたことで、「なんだなんだ」と住人が顔を出すことが、そのまま導入としてのキャラクター紹介として利用しつつ、家庭の導火線に火がついていく発火点であることを印象づけるアイデアなんてめちゃくちゃ巧いです。そのうえで、それぞれのフロアのあの人とこの人がまさかこんな風に関わるとは、とか、この時に別のフロアではどんなことが起きているのかなど、言わばヒッチコックの名作『裏窓』的なアプローチで、サスペンスやミステリーを育んでいきます。さらに、モレッティは小説が良い意味で投げ出していた物語を、時間をかけてフィナーレまで持っていく、つまりは付け足すんです。これは原作がある映画では勇気の要る決断ですが、5年10年と時間経過を導入することで、今度は「あの人は今」みたいな観客の好奇心を刺激して映画を最後まで引っ張ります。しかも、過酷な体験をした登場人物たちと、それを観察して疑似体験した観客に、より明るい未来を提示してくれます。世界のどの都市にも今や共通するような都市生活者の孤独から、これまた映画オリジナルのダンスシーンを加えることで、解放しようとしてくれる。彼らと僕たちを閉鎖した建物と行き詰まったコミュニケーションから外へ連れ出してくれる。

©2021 Sacher Film Fandango Le Pacte
モレッティはとても幅広い作風で、コメディーも多いし、風刺もピリリどころかビリリときいています。ところが、今作ではカンヌでパルム・ドールを獲った20年前の『息子の部屋』に連なる正統派人間ドラマのひとつの到達点と言えるでしょう。この熟練の技を味わったら、ぜひその他のぶっ飛んだ作品も楽しんでみていただきたい。次なる作品はまたコメディーになるとのことを聞いていて、今から僕はワクワクしています。

モレッティ監督が自分で主役を演じているエッセイ風の映画『親愛なる日記』も現在同時公開中です。カンヌ国際映画祭で監督賞をとった93年の作品ですが今回ピカピカの画質になって蘇り、中ではとあるシーンで、こんな陽気な歌でモレッティが踊っています。細野晴臣さんのカバー・バージョンでお送りしました。
これ、もとは1951年の映画アンナという作品のサントラです。それをモレッティ監督がバールに流れていたテレビでたまたま見かけて、菓子パンかなんかをつまみながらおもむろに踊りだすシーンが最高なんですよ。そして、そんな曲をピックアップされていた細野さんの着眼点にもシャッポを脱ぎますね。


さ〜て、次回2022年10月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『川っぺりムコリッタ』です。荻上直子さんが、まず小説を書いて発表し、それをご自分で脚本に仕立てて監督したという、珍しい流れでできあがった作品のようですね。ムロツヨシを筆頭にキャストも魅力的。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『彼女のいない部屋』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月20日放送分
映画『彼女のいない部屋』短評のDJ'sカット版です。

公式ホームページのシノプシス、あらすじのところには、たった1行、こう書いてあります。「家出した女の物語、のようである」。
 
フランスの地方都市。彼女は朝、どうやら夫とふたりの子どもを残して、家を出ました。彼女は車を走らせます。フランス公開時にも、これ以上の物語の詳細は伏せられていたというのがこの作品。

007 / 慰めの報酬 (字幕版) さすらいの女神たち(字幕版)

 共同製作、監督、脚本は、マチュー・アマルリック。『007 慰めの報酬』などに出演してきた俳優でありながら、『さすらいの女神たち』など監督としても知られる人ですね。現在来日中です。

 
主人公の女性クラリスを演じたのは、このコーナーで短評した作品で言えばシャマランの『オールド』にも出演していたヴィッキー・クリープス。夫のマルクをアリエ・ワルトアルテが演じています。
 
僕は、先週木曜日の夜、京都シネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


今作はとにかく前情報がまったくなく、あらすじもわからないという状況で観る人がほとんど。もちろん僕もそうでした。だから、ネタバレに気をつけてお話をしますが、『彼女のいない部屋』は部屋に彼女がいる状態から始まります。主人公のクラリスは、ベッドの上にポラロイドで撮りためた家族写真を裏にしてランダムに配置して、まるで神経衰弱のようにめくっては裏返し、そのゲームの題名通り神経を衰弱、あるいは尖らせて、何度もやり直しをするんです。事情が定かではない僕たち観客は、これはいったい何が起きているのだろうと、家を出ようとする彼女に、あるいはそこで鍵を落として鳴ってしまったピアノの音に、目と耳をすませます。どこかに彼女の家出の原因が見つかるに違いない、聞こえるに違いない。そういうわけです。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
クラリスが乗り込んだのが70年代後半のものと思しき古い珍しい車で、オーディオはカセットテープ。彼女はそれで娘の弾くピアノを聴きながらアクセルを踏むものだから、てっきり数十年前の話かと思いきや、当たり前のようにスマホが出てきて、最近のことなんだと気づかされたり、とにかく断片的なシーンが続くので、そこに食らいついていく感じです。家を出たクラリスはどこへ向かうのか。そして、彼女のいない部屋、つまり家に残った家族の反応やいかに。なんて、紋切り型にサスペンスを煽ってしまいそうになりますが、どうやらクラリスの身に起きたこと、あるいは家族に起きたこと、その出来事も大事にはなるし驚くんだけれど、謎が解けて膝を打ってすっきりするというよりも、その出来事が引き金となった感情、記憶、時間に心を持っていかれる映画です。
 
映画には、僕たちがコミュニケーションにこうして使っている言語ほど精緻ではないなりに、こういう風に見せれば、こういう順序で映像を並べれば、音を使えば、だいたいみんなが同じ状況を把握してくれますというような「文法」があります。たとえば、クラリスがどこかを熱心に見つめているイメージの後に、子どもの姿があれば、それは彼女の目線、視界を表しているんですよっていうような約束事があるわけです。そういう経験則に基づいて無意識に映画を観るし、監督はそんな流れを意図して映像をつないでいくものですが、本作においてはそんな経験や合理性が通用しないので、僕たちは面食らうことになります。この美しい木漏れ日は誰が見ているものなんだろう。子どもが木登りをしているのはいつのことだろう。海辺の街は。聞こえてくる歌は。フランス語とスペイン語の入り混じった会話は。悲しみにのあまり同僚に喋りまくる夫マルクを見ているのは、誰…

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
主観と客観、意識と無意識、過去から未来へと続く時の流れ、空間が次々と交錯する中で、僕たちは、そう、あの冒頭のポラロイドをめくってはまた戻していたクラリスのような体験をしながら、悲しみと喜びと喪失と再生のきざしに感じ入るんです。原題はSerre moi fort. 英語のタイトルはHold Me Tight. 彼女は、愛しい人たちを抱きしめたし、抱きしめられた。彼女のいない部屋は、彼女の胸の中にずっとある。

(C)2021 - LES FILMS DU POISSON – GAUMONT – ARTE FRANCE CINEMA – LUPA FILM
最後は禅問答みたいになってきましたけど、マチュー・アマルリック監督の才能や恐るべし。パズルを解くようなミステリーではなく、これは人の孤独をめぐるポエジー、詩です。ベートーヴェンドビュッシー、J・J・ケイル、ショパンなどなど、ピアノ曲とポップスに乗って、あの車に乗って、あの魚の匂いをかぎ、あのカフェオレをボウルで飲みながら、いつしかクラリスの経験と感情は、監督のそれと重なり、僕たちに届く。冒険心に満ちた、それでいて純映画的な作品でした。すごいです! ブラヴォー!!!
この映画では、確かにピアノ曲を中心としたクラシックがとても大事な意味を持って響くんですが、僕は予告編でも流れていたこの無骨なロックが胸を打ちました。サンフランシスコのサイケロックバンドThe Brian Jonestown Massacreマサカーを取り上げたのも渋くてかっこいいです。

さ〜て、次回2022年9月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『3つの鍵』です。昨日は台風が迫る中、UPLINK京都でモレッティ監督の魅力に迫るトークショーを行ったところ。独自のユーモアを封印して、都会の同じマンションに暮らす3家族の物語を編み上げたその手腕にご注目ください。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ブレット・トレイン』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月13日放送分
映画『ブレット・トレイン』短評のDJ'sカット版です。

誰が言ったか、世界一運の悪い殺し屋レディ・バグ。彼の今回のミッションは、東京発の新幹線の車内からブリーフケースを盗み、次の駅で降りること。簡単な仕事だと思っていたものの、同じ列車に乗り込んでいた殺し屋たちに次から次へと命を狙われ、どの駅でも降りられない! 殺し屋たちそれぞれの過去の因縁が徐々に明らかになる中で、国際的犯罪組織の親玉ホワイト・デスが京都で待ち受ける。

マリアビートル (角川文庫)

原作は、伊坂幸太郎の小説「殺し屋シリーズ」の2作目『マリアビートル』。これが伊坂作品初のハリウッド進出です。監督は『ジョン・ウィック』『アトミック・ブロンド』『デッドプール2』のデヴィッド・リーチ
 
レディ・バグを演じたのは、ブラッド・ピット。その他にも、真田広之マイケル・シャノン、歌手のバッド・バニー、サンドラ・ブロックなどが出演しています。
 
僕は、先週金曜の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


ブレット・トレイン、弾丸列車。これは、弾丸のように目にもとまらぬ速さで駆け抜ける超特急で話が展開するのだという舞台装置と、その車内で実際に弾丸が飛び交うのだという内容の両方を簡潔に盛り込んだ、なかなかうまいタイトルです。原作は文庫で550ページを超えるとあって、そのまま映画にトレースするわけにはとてもいかないわけですが、脚本のザック・オルケウィッツは、「きかんしゃトーマス」やフルーツといったニヤリとくるエピソードを残しながら、「運」と「運命」というテーマを物語の軸として抽出。それぞれに前日譚を持ったキャラクターが、幸か不幸か、偶然か必然か、同じ列車に乗り合わせるという複雑な群像劇に仕立てました。その意味で新幹線が「ゆかり号」となっていたのは、これまたニクい。彼らはみな、ゆかりを持ってしまったわけですから。

 
映画というメディアは、その黎明期にまず列車を被写体に選びました。大きなものが移動する迫力。車輪の動き。人が集まっては散っていく駅という場所。そのどれもが映像とお話をシュッシュ躍動させる装置としてきわめて有効だからです。今作の「ゆかり号」は高速で時刻表通りに移動し、各駅の停車時間は1分と決まっている。目的地も決まっている。それを映画全体の句読点として活用し、車両ごとのドラマを群像劇やミステリーに活かしつつ、タイムリミットをサスペンスやコメディーにも活用するなど、あらゆる車両、駅、そして列車のアクション映画の醍醐味である屋根の上まで、とにかく列車もので使える技術はすべて援用しながら、このぶっ飛んだ映画でデヴィッド・リーチ監督は遊んでいます。

(C)2022 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
あえて「遊んでいる」と言いました。日本の観客のみならず、日本を一度でも訪れたことのある外国人でも違和感を抱くであろう日本描写の数々というのも話題になっています。トンデモなジャパンであると。これは、たとえばこの夏短評したフランスのアニメ『神々の山嶺』とは対極にあるスタンスですよ。ただ、今作のトンデモっぷりは、もちろんわざとです。だって、逆にものすごい精度で現代日本らしさを再現している小道具なんかも画面にはいっぱい転がっているわけで、その調子で画面に日本をそっくり構築することだって、特に今のハリウッドにできないわけはありません。つまり、わざとなんですね。
 
伊坂幸太郎だって原作にも書いています。「架空の列車の走る、現実とは異なる世界の話と思ってもらえれば」。そういうことです。これは運と運命をめぐる現代の寓話なのだから、むしろ現実の誇張やそこからの飛躍をすることで、真に迫るのであると。観た方は思い出してください。当初はある程度、僕らの知る日本、現実をなぞり模倣して描写されていたものが、いよいよ引き返せないところまで物語が達すると、もはや物理法則すらどこ吹く風とばかりに無視するようになって、むしろそこからがこの映画の本領発揮なんです。富士山の場所がどうとか、駅の数がどうとか、どうでも良いのです。

(C)2022 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
僕が気になったのは、むしろそんな日本描写ではなくって、それぞれのキャラの背景となるエピソードを語るために逐一話が過去に戻ることです。そこをうまく描いてこそ、テーマである運命的なめぐり合わせが炙り出せるのはわかるんだけど、あまりに普通に回想っぽくもどっちゃうのは、何か別の手はなかったのかと。弾丸も列車もそのままバックすることはないんです。話もそこにマッチさせることで、よりスピード感が出せたはずなんで、3歩進んで2歩下がる話運びは、伊坂幸太郎タランティーノ好きだということを理解した上でそのテイストを入れてみたにしては、映画全体にその都度ブレーキをかけることになってしまっていたのが残念でした。その結果テーマがぼんやりする。ぼんやりすると、運命というのが、結局は作者という神様がつじつまを合わせてパズルみたいに組み上げているだけでしょという冷めた視点が僕にもよぎったくらい。これはよろしくないことですよね。

(C)2022 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
ともあれ、夏のはじめに短評した『ザ・ロスト・シティ』からの意外な共通点に笑えるキャスティングの妙とか、もともとブラピのアクションダブルをしていたデヴィッド・リーチの列車の中、狭いところでのアクションの見せ方とか、楽しい場面満載で、乗ってしかるべき列車ではありますから、映画館で片道切符をあなたもぜひ購入の上、ご乗車を。
 
デヴィッド・リーチはベルリンが舞台『アトミック・ブロンド』の時に既存曲の使い方がうまいなと思っていたんですが、今回の日本舞台でもやってくれました。やはりカルメン・マキとこの麻倉未稀には快哉を叫んでしまいましたよ。特にこの『』もともと日本の曲じゃないわけだから、ツイストがまたきいてるなと。

さ〜て、次回は2022年9月20日(火)です。評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『彼女のいない部屋』です。監督もこなす俳優のマチュー・アマルリックがメガホンを取ったフランス映画。ホームページのトップにあった言葉に引き込まれます。「彼女に実際には何が起きたのか、この映画を見る前の方々には明らかにはなさらないでください」。え? そうなの? 来週は気をつけて喋らなくっちゃ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『さかなのこ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月6日放送分
映画『さかなのこ』短評のDJ'sカット版です。

好きなものの絵を描くのがこれまた大好きなミー坊。小学2年生の頃には、水族館でタコの動きに魅せられて、お母さんに魚介の図鑑をプレゼントしてもらいました。以来、ミー坊の頭の中はいつも海の生き物でいっぱい。それは、大人になっても変わりません。これは、ご存知さかなクンの自伝的エッセイ『さかなクンの一魚一会』を原作に彼の半生を映画にした作品です。

横道世之介 さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~

 監督と共同脚本は『南極料理人』や『おらおらでひとりいぐも』の沖田修一。脚本は監督と中学高校の同級生である前田司郎。ふたりのタッグは『横道世之介』以来、二度目となります。ミー坊に扮したのは、なんとのん。理解者であり続けた母親に扮したのは、井川遥。他にも、幼馴染や友だちを柳楽優弥磯村勇斗(はやと)、岡山天音夏帆などが演じています。

 
僕は、先週金曜の朝、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

映画の公開情報が出た段階で、大勢の人が思ったことでしょう。さかなクンの半生が映画になる。どんな歩みだったんだろうか。興味ある。で、誰がさかなクンを演じるのか。のん。ギョギョ!!
 
ジェンダーにまつわるそんな驚きや「どゆこと?」っていうような、「普通」にして凡庸な疑問を、この映画はのっけから一刀両断してきます。どどんと文字でこう出るんです。「男か女かはどっちでもいい」。僕はいきなり声が出そうになりましたね。まるでよく研いだ出刃包丁で魚をさばくように、切れ味鋭く鮮やかにしょうもない疑念を吹き飛ばす一言ですよ。パンフを読むと、これ、本読みや衣装合わせの段階から、現場に掲げてあった言葉らしいです。男か女かはどっちでもいい。そこんとこ、よろしく。OK。じゃ、そこは気にしないで観ていこう。一応そうして釘は刺されましたが、のんちゃんもインタビューで語っているように、これは「魚が好きな人、ミー坊」の生き様を描く物語なので、もはや「さかなクンかどうかは、どうでもいい」とさえ思わせてくれます。そして突き詰めていけば、「魚かどうかすら、どうでもいい」んです。要するに、好きなことにまっしぐらで変わらず生き続けることのできる人ってすごいぜ、まぶしいぜってことを描いているんです。さかなクンはこう言ってます。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会

 

みなさまおひとりおひとりに、夢中なことや大好きなこと、得意なこと、といった<宝物>があると思います。この映画は『さかなのこ』ですけれども、「うたのこ」「ねこのこ」「ケーキのこ」「しぜんかがくのこ」夢がたくさんでギョざいますね!! ぜひ、夢を大切に持ち続けて、この映画のラストで子どもたちと笑顔で走っているミー坊ちゃんのように、「レッツ・ギョー」でございます。

 
なるほどミー坊は魚好き。好きなものを好きって言えるのって、いいよね。と口で言うのは簡単です。でもね、自分の子どもに対してどこまでそれを許容できるのかという問題もあります。この映画の中では、ミー坊に関わる何人かが、節目節目でミー坊の「軌道修正」を図ります。父親が、教師が、あるいは友人が。「魚が好きで、絵が上手。それだけじゃ、人生という大海原を泳ぎきれないでしょうよ」と諭して、普通なる生き方への矯正を促すわけですが、ミー坊は馬耳東風。あるいは、こう返します。「普通ってなに?」。それも、皮肉めいたり反論するわけでなく、素朴に聞くわけです。普通ってなに?
 
面白いもので、ミー坊に関わる人は、年相応に環境や境遇が変化します。進学、就職、結婚、子育て、などなど。人生のステージが変わって、ミー坊への接し方も変化していく。その一方で、ミー坊はずっとミー坊です。誰もがそれぞれの口調でこんなことをミー坊に言います。「変わんないな、ミー坊は」。時に、冷ややかに、時に、呆れて、そして時に嫉妬めいて、あるいは羨ましそうに。そんな中、ミー坊同様、変わらない人がひとりいます。それは、井川遥演じる母親です。下手をすると変人扱いされてバカにされかねない、コミュニティーから社会から爪弾きにされかねないミー坊を否定しないどころか全肯定していくその凛とした決意がものすギョい。しかも、甘やかしているのかと言えばそうでもなくて、決然と社会の荒波へ放り込んだりもします。その上で、久々に再会するシーンで彼女が放つ一言には、もう猛然と驚きました。最高です。ハラハラして、笑って、底知れない愛を感じる名場面でした。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会
好きなことをやり続けている人に対して、「普通」を標榜する人はあこがれを持つもの。それが妬み嫉みにつながり、攻撃してしまうこともある。そこも逃げずに描いたのが、ミー坊に大きな影響を与える町の奇人たるギョギョおじさんの場面です。野次馬や警察のあの哀しき誤解と杓子定規な対応は切なかったですよ。しかも、そのギョギョおじさん役にさかなクンを抜擢するとか、キャスティングのさじ加減が絶妙です。つまり、さかなクンだって、もしかしたら、どこかでひとつでも歯車が噛み合わなかったら、今みたいな人気ものになっていなかったかもしれないということも示唆しているわけですね。

(C)2022「さかなのこ」製作委員会
でも、全体を通しては、沖田修一監督の真骨頂とも言うべき、多少ぶっ飛んで見えても映像の力を信じて大胆にリアルとファンタジーをつないでいく手法が冴え渡っていました。美術も細かいところまで気配りされているし、不良映画をいろいろミックスしてパロディーにしたような田舎のヤンキーたちの造形と会話もいい。とにかくあらゆる場面で僕は笑い、驚き、目を見張りました。ちょいと尺が長くて少し冗長なところもあったけれど、すぐにまた巻き返してきます。安心していろんな人に薦められる、見事な教育映画でもあるし、瞳が濁りがちな僕みたいな大人にもそのくもりをすっきり取り払ってくれる効果もあるでしょう。さかなのこ、「好き」賛美映画として、のんちゃんの代表作に加わる1本として、そして間違いなく今後さらなる飛躍を遂げるだろう沖田修一・前田司郎両氏の現在地を確認できる作品として、ぜひギョ覧ください。

これはパンフレットに寄稿していた映画評論家、森直人さんの見立てなんですが、サントラを担当していたパスカルズの音楽が肝で、ミュージカルとして考えることもできるだろうと。面白い! 番組では、こちらも最高、CHAIの『夢のはなし』主題歌をたくさんのリクエストに応える形でお送りしました。

さ〜て、次回は2022年9月13日(火)です。評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ブレット・トレイン』です。予告を観ていると、かなりのB級臭が漂っているように感じていたんですが、なかなかよろしいという評判も僕の周りで聞かれます。伊坂幸太郎作品をハリウッドが調理するとどうなるのか。見届けてきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『プアン/友だちと呼ばせて』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月23日放送分
映画『プアン/友だちと呼ばせて』短評のDJ'sカット版です。

ニューヨークでバーを経営する青年ボスに、タイで暮らす友人のウードから数年ぶりに電話があります。実はウードは白血病で余命宣告を受け、最期の頼みを聞いてほしいというんです。店を1ヶ月休んでタイに帰国したボスの役回りは、なんと運転手。元カノに返したいものがあるから、連れて行ってほしいのだと。しぶしぶ受け入れたボスは、ラジオDJだったウードの父の形見である古い車のハンドルを握り、ふたりの期限付きの旅が始まります。

バッド・ジーニアス 危険な天才たち(字幕版)

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』が国際的な大ヒットを記録したタイの新たなる才能バズ・プーンピリヤ監督が、巨匠ウォン・カーウァイから一緒に映画を撮ろうという誘いを受けて実現したこの企画。カーウァイは製作総指揮として原案から脚本の監修も行いました。共同脚本も務めたプーンピリヤ監督のもとには、タイが誇る若手のトー・タナポップとアイス・ナッタラットが集って、それぞれボスとウードを演じたほか、『バッド・ジーニアス』で主演したオークベープ・チュティモンも、ウードの元カノ役でスクリーンを彩っています。
 
僕は、先週土曜の朝、アップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

珍しく、先にどうもいただけないって部分を話しておきます。それは、この主人公ふたり。病気のウードとボスのしょうもないエゴです。元カノ、しかも、早々に判明することなんで言ってしまいますが、複数の元カノにそれぞれ何かを返却するって、ウードくん、そりゃ、あんた、相手にしたら面食らいますぞ。ボスはボスで、自分の出自をこじらせすぎ。自分の置かれた環境を疎ましく思いつつも、結局はその環境を利用もしているわけで、あんた、またイケメンでモテモテなのをいいことに、生き方の問い直しをするのが遅すぎ! もう30やで! あと、もっぺん、ウードくん、あんたもな、人にものを打ち明けるのがいつも遅すぎるよ。もっと早く、そこはナヨナヨ・ウジウジせんと、もっと大人になって、発言も行動もスパッとしなはれ! 僕、映画館からの帰り道に、バスに揺られながら考えてみたんやけど、君がもしもっと早く打ち明けるべきタイミングでもろもろ動いてたら、こんな映画できてないから! こんな、すばらしい映画! その意味で、ありがとう。

©2021 Jet Tone Contents Inc. All Rights Reserved.
だんだんヒートアップしてしまいましたが、作品の出来栄えはもう最高です。ちょっと文句のつけようがない。あとは、このふたりの青年の未熟さについていけるかでしょう。その点でウマが合う合わないってのはありますが、僕に言わせれば、そこもある程度は脚本でフォローしてあるんですよ。ウードの強引さに「なんだよ、俺、結局運転手かよ!」っていうボスの呆れる様子。観客も同様ですから、ボス寄りの視点でツッコミを入れながら旅に同行する。ところが、旅のもうひとつの大きな目的が明らかになるところ、カセットテープで言えばB面にさしかかるところから、今度はボスの未熟さもつまびらかになってくるんだけれども、そこからはもう怒涛の種明かしが続く語りのうまさで引っ張られます。これ、実は監督も脚本を書くにあたって、体当たりのシナリオハンティングと言うべきか、実際に自分の元カノたちに会いに行ってみたそうです。再会を喜ぶ人、戸惑う人、拒絶する人などなど、そりゃ色んな反応があったようで、おそらくはそんな体験をさらにグツグツ煮詰めて濃くしてシナリオに盛り込んでいるもんだから、ふたりはそれぞれに自分たちの過去の言動のしっぺ返しを食らっています。自業自得な部分もあって、ふたりはそんな苦い経験をしながら、ようやく大人になっていく。そこが描けていること、言わば、青かった自分たちに、落とし前をつけているところが憎めないポイントです。

ブロークンフラワーズ [DVD]

複数の元カノを訪ねて回るという映画だと、ジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』を思い出します。若いふたりの青年が、生き死にの問題をはらみながら、幼さからの脱皮をする話だと、僕は村上春樹の初期の主人公たち、僕と鼠を思い出しました。そして、画作りにおいても、映画というメディアの特性を踏まえた語りのうまさにおいても、製作総指揮ウォン・カーウァイのテイストはあちこちに内包されていまして、もともと優れたプーンピリヤ監督の才能と合わさって、見事にドライブしています。

©2021 Jet Tone Contents Inc. All Rights Reserved.
元カノたちそれぞれのキャラクターとも連動させたという、タイの街の違いも味わえる観光映画にもなっています。NYの街そのものも大事な役割を果たします。カクテルなどのお酒もそう。それぞれグッドセレクトな音楽もお見事だし、何より音楽を扱っているだけあって、映画全体のリズムも抜群。脚本だけでなくて、ひとつひとつのショットの間合い、カメラの時に突飛なアングルと動き、チャプターごとにライティングや色調や画質を微細に変化させるテクニック、効果音や文字を出すタイミングなどによって丁寧に丹念な演出が施されているからこそ、最高のリズムが生まれていて、お見事という他ありません。そして鑑賞後には、自分のこれまで出会ってきた人たちを思い出して、また前を向いて生き続けようと晴れやかになるんです。不特定多数の人生がひととき同居する映画館という装置での鑑賞を強くオススメしたい1本でした。
ウードの父親であるラジオDJが深夜放送で語ります。もしも今ひとりぼっちだとしても、忘れないでほしい。俺がそばにいることを。よき友人と最高の音楽。それがあれば、どこへ向かおうと寂しくないはずだと。ラジオを聞いてパーソナリティーを友だちのように思ったことが一度でもある人なら、この映画、観てほしいです。Three Dog NightのOneも素敵な曲紹介だったんで、僕も放送でオンエアしましたよ。
さらに、エンディングに用意された、監督の友人であり、タイのシンガーソングライターにして大スター、Stampによるこの主題歌も無論最高です。

さ〜て、来週は僕が夏休みを取って、番組は加美幸伸さんに代演いただくということで、CIAO CINEMAのコーナーはお休み。ということで、次回は2022年9月6日(火)です。評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『さかなのこ』です。予告を観るたびに、このジェンダーレスなキャスティングを興味深いなと思っていたんです。鮎っ子でお魚大好きDJな僕も、興味しんしん丸に乗って劇場へ向かいます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!