京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『月の満ち欠け』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月20日放送分
映画『月の満ち欠け』短評のDJ'sカット版です。

家族思いの父親だった小山内堅(つよし)は、妻の梢と高校生だった娘の瑠璃を事故で同時に失います。悲しみにくれ、東京から故郷の青森に戻って暮らしていた堅(つよし)のもとに、ある日、哲彦(あきひこ)と名乗る写真家が訪ねてきます。あの事故当日、堅(つよし)の娘瑠璃は、面識がないはずの自分に会いに来る途中だったと告げられて戸惑う堅(つよし)。哲彦(あきひこ)はさらに踏み込んで、瑠璃はかつて自分の愛した同じ名前の女性の生まれ変わりかもしれないと言うのですが…

月の満ち欠け

原作は佐藤正午の同名小説で、この作品で2017年に直木賞を獲得しています。脚本は、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の橋本裕志(ひろし)。監督は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の廣木隆一で、なんと今年だけで5本も監督作が公開と、とんでもないハイペースです。
 
父親の小山内堅に扮したのは、大泉洋。妻の梢を柴咲コウ、小山内を訪ねてくる写真家の哲彦を目黒蓮、その哲彦の愛した瑠璃を有村架純が演じている他、田中圭伊藤沙莉(さいり)、菊池日菜子などが出演しています。
 
僕は先週木曜日の夜に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

なんというか、近年稀に見る変わった映画ですよ、これは。僕が原作を読んでおらず、ストーリーラインを把握しないまま観に行ったもんで、ある意味いいお客さんですよ、素朴に驚いたんです。思ってたんと、違うってこと。僕は予告を観る限り、ジャンルとしてはメロドラマで、人と人のつながり、それも数奇な縁を描いた、こう言ってはなんですが、お涙ちょうだいの作品だろうと予想していました。それも間違いではないし、たとえば、とても家族思いの小山内の妻子がいっぺんに亡くなってしまうところなんて、演じた大泉洋さんもあそこはこらえきれなかったとインタビューで語っているように、観ているこちらもこらえきれないものがあります。僕だって、こみ上げるものがありました。ただ、物語が進むにつれて、おやおや、と、その僕の言った「数奇な縁」ってやつの全体像が見えてくると、今度はですね、むしろオカルトめいた不穏な空気が漂い始めて、正直に言えば、ラスト近辺であとある言葉が発する言葉に、僕はマスクの下でこうつぶやきました。「こわ…」。

(C)2022「月の満ち欠け」製作委員会
映画の軸としてあるのは、ふたつの愛です。ひとつは1980年、12月8日、ジョン・レノンが死んだ日に出会った、レコード店でバイトをする大学生哲彦と、年上の女性、瑠璃。ふたりは傘の貸し借りから恋に落ちていきます。そして、もうひとつは、その1980年12月8日に結婚式を挙げた小山内と妻の梢、さらにはふたりの間に翌年生まれる娘の瑠璃が育む家族愛です。こうやって話していると、ますます、ジョン・レノンの命日をきっかけとする恋愛オムニバス映画みたいじゃないですか。絆、とか、純愛、なんてワードで括りたくなるし、廣木隆一監督の演出は、一見、画面の作り方や、小道具の使い方、キャラクターが走る絵の入れ方、など、どれを取っても、大衆メロドラマのそれなんです。ただ、僕に言わせれば、いやいや、そこに騙されてはいけないという気もします。7歳で原因不明の高熱を出した娘瑠璃が、それ以降、不可思議な行動を連発する様子。高校生になった彼女が美術部で描く絵のタッチ。満ち欠けを繰り返す月が不気味にすら見えるショット。現代パートで小山内が再会する娘瑠璃の親友親子が食べているものと、その会話シーンのバックにある不自然に大きな宗教画などなど。これ、僕、はっきり言いますけど、羊の皮をかぶった狼的に、感動のメロドラマに見せかけたオカルト・ホラーだと認識すると、捉え方がずいぶん変わるように思います。面白くなるんです。かつて大林宣彦がアイドル映画の枠内でぶっ飛んだことをやっていたように、というと、持ち上げ過ぎですけど、ジャンルを飛び越えてとんでもないところへ観客を連れて行く、ある種の居心地の悪さが魅力です。それが製作陣や廣木監督が意図したものなのか、そうでないのかは別として。

(C)2022「月の満ち欠け」製作委員会
高田馬場のオープンセットがすごいとか、神田川の感じが懐かしいとか、そういう評もありますが、僕に言わせれば、そうですかね、という感じもします。セットはセットだとすぐに見抜けるし、エキストラの動きも不自然。事故現場にいたっては、明らかに交通を遮断して撮影しているのがわかるショットもある。8mmフィルムのくだりは、エモい雰囲気を出していますが、同時録音って、あれ、できるものかしら? 1980年の早稲田松竹って、あんなシネコンみたいな座席なの? 当時の缶ビールは、プルタブ式でしたよね。当時のキャンプ道具ってなどなど、できるはずの時代考証ができていなくて首をひねるところは結構ありました。
 
でもですね、僕は有村架純柴咲コウ伊藤沙莉の謎めいた女性像はどれも良かったと思うし、再三申し上げますが、オカルト・ホラーとして観れば、たとえば説明ぜりふが非常に多い点も、むしろ説明されても納得できない怖さがあって、僕はそれが面白いなと思ったんですね。その意味で、思いがけない珍品に出会えたと言えます。好きとも言えないし、凡庸なメロドラマだとも片付けられない、映画的な飛躍に満ちた不思議体験は保証できます。
 
それでは、その不思議が発動する時にかかっていたジョン・レノンの曲を聞いてみましょう。

さ〜て、次回2022年12月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハッピー・ニュー・イヤー』です。この番組ではぴあの華崎さんが紹介してくれていた韓国映画ですね。グランド・ホテル形式の群像劇で、まさにホテルの年末年始の悲喜こもごもを描いていく。その様子を、華崎さんは『THE有頂天ホテル』を引き合いに出して原稿にしていらっしゃいました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『ザリガニの鳴くところ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月13日放送分
映画『ザリガニの鳴くところ』短評のDJ'sカット版です。

1969年、アメリカ、ノースカロライナ州の湿地帯で、地元の名士の跡取り息子の青年が変死体で発見されます。事故か他殺か。容疑をかけられたのは、カイアという若い女性。彼女は6歳で両親に見捨てられ、学校に通わず、湿地帯の中で自活し、自然を観察して生きる術を学びながら、ひとりでサバイブしてきたのです。そんなカイアに読み書きを教えたのは、心優しいひとりの青年でした。カイアの裁判が進むにつれて、彼女の半生が徐々に明らかになっていきます。

ザリガニの鳴くところ

ここ日本でも大ヒットとなり、全世界で1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名小説が原作です。製作を手がけたのは、原作に惚れ込んだリース・ウィザースプーン。監督は、オリヴィア・ニューマン。いずれも女性です。カイアを演じたのは、新鋭デイジーエドガー=ジョーンズ。カイアの初恋の相手テイトをテイラー・ジョン・スミス、金持ちの青年チェイスをハリス・ディキンソンが演じた他、弁護士役として名優のデヴィッド・ストラザーンが活躍しています。また、主題歌は、やはり原作に夢中になったというテイラー・スウィフトが書き下ろしました。
 
僕は先週金曜日の朝に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


残念ながら、僕は原作は積読タワーの中に埋もれたまんまでして、このタイミングでも読む時間を確保することがかないませんでした。そんな僕が言うのも妙な話ですが、これは原作にとってかなり幸福な映画化ではないかと思うんです。物語の舞台であるノースカロライナ州に住み、動物学者として活動してきた原作者ディーリア・オーエンズが、それなりに分厚いあの小説で精緻に描写した自然や主人公カイアの言動というのは、125分の映画にそっくり移し替えるなんてことはできないわけです。でも、原作を読んでから映画を観た人に話を聞けば、たとえば湿地帯の景色というのは文字からイメージしていたものにかなり近いのだそう。これは作家の言葉の表現力の賜物とも言えるわけで、オーエンズさんもこんなコメントを発表しているんです。「私が望んでいることの一つは、自然の風景や湿地、自然環境そのものの場面を観た人たちが、“観てよかった”と感じてくれることです。もし映像で接するのなら、湿地は、絶対に大きなスクリーンで見るべきものです」って、これ、オリヴィア・ニューマン監督への賛辞にも受け取れますね。カイアが金持ちの青年チェイスと初めて高い火の見櫓を登った時に、眼下に広がる広大な湿地帯を目の当たりにして口にする言葉「いつも横顔だけ見ていた友だちの全体を見た気分」というのは、原作を読んだ後にこの映画を観た人も同じ気持ちになるのではないでしょうか。

(C)2022 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
一方、僕みたいに原作を未読の人はどうかと言えば、僕もそうですが、この映画を観たら、まず間違いなく小説を読みたくなるんです。実際に、CIAOリスナーのそうした声がツイッターでもたくさん寄せられています。これはなぜかと言えば、映画があえて描写を省いた要素があるからで、それが気になるから小説で言わばその答えを探したくなるというのが一番の原因だとみています。小説を映画に脚色するにあたって、ラストや設定を改変することってよくありますけど、この作品はむしろそこはかなり忠実であるにも関わらず、あることを大胆にも伏せて省略しているんですね。2時間という尺の中で観客の緊張感と興味をキープする目的もあって、映画ではこの物語の構成要素のひとつ、チェイスの死の謎をより強調しているように感じます。それは僕は妥当だと感じると同時に、それがゆえに、実はジャンルとしてのミステリーに徹しなかったことが英断だったと言うべきです。ネタバレを避けるために、奥歯にものの挟まったような言い方になっていますが、大きな謎は明かすものの、いわゆる謎解きはしていないんです。だから、極上ミステリーを期待していた人は肩透かしを食うかもしれませんが、僕は謎解きをもし映画でしていたら、そこの妙な生々しさが印象として強くなりすぎて、物語の本質からはむしろ遠ざかるような気がするんですよ。で、小説には謎解きはある。それもあって、気になってしょうがない人は本を手に取るという流れが生まれているんですね。

(C)2022 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
僕はとにかくこの映画に魅了されました。自分でも湿地をカヤックでうろうろするので、簡素なボートで登場人物たちが移動する映像はたまらなく美しく感じました。カイアと優しき青年テイトが鳥の羽を交換することでコミュニケーションを取っていくところも素敵だった。生物学ってだけじゃなくて、文化人類学的にも面白いという場面でした。恋愛ものとしても、法廷劇としても、女性の成長譚としても、社会のスケープ・ゴートや差別の構造、そしてジェンダーの問題を考える上でも、意義深く鑑賞しました。でも、僕はどうもそれだけじゃない気がしてモヤモヤしていたんですが、パンフレットにあった山崎まどかさんのレビューを読んで、「これだ!」と膝を打ったんです。それは、カイアという女性の象徴するもの。カイアは「私は湿地となった」と語る場面があるんですが、つまりは彼女は自然そのもののシンボルだという考えです。そう捉えると、この物語はつまり、人間と自然の関係を描いた寓話として成立するんですね。すると、僕たち人間が自分たちをどこか自然から切り離してものを考える、自然を守ろうとか、地球にやさしくという言葉に透けて見える欺瞞やおごりを問いただすメッセージが浮かび上がってきます。ザリガニは鳴かないけれど、ザリガニの鳴き声に耳を澄ますような姿勢が僕たち人間には切実に求められており、そうでない限り、僕たちは「母なる自然」に奈落の底へいつ突き落とされても仕方がない。そんな恐ろしさもたたえる、つまり怖いほど美しい映画だと僕は受け止めました。
 
では、原作に感銘を受けたテイラー・スウィフトが、真夜中にひとりで書き、物語の舞台となった時代らしいサウンドをザ・ナショナルのアーロン・デスナーと構築してできあがった主題歌です。

さ〜て、次回2022年12月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『月の満ち欠け』です。予告を何度も映画館で観ていたんですが、とにかく泣きの演出なんだろうなぁという印象です。そして、僕も涙をこぼすのだろうな、と。でも、泣く=いい映画ってことでもないわけで、そこはしっかり観ますよ。手ぬぐい持参で! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ザ・メニュー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月6日放送分
映画『ザ・メニュー』短評のDJ'sカット版です。

太平洋沖の小さな島にある、超高級レストラン「ホーソン」。予約なんてなかなか取れず、有名シェフのスローヴィクが手掛ける芸術作品のような豪華な料理を楽しめるのは、ごく限られた特別な客だけ。その日集まったのは、IT企業の社員、羽振りのよい熟年の常連夫婦、料理評論家、落ちぶれた中年映画スター、そして、料理オタクの青年とそのガールフレンド、マーゴ。ただ、島に上陸したところから、どうもこのレストラン、様子がおかしくて…

キングスマン:ファースト・エージェント (字幕版)

監督は、本年度エミー賞で最多25ノミネートを誇るTVシリーズ『メディア王〜華麗なる一族〜』の演出で注目が集まっているマーク・マイロッド。ボーイ・フレンドに連れてきてもらった、一応主人公と呼ぶべきマーゴを演じるのは、『ラストナイト・イン・ソーホー』のアニャ・テイラー=ジョイ。そして、シェフのスローヴィクには、『シンドラーのリスト』『イングリッシュ・ペイシェント』『ハリー・ポッター』シリーズのヴォルデモート、あるいは最近だと『キングスマン:ファースト・エージェント』などなどへの出演で知られる、名優レイフ・ファインズが扮しています。
 
僕は先週金曜日の朝に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

簡単に言えば、とんでもないレストランに入店してしまった客たちの顛末を描いた物語ということになりますが、思った以上に風刺のきいた作品でして、味で言えば、その苦味と辛味に僕はゾクゾクしました。宮沢賢治で言えば、『注文の多い料理店』ですね。なにしろ、一皿ごとに、シェフがその料理についての御託を並べるわけですが、最初に「食べないでくださいDo not eat.」なんて言うんですもの。「え?」ってなりますよね。じゃあ、どうすればいいのか。「味わってほしい。Taste.」ときたもんだ。なんだよ、「うるせ〜な」って思ってしまいますよ。そんなの言葉の綾じゃないかって。でも、このシェフの言わんとするところもわからないでもないというか、素材を吟味して、丹精込めて提供される料理というのは、当然ながら、単なる栄養補給という次元を超えて、アートや哲学という領域に発展していくもの。ましてや、セレブしか立ち入ることを許されないようなお店で、アイデアと技術と贅を尽くしているところで、牛丼をかっくらうようなノリでがっつかれても興ざめ、ではあります。確かに。ちゃんとそこに込められた意味まで含めて味わっておくれということなのだろうか。

(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
そう思って、改めて客たちを見回してみると、まあ、困った連中が集まっておりますこと。腹が立つわぁっていう俗物っぷりが各テーブルでそれぞれ手短に完結に展開されていて、僕なんかはニヤニヤしてしまうわけです。私が料理業界に君臨しているとでも言うような料理評論家の女性の鼻持ちならない言葉と態度。彼女にへつらう編集者。味なんてどうでも良くて、とりあえず有名レストランで食事をすることで箔をつけたい、つまりは料理ではなくステータスを求めてやってきた連中。そして、料理の写真は撮るなと言われているのにこそこそ隠し撮りをするような、それでいて、シェフのことを神とばかりに盲信している料理オタク。アダム・マッケイのプロデュースということで、いわゆるエスタブリッシュメント、社会階層上位の金持ちを料理させたら抜群です。シェフが部下たちを総動員して、そいつらに一泡吹かせる、その復讐の手口がブラックで面白いやないかということ。よく研いだ包丁のように鋭いんですね。
 
でも、単純に資本主義社会の成功者とその搾取だけを批判しているだけでもないんです。それがこの作品の意外と、と言ったら失礼ですが、幅の広いところ。たとえば、途中で男性だけが恐怖に打ちのめされるくだりがありますが、女性への差別意識も複数の角度から立体的に批判されます。それから、なんと料理人の過度な上昇志向や軍隊的な上下関係、つまりはシェフの身内や自分自身のいる料理業界も容赦なく切っていくんです。

(C)2022 20th Century Studios. All rights reserved.
そんな中、ひとりだけ、アナ=テイラー・ジョイ演じるマーゴという女性だけが、白い羊の群れに紛れ込んだ黒い羊という感じで、映画の冒頭から浮いていて、観客の視点を肩代わりする存在である一方、彼女自身にも謎があって、それが一定のテンポで進み先が読めてしまいかねない物語の推進力にもなっています。
 
羊たちの沈黙』や『ミッドサマー』、そしてアダム・マッケイ作品の好きな人なら、きっと気にいるのではないでしょうか。閉鎖空間での会話劇は演劇的ではあるものの、そこはマーク・マイロッド監督が細部にまでこだわり抜いた演出でしっかり映画らしい盛り付けをしています。シェフがあそこまでどうかしてしまった理由と、この地獄のフルコースの計画の内幕、シェフが予定外に作ることになるあの料理の意味など、描き切れていなくて弱点になっている要素、深みが足りないと感じるところも正直ありますが、僕はこれ、十分に楽しみました。わりと好物です。

さ〜て、次回2022年12月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ザリガニの鳴くところ』です。原作小説は世界中に翻訳されてヒットしたミステリーで、日本でもよく読まれましたし、木曜日にジュンク堂書店の角石さんがこの番組でオススメもしてくれていました。予告を観ていると、その映像の美しさに圧倒されますが、脚色はうまくいっているのかどうなのか、観に行って確かめてきます。それにしても、公式サイトのアドレスが、「ザリガニ・ムーヴィー」になっていて、ちょっと笑ってしまいました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月29日放送分
映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』短評のDJ'sカット版です。

1950年代、まだ第2次大戦の記憶が新しかった頃のロンドンです。夫を戦争で亡くしてしまった家政婦のミセス・ハリスは、勤め先でディオールのドレスを目にしてうっとり。すっかり美しさに魅せられてしまいます。よし、これはフランスへ買いに行くしかない。お金をかき集めて向かったパリの本店ですが、オートクチュールのドレスをすぐに買えるわけもなく、すげなく追い返されそうになるのですが…

ミセス・ハリス、パリへ行く ミセスハリス (角川文庫)

アメリカの人気作家ポール・ギャリコの小説が原作で、監督と共同製作・共同脚本は、日本ではあまり知られていませんが、90年代からイギリスを中心に映像業界で活動しているアンソニー・ファビアンが務めました。ミセス・ハリスを『ファントム・スレッド』のレスリー・マンヴィルディオールの支配人をイザベル・ユペールがそれぞれ演じた他、この映画でとても重要な衣装デザインは、『眺めのいい部屋』『クルエラ』などのアカデミー賞受賞デザイナーであるジェニー・ビーバンが手がけています。
 
僕は一昨日日曜日の昼に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

なんてチャーミングな映画だろう。観終わったら、きっと大勢がその日を気分良く過ごせるに違いないって思える作品でした。まずキャストがいいです。レスリー・マンヴィルは、ミセス・ハリスの人柄を、姿勢から顔の表情から、口調から、服の着こなしまで、文字通り体現していました。基本的に慎ましやかだけど、時に大胆で向こう見ずになるところ。いつも人にやさしいけど、時に毅然とするところ。世話焼きを通り越して、時におせっかいでもあるところ。お金はそりゃあまりないけれど、気品と希望はどうあってもキープしているところ。そして、偏見なく世の中を見ているところ。ミセス・ハリスのことを、多少、小バカにしたり、低く見る人はそりゃいるけれど、彼女を積極的に嫌う人なんて、いないというキャラクターです。彼女の一世一代の冒険を追うこの映画。当たり前ですが、ミセス・ハリスの魅力が観客に伝わるかどうかが作品成功の鍵、というよりも条件ですよね。レスリー・マンヴィルの起用は大当たりで、彼女がミセス・ハリスを演じることで、この作品全体をミセス・ハリス的チャーミングさで包み込むことに成功しています。それぐらいいい。
そんなハリスが押しかけるディオールの女性支配人を演じたイザベル・ユペールも、いけ好かない高慢ちきな感じをうまく出している分、おろおろしたり、プライベートを垣間見せる時とのギャップが効いていました。メインはこのふたりなんだけど、ナターシャというディオールのトップモデルを演じたポルトガルの俳優アルバ・バプティスタさんがもう最高なんです。彼女はこれから化けるんじゃないかしら。彼女はミセス・ハリスとわりと頭の方から仲良くなるんですね。ディオールのたくさんのドレスを着るし、プライベートでの服装もバリエーション豊かに見せるしで、名デザイナーのジェニー・ビーバンがこしらえた服を一番多く着ているその姿がもう眼福としか言いようがないです。かわいくて、美しくて、モデルに徹することもある一方で、サルトル哲学書を読む相当な知性を持ち合わせ、それがゆえに将来どうすべきか、どんな道に進むべきか悩んでもいる。結構難しいこのナターシャという役柄は、この映画の鍵なんですよ。そこにまだキャリアはこれからというバプティスタさん、しかもポルトガルの女性を抜擢した製作チームの慧眼よ!
お仕事映画としても良いです。50年代の家政婦の仕事の様子。そして、オートクチュールのみだった頃のディオールの内側の様子とその変化もよくわかって興味深い上に、ちゃんと現代的な視点も盛り込んでいて、「古き良き」で終わっていないんです。格差が激しくなっている今の世相を50年代に反映させている上、小難しくないレベルで当時流行していた実存主義もうまく会話に反映させながら、名もなき市井の女性The Invisible Womanにその存在価値を与えているのも素敵です。脚本上のご都合主義を指摘することは簡単だけれど、「うっかりと善意の交差点」みたいなシーンもあって、あくまでチャーミングに寓話に仕立てているもんだから、目くじらを立てる気なんておきません。
ディオールのドレスに一目惚れするミセス・ハリスを捉えた三面鏡のショットなんて、彼女が現実を忘れている様子を如実に表現していたし、何度か登場するロンドンの橋の上での彼女の振る舞いも、川が時代をシンボリックに表しているようで効果的でした。とにかく、これは幸せな気分になること請け合いの1本。ぜひ劇場へ駆けつけて、あなたの1日をWhat a lucky day!なものにしちゃってください。
またこのサントラが、ミセス・ハリスの歩くスピードにぴったりで良かったんです。


さ〜て、次回2022年12月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ザ・メニュー』です。これ、新聞で映画評を読んでいて面白そうだなと思っていたんですよ。孤島にある有名レストランに食事に来たカップルが、やはりおいしいものだと感心したまではいいものの、ふとしたことで違和感を感じて… レストランを舞台にどんなサスペンスが繰り広げられるのか。ちょいと怖そうだぜ。でも、僕も大好き『ドント・ルック・アップ』のアダム・マッケイがプロデュースですよ。ユニークな映画がラインナップされるサーチライト・ピクチャーズの作品ということもあって期待大。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『窓辺にて』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月22日放送分
映画『窓辺にて』短評のDJ'sカット版です。

元小説家で40代のフリーライターの市川茂巳は、出版社で売れっ子作家の編集者をしている妻の紗衣が浮気していることに怒りを覚えられずにいる。サッパリしている自分にショックを受けている。そんな市川が、取材対象の女子高生作家、彼女のおじ、彼氏、市川の友人であるスポーツ選手とその妻などと会うなかで、だんだんと彼自身の人生観や創作に対する姿勢が変化していく、恋愛群像劇です。

愛がなんだ 街の上で

 監督は、現在41歳にして、これが17本目のオリジナル脚本作となる今泉力哉フリーライター市川を稲垣吾郎が演じたほか、その妻紗衣を中村ゆり、女子高生作家を玉城ティナ、スポーツ選手を若葉竜也がそれぞれ担当しています。

 
僕は先週金曜日の朝に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

冒頭のシーンを思い出します。主人公の市川がよく行っているであろう純喫茶の窓辺の席。小説を読んでいる。ふと本を置いて、コーヒーを飲む。見ると、日差しがお冷のコップを経由して乱反射している。興味を持った市川は、それを持ち上げて、もう片方の手にかざして、手に映る光と影で遊ぶ。なんでもないしぐさです。彼が何者であるかも、まだわかりません。彼がライターをしているというのがはっきりわかるのは、その後、女子高生作家が文学賞を受賞した記者会見場で市川が手を挙げた時にようやく。インタビュイーではなく、インタビュアーとしての稲垣吾郎という物珍しさも手伝って、「オッ」と軽く驚きながら、そうなんだと観客は受け入れることになる。同じように、若葉竜也演じるスポーツ選手も、たぶんサッカーなんだろうけど、結局は最後までわかりません。でも、市川は時間に追われておらず、自分のペースで仕事をして、喫茶店ではふとした手遊びをするような人だということは伝わるし、スポーツ選手はキャリアのピークを過ぎてくる中でどうピリオドを打つのか悩んでいることはわかる。今泉監督にしてみれば、各キャラクターの紹介を型通りにやる必要はないと考えているのだろうし、だんだんと人となりがわかってくる流れというのは、僕たちが実際に誰かと知り合うときのプロセスに近いと思います。

©︎2022「窓辺にて」製作委員会 すなくじら
これって、一直線に進む話ではないんですよね。行きつ戻りつ、脇道それつつ。でも、そのひとつひとつの要素が、往々にして本人の意図せぬ形で響き合って影響しあって、全体としてぐるぐるめぐりながら前に進んでいく。そんな物語構成になっているんです。群像劇ってそういうもんだろって思われるかもしれないけれど、たいていは物語の推進力を生むために、誰かが誰かにはっきりとした意図を持って何かを行うことが多いように思うんですね。もちろん、この作品でも、特に、女子高生作家なんかは、主人公市川を振り回すようなアクションを次から次へとしかけてくるんだけど、いずれにせよ、当の市川はどんなできごとであっても、ひょうひょうと引き受けて、時にいなして、時にしっかり巻き込まれて、もまれながらも歩いていく。僕は思うんです。人生ってまさにそういうものじゃないかって。特に誰かと恋愛をしたり、仕事をしたりっていう人間関係は、ままならないですよね。今泉監督は、そういう僕たちの営みの響き合い、相互作用、その核心をいつも巧みに突いてくる人だし、今回はその真骨頂だと思います。
 
パンフレットでは、評論家の森直人さんが今泉監督の作品をトータルに評して、ダメ恋愛軽喜劇のサーガを作る人だと言うんですね。これが的確な言葉だったので、引用します。
 
だいたい近い場所に暮らす数人と、その友達の知り合いみたいな面々が、浮気や二股といったモチーフを通して、日常的な『サークル』を形成するように繋がっていく。その中で彼らは自己決定がゆらぎ、浮遊した関係性を生きる。まるで終わらないロンドを踊り続けるように。
 
人生が舞台なら、そのステージは街にある。彼ら彼女らは恋のダンスをそれぞれに自分のステップで踊るというわけです。全体を通して、役者は大変だろうなってくらいにセリフ量はすごく多いんだけど、いわゆる説明台詞はまずない。むしろ、これはどこへ向かうのかという、なんてことのない会話がフワッと登場人物たちの間で浮かんでは消えていく。かと思えば、消えたはずの言葉が、不意に思い出される瞬間があって、その時に言葉が不思議と輝いている。

©︎2022「窓辺にて」製作委員会 すなくじら
たとえば、パフェというスイーツの語源をカフェで語り合う女子高生作家と市川。その後、公園で交わす、猫と女をめぐる究極の選択。市川がたまたま乗ったタクシー運転手のどうってことない言葉。しかも、さりげないけれどここしかないというアングルでとらえた固定カメラで、ちょいちょい結構な長回しを入れるんですよ。ガチャガチャとカメラを動かさない。忙しい編集で流れを断ち切らない。どうってことないと思える場面でも、実はものすごく計算された会話劇になっています。
 
さらにたとえば、市川が山小屋で隠遁生活を送る同年代の男とウッドデッキで話す場面。ふたりがずっと話しているその室内には、その場所へ市川を連れてきた女子高生作家の姿がずっとあって、本を読んでいる。このスタイルは、相当センスがないとできないですよ。
 
大きなテーマは、手に入れることと手放すことです。それは恋愛もそうだし、仕事、キャリア、名誉もあるでしょう。誰が何を手放しているのか。それを軸に観ていくと、これが単なる恋愛映画でないことがわかります。人間関係そのものの不思議を描くとてもユニークな作品であり、倫理観や道徳を振りかざしたり、押し付けたりせず、世の中にはいろんな人がいてこそ面白いのだともじんわり教えてくれる、僕にとっては今後も思い出すだろう大事な1本となりました。今泉監督、すごい才能です。
 
主題歌に抜擢されたのは、スカート。映画の登場人物の視点を歌に盛り込んだものになっていると思います。


さ〜て、次回2022年11月29日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ミセス・ハリス、パリへ行く』です。1950年代のロンドンで家政婦として働くミセス・ハリスがディオールのドレスに一目惚れし、意を決してパリへと買いに出向いていく。でも、今でも高価なものなのに、当時のディオールなんていったら、そりゃオートクチュールだし、パッと買って帰るわけにもいかないでしょうに。ハリス、どうなる。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『チケット・トゥ・パラダイス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月15日放送分
映画『チケット・トゥ・パラダイス』短評のDJ'sカット版です。

若くして結婚し、若くして離婚した元夫婦、デヴィッドとジョージア。愛娘のリリーは、ロースクールの卒業旅行で友達とバリ島に長期滞在。と思ったら、そこで会った男と電撃結婚するという知らせを受けて、元夫婦のふたりはともにバリへ。そんな結婚は許さん、と、娘を思いとどまらせるべく、ふたりは休戦協定を結んで立ち回るロマンティック・コメディです。

マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー (字幕版) マリーゴールド・ホテルで会いましょう (字幕版)

 元夫婦をジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが演じます。『オーシャンズ』シリーズ以来、これで5度目の共演となります。エグゼクティブ・プロデューサーとしてもクレジットにも名前を連ねています。共同脚本と監督は、『マリーゴールド・ホテル』シリーズや『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』のイギリス映画人オル・パーカーです。

 
僕は先週木曜日の夜に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

一言でまとめると、ちょうどいい映画ってことになるんだと思います。ちょっと時間の空いた午後なんかになんか映画でも観ようかなって調子で街へ繰り出して、ゲラゲラ笑って、少ししんみりもして、小粋な選曲のサントラを口ずさみながら、帰りにパッと目についたバルで一皿のつまみとともにビールを流し込んで、家に帰ってよく眠る。あ〜、いい秋の日だ。って、この感じわかります?  そういう映画です。
 
ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが久々に共演ってことでアガるぜって人は40代以上の方が多いかと思いますが、あのふたりも共にいい具合に歳を重ねてきているんだけど、しっかりスターのオーラはキープしたまんまでスクリーン映えするし、衣装もコロコロ変わって、その度に僕たちのあこがれを更新してくれつつ、それでも年齢相応の「枯れ感」をうまく出して、僕たち観客にも同様にありそうな「やらかし」を見せて笑わせてくれもします。
 
若い時には大恋愛をしたふたりが、それを若気の至りと捉え、もめにもめて別れてしまったけれど、ひとり娘のリリーについては、ともに大好きで、基本は母親のところにいるんだけど、父親も頻繁に会っては目をかけながら、そして両親ともに愛するがゆえに娘に面倒なプレッシャーをかけながら、リリーもそれに応えて、しっかりロースクール卒業というところまでやって来た。やがては弁護士か裁判官かと、順風満帆。父は堅実に出世を重ね、母もアート関係でステキなキャリアを築いてきた。金には困ってない。娘も手を離れたってことで、少しさびしくなるだけ。これからもバリバリ働くかんね! ふたりして空港で娘を見送ったら、See you again! NEVER!!と威勢よく別れたと思ったら、バリの娘から「結婚します」って、それどゆこと?

© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
観光映画の準備が整って、いざテイクオフと思ったら、今度は飛行機の席がすぐ近く。そして、まさかのパイロットが妻ジュリア・ロバーツの今カレで、飛び立つ前からチュッチュチュッチュと熱々なんです。こりゃ、また波乱含みだと思ったら、しっかり乱気流に巻き込まれたりしてってな感じで、お約束の笑いを約束通りじゃんじゃん盛り込みながらも、話はとんとんテンポ良く進んでいく演出は、さすがは『マンマ・ミーア ヒアウィーゴー』の監督オル・パーカーだよなと感心します。
 
懐かしいテイストというか、ロマンティック・コメディというジャンルの定石を外すことなくアップデートしていく感じもちょうどいいんですよね。この手の映画だと、旅の恥はかき捨てとばかりに、今作だとバリ島にあたるような異文化の土地でのカルチャーギャップにまつわるエトセトラもあるんですが、そのあたりもちゃんとリスペクトをそれなりに込めていて、今のポリコレにかなっていて見やすいです。何より、リリーのバリボーイへの惚れっぷりが気持ちがいいくらいだし、あの青年もとことん良い奴で知的なもんだから、元夫婦ふたりの大人気ない言動の数々に、あちゃ〜と僕らもなっちゃうくらい。みんなで飲みにくりだして、飲み会で酒をじゃんじゃん飲んじゃうビアポンっていうゲームに興じながら、青春時代のダンスナンバーで今どきじゃないステップを踏むところも楽しくてしょうがないです。

© 2022 Universal Studios. All Rights Reserved.
結果として、元夫婦は考えるわけですよね。自分たちの人生はなんだったのかと。自分たちが過ちとしてなかったことにしてきた結婚。でも、その唯一と言っていい結果としての娘は愛してきたし、自分たちのコントロールがきかなくなった娘の愛を見せつけられて、自分たちの想い合っていた頃を思い出す。そこでふたりが別れた本当の理由が明かされるという語りの順序もうまい。とにかく、唸ってしまうショットは特にないのだけれど、笑いもしんみりも考えさせられる程度も、すべてがちょうどいいんです。CIAO 765リスナーにもしっかり寄り添う映画。ジョージ・クルーニーも、ジュリア・ロバーツも、あんたらやっぱりスターだぜ。憧れだぜって思いながら、僕は劇場を後にして木曜日、とりあえずビールを飲みに行きました。
 
サントラから1曲。あ、そうそう、エンドクレジットでのNG集も観てちょうだい。


さ〜て、次回2022年11月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『窓辺にて』です。今泉力哉監督が稲垣吾郎を迎えたオリジナルのヒューマンドラマですが、かなり評判いいですね。決して褒められたことをする人ばかりが登場するわけではないけれど、誰をも否定しない視線がいい、なんてことを聞き及んでいますが、細部にまで丁寧な演出を施す今泉監督の最新の仕事をしっかりチェックしてきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『天間荘の三姉妹』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月8日放送分
映画『天間荘の三姉妹』短評のDJ'sカット版です。

天界と地上の間にある街、三ツ瀬という場所が舞台です。老舗旅館「天間荘」を切り盛りする若女将の天間のぞみ。妹のかなえは、近くの水族館でイルカのトレーナーとして働いています。大女将の母恵子は、家を出た夫を恨み続けています。そんな女性たちのもとに、ある日、小川たまえという若い女性が客としてやって来ます。なんと、のぞみとかなえの腹違いの妹だというんですね。地上では天涯孤独の実だったたまえは、交通事故で臨死状態に陥りました。彼女は天界へ旅立つのか、それとも現世に戻るのか、やがて決断を迫られることになります。

天間荘の三姉妹 スカイハイ 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

漫画家、髙橋ツトムの代表作である『スカイハイ』のスピンオフ作品を実写映画化したもので、監督は北村龍平。脚本は嶋田うれ葉。三姉妹を演じるのは、長女から大島優子門脇麦、そして主役ののん。母親を寺島しのぶ。この4人を中心に、街の人、宿泊客などとして、高良健吾柳葉敏郎中村雅俊三田佳子永瀬正敏、それから柴咲コウなどが出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

原作漫画を読んでいた人や、ドラマ版の『スカイハイ』を観ていた人なら、すんなり入っていける設定なのかも知れませんが、僕みたいな予備知識ゼロの人間が面食らうし、同時にユニークだなと思ったのは、いわゆる死後の世界である三ツ瀬を、特に強調することなく、あくまで現実の日本の田舎町としてそのまんまロケしていることです。僕らの見慣れた景色となんら変わりはない。美しい海を見下ろす立派な老舗旅館ですよ天間荘は。冒頭から、ワンカット風(実際にはヒッチコックが『ロープ』でやったように、人物の背中にカメラが寄った瞬間にショットを切り替えている)のシーンで旅館の中をカメラが動き回ります。メインとなる人物紹介とそれぞれの関係性をサクサク提示してしまうのと同時に、「三ツ瀬は現実とまるで一緒なんです」ということを強調する意味合いもあったのでしょう。ただ、女将のぞみと次女のかなえが玄関で待ち受ける、腹違いの妹、のん演じるたまえが乗るタクシーだけは様子が変です。運転手はマスクにサングラス。助手席の女は黒で固めて浮世離れした雰囲気。車内では、謎の女がたまえに状況を説明します。あなたは現世で交通事故に遭い、現在臨死状態にある。生きるか死ぬかは、今向かっている旅館に滞在している間に落ち着いて考えなさい、とこうなるわけです。そりゃ、たまえも驚くし、ピンときていません。だって、見えている景色は現実そのものなのだから。旅館に着くと、腹違いの自分の姉ふたりに自己紹介されて、これまた面食らいます。だって、現世では会ったこともなかったし、これは明示されていなかったと思いますが、おそらくは存在すら知らなかった姉たちにいきなり出迎えられるわけですから。

(C)2022 髙橋ツトム/集英社/天間荘製作委員会
かくして、現実とまんま同じなんだけど、実は現実ではない世界での暮らしが始まります。この描写の仕方が本作の演出面での最大の特徴です。もちろん、ずっとそのまんまというわけではなく、それをベースにキタムラ監督はバリエーションをつけていきます。美しいなと思ったのは、たとえば、高良健吾演じる魚屋さんが水揚げされた魚をさばいている場面。お父さんが柳葉敏郎で、ふたりは寡黙に作業を続けるんだけれど、パッとショットが切り替わると、柳葉敏郎の姿がない。なぜなら、彼は現実の世界をまだ生きているから。逆に、現実の世界では、柳葉敏郎は亡くなった息子の遺影の前に、さばいた刺し身を置いている描写が入る。これ、どちらも特にCGや撮り方を変えていないがゆえに、ふたりのいる世界の違いが際立つ名場面です。

(C)2022 髙橋ツトム/集英社/天間荘製作委員会
ただ、ここで僕はわからなくもなりました。あれ? 息子の遺影があったけど、高良健吾演じる彼は、もう死んでるの? 三ツ瀬の人たちは完全に亡くなっちゃってるわけ? 前提となる設定への疑問が湧いたあたりから、僕はかなり混乱しました。しかも、そこからは、やれ走馬灯だなんだと、使わないのが良いなと思っていたCGがわんさか出てくるようになり、ますますファンタジーとしての設定がわかりづらくなります。
 
この映画、大衆的な感動大作ということをずいぶん意識した売り出しになっていて、別にそれはそれでいいんですが、僕が問題だと思うのは、作り手も間口を広げるためなのかなんなのか、せっかくのファンタジーだというのに、観客に想像する余地を与える隙間なく、最初から最後までとにかくみんながみんなよく喋るのです。心の動きは絶えず言葉で説明され、ちょくちょく言葉は感情に任せて大声となり、劇伴もそのセリフを補強することのみを目的に流されます。せっかく名撮影監督柳島克己さんを迎えているのに、そして名優たちをたくさん迎えているのに、あんなに喋らせなくても、映像と俳優の動きでもっと表現できるはずなんですけどね。そんな中で異彩を放っていたのは、比較的寡黙なキャラ設定だった柳葉敏郎さんと、原作漫画の段階から「当て書き」されていたというのんの存在です。特にのんが演じたたまえの天真爛漫さはのんでなければ演じきれないでしょう。のんだからこそ、現実と三ツ瀬を橋渡しできるというのは説得力がありました。

(C)2022 髙橋ツトム/集英社/天間荘製作委員会
設定が突飛なだけに、それを実写映画としてあえて現実的に描くという演出のしかけが当初こそあったものの、途中からそれがなんだかよくわからなくなり、大勢がそれぞれの事情を喋れば喋るほど、ディテールはわかっても、肝心の生き死にの決断の理由についてはなぜかよくわからず、さらに三ツ瀬全体の謎が明らかになるくだりも感動的なのに、なぜそうなっているのかはわからず、とにかく説明されればされるほどモヤモヤわからなくなってしまったのが残念でした。話としては『リメンバー・ミー』に通じるメッセージだし、死後の魂の物語としては是枝裕和『ワンダフル・ライフ』に通じる映画のはずなんですが、僕は振り落とされてしまった格好です。
とはいえ、役者はそれぞれ奮闘していたし、さっき触れたように見どころもあったし、主題歌もすばらしかった。

さ〜て、次回2022年11月15日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『チケット・トゥ・パラダイス』です。待ってました、このご両人。ジョージ・クルーニージュリア・ロバーツが元夫婦役ですよ! しかも、自分の子どもの結婚に納得いってなくて、仲違いした夫婦がここでは一致団結するって、どう転んでも面白そうじゃないですか。しかも、バリ島が舞台でリゾート気分も味わえるってことで、楽しみ楽しみ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!