京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ドリーム・ホース』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月24日放送分
映画『ドリーム・ホース』短評のDJ'sカット版です。

舞台は、イギリス、ウェールズの谷あいにある小さな村。子育てを終えた40代後半の女性ジャンは、動物好きだが今はすっかり無気力な夫とふたり暮らし。スーパーとビアパブでのアルバイトと両親の介護をする毎日に不満があるわけではないものの、気疲れしている。ある日、バイト先のビアパブで共同馬主の話を聞いた彼女は興味を惹かれ、競走馬を育てることを決意。資金と仲間を集め、産まれた子馬はすくすく育ち、レースへと出場することになります。

ヘレディタリー 継承(字幕版)

監督はBBCなど、テレビをメインに活動していたユーロス・リン。主人公ジャンを演じたのは、『シックス・センス』や『へレディタリー/継承』のトニ・コレットです。
 
僕は先週金曜日の午前中に、シネ・リーブル梅田で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

なんとまぁ、これが実話に基づいたものだっていうんですが、鑑賞後のあの爽やかな気持ちってのは忘れられないです。すがすがしい気分でシネ・リーブル梅田を後にしました。それはなぜかと言えば、この映画が人生のセカンド・チャンスを応援するものであると同時に、誰か悪者を作ることもなく、ジャンという女性が声をかけたみんなが、多少の足並みの乱れはあっても、ひとつの夢を見るというその行為が過不足なくまとめられていたからです。

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まず舞台の村がいいんですよね。はっきり言って、なんの変哲もないです。自然は美しいのだけれど、谷あいということで解放感があるわけでもなく、さびれています。大きめの総合スーパーが近くのおそらく幹線道路沿いにあって、中心部には一通りの専門店もありますが、坂の多いあの地形が象徴するように、なんだか街全体が傾いている感じ。パブにビールを飲みに集まるのは、地元の常連客顔なじみばかりです。典型的な、ヨーロッパの中規模の村ですね。そんな中、主人公のジャンは、規則正しい暮らしをしているわけです。もともと生活はこざっぱりしているから、ある程度仕事をすれば食べていける。近くに住む両親は、足腰にガタが来ているけれどふたりで暮らしているし、パートナーのブライアンも関節炎を患ってしまっているけれど、喧嘩をしているわけでもないです。つまり、みんななんとなく現状維持しているつもりで、徐々に衰退しているわけです。端的に言えば、無気力です。激しく何かに不満を持つこともなく、かといって希望もない。

(C) 2020 DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISIONCORPORATION
冒頭、ジャンの朝のルーティーンを見せるところでは、隣で寝ている夫ブライアンのいびきのとどろきが聞こえます。これが夫婦の倦怠ものであれば、ジャンにうんざりした態度を取らせるところですが、そうはならない。彼女は夫が嫌いにはなっていないんです。自分もそうだけど、さらに覇気をなくしている夫をなんとかしたいと思っているものの、その突破口がないことにまたげんなりきている。そんなスパイラルですよ。そこで馬の話に飛びつくことになるわけですが、この映画の価値観として大事なポイントは、求めているのがお金よりも何よりも、胸の高鳴りであるということです。そして、それを独占するのではなく、仲間と分かち合うこと。ドリーム・アライアンス、つまり夢の同盟と名付けられたあの馬。競走馬を産み育てるのは経費がかかる。それだったら、共同馬主を募ればいい。なんなら、その方が仲間が増えて、同盟は鋼のものになる。やがてドリーム・アライアンスがレースに出て、競馬場の障害コースを走るのが象徴的なように、彼女たちもまた、いくつもの障害を乗り越えていくんです。障害物に足を取られればケガをするかもしれないけれど、それでもスタートを切らないで腐るのはもう嫌だ。これって、結局人生そのものなんですよね。それを、中高年がメインになってやっているところ、自分たちのこれからの人生をデザインし直しているところに結局は僕ら観客が胸を熱くするんです。ブライアンも目に見えてハツラツとして、身だしなみもずいぶん変化します。やっぱり本来は魅力的な夫なんです。妻ジャンが困った時には全力でかばいもするんです。

(C) 2020 DREAM HORSE FILMS LIMITED AND CHANNEL FOUR TELEVISIONCORPORATION
美男美女のスターが出る映画じゃないです。でも、人の心の動きを正直かつ丁寧にとらえるカット割り及び演技指導と、馬を魅力的に感じさせるテクニックでゴールまで観客を引っ張ります。超クロースアップから超ロングショットまで、カメラを的確に配置して、馬の息遣いや表情、足の動きなどをテンポの良い編集で見せていくわけですよ。まさに人馬一体と言いたくなるような演出で僕たちをすがすがしい気分にしてくれます。
 
決して派手な映画ではないし、ミニシアターで上映される映画業界のダークホースかもしれませんが、結果としてはものすごく心掴まれる超オススメの作品でした。
 
ウェールズの星たるロックバンド、Manic Street Preachersマニックスのこの曲はテーマに合致しているし、なによりレースをみんなで観に行った帰り道、バスで合唱するのが最高です。


さ〜て、次回2023年1月31日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ノースマン 導かれし復讐者』です。なんか画面が暗めで怖いんですよ。なぜ彼が苦労を押して復讐へと向かうのか。その理由を探りに僕は映画館へと向かうことにします。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月17日放送分
映画『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』短評のDJ'sカット版です。

神秘の星であるパンドラは、地球からの移住先を探す人類にとっては、支配してしまいたいところ。かつてそうして星に乗り込んだけれど、今はパンドラの一員となった元海兵隊員のジェイクは、現地ナヴィ族の女性ネイティリと愛を育み、生まれた子どもたちと平和に暮らしていました。ただ、そこへ再び人類がやって来ます。しかも、前作でジェイクが倒したはずの海兵隊大佐クオリッチが、人間のDNAの記憶を埋め込んだ特殊な自立型アバターとして復活し、ジェイクに復讐しようと襲ってきたから大変です。ジェイク一家は住まいとしていた神聖な森を離れ、海の部族の元へと身を寄せるのですが…

アバター (字幕版)

世界歴代興行収入ナンバー1を記録したあの『アバター』、13年ぶりの続編です。原案、脚本、製作、そのどこにもリストに名前があり、監督はもちろん単独で務めているのが、ジェームズ・キャメロンです。ジェイク役のサム・ワーシントン、ネイティリ役のゾーイ・サルダナシガニー・ウィーバーなど、おなじみのキャストが続投です。
 
上映形式がいろいろな本作ですが、僕は3D字幕版をMOVIX京都のドルビー・シアターで、それも普通の映画の倍のコマ数、毎秒48コマというハイフレームレートでのプログラムで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕はアバター1で3Dが新たに映画史に復活してきた際に、技術として面白いとは思いつつも、その後しばらく、なんでもかんでも3Dを後付けするような、なんちゃって3D映画が乱発される状況を苦々しく思っていた口です。立体映像であるという物語的な意味があればいいんですが、なんでもかんでも飛び出せばいいってことでもないだろうと。その点、アバターには3Dの必然性があったわけです。それは、パンドラというキャメロンが生み出した惑星の様子を体験してもらいたいという強い意志です。地球に似てはいるけれど、当然誰も行ったことがない場所。独自の生態系を備えた美しい星に旅した感覚を観客に味わってもらってこそ、そこで人類が行ってしまう蛮行に対して、より深いレベルで感じ入ってもらえるのではないかという信念が、あんな大変で過酷で予算と時間のかかる技術開発にキャメロンを駆り立てているのだと推察します。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
前作では、まず未知のパンドラを見せる、いわば顔見せであって、みんなをあっと驚かせました。特に、何かが飛び出るギミック的なものよりも、奥行きをとても深く感じさせるパノラマティックな映像効果と3Dの相性の良さを知らしめました。そして、今作では、主人公一家を海の民のもとへと移り住ませることで、森や空だけでなく、新たにパンドラの海とそこに暮らす生き物たちという新たな世界を見せているわけですね。キャメロンという人は、実は3000時間以上の水中滞在記録を持つダイバーであり探検家です。だからこそ、水中の生態系や生き物が泳ぐ感覚そのものまでを映画館に持ち込むために心血を注いだわけです。僕も映画館で観ていて、自分がまるで海に潜っているような気分になりました。特にハイフレームレートで見ると、絵の動き質感のヌルヌルしたかんじがまた、水と相性がいいんですよね。これ、どうやって撮ってるんだよっていう驚きに満ちた疑問も、早々と泡となって弾け飛びました。そんなクールではいられないということです。この時点で、もう映画館でいつもより高いお金を払っている分は取り返しているというか、補って余りある体験でした。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
では、物語が技術に従属してしまっているのかと言えば、そうでもないというか、これが驚くほどシンプルにわかりやすく面白いんですね。多くの人が指摘するように、構造としては西部劇です。文明人を自認する人たちが開拓するフロンティアがある。そこには先住民族がいる。武力と文明の衝突が生まれる。簡単に言えば、そういう構図ですね。今回はその続編でありながら、それでも物語は複雑化していません。追い払っても、開拓あるいは植民地化を目指す人類はパンドラにやって来る。主人公ジェイクは、敵となる元海兵隊のクオリッチからすれば、同じ人間、同じ組織にいたはずなのにパンドラの現地民に寝返った裏切り者です。自分の肉体が滅ぼされたという恨みもある。新たな衝突が始まるわけです。ここにジェイクたち森の民と海の民との交流という要素も絡んで、確かに物語は続編らしく一歩進んでいるものの、むしろもっとわかりやすくなっているかもしれないと思うのは、大雑把にまとめれば、ジェイク一家、そしてパンドラの民の武器は強い絆と連帯であるということです。王道にして普遍的、とても感情移入しやすいストーリーです。一方で、地球と似て非なるあの惑星に、SFの利点である置き換えを巧みにほどこしながら、鑑賞することで、ここ地球の歴史や現在の課題について思いを馳せるように導いていきます。撮影の裏話など技術的な面に注目が集まって、インタビューやら撮影現場の動画やらいろいろと出回っていますね。もちろん、それもわかるのだけれど、実は脚本と設定に相当な時間を割いているということも伝わっていて、僕はその成果に正直興奮しました。

(C)2022 20th Century Studios. All Rights Reserved.
3時間以上という尺は、確かに長い。長いのですが、物語が長いわけではないんです。むしろ、ストーリー展開は意外なほどキビキビしています。その合間に体験としてのパンドラ探検が挟まるような感じで、むしろこちらはのびのびとじっくり見せてきます。その緩急もいいです。正直なところ、文明の衝突が個人レベルの憎しみの連鎖に矮小化されているきらいはありましたが、これが5部作に発展する2本目、その過渡期だとすれば、水に流して良いレベルでしょう。前作を漠然としか覚えていない人も、そもそも観ていないという人も、あえて言います。単純明快に楽しめる映画なんで、臆せず観るべし。シンプルにして、あの画面同様、奥行きのあるキャメロンの世界、また恐れ入りました。
 
The Weekndの主題歌はばっちりハマッていて、壮大なエンディングを盛り上げていました。


さ〜て、次回2023年1月24日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ドリーム・ホース』です。この番組ではぴあの映画担当華崎さんに推薦いただいていた作品ですね。ウェールズの田舎から始まる競走馬をその馬をめぐる人々の物語。予告編のサムネイルの表情が最高だ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『離ればなれになっても』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月10日放送分
映画『離ればなれになっても』短評のDJ'sカット版です。

1982年、ローマ。16歳の女子高生ジェンマは、同級生のパオロと恋に落ちます。彼の親友、ジュリオやリッカルドとも仲良くなり、4人は共に青春を謳歌します。ところが、母を突然亡くしてしまったジェンマは、ナポリの伯母の家に引き取られ、パオロとは離ればなれに。それから7年、パオロは高校教師、ジュリオは弁護士、リッカルドは映画評論家としてそれぞれに社会に歩みだすのですが、別人のようになったジェンマと再会することになります。これは、それから2022年までの40年にわたるイタリア現代史を背景に、4人の半生を組紐状に描いた作品です。

幸せのちから 家族にサルーテ! イスキア島は大騒動(字幕版)

監督・共同脚本は、ハリウッドとイタリアどちらでも活躍するガブリエレ・ムッチーノ。共同脚本としてもうひとり、日本でもリメイクされたコメディ『おとなの事情』を手がけたパオロ・コステッラもクレジットされています。音楽は、『ライフ・イズ・ビューティフル』の名匠ニコラ・ピオヴァーニ

歓びのトスカーナ(字幕版)

ジェンマを演じたのは、『吸血鬼ゾラ』『歓びのトスカーナ』などのミカエラ・ラマッツォッティ。高校教師になるパオロをキム・ロッシ・スチュアート、弁護士になるジュリオを国際的にも活躍するピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、映画評論家リッカルドクラウディオ・サンタマリアが演じています。
 
僕はパンフレットへの執筆もあって、去年の秋にいち早くメディア試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

作品を観る前に、あらすじを読んだ時、僕はふと思い出した映画があるんです。それは、1974年に公開されたイタリア映画、エットレ・スコーラ監督の『あんなに愛しあったのに』です。あなたのオールタイム・ベスト10を挙げなさいと言われたら、実は僕が必ず入れる1本なんです。第二次大戦中にパルチザンとして行動を共にした3人の青年と、彼らが戦後出ていったローマで出会うひとりの美しい女性の交流を、映画が作られた70年代にいたるまで、激動の現代史を背景に描くという物語で、設定が本作とそっくりだったから思い出したんですね。はっきりと銘打たれているわけではありませんが、鑑賞してはっきりしたのは、これはもう実質その『あんなに愛しあったのに』のリメイクです。時代はもちろん違いますね。本作は80年代前半からこちら40年ほどを描いているわけですから、当然背景に登場するできごとがまるで違います。一方で、これも設定を合わせてあるのは、男性たちが就く職業です。たとえば、弁護士になるジュリオ。『あんなに愛しあったのに』でも、世の中を正すのだ、弱者の立場に立つんだという気概を持って法律の世界に飛び込んだ結果、成金資本家の女性と結婚をして、まんまと社会に丸め込まれる人物が登場します。やはり、似ていますね。今作ではリッカルドが映画の世界に身を置くんですが貧乏暮らしで家族となかなかうまくいかない。スコーラの作品でも、映画マニアの物書きがやはり出てきました。

構成も似ています。まず現代での4人の再会シーンがあって、そこから一気に時代を戻して馴れ初めと言いますか、キャラクターの出会いを見せて、あとは記録映像をうまく挟みながら、現代まで進めていく。スコーラの場合は、映像をモノクロからカラーに切り替えたり、あのフェリーニの名作『甘い生活』の代表的な場面トレヴィの泉でのロケ現場に主人公たちが居合わせるなんていう見せ場を用意して、監督自身の映画オマージュが散りばめられているんですが、ムッチーノ監督としては今作全体がオマージュなのだからということでしょうね、そうした映画的なしかけはむしろ控えめにして、4人のすったもんだを丁寧に見せることに腐心しています。

(c)2020 Lotus Production s.r.l. - 3 Marys Entertainment
なにしろ40年間ですから、いつも一緒なわけではもちろんないし、ひとりとして何もかもうまくいくわけではありません。恋愛だって、情熱的に燃え上がるのはいいけれど、生活していくとなると、挑戦を求めるか安定を求めるかで齟齬が出てくる。家族との折り合いもある。結婚式で誓いあった永久の愛はものの見事に氷河期を迎える。子どもが大きくなってくれば、どうにもわかりあえなくなってくる。それが時の流れというもの。でも、彼らは時に交錯しては互いの現在地を確認し、握手を交わし、相手を小突き、言い合いをし、抱擁し、乾杯をする。ムッチーノ監督は、車や鳥、階段、それぞれの実家や田舎の家といった小道具・大道具を随所に挟みながら時の経過を印象づける他、挿入歌にも気を配って物語を語らせるような効果を発揮しているのが巧みです。

(c)2020 Lotus Production s.r.l. - 3 Marys Entertainment
巧みな点をもうひとつ挙げると、それは編集です。40年の時の流れは、すべてを等しく描くわけではなく、もちろん濃淡があります。僕たちが実際にそう感じるように、年を重ねるほど時間が速くなる。その感覚が僕は映画にも流れているように思えたんです。4者4様、観客は誰かひとりに感情移入することもあるかもしれませんが、多くはあの人のあの性格、この人のこの行動、みたいにあちこちにちょこちょこ自分を重ね合わせることになるでしょう。だからこそ、時折彼らがカメラ目線で観客に語りかけながらその時の状況や心境を語ってみせるという一見突飛な演出も、すんなりハマるんですね。それぞれにあっての、あの居酒屋談義の場面とか、最後の年越しですよ。花火がドーン! Buon Anno! 新年おめでとう。アウグーリ! からの乾杯に誰しもがじんわり来てしまう。憎いね。うまいね。40年前に学生運動を野次馬的に見に行ってケガをしたリッカルドは、「よく生きのびた」ってことで、それ以来「イキノビ」っていうあだ名で呼ばれるんです。これはまさに、彼らが、そして現代を生きる僕たちが何とか生きのびて映画館にこうして集うことができたということ、みんなの人生を祝福する映画でもあると僕は考えています。
こちらは原題と同じタイトルの主題歌です。このイタリア語は、最良の時代という意味です。人生最良の時ってのは、いつでしょうね。


さ〜て、次回2023年1月17日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』です。ついにきてしまいました。ジェームズ・キャメロンの気合い入りまくっているし、なにしろ長いし、3Dを始め上映形式も多彩だしと、正直敬遠していたところなんですが、それではいけませんね。映画の神様からのご託宣をたまわりましたので、つつしんで没入してまいります。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『そばかす』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月3日放送分
映画『そばかす』短評のDJ'sカット版です。

蘇畑佳純、30歳。海辺の地方都市で実家に住む女性。彼女は人に恋愛感情がわかない。だから、彼氏はいない。母親からは結婚しろというプレッシャーがすごく、辟易としている。私は私でなんの不満もなく楽しくやっているのに、なんで押し付けられないといけないのか。うつ病で仕事を休んでいる父。3回離婚している祖母。第一子を妊娠中の妹。ラーメン屋の店員、元AV女優の同級生など、いろんな人と交流する中で、佳純の未来は見えてくるのか。

 

企画・原作・脚本は放送作家のアサダアツシ。監督は演劇の分野で活躍してきて、これが3作目の映画演出となる玉田真也です。主演と主題歌の歌唱は三浦透子。他に、前田敦子伊藤万理華北村匠海、坂井真紀、三宅弘城などが出演しています。
 
僕はメディア試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

近年、よく話題になるのが、LGBTQを扱った作品です。この作品にも何人か性的少数者が登場するんですが、興味深いのは、主人公の佳純は、相手の性別を問わず、他人に性的に惹かれないという性的指向の持ち主、アセクシュアル当事者だということ。彼氏がいないってだけでなく、彼女もいない。性的指向がないんです。この作品は、「(not)HEROINE movies」というシリーズ企画の第3弾なんですが、この企画自体が面白いと思いますね。女性主人公らしからぬキャラクターを主人公に据えたゆるいシリーズと言えますが、確かに佳純もぱっとしない日常生活を送っているように見えます。コールセンターでの苦情を受け付ける毎日はなかなかしんどくて、息抜きに会社の屋上へ行ってはタバコを吸ってみたり、海へ行っては浜辺でぼーっと瞑想したりしているばかり。気ままではあるが、生きづらさを抱えていて、それが作品の主題になります。
 
映画を見たり、おいしいものを食べたりということに喜びを見出している。自分としてはそれで十分なのに、数合わせで呼ばれた合コンで食事に夢中になっていたら、自分に夢中になる男がいたり、おせっかいな母親からは勝手にお見合いをセッティングされたりする。放っておいてくれと思いながらも、社会でも大家族の中でも、恋愛至上主義のようなものが幅を利かせるばかりで、とても煩わしい。そんな佳純にとって、転機となるような出会い、あるいは再会がいくつか描かれます。自分と似た境遇だと思えた人との束の間の楽しさとわかり合うことの困難。これはキツかったですよ。私のことをわかってくれると思っていたはずなのに…というね。

(C)2022「そばかす」製作委員会
いろんな人が出てきますが、前田敦子演じる元AV女優真帆との再会が印象的です。彼女と佳純は、学校で同じクラスだった時には同じ仲良しグループにいたわけではないけれど、10年以上経ってみたら、すごくいい関係になれる。そんなふたりが、ひょんなことから一緒に取り組むことになるのが、電子紙芝居という動画制作です。佳純は新たな職を得て、そこでシンデレラの紙芝居を作ることになるんですが、真帆が手伝ってくれることになり、昔から違和感を覚えていたシンデレラの改変、2次創作を始めます。

(C)2022「そばかす」製作委員会
僕はこの作品、とても興味深く見たし、何度か声に出して笑ってしまうようなやり取りもあって気に入りました。三浦透子前田敦子シスターフッドもなかなかユニークな顔合わせで、さすがに達者なふたりの演技をはじめ、概ねどなたも好演されていて、会話における絶妙な間合いなんかは、さすが演劇畑で活躍されている玉田監督だなと楽しめます。一方で、家族での食事シーンや佳純の出会いのいくつかはかなり唐突な場面転換で演劇的すぎるとも思ったし、佳純が自分の事情をひとたび声に出してからは似たような趣旨の発言が続くのもどうなのかと。シスターフッドという意味では、せっかくの大家族の設定で、バツ3のおばあさんとか、うまく掘り下げれば厚みも出て、世代を超えた連帯までいけたのにそうはなっていないところが、この映画のスケールを小さなものにしている要因のひとつです。

(C)2022「そばかす」製作委員会
ただ、小粒でもピリリとしていることも確かでして、最後に出会うあの人の存在と、お父さんとの一連のやり取りは、とても好感が持てました。ある人物と映画館へ行くくだりがあるんだけど、驚くことに、観る作品は別々なんですよね。あれが象徴的で、みんな違っていいじゃないか。世の中にはいろんな人がいていいじゃないかってことなんですよ。これはアセクシュアルの話でしたが、それ以外にもいろんなマイノリティーがあって、マイノリティーの問題はたくさんあります。こっちでは多数派の人も、あっちでは少数派なんてことばかりなのが世の中です。(not)HEROINE moviesには引き続き期待しています。いろんな例を僕たちに見せて、僕たちが決してひとりではないことをまだまだ示してほしいです。
 
主題歌は羊文学の塩塚(しおつか)モエカが提供したもので、歌っているのは主演の三浦透子本人です。さすがの才能。走れ、その先にという歌詞が物語にぴたり。風になれ。

さ〜て、次回2023年1月10日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『離ればなれになっても』です。1982年からの40年にわたるイタリア現代史を背景に、男3人、女1人の人生が交錯していく感動作。僕はパンフレットに解説文を寄稿していますので、良かったら手に取ってください。というからには、パンフに書いたのと違うことを喋る所存! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ハッピーニューイヤー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月27日放送分
映画『ハッピーニューイヤー』短評のDJ'sカット版です。

舞台は、韓国の大都会にある高級ホテル、エムロス。クリスマスと新年が近づく中、いろんな人が行き交います。本当は好きな男友達に15年も告白できずにいるホテルの女性マネージャー。自宅のボイラーが故障してスイートに泊まり込んでいるCEO。公務員試験に落ちて恋人にもフラれた青年。ハウスキーパーとして働きながらミュージカル女優を目指す女の子。下積みを経てスターへの階段を登っている歌手。スピード婚へとひた走るラジオ・プロデューサーとピアニスト。初恋の相手と40年ぶりに再会したドアマン、などなど。大勢の登場人物が新年を迎えるまでの物語です。

猟奇的な彼女 (字幕版)

監督は、『猟奇的な彼女』や『僕の彼女はサイボーグ』など、80年代後半から活躍するベテランのクァク・ジェヨン。ホテルのマネージャーにハン・ジミン、ラジオプロデューサーにキム・ヨングァン、ドアマンにチョン・ジニョン。モーニングコール担当スタッフに、少女時代のユナなどなど、韓国の旬のキャストが幅広く出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

さっきは『ラブ・アクチュアリー』のタイトルを出しました。実際に、韓国版『ラブ・アクチュアリー』だという声があちらでもあります。同じく12月の群像劇ですから、当然意識はしているでしょうね。そして、ぴあの華崎さんはこの番組で本作を紹介してくれた時に三谷幸喜の『THE 有頂天ホテル』を引き合いに出しました。大晦日のホテルでの群像劇という意味で、当然ながら参考にしたことでしょう。ただ、これらいずれもが参照しているのが、90年前にグレタ・ガルボが主演した映画『グランド・ホテル』です。これはそのまま群像劇の物語形式としてひな形になっていて、グランドホテル形式と呼ばれます。たくさんの登場人物それぞれの短い話が、互いに作用しながら、ホテルや空港、駅など、ひとつの場所で相互作用を起こして全体を構成していくタイプですね。

(C)2021 CJ ENM CORP., HIVE MEDIA CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
『ハッピーニューイヤー』は、言わばその正攻法という感じで、そのままホテルを舞台にしてあります。ただ、映画のスタートは、実はFMラジオ局なんですよね。下積みから這い上がって、いよいよこれからというシンガーソングライターがDJを担当している番組があって、彼に加えて、お兄さんである個人事務所のマネージャーと、番組の男性プロデューサーという3人が、このラジオ周りで出てきます。これは僕の考え方ですが、ラジオもグランドホテル形式のバリエーションとして機能すると思うんですよ。この形式には共通の場所が必要ですが、ラジオの特に生放送というのは、送り手とリスナーがそれぞれの場所で同じ時間を共有するので、擬似的に「スペース」を生み出せるわけです。実際、ラジオをモチーフにしたオムニバス映画も多いですからね。ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』もそうだし、イタリア映画『モニカ・ベルッチの恋愛マニュアル』もそう。ただ、本作ではラジオの特性を物語に組み込むまでには至っていなくて、ラジオのリスナーの様子ってのがないんです。これはもったいないと僕は思いますね。登場人物の誰かがリスナーとして投稿するとか、車移動の時に番組が流れているとか、もっとやりようはあったはずで、そこは惜しい。

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と、こんな風に、ちょいちょい作りがゆるいなと感じるところは正直ありました。音楽は結構たくさん手を変え品を変え使われるんですが、その流し方がわりと漫然としちゃっていて、メリハリがないので、場面によってはダラっとした印象を受ける人がいてもしょうがない。あと、これもさっきのラジオとも共通しているところですが、ホテルのマネージャーで一応主人公的な立ち位置となるハン・ジミンさんが、実はずっと好きだった男友達とバンドを組んでたっていう設定なんですけど、あれもバンドである必然性が特にないんです。これも、もったいないところですね。でも、はっきり言って、僕はハン・ジミンを眺めているだけで満足みたいなところはありまして、あの地下スタジオ、バンド仲間と通い詰めたあの慣れ親しんだはずのスタジオのわずか5段ぐらいの階段で彼女は必ずといっていいほどつまづいて転びかけるんだというギャグがありましたよね。褒め言葉として言いますが、無駄に繰り返し彼女の転び芸を見せるところ。あれは良かった。

(C)2021 CJ ENM CORP., HIVE MEDIA CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
というような感じで、韓国エンタメ界で旬なキャストたちがその魅力で引っ張っていく映画です。お話も演出もゆるいところもあるし、とんだご都合主義もあるし、観ていてかったるいなっていうパートもあるにはあるんですが、群像劇のいいところで、ひとつひとつは長くは続かずに切り替わっていくし、もちろん一定以上のレベルにまでは持っていってある作品なので、全体としてはまったく悪い気分がしないんです。なんなら、僕、結構好き。で、僕の場合はハン・ジミンでしたけど、キャストの誰かに思い入れると、その人の行方が気になるという群像劇の利点もバッチリあります。誰もが心底満足とはいかないかもしれないけれど、どの世代の誰もが少しでも幸せになってほしいなと思える、年末年始にやさしくなれる作品。ただ、ひとつ、大晦日に結婚式ってのは、おい、ラジオプロデューサーと歌手のおふたりさんよ、いくらスピード婚とは言え、参列者、ゲストに優しくないんでないかいっていう大いなる疑問は最後に付け加えておきます。


さ〜て、次回2023年1月3日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『そばかす』です。今年は大作を何本か外してしまってはいますが、それがゆえにと言いますか、多様な作品を鑑賞できたかなと思っています。おつきあいいただいた皆さん、ありがとうございました。で、来年1本目は、今年も大活躍だった三浦透子主演作となりました。恋愛は古今東西、映画の華ではあるんですが、この主人公は恋愛体質ならぬ、非恋愛体質。どんなことになりますやら。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『月の満ち欠け』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月20日放送分
映画『月の満ち欠け』短評のDJ'sカット版です。

家族思いの父親だった小山内堅(つよし)は、妻の梢と高校生だった娘の瑠璃を事故で同時に失います。悲しみにくれ、東京から故郷の青森に戻って暮らしていた堅(つよし)のもとに、ある日、哲彦(あきひこ)と名乗る写真家が訪ねてきます。あの事故当日、堅(つよし)の娘瑠璃は、面識がないはずの自分に会いに来る途中だったと告げられて戸惑う堅(つよし)。哲彦(あきひこ)はさらに踏み込んで、瑠璃はかつて自分の愛した同じ名前の女性の生まれ変わりかもしれないと言うのですが…

月の満ち欠け

原作は佐藤正午の同名小説で、この作品で2017年に直木賞を獲得しています。脚本は、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』の橋本裕志(ひろし)。監督は『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の廣木隆一で、なんと今年だけで5本も監督作が公開と、とんでもないハイペースです。
 
父親の小山内堅に扮したのは、大泉洋。妻の梢を柴咲コウ、小山内を訪ねてくる写真家の哲彦を目黒蓮、その哲彦の愛した瑠璃を有村架純が演じている他、田中圭伊藤沙莉(さいり)、菊池日菜子などが出演しています。
 
僕は先週木曜日の夜に、MOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

なんというか、近年稀に見る変わった映画ですよ、これは。僕が原作を読んでおらず、ストーリーラインを把握しないまま観に行ったもんで、ある意味いいお客さんですよ、素朴に驚いたんです。思ってたんと、違うってこと。僕は予告を観る限り、ジャンルとしてはメロドラマで、人と人のつながり、それも数奇な縁を描いた、こう言ってはなんですが、お涙ちょうだいの作品だろうと予想していました。それも間違いではないし、たとえば、とても家族思いの小山内の妻子がいっぺんに亡くなってしまうところなんて、演じた大泉洋さんもあそこはこらえきれなかったとインタビューで語っているように、観ているこちらもこらえきれないものがあります。僕だって、こみ上げるものがありました。ただ、物語が進むにつれて、おやおや、と、その僕の言った「数奇な縁」ってやつの全体像が見えてくると、今度はですね、むしろオカルトめいた不穏な空気が漂い始めて、正直に言えば、ラスト近辺であとある言葉が発する言葉に、僕はマスクの下でこうつぶやきました。「こわ…」。

(C)2022「月の満ち欠け」製作委員会
映画の軸としてあるのは、ふたつの愛です。ひとつは1980年、12月8日、ジョン・レノンが死んだ日に出会った、レコード店でバイトをする大学生哲彦と、年上の女性、瑠璃。ふたりは傘の貸し借りから恋に落ちていきます。そして、もうひとつは、その1980年12月8日に結婚式を挙げた小山内と妻の梢、さらにはふたりの間に翌年生まれる娘の瑠璃が育む家族愛です。こうやって話していると、ますます、ジョン・レノンの命日をきっかけとする恋愛オムニバス映画みたいじゃないですか。絆、とか、純愛、なんてワードで括りたくなるし、廣木隆一監督の演出は、一見、画面の作り方や、小道具の使い方、キャラクターが走る絵の入れ方、など、どれを取っても、大衆メロドラマのそれなんです。ただ、僕に言わせれば、いやいや、そこに騙されてはいけないという気もします。7歳で原因不明の高熱を出した娘瑠璃が、それ以降、不可思議な行動を連発する様子。高校生になった彼女が美術部で描く絵のタッチ。満ち欠けを繰り返す月が不気味にすら見えるショット。現代パートで小山内が再会する娘瑠璃の親友親子が食べているものと、その会話シーンのバックにある不自然に大きな宗教画などなど。これ、僕、はっきり言いますけど、羊の皮をかぶった狼的に、感動のメロドラマに見せかけたオカルト・ホラーだと認識すると、捉え方がずいぶん変わるように思います。面白くなるんです。かつて大林宣彦がアイドル映画の枠内でぶっ飛んだことをやっていたように、というと、持ち上げ過ぎですけど、ジャンルを飛び越えてとんでもないところへ観客を連れて行く、ある種の居心地の悪さが魅力です。それが製作陣や廣木監督が意図したものなのか、そうでないのかは別として。

(C)2022「月の満ち欠け」製作委員会
高田馬場のオープンセットがすごいとか、神田川の感じが懐かしいとか、そういう評もありますが、僕に言わせれば、そうですかね、という感じもします。セットはセットだとすぐに見抜けるし、エキストラの動きも不自然。事故現場にいたっては、明らかに交通を遮断して撮影しているのがわかるショットもある。8mmフィルムのくだりは、エモい雰囲気を出していますが、同時録音って、あれ、できるものかしら? 1980年の早稲田松竹って、あんなシネコンみたいな座席なの? 当時の缶ビールは、プルタブ式でしたよね。当時のキャンプ道具ってなどなど、できるはずの時代考証ができていなくて首をひねるところは結構ありました。
 
でもですね、僕は有村架純柴咲コウ伊藤沙莉の謎めいた女性像はどれも良かったと思うし、再三申し上げますが、オカルト・ホラーとして観れば、たとえば説明ぜりふが非常に多い点も、むしろ説明されても納得できない怖さがあって、僕はそれが面白いなと思ったんですね。その意味で、思いがけない珍品に出会えたと言えます。好きとも言えないし、凡庸なメロドラマだとも片付けられない、映画的な飛躍に満ちた不思議体験は保証できます。
 
それでは、その不思議が発動する時にかかっていたジョン・レノンの曲を聞いてみましょう。

さ〜て、次回2022年12月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハッピー・ニュー・イヤー』です。この番組ではぴあの華崎さんが紹介してくれていた韓国映画ですね。グランド・ホテル形式の群像劇で、まさにホテルの年末年始の悲喜こもごもを描いていく。その様子を、華崎さんは『THE有頂天ホテル』を引き合いに出して原稿にしていらっしゃいました。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『ザリガニの鳴くところ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月13日放送分
映画『ザリガニの鳴くところ』短評のDJ'sカット版です。

1969年、アメリカ、ノースカロライナ州の湿地帯で、地元の名士の跡取り息子の青年が変死体で発見されます。事故か他殺か。容疑をかけられたのは、カイアという若い女性。彼女は6歳で両親に見捨てられ、学校に通わず、湿地帯の中で自活し、自然を観察して生きる術を学びながら、ひとりでサバイブしてきたのです。そんなカイアに読み書きを教えたのは、心優しいひとりの青年でした。カイアの裁判が進むにつれて、彼女の半生が徐々に明らかになっていきます。

ザリガニの鳴くところ

ここ日本でも大ヒットとなり、全世界で1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名小説が原作です。製作を手がけたのは、原作に惚れ込んだリース・ウィザースプーン。監督は、オリヴィア・ニューマン。いずれも女性です。カイアを演じたのは、新鋭デイジーエドガー=ジョーンズ。カイアの初恋の相手テイトをテイラー・ジョン・スミス、金持ちの青年チェイスをハリス・ディキンソンが演じた他、弁護士役として名優のデヴィッド・ストラザーンが活躍しています。また、主題歌は、やはり原作に夢中になったというテイラー・スウィフトが書き下ろしました。
 
僕は先週金曜日の朝に、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


残念ながら、僕は原作は積読タワーの中に埋もれたまんまでして、このタイミングでも読む時間を確保することがかないませんでした。そんな僕が言うのも妙な話ですが、これは原作にとってかなり幸福な映画化ではないかと思うんです。物語の舞台であるノースカロライナ州に住み、動物学者として活動してきた原作者ディーリア・オーエンズが、それなりに分厚いあの小説で精緻に描写した自然や主人公カイアの言動というのは、125分の映画にそっくり移し替えるなんてことはできないわけです。でも、原作を読んでから映画を観た人に話を聞けば、たとえば湿地帯の景色というのは文字からイメージしていたものにかなり近いのだそう。これは作家の言葉の表現力の賜物とも言えるわけで、オーエンズさんもこんなコメントを発表しているんです。「私が望んでいることの一つは、自然の風景や湿地、自然環境そのものの場面を観た人たちが、“観てよかった”と感じてくれることです。もし映像で接するのなら、湿地は、絶対に大きなスクリーンで見るべきものです」って、これ、オリヴィア・ニューマン監督への賛辞にも受け取れますね。カイアが金持ちの青年チェイスと初めて高い火の見櫓を登った時に、眼下に広がる広大な湿地帯を目の当たりにして口にする言葉「いつも横顔だけ見ていた友だちの全体を見た気分」というのは、原作を読んだ後にこの映画を観た人も同じ気持ちになるのではないでしょうか。

(C)2022 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
一方、僕みたいに原作を未読の人はどうかと言えば、僕もそうですが、この映画を観たら、まず間違いなく小説を読みたくなるんです。実際に、CIAOリスナーのそうした声がツイッターでもたくさん寄せられています。これはなぜかと言えば、映画があえて描写を省いた要素があるからで、それが気になるから小説で言わばその答えを探したくなるというのが一番の原因だとみています。小説を映画に脚色するにあたって、ラストや設定を改変することってよくありますけど、この作品はむしろそこはかなり忠実であるにも関わらず、あることを大胆にも伏せて省略しているんですね。2時間という尺の中で観客の緊張感と興味をキープする目的もあって、映画ではこの物語の構成要素のひとつ、チェイスの死の謎をより強調しているように感じます。それは僕は妥当だと感じると同時に、それがゆえに、実はジャンルとしてのミステリーに徹しなかったことが英断だったと言うべきです。ネタバレを避けるために、奥歯にものの挟まったような言い方になっていますが、大きな謎は明かすものの、いわゆる謎解きはしていないんです。だから、極上ミステリーを期待していた人は肩透かしを食うかもしれませんが、僕は謎解きをもし映画でしていたら、そこの妙な生々しさが印象として強くなりすぎて、物語の本質からはむしろ遠ざかるような気がするんですよ。で、小説には謎解きはある。それもあって、気になってしょうがない人は本を手に取るという流れが生まれているんですね。

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僕はとにかくこの映画に魅了されました。自分でも湿地をカヤックでうろうろするので、簡素なボートで登場人物たちが移動する映像はたまらなく美しく感じました。カイアと優しき青年テイトが鳥の羽を交換することでコミュニケーションを取っていくところも素敵だった。生物学ってだけじゃなくて、文化人類学的にも面白いという場面でした。恋愛ものとしても、法廷劇としても、女性の成長譚としても、社会のスケープ・ゴートや差別の構造、そしてジェンダーの問題を考える上でも、意義深く鑑賞しました。でも、僕はどうもそれだけじゃない気がしてモヤモヤしていたんですが、パンフレットにあった山崎まどかさんのレビューを読んで、「これだ!」と膝を打ったんです。それは、カイアという女性の象徴するもの。カイアは「私は湿地となった」と語る場面があるんですが、つまりは彼女は自然そのもののシンボルだという考えです。そう捉えると、この物語はつまり、人間と自然の関係を描いた寓話として成立するんですね。すると、僕たち人間が自分たちをどこか自然から切り離してものを考える、自然を守ろうとか、地球にやさしくという言葉に透けて見える欺瞞やおごりを問いただすメッセージが浮かび上がってきます。ザリガニは鳴かないけれど、ザリガニの鳴き声に耳を澄ますような姿勢が僕たち人間には切実に求められており、そうでない限り、僕たちは「母なる自然」に奈落の底へいつ突き落とされても仕方がない。そんな恐ろしさもたたえる、つまり怖いほど美しい映画だと僕は受け止めました。
 
では、原作に感銘を受けたテイラー・スウィフトが、真夜中にひとりで書き、物語の舞台となった時代らしいサウンドをザ・ナショナルのアーロン・デスナーと構築してできあがった主題歌です。

さ〜て、次回2022年12月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『月の満ち欠け』です。予告を何度も映画館で観ていたんですが、とにかく泣きの演出なんだろうなぁという印象です。そして、僕も涙をこぼすのだろうな、と。でも、泣く=いい映画ってことでもないわけで、そこはしっかり観ますよ。手ぬぐい持参で! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!