京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

開けまして、おめでとう?  (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』)

あけましておめでとうございます。

 どうも、ポンデ雅夫です。

 暦の上では2006年に入って既に半月以上が経過しているというのに今さらなんだとご立腹の方もあるやも知れませんが、まぁまぁそこはご愛嬌。今日という日に新年の挨拶をするのには、それなりの訳があるのですよ。

 僕は昨年の9月にローマへやって来ました。それから早くも4ヶ月の月日が流れています。4ヶ月ですよ、4ヶ月。結構色んなことができる時間のスパンです。4ヶ月あれば、恋の花咲くこともある。何だったら、せっかく咲いたその花を散らしてしまうこともある。そうです。舞い上がったり、沈んだりと、4ヶ月の間に人は多くの経験を積むことができるはずです。確かに僕もたくさんの初体験をしました。しかし初体験とは言っても、うれしはずかし的なものではなく、そのほとんどがもう二度と体験したくないという代物でした。要するに、僕はついてなかったのです。何か妙なものが憑いていた可能性は大いにある。けれど、運はついていなかった。

 ローマでの生活を羨む人は僕の友人にもたくさんいます。この際だから言っておこうと思うのだけれど、彼らは「ローマの休日」を思い浮かべているのです。オードリとかグレゴリーという意味だけではなくて、もっと一般的な意味で。つまり、「ローマで休暇を過ごすのって、さぞかし素敵だろうな」とか、「見上げれば抜けるように青い空、足元にはローマ時代からの歴史を感じさせるロマンチックな石畳、ジェラート片手にショッピングといきたいわ」とか、大雑把に言えばそういうことです。彼らの念頭にあるのは旅行者としての姿なんです。けれど僕の場合、ここで2年間暮らそうというのだから、話はまったく違ってくるのです。僕が来てから、ローマはやたらと曇天続きだし、石畳にできた水溜りには幾度となく足を突っ込みました。僕はここで「ローマの平日」を過ごしているのです。平日というのは、面白くない要素をはらんでいます。主に面倒なことに取り組むものです。僕はローマに来て、そんな単純な事実を改めて痛いほど噛みしめています。

 何だか愚痴ばかり吐いているような気がするので、話を元に戻しましょう。辛気臭い。

 そうそう、新年の挨拶です。ここまで書き散らしてきたように、去年の僕はついていなかった。早い話が厄年でした。26という年齢のせいかどうかはわからないけれど、商業的な寺院として名高い大阪府箕面市勝尾寺の判断によると、間違いなくそうでした。去年の初詣でいきなり出鼻をくじかれたことをよく覚えています。どっこい年は明けました。2006年です。この20日ばかり、僕の身辺には悪いことが起こっていないのです。災厄に慣れてすらいた僕は、当初は正直戸惑っていました。何かとてつもない悪事の前触れなのではないかと。これは「嵐の前の静けさ」というやつではないかと。ところが、むしろイイ事が次々と起こっているのです。例えば、ローマ支部立ち上げより遅々として進んでいなかった電脳環境が、突如見事なまでに整いました。ローマでホームページを管理するのはもう諦めたほうがいいのかとすら考えていた矢先の出来事でした。これまでの僕の危惧は何だったのかと。取り越し苦労でした。いやむしろ、これは年越し苦労と呼ぶべきです。年をまたぐだけで解決したわけですから。そんなくだらないことはどうでもいいとして、おかげさまでこうしてODCのHPをリニューアルすることができました。やりました。

 大阪ドーナッツクラブは2005年春に結成されました。僕にしても有北クルーラーにしても、厄年の真っ只中、つまりはどん底にいたわけです。映画上映会やダリオ・フォーの翻訳劇『湯けむりエゴ・ファイト』といったイベントは成功させましたが、このHPで僕たちの存在を知った方にしてみれば、ODCというのはほとんど地下組織というか、どん底で喘いでいる集団のように思えたことでしょう。そして、実際のところ、当たらずとも遠からずの僕らでした。しかし、何度も言いますが年は明けました。どん底にいる者は、それより下に行くことはできません。上しかありません。このHPのリニューアル・オープンは、そんな僕らの夜明けであり、僕らにとっての年明けです。そう、冒頭の新年の挨拶は閲覧してくださる皆様への挨拶であるとともに、自分たちへの励ましであり、ねぎらいであり、鼓舞だったのです。

 皆様、明けましておめでとうございます。

 そして、ODCのホームページ、開けましておめでとう。