京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

女子大生三人組に逆ナン!?? 〜どこにいたって異邦人〜 (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』)

 当然と言えば当然のことなのですが、彼女たちは日本語で会話をしているわけです。
「ねぇねぇ、あの人かっこよくない?」
「うんうん、結構イケテル」
「どれどれ、あ、ほんとだ、美形じゃん」
 皆さん、これは決して僕の妄想ではないんですよ。あられもない現実なんです。

 しかしです。どうも解せないところがありますよね。この娘たちは、いくらなんでも大胆すぎるのではないだろうか。万が一そういったことを思ったとしても、決して普通は本人に聞こえるようには言わないですから。言ってみれば、男子品評会。やるならやるで、ひそひそやるもんです。

 1967年ルキーノ・ヴィスコンティ監督(Luchino Visconti)『異邦人』(Lo straniero) そこで僕はハタと気づきました。確かに普通の状況ではありえないんだけれども、もしもそこが外国だったら。標的となる本人はおろか、周囲の人が誰一人日本語を解さないという確証があったら。典型的なのは、海外旅行。彼女たちはまさにその条件をクリアしてるわけなんです。いや、正確に言えば、クリアしてると思い込んでるんです。だって僕は日本語を母語とする人間ですから。つまりは、彼女たちは僕のことをイタリア人だと思い込んでいたわけです。まぁ、半分はイタリア人の血が流れている僕なので、彼女たちが思い込むのも無理はないわけです。実際のところ、僕は日本にいても時折外国人に間違われてしまいます。ところがイタリアにいても事情は変わらず、こちらでも時折外国人だと思われてしまうことがあります。要するに、どこにいようと異邦人なわけです。「気づかれるとマズイ」。なぜか僕はそう思いました。

 そうこうするうちにも品評会はなおも続いており、観察の対象は、口元や目鼻立ちといった顔面の細部にまで及んでいます。ここで僕が嬉しそうな顔でもしようものなら、実は僕が日本人であることに彼女たちが気づこうものなら、とんでもない空気が辺りを包むことは必定です。そんなことを考えていると、いきおい僕の顔面は硬直し始めました。妙な空気が漂うことだけは何としても回避したい。それでも気になる会話の行方。矢面たまらず、僕は思い切って乙女たちを見つめ直しました。するとどうでしょう? がっちりタッグを組むはずの僕の視線と乙女たちの視線が、
ほんの少しずれているではありませんか。すんでのところで「ねじれの位置」なんです。おかしい。まるで僕の後ろにいる誰かを見ているような…。とっさに振り返れば一目瞭然でした。僕の数メートル先には、そして胸キュン乙女たちの視線の先には、今さっきファッション雑誌から抜け出てきたような、つぶらな瞳をした20歳前後の男がいたのです。

 僕は思わず舌打ちをしてしまいました。一人で勝手に顔をこわばらせて何をやっているんだと、自分自身を叱咤しました。まったくもってついてない。だいたいこんな小娘たちが何だっていうんだ。最初のうちは後輩のルリちゃん(仮名)に似ている子がいるから親近感を持ってはいたが、考えてみりゃ、そもそも何の関係もないじゃないか。こんなローマの場末に迷い込みやがって。こっちは迷惑千万だ。くそ、まだ来ないのか、バスは! 僕の不満が八つ当たりとなって放射状に広がり始めた矢先でした。

「手前の人も実はかっこいいよね。私は結構タイプかも」

 ルリちゃんです。いや、正確にはルリちゃんではないのだけど、この際ルリちゃんとしておきましょう。やっぱり僕の後輩に似ているだけあって、いい子です。ナイス・フォローです。すると残りの二人も同調し始め、僕のことを誉めそやすんです。つい先刻の怒りも忘れて、僕は完全に有頂天。上がったり下がったり、もう大変です。ご機嫌な僕が「バスなんか、あと1時間来なくてもいいや」くらいに考え出したとたんでした。わかりますよね? バスの到着です。

 遅れていたせいもあるのか、車内はずいぶんごった返していました。おかげで僕と乙女たちとモデル男の5人は、ものの見事に一列横隊に並んでしまう羽目に。彼女たちからすれば格好のポジションなのかもしれません。モデル男と僕の間で嬉しそうにキョロキョロしています。僕はと言えば、複雑な心境でドキドキしています。日本人であることがばれるのではないかという恐怖がまたもや襲ってきたのです。ふとモデル男に目をやると、まだ寒いというのにクールな表情です。こっちの気持ちも知らないでかっこいい顔しやがって。僕がそんなよじれた嫉妬心を胸に抱いたときでした。

ルリ:「イタリア語ができたらなぁって思わない? だって例えばこの2人にだって声をかけられるじゃん」
B子:「それって逆ナンじゃない?」
C子:「でも案外さ、この彼(僕のことです)だって私たちのこと見てかわいいなって思ってたりして」
リ:「逆立ちしたってイタリア語できないもんね、私たち。むしろさ、この2人が日本語できればいいのにね!」

 だからできるんだって。ぺらぺらどころの騒ぎじゃないんだよ。母語なんだよ、母語。マザー・タン。僕はいよいよ焦り始めました。どんなことがあってもイタリア人としてやり過ごさねば。なんなんだ、このミッションは。それから目的地である地下鉄の駅までは地獄のドライブでした。

 きっとそれが原因だったと思うんです。極度の緊張から解放されたときに生じる油断。あれです。バスを降りるとすぐに携帯電話が鳴り出しました。ボローニャで遊学にいそしむ柴田“甘党”幹太からのコールです。うっかり僕は、こう言ってしまったんです。

「もしもし…」

 僕の背後で乙女たちの会話が止まりました。彼女たちの視線は、それはそれは驚異的なものでした。いや、正確に言えば、あまりに怖くて振り向けなかったんで、確認はしてないんですけどね。たとえ振り向いたとしても、恐らくは正視できなかったでしょう。人はこんなときどうするのでしょうか? 僕が皆さんにお勧めする対処法はこれです。一目散にその場を立ち去ること。そのときの僕が脱兎のごとく現場を離れたのは言うまでもありません。“甘党”幹太に罵倒を浴びせながら。背中に視線を浴びながら…