京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

連作絵画が名画を生んだ 〜盗作騒ぎの祭りのかなり後に〜♪  (旧ウェブサイトコラム『ローマで夜だった』)

 ぼやぼやしているうちに、本当に祭りの後になってしまった感のあるアルベルト・スーギ(Alberto Sughi)について、またひとくさりです。前回の文章で予告したように、彼の絵画が映画に及ぼした影響について紹介します。

 2005年11月、スーギは本国イタリアでデ・シーカ賞を受賞した。デ・シーカというのは、もちろんヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica)のこと。彼についてここで適当に書くことはできないので、あくまでも当たり障りなく触れておくとするなら、こうなるだろうか。

 世界に名高いネオ・レアリズモの主役・牽引役として主導的な役割を果たし、50年代以降も精力的に名作を送り出した監督。

 日本ではあまり知られていないが、その端正な顔立ちを生かして俳優としても極めて長いキャリアを誇った映画人。あの巨匠のことだ。1974年、デ・シーカは惜しまれつつ73年の生涯を閉じた。
 
 翌年、この偉大なる映画人の名前を冠した賞がジャン・ルイージ・ロンディ(Gian Luigi Rondi)という映画評論家によって設立されることになった。1990年までは毎年異なる国の映画を取り上げ、上映及びシンポジウムを開催することを主な活動としてきたが、その後、賞がカバーする領域が拡大、映画だけでなく、美術・文化・科学の分野で活躍した人物を表彰する体裁に変更した。スーギは美術部門での受賞を果たしたということになる。すると映画とはそんなに関係ないんじゃないかと思ってしまうのだけれど、ここからが面白い。受賞理由として、デ・シーカ賞はスーギの作品が第七芸術に与えた影響をも評価したのだ。

 スーギの絵画と映画作品の間には相互参照関係があると言われている。絵画のテーマとして、スーギはネオ・レアリズモの作品群に大きな影響を受けており、逆に映画のシークェンスがスーギの連作絵画という枠組みを与え、また逆にその連作絵画が映画作りのインスピレーションに一役買っている。つまり、絵画と映画との間にキャッチボールがあって、互いに互いを刺激しあっているというわけだ。

 スーギの描くテーマは、現実の中にある。現代人に特有の人生や生活の浮き沈みを掘り下げていくのだ。孤独な人物像。絵画からは人間の声が聞こえてこない。描かれる人物たちの沈黙は、僕らの時代のコミュニケーションの欠如をきっちりと捉えている。「社会的レアリズム」や「実存的レアリズム」と分類されることが多いのは、人間の内面的な次元まで巻き込んだ形でのレアリズムが彼の作品を特徴付けているからだろう。「彼の作品は、記録であると同時に、記憶であり、認知であり、出来事に対して必要な凝視である」とは、ルイージ・カヴァッロ(Luigi Cavallo)という美術評論家の言葉だ。

 さて、スーギの連作絵画である。要するにシリーズだ。ひとつの状況・シーンを設定し、その中での出来事を10枚程度の絵画に描いていく手法だ。何はともあれ、作品を観てみよう。ご覧いただきたいのは、イタリアの各都市やモスクワで1976年に開かれた展覧会でスーギが発表した、『晩餐』(La cena)というタイトルを持つ一連の作品である。ここで連作のすべてをご覧いただくことはできないが、8枚の絵画を集めてみた(それぞれ、クリックすると拡大します)。

 鑑賞者は、自然とこれら8枚(あるいはもっと多い数)の作品を観ながら、それぞれの絵画の間に関連性を発見し、自由にこれらを組み合わせ、ひとつの場面を立体的に頭の中に構築してしまう。それはまさに映画の構造と酷似してはいないだろうか? ひとつひとつのショットを組み合わせて編集(モンタージュ)し、より大きな場面(シーン・シークェンス)ができあがっていくわけだ。ここに挙げた絵画を一枚ずつ別個に鑑賞するだけでは、そういった効果は望めない。昔年のフォト・ロマン(写真小説)のように、あくまでもひとつのタイトルのもとで続けて鑑賞されるよう、これらの絵画は意図されているのだ。あたかも一枚一枚が映画のショットに相当するかのように。

 それでは、具体的にどういった監督が、直接的であれ間接的であれ、スーギの影響を受けているのだろうか?

 日本でもそこそこ名の知られているエットレ・スコラ(Ettore Scola、1931-)は、1980年に制作した2時間半にも及ぶコメディー『テラス』(La terrazza、この作品は日本未公開)のポスターの1つに上に掲げた連作『晩餐』のうちの一枚を使用し、物語世界の構築において影響を受けていることを公言している(下に掲載しているポスターは『テラス』のフランス版ポスターです。残念ながらスーギの絵を用いたものは見つかりませんでした。ただ、このフィルムは俳優人があまりにも豪華なので、ぜひともクリックして拡大のうえご覧ください)。

 また、残念ながら日本では作品が未公開であり、何かの折にぜひ発掘されるべき監督マリオ・モニチェッリ(Mario Monicelli、1915-) は、1977年のこれまたコメディー『プチ・プチ・ブルジョワ』(Un borghese piccolo piccolo、画像右上)というフィルムにおいて、スーギの絵画のとりわけ色使いに刺激されている。
  
 それからフェッリーニ(Federico Fellini、1921-1991)も、どのフィルムと特定することはできないが、夜のシーンの絵作りでスーギの作品を参考にしていたようだ。名作『鉄道員』(Il ferroviere、1956年)の監督として日本でもよく知られているピエトロ・ジェルミ(Pietro Germi、1914-1974)の作品にも同様のことが言われている。実際のところ、ここまでに挙げた3人、スコラ、モニチェッリ、フェッリーニは、スーギ本人と個人的な親交がある(あった)らしい。

 演劇と映画、あるいは文学と映画。何がしかの物語を語る芸術であるこれら3つの表現形式が相互に影響を受け合ってきたことはよく知られている。けれど、絵画(美術)と映画がこんな風に密接に、ともするとその構造にまで及んで影響を与え合うケースを僕は知らなかった。面白いものである。

 思い起こせば、今回の和田氏の盗作報道は、本当にとんだ騒動だった。日本の洋画家がブラウン管を賑わせるなんてことはまずないだけに、一時的ではあるにせよ、人々はかなりの関心(剥き出しの好奇心)を持って事態を見つめた。それぞれに驚いたり、呆れたり、憤ったり、嘲ったり、一笑に付したりした。スーギのホームページには、我らの「みの」が登場した。そして、騒ぎは過ぎ去った。けれど、僕は今回のスキャンダルを機に、はじめてアルベルト・スーギという画家の作品に出会った。僕にとっては、なかなか悪くない副産物だったように思う。ひょんなことから、ひとりのイタリア人画家が発掘されたわけだから、ODCとしても結果オーライといったところだ。