京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

世界のシネマテークにしねまっていこ その1

 今、手元に2冊の本があります。1冊は今年のボローニャ復元映画祭で買った “JEAN DESMET and the Early Dutch Film Trade”という本で、無声映画の色彩復元システム「デズメット方式」で有名なノエル・デズメット(Noël Desmet)と勘違いして、デズメットという名前に反応して手に取り、数ページめくって結局購入したものです。もう1冊は “Disorderly Order; Colours in silent film”という本で、その名の通り、無声映画の色についてカラー図版とともに論じられており、それを見つけたアムステルダムで迷うことなく買いました。

 この2冊の本には共通点があります。まず、いずれもオランダはアムステルダムで出版された本であること。そして、それにもかかわらず、全ページ英語で書かれてあること。多くの人々が英語を話し、理解するオランダでは今、オランダ語で書かれた書籍が減っていると聞いたことがあります。それはそうですよね。英語で書くことによって、市場はオランダ国内に限られていたものから一気に世界規模へと広がるのですから。その実、僕というオランダ語を理解できない客を獲得しています。

 さて、コラム「シネマテークにしねまっていこ」復活第1回(通算17回)は、そんなオランダのアムステルダムシネマテークについてのお話です。


 アムステルダム。あまりにも有名なビール、ハイネケンを生んだ街。アムステルダムアンネ・フランクが潜伏し、そして捕らえられた街。アムステルダム。嗅ぎ慣れぬ煙、飾り窓の女たち。アムステルダム。春先から初夏にかけてはニシンが抜群に美味い。アムステルダムゴッホレンブラントを見るなら訪れるべきだろう。アムステルダム。窓の巨大さにもかかわらず、カーテンを閉める家が少ないと友は言う。確かにそうだ。アムステルダム。クモの巣のように張り巡らされた運河と通り。アムステルダム。街のすべてが自転車圏内。アムステルダム。「オランダの光」*1なんてものがこの街にもありそうな気がする。

 アムステルダム。暮らす者のみならず旅行者までも魅了して止まないこの街に、ひとりの映画小僧を好奇心をくすぐる場所がある。中央駅の南西3キロほどのところ、市民の憩いの公園フォンデルパーク内にそれはある。

 フィルムミュージアム(Filmmuseum)。フィルムのミュージアム、映画博物館だ。映画の博物館だと思っていた。


 街の魅力的過ぎる構成要素に目もくれず、否、ちょっとだけ目をくれてやって、僕はフィルムミュージアムに向かう。入念な調査はしていないが、そのイメージは完璧に出来上がっている。イタリアのトリノ国立映画博物館がそれだ。いわゆる映画博物館の、ひとつの見本と言えるだろう。規模の大小は問わん、こいつと同種のものがそこにはあるはずだ。古き良き時代の機材と色鮮やかなポスター、スティル写真を始めとする数え切れない展示。そういう映画博物館があると、疑う余地なく想像していた。

 はやる気持ちを抑えきれず、フィルムミュージアムには開館前に到着した。巨大な太陽の国イタリアから来た者にとっては、寒いくらいのオランダの気候ではあったけれども、それでも陽が差せば散歩するにはいささか暑い。フォンデルパークの木陰をのんびりとうろつきながら開館を待った。

 フィルムミュージアムのインターネット・ホームページ(英語版)には、以下のように記されている。

「フィルムミュージアムはオランダにある映画のための博物館です。当博物館のフィルム・コレクションは、19世紀後期にまでさかのぼる最初期のサイレント作品から、近年のデジタル・プロダクションにいたる映画史全体を網羅しております」
“The Filmmuseum is Holland's museum for cinematography. The museum's collection of films covers the whole of the history of cinema from the very first silent films, dating from the late 19th century, up to the latest contemporary digital productions.”

 実のところ、アムステルダムのフィルムミュージアムには、映画関連資料や撮影機材、映画人の遺品などといった、映画史を総括する類の常設展示はない。その事実を知ったのは、フィルムミュージアム巡礼の入り口、常設展示見学の興奮のための布石と思い込んでいた特別展示が、実際にはそのときフィルムミュージアムで見ることのできる展示のすべてであることを案内されたときだった。確かに先の引用にも、フィルムの所蔵についての言及はあるものの、展示については触れていない。フィルムの博物館、フィルム・アーカイヴであって、映画の博物館ではないのだ。

 オランダ、アムステルダムのフィルムミュージアム。映画の保存のために上映するのか、映画の上映のために保存するのか、その定義に拘泥しなければ、このフィルムミュージアムは映画を保存し上映する、紛れもないシネマテークである。引用文に忠実であれば、フィルムテークとも言えよう。僕のイメージした映画博物館ではないにせよ。

 期待した通りの映画博物館ではないとは言っても、特集上映にあわせて公開される特別展示は圧倒的である。僕が勘違いをして訪問したあの瞬間、オーストリア出身の映画女優ロミー・シュナイダー(Romy Schneider、下の画像はドイツで切手になった彼女)に関する資料や彼女の遺品の多くは、間違いなくフォンデルパークに集結していたはずだ。

 住み慣れたボローニャと通い慣れた市立シネマテークを離れ、見知らぬ街の映画事情に触れようとしたのは、何か新しいものを探したかったからだ。もちろんボローニャのチネテカでも次から次に新しい発見はあるのだが、「シネマテーク」は何もボローニャに限ったことではない。シネマテークの語り部として、世界のシネマテークを知り、それを伝える義務が僕にはあるのだ。

 ロミー・シュナイダーについての無知は、シネマテークの伝道師としては甚だ頼りない。まして女優の生きた時代を知る熱烈なファンの中にあっては、ある種の居心地の悪さを感じるほどだ。わかっている。しかし、無知という空白を埋めるための新しいもの探しの旅にあっては、名前以上の彼女の存在を知り、その生涯をいくらかなりとも追体験できたことは得がたい経験となった。スティル写真の中でタバコを咥えたロミーの、その屈託のない笑顔は、彼女のほとんどについて無知な僕を他意なく笑っているようでもあり、そんな僕のフィルムミュージアムと特別展示への来館を歓迎しているようでもあった。

 常設展示のあてが外れた僕は、ロミー・シュナイダー展を見終えた後、一時フィルムミュージアムを辞し、再度夕方の上映に合わせて戻ってきた。上映作品は、ロミー・シュナイダーアラン・ドロン(Alain Delon)共演のジャック・ドレー監督作品『太陽が知っている』(La piscine、Jacques Deray、1968年)。

 「フランス語オリジナル版で、オランダ語の字幕だけど、大丈夫?」チケット係の女性が気にしてくれる。僕の話す英語は、オランダ語もフランス語もできそうにない奴のそれだった。「問題ないよ」、そう告げ、上映室に向かった。もちろん問題はある。

 色っぽいとは言いがたいボローニャのチネテカのそれに比して、フィルムミュージアムの上映室は、座席数こそ少ないものの、その重厚な作りが否応なしに来場者の期待感を膨らませる。会員優先の入場順なので、僕が上映室に入ったときは最前列と壁際の席しか空いていなかった。そういう状況を僕はむしろ喜んだ。最前列中央の、ロミーに最も近い特別席は、おそらく僕のために確保されていたのだろう。

 上映開始時間になると、おもむろに男性職員がスクリーン前に進み出て、オランダ語で何がしかを話し出した。繰り返すが、オランダでイタリア語をいくらか話し、英語をわずかばかり理解したところで、問題はもちろんある。例えばこの職員のオランダ語による前口上、これがまったく理解できない。おそらくは作品解説だったのだろう。世界のシネマテークにはこのように、プログラム編集者によって作品ごとに解説が加えられるところがあると聞く。中には、その解説聞きたさに客が集ったという伝説的なシネマテークもあるらしい。嬉々として話す解説者と、嬉々としてそれを聞く観客。内容は知らん、少なくとも堅苦しい雰囲気は微塵もない。笑いがしばしば起こる。見ず知らず(であるはず)の観客たちが上映室の中で作り出す一体感、時間と空間の共有。語られる内容は依然さっぱりわからないが、しかし、シネマテークの花咲爺々としては、そういう空気の中に実際に身を置き体験することが何よりも優先される。作品の古今東西、物語内容、その選別、上映前の作品解説は二の次である。

 実際のところ、当の解説のみならず作品の内容も、(当然下調べなどしていないので)チケット係の不吉な予言通りまったく理解できなかった。作品に関してはロミーの背中とジェーン・バーキンJane Birkin)の脚の美しさを楽しんだと言うにとどめ、作品を楽しんでいる客々が共有する上映時間と場所の映画的雰囲気を、むしろ僕は喜んだ。これもまた映画のひとつの楽しみなのである。

 終映後、物販コーナーに向かった。ロミー・シュナイダー関連本が多くを占め、その隙間にオランダ映画史や技術関連の書籍、ポスターや絵葉書、DVDが並べられている。フィルムミュージアムが発見・復元した『巨巖の彼方』(画像下)*2のソフトも見出せる。僕は無声映画の色彩に関する10年以上も昔の本を見つけ、大いに満足してフィルムミュージアムを後にした。若干の修正はあるにせよ、本来の目的であるフィルムミュージアムを満喫してこそ、売られる春や甘ったるい煙は知らん、少なくともニシンとハイネケンは美味くなるというものだ。

 オランダ、アムステルダム。思えば遠くに来たものだ。しかし、遠くに来たのは何も肉体だけではない。作品を十全に楽しまずとも、映画を十全に楽しめるという境地に達した、我が映画的心身を思う。物語の理解を重要視し、映画について語ることを好まず、何より映画は独りで鑑賞することを良しとした若かりし頃の自分から、ずいぶん遠い世界までやって来た。

 アムステルダム。ニシンをパンにはさんで食べ、朝から窓辺に下着姿の娼婦たちが並び、手を伸ばせばマリファナが手に入る街。ビールはあくまでハイネケンである街。それでも僕にとってこの街は、常設展示のない映画博物館フィルムミュージアムがあり、その中では作品について語られ、フィルムが上映され続け、人々はその映画という場を共有する、そういう街であり続ける。そして、そのフィルムミュージアムの上映室の最前列、中央の席に身を沈め、やや遠くまで来過ぎた我が身を案じた、そういう街であり続ける。

 「アムステルダム…」、ニシン漁師を相手にしても僕はこう言うだろう。「…ああ、フィルムミュージアムという素敵なシネマテークがある街ですなあ。あの街で『太陽が知っている』を見た後に食べたニシンは、そりゃあ格別美味しゅうございました」。

※オールドファッション幹太のブログ  KANTA CANTA LA VITA

*1:『オランダの光』(Hollands Light、Pieter-Rim de Kroon、2003年)という映画があります。フェルメールレンブラントの作品が独特なのは、オランダの光が独特だからだという仮定に基づいて、生真面目な調査と実験によって「その光」の存在を明らかにしていくというドキュメンタリー作品です。

*2:『巨巌の彼方』(Beyond the Rock、Sam Wood、1922年)は、イタリア系移民のルドルフ・ヴァレンティノRudolph Valentino)とグローリア・スワンソン(Gloria Swanson)の共演作品で、長く、「失われた作品」として知られてきました。2004年にコレクターの所蔵品の中から発見されたこの作品の復元に関しては映画保存協会のホームページ上で紹介されています(参照:http://www.filmpres.org/archives/8)。ちなみに、ヴァレンティノの本名はRodolfo Alfonzo Raffaelo Pierre Filibert Guglielmi di Valentina d'Antonguollaという驚異的なものです。