京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

シネマテークに潜入 その1 〜チネマ・リュミエール後編〜

 ・・・・・・、ちょっと待って下さい、想像の涙を想像的に拭きますので。失礼。・・・・・・ん、・・・・・・ああ。いやあ、すごかったですねえ、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『1900年』(Novecento 、Bernardo Bertolucci、1976年)。一部の批評ではその続編とも言われるマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の『輝ける青春』(La meglio gioventù、 Marco Tullio Giordana、2003年)と同様、6時間を越える大作ですが、その長さを全く感じさせることなく、観る者をグイグイ引き付けるその映像と語りは想像上の感涙に値します。まだ観ていらっしゃらない方、これは必見かと思います(決して多くないとは言え、歴史的背景の知識を要求するのは、この手のジャンルの作品の宿命でしょうか)。

 前回、ボローニャの市立シネマテーク内にある映画館「チネマ・リュミエール」に潜入し、素敵なエントランス・ホールからチケット・カウンターとモギリの人々、自慢のトイレまでを紹介しましたところで上映室の扉が開かれましたので、コラム上での INTERMEZZO(「休憩、中休み」の意)とさせていただきました。もちろん僕はその間、前回掲載した画像にもあったように実際にリュミエールで『1900年』を2日に渡って鑑賞しました。6時間の上映が3時間ずつ2日がかりだったんですね。コラム上での想像の中休みの間に、実際に作品の前編、丸一日の中休み、作品の後編の鑑賞があったわけです。

 余談ですが、チネテカで古い作品を観ていると、上映の中ほどで突然、“fine del primo tempo”(第1部終了)、続いて先ほどの “intermezzo” (休憩)、間髪置かず “il secondo tempo”(第2部) という文字がスクリーン上に現われることが少なくありません。これらのインタータイトルは、イタリア映画(周辺)史の語り部な訳で、つまり昔、公開当時はここで実際に休憩を取っていたということを示しています。トイレに行ったり、第1部について仲間と復習し合ったり、なんならエスプレッソの1杯でも飲みながら「やあやあ、映画で聖母みたいな母親が出てきたろ、ところがうちの母ちゃんときたらさあ…」などと世間話に花を咲かせることだってできたのです。作品の鑑賞中に休憩を取らなくなった今も、休憩を促すこれらのフィルムが削除されることなく保存された結果と言えます。稀とは言え、時にはこうした作品外の情報から映画の歴史を見ることもできるのです。この休憩という文化、当然イタリアでも過去のものとなった印象がありますが、実は一部の映画館ではほとんど習慣的にこれを守っている場合もあります。ボローニャではチネマ・アルレッキーノがそうで、ここで観たデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス』(A History of Violence、David Croneberg、2005年)には完全に休憩が入ってました。ただし、ものの数分で、コーヒーどころかトイレも危ういのではないかと思った記憶があります。あるいは単に一部のイタリア人には、90分間集中力を保つことがいまだに困難で、彼らへの心ばかりの配慮なのかも知れません。

 閑話休題。無人の上映室の座席に身を沈め悦に入り、恍惚としたところで続けて圧倒的な上映を目の当たりにし、混乱、あるいは機能上の INTERMEZZO に陥り、意味不明な言葉を紡ぎだした脳みそも正常に働き始めたようです。やや長すぎた想像上の中休み(その間僕はこうして原稿を書いてますので実際には休んでません)と「休憩」という文化紹介を経て、今回も引き続きチネマ・リュミエールの施設紹介です。

 想像上の上映も終わり、エンド・クレジットに目を通さない客に次いでそれが終わるまでを映画鑑賞とする律儀な客も帰りましたので、そろそろ僕たちも上映室を出ましょう。留まりたい気持ちは来るべき次回の来館のためのエネルギーとしましょう。

 上映室を出たところは待合室になっていて、ソファーが並べてあります(写真上。以下、どの写真もクリックすると大きくなります)。上映を待つ人や観終わって感想を述べ合う人でなかなかの混雑です。そのソファーをはさむようにして、向かい合う二つの壁には、写真やポスターが展示されています。期間中の特集上映の撮影現場であったり、役者の素顔であったり、ブロマイドであったり、プログラムにある作品の公開時のチラシやポスターです。帰途につく前にちょっと見てみましょう。今月はデヴィッド・リンチ監督の新作の公開とそれに伴う特集ですので『ブルー・ヴェルヴェット』(Blue Velvet、David Lynch、1985年)の出演陣が見えます。アラン・レネ監督作品の常連サビーヌ・アゼマ(Sabine Azema)の写真もあります。おっとこちらはロマン・ポランスキ監督作品『吸血鬼』(The Fearless Vampire Killers、Roman Polanski、1967年)のイタリア語版のポスターですか、へえ、伊題は “Per favore... Non mordermi sul collo” (おねがい、首を噛むのはやめて)って言うんですね。

 周りを見渡すと、ここだけでなく壁という壁がほとんどポスターで埋められています。僕の目を惹くのはナンニ・モレッティ監督『青春のくずや〜おはらい』(Ecce Bombo、Nanni Moretti、1978年)のそれです(写真上)。もはや30年近くも前の作品なのにポスターの状態はとても良さそうです。あるいは最近、一般館でもリバイバル上映されてますので、そのための新しいポスターかも知れません。かつて掲示されていたもので記憶にあるのは、ツァイ・ミンリャン監督の『西瓜』(天邊一朶雲、蔡明亮、2005年)です。横たわる看護婦姿の女性が半裸になって股間に半分に切った西瓜を置き、それに白衣の男性が触れんとする、そんなポスターをこんな人目のつくところに! なかなか大胆です、チネテカ(一目瞭然、写真下)。もちろん、そうしたエロ含みのものばかりでなく、マカロニ・ウェスタン(ヨーロッパでは「スパゲッティ・ウェスタン」と言います)の劇画調の秀作やそれだけでも見るに値するような芸術的なもの、さらには有名監督の有名作品の公開当時のコレクターズ・アイテムが、その時々のプログラムに合わせて分け隔てなく来館者の目を楽しませています。

 ポスターや写真を主とするこれらの展示品は、その多くがボローニャのチネテカのコレクションで、隣接するアーカイブ(資料館)に保存されています。シネマテークのコレクションはただ集められるだけではなく、種類や形態によって整理・分類(カタログ化/カタロギング)され、常設の展示室があるならばそこで公開され、それがない場合はボローニャのチネテカのように上映施設内に展示スペースを設け、特集などで企画が組まれればそのカタログを参照して準備される、という仕組みになっています。作品を上映するだけでなく、その他の映画関連資料で上映を補足する、作品と作家とその周辺、映画の全てについて収集する、そんなシネマテークのまた別の側面を垣間見ることができるわけです。

 展示に混じって、書籍やDVDの販売もしているようです。壁に並んだガラスケースをのぞくと、チネテカが出版協力した本やチネテカで特集が組まれた作家についての本、チネテカの季刊誌、ボローニャ大学の教授が発起人となって出版されている映画雑誌などが見えるはずです。DVDも主に特集上映関連の作品が目に付きます。ポスターや書籍を含む紙資料が文字通り壁紙となってチネテカ内部を飾っているのです。

 定義と一般論ばかりが先行し、いまだにその実態がよくわからないシネマテークの真の姿をもう少し具体的に知ろうという目論見のもと、その機能の花形である上映施設のサンプルとして前回と今回にまたがってボローニャ市立シネマテーク内「チネマ・リュミエール」を取り上げておりますが、以前(第2回)、「シネマテーク」の定義を試みた際に、「上映機能を持つ資料館、かつ保存機能を持つ映画館」と暫定的に定めたのを覚えていらっしゃるでしょうか。この定義自体が何も定義していないようなものですが、そもそも定義とは往々にしてそうでして、それでも映画の「上映」と「保存」がシネマテークのキーワードなのだという含みはあるはずです。僕たち一般人に一番近い機能/役割である「上映」をシネマテークの花形とし、その花形を陰で支える「保存」という裏方についてもこのコラムの中で追々考えていきたいと思います。結果、この「上映」と「保存」という二方向から、具体的な例と示唆に富んだ想像上の「シネマテーク」の建設を目指すことがこのコラムという試みであることは、これまで何度か言及したとおりです。


 さて、いつまでもいつまでもここチネテカで映画とそれに関わるエトセトラに触れていたいですが、どうやら本日の想像上の最終上映も終わり閉館のようです。再びこの場にやって来ることを夢見つつ、鍵番として戸締りを任された男性モギリに挨拶をして名残惜しいチネマ・リュミエールにひと時のお別れをしましょう。「また来るよ、チャオ」。

*オールドファッション幹太のブログ  KANTA CANTA LA VITA