ラルゴ・アルジェンティーナからチンチン電車でテヴェレ川を越えてすぐのところに、トラステーヴェレ(Trastevere)という地区が広がっています。そこはいわゆる飲み屋街。うまいピザ屋にエノテーカと呼ばれるワインバー、レストランやブック・カフェ、昔かたぎの老夫婦が経営するチョコレート屋さんまで、古いローマの石畳の上に素敵なお店がひしめき合っています。そんな下町トラステーヴェレに夜な夜な出没してはストリートライブを行う三人組がここに。その名もポネンティーノ・トリオ(Ponentino Trio)。ローマ弁で歌って踊って、とっても楽しいパフォーマンスを行います。ときに彼らは詩も朗読します。それはここ、トラステーヴェレを愛した詩人トリルッサ(Trilussa)のものです。
(↑ ポネンティーノ・トリオのライブ風景)
戦争の子守唄
ねんねんころり 眠りなさい
だって眠れば 見ないから
いろんなやっかい 悪の華
世間で起きてる いやなこと
剣と銃器に かこまれて
みんないっしょに 暮らしてるLa Ninna-nanna de la guerra
Ninna nanna, pija sonno
ché se dormi nun vedrai
tante infamie e tanti guai
che succedeno ner monno
fra le spade e li fucili
de li popoli civili….
トリルッサがローマに生まれたのは1871年のことでした。早くして父を亡くした彼は、母とともにローマ各地を点々としながら、方言詩を書き始めます。ちなみにトリルッサ(Trilussa)というのは、本名サルストリ (Salustri)のアナグラムです。このペンネームで地方誌『ルガンティーノ』(Rugantino)や『ドン・キホーテ』(Don Chisciotte)に寄稿し、人気を博します。有閑マダムにも気に入られ、社交界で引っ張りだことなるのです。彼の人気の秘訣は特殊な発音やボキャブラリーを有するローマ方言の使用と、おとぎ話になぞらえた風刺表現にありました。例えばこちら。
まやかしバール
よそおいとうらぎり
お店を開けました その看板が
言うことにゃ 「夢 売ってます
一年間の 希望つき」
白ひげの 魔術師
カウンターで 対応し
安酒を ふるまう
だれしもが みてみたい
夢の中でくらい
現実にありえない あんなもの
店の前 通り見る
その人ごみに 思うこと
お客さん かわいそう
目を閉じて 飲み干そう
魔術師の カクテル
気の毒に思うけど ある夜
思い通りいかないし
ぼくだって 回り道し
一杯 飲み干すBar de l’illusione
La finzione e l’inganno
hanno aperto bottega. Su la mostra
c’è scritto::.
Un vecchio Mago, cór barbone bianco,
serve, dedietro ar banco,
un berberone a quelli che ce vanno.
Tutta gente che spera e ché ha bisogno
de vede, armeno in sogno
quer che nun trova ne la vita vera.Quanno passo davanti a ‘sta bottega
guardo la folla e penso,
con un senso de pena, a quel’illusi
che beveno a ochhi chiusi
li decotti der Mago e de la Strega.Li compatisco, sì: ma, certe sere
che le cose nun vanno a modo mio,
me guardo intorno, svicolo e pur’io
me ne scolo un bicchiere
(↑ トラステーヴェレのトリルッサ広場にあるトリルッサ像)
魔術師のほかにもライオン、猫、にわとりなどさまざまなおとぎの国の登場人物が、彼の詩には出てきます。彼の詩は毒づいていたとしても、どこかかわいらしい愛情を感じてしまうのは、おとぎ話とローマ方言という二つの要素があるからでしょうか。そもそもトリルッサのような方言詩のスタイルが確立されたのはそんなにむかしのことではありません。彼が生まれる少し前、イタリア統一前後にかけてのことでした。キーワードとなるのは、ローマ方言を実際話していた市井の人々、ボルゲーゼ(中産階級、ブルジョワジー)の存在です。まずローマ方言詩のパイオニアとなったのはジョアキーノ・ベッリ(Giuseppe Gioachino Belli)。彼は長期にわたる役所勤務の後1850年半ば、方言でのソネットをつくり、彼の周りにある生き生きとした現実生活を表現しました。続いてチェーザレ・パスカレッラ(Cesare Pascarella)。彼はベッリの詩よりもさらに進んで、ボルゲーゼを実際主人公にした物語風の詩を書きました。そして20世紀初頭のトリルッサはさらに風刺表現を加えてその世界をよりアクティブに表現します。このように時代を追うことで、より活気を増すボルゲーゼの姿が確認できます。いっぽうイタリア統一までのローマには、他都市と比べて市民の文化が欠けていました。それはヴァチカンという存在があったからです。そして統一後ようやく中産階級のアイデンティティが芽生え、その表現の一つとして方言詩という形が生まれたのです。この事実は、13世紀に文化的に発達したフィレンツェで、ペトラルカ (Francesco Petrarca)やボッカチオ(Giovanni Boccacio)が公的なラテン語ではなく、俗語であった市井の言語=イタリア語で詩を書き始めた経緯と状況的に合致します。
さてさて、話を大きくする気もないのでここらへんで締めたいのですが、もう一回強調したいことがあります。それはトリルッサの描くボルゲーゼの姿が、モラヴィア(Alberto Moravia)やマレルバ(Luigi Malerba)など戦後の文学にみられるそれとは違い、倦怠や喪失を感じさせないということです。彼の描くボルゲーゼの姿には風刺的であはるものの、ベッリから通ずる素朴で生き生きした愛があります。懐古主義と言われてしまえばそれまでですが、トリルッサは、今もトラステーヴェレに残るような古きよき街を愛するボルゲーゼの姿を詠っていたのです。それでは最後にもう一つ、ポネンティーノ・トリオも朗読するトリルッサの詩をどうぞ。
カメ
ある夜 散歩に出かけた
おばあさんガメ とびはねた
自分の足よりも長く ひっくりかえり
こうらといっしょに さかさまに
ヒキガエルがさけぶ 「なんてバカなんだ!
ささいな失敗
一生を台無しに…
「知ってるわ―カメは答えた―
でも死ぬ前に 星を見たじゃない」La Tartaruga
Mentre, una notte, se n’annava a spasso.
la vecchia Tartaruga fece er passo
più lungo de la gamba e cascò giù
co’ la casa vortata sottinsù.
Un Rospo je strillo:―Scema che sei!
Queste so’ scappatelle
che costeno la pelle…
―Lo so:−rispose lei−
ma, prima de morì vedo le stelle.
(↑ 夜のトラステーヴェレ)
=参考リンク=
ポネンティーノ・トリオのホームページ
ユーチューブで見られる彼らのライブ