京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

YAが気になる 2008/10/02

 まず、はじめに。

 いらっしゃるはずはないと思いながらも、もしも私のコラムを楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃるなら、再開にあたり、須賀敦子について書くことは一旦お休みし、コラムのタイトルどおり興味のおもむくままに飛びまわることをどうかお許しください。

 ここ数年、YA(ヤングアダルト)小説という文字を目にすることが多くなり、一昨年には、YA小説の書き手の先駆的な存在である伊藤たかみさんと森絵都さんが芥川・直木賞を受賞しました。多くの読者をすでに獲得しており、読者側が人気を先導する形となりましたが、文学界にもその分野が広く知れ渡りました。元々、欧米で盛んであったYA小説が、日本において登場してきたのは1980年代後半でした。私の学生時代にティーンズを意識した作品の書き手として記憶に残っているのは、江國香織さんです。それまであまり目にしたことのないサイズのハードカバー本で、淡い色を使った装丁にまず魅せられて、女の子同士で貸し借りをしたことを覚えています。
ぎぶそん (teens’best selections)  ラン
 YA小説では、児童文学で描かれる少年少女の一つ上の世代、思春期にいる十代を主人公に描き、彼らが、家族や学校、その先の社会、性や死などの様々な壁のなかでぶつかり、それらとの距離や自分の力のコントロールなどに悩み闘っている作品が多く見られます。教育的読書というようなもので縛られていた世代にとって、児童文学は幼く感じられ、また大人中心で描かれたものには背伸びしなければ共感できず、肉体的精神的な成長過程で、「今」を寄り添ってくれるもの、読み捨ててくるもの、潜り抜けてくるものとして、その溝を埋めてくれるものとなっているのではないでしょうか。
おやすみ前にブラッシング100回
 次回、イタリアで2003年に出版され90万部以上のベストセラーになった17歳の少女の自伝的小説『おやすみ前にブラッシング100回』(100 colpi di spazzola prima di andare a dormire、メリッサ・P<Melissa Panarello>、中村浩子、河出書房新社、2004年)を読んで、10代にとって「本当に怒る」とういことはどういうことか考えてみたいと思います。スロースタートですが、どうぞよろしくお願いします。  (つづく)