京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

拝啓、ピエル・パオロ・パゾリーニ様

 ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)が参加した映画『怒り』(La Rabbia)がこのほどリバイバルされて、ちょっとした問題が起こりました。ことの始まりはこうです。1963年、映画プロデューサーであるガストーネ・フェッランティ(Gastone Ferranti)が、当時の社会問題に対するパゾリーニのコメント、インタビューなどを切り貼りして1本の映画をつくろうと計画しました。パゾリーニはこの新しいアイデアに賛同し、契約書にサインしたのですが、その後になってもう一人のコメンテーター、ジョヴァンニーノ・グワレスキ (Giovannino Guareschi)を映画に登場させることが決定しました。
 

 拝啓、グワレスキ様
 あらゆる喜劇作家と思われる人々と同じように、――私はあなたを喜劇作家だと思いたいのですが――、あなたは反動主義者です。
 ゆえにあなたの怒りが、あなたの反動的な怒りがどのようなものであるのか、よくわかります。
 変わりゆく、つまり消えていってしまう世界を理解するものの怒り。その意味で反動主義とは病気を患っています。地に着かぬ心と共に。
 あなたのフィルムを見て誰が熱狂し、誰が涙を流すのか私にはわかります。
 あなたは体制を守る右派の人間。それはあなたが歴史に畏怖しているからではないでしょうか。歴史的建造物は危いものではありません。そうではなく、醜いものなのです。そしてあなたは醜さに対して非常に感傷的です。
 醜さに対して非常に感傷的。ゆえにあなたは凡庸を武器にしました。
 それが、喜劇作家であるにもかかわらず、あなたをあまり作家だとは思えない理由です。
 凡庸を、一般大衆を、煽動を、常識を武器にするのだから、この論争においてあなたが勝利することを私はよく知っています。
 しかし本当の勝利とはなんでしょうか。両手を打つものなのか、心を打つものなのか、どちらでしょうか?
 どうぞ、お元気で。
 ピエル・パオロ・パゾリーニ
 
 ↑合成写真 パゾリーニ(左)とグワレスキ(右)

 イタリア人は往々にして論争(polemica)を好みます。そこまで激しく、派手にものを言い合うのかというほどに。ましてや宣伝用に書かれたこの手紙から、パゾリーニの真意を測ることは難しいでしょう。プロデューサーに仕組まれた論争映画『怒り』は、発表されてすぐさま、映画館で放映禁止となります。一説には右派グワレスキのコメント部分が、あまりにも反アメリカ的だったためとも言われますが、ともあれこのようにして、この映画はお蔵入りしたのでした。
 両人が亡くなって長い年月が経ち、その映画をチネテカ・ボローニャが修復して、再発表したのが去年(2007年)のローマ映画祭でした。そして先月のヴェネツィア映画祭、チネテカ・ボローニャの館長だったジュゼッペ・ベルトルッチ(Giuseppe Bertolucci)は、本来の作品のコンセプトに立ち戻り、グワレスキ部分をカットして映画を作り変えた『パゾリーニの怒り』(La rabbia di Pasolini、画像下)を発表します。すると、この行為に憤慨したグワレスキの親族が、ベルトルッチを訴え、彼を辞任にまで追い込みました。辞任を覚悟したベルトルッチは、一連の批判に対してこのように答えています。
 

……もちろん、誤解に対する言い訳や撤回を愚かしくしも続けるのではなく、アルベルト(Alberto)とカルロッタ(Carlotta、彼らはベルトルッチを訴えたグワレスキの親族)に対し真摯に謝罪し、映画の訂正に没入すべきだろう。しかし――それでも私は彼らに聞き入れてもらいたいのだが――、ジョヴァンニーノ・グワレスキを追想し、彼の思想をできるかぎり再現するには、(この映画ではなく)別の手法があるのだと思っている。……

 この件に関しては、二つの過ちが犯されたと思います。一つはプロデューサーであるフェッランティの過ち。作品を右と左の視点から見た作品にしようという彼のコンセプトは、あまりにも浅ましい。まず、左派、右派の定義とは何でしょう? 右、左というのは、バスティーユ襲撃後の1791年のフランス立法議会で、国王を要する立憲君主制を主張したフイヤン派が右側に座り、共和制を主張し、市民から支持を得たジロンド派が左側に座ったことに由来します。つまり古来の王家などを尊重するのが右、王などの絶対的権力を廃止し、人々の平等と自由のもと国家をつくろうとするのが左です。しかし、半島に点在する複数の国家が統合されてつくられたイタリアには、右派が求めるべき唯一で確固たる王家は存在しません。バチカンをイタリアの中心と考えるなら、教会がイタリアにおける右派であるとも言えます。しかし、思想と宗教がまったく合致するというわけでもありません。このように、その根本的な定義からして、イタリアにおいては不明瞭な部分がどうしても残ってしまいます。
 それを踏まえた上でさらに、パゾリーニ、グワレスキ両人ともに、完全な左派、右派というわけではなく、重層的に思想を持っている人物です。パゾリーニ共産主義に傾倒しながら、学生運動では中産階級出身である学生側を否定しました。いっぽうグワレスキは右派でありながら、第二次世界大戦中はファシストを激しく批判しました。さらに『怒り』発表直後、パゾリーニがつくり、神の冒涜であるとも評された映画『リコッタ』(Ricotta)に対して、グワレスキが非常に好意的な意見を述べたことも記録されています。このようにお互いがお互いを認め合ってもおり、フェッランティのコンセプトに合わせて、彼らを対称的にデフォルメすることは、あまりにも無理があります。
 次なる過ちは、グワレスキ部分をカットしてしまったジュゼッペ・ベルトルッチの修復です。確信犯(※宗教、思想的な理由から、罪でないことを確信して罪を犯すこと)と言えるかもしれません。知のカリスマ、パゾリーニが1975年ローマ近郊の海岸、リド・オスティアで暗殺されたことは、非業の死を遂げた多くの偉人たちと同じように、ある種の伝説化、パゾリーニ信仰、パゾリーニ・コンプレックスとも呼べるものを引き起こしたように思えます。映画を製作すると、自ずと複数人の手が加わります。そんな中で一つの映画を修復するとき、誰の意思を汲んで作り直すかという問題は、非常にデリケートなものです。パゾリーニ信仰が少なからずベルトルッチの判断を狂わせたのではないでしょうか。映画をつくった当人たちがいなくなった今、どのような形をよしとするのかはとても難しいです。しかし一つ目の過ちをよく把握し、現代という視座から60年代を省みるのなら、当時つくられたそのままの形での作品を鑑賞こともできるのではないでしょうか。