京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

空にうかんだ大きなクエスチョンマーク

Spinaceto pensavo peggio! Non e per niente male!
スピナチェートはもっとひどい所かと思っていた! ぜんぜん悪くないじゃないか!(訳は筆者)
親愛なる日記 [DVD]

 これは映画『親愛なる日記』(Caro Diario、1993年)の中でナンニ・モレッティ(Nanni Moretti)が発した名言です。悪いイメージで捉えられがちのスピナチェート(Spinaceto、画像下)が如何なるものか知るため、彼はバイクでそこに赴くのでした。排気ガスで汚れた遺跡に絡みつくように町が形成されている中心地とはうってかわって、郊外に行くとローマは途端に田舎になります。田園風景、というよりは荒廃した原っぱ。そこに建設されたニュータウンの失敗例の一つがこのスピナチェートです。人気のない大通り、連なる山のように立ちすくむ巨大アパート郡はわびしさを感じさせます。そしてそんな吹き溜まりに住むのは、中心地から追われるようにやってくる移民と相場が決まっています。しかしそこにもまた生活がある。スピナチェートもぜんぜん悪くないじゃないか!

 スピナチェートをはじめとする郊外都市化計画が実行されたのは、ここ数十年の話です。しかしイタリアの首都ローマで、居住地を求めて郊外に目が向けられ始めたのははるか昔、1920年代のことでした。ローマを新たな機能を備えた都市とすることを望んだ時のファシスト党が、初めてローマを囲む郊外に居住地区を建設します。戦争が終わると人口増加から、新たに土地開発が進み、工場地跡を娯楽施設として作り変えるなど、機能的なニュータウンが次々とできました。しかし交通の便が悪いという慢性的な問題もあるのでしょう、かつてのニュータウンも時が経つと色あせ、店にはシャッターがおり、治安が悪化しました。モレッティの名言も、スピナチェートがよくない町であるという前提があってことです。
 そんなローマの郊外住宅事情の中、1939年から開発が始まったのが、ローマ南西に位置するボルガータ・デル・トルッロ(Borgata del trullo)です。テヴェレ川のすぐ側のその場所が開発されたのは、第2次世界大戦に備えて海外から召集したイタリア国民を住まわせるという目的があったからです。そのようにして生まれたトルッロの町の空に、大きなケーキが現れるというお話が、地元の小学校コッローディ(Collodi)の第4学年、マリア・ルイーザ・ビジアレッティ先生と、そのクラスの子供たちによって創作されたのが1964年のことです。それをまとめて本にしたものが、だいぶむかしにコラムで取り上げたこともあるジャンニ・ロダーリ(Gianni Rodari)の『空にうかんだ大きなケーキ』(La torta in cielo、画像下)です。
空にうかんだ大きなケーキ (イタリアからのおくりもの5つのちいさなファンタジア)
 お話の内容は、ボルガータ・デル・トルッロの町の上に突然巨大なケーキが現れるというもの。その巨大な物体に恐怖を感じる大人たちを尻目に、好奇心旺盛な二人の子供、パオロとリータはその中に潜入します。その中には謎の科学者がいて…。空いっぱいに広がる大きなケーキをみんなで楽しく食べるという大円団は、いかにも子供らしい夢のあるお話といったところ。しかしその影には、アメリカ−ソ連の冷戦中、ケーキを得体の知れない巨大兵器だと思い込んで恐れる大人たちの姿が、時代を象徴するメタファーとなって存在してもいます。そんなお話を学校の生徒たちいっしょに作り出したロダーリとビジアレッティはともに、子供の創造力を見出し、それを引き出そうとする優秀な教育者であり、実験者でした。
  ロダーリ(画像下)が亡くなって20年以上が過ぎ去った現在、2008年のイタリアは教育改正問題で大揺れです。公立学校の雇用者数、及び研究費を大幅にカットするという、教育大臣マリアステッラ・ジェルミーニ(Mariastella Gelmini)による改正法案が内閣で可決。それによると小学校でも先生の数が激減することになり、子供たちに十分勉強できる環境が与えられるのか、と危ぶまれています。さらに北部同盟(Lega Nord)からは、外国人生徒の増加に伴い、イタリア語能力が不十分な生徒のために別々のクラスを設けるという提案が行われ、論争を巻き起こしています。もちろん人種差別だ、新たなアパルトヘイトだ、という反対意見が主ですが、例えば町の人口のほとんど過半数が中国人となっている中部の町プラートなど、イタリア人の生徒のほうがマイノリティーになっているケースもあります。このように、郊外住宅問題、移民問題に教育問題が跋扈する今のローマでは、空に浮かぶケーキではなく、もっと違ったお話が作られるべきかもしれません。