京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

精神医療にもっと頓着しよう     (旧ウェブサイトコラム『ローマから遠く離れて』)

 イタリアの高名な精神科医に、フランコ・バザーリア(Franco Basaglia)という人がいた。精神医療など門外漢もいいところの僕でもその名前と功績を知っているのは、マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ(Marco Tullio Giordana)監督の『輝ける青春』(La meglio gioventù、2003年、画像左下)や僕の訳したシルヴァーノ・アゴスティ(Silvano Agosti)の小説『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国 』(Lettere dalla Kirghisia、マガジンハウス、2008年)をはじめとするいくつかのイタリアの作品で言及されているからだ。通称ではあるけれど、バザーリア法と呼ばれる法律があったりするのだからすごい。

誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国
 彼が革命的だったのは、閉鎖的で患者虐待も横行していた精神病院のあり方をラディカルに問うて、精神病院という制度そのものをイタリアから消し去ってしまったことである。バザーリアと親交のあったアゴスティは、2000年に彼を主人公にした映画『ふたつ目の影』(La seconda ombra)のクライマックスで、彼が入院患者たちと一緒になって病院と街を隔てる壁をなぎ倒すという象徴的な一夜を丹念に描いている。
 
 濃密な人生を送った人によくある話だが、バザーリアは1980年に50代半ばで亡くなってしまった。残念なことではあるけれど、その遺志を継いでいる人たちが少なからずいて、故郷のヴェネツィアでは、自治体の協力も得つつ、バザーリア賞なるものまで作られた。これは、彼の思想や功績について、あるいは精神医療先進国として精神病院という制度を乗り越えたイタリアのあり方を研究する外国人に与えられるもので、その記念すべき一人目として2008年に大熊一夫氏が受賞していたことを知ったのは、今年になって彼が精神患者の家族会代表団と共にイタリアを訪れたことが現地で報道されたからである。オンラインでいくつかの記事を逆輸入的に拾ってみて、大熊の辿ってきた足跡にかなり興味を持った。
精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本
 朝日新聞の記者だった大熊は、1970年にアルコール依存症を装って精神病院に潜入取材し、同紙の社会面に「ルポ精神病棟」を連載したというから驚く。臭いものには蓋的にタブー視されてきた精神病院内の驚くべき人権侵害を白日の下に晒した彼は、フリーのジャーナリストに転身してからも精神医療や福祉関係の分野で旺盛に執筆活動を続け、昨年秋には『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本 』(岩波書店)という集大成的な作品を出版した。バザーリアの果敢な挑戦と、それをイタリアが国としてどう受容し、現状はどうなっているのか。そして大熊が取材を始めた40年前から日本の精神医療がどれほど変われていないのか。日本全国で34万床というずば抜けたベッド数の多さを僕たちはどう考えればいいのか。大熊の著書から学べることはとてつもなく大きい。

 友人の写真家、田村尚子さんがフランスの精神医療を取材した経緯から、先月京都で現地視察の際に撮った写真を個展で紹介していたのを覗きに行った。奥田英朗著、「いらっしゃーい」でおなじみの精神科医伊良部一郎シリーズを先月末に一気読みしたり、スウェーデン発の傑作ミステリー「ミレニアム」シリーズ映画化作品を試写で立て続けに観たりと、偶然ではあるものの精神科関係の作品に断続的に触れてきた最近だっただけに、またアゴスティの回顧上映会を開く際には、まだ字幕を付けていない『ふたつめの影』をラインナップに加えようかとも思ったりしている。拘束服や電気ショックや鉄格子という凶器で狂気を「治療する」狂気…。鬱の時代とも言われ、誰しもが何らかの形で心の病に接しているこの現代社会にありながら、僕たちのいる日本は精神医療について無頓着でありすぎるのかもしれない。

 ちなみに、大熊氏がバザーリア賞を受賞した際のイタリア語によるスピーチ原稿は、こちらで読めます。