京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

イタリアからの手紙6:「ヴァチカン図書館の内側」 ロベルタ・コスタ

今年の3月17日は、イタリア統一150周年の記念日で、ローマでも大々的に祝典が行われました。今回はイタリアの歴史を振り返り、過去の功績や遺産を見直してみようと思い、ヴァチカン図書館の研究生ロベルタ・コスタさんに記事を書いてもらいました。(ハムエッグ大輔)

ヴァチカン図書館の内側

 過去イタリアでは、文化教養が政治の中心にあり、知識人が権力を持っていた時代がありました。書物に関する研究者や専門家が世界でもっとも重要になりえた時代です。教皇ニコラウス5世は1451年にヴァチカン内にある小さな図書館(350冊の蔵書に彼が所有する150冊の本を加えたもの)を一般に公開する場所としました。ギリシャ語とラテン語を中心に、法律、神学、医学、数学、天文学の資料を集めました。主だったのはキリスト教文化圏以外の書物です。世界中に使いを送り、古く貴重な資料を買い求め、または写本させました。こうして彼が亡くなった1455年には1300点の手稿が図書館に集まります。1457年、高名な人文学者であり、図書館長を務めたプラティーナの功績により、図書館は2500点の写本を所有するにいたりました。その中にはギリシャ語で書かれた最古の聖書、ウェルギリウス、テレンティウス、カエサルプリニウス、サッルスティウス、セネカなどの作品があります。1484年、3500点の蔵書を所有するヴァチカン図書館は、世界最大の図書館となります。現在では、8万点以上の手稿、10万点以上の資料(冊子、記録帳、羊皮紙写本、目録、台帳、封書、その他郵便物など)、8300点のインキュナブラ(印刷黎明期のこと。1500〜1600年代のもの)、15万点の印刷物、イラスト、台帳の控え、15万点の写真、30万点のコインとメダル、150万点の現代書を有しています。

 もちろんこんな数字にたいした意味はないですし、こんなデータを並べたところで退屈なだけでしょう。しかし私がこうして書き出したのには意図があります。現在のイタリアでは、学校や大学、美術館、劇場、図書館、映画館などへの費用を、無意味なものとして削減しています。もっと優先的に考える問題があると言われています。それではなぜ、500年前ヨーロッパでもっとも重要な国家の指導者は、一冊の書物を入手することに財力を注いだのでしょうか? 当時、本はすべて手書きで、装飾が施されていました。たった一枚の紙(つまり4ページ分)を作り出すために、羊一頭分の皮が使われていたのです。羊一頭というと、当時はゆうに一家族がそれで暮らしていけました。羊毛を刈り、チーズを作り、何年も経ってからようやくその肉を食します。そしてまた、それを数カ月間保存できるようにするのです。だから一冊の本をつくり出すために何百匹という羊を殺すことは、頭のおかしな作業と言えるかもしれません。たった一冊の本のために、どうしてこんなことができるのでしょう? 本では、おなかが空いていたとしてもどうにもなりません。のどの渇きも癒してくれません。寒さをしのぐこともできません。それではなぜでしょう?  なぜお金と、人間の生活に欠かせない羊たちを、これほど殺してまで本を作ったのでしょう? ここでキリスト教思想が深く関わってきます。キリスト教とは、一冊の本で語られる、一人の人間の功績を信仰の礎としている宗教です。つまりその本は、その男の思想と行いを具現化する役割を果たしています。さらに押し広げると、本というものは、一般的に、忘れてはならない、それどころか、記録し、子孫へと伝えていかなければならない過去の証となるものです。意思伝達の手段を持たない世界では、本が力の象徴でした。過去と歴史を知ることができる力です。

 さて、なぜ私はこのような話をしたのでしょう? 実際のところ読者の方は退屈だったことでしょう!! なぜかと言うと、数カ月前に私は初めてヴァチカン図書館の中に入ったからなのです。1年にたった48人しか入学が許可されていない、ヴァチカン図書館による図書館学の授業に、現在私は通っています。学科以外にも、1975年に寄贈された枢機卿ジュゼッペ・デ・ルーカの所有図書10万点を目録にするという作業を生徒全員で行っています。2008年に開始されたこの作業は、現在で全体の3分の1が終わったというところ。さらに手稿のオンライン・カタログにもデータを加えなければなりません。この学校はサンタンジェロ城の近くにあります。それとは別に、ヴァチカン内にある図書館は本当に素晴らしい場所です!!! 入館するために、何度もチェックを受けなければなりません。スイス人衛兵、憲兵、電子IDの照合…。足りないのはワニとはね橋くらいですね…。でもこうしたチェックを終えたら、そう…、その先では口を大きく開けて驚くこととなります。ニコラウス5世の時代に戻ったような空間。フレスコ画で装飾された大広間は、希少な本で埋め尽くされています。数え切れないほどの書庫にある本という宝物を見学するために、世界中から選ばれし研究者たちがやってきます。この非現実的な静けさの中にいると、すぐそこ、隣接するヴァチカン美術館が訪れる旅行客でごった返していることを忘れてしまいます。しかし、そんな旅行者たちも、よく注意すれば図書館の存在をほのめかすヒントを発見できるはずです。というのも、美術館には特殊なフレスコ画がひとつあるのです。ルネッサンス期にもっとも名声を獲得した画家のひとりであるメロッツォ・ダ・フォルリの作品。

ひとりの男が教皇にひざまずき、そのふたりを4人の男(ピエトロ・リアーリオ、ジュリアーノ・デッラ・ロヴェレ、ジローラモ・リアーリオ、ジョヴァンニ・デッラ・ロヴェレ。いずれも教皇の側近や親族)が取り囲んでいる絵です。教皇はシクトゥス4世、ひざまずいている男は先述したプラティーナことバルトロメオ・サッキ。それは図書館長に任命された場面で、教皇を見つめながら右手で下部に書かれた文を指さしています。そこには、こんな文言がラテン語で記されています。

Templa, domum expositis, vicos, fora, moenia pontes, Virgineam Trivii quod repararis aquam, prisca licet nautis statuas dare commoda portus et Vaticanum cingere Syxte iugum. Plus tamen urbs debet nam quae squallore latebat. Cernitur in celebri biblioteca loco.

要約すると以下のようになります。

教会、家、道路、城壁、橋、トレーヴィの水道橋の建造、港の工事に着手したりと、シクトゥス4世はさまざまな事業を行ってきたが、それはすべて二次的なものである。この誉れ高き、知の集大成たる図書館に比べれば…。図書館は500年の時を経た今もなお、当時プラティーナに課された使命を見せてくれる。それは、知りたいと思うすべての人々のために歴史を保存し、伝えていくことである。

ロベルタ・コスタ