FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月9日放送分
『マダム・フローレンス!夢見るふたり』短評のDJ's カット版です。
ニューヨークに実在した驚くほど音痴なソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンス。彼女がいかにして殿堂カーネギー・ホールでコンサートを実現するに至ったのか、音楽への情熱と夫や伴奏者の手厚いサポートを通して描き出す。
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。
これ、映画化の仕方、つまり、脚本や演出の持っていき方によって、たとえばフローレンスがただの困った金持ちに見えたり、芸術の評価も結局のところは金で何とかなってしまうという権威主義批判になるモチーフなんです。そして、実際のところ、さっき言った『偉大なるマルグリット』ではそうなってます。ところが、今回はですね、ちょっと大げさに言いますけど、「無償の愛と情熱の尊さを描いた、ゲラゲラ笑えて、胸が熱くなる物語」ってな打ち出し方になってるし、そう解釈している人も多いと思います。その事実を踏まえて、絶妙なバランス感覚で描いたある意味したたかな映画だと僕は思っています。
フリアーズ監督のしたかったことは、夫や伴奏者のように彼女を持ち上げることでも、ニューヨーク・ポストのあの評論家のように彼女の歌唱力を糾弾することでもなく、音痴なのに今でもレコードが売れてしまう、彼女の多義的な魅力を多義的なまま見せるということだと僕は思います。レビューに目を通してみると、この作品が結局彼女をどう描きたいのかわからないという意見もあります。彼女は自分が音痴であることを本当に自覚していなかったのか否か。元俳優の夫の献身的な振る舞いは本物か打算か。などなど。彼女を理解する上で本質的だろう問いに決着をつけていないじゃないかと。似たような理由で食い足りなさを覚えた人もリスナーにいるかもしれません。でも、僕に言わせれば、それこそ落とし所だったんですよ。
歌が下手だとあざ笑うコメディーでもないわけです。だって、次第に分かってくる彼女の音楽界への貢献、少女時代からの音楽との関わり方の移り変わりを目の当たりにすると、どうしたって素朴には笑えないですから。
無償の愛に支えられた美しき夫婦愛というわけでもないです。あのふたりには、野心と打算と夢と諦めと情熱と割り切りと、やはり愛もあったでしょう、単純ではない心のレイヤーを共有したり隠したり、複雑な関係です。
そして、開始10分も経たないくらいだったと思いますが、不意に明かされるフローレンスのある事情。ある苦しみ。
世の中には予告を観るだけでもうだいたい分かってしまう、下手をすると、予告のほうが面白い映画ってのがありますけど、この映画は予告からは想像がつかなかった複雑な事情があったんだと引き込まれるんです。みんなそれぞれに「そりゃダメでしょ」っていう事をする一方で、愛おしくなるようなまっすぐさが眩しく見えることもあって、憎めない。
登場人物のあるひとつの性格をデフォルメしてわかりやすくキャラ付けするのではなしに、いくつものキャラをメインの登場人物にきっちり入れ込むことによって、フローレンスという人間の意味付け、その着地を逃げてるんじゃなくて、解釈の余地を周到に残しているんです。
白も黒もグレーも、人間の強さも弱さも優しさも愚かさも、清濁併せ呑んで迎えるあのラストシーンも、直接的でないからこそロマンティック。綺麗に割り切れない人間ってやつの深みに少しタッチできたような気がするんですよね。そして、フローレンスの歌が当時実は人気を博した理由が、きっと面白半分だけじゃないんだってわかる。それこそこの映画の方針であり、十分に達成していると思います。
☆☆☆
メリル・ストリープの歌声は、確かに外していて音痴なんだけど、不快に感じる瞬間はほとんど無くて、その意味で実在のフローレンスを体現できていると言えるんじゃないでしょうか。サントラを買うかどうかと言われると、それはまた別の話ですけどね。