京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月29日放送分
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』短評のDJ's カット版です。

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2012年、児童養護施設で育った幼なじみ3人は、ある悪事を働いて逃走中、空き家となっているナミヤ雑貨店に身を隠します。そこは、かつて主人が人々の悩み相談を手紙で引き受けていたお店。ホッとしたのも束の間、店のシャッターから手紙が差し入れられるのを見て仰天。開けてみると、それは1980年から届いた悩み相談だった。3人は戸惑いながらも、店主になり代わって返事をしたためることに。そんな手紙のやり取りから、ナミヤ雑貨店と3人、街の歴史と現在までの流れが浮かび上がり繋がっていきます。
 
原作は、いったい何本映画化されるんだという東野圭吾。監督はピンク映画出身で、2003年、寺島しのぶ主演の『ヴァイブレータ』で一気に株を上げた後、『ストロボ・エッジ』『オオカミ少女と黒王子』『PとJK』など、近年では少女漫画の実写化を多く手がける廣木隆一
 
ナミヤ雑貨店の店主を西田敏行が演じている他、雑貨店に忍び込む幼なじみたちを、山田涼介、村上虹郎が担当。他にも、尾野真千子林遣都成海璃子門脇麦小林薫など、名のある役者たちが揃い踏みです。
 
東野圭吾作品をそう読んでおらず、これも未読の僕野村雅夫が予備知識ゼロで3分間の映画短評、今週もいってみよう!

東野圭吾って、昔はもっとミステリー色が強かったように思うんですけど、いつの頃からか、ジャンルを広げて一般的なエンタメ小説に寄っているっていう印象があります。この話なんか典型だと思いますけど、登場人物たちの「ちょっといい話」みたいなものを特殊な設定で顕にすることが多いのかな。もう謎とかどうでもいいやって感じで、今回であれば、雑貨店のシャッターの郵便受けがなぜ時を繋ぐのかっていうのは、少なくとも映画では「そういうものだから受け止めなさい」ということになってます。それ自体に僕はとやかく言わないんですけど、僕ら観客がファンタジーを「そういうもんだ」と受け止めるのと、過去から手紙が目の前で届くなんて不思議なできごとを登場人物(ここでは幼なじみ3人組)が受け止められるかってのはまったく別の話ですよね。驚いたことに、3人はあまり驚かないんですよ。最初は当然いたずらじゃないのかってリアクションをするんだけど、返事をしたら、また相談の手紙が来る。いよいよいたずらだろってところだけど、シャッター越しに相談者が奏でるメロディーで、「あ、これ本当に32年前と今つながってるんだ」って、彼らも確信が持てるシーンがありましたね。「スゲえってなれよ!」、あるいは「怖い」ってなれよって僕は思ってしまったんです。普通はビビるでしょ? いや、3人も雑貨店を飛び出して夜の街を駆け回るんだけど、そこで走ってないはずの路面電車が身体をすり抜けたり、駆け抜けたはずの商店街に気がついたらループして戻ってたりっていう、どう考えても恐怖体験を重ねます。ますますビビるでしょ。っていう、ファンタジー設定、つまりは映画全体のリアリティーラインがよくわからないのが、少なくとも僕が映画に没入できなかった最大の要因かなと思います。
 
そして、僕が入り込めなかったもうひとつ大きな理由がありまして、それは時間軸の仕掛けによくついていけないっていうこと。2012年のある1日に、手紙がぽんぽん届くんだけど、つながってるのは、1980年のとある1日ではなくて、9月から12月くらいの3ヶ月間の色んな時間なんですよ。それってなぜ? 理由もよくわからないし、そこに対する3人の疑問も特にないようなので、観ている僕だけがわかってないのか、何か見落としているんじゃないかって落ち込むレベルでした。
 
時間の流れを意図的に混乱させることに物語的意味もあった『ダンケルク』と違って、この作品では悪いけど単純に説明がうまく機能していないんですよ。なので、ますます置いてけぼりをくらってしまいました。こうなってしまうと、登場人物と悩み相談が増えていけばいくほど、そのひとつひとつのエピソードにはなるほど共感できる「いい話」はあるものの、なんでこんなことになってるんだというクエスチョンマークが僕の頭上に絶えず浮かんでいる状態になってまして、もう大変です。
 
児童養護施設で火事が起きる場面も、僕は困ったことに結構クールに観ていまして、「え、そこから脱出したらええやん」などと冷水をぶっかけるようなツッコミを脳内でしている始末。
 
さらには、主題歌の問題まで、あくまで僕の中でだけど浮上します。山下達郎の“REBORN”。すばらしい歌ですよ。歌詞も物語にうまくリンクしてるし、さすがは達郎さんです。でもね、これ、実はエンドロールでだけ流れるんじゃなくて、劇中で門脇麦演じる歌手が自分の持ち歌として披露するんですよ。その歌唱力にも僕は特にケチをつけるつもりはないんだけど、困ったことに、どう聞いてもヤマタツ節だから、フィクション感がビンビンに出ちゃう。さらに、よせばいいのに、いきなり特に何の説明もなく海で門脇麦コンテンポラリーダンスを踊っちゃったりするから、さらにフィクション感が増して、「これは何なんだ」となっちゃう。踊りも映像も悪くないのに…
 
まとめましょうか。いい話です。泣けるっていうより、心に沁み入るタイプのエピソードやセリフがいくつも出てくるタイプの映画です。人はもちろん1人じゃなくて、誰か別の人の願いとか言葉で生かされてるんだよなって思える。でも、それを映画ではこう描いてやろうっていう演出的な工夫が、ないとは言わないけど少ないし、それがうまく言っているとは言い難い。人々の時を越えた繋がりという、映画としても面白くなるはずの物語なんだから、それこそ映像の繋がり、シーン同士のつながりももっと練ってほしかったなと思います。
 
追記:ナミヤ雑貨店に3人が忍び込む時に、シャッターの横っちょから入るんですけど、そこに確かにチェーンがかかっていたんです。それが、その後は一旦チェーンは見当たらなくなって、明け方エンディングに近いところでは、またチェーンが… これには何か意味があったんでしょうか。それとも… いずれにしても、タイムマシンの機能を果たしているのはシャッターなのか、あの敷地なのか、それとも街全体なのか、そのあたりは曖昧だったような気がします。小説、演劇、映画と、メディアの特性によって変化させてあるようではあるんですが…

さ〜て、次回、10月6日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『僕のワンダフル・ライフ』です。監督は名匠ラッセ・ハルストレム。それにしても、脇役ならまだしも、犬が主人公の作品は久し振りだワン。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!