京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『プーと大人になった僕』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年9月20日放送分
映画『プーと大人になった僕』短評のDJ's カット版です。

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幼い頃にプーさんやその仲間たちと近くの森で遊んでいた少年クリストファー・ロビン。その後、寄宿学校に入り、大人になって恋をし、戦争に行き、結婚して娘を育み、大企業で中間管理職に就きながら、ロンドンで暮らしていました。楽しみにしていた実家のあるサセックスへの家族旅行の直前。威圧的な上司から、クリストファーのいる高級旅行鞄のセクションの事業効率化と人員整理を命じられます。休日返上して働けというお達しを受けて、クリストファーはひとりロンドンに残ります。公私共にうまくいかず途方に暮れた彼のもとに突如現れたのは、かつての友達、くまのプーさんだったのですが…

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 1926年に発表されたA・A・ミルンの児童小説”Winnie-the-Pooh”。世界中で翻訳されていますが、日本での紹介も早く、1940年にはもう石井桃子による訳が岩波書店から出ています。映像面では、ディズニーが60年代から短編を作ってきましたが、長編としては1977年に『くまのプーさん 完全保存版』っていうのがまず発表されて、これで6本目。そして、初めての実写映画化となります。

 
監督は、49歳のマーク・フォースター。『チョコレート』『007 慰めの報酬』『ワールド・ウォーZ』など、幅広く、そして手堅く演出できる人物です。脚本には、『スポットライト 世紀のスクープ』を監督・脚本したトム・マッカーシーや、黒人差別と宇宙開発をモチーフにして大ヒットした『ドリーム』のアリソン・シュローダーがクレジットされています。このあたり、さすがはディズニーっていう盤石の座組ですね。
 
そして、主人公の大人になったクリストファー・ロビンを演じるのは、ユアン・マクレガーです。
 
それでは、熊と言えば、パディントンあるいはテッドが好きな大の大人マチャオがどう観たのか。制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

ぬいぐるみを持ったこともなければ、原作を手に取ったこともなく、なんならこれまでの映像化にもまったく接してこなかったプー弱者の僕です。さすがにこれはまずかろうということで、お告げがくだってから、とりあえず観たのが初の長編『くまのプーさん 完全保存版』でした。これがかなり忠実というか、面白い演出になっていて、オープニングは実は実写なんですよ。無人の子供部屋があって、そこにプーさんの原作が置いてある。その本にカメラが寄っていって、ナレーターが物語っていうか、本の中へと誘っていく感じ。本編に入ってからも、ちょいちょい、原作ではこれは何ページだとか言っちゃうようなメタ・フィクションっぷり。フィクションであることを隠すことなく、むしろ意識させる演出なんですね。
 
そもそも、プーっていうのは、原作者のミルンが、実在の息子であるクリストファー・ロビン・ミルン持たせていたテディベアで、サセックス近郊の100エーカーの森ってのも、実際にそういう場所があるらしいんですよね。つまり、これはもともと現実とフィクションが互いにもたれあったような物語世界なわけです。そのあたりを、今回の映画化でも強く意識していると思います。なにせ、実写映画化ですからね。そして、手がけるのはディズニーですよ。別に何かアニバーサリーっていうタイミングでもないからには、お得意の社会的なメッセージが織り込まれているはず。原題はシンプルに「クリストファー・ロビン」。プーは入ってないんですよね。
 
映画が始まって、ロビンの半生をダイジェストでザッと見せるところで、ここでも原作の挿絵のタッチと実写映像が何度も出てくるのは同じなんですが、実は決定的な違いがあって、本が出てこないんですよ。つまりですね、クリストファー少年は、100エーカーの森でプーたちと「実際に」遊んでいたっていうことなんですよ。設定としてね。正直、ここがちょっと混乱を招くところではあるんですけどね。この世界はどうなっているんだという。ロンドンでプーさんと再会したクリストファーは、喋れるし、動けるぬいぐるみのプーを人目に触れないようにするあたりで「そういうことか」と分かって、その後の展開では、特殊なぬいぐるみたちだってことがバレないように行動するっていうのが、特に後半ハイライトにかけてのコミカルなドタバタ劇を生み出す効果を生んでいました。

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ただ、それ以上にテーマやメッセージにとっても、とても大事な効果があったと思うんです。それは、当たり前だけど、プーたちに「実際に」会えるってことですね。それによって、本を読んで思い出すとかじゃなくて、彼自身の幼い頃に「現実に」引き戻されるってことです。しかも、あのマジカルな100エーカーの森へも「現実に」行くわけです。こうすることで、より説得力を持つし、よりエモーショナルですよね。この設定変更はかなり功を奏していたんじゃないでしょうか。
 
で、肝心のメッセージですが、これはもうはっきりと、「何もしないをすること」の大切さを思い出せってことだと思います。「何者でもない」人が「何者かになる」っていうのは、人生における大事なことと世間では言われるわけですよ。「社会的な役割を持つ」と言い換えてもいい。でも、それって、本当にあなたの望んだことなんですか? 社会に夢を見させられて、役割を背負わされてるだけじゃないんですか? まだ何者でもなかった、自由に今だけを柔軟に楽しんでいた頃の喜びを完全に捨て去っていいんですか? 簡単に言えば、そういう合理的な生き方へのアンチ・テーゼでしょう。

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極端な考えに見えるかもしれないけれど、僕は思うに、Doing Nothingというのは、本当に何もしないというより(プーさんたちも何かはやってますよ。特に何かしてるわけじゃないってだけです)、取るに足らないことでも、これは意味があるのか、無駄かどうかを考えずに、やるってことです。何かをする時に、事前に合理的(だと大人が信じているような)判断をしないってこと。
 
僕がこの作品を最終的にとても現実的で感動を呼ぶ映画だなと思えたのは、あの着地です。やむなくではあるけれど、Doing nothingを実践したことで、頭でっかちだったクリストファーに降ってきたアイデアを思い出してくださいよ。仕事もうまくはかどってるじゃないですか。
 
これは、これから何者かになろうとする学生、そして何者かにならされた大人に響く、人生の価値観を問い直す心地よく苦い一本でした。

こちらは、いくつかある本国の予告編の中でのみ使われていた1曲。なんでWALK THE MOONなんだろう。そんなにイメージとは合わないんだけど、「人生という荒野へ相棒と一歩踏み出していく」っていう内容がフィットするという判断かなと思いつつ、歌詞を調べたら、The king of nothing at allなんてフレーズがあって、ここもnothingだと気づいたのでした。かといって、やっぱりしっくり来ないところもあるっちゃあるけど。それよりは、コーラスラインが「プ〜〜♫」って言ってるように聴こえるって方が理解できたりして(笑)

 

さ〜て、次回、9月27日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『コーヒーが冷めないうちに』です。無類のコーヒー好きな僕ですが、予告を観ている限り、「またタイムスリップものか」とか、「是枝監督の『ワンダフルライフ』みたいな話かなと想像するけど、あっちは傑作だぜ」とか、わりと冷めた感じなのが現状です。がしかし、来週はあつあつの状態に僕がなっている可能性もありますからね。しっかり観てまいります。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!