FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年9月27日放送分
映画『コーヒーが冷めないうちに』短評のDJ's カット版です。
時田数という若い女性の働く喫茶店フニクリフニクラ。ある席に座ってコーヒーをカップに注いでもらうと、それが冷めるまでの間は過去に戻れるという都市伝説がありました。その噂につられてやってくる客たちのタイムスリップを題材にしたオムニバス形式のヒューマンドラマです。幼馴染と喧嘩別れしたOL。いつも様子のおかしい熟年夫婦。両親や妹を避けて暮らすご近所さんの女性。数に想いを寄せていく大学生。そして、ある席をいつも陣取る謎の女性とマスター。季節の流れとともに、移ろっていく彼らの人間模様が描かれます。
原作はサンマーク出版から出ている同名小説なんですが、著者の川口俊和さんはかつて劇団の座付き作家、演出家として活動していた方で、この物語ももともとは戯曲なんです。2010年に演劇ワークショップ用に書かれ、やがて舞台となり、それを観た出版社の編集者が感動してノベライズを依頼したという流れなんだそうです。
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!
僕は時間にまつわる表現が好きです。映画、音楽、そして演劇。どれにしたって、作品それ自体が、一定の上映(演)時間や再生・演奏の時間を伴うものだから、時間表現と相性がいいと思うんですね。そして、僕らだって、死んでからでないとそれがどれくらいの尺なのかはわからないけれど、人生という作品の上映時間のようなものから逃れられない。しかも、僕らが乗せられているタイムコードには、この作品の中に出てきた、火のついた蚊取り線香のように、ただひたすら現在というものを紡ぐしかなくて、チャプターを飛ばすことも、逆戻りすることもできない。だからこそ、時間を編集して自在に配置できる特に映画というメディアに人は文字通り夢中になるし、タイムトラベルというもとはSFのジャンルだったものが、こうしてファンタジックにそれこそ繰り返し物語の道具立てとして利用されてきました。
ただ、タイムトラベルにはいつも、映画内の言葉を借りれば「面倒くさい」ルールが設定されるわけです。でないと、何でもありになるんでね。最近の秀作だったリチャード・カーティスの『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』なら、その一家の男性だけが、なぜかクローゼットに入ってギュッと手を握るとかいった調子。で、今作は冒頭にご丁寧に文字化されて出てきますが、5つもあるんですね。より大事なものをまとめて言うと… 過去に戻って何をしようと、現実は変わらないし、空間移動はできないから喫茶店は出られない。そして、過去に戻っていられるのは、コーヒーが冷めきるまでの短い間だけ。だから、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいな大それたことなんてはなからできないわけです。
たとえば、過去に戻って、わだかまりのある相手に当時の心境を聞いてみるとか、どうしたって、わりとささやかなことしかできない。それでも、過去は改変できなくても、あの時に言えなかったことや、すれ違ってしまっていてわからなかったけれど相手は本当はこう思っていたんだっていうことに気づくことによって、今の自分自身のスタンスや心の持ちようは変えられるし、それに伴って未来だって変わるかもしれない。そんな、ささやかなことでも、僕らの人生は変わるのだろう。そして、現実の僕らにはフニクリフニクラという喫茶店はないけれど、過去の記憶を映画のカメラのようにカットバックして見方を変えることで、似た体験はできるかもしれない。
この物語に人々が惹かれる理由はおおよそそんなところでしょう。喫茶店には雑多な人が集うから、幼少期、青春、壮年、熟年とライフステージも取り揃えられるし、恋愛、自立、病気、事故といった誰にも関心があるテーマを少しずつ配置できるという利点がある。設定として、よくできていると思います。
ただ、これはあくまで設定としてって話ね。具体的に映画としてどうだったかと問われれば、僕はすんなりとは褒められないところも多かったです。
まず脚本から。原作からの大きな改変ポイントとして、喫茶店のマスターの妻を省いて、共に働く主人公の時田数(有村架純)にその役柄を集約させてあります。悪くはないんですが、もともとは狂言回し的な立ち位置だった前半と、彼女にぐいぐいフォーカスが当たっていく後半への移行がスムーズでなかった印象があります。そして、映画オリジナルのクライマックスのからくりは、どうもはぐらかされたような感じがするでしょう。矛盾があるような気がしてならない。ストンと腑に落ちない。これは原作を改変したひずみです。
細かいところは、いっぱいありますよ。現在では熱々だったコーヒーが過去に行くとなぜいつもぬるいのか。コーヒーにこだわるのは当然として、この店はドリップなのかサイホンなのか、どっちなんだ。おい、過去からモノを持って戻れるなんてルール知らないぞ。原作にあるのか知らないけど、フニクリフニクラっていう店名の由来は入れてほしかった。あと、タイムトラベルに驚く客を前に、数が口にした「手品みたいなもんです」ってセリフは軽すぎやしませんか。
続いて、演出。一言でまとめれば、全体的に軽いんです。大画面で観る映画になりきれてはいないです。もとが演劇だからって、役者の演技もオーバーに導くことはないでしょ。タイムトラベルをする場面は腕の見せどころで、あの水と無数の額縁を使った装置は僕はそれ自体良かったと思うけれど、あるキャラがそれを見越して取った行動はもうノイジーなギャグでしかなかったです。そういう笑いを取りに来るわりには、サントラが仰々しい。そして、そのわりには、カット割りが顔アップ多めでテレビっぽいし、照明もスポットの当て方とかテレビっぽいというか演劇っぽい。つまり、映画らしさに乏しいのは残念でした。
その結果として、タイムトラベルがなんかゲームっぽく見えちゃって、確かにいい話ではあるけれど、どれも踏み込みの浅さが否めません。有村架純、松重豊、薬師丸ひろ子あたりはかなり好演していただけになぁ。映画だから派手にするってのが必ずしも正解ではないってことを、この種のささやかな話を映画化するにあたっては考えてほしかったです。
ともあれ、僕も不覚にも目頭が熱くなる場面があったし、何より自分の人生についても考えるきっかけになる物語ではあるので、ご覧になってみてください。
さ〜て、次回、10月4日(月)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『クワイエット・プレイス』です。もう、この映像を観ているだけでもガクブルなんですけど、果たして僕の心臓は終映までもつんだろうか… あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!