京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年10月18日放送分

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4オクターブの音域と驚異的な声量を誇るロックシンガーのシン。スター街道まっしぐらの彼でしたが、その声は実は声帯ドーピングという喉に負担のかかり過ぎる方法で作られたものでした。長年にわたるドーピングの無理がたたってボロボロになっていたシンの喉は限界間近。そんな時、彼は歌声が小さすぎて何を歌っているのかろくに聞き取れないストリートミュージシャンのふうかと出会い、彼女の姿に自分を重ねるようになっていきます。ふたりの声はどうなるのか。そして、ミュージシャンとしてのふたりの行方は?
 
監督・脚本は三木聡。このコーナーで彼の作品を扱うのは初めてなので、軽くどんな仕事をしてきた方か触れておくと… もともとは放送作家として、タモリ倶楽部ダウンタウンのごっつええ感じトリビアの泉など大ヒット番組に関わりながら、シティボーイズの舞台演出を手がけました。その後、ドラマ演出にも活躍の場を展開します。2006年の「時効警察」が代表作。映画は2005年の『イン・ザ・プール』が長編デビュー作。他にも『転々』や『インスタント沼』など、笑いの小ネタを無尽蔵に挟み込む独特な作風で知られています。

イン・ザ・プール 転々

前提として言っておくと、僕は三木聡作品で好きなものも結構あります。とりわけ、一見何の変哲もない人物が、あくまで日常的な風景の中で生きているのに、いつの間にか得体の知れない体験をしてしまったり、その人の深層心理が表面化してシュールな展開を見せていくタイプのものが、僕は観ていて痛快に感じます。彼の演出の基礎となる笑いと物語の大小の歯車が噛み合った時の突き抜けっぷりは素晴らしいと思います。
 
シンとふうかを、阿部サダヲ吉岡里帆が担当。千葉雄大小峠英二、さらにはふせえり松尾スズキ麻生久美子岩松了など、三木聡作品常連のキャストも揃いました。音楽映画ということで、HYDEいしわたり淳治あいみょん、KenKen、never young beach橋本絵莉子と、802ゆかりのミュージシャンたちも、サントラへの曲提供や演奏、あるいは出演をしていて、それも話題になっています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

タイトルからもわかるように、最大のモチーフは声です。ふうかはなぜ声が小さいのか。生まれつきのことではなくて、簡単に言えば、自分に自信が持てないでいるから、どうしても周囲の目ばかりを気にして、その結果として堂々と歌えない。その姿を見て、しんとしては、そんなんなら、音楽なんてやめちまえ、と。ふうかの自信のなさは行動にも現れています。たとえば、このギターはまだ弾きなれてないから、今回のオーディションはやめとく、とかね。そこで、「やらない理由を探すな」という、最大のメッセージが登場します。本当にやりたいんだったら、一度とことんやってみないと始まらない。力は試せない。その通りだと僕も思います。だけど、そのメッセージを声の大小だけに集約させているのが、僕は最大の問題だとも思ってます。
 
これは僕が予告で感じていた疑問なんですけど、声が小さいとダメなのかと。確かにストリートで弾き語るなら、せめてストロークするギターに負けないくらいの声を出せよタコっていうツッコミが成立するのはわかりますよ。あとは、シンがやってるようなラウドロックも、そりゃ声がデカくないとダメだろうし、デスボイスのひとつもできないと話にならない。でもさ、ふうかのやってる音楽って、そういうんじゃないでしょ? 音楽ジャンルは何もロックばかりじゃないんだし、ステージに立つならマイクがあるわけで、ある程度の声量はあるに越したことはないけど、より問われるのは表現力と説得力でしょう。こうした疑問は解消されるどころか、気づけば精神論にすり替えられるんです。ロックだロックじゃないってなぼんやりした話になっちゃう。どうも、話として、声のシンボルが機能しきってないから、乗り切れないんだと僕は分析してます。

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僕が三木作品で評価している笑いと物語の歯車が噛み合う場面は、あるにはありました。店構えも店主も料理も怪しすぎる「喜びそば」のくだりなんかは最たる例です。この店はやめておこうというふうかに対して、ふせえり演じる魔女みたいなおばさんは、食ってみようぜと誘う。その結果、めちゃうま! 食べログの評価ばかりをあてにして、自分の味覚が置いてきぼりになりがちな風潮へのツッコミになってるし、それがまたふうかの何かと弱腰なスタンスとも合致してるから、笑いに意味があります。ただ、その他はもうどれもこれもテンションで押し切る笑いばかりで、やりたいだけになっちゃっていたのは残念でした。急に入るギャグ、ショートコント風の過剰な芝居が、物語から完全に浮遊してる。ハイテンションでの罵詈雑言、キレ芸みたいなのも、あまり使いすぎるとしんどくなるじゃないですか。映像の流れも同様で、やたらカメラがガチャガチャして、せっかくの「喜びそば」の場面だって、導入で無意味にカメラをひっくり返したりするもんだから、ただでさえ筋が弱い物語なのに、余計に集中できなくなります。
 
あと、一連の韓国のシーン、あれは本当に必要なんですか? 妙なステレオタイプを補強するだけに思えて、笑えないし快くもないし、まったくもって誰得でした。
 
やたら部品の数が多い車に乗って、豪華には見えるんだけど、エンジンをかけたら、途中でガソリンタンクもアクセルペダルも吹っ飛んで失速。慣性の法則で最後まで走りきりはしたものの、ドライブの爽快さからはほど遠いみたいな、そんな印象を受けてしまいました。


さ〜て、次回、10月25日(月)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、なんと『2001年宇宙の旅』です。マジか… どの映画史の本も触れるようなスタンリー・キューブリックの超のつく名作に何を言えばいいんだ、僕は… 製作から50周年。IMAXで観られる貴重な機会をとにかく楽しむ、というか、浴びるようにして体験することにしましょう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!